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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第三章・横浜騒乱編
3-(3) 動機
 相手の狙いは極めて精確だった。
 辛うじて急所を外すことには成功したが、肺を貫通している。
 銃声が遅れて届いたところからみて、かなりの遠距離射撃だ。にも関らず、達也が回避行動を取らなければ、銃弾は彼の心臓を貫いていただろう。
 控え目に言っても、凄腕のスナイパーだった。
 達也は転倒した勢いを利用し自ら転がって、小百合の乗ったコミューターの陰に退避した。
 撃たれた傷は、既に治っている。普通ならば致命の重傷も、彼の魔法にかかれば一瞬で消え去ってしまう。
 だが、痛みを感じない訳ではない。
 胸を穿たれ、背中を突き破られた激痛の余韻が達也に脂汗を流させる。
 しかし今、幻痛に気を取られている余裕は無かった。
 改めて、敵のポジションに当たりをつける。
 銃弾の方向と角度、障碍物となる建物の配置から見て、狙撃ポイントは川向こうの商業ビル群。
 現在位置からおよそ千メートル。
 この距離で人体を容易く貫通し、背中に開いた穴も小さかったことを考えれば、使われた銃弾は尖頭被甲弾。
 合成樹脂で作られているコミューターの車体は、遮蔽物としてそれほど役に立たないと考えるべきだ。
 しかも厄介なことに、この狙撃手は魔法を使っていない。
 相手が魔法を併用していれば、この程度の距離ならば場所を特定するのも難しくない。
 だが相手が純粋な射撃技術のみしか使っていないとなると逆に、彼の情報体認識力(エレメンタル・サイト)を以ってしても発見が困難になる距離だ。
 路上に倒れている二人組の身体がフワリと浮かび上がった。
 黒い自走車の扉が開き、二人の身体を乱暴に吸い込んだ。
 二人組を回収する移動魔法を無効化するのは簡単だったが、今は狙撃の脅威を取り除く方が先決だった。
 自分を貫いた銃弾の情報体を探し出す。
 情報体分析の能力をフル回転させて、銃弾に付随する情報を読み出して行く。
 絡み付く体液。
 人体の抵抗。
 風の影響。
 重力。
 発射時のガス圧。
 銃弾に加えられた諸々の変化が、圧縮された情報となって達也の中に流れ込む。
 その中から、狙撃時点の座標の情報を選り分け、拾い出す。
 それは、銃弾からその弾道へ、そしてその狙撃手へと、情報を、「世界」の記憶を、時を遡る作業。
 現在から過去へ。
 そして、
 過去から現在へ。
 銃弾が発射された時点の狙撃手の位置情報を基点に、イデアに刻まれた状態変化の記録を辿って、現在の座標を突き止める。
 達也の心眼は、狙撃手のエイドスに照準を定めた。
 相手もまた、こちらへ狙いを定めているのが分かる。
 第二射が来なかったのは、弾丸を、防弾アーマーを撃ち抜く為の対人用貫通弾から、遮蔽物の背後の敵を撃ち抜く為の対物高速貫通弾へ切替えていた、タイムラグの所為だ。
 狙撃手の物理的な情報を丸ごと掌握している達也には、そこまで見えていた。
 幸運だった、と言わざるを得ない。
 そう思いながら達也は、人体を丸ごと分解する魔法の、引き金を引いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 黒い自走車が逃走してからおよそ十分、危険は去ったと判断して、達也はコミューターの陰から立ち上がった。
 車内を覗き込むと、小百合が気を失っていた。何時まで経ってもコミューターが再始動しないので、そんなことだろうと予想していたから、動揺は皆無だった。
 彼女の身体は上下左右から飛び出したエアバッグによって、緩衝材に梱包されたような状態でシートに埋まっている。
 事故から乗員の肉体を保護するシステムは完璧に作動していた。
 これなら大したショックも受けていないはずだ。
 おそらく、精神的な衝撃による意識の断絶だろう。
 彼女も端の方とはいえ四葉の一党に連なる人間だから、荒事に多少の耐性はあって然るべきだが、これでは一般市民と何も変わらないな、と達也は思った。(魔法師、そして十師族も「市民」だが、「一般」市民とは言えない)
 再利用可能に改良されたエアバッグを収納し、完全自動運転モードで再始動する。
 ゆっくりと走り出したコミュータの後ろを、達也は自分のバイクで追いかけた。

◇◆◇◆◇◆◇

 小百合を駅まで送って行った後、達也は帰宅するなり、テレビフォンに向かった。
『……街路カメラの方は心配するな。既に処理を始めている』
「ありがとうございます、少佐」
 電話先は独立魔装大隊司令部の秘匿回線。
 十師族・四葉家の戦闘要員である身分、独立魔装大隊の特務士官である身分を隠さなければならない達也としては、街路カメラの映像から身元を突き止められることを最優先で回避しなければならない。
 モニターに映った風間へ向けて、達也は背筋をピンと伸ばして一礼した。
『それにしても随分と思い切りの良い相手だな。都心ではないとはいえ、都内でいきなりライフルをぶっ放すとは』
「油断していたことは否めませんが、恐るべき技量でした」
『魔法は使っていなかったのだな?』
「間違いありません」
『フム……夜間、光学スコープのみで、千メートル級の狙撃を成功させるか』
 弾道を誘導する魔法を使えば、必ず、事象改変の反作用が生じる。
 知覚系の魔法を使えば、必ず、知覚対象にサイオン波が届く。
 魔法が使われたなら、達也がそれに気付かないということはあり得ない。
『それだけの腕を持つスナイパーを調達できる組織は、世界でも限られてくる。
 敵の正体は、案外簡単に判るかもしれんぞ』
「よろしくお願いします」
 攻撃は最大の防御、というのは、攻撃を受ける前に敵を無力化してしまえばこちらが攻撃に曝されることはない、という意味だ。
 既に矛を交えている以上、相手がこれ以上手を出してこない限りこちらからは手を出さない、という平和的な対処法は、達也にとって、あり得ない。
『んっ? 一寸待て……
 ……今報告が入った。車の方は見つけたそうだ』
 黒い自走車はナンバープレートこそ隠していたが、その程度のことでは街中に張り巡らされた防犯目的の街路カメラを誤魔化すことはできない。
 何時何処を通ったかが正確に分かっている以上、車体の特定は容易だ。
『こちらで処分しようと思うが、構わないな?』
「お手間をかけます」
 風間の念押しに、達也はあっさり頷いた。
 逃がした相手は自分の手で、等という無意味な拘りは、彼にとって縁の無いものだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 予想外の活劇に出演した所為で夕食はいつもより随分遅くなったが、深雪は嫌な顔一つ見せず、フリルの多用されたピンクのエプロン姿で甲斐甲斐しく達也の食膳を用意した。
「……そのエプロン……?」
「気付いて頂けましたか?」
 思わず漏らした一言に、深雪は笑顔で振り向いた。
 深雪が身に着ける物は、シンプルで大人っぽいデザインが多い。
 少女趣味、という表現が適当かどうかは分からないが、ファンシーで可愛らしいイメージのそのエプロンは、達也が初めて見るものだった。
「さっき買っていたのは、それ?」
 駅で別れる直前、深雪は美月とエリカに引っ張られてティーンズ向けの雑貨店に連れ込まれていた。
 外のベンチで待っていた達也は、思ったより早く出て来た三人に一体何を買ったのか、と訊いてみたが、エリカが「内緒」と繰り返すだけで結局答えは得えられなかった。
「美月がエプロンを買い換えるというので、一緒に買ってみたのですが……あの、おかしくありませんか?」
 普段身に着けているものとは路線が違う所為か、少し不安げな目付きで深雪がそう訊ねた。
 相槌を打つのは簡単だったが、達也は改めて、妹のファッションをじっくりと見てみた。
 エプロンの丈がワンピースの丈とほとんど同じである所為か、まるでワンセットのエプロンドレスのようだ。
 それも、ミニのエプロンドレス。
 肩をグルッと回って背中でクロスする両サイドのフリルと、腰の後ろでリボンの形に結ばれた幅広の紐がキュートで、裾から覗く素足の太腿が艶かしい。
 他人にはチョッと見せられない格好だな、と達也は思った。
「とても良く似合っているよ。
 自分だけのガラスケースの中に、こっそり飾っておきたいくらいだ」
「……お兄様……それは些か、猟奇的だと思われますが」
 台詞だけ聞けば呆れているような物言いだが、表情を見れば照れ隠しだということは一目瞭然だった。
 しかしそこを突っ込んだりはせず、達也は笑って箸を取った。

 兄妹二人きりの食卓は、大体いつも、深雪が話し掛けて達也がそれに答えるという展開になる。
 今日もそれは変わらなかった。
「ところで、あの人の用件は何だったのですか?」
 一通り今日のメニューについて語り合った(というほど大袈裟な話ではないが)後、「ところで」と前置きして深雪がそう訊ねて来た。
 それは確実に来ると予想された質問だったので、達也の方も、答えを用意してあった。
「仕事を手伝え、というのはいつも通り」
 ただそれは、もっともらしい嘘で誤魔化す、という意味ではない。
「なんだけど……今回は知らん顔も出来ないだろうな」
「……難しいお話なんですか?」
 深雪の問い掛けには「断ることが難しいのか?」という意味と、「仕事自体が難しいのか?」という意味の、二つの意味が込められていた。
「断るのは……難しくない。小百合さんが短気を起こしてくれたからね」
 達也がニヤリと笑って見せると、吊られたように深雪がクスッ、と笑みを溢した。
「だが、断る訳にも行かないだろうな……こうして、サンプルを預かってしまった以上は」
 達也の目がテーブルの端へ向かった。
 そこには小百合が持っていた大き目の宝石箱が置かれていた。
 新たな襲撃者による強奪を恐れて、小百合が無理矢理、達也に預けたのだ。
 一応、達也が直接、FLTのラボへ返しに行くことになっているが……
「サンプル……ですか?」
 それは一体何か? という無言の問い掛けに応えて、達也は宝石箱を開けた。
瓊勾玉(にのまがたま)系統の聖遺物(レリック)だ」
 覗き込む深雪に、その正体を教える。
 深雪は両手で口元を抑え、目を見開いて達也を見た。
「……何故あの人はそんな物を……」
「軍の依頼だ。複製を注文されたらしい」
「そんな無茶な……」
 レリックがどんな物で、それをコピーするというのがどんな無謀な試みなのか、達也ほどではないにしても深雪も理解していた。
「瓊勾玉には魔法式を保存する効果があるそうだ」
「…………」
 しかし次の達也の言葉で、深雪は絶句すると共に何故軍がそんな無茶な注文をしたのかを理解した。
 魔法式が事象に付随する情報体・エイドスに干渉し、情報体を一時的に書き換え、魔法式に記述されているとおりの事象の改変を行う――これが、魔法だ。
 魔法式は魔法を発動する為に最も重要な役割を果たす道具であり、ある意味で魔法そのものとも言える。
 魔法式により事象を改変する為には魔法式をエイドスに投射しなければならないので、魔法式を保存するだけでは他の物質・現象に対して魔法を掛けることは出来ない。
 一方、魔法式が保存されるのであれば、自身に掛けられた魔法の効果を永続させることが出来る、かもしれない。本来のエイドスに代わる付随情報体として魔法式を保存することが出来れば、それが可能だ。
 つまり魔法式を保存できる物質は、魔法の効果を保存できる物質となり得るのだ。
 理屈の上では、温度を書き換える魔法の魔法式を保存すれば数百度の高温、マイナス数十度の低温を何のエネルギー供給もなく維持し、運動速度を書き換える魔法式を保存すれば擬似的な永久機関を実現出来る。
「……万有引力を書き換える魔法式を保存することで、魔法師が継続的に魔法を掛け直す必要のない、プラズマ格納用の重力容器を制作することも、理論的には可能だ。
 親父たちに協力するつもりはないが……俺にとっても興味深いサンプルだよ。残念なことにね」
「でしたらそのサンプルを使って複製方法を研究なされた上で、成果を隠匿されては如何ですか?」
 わざと自嘲的な笑みを浮かべた達也を、深雪はおどけた口調で唆した。
「そうだな……」
 達也はまんざらでもなさそうな表情で頷いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 家事にはなるべく手を掛ける、達也の世話を機械任せにしない、それが深雪のポリシーだが、食後の食器洗いまで手作業で行うほど拘ってはいない。
 彼女もまだ学生で、やらなければならないことが山のようにあるので、ある程度の取捨選択は必要だった。
 夕食で使ったお椀やお皿を全てHAR〔ホーム・オートメーション・ロボット〕に委ねて、深雪は勉強机に向かっていた。
 魔法科高校とはいえ、魔法以外の勉強をしなくても良いということにはならない。
 試験が無い分、日々の課題が重視される。
 今、宿題に取り組んでいる科目は数学。
 どちらかと言えば、苦手科目だ。
 さっきからどうしても解けない問題があって、深雪は一旦、ディスプレイから目を離した。
 対話型のインターフェイスが進歩した現代のコンピューターの処理能力を以てすれば、余程専門的に数学を扱う人間以外、自分で計算問題を解いたりする必要は無いはずなのだが、数学的思考は新しい魔法を組む際の助けになるから、という理由で兄から手を抜かないように命じられている。
 深雪は「フウッ」とアンニュイなため息を吐いた。
 こういう時は、万能な兄が羨ましく思えてくる。
 お兄様に教えていただこうかしら……とぼんやり考え、慌てて、ブンブンと音がしそうな勢いで首を振った。
 達也は早速、あのレリックの分析に取り掛かっているはずだ。
 ただでさえ自分は達也の自由を束縛しているのだから、これ以上は出来る限り煩わせてはいけない、と深雪は思った。
 達也が第一高校に進学したのは、深雪が一高に進学したからに他ならない。
 そもそも達也の知識と知力があれば、高校に通う必要はないのだ。
 国立魔法大学に進学するためには魔法科高校卒業資格が必要、とは言っても、何事にも例外はあるのであって、例えば「基本コード」発見のような学術的に意義の高い成果を上げた者については魔法科高校卒業資格の有無に関わらず受験資格が与えられる(入学資格ではなく受験資格であるところがミソ)。
 達也がその気になれば、すぐにでも受験資格を得られるだろうし、合格することも容易いに違いなかった。
 兄の目指しているものが、結局、魔法大学のような高等研究機関にしかないことを知っている深雪は、高校生生活が彼にとって回り道でしかないことを理解していた。
 達也がそうしなければならなかった理由は、彼が深雪のガーディアンだからである。
 ガーディアンとは、四葉において、特定の要人を自分の命を犠牲にしてでも守る役目を負わされた者たちのこと。
 その役割は、表面的には、ボディガードと変わらない。
 では何故ボディガードではなくガーディアンと呼ぶかというと、一時的に雇い入れるボディガードと区別する為だ。
 四葉のガーディアンは生まれたときから決められている役目ではないが、一旦選ばれたならば、その任期に終わりはない。二十四時間体制、週七日勤務は普通のボディガードも変わらないが、ガーディアンには辞める権利がない。護衛対象から解任されれば辞めることもできるが、これまで四葉のガーディアンは例外なく殉職でその生涯を閉じている。
 達也がある程度自由に行動できるのは、離れていてもガードが可能だからだ。魔法は物理的距離に左右されない。二人の間にはテレパシーこそ通じていないが、達也は無意識領域の一部を使って深雪の周囲を常時、「事象に付随する情報体を認識する視力」で監視している。いや、監視するように魔法を掛けられている、と言った方が正確か。
 しかしいくら達也でも、眠ったまま魔法は使えない。
 距離は関係ないが、生活サイクルを合わせる必要はある。
 休日や長期休暇中は深雪の方で達也のサイクルに合わせることが出来るが、学校のある日は達也が深雪と同じサイクルで、つまり学校の時制に合わせたサイクルで行動しなければならない。それに、いくら魔法は物理的距離に左右されないと言っても、やはり近くにいる方が様々な脅威に対処しやすいのは確かだ。
 しかし、それもこれも全て、深雪が達也に与えられたガーディアンの任を解かなかったから生じた事情。
 深雪が達也を解任すれば、別の、おそらくは同性同年代のガーディアンが任命されたはずだ。いくら魔法師は人手不足といっても、深雪は四葉次期当主の最右翼なのだから。
 もっとも、深雪が達也のガードを望んだのは、自分の我が侭ばかりではない。
 ガーディアンの任務は四葉の中で最優先とされている。
 深雪のガーディアンを務めている間は、別の、つまらない用事を言いつけられることはない。
 汚れ役を押しつけられることもない。
 父親も父親の後妻も、表だって強いことは言えない。
 達也に自分たちの手伝いを強要は出来ない。
 そうした事情を考慮した上で、同じ高校に進学して欲しいと望んだのだが――その根底には、兄離れできない自分の依存心があることを、深雪は自覚していた。
 もう一度、「フウッ」と深雪はため息を漏らした。
 ままならない自分の心と、ままならない宿題の進み具合に。

 一々教えてもらわなくても、出来上がった答案だけ見せてもらえばいい、と深雪が思いついたのは、それから三十分後のことだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 翌日の放課後。
 達也はプレゼン用の資料を揃える為、図書館へ向かった。
 本音を言えばサンプル(瓊勾玉系レリック)の解析に専念したいところだったが、論文コンペの準備(の手伝い)も疎かには出来ない。
 図書、と言っても、今ではほとんどがデジタル化されていて、紙の書籍は所蔵データの極一部。オンラインで閲覧出来れば態々(わざわざ)館内に足を運ぶまでも無いのだが、達也たち論文チームが必要とするような文献は学内ネットワークにさえ解放しないという厳重な管理が行われている。
 それに、本当に貴重な資料は敢えてデジタル化せずに、地下に保管されていたりする。
 面倒だ、と感じる反面、探求心を刺激されてワクワクしてしまうのも否めない。
 簡単に手に入らないものの方が、何となく価値がありそうな気がする、という錯覚は、達也も世間並みに持ち合わせているのだった。
 しかし残り日数が余り無いので、手間の掛かる紙の文献を当たってみることは諦めなければならない。コンペティション、なのだから勝敗以上に期日を無視出来ない。ある程度の割り切りは不可欠だ。
 空きブースを探して閲覧室を奥へと進んだ達也は、個室タイプの閲覧ブースから知り合いが出てきたのに出会(でくわ)した。
「あら、達也くん」
「七草先輩、『読書の秋』ですか?」
 真由美と最後に会ったのは約一週間前、「久し振り」というほどではない。
 達也は当たり障りの無い挨拶を返した、つもりだったが、真由美は不服そうに少し口を尖らせた。
「あのね、達也くん……私、三年生なんだけど」
「はぁ……存じております」
 分かりきったことを然も重要事の様に言われて、達也は戸惑いを禁じ得ない。
「高校三年生といえば大学受験でしょう? 何で受験勉強って発想が出て来ないかなぁ……
 私って、そんなにお気楽そうに見える?」
 真由美の説明は達也をますます困惑させることとなった。
「……七草先輩は、推薦が決まっているのではありませんか?」
 成績優秀、生徒会長を務め、魔法競技アスリートとしても有名で、獲得した優勝トロフィーは数知れず。
 これで推薦がつかなかったら、誰を推薦するというのだろうか。
 しかし、真由美の回答は達也の予想の斜め上を行った。
「あれっ? 達也くんは知らないんだ?
 私、推薦は辞退したの。
 生徒会役員経験者は推薦を辞退するのが当校の不文律なのよ」
「……初耳です」
「魔法大学の推薦枠は魔法科高校毎に十人、って決まっているからね~
 ウチは他校より受験する人が多いから、枠は有効に使おう、ってことになってるのよ」
「……つまり、ボーダーラインの生徒を優先的に推薦する、と?」
「それはチョッと言い過ぎだけど……まあ、そんなものかな」
「それは……」
 ある意味、合理的かもしれないが、やはり何かが間違っているのではないだろうか。
 達也はそう思ったが、何の疑いも抱いていない真由美の顔を見て、指摘するのを止めた。
 言葉を濁した達也に「んっ?」とばかり真由美は小首を傾げたが、すぐに興味が他所へ向いたようだった。
「ところで達也くんは何しに来たの?」
 ここにいるのが意外だと言いたげな口調が些か心外だった――達也は図書館の常連で、間違いなく真由美より頻繁に利用している――が、別に隠すことではない。
「論文コンペの資料を集めに来たんですよ」
「ああ、そういえばリンちゃんのお手伝いに指名されたんだったわね」
(……お手伝い、ね)
 他人から見れば、まあそんなものだろう、と達也は思った。
 同じチーム戦といっても、個々の活躍が目に見えるモノリス・コードのような競技と違い、論文の作成は各メンバーの貢献度が外から見えない。
 プレゼンテーター以外は単なるアシスタントと思われても不思議は無い。
「……っと、こんな所で立ち話してちゃ他の人の邪魔だし、中に入ろっか」
 そう言って真由美は、出てきたばかりのコンパートメントを指差した。
「使うでしょ?」
 又貸しは本当はマナー違反だが、扉の前に列が出来ている訳でもない。
 達也は遠慮なく頷いた。

 三人入れば身動きも難しくなる一人用の閲覧室は、二人でもかなり窮屈に感じられた。真由美は女性としても小柄な方だが、達也は成人男性の平均を上回る体格をしている。特に大男という程ではないが、肩幅があるので座ると結構場所を食う。
 端末の前に座った達也と予備のスツールに腰掛けた真由美は、肩を寄せ合うような格好になった。
 狭い部屋の中で、美少女と二人きり。
 しかし、こういうシチュエーションでも、達也は興奮も萎縮もしない。真由美はそのことを、過去の経験から学んでいた(彼女が自分のことを「美少女」と見做している件については、まあ、客観的な認識だから横に置くこととする)。
 触れ合う肩を気にする様子も無く慣れた手つきで端末を操作する達也に、苛立ちも落胆も逆説的な警戒も無く、真由美は中断していた話を再開した。
「達也くんには急な話だったと思うけど、よろしくね?」
「……確かに急な話でしたね」
 前置きも無く当然の様に、唐突に話し掛けられて、達也は少し戸惑ったようだが、頭の中で中断前の会話と繋ぐことに成功したようで「何が」とは訊き返さなかった。
「しかし七草先輩が気にすることではないのでは?」
 相変わらず目をモニターに固定したまま、達也は余り関心無さそうに問いを返した。
「それはそうだけど。
 でも今回のテーマはリンちゃんにとって、コンペに勝つだけ以上の意味を持ってるからね」
「そういえば、先輩のところに代役の話は来なかったんですか?」
「私じゃ手に負えないテーマだから。
 それに私、複雑な工程を持続的に作用させる魔法は余り得意じゃないし」
 質問と答えが少しかみ合っていないような気がしたが、真由美の得手、不得手を知悉している鈴音が予め候補から外した、という意味なのだろう、と達也は解釈することにした。
「リンちゃんには色々と助けてもらっているから、こんな時に手伝えないのは私自身、残念なんだけど……」
 独り言なのか彼に話し掛けているのか、判り辛い口調でフェードアウトした真由美の台詞に、相槌の打ち様も見えず、結果的に達也は無言でデータの抽出作業に指を走らせた。
「……だから達也くんには今回、頑張って欲しいのよ。達也くんならリンちゃんのことを助けてあげられると思うから」
「……市原先輩は今回のテーマに、何か特別な思い入れがあるんですか?」
 達也がそんなことを訊ねたのは好奇心からと言うより、単なる激励を超えた力の入り方がふと気になったからだった。
「ある意味、リンちゃんの夢を実現する為の第一歩だからね」
 それだけでは具体的なことが何も分からない回答だったが、達也はそれ以上問い詰めるつもりは無かった。
 鈴音がどんな夢を抱いていても、自分には余り関係無さそうだ、と思ったからだ。
 しかし、そんな達也の思考を他所に、真由美は言葉を切らなかった。
「魔法師の地位向上。
 それも、政治的圧力によってではなく、経済的必要性によって、魔法師の地位を変える。
 魔法を経済活動に不可欠なファクターとすることで、魔法師は本当の意味で兵器として産み出された宿命から解放される。常駐型重力制御魔法式熱核融合炉はその為の有力な手段になる……って、リンちゃんはずっと言っているわ。
 今回の論文作成はその為の具体的な第一歩なの」
 達也は思わず振り向いていた。
 見開いた目で凝視され、真由美がたじろぎを見せた。
「っ、なに?」
「……驚きました。市原先輩が全く同じ事を考えていたとは……」
「えっ? 達也くんも?」
 目を丸くして上ずった声で問い返した真由美に、動揺を留めた表情で達也は頷いた。
 経済的便益の提供による魔法師の地位向上は、実を言えば鈴音や達也のオリジナルではない。
 支持者が少ないながらも、このアイデアが提唱されたのは、もう二十年以上前のことだ。
 しかし未だに、実現の兆しすら見えない。
 今でも、魔法師の主な用途は、軍事目的。
 世界情勢が小康状態の現在は、実際に兵器として使用される事例は減少している。
 しかし魔法師の開発――魔法の開発ではなく――は、軍事利用を目的とするものが依然として九割を占めていると言われている。
 そしてそれは、現状では仕方の無いことだった。
 民生に転用可能なほとんどの魔法は、機械技術で代替できる。
 温度をコントロールする技術も、物体を加減速する技術も、魔法ほど劇的な効果は得られないとしても、社会活動に必要なレベルであれば非魔法技術で安定的に供給することが出来る。
 わざわざ魔法で代替する必要はない。
 高度に発達した自動機械を魔法師に置き換える必要は無い。
 機械を操作し、プログラムするのに、魔法技能は必要無い。
 現在の科学技術では実現不可能なテクノロジーが魔法により実用化され、それが社会に必要とされる、そんな状況が作り出されない限り、「魔法師の解放」は理想主義者の空想に過ぎない。
 その一方で、常駐型重力制御魔法式熱核融合炉もまた、達也たちのオリジナルではない。
 こちらは核融合炉の研究が行き詰った五十年前から、魔法によって実現できないかどうかが研究されている。
 しかしこの研究も、現在では下火となっている。
 太陽光エネルギーサイクルが人類のエネルギー需要を、今のところ余裕を持って賄っているからだ。
 魔法師の地位向上と常駐型重力制御魔法式熱核融合炉の実現を結びつけて論じる者は、少なくともこの二十一世紀末においては、ほとんど見ることが出来ない。
「こんなマイナーな思想の持ち主が、こんなに身近にいるとは思いませんでした」
 驚いたというよりも寧ろ感心したように呟く達也に、真由美は何故か、ジトッとした目を向けた。
「……フ~ン、良かったわね。リンちゃんと気が合って」
 目付きだけでなく、声音までご機嫌斜めを主張している。
「いえ、別に気が合うとか合わないとかいう問題では無いと思いますが……市原先輩と俺では、方法論が全く違うようですし」
 何を拗ねてるんだろう、と思いながら、達也の回答もつられたように言い訳がましさを帯びていた。
「でも基本コンセプトは同じなんでしょ?
 達也くんって、実はリンちゃんみたいなのがタイプなの?」
「はぁ?」
「こーんな美少女と肩寄せ合ってお話してるっていうのに、全然手を出す素振りも無いと思ったら。
 ゴメンねぇ、お姉さん、子供体型で」
 一体全体、この人は何を言い出したんだ? というのが達也の偽らざる感想だった。
 大体、研究テーマが同じだからといって常にパートナーになる訳ではなく、寧ろライバル関係になる方が多いのだし、真由美は背が低いだけで決して子供体型ではない。寧ろグラマーで成熟した体型だと彼も思っている。
 解かなければならない誤解が多過ぎて、一体何処から手をつければいいのか、達也は迷った。
「……俺に露出性癖は無いんで、監視カメラの前で女性に手を出したりはしませんよ」
 達也も相当困惑していたのだろうか。
 迷った末に選んだファースト・アンサーは、余り適当なものではなかった。
「えっ……?」
 意味深なようでいて実は深く考えていない達也の回答に、真由美はソワソワと視線を彷徨わせ始めた。
「えっと、じゃあ、カメラや人目がなかったら? そうね、例えば、二人きりでホテルに部屋を取ったら?」
「先輩の据え膳なら、遠慮なくご馳走になります」
 ガタガタッ、と音を立てて、赤面した真由美がスツールごと壁に密着し、狭い室内で精一杯、彼から距離をとったのを見て、達也はようやく自分の失言に気がついた。
 思いつきの発言を繰り返した結果、あらぬ誤解を与えてしまったようだ。
 しかし、これ以上言い訳しても更に墓穴を掘ってしまいそうな気がしたので、会話が途切れたのを幸いとばかり、達也は真由美から視線を外し、資料集めの作業に専念した。

 達也の答えに身の危険を感じた――はずの真由美は、何故か、閲覧室を出て行こうとはしなかった。


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