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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(27) 終宴
 二週間前(正確には十二日前)とは打って変わって、ホールは和やかな空気に包まれていた。
 ノーサイドの精神は口で言うほど簡単に実践できるものでなく、若い彼らの心に勝ち負けの拘りが無いと言えば嘘になる。
 だが今は、十日間にわたる激闘から解放されたばかりだ。
 短くない期間緊張に曝され続けた反動から、生徒たちの多くは過度にフレンドリーな精神状態になっていた。
 パーティのドレスコードは相変わらず各学校の制服。
 再びサイズの合っていないブレザーを着込む羽目になった達也は、ダンスがあるならそれなりの格好をした方が良いんじゃないか? と、口に出したら自らの墓穴を掘ることになりそうなことを壁際で考えていた。
「人気者だね」
 人の悪い笑顔で話し掛けてきたのは、予定よりも一日早く完治のお墨付きを貰った摩利だった。
「おかげさまで。
 本当はのんびりさせてやりたいんですが」
 仕方がありません、という台詞は口に出さず、二重・三重の人垣に囲まれている妹へ目を遣った。
 他校の生徒、大会主催者、会場を提供した基地の高官、大会を後援している企業の幹部。
 ここまでは仕方が無いとしても、メディアプロ(番組制作会社、CM製作会社、芸能プロダクション)の関係者と思しき人間まで纏わり付いているのは、「一体どういうことだ」とパーティの主催者を問い詰めたい気分にさせられる。
 本当は煩く纏わり付く礼儀知らずを力ずくで蹴散らしてしまいたいところなのだが、鈴音があの怜悧な(冷ややかな?)眼差しで不躾なアプローチからガードしてくれているので、達也は出しゃばるのを控えていた。
「妹さんのことではないよ」
 素で返した達也の答えに、摩利は「堪え切れない」という表情で含み笑いを漏らした。
「人気者、というのはキミのことだ、達也くん」
 摩利の指摘に、達也は「うんざりしている」とばかり顔を顰めた。
 人垣が絶えることの無い深雪に比べれば大したこともないと言えるが、達也も先程から引っ切り無しに話し掛けられていた。
 そのほとんどが、面識の無い大人だった。
 見ず知らず、ではない。
 父親の会社に出入りしている関係で、達也は高校生にしてはビジネスマンの顔を良く知っている方だ。
 だがそれはあくまでも「高校生としては」のレベル。
 彼は研究室の住人であり、経営や営業にタッチしている訳ではないから、同じ業界の一般的な会社員と比較して「少し詳しい」程度に過ぎない。
 その達也でも顔を知っている、という相手が半分以上だった。
「今さっきのはローゼンの日本支社長だろう?
 一年生が声を掛けられるのは初めてじゃないのか?」
「過去の例は、俺には分かりません。
 九校戦の会場に来たこと自体、今年が初めてですから」
「そうだったな」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを消そうとしない摩利に、達也はチョッとイラついた。
 ――ほとんど八つ当たりだが。
「……まっ、仕方が無いさ。
 何故君が名前を売ることに消極的なのかは知らないが、石ころを宝石と偽っても見る者が見れば騙し(おお)せないのと同じで、宝石を石ころに見せようとしても必ず分かってしまうものだ」
「…………」
「そう渋い顔をするな。
 もうすぐダンスが始まる。
 そうなればあとは、学生だけの時間だ。
 あとチョッとの辛抱だよ」
 ポンポン、と彼の肩を叩いて、摩利は飲み物の置いてあるテーブルへ歩み去った。
 彼女は何故か上機嫌なようだ。
 怪我をした後はずっと、無理をしていつも通りに振舞っている、という印象があったのだが、精神的にもすっかり回復しているように見える。
(恋人というのは効き目絶大なんだな……)
 自分には理解できないと知りつつ、達也は心の中で独白せずにいられない。
 あの分だとおそらくこの後、パーティを抜け出して修次氏と会うのだろうな、と達也は柄にも無くゴシップな想像を巡らせたりもした。
 そうすることで、溜息をつきたくなる気分を逸らした。
 確かにもうすぐ、大人たち相手の白々しい化かし合いは打ち切りの時間になる。
 だがそれと同じくらい、気が重いのだ。彼にとって、ダンスというのは。

◇◆◇◆◇◆◇

 しかし達也のような生徒は、本当に例外的な存在だ。
 お偉方が退出して、会場は益々和やかで、浮ついた空気に包まれた。
 管弦の音がソフトに流れ始めた。
 わざわざ生演奏を用意した主催者の熱意に、少年たちはすぐ応えた。
 ここまで懸命に話術を駆使して親交を深めることに成功した少女の手を取って、ホールの中央に進む。
 見ている分にはドレスでないのが残念だが、踊っている当人たちには関係の無いことのようだった。
 深雪の許には予想通り、学校、学年関係なく、少年たちが群がっていた。
 だがまだ誰も、その手を取ることに成功していない。
 時間ギリギリまで来賓に囲まれていたので、そこまで話を進められていないのだろう。
 深雪は達也と違って舞踏会(「ダンスパーティ」ではない!)のマナーもしっかり教え込まれているので、相手が礼儀を守っていればダンスを頑なに断ったりはしないはずだが(無論、誰とでも踊るという訳でもないが)、少年たちは勝手に気後れしているようだった。
 人垣の奥から、達也の見知った顔が深雪の前に出た。
 顔を知っている、というだけでなく、面識があると言って良い相手だ。
 達也は壁際を離れ、人垣へ足を進めた。
 彼は決して細身ではないが、群がる少年たちをすいすいと巧みにすり抜けて深雪の隣に立った。
「よっ、一条」
「むっ、司波達也」
 気安い挨拶(?)を互いに交わす。
 二人とも相手のことを友人とは考えていなかったが、また同時に、堅苦しい礼儀が必要な相手とも考えていなかった。
「耳は大丈夫か?」
「心配は要らんし、お前に心配される筋合いも無い」
「そりゃそうか」
 一応、社交辞令(のつもり)を提示した達也に対して、将輝はおよそ友好的とは言えない応えを返した。
 まあ、九分九厘手中にしていた勝利を覆されて苦杯を嘗めた敗者にとっては、勝者からの気遣いなど愉快なものであるはずも無い。
 将輝の対応も、ある意味当然の素っ気無さだったが……
 ……深雪が不快げな目を向けて来ているのに気付いて、将輝の心は狼狽に覆われた。
「えっ、あ、……あっ!?
 司波!?」
 突然、素っ頓狂な声で達也の苗字を小さく叫んだ将輝を、達也は「大丈夫か、コイツ?」という目で眺めた。
「もしかしてお前、彼女と兄妹か!?」
 将輝の台詞は達也に言いようの無い脱力感を与えた。
「……今まで気付かなかったのか? 本当に?」
 分かりそうなものだぞ?、と呆れ顔で問い掛けられて、将輝は絶句したまま立ち尽くした。
 短く控え目な笑い声が聞こえた。
 深雪が顔を背けて口元を押さえていた。
「……一条さんには、わたしとお兄様が兄妹に見えなかったのですね」
 笑いを噛み殺し、将輝に話し掛けた深雪の声は、何故か嬉しそうだった。
「えっ、いえ、その……ハイ」
 言い訳を断念して項垂れた将輝を、深雪はニコニコと笑みを浮かべて見ている。
 何が気に入ったのか分からないが、一条は妹の目に適ったらしい、と達也は思った。
 ――目に適ったといっても、ダンスの相手として、というレベルでしかないが。
「いつまでも此処に固まっているのも邪魔だし、深雪、一条と踊ってきたらどうだ?」
 達也の台詞に(正確には「一条と踊っ」の辺りで)、将輝はガバッと顔を上げた。
 彼の目は期待に輝いていた。
 深雪は一頻りクスクスと笑った後、将輝へ向けて「どうしますか?」という感じに小首を傾げて見せた。
「是非……一曲お相手願えませんか」
 上擦りかけた声を精一杯抑えて、将輝は恭しく、深雪に向かって作法通りに一礼した。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
 深雪も作法通りの一礼を返して、差し出された将輝の手を取った。
 ポジションにつく直前、将輝は感謝と感激のこもった眼差しで達也に目礼した。
 達也はそれを見て、「現金なヤツだ」と思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 将輝の見せた微笑ましいラブコメ(?)は達也にとって他人事だ(深雪が「その気」にならない限り、だが)。
 だから気楽に対応できた。
 だが自分が当事者となれば、最適、どころか、無難に対処するだけでも手に余る。
 今、もじもじと上目遣いに自分を窺い見るほのかを前に、達也は己の未熟を痛感していた。
「お客様、こういう時は、男性の方からリード致しませんと」
 ほのかだけでも手に余るのに、隣から茶々を入れられては逃げ出したくなっても仕方が無いだろう? と、達也は誰とも知れぬ相手に愚痴をこぼしていた。――無論、口には出せないが。
「エリカ……何でウエイトレスなんだ?」
「最初からそういう条件で泊めて貰ってるんだし」
 達也の苦情はサラリと流された。
 レオと幹比古は、選手としてこのパーティにも参加の声を掛けられていた。エリカと美月もスタッフ扱いで一緒にどうか、と誘われていた。だが四人ともパーティの参加を断って、厨房係とホール係としてアルバイトに精を出している。
 幹比古は今回、本人の希望通り(?)厨房にまわっているが、エリカは前回同様ヒラヒラのコスチュームでウエイトレスとしてホールを行ったり来たりしていた。
「……だったらこんな所で油を売っているべきじゃないと思うんだが」
「お客様に適切なアドバイスを致しますのもホール係の仕事でございますので」
 またしても澄ました顔で返されて、達也は頭を抱えたくなった。
 「ホール係の仕事」云々は別にして、エリカの主張に道理があることは達也にも分かっているのだ。
 ほのかは達也に誘われるのを待っている。
 それ位のことは、それこそ、言われなくても分かっている。
 だが其処から先のノウハウが無い。
 彼には「女性を誘う」という経験値が絶対的に不足していた。
「お客様?
 そんなに難しくお考えになる必要はございませんが」
 エリカも最初は面白がっているだけだったが、段々台詞に呆れ声が混じって来ていた。
 このまま行けば、呆れ声は遠からず、苛立ちに変わるだろう。
 それも一寸、いや、かなり情けないことのように達也には思われた。
「……ほのか」
「はいっ!」
 達也は、覚悟を決めた。
「…………踊らないか?」
 その割には、言葉になるまで随分と時間が掛かった上に、自信無さげな疑問形だったが。
「喜んで!」
 それでもほのかにとっては、十分嬉しいことのようだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 その後、達也は雫、英美、真由美の相手までさせられるという重労働を経て、壁にぐったりもたれかかっていた。
 特に真由美の相手はきつかった。
 リズム感が独特なのである。
 達也のダンスはお世辞にも上手いとは言えない。
 ろくに練習していないのだから、当たり前なのだが。
 しかし、女性の足を踏んだり他人にぶつかったりというミスはしない。
 それどころか、ステップを間違えることも無い。
 ダンス中に雫が「ダンスマシーンと踊ってるみたい」という、褒めてるとも貶しているとも取れる台詞を呟いたくらいだ。
 記憶した動作を演奏に合わせて変速し、細かい部分を捨象して再現しているだけなので、達也のダンスは美しさとか優雅さとか気品とかは別にして、正確さだけは満点だ。
 ところが真由美は、ある意味で達也と全く正反対。
 演奏とステップが合っていないのだ。
 音感が無い、というよりも「ため」に何か独創的なセンスを持っているらしく、一音一音は微妙に外しているのに、曲の流れとしてみると実に優雅なダンスを踊るのである。
 お陰で達也は、演奏と真由美の動きと、二つのリズムをすり合わせながらステップを踏むという離れ業を余儀なくされた。
 これが普通の人なら、何となくパートナーに合わせる、で何とかなるのだが、踊りを身体で覚えているのではなく動作を頭で再現しているだけに過ぎない達也には、そんな応用は荷が重過ぎるのだった。
 疲労困憊の達也を置いて真由美が上機嫌で次のパートナーを探しに行った後も、実は、達也の前を意味ありげにウロウロしている女子生徒が結構いた。
 深雪とのダンスが終わった後、上級生のお姉さまの引っ張りダコになった将輝とは比べ物にならないが、モノリス・コードの活躍を見て達也に興味を持っていた少女は少なくなかったのである。
 だが彼の精根尽き果てた、という佇まいを見て、一様に同情の眼差しを投げて通り過ぎて行った。
 そんな彼にとって残念、かもしれない事実に気付く余裕も無く、そろそろ部屋に戻ろうか、と達也が考えた丁度その時、タイミングを見計らっていたように、達也の目の前にグラスが差し出された。
「あ……ありがとうございます」
 台詞が途中で途切れたのは、その相手が完全に予想外だったからだ。
「疲れているようだな」
「……はあ」
「試合のような訳には行かんか」
「それはまあ……仰るとおりです。
 僭越ながら、会頭はどちらも苦になさらないように見受けられますが」
「慣れているからな」
 話し掛けてきた相手は克人だった。
 克人はノンアルコールビールのグラスをグッと呷った。
 何だか付き合わなければならないような気がして、達也は渡されたグラスを同じように飲み干した。
「司波、少し付き合え」
 通りかかったウエイトレス(エリカではなかった)に空のグラスを渡して、克人はそう告げるなり背を向けた。
 拒否権は無いという訳だ。
 同じように空のグラスを渡して、達也は無言で克人の後に続いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 大会開幕直前の夜、武装した侵入者を捕らえた庭は、今夜、忍び寄る人影も気配もなく静まり返っていた。
 完全な静寂ではない。
 誰かが窓を開けたのだろう。
 微かに、楽の音が聞こえている。
 その僅かな音色が、静けさを一層深いものにしていた。
「よろしいのですか? そろそろ祝賀会が始まる頃だと思いますが」
 足を止めた克人の背中に、達也は控えめな問い掛けを投げた。
 パーティーのあと、会場では第一高校貸切の優勝祝賀会が開かれる予定になっている。
 これは総合優勝を勝ち取った学校に与えられる些細な特権だ。
 一高チームの幹部であり主力選手である克人は、当然出席しなければならないはずだ。
「心配するな。直ぐに済む」
 (おもむろ)に振り返って、克人が答える。
 大した用事ではない、ということだろうか?
 ならば態々(わざわざ)、パーティーの途中で彼を連れ出す必要は無いように思える。
 それとも――短時間で決着する、という意味なのだろうか。
 ……どうやら後者、少なくとも克人はそのつもりのようだ。
「司波、お前は十師族の一員だな?」
 唐突に斬り込まれて、達也は危うく、身構えてしまいそうになった。
 比喩ではなく、戦闘態勢という意味で。
 自分の素性を知られることは、今の段階ではタブーだった。
「いいえ。俺は十師族ではありません」
 克人の眼差しには、偽りや韜晦を許さない眼力が込められていた。
 達也が克人の断定にも等しい問いを否定できたのは、それが事実だったからだった。
 彼は、十師族の一員ではない。
 十師族の血を引いてはいても、その一員と認められていない。
 それは紛れもない事実だった。
「――そうか」
 暫く、達也をじっと見据えて、克人は無表情に頷いた。
 克人が彼の答えに納得したかどうか、達也には分からなかった。
「ならば、師族会議において、十文字家代表補佐を務める魔法師として助言する。
 司波、お前は十師族になるべきだ」
「…………」
「そうだな……七草なんか、どうだ?」
「……どうだ、というのはもしかして、結婚相手にどうだ? という意味ですか?」
「そうだ」
 克人の魔法『ファランクス』は達也の対抗魔法『術式解散』にとって天敵のような魔法だ。
 一枚の薄い防壁を分解したと思ったら、その下に次の防壁が出て来る。
 その果てしない繰り返し。
 決勝戦の観戦中、徹底的な消耗戦の予想図に達也は戦慄を覚えたのだが……今の、この予想が全くつかなかった台詞に、達也は新たな戦慄と一つの確信を抱いた。

 ――この先輩は間違いなく、自分にとって天敵だ。

 ――色々な、本当にイロイロな意味で。

「……七草会長のお相手には寧ろ、十文字会頭のお名前が挙がっているのではありませんか?」
「確かにそういう話もあるな」
「…………七草会長はタイプでは無いんですか?」
「いや? 七草はあれで中々、可愛いところがある」
「………………」
 達也は最早、返す言葉を持たなかった。
「……ああ、もしかして司波は、歳を気にする方か?
 フム……ならば七草の妹はどうだ?
 最後に会ったのは二年前だが、二人とも将来が楽しみな美形だった」
「…………自分は会頭や会長とは違って一介の高校生なので、結婚とか婚約とかそういう話はまだ……」
「そういうものか?」
 克人は軽く、首を捻った。
「……だが、余りのんびり構えてはいられないぞ。
 十師族の次期当主に正面からの一対一で勝利するということの意味は、お前が考えているよりずっと重い」
 アンタに言われたかねぇよ! と達也はツッコミたかった。
 達也が将輝と対戦する羽目になったのは、克人に事実上強制されたからだというのに。
「……そろそろ戻るか。司波、余り遅くなるなよ」
 信じられない、というより、信じたくなかったが――
(あの人……もしかして、天然だったのか……?)
 威風堂々と歩み行く背中を見送りながら、恐ろしい人だ、と達也はしみじみ思った。

◇◆◇◆◇◆◇

「お兄様?」
 夜の闇の中に呆然と立ちつくしていた達也は、妹の声にハッと我を取り戻した。
「どうされたのですか? 珍しいですね、わたしが近づいてくるのも分からないくらいボンヤリなさるなんて」
「いや……一寸意外なものを見てな……」
「意外なもの?」
「ああ、いや、大したことじゃない」
「?」
 達也の台詞は辻褄が合っていなかったが、深雪は少し首を傾げただけで追求しては来なかった。
「……そろそろパーティが終わりますよ」
「祝賀会か……」
 遠回しに促されて、達也は反射的に顔を顰めた。
「パス、って訳には行かないんだろうな……」
 深雪は口元に手を当ててクスクスと笑った。
「諦めるしかないと思いますよ?
 お部屋に戻られても、ほのかやエリカの襲撃を受けるだけだと思いますので」
「ほのかは分かるが……?」
「エリカは会長に捕獲されました」
 おかしそうに笑いながら、会長の方が一枚上手ですね、と深雪は付け加えた。
「それに……」
 なおも笑顔で、だが笑い声は収めて、少し真面目な眼をして、深雪が達也の瞳を覗き込んだ。
「わたしがお兄様を逃がしませんから」
 達也は深々とため息を吐いた。
 ふと、深雪が耳を傾ける仕草をした。
「……ラストの曲が始まりましたね」
「そうなのか?」
 曲が変わったのは達也にも分かった。
 だがこれがラストの曲なのかどうかは、知識がない。
「お兄様、ラストのダンスは、わたしと踊っていただけませんか?」
 月と星の光の下、達也でも滅多に見たことのない様な、透き通った笑みを浮かべて、深雪は優雅に一礼した。
 深雪の笑顔は、達也に抗うことを許さなかった。
「……じゃあ、曲が終わらない内に戻ろうか」
「いいえ、それでは時間が、勿体ないです」
 深雪は自分から達也の手を取った。
「演奏でしたら、此処でも聞こえます。
 この靴なら、芝生の上でも大丈夫です」
 達也は何も言わず、深雪の背中に手を回した。
 深雪は達也の肩に抱きつくように手を置いた。
 二人の身体が触れ合った。
 手を優しく包み込み、背中を深く抱き寄せ、達也はステップを踏み出した。
 星空の下で、二人の身体がクルクル回る。
 クルクル回る視界の中で、達也の顔だけが常に、深雪の正面にあった。
 深雪の顔だけが常に、達也の正面にあった。
 景色も、星も、月も、闇も、
 全てが回る世界の中で、達也と深雪は、二人だけで向き合っていた。

第二章はこれで終了となります。
次週は夏休み番外編をお送りする予定です。
少々あざとい話になると思いますが、大目に見ていただければ幸いです。


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