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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(20) 精霊の眼
 一高vs二高の試合は、昨日の事故にもめげず、双方のモノリスが屋内の中層階――具体的には五階建ビルの三階に設置された。
 自分たちの責任・過失をあくまで認めようとしない強情さは、魔法大学も事務方は官僚機構なのだと再認識させられるものだった。
 ――もっとも、昨日の「事故」は大会運営側の責任とも過失とも言い切れない部分もある。
 それに達也としては、見通しの良い屋外に置かれるより、いくらでも隠れる場所があるビルの中の方が都合が良かったから、文句を言うつもりは全く無かった。
 彼は今、二高のモノリスが設置されているビルの最上階に潜んでいた。
 二高の索敵を掻い潜って隣のビルへ回り込み、魔法を使わずに(・・・・・・・)屋上から屋上へ跳び移ると言う荒業でディフェンダーに気付かれることなくここまで接近したのである。
 建物の陰から陰へ、身を隠しながらの接近だったから、ここまで辿り着くのに随分時間が掛かっている。
 この試合は負けても決勝トーナメントへ進めるとはいえ、トーナメントの組合せは予選の一位と四位、二位と三位だ。準決勝で三高と当たるのと、決勝で三高とぶつかるのとでは、意味合いが全く異なってくる。
 今回は幹比古をレオのバックアップに残しているが、余り時間は掛けられない。
「幹比古、聞こえるか」
『聞こえるよ、達也』
 モノリス・コードで通信機の使用は禁止されていないが、使用する学校は少ない。
 内容は解読できなくても、電波の発信地点くらいなら、今の技術で簡単に探知できるからだ。
 それに僅か三人のチームでこれだけ広いフィールドでは、通信機を使用しなければならないほど離れてしまうと、意味のある連携はほとんど不可能になる。
 それでも今回、達也が通信機を使用しているのは、無論、意味がある。
「やるぞ。モノリスの位置を探査してくれ」
『こっちも、そうはもちそうにない。急いで』
「了解した」
 向こうは既に交戦状態のようだ。
 達也は右手のブレスレットを操作して、喚起魔法を発動した。

◇◆◇◆◇◆◇

 気合と共に、レオが『小通連』を横に薙いだ。
 長さ三十センチ、幅七センチの小さな金属片――刀身の片割れが弧を描いて飛翔し、二高の選手を襲う。
 刀身の重量不足を腕力で押し切り、レオはオフェンスの足を刈り取った。
 転倒する二高オフェンス。
 これが「実戦」ならば、駆け寄って踏みつけ止めを刺すところだが、モノリス・コードのルールは肉弾戦を禁じている。
「幹比古!」
 聞こえないと知りつつ、ビルの何処かから精霊を介してこの部屋を「観て」いる幹比古に合図を送るレオ。
 返事は、空中に生じた球電の形で返された。
 電撃が、二高の選手を撃つ。
 しかしレオには、一人撃退の戦果を喜ぶ暇は無かった。
 自分の身体に移動魔法が仕掛けられたのを察知し、レオは慌てて叫んだ。
「Halt!(ハルト!)」
 ヘルメットの口元に仕込んだマイクを通じて、音声認識スイッチが左腕のCADを作動させた。
 二つのCADを同時に使ったパラレル・キャストだが、発動する魔法が同じ種類のものであれば、混信による発動障害は生じない。
 幸い――この場合は、という限定がつくが――レオの私有CADは頑丈さと機械的な信頼性を重視したもので、起動式展開のスペック面では二世代前の物、つまり九校戦の規格に収まる物だった。
 音声認識スイッチの曖昧さとタイムラグは達也の趣味に合わないのだが、今回は本人の慣れを優先すべき状況、ということで、インストールされている起動式に(大幅に)手を加えただけで、私有のCADをそのまま使わせているのである。
 そしてその目論見どおり、レオのCADは完全な「後出し」だったにも関らず、移動魔法による敵の攻撃をブロックする魔法を間に合わせた。
 自分が立っている所――自分の靴裏と接触している面を基準点として、自分の肉体と基準点の相対座標を固定する魔法。摩利がバトル・ボードで使っていた魔法の応用、と言うかダウングレード版だ。
 水上を移動するボードと自分の身体の相対位置を固定しながらも肉体を自由に動かせるよう構成していた摩利の魔法と違って、レオが今使った『固定』の魔法は不動の床を基準点とし自分の四肢頭部胴体が動かないようにするもの。継続時間もほんの一瞬だ。
 だが大幅にダウングレードされているが故に、敵の魔法が発動している途中からでも、その相殺を間に合わせることが出来るのである。
 このビルは、学校の校舎を想定しているのだろう。
 破れた窓から、廊下を横切る敵選手の姿が見えた。
 レオは右手を引いて突きを繰り出す体勢を作ったが、敵は既に走り去っていた。
 倒れたまま時折痙攣しているオフェンス選手へ慎重に接近して、ヘルメットを脱がせる。
 これは「首を取った」という意味の象徴的な行為であり、ヘルメットを取られた選手はそれ以上の競技行動を禁止される。
(さて、とりあえず一人かよ……)
 通じないと知りつつ、レオは頭の中で話し掛けた。
(頼むぜ、達也。
 こっちは結構ギリギリだ)

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の喚起魔法によって、彼に貼り付けられた(・・・・・・・)精霊が活性化した。
 彼にSB魔法は使えない。
 活性化したSB(心霊存在)を察知することは出来ても、SBの種類を見分けられないのだから、制御のしようがないのだ。
 だが、喚起魔法を発動するだけなら出来る。
 人為的に作られた彼の仮想魔法演算領域は、意識領域内に作られているが故に、起動式(=魔法式の設計図)が記述されている魔法式であれば如何なる魔法であろうと、起動式を意識的に読み解くことで、魔法式を組立てて投射するところまでならば可能なのである。
 それは魔法を使っているというレベルではなく、単に魔法発動のプロセスを模倣しているだけに過ぎない。
 だがそこに必要な情報が記述されていれば、模倣であろうと記述された範囲の効果は発揮する。
 幹比古が不活性化して達也に貼り付けた精霊は、達也の魔法によって再活性化された。
 そして元々の「主」である幹比古との間に、すぐさまリンクを確立する。
 達也には精霊を制御することが出来ない、が、この場合は彼が制御する必要は無いのだ。
 ある意味、彼の役目は、幹比古とリンクしている精霊を敵の本陣へ連れて来ることだったのだから。
 今の魔法によって、ディフェンダーが彼の存在に気付いたことだろう。
 相手がモノリスを離れ、この階に上がってくるなら望むところ。
 達也は足を忍ばせて移動を開始した。

◇◆◇◆◇◆◇

 自分が「契約中」の精霊に呼ばれ、幹比古は達也が「喚起」に成功したことを知った。
(本当に、何で君が二科生なんだい、達也……?)
 心の片隅でそんな呟きを漏らしながら、幹比古は遠く離れた精霊へ意識を集中する。
 実のところ、魔法にとって物理的な距離は、余り関係ない。
 巨大な情報プラットフォームであるイデアには、物理的な距離などそもそも存在しないからだ。
 本来であれば、イデアを経由しない、サイオンを直接撃ち出す類の無系統魔法だけが物理的な距離の影響を受ける。
 だが、人間は五感に縛られ、経験に縛られるものだ。
 物理的な距離が遠ければ、「遠い」と認識してしまう。
 この認識上の(・・・・)距離が、魔法にとっての「距離」となる。
 認識上の距離が遠くなれば、それだけ魔法も効き難くなる。
 だから、遠くのものに魔法を掛ける秘訣は、対象物を近くに感じる(・・・)ことなのだ。
 その点、SB魔法――精霊魔法は、精霊と意思を通わせることで、精霊を近くに感じることが出来る。
 精霊魔法は、物理的な距離を飛び越えやすい魔法と言える。
 ――今のように。
(……見えた)
 視覚同調。
 招き寄せた精霊から話を聞くのではなく、影響下に置いた精霊からイデアを経由したリンクを通じて情報を取得する技術が、精霊魔法の『感覚同調』。
 それを視覚情報に限定することによって、より鮮明な映像を取得する技が『視覚同調』である。
 幹比古は風の系統に属する精霊を操ることで、容易に敵モノリスの位置を突き止めた。
「達也、見つけたよ」
 だが、ここからが本番だ。
 幹比古は敵陣の精霊とレオにつけた精霊、二つのリンクを維持したまま、達也に話し掛けた。

◇◆◇◆◇◆◇

(早いな……もう見つけたのか)
 精霊魔法とは便利なものだ、と呑気なことを考えながら、彼の肉体は最高度の緊張を保っていた。
 何せ今彼は、天井にぶら下がっているのだから。
 左右に眼を配りながら慎重な足取りでディフェンダーが通り過ぎて行く。
 通信の声を聞きつけたのだろうが、まさか頭上にいるとは思い至らなかったようだ。
 いや、と達也は思う。
 彼の見るところ、この選手は緊張による視野狭窄を起こしている。
 階段を駆け上がってきたのか、少々息も乱れていた。
 あまりディフェンス向きの選手ではないように思えたが、敵の配役ミスは歓迎すべきことであって、同情するのは偽善というものだろう。
 このままやり過ごそうか、とも考えたが、達也は身体を支えていた両手を離し、身を捻って着地する空中で右腰からCADを抜いた。
 着地と同時に引き金を引く。
 相手は振り返る素振りも見せない。
 発動した魔法は、単純なサイオンの衝撃波。
 ほんの数秒、脳震盪の錯覚(・・)を誘発して戦闘不能にするだけの術式。
 実戦であればその数秒は決定的なアドバンテージとなるが、これは直接攻撃が禁止されたスポーツの試合。
 達也は相手選手の体勢が崩れたのを眼の端に留め、幹比古からもたらされた座標の真上へ向けて走った。
 僅か二部屋の目的地点まで、十秒も掛からない。
 ディフェンダーがようやく動き出した気配を捉えながら、達也は真下へCADを向けた。
 このビルは一階層の高さが三メートル五十。
 五階の床から三階の床まで、約七メートル。
 余裕で「鍵」の射程、十メートル以内だ。
 引き金を引く。
 微かなエイドス改変の手応えが返って来た。
 達也は念の為、来た方向とは逆側の階段から、下の階へ向かった。

◇◆◇◆◇◆◇

 精霊と同調した視覚は、幹比古にモノリスの内側に刻まれたコードを見せていた。
 視点を移す。
 現在、レオは敵と接触していない。
 少しばかりの幸運を祈りつつ、精霊から送られてくる視覚情報に従って、幹比古はウェアラブルキーボードにコードを打ち込んでいった。

◇◆◇◆◇◆◇

 試合終了のサイレンが鳴った時、
 達也はディフェンダーが繰り出す『鎌鼬(カマイタチ)』から逃げ回り、
 レオはモノリスを背中に一か八かの突撃を繰り出そうとしているところだった。
「ふぅ……スリル満点の試合だったわね」
「アイツ……最後は遊んでたんじゃないか?」
「えっ、そうなの?」
「……あんな攻撃、かわすのは簡単だろうに……何故さっさと倒してしまわないんだ」
「そうしたくても出来なかったんだと思うけど」
 苦りきった表情で達也を(なじ)った摩利に、真由美は醒めた声で反論した。
「何故だ? 前の試合で使った『共鳴』だって服部を倒したあの魔法だってあるだろう」
「はんぞーくんに使った魔法は、競技用CADではハードの性能不足で処理出来ないんですって。
 前の試合の『共鳴』も、相手を完全に沈黙させるまでには至らなかったでしょう?
 摩利、忘れたの?
 私たちが達也くんに代役を押し付けた(・・・・・)のは昨日のことで、彼は準備期間に一晩しか与えられていないのよ?
 その一晩で、西城くんのCADを調整して、吉田くんのCADを調整して、二人の得意技を活かした戦術を考えて……
 摩利が達也くんのことを買っていて、それで歯痒くなるのは分かるけど、準備時間も与えずに高過ぎる期待を押し付けるのはチョッと無責任だと思うな」
「それは……そうだな…………」
 頻りに首を振って反省の意を表していた摩利が、ふと、その動作を止めた。
「……ところで真由美」
「むっ、何よ」
 なにやら陰湿な(?)報復の気配を感じ取って、真由美が身構える。
 だがそれは多分、摩利の思うツボだった。
「達也くんのことを随分熱心に弁護するじゃないか」
「なっ!? ち、ちがっ……」
「照れるな照れるな。
 まあ……あのシスコンっぷりじゃ、いくらお前でも苦戦は免れんと思うが……」
「違うって言ってるでしょ!」

◇◆◇◆◇◆◇

 摩利の疑念は女子高校生らしい(と言えば語弊があるかもしれない)脱線により有耶無耶になったが、観客席には同じような不満を異なる確信を以って漏らした者もいた。
「結局、使った魔法は『術式解体』『共鳴』『幻衝(ファントム・ブロウ)』に加重系統か……『分解』を使わぬのは解るが、フラッシュ・キャストも『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』も使わぬとは、手抜きが過ぎるのではないか?」
「彼には秘密にしなければならない事情があるんですよ。先生もご存知でしょう?」
「しかしな、藤林……フラッシュ・キャストはともかく、『精霊の眼』は使ったからといって、そんじょそこらの魔法師が端から見ているだけで、何をしているのか分かるという類のものではないぞ」
 独立魔装大隊の山中軍医少佐と藤林少尉は、観客席で随分と突っ込んだ会話を交わしていた。知識がある者が聞けば飛び上がって驚きそうな内容だが、目立たぬ夏服姿で客席に紛れ込んでいる二人は、一見、恋人同士――ではなく、医者と看護師に見えていて(先生、という呼称も誤解に一役買っていた)、断片的に聞こえてくる耳慣れぬ単語も超心理医学関係の専門用語だろう、と回りの観客がスルーしていたのだった。
「それでも、見えないはずのものが見えているように行動すれば、注意深い者の不審を誘うでしょう。
 『精霊の眼』は知覚魔法というより異能ですからね。
 事に依ると『分解』以上に耳目を集めることになります」
 彼らが話題にしている『精霊の眼』は、達也が持つイデアの「風景」を観る能力のことだ。
 系統魔法は、イデアを経由してエイドスに魔法式を投射するもの。
 つまり系統魔法を使う魔法師は皆、イデアにアクセスする能力を持っているのであり、イデアにアクセスして「存在」を認識することが出来る達也の知覚はこの能力を拡張したものと言える。
 だが……その「拡張」がもたらす効果は、絶大だ。
 この世界に実体を持って存在する限り、イデアにエイドスを刻まぬものは無いのだから。
 また、五感や「透視」や補助システムのもたらす情報によって魔法の座標を定めるのでなく、エイドスを認識して直接照準することも出来る。(透視によってもたらされる映像は対象物の映像であってエイドスの「姿」ではない)
 『精霊の眼』に狙われて逃れられる者は、存在しない(・・・・・)ものだけなのだ。
 ところで『精霊の眼』という名称は、実は誤った翻訳であり、それが定着してしまった為に本来の意味が解らなくなってしまった「専門用語」である。
 エレメンタル・サイトの本来の意味は「元素を視る力」。この場合の「元素」は四大元素説に代表される象徴元素のことだ。
 ところがこの言葉を最初に翻訳した学者が、形容詞として使われている「エレメンタル」を名詞の「エレメンタル(四大精霊)」と勘違いしてしまい、「四大精霊の眼」を縮めて『精霊の眼』としてしまったのだ。
 無論、その勘違いに気付いた者は大勢いたが、『精霊の眼』の語感が『元素視力』より魔法的だという、詩的であっても少々非科学的な理由で、修正されないまま放置されてしまったのである。
 こういう「誤訳」は専門家とそれ以外の人々をますます隔ててしまう有害物なのだが……それを誰も直そうとしないのは、困ったことというべきか、嘆かわしいことというべきか。
 閑話休題。
 藤林の言っていることは、山中も先刻承知だ。
 『精霊の眼』もまた、『雲散霧消』同様に機密指定されてもおかしくはない技能なのだから。
 しかしそれでも、山中は納得しなかった。
「手の内を見せるなと言ったのは我々も同罪なのだろうが……」
 暗に四葉の秘密主義を非難した山中に対し、
「でも多分、フラッシュ・キャストは使うことになると思いますよ。
 いくら彼でも『プリンス』と『カーディナル』を相手にして、低スペックのCADだけでは戦えないでしょうから」
 藤林はこの場をそう締め括った。

◇◆◇◆◇◆◇

 観客の誰もが達也のことばかり注目していた訳ではない。
 観客の目は寧ろ、初公開の武装デバイスで派手なアクションを見せて(魅せて?)いるレオに集まっていた。
 そして少数ではあるが、遠隔地点から五百十二文字ものコードを正確に「透視」した幹比古に注目した観客もいる。
 その絡繰(カラクリ)を知らない観客も――知っている観客も。
「……なんだ、ミキったら……昔どおりじゃない」
「えっ、何が昔どおりなの、エリカちゃん?」
 思わず漏らした独り言に首を傾げて食いついて来た美月を、適当な言葉であしらいながら、エリカの意識は自分の世界へ沈み込んで行った。
 幹比古が何をやったのか、自分で言うより、自分で思っているより幹比古との付き合いが深かったエリカには理解できた。
 『感覚同調』は決して簡単な技術ではないが、事故を起こす前の、「天才少年」だった頃の幹比古ならば、息をするように当たり前に出来たことだ。
 だが、あの事故以来、こんなにスムーズに魔法を行使することは出来なくなっていたはずだった。
(なんだ……もう、心の傷は癒えているんだ)
 時々、身体の傷は治るけど心の傷は治らない、という感傷的な台詞を耳にすることがある。
 しかし実際には、身体の傷も、治る傷と治らない傷がある。
 同じように心の傷も、癒える傷と癒えない傷があるはずだ。
(ミキ……気付いてる? 今日のアンタは、前と同じように魔法が使えてるよ)
 エリカは精霊を見分ける力を持っていない。
 精霊を視る眼は、備わっていない。
 だから、精霊魔法が成功したかどうか、直接確認することは出来ないが、彼女は対人魔法戦闘を磨き続けた千葉家の娘だ。
 一寸した仕種や目線の動き、表情の変化などから、その人間が何時魔法を使ったか、何に魔法を使ったか、それが成功したか失敗したか、ある程度までなら読み取ることが出来る。
 その、千葉家の娘としての眼、「剣士の眼」は、幹比古が思い通りに(・・・・・)魔法を成功させたことを見抜いていた。
(じれったいわね、ホント……早く気付きなさいよ。アンタはもう、立ち直っているのよ)
 「力」は戻っても「自信」は戻っていない。
 何気ない表情からそんな事まで分かる程度には、子供の頃からの付き合い、無理矢理に付き合わせ付き纏っていた実績の積み重ねがある。
 後はもう、本人が自信を取り戻すだけ。自分を、信じる、ただそれだけで――
「……リカちゃん、どうしたの? エリカちゃん!」
「えっ? なに?」
「えっ、なに、じゃないよ。
 どうしたの、急に考え込んじゃって?
 何か心配事?」
「えっ、うん、まあ、心配事って言えば心配事かな。
 さっき、結構ピンチだったじゃん?
 次の試合、大丈夫かなぁ〜、って」
 咄嗟にでっち上げた言い訳に、「そういえば」とか「でもきっと次も」とか「応援するだけ」とか素直に誤魔化されてくれている美月を放置して、エリカは再び自分の世界へ沈み込んで行った。

◇◆◇◆◇◆◇

 決勝トーナメントの組合せが発表された。
 準決勝第一試合、第三高校vs第八高校。
 第二試合、第一高校vs第九高校。
 予選リーグの成績は、一位・三高、二位・一高、三位・八高、四位・九高であり、大会規定通りなら準決勝は三高vs九高、一高vs八高になるはずなのだが、一高と八高はつい先程試合をしたばかりであり、またしても特例が適用されることになったのである。
 トーナメントの開始は正午。
 達也たちの出番は第二試合だが、三高の試合を見逃す訳には行かない。
 少し早い昼食になるが、達也はランチボックスを手に深雪を連れてホテルへ戻って来た。
 ――テントは落ち着いて食事を摂れる状態ではなかったのである。
 レオと幹比古は一足先に自室へ避難していた。
 ほのかは一緒に来たそうな顔をしていたが、彼女に誘発されて他の同級生たちがゾロゾロとついて来るという事態になればテントを抜け出した意味がない。そう耳打ちして雫が止めてくれたのである。
 色々な種類の視線――深雪に向けられた熱い視線が最も多かった――を振り切るように足早に競技エリアを抜けてホテルのロビーへたどり着いた兄妹は、そこで珍しい光景を目にした。
「んっ?」
「まあ……」
 ロビーの一角に、恥じらいにほんのりと頬を染めて、摩利が立っていた。
 彼女の目の前には、少し年上の若い男性。
 十歳は違わないだろう。
 達也よりせいぜい四、五歳上、大学生か、あるいは――士官学校生か。
 摩利に年上の恋人がいるらしい、ということは二人とも知っていた。
 この青年が、彼女の恋人だろうか。
 中背というより長身の部類、達也より僅かに背が高いくらいだろうか。
 身近にその手の専門家が多かった二人には、その細身の引き締まった身体がアスリートのものではなく、武術・格闘術の類で鍛え上げられたものと一目で分かった。
 涼しげな眉目は、世間一般の嗜好に照らして美男子と形容されるもの。
 二人は似合いのカップルと言えた。
 不意に、達也の足取りが鈍った。
「お兄様?」
 半歩先に出た深雪が、小首を傾げて振り返った。
 達也は別に、冷やかしてやろうとか出歯亀してやろうとか怪しからん事を企んだのではない。
 青年の顔に見覚えがあったのだ。
 記憶を検索するのに、一瞬、足の方が疎かになったのである。
「……流石は九校戦。あちらこちらで有名人に出会えるな」
 話を聞いてみたい、という思いが意識を掠めたが、自重すべき場面であることは充分理解していた。
「ご存知の方なんですか?」
「その方面では世界的な有名人だ」
 横に並んで深雪を促す。
 答えは歩きながらにするつもりだった。
 だが、彼が思いとどまった「逢瀬の邪魔」を敢行した者がいて、その些か甲高い声に達也も深雪も足を止めることになった。
次兄上(つぐあにうえ)! 何故このような所にいらっしゃるのですか!?」
 聞き慣れた声が、いつもと異なる丁寧な言葉遣いで、青年を糾弾していた。
「兄上? ではあの方はエリカの……?」
 大股で青年に詰め寄るエリカから視線を戻して、深雪は達也に確認を求めた。
「俺の記憶違いでなければ、二番目の兄上だ。
 『千葉の麒麟児』、千葉修次(ちば・なおつぐ)。
 まだ士官学校の候補生でありながら、三メートル以内の間合いなら世界でも十指に入る使い手と噂されている魔法白兵戦技の英才だよ」
「そのように凄い方だったのですか。
 ……しかし、そのような方なら、エリカにとっても自慢の兄君でしょうに、何やら尋常な剣幕ではありませんが」
「そうだな。
 修次氏は、千葉家の中では異端視されているとも聞いているが……
 エリカが『正統』に拘る性格とも思えないしな……」
「そうですね……」
 兄妹がそのような会話を交わしている内に、エリカは彼女の兄へ食って掛かっていた。――すぐ側に立っている摩利には、目もくれずに。
「兄上は来週まで、タイへ剣術指南の為のご出張のはずです!
 何故ここにいらっしゃるのですか!」
 エリカはすっかり、頭に血が上っているようだ。
 いつも他人や世の中を何処か斜に構えて傍観しているような風情のある彼女には、本当に珍しいことだった。
「エリカ……少し落ち着いて」
「これが落ち着いておられましょうか!
 和兄上(かずあにうえ)ならばいざ知らず、次兄上がお務めを放り投げるなど、昔であれば考えられませんでした!」
「いや、だから落ち着いて……僕は仕事を放り投げてきたわけではなくてね……」
 青年――千葉修次は、その武名に似合わず気が弱いというか、気性が優しい青年のようで、公衆の面前で収まる気配のない妹の昂奮を前に、窘めるでなく、言い訳しか出来ずにいた。
「ほぅ……そうですか。
 では、タイ王室魔法師団の剣術指南協力の件は、(わたくし)の思い違いだと仰るのですね?」
「いや、それはエリカの言う通りなんだけど……無断で帰国したわけではなくて、ちゃんと許可はもらったというか……」
「そうですか。日本とタイの外交にも関わる大事なお務めを中断しなければならなかったのですから、さぞや重要なご用事なのでしょう。
 その大切な大切な緊急のご用事で帰国された兄上が、何故高校生の競技会の会場になどいらっしゃるのです?」
 声のトーンはマシになったが、反比例してエリカの機嫌は急角度で傾いているように、達也には見えた。
 多分、修次にもそう見えていることだろう。
 その証拠に、彼の顔は少しばかり、引きつり始めていた。
「いや、外交ってそんな、大袈裟な……士官学校の候補生同士の親善交流で、大学生の部活の一環みたいなものなんだけど……」
「兄上っ!」
「はいっ」
「学生レベルの親善であろうと部活であろうと、正式に拝命した任務ではありませんか!
 疎かにしていい理由などございませんっ!」
「はいっ、仰るとおりです!」

 世界で十本の指に入る猛者、の意外な姿に、達也は驚きを禁じ得なかった。
「……恐妻家という言葉は聞いたことがあるが、恐妹家というのは一寸記憶に無いな……」
 何となく直視し辛くなって目を逸らすと、少し離れた所で美月がオロオロしているのを見つけた。達也が手で合図すると、美月はホッとした顔で小走りに駆け寄って来た。
「達也さん……エリカちゃん、どうしちゃったんでしょう?」
「どうしたんだろうな、本当に……?」
 美月に問われても、首を捻ることしかできない。
「お兄様、エリカは八つ当たりしているのだと思いますよ?」
 すると、深雪が笑い出すのをこらえているような声で、達也には意味不明の説明をしてくれた。
「八つ当たり?
 何についての八つ当たりなんだ?」
「きっと、もうすぐ分かりますよ」
 ますます訳が分からず首を捻った達也たちの視線の先で、「兄妹喧嘩」は新たな局面を迎えていた。

「兄上、まさかとは思いますが、この女に会う為に、お務めを投げ出したのではないでしょうね?」
「いや、だから投げ出したのでは……」
「そのようなことはお訊きしていませんっ」
 兄の言い訳をピシャリと遮ると、今まで(おそらく、意識的に)無視していた摩利を一度、ジロリと見て、エリカは修次に視線を戻した。
「全く、嘆かわしい……
 千葉の麒麟児ともあろう兄上が、こんな女の為にお務めを疎かにされるなんて……」
「……エリカ、あたしは一応、学校ではお前の先輩になるんだがな。『こんな女』呼ばわりされる覚えはないぞ?」
 それまで沈黙を守っていた、と言うより沈黙に耐えていた摩利が、遂に黙っていられなくなった、という感じで口を挟んだ。
 だがエリカは、摩利の言葉を完全に無視した。
「そもそも兄上は、この女と関わり始めてから堕落しました。
 千刃(ちば)流剣術免許皆伝の剣士ともあろう者が、剣技を磨くことも忘れて小手先の魔法に(うつつ)を抜かして……」
「エリカ!」
 多分それは、修次にとって禁句だったのだろう。
 それまでの気弱な態度が嘘のような、気迫のこもった叱責に、エリカはビクッと身体を震わせた。
「技を磨く為には常に新たな技術を取り入れ続ける必要がある。
 僕がそう考えて、そうしたのだ。
 摩利は関係ない。
 今回のことも、摩利が怪我をしたと聞いて、僕がいてもたってもいられなくなっただけだ。
 摩利は来なくても良いと言ってくれたんだぞ。
 それでなくとも先刻からの礼を失する言動の数々、千葉の娘として恥を知るのはお前の方だ」
「…………」
 唇を噛み締め、黙り込み、それでもエリカは修次から目を逸らさなかった。
「さあ、エリカ。摩利に謝るんだ」
「……お断りします」
「エリカ!」
「お断りします!
 兄上が正式な任務を放棄してこの場におられることは紛れもない事実です!
 それがこの女の所為であることも!」
 しかし、またしても形勢は逆転、気味だった。
(わたくし)の考えは変わりません!
 次兄上は、この女とつきあい始めて堕落しました!」
 クルリと身を翻し、足早に、走り出さないギリギリの速さで、エリカは兄の前から立ち去った。

◇◆◇◆◇◆◇

「エリカちゃん、待って、エリカちゃん!」
 ロビーからエレベータホールに入った所――ロビーが完全に見えなくなった所で、エリカはようやく美月の声に振り返った。
 そして、あっ、という形に口を開けた。
「……達也くん。深雪も……もしかして、聞かれちゃった?」
 その口調も表情も、いつものエリカだった。
 だが達也には何となく、エリカが泣き出すのをこらえているように見えた。
「すまん……盗み聞きするつもりはなかったんだが」
「達也くん、今度奢りね」
「おいっ!?……まあ、いいか。あんまり高くないもので頼むぞ」
「商談成立、っと」
 エリカはいつもの、気まぐれで飄々とした笑顔で笑って見せた。
 彼女がいつも通りの態度をとって見せる(・・・)なら、達也も変に気を遣って逆に気を遣わせるのは本意でなかった。
「エリカ、お昼は?」
「うん? まだ早いじゃない……っと、そうか。
 うん、あたしはまだ食べないけど、ご一緒はしたいかな」
 深雪の問い掛けに、エリカは半分否定、半分肯定の返事を返した。
「お兄様?」
「そうだね。
 俺たちは部屋で済ませるつもりなんだが、こっちが食べながらで良かったら付き合わないか」
「うん、行く行く! 美月も来るでしょう?」
「はい、えっと、お邪魔します」
「……いや、別に邪魔じゃないんだが」
「ふぇっ? そういう意味じゃありませんよ!」

◇◆◇◆◇◆◇

「もぅ……達也さん、からかうなんて酷いです」
 雰囲気を変える為の出汁にされた美月は、ベッドに腰を下ろしてもまだご機嫌斜めだった。
 まあ、彼女が本気で責めている訳ではないことくらい理解出来たので、達也は苦笑しながらサンドウィッチをパクついていた。
 美月も達也も、そのままさっきのことはスルーする方向へ持って行くつもりだった。
「さてと……達也くんも深雪も美月も、あたしに何か聞きたいことがあるんじゃない?」
 だが当の本人――エリカが、先程の一幕について、蒸し返してきた。
「渡辺先輩が交際されている方って、エリカのお兄様だったのね」
 唯一、平気な顔でその話題に乗ってきたのは深雪だった。
「そっ。あのバカ兄貴、あんな女に誑かされちゃって、情けないやら腹立たしいやら……」
「世界的な剣術家でいらっしゃるのでしょう?
 憎まれ口でも『バカ兄貴』なんて言うものじゃないわよ?」
「あれっ?
 ……ああ、そうか。達也くんだったら修次兄貴のことを知ってても不思議じゃないね」
「エ・リ・カ。
 わたしたちの前だからといって、呼び方を変える必要はないのよ?
 修次兄上(・・)なのでしょう?」
「あ〜〜っ、それ、忘れて!
 あんなのあたしじゃないって!」
 エリカはいきなり頭を抱えて、ベッドにダイブした。
 彼女的には、ああいう「育ちの良い」言葉遣いは恥ずかしいのだろう。
 ……それより、男が使っている枕に俯せで突っ込む方を恥じらって欲しいと、達也は困惑気味に思った。
「まあまあ。
 エリカは修次さんが大好きなのよね」
「…………」
 硬直したのはエリカだけではなかった。
 深雪が投下した冷凍爆弾は、達也も美月も瞬時に凍り付かせてしまった。
「……違うっ!!」
 ガバッと起き上がりながら、エリカが叫んだ。
 枕から顔を離しながらの言葉だったので「ガウッ」としか聞こえなかったが、この場合の反応としてはそれでも相応しいように感じられた。
 追い詰められて雄叫びを放つ怪獣のような分かり易い(・・・・・)態度に、深雪がクスクスと笑いを溢している。
 そして、更なる爆弾を投下。
「エリカって、ブラザー・コンプレックスだったのね」
「なっ……」
 エリカは絶句した。
 そして、臨界点越えの爆発を起こした。

「アンタにだけは言われたかないわよコノ超絶ブラコン娘!!」

 ――その直後に生じた出来事を、達也も美月も一切、口にすることはなかった。

 推敲が思ったより早く終わりましたので、予定を一日繰り上げて第20話を投稿します。
 ただ申し訳ございませんが、ご感想の御返事は明日以降にさせて下さい。
 情けないことですが、今日はこれが精一杯です……


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