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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(26) 王者の風格
 九校戦も最終日を迎えた。
 今日行われる競技はモノリス・コードの一種類。
 九時から決勝トーナメント第一試合、十時から第二試合。
 午後一時より三位決定戦。
 そして二時から決勝戦が行われる。
 その後は三時半から表彰式と閉会式で、五時には競技場における九校戦が全て終了する。
 競技場における、と但し書きが付くのは、七時からパーティが開かれるからだ。
 開会前の懇親会と違って、閉会後のパーティは本当の意味で各学校の親睦の場となる。
 このパーティで毎年少なからぬ遠距離恋愛カップルが誕生するくらいだ。
 高校生同士の交流だけでなく、魔法界の有力者と面識を得られる機会でもあり、特に三年生はその両面でこのパーティを楽しみにしている者が多い。
 だがトーナメントに勝ち上がった四校にとっては、それも全て、試合が終わってからのことだ。
 各校とも既に、慌しい動きは無い。
 為すべきことを全て為し、選手もスタッフも、静かに決戦の時を待っていた。
 第一高校の天幕も例外ではなく、目を閉じて泰然と座す克人を中心に、ある者は緊張した面持ちで、ある者は逸る心を懸命に抑えながら、選手もスタッフも一試合目の呼び出しに備えていた。
 克人、辰巳、服部の三選手、そして最終競技を担当する三人の技術スタッフ(その中には五十里の顔も見える)。
 少し離れて真由美、摩利、鈴音、あずさといった、生徒会を中心とする幹部の面々。
 花音を始めとする二、三年生の選手。
 テントに入り切らなかった者は、応援席で選手の登場を今か今かと待っている。
 しかしそのどちらにも、達也の姿は無かった。

◇◆◇◆◇◆◇

「応援に行かなくてもいいの?」
「……始まるまでまだ少し時間がありますから」
 藤林に問われ、達也は口の中の物を飲み込んでから、そう答えた。
 昨晩の指示に従い、達也は朝食後、風間の部屋を訪れていた。
 ところが部屋の主は早朝から何処かの誰か相手の密談に出かけており、戻りを待つ間、二度目の朝食を藤林からご馳走になっているところだった。
 ――彼も食べ盛りなので、サンドイッチがデザートに追加された程度では全く苦に感じないのである。
 マナーに違反しない範囲で会話を挿みながら出された皿を丁度片付け終えたところで、風間が真田と柳を連れて戻って来た。
 立ち上がって敬礼する達也と藤林へぞんざいに答礼し、手振りで腰を下すように指示する。
 風間は達也の正面に、柳は藤林の隣に、真田は達也の隣に座った。(山中が霞ヶ浦基地――駐屯地から格上げ済み――へ戻っていることは、藤林から既に聞いていた)
「昨夜はご苦労だったな」
 挨拶もそこそこに、風間はそう切り出した。
「いえ、自分の方こそ、私事に皆さんの手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした」
「私事ではないさ。俺も襲われたのだから」
「それに昨夜は貴重な実戦データが取れたからね。
 直線で約千二百メートル。
 この距離で対人狙撃を成功させた長距離魔法のデータは滅多に取れない。
 超長距離精密攻撃が本来のスタイルで、OTH(over the horizon)狙撃もこなす君にとっては物足りない距離かもしれないが、僕にとっては満足の行く観測結果だった」
 立ち上がり頭を下げた達也に、柳と真田が慰めと労いの言葉を掛ける。
「そういう事だ。
 また、昨夜の土産には、内情も公安も予想以上に満足していた。
 お前は任務を果たしたのだから、多少自分の都合を交えたからといって、気にする必要はない」
 それを受けて、風間がこう締め括った。
「……たかが犯罪シンジケートのトップの情報に、それ程の価値があったのですか?」
 昨夜、わざわざ相手に電話を掛けて長々と嬲るような真似をしたのは、達也自身の意趣返しという側面もあったが、一義的には風間に指示されてのことだった。
「あれは、ただの犯罪集団ではないからな」
「…………」
「達也君、君は『ソーサリー・ブースター』についてどの程度知っているかい?」
 達也の無言の問い掛けに、真田が口を開いた。
「名前は聞いたことがあります。ここ数年で犯罪集団に広まっている画期的な魔法増幅装置とか。
 正直、眉唾物だと思っていましたが……」
「ソーサリー・ブースターは実在するよ。ある意味では『画期的な魔法増幅装置』というのも間違いじゃない」
「そもそも、魔法の増幅などということが可能なのですか?」
 こんな場面で真田が嘘をついたり信憑性の薄い噂話を持ち出したりするとは思わないが、それでも達也は「胡散臭い」という印象を拭うことができなかった。
 魔法も魔法式という「信号」を魔法師から対象物のエイドスへ出力するプロセスを含むから、増幅という概念と全く無縁なものとは言い切れない。
 だが魔法式の出力プロセスは、イデアという単一情報プラットフォームの中における情報の移動であり、魔法式という信号が魔法師と対象物の間を物理的に移動する訳ではないのだ。
 魔法師が構築した魔法式を、一体何処で増幅するというのか……まずそこが疑問だった。
「普通の意味での増幅じゃないよ。
 そうだね……魔法式の設計図を提供するだけでなく、設計図を元にした魔法式の構築過程を補助する機能も持つCAD、と表現すればいいのかな?
 魔法師が本来持っているキャパシティを超える規模の魔法式形成を可能にするんだ」
「それは……『ブースター』というより『増設メモリー』ですね」
「まあね」
 達也の言い草が壷に嵌ったのか、真田は一頻り声を上げて笑った。
「……俗称が本質を表現していないなんて珍しいことじゃないよ。
 で、無頭竜はソーサリー・ブースターの供給源なんだ。
 この道具は製造原料に問題があってね。
 真っ当な企業では、同じ物は製造できない。
 国家でも、バレた時のリスクが高過ぎる。
 ソーサリー・ブースターは事実上、無頭竜の独占供給状態なんだよ」
「ではそのソーサリー・ブースターを買い付けるために、リーダーの情報が必要だったのですか?」
「いいや。
 ブースターの製造と供給を止めるために、ターゲットの情報が必要だったんだ。
 アレはこの世界に存在していい物じゃない。
 僕なら絶対に使いたくないし、同じ隊の中で使わせたくもない。
 ――達也君なら、CADの中枢部品である感応石の製造方法を知っているだろう?」
 感応石とはサイオン波動を電気信号に変換し、電気信号をサイオン波動に変換する合成物のこと。
 突然の話題転換に軽い戸惑いを覚えつつ、達也は頷きながら口を開いた。
「感応石は分子レベルから化学的に合成しネットワーク構造に発達させたニューロン(神経細胞)を結晶化して製造します。
 ネットワーク構造の違いによって変換効率が決定される為、重要なのはニューロンの持つ物質的な特性ではなくネットワーク構造のパターンであるとも言われていますが、現在のところ人造ニューロン以外の素材から感応石の製造に成功した例は報告されていません」
 達也の答えに、真田は満足げに頷いた。
「その通りだ。
 ところがブースターの中枢部品は、人造ニューロン以外の素材から製造された感応石なんだ」
「それは一体……?」
「人間の脳だ」
 真田の回答に、達也は絶句した。
「より正確には、魔法師の脳だ」
「…………しかし、動物の脳細胞を使用した場合、脳内に残留するサイオン粒子の所為で使用者との感応が成立しないはずですが。
 それは人間の脳細胞を使用した場合も同じだったはずです」
 達也が絶句したのは、その非人道性が主な理由ではなかった。
 彼はCAD開発の黎明期における動物実験の例も人体実験の例も知っていた。
 そうした倫理も良心も信仰も何もかも無視した(なり)振り構わぬ試行錯誤の結果、ニューロンを化学的に合成するというノウハウが確立したのだ。
 だが無頭竜はこの、魔法工学の常識を覆したという。
 そのことに達也は驚いたのだった。
「通常の感応石と機能的に全く同じという訳ではないよ。
 一つのブースターは、一つの特定魔法にしか使用できない。
 そして使用できる魔法は個々のブースターによって異なっている。
 と言っても、パターン化はある程度可能らしい。
 製造時の残留思念によって、使用可能となる魔法の種類が変わるのだろう、と推測されている。
 製造過程で同じ種類の強い感情を与えれば、同じ種類のブースターが出来上がるということだね」
「……例えば、脳を摘出する直前に大きな苦痛を与えるとか、大きな恐怖を与えるとか、ですか?」
「おそらくは」
「……蠱毒の原理ですね」
「同感だ。ブースターは蠱毒の技術基盤から発展したものだろう。
 僕たちは魔法を武器とし魔法師を軍事システムに組み込むことを目的とする実験部隊だけど、魔法師を文字通りの部品にするつもりはない。
 僕だって魔法師だし、少佐も、柳大尉も、藤林少尉も、下士官・兵卒を含めて部隊の構成員のほとんどが魔法師だ。
 ジェネレーターまでならまだ許せる気もするけど、ブースターは製造も使用も絶対に認められない」
「そういう感情面を抜きにしても、魔法師のキャパシティを拡張するブースターは軍事的にも脅威だ。
 NAIA(北米情報局)も同じ見解で、内情に協力を求めていたらしい。
 壬生が随分感謝していたぞ、達也」
 風間がそう付け加えて、この場での説明はお終いとなった。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が応援席でキョロキョロと空席を探していると、前の方から氷の(つぶて)が飛んで来た。
 慌てて受け止めた手を下した拍子に、深雪と目が合ってしまう。
 気がつかなかった振りを諦めて、達也は大人しく最前列に近い席へ向かった。
「……随分と荒っぽい出迎えだったね」
「お兄様が気付かない振りなど為さるからですよ」
 ……達也に反論の言葉はなかった。
 いや、気付かない振りをした理由なら、試合開始前ギリギリになって客席で目立つような真似をしたくなかったという歴とした理由があったのだが、妹を納得させるものでは到底ないということも明らかだったからだ。
 ただ深雪の方に道理があるかというと、近くの席に座っている同級生、上級生の表情を見る限り、決してそんな事は無さそうだった。――生温(なまぬる)〜い同情の眼差しは、少しもありがたくなかったが。
「おっ、選手入場か」
「ちょうどのタイミングでしたね、達也さん」
 達也の呟きに応えたのは、深雪ではなく反対側の隣に座ったほのかだった。澄ました笑顔で生温い視線を撃退するのに忙しかった深雪は、応え損なった代わりに少し達也の方へ詰めて座り直した。
 決勝トーナメント第一試合は、第一高校対第九高校。奇しくも新人戦と同じ組合せとなった。
 九高には雪辱戦の意識もあるのだろう。選手三人揃って、随分気合の入った顔をしている。
 それに対して一高の三人は、いつも通りに三者三様だった。
 泰然と構える克人、何処かとぼけた雰囲気を漂わせる辰巳、生真面目な表情で相手チームの挑発的な視線に応戦している服部。
 全くいつもと変わらぬ姿は、頼もしさを覚えるものだった。
「俺たちとは安心感と言うか……格が違うよな」
「そんなことはありません! わたしはお兄様の勝利に不安を覚えたりしませんでした」
「達也さんたちも立派でした! とても堂々としていたと思います」
 達也にしてみれば何気ない呟きだったのだが、すかさず返ってきた慰めだが激励だか判別し難い返事に、彼は些か面食らってしまった。
 流石に試合開始前の空気を察して声を潜めてくれたので、注目を集めることはなかったが、毎回そうだという保証はない。
 口は災いの元(?)と気を引き締め、頭の中から雑念を追い出して、達也は応援に集中することにした。
 ――雫から向けられている白けた眼差しが痛かった所為もある。

 ――そして、そんな寸劇には関係なく、試合は始まった。

◇◆◇◆◇◆◇

 フィールドはカルスト地形を模した「岩場ステージ」。
 始まりのブザーと共に、一高陣地から服部が飛び出した。
 跳躍の魔法を所々交えて、脚力だけでは出せない速さで敵陣へ突き進む。
 九高の動きは鈍かった。
 むき出しにされた闘志では彼らの方が勝っていたが、実際に先手を取ったのは一高の方だ。
 あの気合いの入りようならばおそらく、九高の方が先制攻撃を目論んでいたはず。
 だが予想を越えた思い切りの良い突進に機先を制せられて、対応に迷いが生じているようだ。
 突出したオフェンスに集中攻撃を加え、数の優位を確立するか。
 迎撃はディフェンスに任せて、予定通り敵陣へ斬り込むか。
 あるいはその停滞こそが狙いだったのか。
 服部は道半ばで足を止めると、自陣でもたついている九高の三人目掛けて魔法を放った。
 上昇気流と共に、白い霧が九高チームの頭上に生じた。
 霧はたちどころに濃度を増し、自らの重さに耐えかねたかの如く、地上へ向かって崩れ落ちた。
 ドライアイスの雹が降り注ぐ。
 収束・発散・移動複合系魔法『ドライ・ブリザード』。
 真由美がスピード・シューティングで使用した魔法の原型だ。
 温度と速度のトレード・オフ関係が成り立っているこの魔法は、気温が高くなるほど弾速が増す。
 魔法防御の外側、真上から降り注ぐドライアイスの弾丸は、岩陰に隠れて遣り過ごすことも出来ない。
 ヘルメットを着けているので指先で摘まめる程度の礫で大怪我をすることはないが、何発も続けて命中すれば軽い脳震盪くらいは起こす。
 それはそのまま、戦闘不能による敗退に直結するので、九高選手の一人が頭上に三人をカバーする魔力のシールド――落下速度をゼロにする仮想障壁――を展開した。
 その選手が張ったシールドは、速度を一旦ゼロにするだけのもの。空中に一瞬静止した後は、重力に従って地上に落下する。
 服部が作り出したドライアイスは、周りの空気を冷却することにより水蒸気を凝結させ、細かな霧雨とともに地上へ、九高選手の上へ、石灰岩の上へと降り注ぎ、霧雨は融け出した二酸化炭素を吸収し、炭酸ガスを溶かし込んだ霧となって漂った。
 岩に囲まれた地形により、九高陣地一帯から中々拡散しようとしない。
 視界を妨げる程の濃さでは無いが、冷たく纏わり付く湿気は気になり出すとかなり不快なものだ。
 シールドを張った選手とは別の選手が、気流を起こしてドライ・ブリザードの副産物を吹き払おうとした。
 だがそれより速く、服部の次なる魔法が発動した。
 土砂の粒子を細かく振動させることで生じた微弱な摩擦電流を、土砂の電気的性質を同時に改変することにより増量し地表に放出する術式。
 八高の新人が同じ岩場ステージで使用した電子強制放出と同種の魔法だが、種類は同じでも威力と洗練度が桁違いだった。
 九高の魔法防御の境界線をなぞるような三日月型に、幅五メートルにわたる地面が発光した。
 細かな電光が無数に絡み合って明滅する様は、(さなが)ら、のたうち回り押し寄せる小蛇の大群だった。
 砂混じりの地面も疎らに生えた草も無造作に転がる岩も、二酸化炭素が溶けて導電性が高まった霧にしっとりと濡れている。
 魔法防御の外側にのたうつ電気の蛇は、魔法に関係なく地面を伝わり九高選手に襲い掛かった。
 コンビネーション魔法、『這い寄る雷蛇(スリザリン・サンダース)』。
 コンビネーション魔法とは、複数の魔法工程を一つの術式に纏め上げた魔法ではなく、複数の魔法がそれぞれに生み出す現象を組合わせて、個々の魔法の総和よりも大きな効果を生み出す魔法技術のことだ。
 飛び抜けて強力な得意魔法も他の追随を許さぬ処理速度も他人に真似の出来ないマルチキャストも持たない代わりに、多種多様な魔法をどんな場合でも確実に繰り出す安定性が服部の持ち味であり強みでもある。
 状況に応じて多彩な魔法を組み合わせ、相乗的に威力を高めるコンビネーション魔法は、服部の真骨頂が発揮される技術と言えた。
 九高の三人の内、一人は空中へ跳び上がって電流から逃れた。
 だがシールドを張った選手と霧を吹き飛ばす為の魔法を編纂していた選手は、跳躍の術式に切り替えるタイミングが一拍、遅れた。
 電光が九高選手の足に絡み付く。
 防護服プロテクション・スーツとセットになったブーツ自体は絶縁加工が施されているが、スーツ本体の絶縁は簡易なもの(絶縁性能を高めると通気性が損なわれる)。
 炭酸ガスを取り込んだ霧は、選手の身体にも付着し滴っている。
 突風の魔法を準備していた選手は、咄嗟に変数を入れ換えて下向きの風を起こすことにより霧の滴を吹き払い電撃を弱めたが、シールドを張っていた選手は『スリザリン・サンダース』をまともに喰らった。
 前のめりに倒れたチームメイトの隣で、もう一人の方も片膝をついた。
 言うことをきかない足に見切りをつけ、そのままの体勢でCADに指を走らせる。
 空中から苦鳴が聞こえた。
 跳び上がって電撃を逃れた選手が、空中で見えないハンマーに殴られて、姿勢を乱したまま落下する。
 単一系統の術式において卓越した出力(干渉強度)を誇る辰巳鋼太郎が繰り出した加速魔法。瞬間的に下方向へのGを掛けて、敵選手を地上に叩き落としたのである。
 しかし、構わず、九高選手の収束魔法が発動した。
 仲間の撃墜に気を取られなかったのは、流石、決勝トーナメントに勝ち上がって来ただけのことはある、と言うべきか。
 圧縮空気弾が服部目掛けて撃ち出される。
 水中や宇宙空間などの特殊な環境を除き、どこにでも存在する空気は元々、戦闘用魔法の媒体としてポピュラーなものだ。
 加えて、攻撃手段と殺傷性を制限するルールから、モノリス・コードでは圧縮空気弾や鎌鼬が多用される傾向にある。
 服部の魔法防御領域の外側に生じた高圧の空気塊は――服部に届く前に、見えない壁に打ち当たって四散した。
 服部が張り巡らせたものではない。
 四百メートル後方から、克人が展開した『反射障壁(リフレクター)』。
 固体、液体、気体を問わず、運動ベクトルを反転させる力場を作り出す、領域魔法。
 一般に対物魔法に比べて領域魔法は難度が高いとされている。
 それは、魔法の対象を特定する難しさの違いに由来する。
 事象を改変する難度は、物体の属性を改変するのも空間の性質を改変するのも、それほど変わらない。
 問題は、性質を書き換える領域と書き換えない領域の区別をどうやってつけるか。
 壁や天井や柵などの目に見える仕切りで区切られている場合は簡単だ。
 しかし例えば、野外の、何の仕切りもない解放空間で、特定の空間を切り出して定義するのはかなり難しい。
 ただそれが攻撃魔法であれば、起動式に対象とする領域の広さを記述しておくことで、難度を引き下げることが出来る。
 達也が考案し雫が使った『能動空中機雷』は作用領域の広さばかりでなく術者との相対座標も起動式に記述しておくことで魔法師の負担を大きく軽減しているし、服部が使った放電の魔法も作用する地面の広さ・深さ・面の形状が予め起動式に記述されていた。
 攻撃魔法とは言えないが、真由美がアクセル・ボールの試合で使用した『ダブル・バウンド』も、作用領域が予め特定されていた。
 だがどの程度の距離・範囲で飛んでくるか分からない相手の攻撃に合わせて対象領域を決定しなければならない防御魔法では、予め起動式に面積・容積・形状を書き込んでおくという手が使える場面は限られてくる。
 自分一人の身を守る楯。
 あるいはチーム全体をカバーする壁。
 それを、自分を中心とした至近距離に相対座標で設定する。
 普通はその程度がせいぜいだ。
 だが克人は今、服部の身体という保護対象を目標にするだけで、何も目安となるものがない野外に、イメージ補整の為の補助器具を何も使わず、しかも四百メートルの距離から完全な「反射障壁」を作り出したのだ。
 卓越した空間掌握能力。
 十文字家の魔法師は、空間に対する天性の認識力を更に磨き上げることによって数々の領域防御魔法を駆使し、「鉄壁」の異名を取っているのだった。
 服部が次の魔法を発動した。
 彼は九高からの攻撃に対して、防御を一切取っていない。
 敵の攻撃を克人が間違いなく防いでくれるという前提に立った魔法式の構築だった。
 地面から砂が舞い上がる。
 風が砂を巻き上げる。
 服部の前方約十メートルから生じた砂埃は突き進むにつれて量と速度を増し、砂嵐の濁流と化して敵選手に襲い掛かる。
 加速・収束複合魔法『砂塵流(リニア・サンド・ストーム)』。
 最初に巻き上げた砂を核にして、移動の過程で密度を増して行くように構築された広域攻撃魔法。
 収束性を高められた砂嵐が、九高選手を打ち倒した。

◇◆◇◆◇◆◇

「レベルの高い試合だったな……」
 試合終了の合図をBGMに、達也は感慨深げに唸っていた。
 試合自体はほぼ一方的な展開だった。
 レベルが高い、というのは、そこで使用された魔法と、その使用方法だ。
 特に服部の見せた魔法の使い方は「深雪にも見習わせたい」と思わせる程、高度なものだった。(「見習いたい」でないのは、自分では真似できないと判断したからである)
 達也は服部のことを低く評価していた訳ではない。
 試合で一度、勝っているとはいえ、あれは不意打ちによるもので出会い頭のようなものだ、と達也は客観的に認識していた。
 魔法力そのものよりも魔法使用の技術力が高いということも、色々な拍子に魔法を使っているところを見て、予想していた。
 だが今見せられた実力は、正直に言って、予想を超えていた。
(俺もまだまだ見る眼が無い……)
「次はいよいよ決勝戦ですね」
 そんな、ある意味でショックを受けていた達也の内心にお構いなく、ほのかが無邪気に話し掛けてきた。
 彼女にとっては、生徒会副会長を務める先輩の魔法技能が高いのは当たり前なのだろう。
 その「当たり前」の無邪気さが、達也の頭をスッと冷やした。
 見る眼が無いのは当たり前ではないか。
 自分はまだ高校生だ。
 昨夜の、独立魔装大隊特尉としての自分を引き摺っていた達也の精神は、この時ようやく、高校生としての司波達也に切り替わった。
「決勝戦は二時からだが、まだお昼には早いな……」
「少し冷たい物でもいただきませんか、お兄様?」
「賛成。アイスがいいな」
 今日はスタッフとしての仕事もない。
 今は犯罪シンジケートのことを気に掛ける必要もない。
 たまにはただの高校生らしく、呑気に過ごしても良いだろう――達也はそう思うことにした。
「さっきワゴンの屋台が出ていたから、そっちで食べようか?」
「ええ、是非!」
 少年一人に美少女三人、それが他人の目にどう映るかということをすっかり失念して、達也は深雪たちをアイスクリームワゴンへ連れて行った。

◇◆◇◆◇◆◇

 モノリス・コード決勝戦は「渓谷ステージ」に決まった。
 運営委員から告げられた決定を伝える為に、真由美は選手控え室を訪れていた。
 単なる伝言役、わざわざ生徒会長が務めることではない気もする。
 事実、この決定を伝える為だけなら、真由美は自分で足を運んだりはしなかっただろう。
「十文字くん、いる?」
 布で仕切られたテントであっても、遮音性は木造住宅、コンクリート建築と変わらない。
 出入り口のインターホンに話し掛けるとすぐに「今行く」という返事があった。
 少し間をおいて、克人が上半身タンクトップ、下半身プロテクション・スーツの姿で、扉代わりのカンバスを掻き分けて出て来た。
「こんな格好で済まんな」
「気にしないで。別に裸って訳じゃないんだし」
 克人の身体から、微かにアルコール臭が漂って来た。
 飲酒していた、訳ではない。
 消臭剤に含まれている僅かなアルコール分の臭いだ。
 少しの間は、真由美と顔を合わせるのに、汗の臭いを気にした結果だろう。
 彼は特段フェミニストではないが、紛れもないジェントルマンだ。
 しかもそうした気遣いを全くアピールしようとしないところが、克人らしい作法だと真由美は思った。
「それで?」
 急ぎの用を棚に上げて埒もないことを考えていた真由美は、改めて問われ、ハッと我に返った。
「決勝戦のステージが決まったわ。
 チョッといいかしら?」
 決勝のことを伝えるだけなら、今この場で一言を口に乗せれば良いだけだ。
 しかし克人は「何故」とも「何を」とも問わず、黙って真由美の背中に続いた。

 真由美が克人を連れて来たのは、三日前に真由美が達也に相談を持ちかけた部屋だった。
 三日前と同じように遮音障壁を形成して、真由美はテーブルの前に腰を下ろした克人の耳に唇を寄せた。
「父から暗号メールが来てたわ。
 師族会議からの通達だって」
「ほう?」
「十文字くんには来ていないのね、その様子だと」
「ああ」
 克人の答えは意外なものだったが、師族会議用の暗号解読には手間が掛かるので、短くない時間、一人になる必要がある。試合の合間とはいえ、リーダーが長時間席を外しては周囲の不審を招くと考えたのだろう、と真由美は解釈した。
 彼ら二人と克人はモノリス・コードのチームメイトだ。
 九校戦代表チームという観点からいえば、真由美と服部たちもチームメイトだ。
 だがあの二人を含めた他の代表チームのメンバーと真由美は、立場が違う。
 生徒会長だとかチームリーダーだとか、そんな立場の違いではなく、社会的に立場が違う。
 真由美は、現十師族の直系だ。
 そして克人は、更に立場が違う。
 彼は真由美と同じ現十師族の直系で、真由美と違って十文字家の次期当主と定められている。
 今回この九校戦に参加している高校生の中で言えば、将輝だけが克人と同じ立ち位置にいる。
「一昨日、一条くんが達也くんに倒されたでしょう」
「……それで?」
 克人の問い掛けは「それが?」ではなく「それで?」だった。
 いや、実はこの問い掛け自体、形式的なものだった。
「十師族はこの国の魔法師の頂点に立つ存在。
 十師族の名前を背負う魔法師は、この国の魔法師の中で、最強の存在でなければならない」
 真由美の声は、少し皮肉っぽかった。
 彼女が語っているのは彼女自身の考えではなく、彼女の父親の、師族会議の「教義」だからだ。
 彼女の思いは、また別なのだろう。
 だが今必要なのは、彼女自身の哲学ではなく、師族会議の「教義」の方だった。
「例え高校生のお遊びであっても、十師族の力に疑いを残すような結果を放置しておくことは許されない、だそうよ」
「あの試合はお遊び、で片付けられるレベルではなかったがな」
 台詞だけなら反論だが、口調は淡々としたものだった。
「つまり、十師族の強さを誇示するような試合を師族会議は求めている、ということだな?」
「ええ……こんな馬鹿馬鹿しいことを、十文字くんに押し付けたくはないんだけど」
「いや……これは寧ろ、十文字家次期当主の俺が一人で処理すべきことだ。
 気を遣わせて済まなかったな」
「その程度のことは別にいいんだけど……」
 気持ちの持って行き場所が無いのか、真由美は珍しく本気で、何の意味もない愚痴をこぼした。
「ホント、馬鹿馬鹿しいったら……
 達也くんが傍流であっても十師族の血を引いているなら、こんな三流喜劇に巻き込まれることも無かったのに……」
 克人は真由美の愚痴に対して、何もコメントしなかった。
「……任せておけ」
 感情を面に出さず、そう応えたのみだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 モノリス・コード決勝戦は第一高校対第三高校。
 色々な意味で因縁のある対決、言い換えれば「宿命の対決」だが、試合自体は準決勝以上に一方的な展開になった。
 因果は巡る、と言えばいいのだろうか。
 新人戦で、将輝が八高に対してやったことを、そっくりやり返される形となっていた。
 選ばれたフィールドは「渓谷ステージ」。
 先ほどから氷の礫を飛ばしたり、崖を砕いて岩を落としたり、沸騰させた水をぶつけたりと、地形を利用した攻撃が次々と克人へ向けて繰り出されている。
 だがその全ては、克人が展開した魔法の障壁に撥ね返されていた。
 質量体の運動ベクトルを逆転させる。
 電磁波(光を含む)や音波を屈折させる。
 分子の振動数を設定値に合わせる。
 サイオンの侵入を阻止する。
 あらゆる種類の攻撃が、その為に展開された幾重もの防壁に阻まれる。
 克人の歩みを阻むものはない。
 多重移動防壁魔法『ファランクス』。
 この魔法の、十文字の術者の真価は、単に魔法防壁を維持し続けるのではなく、何種類もの防壁を途切れることなく更新し続ける持続力にある。
 何列もの兵士が一塊になって整然と行進することにより、集団としての防御力を高めそれをそのまま攻撃力に転化する重装歩兵密集陣形。
 最前列の兵士が倒れれば後列の兵士が入れ替わり、常に堅い防御を維持するこの古代の用兵を冠した魔法は、その名に恥じぬ防御力とプレッシャーを発揮する。
 左右に狭いフィールドを、一歩一歩着実に敵陣へ進む克人。
 三高選手はそれを無視することも回避することも出来ない。
 少しでも攻撃を緩めたら、その直後、決定的な攻撃を返されてしまうのではないか……
 一歩ごとに強まるプレッシャーが彼らにそんな強迫観念をもたらし、攻撃し続けることを彼らに強いる。
 徹らない攻撃は攻撃側を消耗させると同時に、防御側も消耗させるはずだが、すっかり息が上がっている三高の三人に対して、克人は一向に疲れを見せない。
 そして互いの距離が十メートルを切ったところで、遂に、克人の歩みが止まった。
 彼の足は一歩一歩踏み出すことを止め、
 勢いよく、地を蹴った。
 巌のような身体が、水平に宙を飛ぶ。
 自らに加速・移動魔法を掛け、敵選手目掛けてショルダー・タックルの体勢で突っ込んで行く。
 内部への侵入を許さぬ、対物障壁を張ったまま。
 突進の勢いで対物障壁に弾かれて、三高の選手が吹き飛んだ。
 克人の巨体は一瞬の停滞もなく進路を変え、次の敵へと飛翔する。
 魔法防御も運動量改変も、相手がそれ以上に強力な干渉力を発揮しているフィールドでは効力を持たない。
 三人目の選手が為す術もなく撥ね飛ばされて、モノリス・コードの決勝戦は幕を閉じた。
 一高の総合優勝に花を添える、完全な勝利だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 手を挙げて拍手に応える克人へ、周りと同じように拍手を送りながら、達也は言葉を無くしていた。
 圧倒的という言葉では不十分だ。
 凄まじい、としか言いようがない。
 戦法自体は単純なものだ。
 単なる力任せ、と言って良い。
 だがあの魔法は――「単なる」力任せではない。
 四系統八種、全ての系統種類を不規則な順番で切り替えながら絶え間なく紡ぎ出し続ける――恐ろしく「高度な」力任せだった。
「凄いですね……あれが十文字家の『ファランクス』ですか……」
 深雪の口からも平凡な感想しか出てこない。
 それだけ、今の試合に度肝を抜かれているということだった。
 その気持ちは分かる。
 だがその言葉には同調できなかった。
「違うな……あれは多分、本来の『ファランクス』じゃない」
 十文字家の代名詞とも言える多重防壁魔法『ファランクス』。
 だがこの魔法が人の目に触れる機会は意外に少ない。
 普通は、同時に全系統全種類の防壁を展開する必要がないからだ。
 別々の魔法師が同じ相手に同時に攻撃を仕掛けようとする場合、攻め手が多い程、攻撃魔法の種類が増える程、魔法の干渉が生じ易くなるのだからそれも当然のことだ。
 達也もこの魔法を以前に目にしたことがある訳ではない。
 今の試合で克人が展開した多重防壁は、確かに全系統全種類の魔法が含まれていた。
 あれは確かに『ファランクス』だろう。
 しかし達也は、その推測に頷くことが出来なかった。
「最後の攻撃……あれは、『ファランクス』本来の使い方ではないように思える」
 それは論理的な推理というより、直感に近かった。
 だが本物のファランクスは、もっと恐るべき魔法のように思えて仕方がなかった。
「お兄様が仰るのであれば、そうなのでしょう。
 ならば益々……凄い力量ですね、十文字先輩は」
 達也も全くの同感だった。
 ただただ感心して拍手を続けていると、ふと、克人が自分の方を見た、ように達也は感じた。
 拳を天に突き上げ、勝利を誇示する克人。
 その眼が一瞬、達也の目線を捉え、そしてその一刹那、フッと笑った――ように、達也には見えた。
 俺はお前より強い――克人の眼がそう告げたように、達也は感じた。
 腕力に頼らず相手を従えることが王者の徳という。
 だがそれは、突き詰めてしまえば政治的な詭弁でしかない。
 戦う前から、力では敵わないと相手に知らしめ、刃向かうことを断念させる、その絶対的な抑止力こそが、真に必要とされる王者の資質。
 歓声に応える克人の姿には、力の価値を知り力の価値を実践する、王者の風格があった。


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