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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
間章・生徒会長選挙編
間章〔生徒会長選挙編〕4
 校内は朝から足が地についていない空気に覆われていた。
 今日は午後の授業を全て潰して、生徒総会・立会演説会・投票が行われる。
 クラス単位の集会さえほとんど無くなった現代の高校においては、十分に一大イベントだ。
 それだけでなく今回の生徒総会は、生徒自治制度を大転換する提案が為される予定になっている。
 賛成派、反対派の水面下の(せめ)ぎ合いは、実のところ夏休み前から始まっていた。
 現生徒会長七草真由美の人気に加え、建前上反対のしにくい提案、新人戦モノリス・コードにおける二科生チームの活躍も影響したのか、数の上では賛成派が圧倒している。
 だがそれでも尚、反対派であり続ける頑なさが、状況を察している人間には一層の危うさを感じさせ、それがますます学校を覆う雰囲気を落ち着きの無いものにしていた。

◇◆◇◆◇◆◇

「全員揃ったな?
 配置の最終確認をするぞ」
 午前の授業終了後、風紀委員全員が委員会本部に集められていた。
 ローテーションを組んでバラバラに行動することの多い風紀委員が全員揃うことは滅多に無い。
 生徒総会は風紀委員が一度に総動員される数少ない行事だった。
「委員会の持ち場は基本的に講堂内だ。
 講堂の外はシステム監視になる。こちらは自治委員会がサポートする」
 風紀委員は総勢九名。
 この頭数で全校生徒五百六十名が集まる会場を警備しようというのだから、外部からの不審者に対処する余力は無い。また、それでなくても、外部から侵入した無頼漢の相手は、生徒の仕事ではなかった。
「大扉に私と千代田、通用口に辰巳と森崎……」
 摩利の指示を聞きながら「いつに無く気合が入っているな」、と達也は思った。
 一人称が「あたし」ではなく「私」になっている。風紀委員会という、いわば身内だけの会合では珍しいことだ。
「……演壇の上手が沢木、下手が司波、以上だ」
 摩利を含めた全員が立ち上がり、確認の意を表す。
 自分の持ち場は舞台袖。
 もし、壇上の役員に襲い掛かろうという「跳ね上がり」が出た場合は、沢木と共に最終防衛線を務める、ということになるが……達也はほとんど心配していなかった。
 昨日、真由美と一緒に下校してみて分かった。
 真由美に襲い掛かるような無謀な人間は、第一高校の生徒にはいない。
 と言うより、一高内で真由美に襲い掛かるのは無謀だと、上級生の、男子生徒ほど思い知っているはずだ……
「では早速配置に掛かれ。
 司波、キミは少し残ってくれ」
 二人きりになったところで、摩利はいつもの口調に戻った。
「早速だが達也くん、昨日はどうだった?」
 何が訊きたいのか、改めて問い返す必要は無かった。
「三回、襲われ掛けました」
 摩利の顔がキュッと引き締まった、が、
「俺が、ですけど」
 次の言葉を聴いて、「はぁっ?」と言いたげな表情に変わった。
「いや、俺は少し、会長のことを甘く見ていたようです」
「……説明してもらっても構わないかね?」
「ファンクラブ、なんでしょうね、要するに」
 しみじみと達也が告げた単語に、摩利は納得顔になった。
「つまり、勘違いされて嫉妬された、と?」
「深雪が一緒だったんですから、そんなシチュエーションじゃないことくらい、分かりそうなものですけど」
 昨日のことを思い出すと、(精神的に)どっと疲れがぶり返して来る様な気がする。
「まあ、CADを起動しただけで、それ以上の具体的な行動に出る思い切りは無かったようですが。
 馬鹿な真似をして会長に嫌われたくも無かったでしょうし」
「なるほどな……」
「あの様な視線の十字砲火の中では、手出ししたくても出来ないでしょうね……
 会長に一撃向けた時点で、袋叩きに遭うことは目に見えていますから」
 いくら狂信者でも犬死は望まない。
 自爆テロは敵(の協力者)を巻き添えに出来るから実行するのだ。
 自分の居場所を教えるだけで防弾ガラスを撃ち抜けない、と分かっていながら狙撃を実行するスナイパーはいない。
 心配していた自分が馬鹿みたいだ、という心情を共有した二人は、疲れの滲む笑みを交し合った。

◇◆◇◆◇◆◇

 ……という背景があって、達也のやる気はレベルゼロに近かった。
 アリバイ作り、という以上の意味は無い生真面目な態度――の演技――で、演壇の下手、階段の脇に立つ。
 考えてみれば、たかが高校の生徒会の選任資格の問題なのだ。「生徒会長」という地位に大きな実利的意味があっても、「副会長」や「書記」の肩書きは卒業後に大した意味を持たない。第一高校の制度では、生徒会長がその気なら、副会長を二人選んだり書記を四人選んだりすることも可能なのだから、二科生が生徒会役員になれるかなれないかは面子の問題、プライドの問題でしかない。
 しかも掛かっているのはかなり、ちっぽけなプライドだ。
(「俗世間」に毒され過ぎてるかな、俺は……)
 理想の為に、金銭の為に、面子の為に、プライドの為に……人の命が割安で取引される世界にどっぷり浸かっている達也は、理性的な話し合いで価値観の相違を解消しようと大真面目に試みている目の前の「舞台」を、スクリーンを見ているような非現実感をもって眺めていた。
「……以上の理由を以て、私は生徒会役員の選任資格に関する制限の撤廃を提案します」
 真由美の議案説明が終わったところで、三年生の列からサッと手が上がった。
 見覚えの無い女子生徒が(つまり九校戦には参加していなかった、九校戦メンバーに選ばれるだけの実力が無かった生徒ということだ)質問席に立つ。
 現代の集音マイクは日常会話を五十メートルの距離から拾い上げる性能を持つから、わざわざ質問席を設えること自体、形式、と言うか様式美に過ぎない。
 そんな小道具、大道具の一つ一つが達也の視界からますます現実感を奪って行く。
「……建前としては……正論です……」
 質問者、という名の反対派の言葉も途切れ途切れしか耳に入って来ない。
 が、耳栓を使っている訳ではないので、厄介ごとを引き起こしそうな発言は無意識のフィルターを通って意識に届く。
「現実問題として、制度を変更する必要があるのですか?
 つまり、生徒会役員に採用したい二科生がいるのですか?」
 意図が見え透いた問い掛けに、達也は顔を顰めた。(質疑自体には部外者なので表情を隠す必要性を感じなかったのだ)
 適当に誤魔化すのが吉、と達也は思ったのだが、真由美は何か考えがあるのか、それとも何も考えていないのか、真正面から質問に答えた。
「私は今日で生徒会長の座を退きます。よって私が新たな役員を任命することはありませんし、そのようなことは考えてもいません」
「しかし、次の生徒会長に意中の二科生を任命するよう働きかけることは出来るのでは?」
(「意中の」と来たか……)
 随分表現が露骨になって来たな、と達也は感じた。
「私は院政を敷こうなどと思っていませんよ」
 少しおどけた口調に、軽い笑い声が上がった。
「次の生徒会役員の任命は、次期生徒会長の専権事項です。
 一切介入するつもりはありません」
「ということは次の生徒会長に、傍で囲っておきたい二科生がいて、その意向を受けて今回、制度の変更を言い出した、ということですね?」
 毒のこめられた言葉に講堂がざわめいた。「おいおい」と思ったのは達也だけではなかったようだ。
「お静かに願います」
 凛とした声で注意を呼びかけたのは、進行を補佐する深雪だった。
 会長の真由美が質疑の当事者として立っている為、一時的に服部が進行役、深雪がその補佐役を務めているのである。(ちなみにこの学校の生徒総会には、中立を建前とする「議長」は置かれていない)
「……そのご質問に対する答えは『(いいえ)』です。
 今回この議案を提出したのは、私にとって今しか機会が無いからです。
 対立の火種を後輩たちに残さないことが生徒会長の責務だと考えるからです」
 達也は心の中で感嘆の声をあげた。
 どうしてどうして、競技場の外でもこういう凛々しい顔が出来るらしい。
「実際に役員へ任命すべき二科生がいなければ、対立にはなりません」
 一方、質問者――浅野、という名前だったはずだ――の方は意固地になってしまっているようだ、と達也は思った。
「候補者がいる、いないの問題ではありませんよ、浅野さん。
 制度は組織の考え方を示すものです。
 二科生は生徒会役員になれないという制度は、本人の能力に関らず二科生を生徒会役員にしない、二科生には生徒会役員になる権利はないという生徒会の意思表明なんです。
 そんな『選民思想』は誤っています」
 随分思い切った表現を使ったな、と達也は感じたが、会場は大きな拍手に包まれていた。
 それは必ずしも二科生の間からのみ起こったものではなかった。
「詭弁です!」
 どんなに鈍感な人間でも、形勢不利を自覚せざるを得ない雰囲気が講堂を覆っている。
 その中でまだ、と言うべきか、自然と、と言うべきか、浅野の口調はヒステリックなものになっていた。
「会長は、生徒会に入れたい二科生がいるから、資格制限を撤廃したいんでしょう!
 本当の動機は依怙贔屓なんじゃないんですか!」
 やけくそ気味に「そうだ!」という散発的な声が上がったが、たちまちブーイングの嵐に押し潰された。
 嵐が引き起こした高波は質問者席にも押し寄せている。
「七草会長!
 貴女の本当の目的は、そこにいる一年生を生徒会に入れることじゃないの!?」
 それは多分、自暴自棄、破れかぶれの発言だった。
 浅野の顔は引きつっていた。
 だがその一言は、思い掛けないほど大きな効果を発揮した。
 ブーイングの嵐がシンと静まる。
 全校生徒の目が、真由美と達也の間を往復する。
 真由美の顔が、微かに赤く染まっているのを見て「そんな顔をしては誤解を増幅するだけでしょう!」と達也は思ったが、不本意な注視に晒されている状態では、そんなツッコミも出来るはずはない。
 事態を打開したのは、壇上から投げ掛けられた、冷ややかな一言だった。
「仰りたい事はそれだけですか?」
 何時の間にか(多分、たった今だろうが)、深雪が立ち上がっていた。
 冷たく見下ろす視線が、上級生の顔を貫いていた。
 壇上の奥からでも、いや、奥深くからである為に尚更、その眼差しは女王のような有無を言わさぬ威厳をもって、ゴシップを捏造しようとした上級生の唇を縫いつけた。
(…………)
 暴走していないのは、真っ先に確認済だ。
 何の魔法も発動していないにも関らず、身体の自由を奪う厳冬の冷気が壇上から放射されているのを、達也でさえも感じていた。
「唯今の発言には看過し難い個人的中傷が含まれていると判断します。
 よって、議事進行係補佐の権限に基づき、退場を命じます。
 不服があるなら、七草会長が特定の一年生に対して特別な感情を抱いているという発言の、根拠を示してください」
「それは……」
 当然のことながら、浅野は口ごもった。
 元々真由美が達也に特別な感情を持っているということからして憶測の域を出ないものだし、それが今回の提案の動機であるというのは中傷でしかないということくらい、彼女にも自覚があったのだ。
 立ち尽くす浅野を、深雪は冷ややかに凝視している。
 魔法ではなくその眼差しで、そこにこめられた軽蔑で、相手を、その心を凍りつかせようとしているかの如き視線だった。
 そして現に、実際に、彼女の兄を中傷に巻き込もうとした扇動者は、指一本動かせない状態で立ち尽くしている。
 権威、序列、階級……社会経験が無く、そういったものに縁遠い高校生にも、「威厳」という単語がどういう場合に使われるのか、それを明示しているような光景だった。
「――訂正します。退場の必要はありません。
 但し、質問は打ち切らせて頂きます。
 浅野先輩、席にお戻り下さい」
 ようやく収拾に動いたのは、進行役代行の服部だった。
 「ようやく」……それはつまり、彼もまた深雪の発するプレッシャーに呑まれていたということだった。
 深雪が優雅に一礼して椅子に戻り、浅野は一言も言い返せないまま、ギクシャクと自分の席へ戻った。

◇◆◇◆◇◆◇

 結局、反対派の妨害は不発に終わった。
 あの後、気軽に野次も飛ばせない雰囲気が講堂を覆い、なし崩し的(あるいは尻すぼみ的)に電子投票へと持ち込まれ、生徒会役員資格制限撤廃議案は賛成多数で可決された。
 そしていよいよ、あずさの選挙演説。
 立候補者が一人しかいないから所信表明演説に近いが、形式的とはいえ信任投票が行われる(しかも電子投票ではなく投票用紙を使った投票だ)。ヤル気と緊張が入り混じった顔であずさは演台に向かった。
 ピョコンと一礼したところで、大きな拍手が起こった。
 所々に口笛と歓声が混じっていたが、あずさが演説を始めるとすぐに止んだ。
 芸能関係に疎い達也や深雪には分からなかったが、キュート&フェミニン系女性シンガーのステージに詰め掛けた男性ファンのノリに近い空気があった。
 これまた達也には知る由もないことだが、理論・実技ともトップクラスの成績優秀者であるにも関らず、それを少しも鼻に掛けたところが無く、謙虚で人当たりの良いあずさは、その容姿も相俟って、真由美とは一味違う「親しみやすいアイドル」の地位を、校内で築き上げているのだった。
 意外な(と言ってはあずさに失礼かもしれないが)能弁で「政見」と「政策」を発表する。基本は現生徒会のスタンスの継承であり、高校生らしく観念論に傾いている部分も多々観られたが、概ね無難に進んで行った。――時々、「しっかり〜」とか「頑張れ〜」とか妙な応援が入ったのは、まあ、ご愛嬌というべきだろうか。
 波乱が起こったのは、次期生徒会役員に言及した時だった。
「――本日の決定を尊重し、次期生徒会役員には、一科生、二科生の枠に拘らず、有能な人材を登用していきたいと思います」
『そこの二科生のこと〜?』
『あずさちゃんはゴツイ年下が好みなの〜』
 きっかけは、実に低レベルな野次だった。
 頭から抑え付けられて不完全燃焼のまま燻っていた反対派の不満が最も低劣な形で噴出してしまった形だ。
 おそらく彼らの潜在意識には、あずさならば反撃してくるよりスルーするだろう、という計算があった。
 とんだ計算違いだったが。
 確かに、あずさは野次に対して、何も言わなかった。

『誰だ、今のは!』『中条さんにふざけた真似を!』『言いたいことがあったら前に出てきなさい!』『卑怯者を吊るせ!』

 ……という具合に大騒ぎになって、何も言う暇が無かったからだ。
 会場の真ん中あたりで小競り合いが生じていた。
 野次を飛ばした反対派と、その近くにいたあずさのファンが掴み合いを演じていた。
「お静かに願います! ご着席下さい!」
「静粛に願います!」
「落ち着いて下さい、みなさん!」
 深雪や服部や真由美が何度も声を張り上げるが、逆上した生徒には聞こえていない。
 掴み合いの輪はどんどん広がっていた。
 野次もどんどん、聞くに堪えないものになっていった。
 技も何も無い、団子状態の子供の喧嘩だが、割って入るだけでは押競(おしくら)饅頭に巻き込まれるだけだ。
 怪我をさせても構わないなら簡単だが……と、収拾の困難に頭痛を感じながら、沢木や辰巳とアイコンタクトを交わして、達也は飛び込む覚悟を決めた。
 が、決断は、遅きに失した。
 達也とあずさの仲を邪推する、極めて下品な野次が反対派の口から放たれた瞬間、少女の叱声が騒擾を制した。
「静まりなさい!」
 ハウリングが生じなかったのが不思議な大音声、というのは錯覚だった。
 声の大きさではなく、声の強さが、取っ組み合っていた生徒の意識を圧倒した。
 反射的に目を向けた生徒たちは、次の瞬間、反射的に目を閉じ、目を瞬かせながら再度壇上を見上げることになった。
 舞台の上では、サイオン光の吹雪が荒れ狂っていた。
 激しい怒りが、世界を侵食しようとしている。
 現代魔法は、偽りの現象を表す情報体を組み上げ投射することで、世界を改変する。
 組織化されていない意思が魔法として発動することはあり得ないはずだ。
 それなのに、荒れ狂う感情が、その混沌に世界を引きずり込もうとしている。
 常識を逸脱した干渉力の強さ。
 このままでは、講堂が何時氷漬けになってしまうか分からない。
 真由美が、服部が、鈴音が、そしてあずさが、一斉にその氷界の女王――深雪を制止しようとCADへ手を伸ばした。

 だが、生徒会役員同士による魔法大戦、という最悪の事態は、幸いなことに、寸前で回避された。

 何時の間にか壇上に立っていた男子生徒の背中が、少女の激情を生徒たちの視界から隠していた。
 少女の両肩に左右から添えられた少年の両手が、世界を塗り替えようとしていた彼女の力を包み込み、抑え込んでしまったかのようにも見えた。
 二人が何を話しているのか、あるいは言葉を交わさず瞳で語り合っているのか、壇の下からは分からない。
 ただ、少年が少女から手を放し、舞台下へ戻るまで、一年生も二年生も三年生も、全校生徒の視線は見詰め合う(?)二人に釘付けだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 その後は、憑き物が落ちたように、会場は完全な秩序を取り戻した。
 野次を飛ばす者も、コンサート気分の声援を送る者も現れなかった。
 演説会は粛々と予定を消化し、生徒たちは飼い慣らされた羊の様に列を作って投票箱に票を投じた。
 投票結果は、生徒会費で雇った第三者の手によって即日開票が行われ、翌日の朝に発表される。
 その結果は――

「おめでとう、あーちゃん」
「中条、おめでとう」
「おめでとう、中条さん」
 ――生徒会室で飛び交った祝福の声を聞くまでも無く、あずさが生徒会長に当選した。
 これにて一件落着――の、はずだったのだが。
「……司波さん。そんなに気にしなくても良いと思いますよ。所詮、無効票ですから」
「惜しかったな、達也くん」
 兄妹は揃って、苦い顔つきで集計表を見詰めていた。
 投票数、五百五十四票。
 内、有効投票数、百七十三票。
 得票数内訳……
「でも、こんな結果になるとはねぇ……」
「司波が二百二十票、中条が百七十三票、達也くんが百六十一票か……」
「……待って下さい。
 勘違いしてわたしに投票した人たちが大勢いたのは認めざるを得ませんが……」
 認めたくない、と言外に叫びながら、深雪が抑えた声で呟く。
 抑え切れたのは、ここまでが限度だった。
「何故『女王様』や『女王陛下』がわたしの得票にカウントされているのですか!?」
「投票用紙に『深雪女王様』とか『司波深雪女王陛下』とか書いてありますから……他に解釈のしようがありません」
 申し訳なさそうな声で鈴音が宥めても、深雪が納得できるはずも無かった。
「何ですか、それは!? わたしは変態的な性癖の持ち主だとでも思われているのですか!?」
「……いや、決してそんなつもりは無いと思うぞ。あの姿を見て、そんな度胸のあるヤツがいるとは思えんし……」
「じゃあ、『シバの女王』の駄洒落のつもりですか!」
「……司波さん、落ち着いて。それこそ、そんな気の利いた言葉遊びをあの場ですぐに思いつける生徒が、こんなに大勢いるとは思えない」
「投票用紙を貸して下さい!
 誰が書いたのか、つきとめます!」
「そんな無茶な……第一、一体どうやって」
「お兄様ぁ……」
 すがる様な眼差しと共に、珍しく半泣きで擦り寄って来た深雪を前にしては、自分の困惑は一時棚上げとするしかない。
「無理を言ってはいけないよ、深雪。
 無記名投票なんだから、誰が票を投じたのか、詮索するのはルール違反だよ」
 ポンポン、と頭を撫でてて、小さな子供に対するように言い聞かせる。
「ですが……ですが……」
 本格的に泣きじゃくり始めた妹を、持て余すことも無く達也は優しく抱き寄せた。
「大丈夫。
 お前は女王様なんかじゃないから。
 他の人にどう見えようと、俺にとっては、お前は可愛いお姫様だよ」
「お兄様……」
 泣き声が徐々に収まり、同時に苛立ちと怒りが収まって行くのを見て、今度こそ魔法戦争(ハルマゲドン)か、と身構えていた一同はホッと胸を撫で下ろした。
 が、すぐに、別の意味で胸を押さえる羽目になった。
 泣き止んでも、深雪が達也の腕の中から離れる気配は無い。
 寧ろ頭を、頬を、嬉々として兄の胸に(なす)り付けているような有様で、余りの甘ったるい雰囲気に一同は胸焼けを覚えていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 その日の昼休み、達也・深雪の兄妹は生徒会室に顔を見せなかった。
 先輩の前で泣きじゃくっただけならともかく、抱きついて甘える姿を見られたのは流石に恥ずかしかったのでしょう、と少しも恥ずかしがっている様子の無い達也から予めメールがあったので、真由美たちも心配していなかった。
 あずさは、同級生に祝福を受けていて欠席。
 鈴音はいつも通り、用が無ければ姿を見せない。
 そして今日は珍しく、克人が生徒会室へ来ていた。
「はい、どうぞ」
 食事は済ませて来た、という克人に真由美がお茶を出す。
 克人は無言で一礼して、湯飲みを口元へ運んだ。
「それで、今日はどうしたんだ、十文字」
 部外者であるという点では同じであるクセに、しょっちゅう入り浸っている所為か自分の部屋のような顔をして問う摩利に、克人は「別に」と答えた。
「今日が七草にとって、事実上の引退日だからな。
 生徒会長としての最後の姿を見に来ただけだ」
「なるほど、真由美を労いに来たということか」
「あら、十文字くん、ありがとう」
「いや、どういたしまして」
 ニンマリと笑いながら二人掛かりで繰り出した攻撃(口撃?)を、克人は素面で撃退した。
「……そっか、達也くん、誰かに似てると思ったら、こういうトコが十文字くんに似てるんだ」
「司波が?」
 似ているか? と視線で問われ、摩利が肩を竦めた。
 表面的には同じでも、達也は意図的で克人は天然だ、と彼女は考えているのだが、口にしないだけの分別はあった。
「……司波といえば、昨日はどうなることかと思ったが……」
 ボディランゲージだけでは誤魔化し切れないと思ったのか、摩利は唐突な話題転換を図った。
「そうねぇ……でも、私たちが心配する必要は無かったわね」
 ただ気になる話題だったのか、真由美も克人もすぐに、話に乗ってきた。
「下からだと良く分からなかったが、あれはやはり、司波が妹を抑え込んだのか?」
「ええ。信じられない出力と制御能力だったわ」
 克人の言うとおり、壇の下からでは良く分からなかったあの時の真相も、壇の上にいた真由美たちにはハッキリと見えていた。
 おそらくは「術式解体」の応用。
 瞬間的に展開したサイオンの網で無秩序に荒れ狂っていたサイオン粒子を包み込み、圧倒的なパワーで圧縮して深雪の身体の中へ注ぎ戻したのだ。
 サイオンは肉体から生じるものではないが、肉体はサイオンを放出・吸収する媒体となる。CADを使った起動式展開はその典型的事例だ。
 達也は深雪がバラ撒いたサイオン粒子を、本人の意思に由らず、深雪の「中」に押し込めたのである。
「いくら無系統魔法が得意だからといって、いくら肉親だからといって、他人のサイオンをあんなに簡単に操れるものなのかしら。
 そりゃあ、深雪さんが自分のサイオンを全くコントロールしていない状態だった、という事情も加味しなければならないのだろうけど……」
「……それも、古式魔法の技術なのかな? 確か『仙術』がサイオンのコントロールに長けていたと思うが……」
「ただでさえ古式魔法の習得には時間が掛かる。仙術は特に時間が掛かる系統だと言われている」
 摩利の推測を、「それだけでは説明がつかない」と克人が間接的に否定した。
「妹の力を見ても、やはり、遺伝的な素質を無視することはできんと思うが……」
「だがアイツは『自分は十師族ではない』と否定したんだろう?」
「ああ。
 嘘を言っている様子は無かった」
「……もう、止めましょう、この話は。
 血統を詮索するのは、良くないわ」
 首を傾げていた摩利と克人に、真由美はいきなり打ち切りを提案した。
 二人とも、彼女の態度の急変に不自然さを感じていたが、魔法師にとって遺伝的系統を詮索することは確かにマナー違反とされているので、殊更に反論はできなかった。
 無論、真由美には、二人に明かしていない、内に秘めた考えがあった。
 達也が「数字落ち」であるなら、それを詮索することはタブーだ、と彼女は勝手に思い込んでいるのだった。
 こうして、達也も真由美も誰もそれと意図せずに、真由美は達也の身元隠蔽の協力者となった。
 間章〔生徒会長選挙編〕はこれにて終了です。
 次回から第三章になりますが、ここで充電期間を頂きたいと思います。
 次回の更新は11月1日を予定しています。少々長い休みになりますが、何卒ご理解いただけますようお願い致します。


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