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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(15) 新人戦〜氷炎〜
 九校戦五日目、新人戦二日目。
 氷柱倒し(アイス・ピラーズ・ブレイク、日本語名称は「ひょうちゅうたおし」。「つららたおし」ではない)は一見、アラスカとかシベリアとかスカンジナビアとかの極寒地方を持つ国で考案された競技と思われがちだが、実はこの日本が発祥地である。
 一日目は一回戦十二試合、二回戦六試合、男女合わせて三十六試合が行われ、使用される氷は八百六十四本、千七百二十八立方メートル。
 これだけの製氷能力を確保する為には余程強力な冷凍装置が無ければならず、自然環境より電機技術が進んでいることが必要だ。
 また、それだけ大量の水も当然必要となる。(無論、水については大部分再利用されるのだが)
 潤沢な水資源と先進電機技術。
 この競技が日本で生まれた所以だ。
 野戦工作用の特殊車両が大型の機械アームで一メートル×一メートル×二メートルの氷の柱を等間隔に並べていく。
 こういう光景を間近に見ると、前世紀のロボットアニメが現実のものとなる日もそんなに遠いことではないという気になってくる。
「……効率性を無視すれば、だけどね」
「お兄様? 何のことでしょうか?」
 馬鹿げた空想を否定する為の言葉が、つい独り言になって洩れていたらしい。
「いや、何でもないんだ」
 意味の無い回答に対する再度の質問は無かった。
「そろそろ行こうか」
「はい」
 元々試合に向かう途中で少し足を止めただけのこと。
 達也は深雪を促して、「櫓」の根元に隣接する控え室へと向かった。

◇◆◇◆◇◆◇

 今日最初の試合となる一回戦第一試合の開始まで、まだ三十分以上ある。
 達也は十分に余裕を持って会場入りした――はずだった、
「おはようございます!」
……のだが、そこには既に、第一試合の出場選手が来ていた。
「おはよう……ごめん、待たせてしまって」
「いえいえ、私が早過ぎたんですから」
 女子ピラーズ・ブレイク第一試合の選手、明智英美(あけち・えいみ)は笑顔で首を振って、顔に掛かった、ルビーのような光沢の赤い髪を、片手でかき上げた。
「おはよう、エイミィ。早いわね?」
「おはよう、深雪。
 何か、目覚まし鳴る前に目が覚めちゃって。
 昨日の興奮が抜けてないみたい」
 彼女のもう一つの名前はアメリア=ゴールディ。フルネームで英美=アメリア=ゴールディ=明智。英美はイングランド系のクォーターなのだ。
 エイミィという愛称は、「英美(エイミ)」という日本名より寧ろ、「アメリア」という英国名に由来している。
 魔法師としての能力は遺伝的素質に大きく左右される。
 魔法が国力と強く結びつくにつれて、各国は魔法師の血を囲い込み、公然あるいは非公然と魔法師の国際結婚を禁止するようになった(表向き婚姻の自由を標榜するこの国では「非公然」である)。
 しかし達也たちの祖父母の世代では、「優秀な血」の「交配」によって、より優れた魔法師を「開発」するという目的から、同盟国間で魔法師の国際結婚が奨励された時代がある。
 その結果、魔法科高校には全高校の平均を上回る比率で、西欧系及びインド系の血統を持つ生徒が在籍している。
 レオもその一人。そしてこの明智英美という女子生徒もその内の一人だ。
 本人の台詞からも分かるとおり、彼女は昨日のスピード・シューティングにも出場しており、達也と組むのも二日連続。深雪たち三人を除けば女子チームの中で最も早く達也に打ち解けたのは彼女であり、達也にとっても気分的に楽な相手だった。
 二人が挨拶代わりの軽口を交換する傍らで、達也は手に提げて来たケースからCADをテキパキと取り出し、ざっと外回りをチェックしてから英美に手渡した。
 少女の手には些か不似合いな、全長五十センチの無骨なショットガン形態・特化型CAD。
 反動を考慮しなくて良い分、実弾銃に比べ大幅に素材の軽量化が図られているとはいえ、拳銃形態の物に比べれば見た目に応じた重量を有するそれを、英美はウェスタンムービーよろしくクルクルと振り回し、窓の外へ向けてピタリと構えを取った。
「……エイミィ、貴女本当は、イングランド系じゃなくてステイツ系でしょう?」
「違うって何度も言ってるのに、深雪までそんなこと言うの? グラン・マの実家はテューダー朝以来『サー』の称号を許されているんですからね」
 台詞の内容に反して、口調は気さくそのものだ。
 そのままのポーズでCADにサイオンを流す。
 何時の間にセイフティを解除したのか、森崎のクイック・ドロウとはまた別の意味で、鮮やかなCADアクションである。
「どうかな?」
「うーん……雫の気持ちが分かりますねぇ」
 大富豪・北山家の令嬢が達也を「お抱え」にしようとアプローチしていることは、一年女子チームの間に知れ渡っている。
「問題ない?」
「ええ、バッチリです」
 構えを解いてニコッと笑う英美。
 髪の色と瞳の色以外は日本人の血が色濃く表れている彼女の外見は、同級生より寧ろ子供っぽい印象がある。
 今の笑みも「ニコッ」というより「にぱっ」という効果音をつけたくなるような無邪気なものだった。
「……自分じゃ気づかないのか……」
「?」
 その笑みは達也の独り言に首を傾げている間も消え去ることは無かった。
「少し調整するよ。
 ヘッドセットをつけてくれる?」
「えっ、何故です?」
「エイミィ、君、実は早起きしたんじゃなくて、昨日あまり眠れてないでしょ?」
 しかしこの思わぬ指摘には、流石に笑っていられなかったようだ。
「……分かります?」
 目を丸めた質問に達也は無言で頷きを返し、英美の手からCADを受け取って調整機にセットした。
「……ウチの親より鋭いかも」
 素直に測定用のヘッドセットを着けた英美は、「まいったなぁ」と言いたげな口調で呟きながらセンサーパッドに両手を置いた。
 計測数値が次々と並ぶディスプレイを見ながら、達也の表情は徐々に険しいものになっていく。
 そして達也の表情の変化とともに、英美の身体が徐々に縮こまっている様に、深雪には見えた。
「……あの、お兄様?」
 具体的な指摘は何も無かったが、達也はその声にハッと顔を上げて、愛想笑いしながら眉間を指で揉み解した。
「……もしかしてエイミィも、サウンドスリーパーを使わない人かい?」
「もっ、て、司波君も?」
 幾分和らいだ表情で達也は頷く。
「ワァオ、お仲間♪
 あれって何か、気持ち悪いじゃないですか。妙なウェーブが出てて」
「一応健康に害は無いことになっているけど……気持ち悪いのは同感。
 だけどどうしても眠れない時はまた別の話だよ。
 特に、次の日に試合を控えているような場合は」
「は〜い」
 親に叱られている子供のような返事に、達也は苦笑するしかなかった。
「じゃあ、フィードバックを少し強めにしておくから……刺激が強いように感じるかもしれないけど、我慢すること。
 寝不足で負けたなんて言われたくないだろ?」
「我慢するからお願いします!
 そんなことになったら、みんなのオモチャにされちゃうよ」
 台詞だけなら大した意味は無かったが、そう言いながら顔を赤らめてスラックスの上から微妙な辺りを手で押さえたりしているものだから、達也はたっぷり一秒、ピシリと固まってしまった。
「……疑うようなことは言いたくないが、深雪……お前たちは部屋で何をしているんだ?」
「い、嫌ですね、お兄様、深雪は何も疚しいことなどしておりませんよ!」
「そっか〜、深雪の部屋は安全地帯なのね」
「エイミィ! お兄様の前で変な事を言わないで!!」
 居心地の悪い沈黙がステップを踏んで控え室を一周した。
「……あ〜、幸い競技は朝一番だし、試合が終わったら二回戦まで仮眠を取ること。深雪、悪いけど、『カプセル』が使えるように手配してきてくれないか」
「分かりました。すぐに戻って参りますので」
 感覚遮断カプセル(完全防音、防振、遮光の閉鎖型ベッド)を借りる為の手続に深雪を送り出して、達也はCADの微調整を始めた。

◇◆◇◆◇◆◇

 第一試合は些かドーピング気味ではあったが、残り三本で何とか勝ち抜いた。
 ちなみにその反動で、英美は今、「暗いよ〜」とか「狭いよ〜」とかごねる暇も無く熟睡に近い眠りについている。
 そして第五試合、一高女子にとっては二試合目が始まる前の控え室。
(同じようなことをつい最近、口にした記憶があるぞ)
 達也はそう思いながら、やはり、そう言うのを止められなかった。
「雫……本当にその格好で出るのか?」
「そうだけど?」
 何かおかしい? という表情で問い返されて、達也は頭を抱えたくなった。
 ピラーズ・ブレイクは高さ四メートルの櫓の上から十二メートル四方の自陣に配置された氷柱十二本を守りながら、十二メートル四方の敵陣の氷柱十二本を先に倒す、あるいは破壊するという競技である。
 選手は純粋に遠隔魔法のみで競い、肉体を使う必要は全く無い。
 それはつまり、この競技に選手の服装は一切影響しないということだ。(CADを構えるのに邪魔になる、とかいう服装は論外だが)
 ルール上も服装に対する規制は唯一つ、「公序良俗に反しないこと」。
 その結果、必然的に――とは思いたくないが、何時の頃からか女子のピラーズ・ブレイクはファッション・ショーの様相を呈していた。
 ちなみに花音は私服とほとんど変わらないスポーツウェア。丈の短いスパッツと、それがスッポリ隠れてまるでミニワンピのように見えるシャツと、太ももまであるニーハイ・ソックスにスニーカーだった。
 英美は白のハイネックシャツに赤いライディングジャケット、白い細身のスラックスに黒のロングブーツ、同じく黒のホースキャップという乗馬服スタイル。
 しかしまあ、ここまでは良くあるコスチュームで、それほど派手な部類でもない。
 だが、雫の衣装は……
「なあ、雫……」
「なに?」
「その振袖……邪魔にならないか?」
 そう。
 問答無用で「振袖」だった。
「大丈夫だよ。
 袖は小さめだし、襷を使うから」
 そう言って、達也の見ている前で器用に襷を掛ける雫。
 その淀みの無い仕草を見ていると、彼女が和装に慣れているということが分かる。
 しかし――
(襷で袂を抑えなきゃならんのなら、最初から振袖は止めた方がいいんじゃないか?)
 やはり達也は心の中で、そうツッコまずにはいられなかった。

 試合前にそうそう余分な時間が取れるはずも無く、達也はすぐに説得を諦めた。――気合を入れる為に「正装」したのだ、と言われれば、引っ込むしかなかったのである。
 雫が選択した――というか、達也が彼女に持たせたCADは汎用型。
 これは攻守にバランス良く力を配分した戦術を取ることを意味している。
 達也も奇策ばかり使う訳ではない。
 と言うか、達也本人には「奇策」を弄しているという意識はないのだ。
 彼としては、プレーヤーにとって最適の道具と、それを活かす作戦を提供しているだけなのだ。
 故に正攻法が最も効果的な場合は迷わず正攻法を採用する。
 今回がそれだった。
 雫がステージに姿を見せると、その奇抜な(・・・)スタイル故か、観客席がどよめいた。
 しかし本人は何処吹く風とばかり平気な顔で、襷によって露わになった左腕を胸の前に持ち上げた。
 雫のCADは普段使っているものと同じく、コンソールが腕の内側を向いているタイプ。
 最近では女性魔法師もコンソールが外向きのタイプを主流としている中で、フェミニンなコンソール内向きタイプを愛用しているのは、流石にお嬢様と言うべきか。
 普段の無口無表情から時折容赦のないツッコミを繰り出している姿からは、正直違和感を覚えるが。
 そんな、本人に聞かれたら無言で殴られそうな感想を頭の片隅に抱きながら、達也もモニター機器のピントを合わせた。
 これからの時間は、
 フィールドに集中するのが、雫の役目。
 その彼女に集中するのが、達也の役目だ。

◇◆◇◆◇◆◇

「深雪……達也さんの所に行かないの?」
 一般観客席ではなく、選手・スタッフ用の観戦席で試合開始を待っている深雪に、隣からほのかが問い掛けた。
 一回戦の英美の試合でも、達也がモニター室に上がる直前、深雪は彼と別れている。
 同じ学校の選手なら、モニター室から応援してもおかしくはないのだが――
「ピラーズ・ブレイクは個人戦ですもの。
 わたしと雫はいずれ対戦することになるのだから、手の内を盗み見るのはアンフェアでしょう?」
 手の内ならば、練習中にいくらでも見る機会があったはずだ。
 第一高校といえど、この競技の練習に使える大規模施設をいくつも持っている訳ではないのだから。
 だから深雪が本当に言いたいのは、別のことだ。
 いずれ自分と対戦する選手のサポートに、達也が余計なことに気を取られないように、という配慮なのだろう。
 また雫が、彼女の存在に気を取られないように、という配慮でもあるのだろう。
 ほのかと雫は小学校時代からの親友でありライバルだ。
 中学時代まで、ほのかにとっての最高の好敵手は雫であり、雫にとっての最高の好敵手はほのかだった。
 二人に比肩し得る魔法の才能を持つ子供は、彼女たちのコミュニティに存在しなかった。
 高校に入って、本格的に魔法を学ぶことになって、お互い以外の切磋琢磨するライバルが得られることを、ほのかも雫も望んでいた。
 だが同時に、自分たち以上の才能には巡り会えないのではないかという思いも心の片隅に棲みついていた。
 同じ学校、同じ塾に十師族の子供はいなかったが、「数字付き」の百家の子弟とは何人か知り合った。
 その中にも、好敵手と呼べる同級生はいなかった。
 しかし、そんな彼女たちの「思い上がり」は、高校の入学試験で、粉々に打ち砕かれた。
 今、隣にいる、この美し過ぎる少女によって。
 定期試験におけるほのかの実技成績は、深雪、雫、森崎に続いて四番目だが、ほのかとしては、雫はともかく森崎に劣っているという意識はない。
 高校最初の定期試験の課題になったのは十工程の単純な術式だった。(十工程の術式を「単純」と言えるのは、ほのかの才能あってのことだが)
 処理に負荷が掛からなかった分、単純なスピードで森崎に後れを取っただけで、もっと工程数の多い複雑な術式ならば自分の方が明らかに上だと、ほのかは考えている。
 しかし深雪は、「別格」だった。
 嫉妬することすらもバカバカしくなるほどの、圧倒的な才能、そして実力。
 彼女が十師族直系と言われても、自分は素直に信じるだろう。
 寧ろそれが当然と思うだろう。
 ――入学試験の会場で、深雪の魔法を最初に見たとき、ほのかはそう思った。
 ほのかは、それと知らず真実に到達していた訳だが、それ程に深雪の魔法は衝撃的で圧倒的だった。
 その印象は入学してから四ヶ月、一向に薄れることはなく、寧ろ益々強まっている。
 いくらマイペースな雫でも、間近に深雪を感じていつも通りの魔法は使えないだろうな、とほのかは思う。
 深雪が本戦のミラージ・バットに回って直接対戦することが無くなったと聞いて、自分は思わず胸を撫で下ろしたくらいなのだから。
 入学試験の時のことを思い出して、連鎖的に、ほのかは「彼」を初めて見た時のことも思い出していた。
 ほのかが達也を意識したきっかけは、実は、あのオリエンテーションの日のトラブルではなかった。
 入学試験の日、深雪だけでなく、達也も偶々、ほのかと同じ試験グループだった。
 この兄妹の外見はそれ程、似ていない。
 全員の名前を記憶する程、ほのかにも余裕はなかった。
 だから達也に目を留めたのは、深雪の兄だから、ではない。
 実技の結果は平凡なものだった。
 スピードも、威力も、規模も、いずれも見るべき所は無く、平均より寧ろ下。
 だが、彼の魔法は、美しかった(・・・・・)
 ほのかは達也のように、魔法式を解析出来る訳ではない。
 美月のように、サイオンやプシオンに対する特別鋭敏な感覚を持っている訳でもない。
 ただ光波振動系統を得意とするほのかは、一般の魔法師に比べて、魔法行使の副作用で生じる光波のノイズに敏感だった。
 余分な魔法力、魔法式の無駄が余剰サイオン波となって空間を震わせ、光子がそれに反応して生じる光波のノイズ。
 そのノイズが、彼の魔法からは全く感じられなかったのだ。
 その意味するところは、一切の無駄がない魔法式。魔法力を全て事象改変に使い切った、計算され尽くした精緻な魔法。
 それをほのかは、美しいと思った。
 今までに見たことのない、美しい魔法だと感じた。
 その後、深雪の圧倒的な魔法を見せられても尚、忘れられない程に。
 だからあのオリエンテーションの日、左胸に八枚花弁のエンブレムをつけていない(・・・・・・)達也を見て、ほのかは裏切られた、と感じた。
 あの日、ほのかが達也たちに過剰な敵意を抱いてしまったのは、その所為だった。

 ――何故貴方はそちら(二科生)側にいるのか!?

 ――何故貴方はこちら(一科生)側にいないのか!?

 そういう理不尽な怒りをほのかは抱いてしまったのだ。
 確かにスピードも威力も規模も、(一科生としての)合格ラインには程遠かった。
 でも、あれほど美しい魔法を編み上げる「彼」が「ウィード」に甘んじているなど、許し難い背信に思えたのだ。
「……ほのか、どうしたの?」
 ハッと顔を横へ向けると、不思議そうに――不審そうに、深雪が自分を見ていた。
 会話の途中で考え事に耽ってしまった自分のことを、ヘンに思ったのだろう。
「ご、ゴメン、何でもない」
 そんなことをされれば、自分でも訝しむだろう。
 今の自分の行いと、あの時の自分の「逆ギレ」と、それが「彼」のことを意識していた所為だったという三重の理由で、ほのかは赤面して俯いた。

◇◆◇◆◇◆◇

「いよいよ北山の出番か」
「今度は普通のCADみたいね」
 本部のモニターの前でまたしても、女子の幹部二人が雁首を揃えているのを見て、次々と舞い込んでくる試合結果の纏め上げに忙しい鈴音はため息をついた。
 だがこれ見よがしな不満の表明にも、二人は全く動こうとしなかった。
「今度はどんな奇策を見せてくれるかしら?」
「いや、分からんぞ?
 そう思ってるあたしたちの裏をかいて、正攻法で来るかも知れん」
 真由美と摩利は、お気に入りのビデオプログラムに群がる子供のような目で拡大表示された大型モニターを見ている。
 鈴音は諦めて、もう一度ため息をつき、手伝ってくれる者の無い仕事へ戻った。
 真由美も摩利も、雫の衣装には眉一つ動かしていない。
 九校戦三回目の彼女たちにとっては、振袖などそれ程奇抜なコスチュームではないからだ。
 寧ろ「あら、今年は少ないのね?」程度のもの。
 まあ、だからこそ、九校戦を毎年観戦に来ていた雫が、特に恥ずかしがることもなくこの衣装を選んだのだろうが。
「おっ、始まるな」
 二人は心持ち、ディスプレイに顔を近づけた。

◇◆◇◆◇◆◇

 フィールドの両サイドに立つポールに赤い光が灯った。
 光の色が黄色に変わり、更に青へと変わった瞬間、
 雫の指が、コンソールを舞った。
 自陣十二本の氷の柱。
 その全てを対象として、魔法式が投射される。
 一拍遅れで相手選手の魔法式が雫の陣内に襲い掛かった。
 移動系統の魔法で敵陣の氷柱を倒すポピュラーな戦術。
 だが、対戦相手の魔法は、雫の氷柱を僅かに揺らしただけだった。

◇◆◇◆◇◆◇

「ほう、情報強化か」
 各校本部のモニターは、発動中の魔法を解析してその種類と強度をサーモグラフ映像の様に色で表示するオプションを備えている。
 その機能が、今の攻防の詳細を教えていた。
 情報強化。
 対象物の現在の状態を記録する情報体であるエイドスの、一部又は全部を魔法式にコピーして投射することにより、対象物の持つエイドスの可変性を抑制する対抗魔法。属性の一部をコピーした情報強化は、その属性に対する魔法による改変を阻止する機能を持つ。
 モニターの映像は、敵校の選手が放った移動魔法が、位置情報、つまり「そこにある」という属性を強化した雫の魔法によって、無効化された様子を映し出していた。
「これはまた、随分と正攻法だな」
「摩利の予想が的中したのかな?」
 その会話を聞いていた鈴音が「別に、貴女方の裏をかく目的で作戦を考えた訳では無いと思いますが……」と、心の中でツッコんだ、が、観戦に夢中な二人には当然、届かなかった。
「もっとも、北山さんのように干渉力が特に強い魔法師なら、情報強化より広域干渉を使うのが『正攻法』だと思うけど」
「昨日から見ている限り、北山はキャパシティもなかなかのものだ。
 エイドスの複写が苦になる、ということもないだろう。
 それに特定の系統を妨害するなら、広域干渉よりも情報強化の方が効率的だしな」
 画面の中では、再び移動系魔法を仕掛けた相手校の攻撃が、最初と同じように無効化されていた。
 そして攻撃の魔法が不発となった一瞬の間隙、
 敵陣の氷柱が続けざまに三本、粉々に砕け散った。
「……今のは何だ?
 真由美、見えたか?」
 訝しげに問い掛けて来た摩利に向けて、真由美は少し自信なさげな顔を向けた。
「モニター越しでは推測にしかならないけど……」
 ほぼリアルタイムで分析画像が表示されるといっても、その場で直に魔法を感じ取るのとは、やはり訳が違う。
「多分、『共鳴』の応用だと思うわ」
 間接的に仕掛けられた魔法は、対象物に魔法の効果が表示されない為、周囲の映像から使われた魔法を推測しなければならない。
「周波数を無段階に変更する振動魔法を敵陣の地面に仕掛けて、ピラーと共鳴が生じたところで振動数を固定、一気に出力を上げて共振を作り出したんじゃないかしら」
「なるほどな……対抗魔法を避ける為に、ピラーに直接魔法を仕掛けるのではなく、地面を媒体に使ったか。
 同じ地面媒体でも、力任せな花音の『地雷原』に比べて、高度に技巧的な術式だ。
 どっちが上級生か分からんな」
「共鳴点を探るのに時間が掛かるから、情報強化でその時間を稼いでいるのね。
 振動数の操作はお手の物、ということかしら?」
「そうだな」
 真由美と摩利が共通に思い出しているのは、服部を破った達也の無系統魔法、サイオン波の振動数を緻密に制御して合成波を作り出したあの技術だった。
 モニターの中で展開されている技巧は、雫の個人的なテクニックというより、達也のアレンジによるものという性格が強いことを、二人は疑っていなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

(流石に雫はキチンと仕上げてきてるな……)
 選手の状態を監視するモニターを見ながら、達也は無言で頷いていた。
 既に敵陣は氷柱四本となっている。
 こちらはまだ、十二本とも健在だ。
 モニターのバイオリズム曲線は、軽い疲労状態を示しているだけで、魔法の行使には全く影響しないレベルを保っている。
 英美のように寝不足で体調を崩しているというような兆候は全く無い。
 そして『情報強化』も『共鳴』も、練習と同様、否、それ以上にスムーズに発動している。
 真由美たちの推測は、半分当たりで半分外れ、だった。
 『共鳴』は雫の母親が得意としていた魔法で、雫も達也と組む前から高校生にしては高いレベルで使いこなしていた。
 ただ本来の『共鳴』は、対象物に無段階で振動数を上げていく魔法を直接掛けて、固有振動数に一致した時点、「振動させる」という事象改変に対する抵抗が最も小さくなった時点で振動数を固定し、対象物を振動破壊するという二段階の魔法だ。
 対象物に直接振動魔法を掛ける場合は、魔法式の干渉に対するエイドスの抵抗で感覚的に共鳴点を探ることが出来るが、間接的に仕掛ける場合は対象物の共振を別に観測しなければならない。
 それを観測機械に頼るのではなく、魔法の工程として起動式に組み込んだのが達也の工夫した部分だった。
 自分が慣れ親しんだ魔法に新たな工程を追加したこの『共鳴』の派生術式を、雫は良く使いこなしている。学校の練習時間だけでなく、学校外でも自分一人で相当練習を積んだことが窺われる熟達ぶりだった。
 敵陣の氷柱が一本砕けるのと同時に、自陣の氷柱が一本倒された。
 だがそれは、相手の「最後の悪足掻き」に過ぎないことが達也の目には一目瞭然だった。
 相手選手は、今の攻撃に魔法力の全てを注ぎ込んでいる。
 おそらく敗北は免れないと認め、一本も倒せずに終わる完敗だけは避けようと考えたのだろう。
 モニターではなく、自分の眼で雫の背中を観察する。
 彼女の放つサイオン波に乱れは無い。
 動揺も気負いもなく、今まで通り自陣の氷柱を守り、敵陣の氷柱に攻撃を仕掛けている。
 元々完全勝利などという変な欲目は持っていないのだろう。
 見ていて安心できる戦い振りだ。
 そして全力を放出した直後の敵選手に、意味のある抵抗が出来ようはずもなく。
 残り三本となっていた敵陣の氷柱は、砂の城が波にさらわれるが如く、脆く崩れ去った。

◇◆◇◆◇◆◇

 深雪の試合は、一回戦の最終ゲーム。
 朝から考えれば長い待ち時間だが、間に昼食の時間が入るので、本人もそれ程待たされたという感覚は無いだろう。
 達也はといえば、朝からこれで三試合目なので「待つ」どころではなかった。
 選手の控え室には深雪と達也。
 ほのかと雫の姿はない。
 昼食時に観客席で応援する、と言っていたから、今頃はエリカたちと合流しているだろう。
 その代わりに、という訳でもないだろうが、五十里と花音と、そして真由美と摩利まで応援に来ていた。
(大応援団だな……)
 呆れ混じりに心の中で呟いた達也だったが、口にしたのは無論、別の台詞だ。
「応援に来ていただけるのは嬉しいのですが……委員長、寝てなくて大丈夫なんですか?」
「何だ、君まであたしのことを重病人扱いするのか?
 飛んだり跳ねたりするのではないのだから、問題ない」
 いや、一応重傷です、という台詞は呑み込んだ。
「はぁ……
 会長は、本部に詰めていなくても宜しいので?
 確か男子の方も、試合中だと思いますが」
「大丈夫よ。
 向こうははんぞーくんに任せてきたから。
 私も再来月には引退だし、何でも私一人でやっちゃうのは良くないと思うのよね」
 正論である、が、どうにも白々しく聞こえる。
 だが、彼女たちが競技の邪魔をするはずもないし、これ以上の問答は無益で寧ろ有害だった。
「深雪、頼もしい応援団だが、逆に緊張し過ぎるなよ」
 プッ、と小さく吹き出す音が聞こえたが、達也は無視した。
 多分、過保護だなぁ、とか思われたのだろうが、達也にとって妹はいつまで経っても妹(のはず)なのだ。
「大丈夫です。お兄様がついていて下さるのですから」
 そして、全幅の信頼を込めて兄を見上げる深雪の耳には、そのような雑音など届くはずもなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 深雪がステージに上がると、観客席が大きくどよめいた。
「そりゃあ、驚くよね、あれは……」
「でも似合ってるよ。花音はそう思わないの?」
「似合い過ぎて驚くって言ってるの」
 花音と五十里の会話をBGMとして聞き流しながら、達也はテキパキとモニターの準備を進める。
 瞬く間に準備を終わらせて、深雪に目を向け、何をそんなに驚くのだろうと、ふと、思った。
 深雪の衣装は白の単衣に緋色の女袴。長い髪を白いリボンで纏めたスタイル。
 そう、髪の纏め方が厳密には異なるが、CADの代わりに榊か鈴を持たせると更に絵になる、あの格好だ。
 ただでさえ整いすぎている美貌が、その衣装と相まって、神懸かった雰囲気さえ醸し出している。
 いや、神懸かりを通り越して、神々しいという形容すら、過言ではない程だった。
「可哀想に、相手の選手は呑まれちゃってるわよ」
「仕方がなかろうな。あれはあたしでも、チョッと気後れするかも知れん。
 ……ああ、もしかして、それが狙いか?」
 背中からかけられた声は間違いなく自分の方へ向けられていたので、達也は身体ごと振り返って答えた。
「狙いと仰いますと?
 魔法儀式の装束としては、珍しいものではないと思いますが」
 もっともその答えは認識が噛み合っていない疑問の応酬の形を取っていた。
「……達也くんのお家は神道系?」
 戸惑いは、反問された方に大きかったようだ。躊躇いがちに再度質問を返した真由美に、達也は躊躇いなく首を振った。
「そういう訳ではありませんが、日本人ですから」
「……そう、かも、ね」
 歯切れ悪く真由美が頷くのを見て、「この話題はこれでお終い」とばかり達也はモニターのコンソールへ身体の向きを戻した。
 達也の言い分は、反論が難しい程度には、一応筋が通っている。
 だが今日の出来事を全て見ていた者がいれば、彼の態度に首尾不一致を見出すに違いない。
 同じ和装でも雫の振袖にはあれほど抵抗感を見せておきながら、妹の巫女姿には何の疑問も抱かない達也の感性は――客観的に見れば、やはり何処か、おかしかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 舞台裏でそのような寸劇が演じられているとは露程も考えていない――まあ、それが当たり前だ――深雪は、心を落ち着けて開始の合図を待っていた。
 フライングは重大なルール違反だ。
 あまり気合いを入れ過ぎると、無意識に魔法を発動させてしまう自分の悪癖を十分自覚している深雪にとって、試合開始を待つこの時間は、他の選手のように闘志を高める時間ではなく、ひたすら自分を抑えつける時間だった。
 ……それが、端から見ると「静謐な佇まい」に映る訳だが。
 フィールドの両サイドに立つポールに赤い光が灯った。
 深雪が、薄く閉ざしていた目を開いて、その瞳を真っ直ぐ敵陣へ向けた。
 観客席でため息が漏れた。
 一箇所だけでなく、観客席のあちらこちら、否、そのほぼ全域で。
 意外なことに、若い男性より若い女性が、その強い光を放つ瞳を陶然と見上げていた。
 既に会場は、試合を観戦する空気ではなくなっている。
 相手選手には気の毒だが、観客の目は深雪の一挙手一投足に釘付けになっていた。
 ライトの色が黄色に変わり、更に青へと変わった瞬間、
 強烈なサイオンの輝きが、自陣・敵陣関係なくフィールドの全面を覆った。
 そしてフィールドは――二つの季節に分かたれる。
 極寒の冷気に覆われた深雪の陣地。
 熱波に陽炎が揺らぐ敵の陣地。
 敵陣の氷柱はその全てが融け始めている。
 相手選手は必死の面持ちで冷却の魔法を編み上げているが、まるで効果がない。
 味方の陣は厳冬を超えて凍原の地獄となり、
 敵の陣地は酷暑を越えて焦熱の地獄となっていた。
 だがそれすらも、過程。
 程なくして、
 自陣は氷の霧に覆われ、
 敵陣は昇華の蒸気に覆われ始めた。

◇◆◇◆◇◆◇

「これはまさか……」
氷炎地獄インフェルノ……?」
 呻き声の呟きが、達也の背後で漏れた。
 良く知ってるな、と思いつつ、振り返りはしなかった。
 達也の目は、モニターと深雪の後ろ姿を往復している。
 中規模エリア用振動系魔法『氷炎地獄インフェルノ』。
 対象とするエリアを二分し、一方の空間内にある全ての物質の振動エネルギー、運動エネルギーを減速、その余剰エネルギーをもう一方のエリアへ逃がし加熱することで辻褄を合わせる、熱エントロピーの逆転魔法。
 時折魔法師ランク試験でAランク受験者用の課題として出題され、多くの受験者に涙を呑ませている高難度魔法だが、深雪にとっては当たり前に使える魔法でしかない。
 元々が対エリア用の魔法だからフィールドからはみ出すルール違反の心配もなく、それ程神経質になることもないのだが、魔法というものはどんな簡単な術式でも油断は禁物だ。何かあれば例え失格負けを宣告されるようなことがあっても、あらゆる手段で介入する心づもりで達也は深雪を見守っている。
 だがそれも、無用な心配に終わりそうだった。
 既に敵陣内の気温は摂氏二百度を超えていた。
 急冷凍で作った氷柱は、内部に多くの気泡を含む粗悪な氷だ。その気泡が膨張して、熱で弛んだ氷柱にひび割れを起こしている。
 不意に、気温の上昇が止まった。
 次の瞬間、敵陣の中央から衝撃波が広がった。
 深雪が魔法を切り替えたのだ。
 空気の圧縮と解放。
 脆弱化していた敵陣の氷柱は、その全てがひとたまりもなく崩れ落ちた。


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