ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第三章・横浜騒乱編
3-(1) 呼出
 二十四時間体制を実現する為の自動化が推し進められた港湾諸施設は、今ではほとんどが無人で運営されている。
 夜間は船舶の入港、荷揚げ、積み込み、出港の作業が完全自動化され、監視の為に僅かな人員が置かれているのみだ。(通関は日中に纏めて行われる)
 人手を減らした分、密入国者対策として、保税地域と市街地の遮断がより厳重に行われるよう各港湾の全域的再開発が行われ、船舶の乗組員の上陸も保税地域については禁止されている。
 逆に港湾施設が完全自動化される深夜については、保税地域以外の接岸が禁止され、乗組員の上陸を必要とする船舶は有人運営が再開される朝まで沖合いで待機しなければならない。
 今では真夜中ともなれば、貨物用の埠頭は完全に人通りが無くなる、はずだった。
 だがこの夜、そろそろ日付も変わろうかという時刻、山下埠頭には息を潜めた大勢の気配があった。


『五号物揚場に接岸した小型貨物船より密入国者が上陸しました。
 総員、五号物揚場へ急行して下さい』
「やれやれ、やはりあそこか」
「ぼやいている場合じゃありませんよ、警部!」
「しかしね、稲垣君」
「つべこべ言わずに走る!」
「俺は君の上司なんだが」
「歳は自分の方が上です」
「やれやれ」
 適当(テキトー)な感じでボヤキながらも、千葉寿和(ちば・としかず)警部は足の回転を速めた。
 彼が警備についていた三号岸壁から五号物揚場まで七百メートル。
 どんなに全力疾走しても二分は掛かる距離だが、千葉警部と稲垣巡査部長は軽口を交わしながら三十秒で現場に到着した。
 生身の人間に出せる速度ではない。――普通ならば。
 そしてこの二人は普通の人間ではなく、魔法師の刑事だった。
「人数不足だねぇ、やっぱり」
「仕方ないでしょう。
 魔法犯に対処できるのは魔法師の刑事だけなんですから」
「本当は、そうでも、ないんだが、ね!」
 気の抜けた会話を気合代わりにして、千葉は高々と跳び上がった。
 その手には全長一メートル程の木刀。
 反りの少ない、忍者刀を長くしたようなフォルムだが、長尺警棒ではなく紛れも無い木刀だった。
 空中で木の葉の様に揺れながら、サイレンサーのついたサブマシンガンを三点バーストで乱射している人垣を跳び越える。
 その幻惑的な空中機動が、援護射撃の照準を許さない。
 人垣の向こうで遠隔攻撃魔法を放っている魔法師の三人組へ向けて、千葉はスパイラルを描いて襲い掛かる。
 Gを無視した移動魔法で敵の魔法照準すらもすり抜け、千葉の木刀は三人組を次々に殴り倒した。
 背後では稲垣がサブマシンガンの射手を拳銃で撃ち倒している。
 挟撃の形で千葉も参戦し、十人を超える外国人を(たちま)ちの内に制圧する。
 同じような小競り合いが数箇所で起きていたが、助っ人に赴くまでもなく片がついたか、つきつつあった。
「警部、船を抑えましょう!」
「え~っ、俺がぁ?」
「つべこべ言わない!」
 どうやらこのコンビは、部下の方がはるかに勤労意欲に恵まれているようだ(と言うより、上司の勤労意欲が乏しすぎるように見える)。
 それでも流石に、密入国の現場を前にサボタージュを決め込む程ではなかった。
「分かった分かった。
 じゃあ、稲垣君。船を止めてくれ」
「……自分では、沈めることになるかもしれませんよ?」
「構わないよ。責任は課長が取るだろう」
「……責任は俺が取る、とは仰らないんですね……」
 ガックリと肩を落としながらも、リボルバーにケースレス弾を再装填する手つきに淀みはない。
 グリップ底部のスイッチを左手で押し込むと、バレル上部に取り付けられた照準補助機構の作動ランプが点った。
 武装一体型CAD、リボルバー拳銃型武装デバイスのグリップに組み込んだ特化型CADの本体が起動式を展開する。
 引き金を引くと同時に、魔法式が作動。
 移動・加重系複合魔法により軌道を固定し貫通力を増大させたメタルジャケット弾が、魔法式の設定した通りの軌跡を描き、離岸する小型船舶の船尾を貫いた。
 二度、三度と銃声が木霊する。
 船尾に生じていた気泡が勢いを失う。
 船の形状から予測しただけのブラインド射撃が、ものの見事にスクリューのギアボックスを撃ち抜いたのだ。
「お見事」
 暢気な賞賛を口にした千葉の手許でパチン、と留め金の外れる音がした。
 木刀と見えたのは、その実、仕込み杖だった。
 冷たく光る白刃を手に、惰性で漂い始めた船へ向けて、義経の八艘跳びも斯くやとばかり千葉警部が跳び移る。
 着艇と共に振り下ろした刃は、鉄板の船室扉を真っ二つに切り裂いた。
 百家・千葉一門の秘剣「斬鉄」。
 刀を鋼と鉄の塊ではなく、「刀」という単一概念の存在として定義し、魔法式で設定した斬撃線に沿って動かす移動系統魔法。
 単一概念存在と定義された「刀」はあたかも単分子結晶の刃の様に、折れることも曲がることも欠けることもなく、斬撃線に沿ってあらゆる物体を切り裂く。
 再度振り下ろした刃で進入路を確保し、千葉家総領・千葉寿和は単身、船の中へ斬り込んだ。


「お疲れ様です、警部」
「全く、骨折り損とはこの事だよ」
 白み始めた空の下で、笑い出すのを堪えていることが丸分かりな部下を叱責するでもなく、千葉警部は他人事の様にぼやいた。
 勇ましく斬り込んだ船の中は、物の見事に(もぬ)けの殻だった。
 密入国団は船底のハッチから脱出した直後と見えて、開け放たれたハッチは海水を吹き上げていた。
 緩やかに沈没中だった船は、千葉が風通しを良くした所為で沈降速度を加速し、今では完全に水没してしまっている。
「水中へ逃れた賊の行方は、まだ掴めていないようです」
「ヤツらの行く先なんて分かり切っているんだがね」
 危うく沈没の巻き添えを食うところだった青年は、年上の部下のもの言いたげな視線に、肩を竦めて応えた。

◇◆◇◆◇◆◇

 新生徒会発足から一週間が過ぎた。
 達也は食堂でAランチを前にしていた。
 彼が昼食時に生徒会室を使っていたのは、真由美の(ある意味で)職権濫用によるものだ。
 だから新生徒会の発足と共に、達也は食堂を利用するようになった。
 彼が希望すれば新生徒会長も歓迎しただろうが、元々自分から望んで生徒会に「取り入った」訳でもない。混まないのは魅力だったが、変に勘繰られるよりは混雑の方がマシだったのだ。
 そうすると自動的に深雪も食堂を使うようになる。達也と深雪と二人の共通の友人たちと、賑やかなランチタイムが十月に入ってからの日課となっていた。(今のところ深雪のファンが割り込んでくるという事態は生じていない)
 今日のメンバーはデフォルトのフルライン――達也、深雪、エリカ、レオ、美月、幹比古、ほのか、雫という顔ぶれだった。
 フルメンバー、と言っても、クラスが違うから同時に集まることはない。
 十分ほど遅れて合流したA組の三人に対して、達也が「ご苦労様」と労いの言葉をかけた。
「すみません、達也さん。私の所為で遅くなっちゃって」
 達也もエリカもレオも、誰も怒っていたり咎めていたりの表情は浮かべていなかったが、達也に声を掛けられて、ほのかが身体を小さくして謝った。
「気にすることは無いよ。最初は戸惑うことばかりだろうから」
「そーそー、気にすること無いって」
「まだ一週間だからな」
 口々に慰めをかけられて、ほのかは恐縮した様子でそっと腰を下した。
「でも今日は本当に、ほのかの所為じゃないんですよ、お兄様。
 職員室からいきなり『一昨年の記録を出せ』と申し付かりまして、三時限目を途中で切り上げて生徒会室でデータベースを検索していたんです。雫にも手伝って貰って」
 深雪が笑顔でフォローすると、ほのかは何故か、椅子の上でますます縮こまった。
「でも……深雪はすぐに見つけたのに、私の手際が悪かったから……」
「私の方が手間取ったよ。ほのかが亀なら私は蝸牛(かたつむり)
 いやいや、誰も亀なんて言ってないから、とツッコミかけたのは一人ではなかった。
「……深雪はあのシステムを四月から使っているからね。
 ほのかは生徒会役員になったばかりだし、雫は部外者だから……深雪とは経験が違う。仕方が無いよ」
 だが実際には達也がこう口にして、ほのか(と雫)を慰めただけだった。
 今の台詞で既にお分かりのことと思われるが、新生徒会発足に伴い、ほのかは役員に任命された。
 新生徒会の顔ぶれは、会長・中条あずさ、副会長・司波深雪、書記・光井ほのか、会計・五十里啓、である。(一高の会計は権限の面で「監査役」に近く、会長と同学年から選ばれる慣例となっている)
――実は当初、あずさは達也に副会長就任を打診した。無論達也は断ったが、彼本人よりも強く抵抗したのが新・風紀委員長の花音だった。
 彼女曰く、「司波君に抜けられると委員会の事務が回らない」。
 花音はこの台詞をあずさと達也の二人がいる前で堂々と口にしたのだが、これを聞いた時、達也は呆れて「開いた口が塞がらない」心境だった。
 彼は委員会の事務担当ではなく、実働部隊なのだ。
 いや、それを言うなら風紀委員会は実働部隊のみで構成された組織なので、事務面は全員が分担して行うことになっている。
 摩利から花音に渡された引継書にもそう書いてある。
 達也が自分で打ち込んで書込プロテクトを掛けたのだから、間違いはない。
 しかし、あずさは花音の主張に、大きく頷いていた。
 達也は二人の二年生の「誤解」に、頭を抱えたかった。
 そんな彼の心境を他所に、花音の言い分を認めながらも、あずさは強硬に達也の生徒会移籍を主張した。直接口にはしなかったが、達也がいなければ深雪を抑える自信が無い、だけど深雪を生徒会から外すことも出来ない、というのが本音のようだった。
 達也は本格的に頭痛を感じた。
 そんな、本人を無視した交渉の結果、今年度中は風紀委員会に残留し、新年度から生徒会へ移籍することで、あずさと花音は合意した。
 達也の意向は、遂に問われなかった――
(……思い出したら頭痛がして来たぞ)
 生徒会役員になったばかり、という自分の台詞で一週間前の出来事を連鎖的に思い出して、達也はその時の頭痛まで思い出していた。
 ふと視線を感じて目を動かすと、深雪が少し心配そうな眼差しを彼へ向けていた。
 妹の鋭さに舌を巻きながら、達也は何でもないと目で答えて箸を持つ手の動きを再開した。
 遅れてきた三人も、自分が選んだメニューの攻略に掛かった。

◇◆◇◆◇◆◇

「司波、廿楽先生が呼んでたぞ。放課後準備室へ来いってさ」
 食堂から戻った達也は、クラスメイトから声を掛けられた。
「廿楽先生が?」
 返事が疑問形になってしまったのは、ちゃんと訳がある。
 現代では、教師が生徒を呼びつける場合、メールシステムを使用するのが普通だ。
 何よりその方が手間が掛からないし、噂話という形のプライバシー漏洩の予防にもつながる。
 教師が予定外に生徒を呼び出すというのは、良い方向か悪い方向か、どちらにしても普通ではないことだからだ。
「廿楽先生が」
 だがそのクラスメイトは、達也の問いを鸚鵡返しに繰り返すことで肯定した。
 そしてそれだけでは不親切と感じたのか、そうなった経緯を付け加えた。
「幾何準備室(魔法幾何学準備室)へ課題を出しに行ったら捕まっちゃってさ」
 何故スキャナーで電送せず原稿を直接提出したのか、とか、課題の提出期限はどの科目も先週の土曜日じゃなかったか、とか、気になる点は幾つかあったが、この際必要ないことは棚上げすることにした。
「それで、幾何準備室へ行けばいいんだな?」
 頷くクラスメイトに礼を言って、達也は自分の席へ向かった。
 ネットワークにログオンし、メールシステムを確認する。
 やはり、彼の見落としではない。
 メールボックスに廿楽からの呼び出しは無かった。
 教職員、それも大学の講師を務めていた人間が、「メールは苦手」ということはないはずだが……
「幹比古、一寸いいか」
 ちょうど目の前を横切って行こうとしていた幹比古を、達也は呼び止めた。
「なに?」
 午後の授業開始までまだ余裕がある。
 幹比古は特に急いでいる素振りも無く立ち止まった。
「お前、廿楽先生とは親しかったよな?」
「うん、親しいと言うか……よくアドバイスを貰っているよ」
 幹比古は選択科目で魔法幾何学と魔法薬学を取っている。(達也は魔法言語学と魔法構造学。選択科目は学年ごとに変える事が出来る)
 放課後は魔法薬学の実習室で自習していることが多い幹比古だが、製図室で新しい呪符の設計図を書いていることも少なくない。
 そんな時に、廿楽がふらりと現れて度々アドバイスを与えているのだ。――もっともこれは、教育熱心と言うよりも、正統派の陰陽道とは微妙に異なる吉田家の呪符に興味があるらしいのだが。
「あの先生、メカが苦手だったりするか?」
「えっ?、いや、そんなことはないはずだよ」
 言葉に出さず表情で「何故そんなことを?」と問いながら、幹比古は達也の質問に首を振った。
「いや、大したことじゃないんだが……」
 そう前置きして廿楽教諭から呼び出しを受けた経緯を達也が説明すると、幹比古は苦笑気味に空笑いを漏らした。
「あの先生、閃きの人だから……」
「そうなのか?」
「……そうなんだよ。
 アドバイスしてくれるのはありがたいんだけど、急に自分の世界にこもっちゃうこともしょっちゅうで……」
「?」
「パッ、と閃くんだろうね。突然ノートを広げて、図形と数式を書き殴り始めるんだよ。
 あの置き去り感は……何度経験しても慣れないなぁ……」
「ハハハ……」
 達也も幹比古と似たような空笑いを漏らした。
 どうやら廿楽教諭は、紙一重の方の天才肌らしい。
 面倒臭いことにならなければいいが、と達也は少し、嫌な予感を覚えた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が訪れた時、魔法幾何学準備室に廿楽以外の教師はいなかった。
 多分、居心地が悪いのだろう、と達也は思った。
 この学校に採用される教師は皆、優秀な人材ばかりだ。
 当然、自分の能力にそれなりの自負を抱いている者ばかりだが、二十代で国立魔法大学の助教授の座にリーチを掛けていた英才に比べれば自信を無くしてしまうのも仕方が無い。自らの才に頼むところが大きい人間ほど、より大きな才能に触れることでストレスを感じてしまう傾向がある。
 彼も身に覚えがあることだった。――魔法以外の才能で、だが。
 達也の推測が当たっているかどうかは別にして、今この部屋に廿楽以外の教師がいないのは客観的な事実。
 魔法幾何学準備室で彼を待っていたのは、廿楽と鈴音と五十里の三人だった。
「今月末に魔法協会主催で論文コンペがあるのは知っていますね?」
 一通り前置きとなる挨拶を交わした後、廿楽が切り出した用件はそんな台詞から始まった。
「詳細は知りませんが」
 保留付きの肯定を返すと、廿楽は一つ、頷いた。
「九校戦と違って論文コンペは地味ですから、一年生の君が詳しく知らなくても無理はありません。
 人数面でも、合計五十二人の大選手団を編成する九校戦に対して、論文コンペは僅か三名のチームで参加するものですから」
 こうして目の前で人数を対比されると驚きを禁じ得ないが、冷静に考えれば論文を作成してプレゼンテーションするだけの事に、大人数は必要ない。プレゼン用の小道具作成に人数が必要となる場合は校内から助っ人をかき集めれば済む話で、論文作成自体に関らせる必要は無いのである。人数が増えるとかえって、「船頭多くして……」という破目になってしまうものだ。
 全校で三名という人数は予想外に少ないものだったが、まあ妥当なものだろう、と達也は考えた。
「さて、それでは本題です。
 司波君、第一高校代表チームの一員として、論文コンペに参加して貰えませんか」
「…………」
 達也が咄嗟に反応できなかったのも、無理のないことだろう。
「……自分が、ですか?」
 廿楽の発言に誤解の余地は無かったが、達也はそう訊き返さずにはいられなかった。
 日本魔法協会主催「全国高校生魔法学論文コンペティション」。
 全国高校生、といっても、正規の教育課程で魔法理論を教える高校は魔法大学付属高校の九校以外に無い。
 この論文コンペも実質的には九校で競う催し物であり、九校戦が「武」の対抗戦であるとしたら、論文コンペはこれと双璧をなす「文」の九校間対抗戦と言える。
「君が、です」
 やや芝居がかった丁寧な口調が彼のパーソナリティなのだろう。廿楽はオーバーアクション気味に頷いてそう答えた。
「本来は市原君と五十里君と、それから3-Cの平河君に出場してもらう予定だったのですが……
 平河君が最近、体調を崩しているようだと思っていたら、先週突然、退学届けを持って来たのですよ。
 何とか退学は思い留まらせましたが、とてもコンペに出られるような状態ではありません。
 そこで、君に白羽の矢が立ったという訳です」
 達也も3-Cの平河という名前には覚えがあった。
 確か、九校戦で不正工作の犠牲になった小早川の、ミラージ・バットのエンジニアを務めていた三年の女子生徒が平河小春(ひらかわ・こはる)という名前だったはずだ。
「しかし何故、一年生の自分を?
 論文コンペの出場者は、校内の論文選考会で決定されたのではありませんでしたか?」
 六月初頭に論文コンペ出場者の募集が学内ネットに流れていたことを、達也はようやく思い出していた。
 あの時期は常駐型重力制御魔法の開発最終局面で他の事に手を出している余裕は無かったし、目立つ真似をするつもりもなかった(九校戦であれほど人目に曝されるとは、あの当時思いもしなかった)ので、即時スルーしたまま忘れ去っていたのである。
「プレゼンの準備は共同作業ですから、君が適任なのですよ。
 詳しい話は市原君から聞いて下さい」
 一方的にそう告げると、廿楽はそそくさと部屋を後にした。
 達也は一言も「引き受ける」とは言っていないのだが、どうやら彼に拒否権は無いらしい。
(……あれは「閃きの人」と言うより、他人(ひと)の話を聞いていないだけではないのかな?)
 しかし、ぼやいてみても、事態は一向に開けはしない。
 説明を求めて、達也は鈴音の方へ向き直った。
「司波君を推薦したのは私です。他の代役は拒否させてもらいました」
(いや、拒否って……)
 視線の問い掛けに応えて、鈴音はいきなり爆弾を炸裂させた。
「……しかし応募者の皆さんは、コンペに出場する為に少なからぬ時間を割いて労作を仕上げたはずです。
 選考論文を提出してもいない俺が、いきなりメンバーに選ばれたのでは、納得出来ない人も少なくないと思いますが。
 例えば市原先輩、五十里先輩、平河先輩の次点だった人の心中は如何なものでしょうか」
「関本君はダメです。彼は今回の作業に向いていません」
 達也は特定の誰かを念頭に置いて話をするつもりはなかったのだが、鈴音はいきなり個人攻撃とも思われる台詞を繰り出した。
「関本、というと、風紀委員会に在籍している関本勲先輩のことですか?」
 達也が流してしまうと本物の個人攻撃に発展しそうだったので、敢えて人物を特定してみた。
 すると、
「ええ、まあ……彼と私では、方向性が違い過ぎます」
 流石に鈴音も拙いと思ったのか、達也の注文通りトーンを緩めた。
 そこに五十里のフォローが入った。
「先生も言ったように、論文の作成とプレゼンの準備は三人が共同で取り組むんだけど、三人がバラバラにアイデアを出し合っているだけじゃ論文の方向性も決まらないから、メインの執筆者一名とサブ二名の役割分担はどうしても必要になる。
 そして今回、当校のメイン執筆者は市原先輩なんだよ」
 五十里の解説に、達也は二つの意味で頷いた。
 確かにメインとサブの役割分担は必要だし、三年生理論トップの鈴音がメインを取るのも納得できる。
「つまり……市原先輩の論文のテーマに、俺が適しているということですか?」
 話の流れからしてそういう事なのだろうが、だったら何故、そんな判断が出来るのだろうか?
 達也は自分の名前で論文を発表したことなど無いのだが。
「私の論文のテーマは、『常駐型重力制御魔法を利用した重力式熱核融合炉の技術的可能性』です」
 鈴音の言葉に、達也は軽く目を瞠った。
「そう、司波君の研究テーマと同じです」
 高校生に「研究テーマ」という言葉は大袈裟にも思えるが、確かに常駐型重力制御魔法式熱核融合炉は達也の目指すゴールの一つだ。
 しかしそのことはまだ胸の内に秘めている段階で、ほとんど口にしたことは無いはず……
「……そうか。あの時、俺たちを監視していたのは市原先輩だったんですね」
「監視、というのは語感が良くないですね。関心を持って見ていた、ということにしておいて下さい」
 見ていただけでなく盗聴もしていたでしょう、とは、達也は言わなかった。
 壬生紗耶香の説得に当たったカフェで、達也は監視の視線を知覚しながらその正体を見極めようとはしなかった。
 結果的に黙認してしまった以上、今更文句を言える筋合いではない。
「論文コンペの本番まで、残り三週間しかありません。今からこのテーマに噛み込む事が出来るのは、同じテーマに取り組んでいる司波君だけだと判断しました」
「俺が口先だけ……とは、思わなかったんですか?」
「その程度の人を見る目はあるつもりですよ」
 随分高く買ってくれたものだ、と達也は内心だけでなく(おもて)に出して苦笑した。
「分かりました。どうやら俺にとってもメリットのある話のようですし、協力させていただきます。
 それで、俺は何をすれば良いんですか?」
「それではまず、論文コンペティションについて一通り説明したいと思いますが、五十里君、構いませんか?
 貴方には改めて説明を受ける必要のないことばかりだと思いますが」
「構いません。よろしくお願いします、市原先輩」
 軽く頭を下げた五十里に目礼を返し、鈴音は壁のオープンラックから三枚の携帯黒板を取り出して一枚ずつ二人に渡した。(一枚は自分用)
 携帯黒板とは無線データ通信機能を備えた電子ペーパーで、参会者が片手に持って資料を読めるように大判レポート用紙サイズの薄板形状となっており、大画面のディスプレイを必要としない小規模なミーティングで使用される。画面は無論フルカラーだが、テキストのみ表示の場合は黒い背景色に白のハイコントラスト文字が一般的で、「黒板」の名称はこの配色に由来する。
 鈴音は自分の情報端末を携帯黒板のホルダーにセットして、論文コンペの案内書を呼び出した。
 達也は自分の手許に表示された案内書を見ながら、鈴音の声に耳を傾けた。
「まず開催日ですが、毎年十月の最終日曜日と決められています。
 開催地は京都と横浜で毎年交互に行われます。これは、日本魔法協会の本部が京都、副本部的な位置づけの関東支部が横浜にあるから、と言われています。
 今年の会場は横浜国際会議場です。
 参加資格は国立魔法大学付属高校から推薦を受けた者、または論文の予備選考を通過した高校生のグループとなっていますが、過去に非推薦枠からプレゼンに進出した例はありません。
 規定上はオープン参加となっている全国高校生魔法学論文コンペティションが、魔法科高校論文コンペと呼ばれている所以です」
「学校から推薦を受けなかったグループがプレゼンへ進出した例は無いんですか?」
「……司波君。普通の高校生にとって、三十分間のプレゼンに堪える論文を書き上げることは、モノリスやミラージに出るよりずっと難しいものだと思うよ」
「五十里君の言う通りでしょうね。私たちの場合に当てはめてみても、生徒会と部活連の協力が無ければ、三人だけではとても準備が終わりません」
 システムの仕様書を書き慣れている達也は心の中で「そうかなぁ?」と呟いたが、敢えて異を唱えはしなかった。
「テーマは原則として自由ですが、公序良俗に反しない内容であることが当然の条件になっています。
 一昨年、大量破壊兵器に代替する魔法の開発をテーマにした生徒がいましたが、事前審査で撥ねられました」
「随分突き抜けてる人が居たんですね……」
 この話は初耳だったと見えて、隣で五十里が目を瞠って呻いている。
 その気持ちは良く分かる、と達也は思った。
 同時に、実際に大量破壊魔法を開発した自分にその生徒を非難する資格など無いだろうな、とも思った。
「……あれっ?
 事前審査で撥ねられたということは、当然その論文は非公開になったんですよね?
 論文が公開されなかったのに、市原先輩は何故その論文のことを知っているんですか?」
 何の気なしに放った達也の質問は、何故か、気まずい沈黙を招いた。
 うっかり苦虫を噛み潰してしまったような顔で目を逸らす鈴音。
 いえ、答えたくないことならば、と達也が言い掛けたところで、彼女はため息混じりに口を開いた。
「……その論文の執筆者は当校の三代前の生徒会長です」
(うぉっと……当校にもそんな猛者が居たのか……)
 論文コンペの時期は生徒会の代替わりの後で、鈴音は一年生の後半から役員を務めていたということだから、その事件のことを知っていても不思議はない。
 鈴音の顔色を窺うに、その元生徒会長には他にも色々「武勇伝」がありそうだ。
「……そんな前例もありますので、論文の完成稿と使用する機材、術式を含めたプレゼンの企画書を事前に魔法協会へ提出しなければなりません。
 期限は再来週の日曜日。
 提出先は魔法協会関東支部ですが、学校を通じての提出になります。
 廿楽先生に内容をチェックしていただく時間を考えて、来週の水曜日には出した方が良いでしょう」
 提出後にプレゼンの準備は進められるとしても、論文の作成自体は、残り、正味十日も無い訳だ。
 しかし何故、廿楽に見てもらうのだろうか? この学校にはもっとベテランの、魔法教育用の教科書を何冊も手掛けているような教師もいるのだが。
 そんな口に出せない疑問(口に出すのは廿楽に対して失礼だろう)を抱いていると、五十里が察し良く答えてくれた。
「廿楽先生は今年の校内選考責任者なんだよ。
 論文コンペの準備は自分の専門外までフォローしなくちゃならない上に、魔法実験の準備とかで結構面倒なことが多いからね。
 大体、若い先生が押し付けられちゃうみたいだ」
「若いと言っても、廿楽先生は優秀な方です。
 通常の授業より遥かに深く踏み込んだレベルで先生の指導を受けられる私たちは、寧ろ幸運だと言えます」
 指導教官の個別指導を受ける資格の無い、二科生の自分にとっては特に、とは、達也は口にしなかった。
 二人ともそのこと――深いレベルどころか、通常の指導も受けられない生徒が全校生徒の半数を占めるということ――には気付かなかったようだし、気付かせる必要も無かった。
 その後、細かな注意点を列挙して鈴音の説明は終わった。
 第三章、開幕しました。
 今回も毎週日曜日更新の予定です。
 なお用語集は「外伝・魔法科高校の少年少女」〔http://ncode.syosetu.com/n4539h/〕へ移転しました。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。