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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(14) 新人戦〜眩惑の水路〜
 正午。
 第一高校の天幕は、少し浮ついた雰囲気に満たされていた。
「すごいじゃない、達也くん! これは快挙よ!」
 背中をバシバシと何度も叩かれ、達也は少し辟易していた。
 小柄な真由美の腕力はその外見に見合ったもので、然して痛くはないのだが、余りにしつこいので鬱陶しくなって来たのである。
「……会長、落ち着いて下さい」
 アイコンタクトで助けを求められた鈴音が、すぐに真由美を諌めてくれた。
 頼りになる先輩である――のだろうが、助けを求められるまで放置している時点で「同じ穴の狢」のような気もする。
「あっ、ごめんごめん」
 自分がはしゃぎ過ぎている、と自覚できる程度には冷静さを残していたのか、真由美はすぐに叩くのを止めた。……が、達也を解放するつもりは無いようだった。
「でも、本当にすごい!
 一、二、三位を独占するなんて!」
「……優勝したのも準優勝したのも三位に入ったのも全部選手で、俺ではありませんが」
「もちろん北山さんも明智さんも滝川さんもすごいわ!
 みんな、よくやってくれました」
 生徒会長から満面の笑顔で労われ、スピード・シューティング一年生女子チームは、緊張しながらも嬉しそうに「ありがとうございます」と声を揃えて一礼した。
「しかし同時に、君の功績も確かなものだ。間違いなく快挙だよ」
 真由美ほど興奮していないものの、上機嫌な顔で摩利が称賛の環に加わった。
「はぁ、ありがとうございます」
「なんだ、張り合いのない。
 今回の出場全選手上位独占という快挙に、エンジニアとしての君の腕が大きく貢献しているという点は、我々皆が認識を共有しているところだぞ」
 摩利の言葉に、雫たちが真っ先に、大きく頷いた。
「自分でも信じられません」
「何だか急に魔法が上手くなったって錯覚しそうです」
 雫ではなく、残る二人のコメントである。
 雫は当然とばかりの表情で、うんうんとただ頷いている。
「特に北山さんの魔法については、大学の方から『インデックス』に正式採用するかもしれないとの打診が来ています」
 しかし、後に続いた鈴音の言葉に、真由美は目を見開き、摩利は絶句し、雫は硬直した。
 『インデックス』の正式名称は、『国立魔法大学編纂・魔法大全・固有名称インデックス』。
 国立魔法大学が作成している魔法の百科事典に収録された魔法の固有名称の一覧表のことであり、ここに採用されるということは、大学が正式に認めた新種魔法として『魔法大全』に収録されるということを意味する。
 これは魔法の開発に従事する国内の研究者にとって、一つの目標とされている名誉なのである。
「そうですか。開発者名の問合せには北山さんの名前を回答しておいて下さい」
「そんな!? ダメだよ!」
 余り興味無さそうに返した達也に、雫が大慌てで詰め寄った。
「あれは達也さんのオリジナルなのに!」
「……新種魔法の開発者名に最初の使用者が登録されるのはよくある事だぞ?」
 暴れ馬でも宥めているような仕草で雫から距離をとりながら、達也は尚も低いテンションで抗弁した。
「フム……謙遜も行き過ぎると嫌味だぞ?」
 少し興醒めした表情で摩利に窘められると、達也は不本意とばかりかぶりを振った。
「謙遜ではありません」
「では何だ?」
「俺は、自分の名前が開発者として登録された魔法を、実際には自分で使えないなどという恥を曝したくないだけです」
 確かに、新種魔法の開発者として名前が知られれば、その実演を求められることが多い。
 自分で開発した魔法なのに「使えません」では、他人が開発した魔法を横取りしたという疑いを掛けられることもあり得る。
 達也が忌避するのも、故無き事ではないのだが……
「……自分が使えない魔法を、どうやって作動確認したんだ?」
 理論だけで魔法を組み上げることができるとすれば規格外が過ぎるが、仮にそれが可能だったとしても、実際に作動を検証していない魔法を他人に使わせるのはリスクを無視したマッドサイエンティストの行為であり、著しくモラルに反する。
「全く使えない訳ではありませんよ。
 ただ発動するまでに時間がかかり過ぎて、『使える』というレベルじゃないということです」
「まあまあ、摩利も達也くんも、今はそんなことで口論しなくていいじゃない」
 達也の受け答えが段々投げ遣りになってきたのを見て、真由美が二人の間に割って入った。
「せっかく幸先の良いスタートを切ったんだし。
 達也くん、この調子で他の競技も頼むわよ」
 笑顔で彼の肩を叩く真由美に向けて、達也は控え目に頭を下げた。

◇◆◇◆◇◆◇

 第一高校スピード・シューティング一年生女子チームの成績は、他校でも波紋を呼んでいた。
 特に「今年こそは覇権奪取」の意気込みで九校戦に乗り込み、女子バトル・ボードの思わぬアクシデントで「気の毒だが、これはチャンス」と盛り上がっていた第三高校では過剰とも見える程の反響があった。
「じゃあ将輝、一高のアレは、彼女たちの個人技能によるものではないってことか?」
 二十人――三高新人戦選手の全員――の輪の中で、一条将輝は集まった視線の全てに向けて頷きを返した。
「確かに、優勝した北山って子の魔法力は卓越していた。あれなら優勝するのも納得できる。
 だが他の二人は、それほど飛び抜けて優れているという感じは受けなかった。
 魔法力だけなら、二位、三位まで独占されるという結果にはならなかったはずだ」
「それに、バトル・ボードは今のところウチが優位なんだし、一高のレベルが今年の一年だけ特に高いとも思えないよ」
 ここまでのバトル・ボードの成績は、三高男子が二名出場していずれも予選突破、女子も二名出場して一名予選突破。
 これに対して一高は、男子が三名全てレースを終えて一名が予選突破、女子は一名が出場して予選突破となっている。
「ジョージの言う通りだ。
 選手のレベルでは負けていない。
 とすれば、選手のレベル以外の要因がある」
「一条君、吉祥寺君、それって……何だと思う?」
 スピード・シューティングの準決勝、三位決定戦で一高に連敗した女子選手の問いに、将輝と吉祥寺はアイ・コンタクトでお互いの意見が一致していることを確認した。
「エンジニア、だと思う」
 回答は吉祥寺の口から告げられた。
「多分、女子のスピード・シューティングについたエンジニアが、相当な凄腕だったんじゃないかな」
「賛成だ。
 ジョージ、あの優勝選手のデバイス……気がついたか?」
「ウン……あれは、汎用型だったね」
 吉祥寺の答えは、彼ら二人以外の、三高の一年生に、大きな衝撃を与えた。
「そんな……だって、照準補助がついていましたよ?」
「そうよ! 小銃形態の汎用型デバイスなんて聞いたことないわ!」
「確かに。
 どのメーカーのカタログでも、そんなの見たことないぜ?」
 一斉に上がった反論に、将輝は益々顔を曇らせた。
「……確かに、市販はされていないだろう。
 だが、照準補助と汎用型を一体化したデバイスの実例はある」
「マジかよ……」
 将輝の言葉に、呆然とした声が上がる。
 尚も「信じられない」というニュアンスが強かったが、吉祥寺がダメ押しを口にした。
「去年の夏にデュッセンドルフで発表された新技術だよ」
「去年の夏!? 最新技術じゃねえか!」
「ああ、俺も今回のことで調べ直してみるまで知らなかった」
「一条も知らなかったんじゃ、俺たちが知ってる訳ないよな……」
 居心地の悪い沈黙が一年生の輪を覆った。
 驚愕、不安、半信半疑、そして……畏怖の欠片。
「……吉祥寺君はよく知ってたわね。流石にあたしたちのブレーンだわ」
「うん……でも、デュッセンドルフで公表された試作品は、実用に耐えるレベルじゃなかったはずなんだ。
 動作は鈍いし、精度は低いし、本当に『ただ繋げただけ』の、技術的な意味しかない実験品だったんだ」
「しかし今回、一高の北山選手が使ったデバイスは、特化型にも劣らぬ速度と精度と、系統の異なる起動式を処理するという汎用型の長所を兼ね備えたものだった。
 それが全て、エンジニアの腕で実現しているのだとしたら……到底高校生のレベルじゃない。一種のバケモノだ」
「将輝、お前がそこまで言う相手かよ……」
「一人のエンジニアが全ての競技を担当することは物理的に不可能だけど……」
「そいつが担当する競技は、今後も苦戦を免れないだろう。少なくとも、デバイス面で二、三世代分のハンデを負っていると考えて臨むべきだ」
 重苦しい沈黙が、将輝に応えた。

◇◆◇◆◇◆◇

 ライバル校の主力選手から人外扱いを受けた達也は、その様なことなど露ほども知らず(当たり前だ)、少し遅い昼食を済ませた後、女子バトル・ボードのコースに来ていた。
 午後に予定されているのは第四レースから第六レース。
 ほのかの出走は、第六レース。
 彼女との約束を守るだけなら、こんなに早く来る必要は無い。
「あっ、司波君、どうしたんですか?」
 深雪と雫を引き連れた達也の姿を見て、あずさはチョコンと首を傾げた。木の実を抱えたリスを連想させる、小動物的な仕草で、達也は思わず頬を緩めてしまった。
「……いまバカにしませんでした?」
「滅相もない。
 中条先輩の人徳に感心していたところです」
「……やっぱりバカにしていますね?」
 ジト目で睨み付ける顔も、小さな子供が拗ねているようにしか見えなくて、達也は吹き出すのをこらえる為に目を逸らさなければならなかった。
「…………いいです、別に」
 しばらくそのまま達也を睨んでいたあずさだったが、やがてため息をつき、自分に言い聞かせるように呟いた。
 おそらく彼女にとって、日常的な反応だったのだろう。
 その姿には何処となく、哀愁が漂っていた。
 放置するのが後ろめたくなる姿だった。
「――本当に、バカにしてなどおりませんよ」
「……本当に?」
「本当に」
「本当に本当ですか?」
「本当です」
 疑わしそうに見上げる――身長差の所為で顔を上に向けても上目遣いになっている――あずさに、達也は力強く頷いて見せた。
 その無駄に堂々とした態度に、あずさはようやく納得した(誤魔化された?)のか、笑顔を取り戻した。
「分かりました。司波くん、信じてますからね」
 あずさがそう言って達也にニッコリ笑いかけた直後、彼の傍らでザワッと気配が揺らいだ。
 達也には、目を向けなくても分かる。
 深雪の眉がピクッと跳ね上がった様が、彼の脳裏にまじまじと浮かんだ。
(やれやれ……)
 今晩はまた妹の機嫌を取らなければならないな、と心の中でため息をつきながら――その事を然程嫌がっていない達也は、精神的に少し病んでいるのかもしれない。
 ――それはともかくとして。
「それで、どうしたんですか?
 光井さんのレースまで、まだ二時間以上ありますよ?」
「居心地が悪くなったので避難させてもらいに来ました」
「?」
 再度首を傾げたあずさは、達也の隣で深雪が苦笑しているのに気づいた。
「……兄が気にし過ぎなんですよ」
 目で問われ、「しょうがないですね」という口調で深雪が答える。
「やる気につながったんだから、結果オーライだと思うよ?」
 その反対側で、雫が達也を慰めている。
「あ、ああ、そういうことですか……」
 それだけで事情を察したあずさは、中々鋭いと言えるだろう。
 雫たちの上位独占は、昼食時も賞賛の的になった。
 幹部だけでなく、観戦していた本日オフの上級生達も、口々に雫たち三人を褒め(そや)し、そのついで、という感もあったが、達也の功績に言及する者も少なくなかった。
 その事に、男子スピード・シューティングチームが異常な対抗心を燃やしたのである。
 それ自体は、雫も言っているように、寧ろ望ましいことだ。
 気合が入って勝利に対する執着心が増せば、空回りにならない限り、プラスに働くだろう。
 だが親の仇でも見るような目つきで睨まれる方としては、いい加減にしろよと言いたいところだった。
「一旦宿舎に戻ってもよかったんですが、折角ですから何かお手伝いすることがあれば、と思いまして」
「本当ですか!」
 歓声を上げたのは、あずさではない。
 何処で聞いていたのか、ほのかが選手用のスペースから突然飛び出してきたのだ。
「じゃあ、是非! 私のアシスタンスも看て下さい!」
 飛びつかんばかりの勢いに笑いの衝動がこみ上げてきたが、達也は顔を引き締めて、ほのかを窘めた。
「こら、ほのか。その言い方は中条先輩に失礼だろう?」
 今の態度、今の台詞は、あずさの腕に不満があると取られても仕方がない。
「えっ、あ、すみません!」
 大慌てで頭を下げるほのか。
「気にしないで。そんなつもりじゃないのは分かっていますから」
 あずさは苦笑いしながら首を振った。
 微妙に口調がお姉さんっぽい。
 今度は笑いの衝動を抑えるのに、少し苦労した達也だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 バトル・ボードの平均的な競技時間は一レース十五分。
 しかし、ボードの上げ下ろしや水路の点検、魔法で損傷した箇所があればその修復など、レースの準備にはその倍以上の時間が掛かる。
 そうした要因もあり、余裕時間を織り込んだ結果、バトル・ボードの競技スケジュールは一時間に一レースで組まれている。
 予選六レースに六時間。(厳密には最終レース終了後の整備時間は無視できるから五時間十五分)
 最終レースの開始は午後三時半。
 長すぎる待機時間にテンションの調整が上手く行かず、実力を発揮できないまま終わってしまうということもあり得るのだが(実際に毎年、本戦男女、新人戦男女のいずれかでそういう例がある)、深雪や雫と井戸端会議に興じていたのがプラスに働いたのか、ほのかは上手い具合にコンセントレーションを高められたようだ。
 達也に纏わりつくほのかの姿に段々と機嫌の勾配を傾けていった深雪が、ほのかを兄から引き離すようにしてどうでもいいような雑談に引きずり込んだ、という次第なのだが、結果的に良い気分転換になったようだ。
 ボード上に片膝をつくスタイルで、ほのかはスタートを待っている。
 CADは前腕部を覆う、幅を広くし厚みを薄くしているタイプで、面積が増えた分だけ操作用のボタンも大きくなっている物だ。
 最初から言っている通り、達也はほのかのCADに手を加えていない。
 一応システムを覗きはしたが、どうしても直さなければならないような箇所は無かった。
 あずさとほのかの二人からアドバイスを請われて、達也が口を出したのは一点。
 ほのかが着けている、濃い色のゴーグルは、彼が持って来た物だ。
 確かに随分西へ傾いて来た真夏の日差しは、直接向き合うと邪魔に感じる程度には眩しい。
 しかしグラス面に付着した水飛沫が視界を遮るのを嫌って、ゴーグルやサングラスの類を使用する選手はほとんどいない。
 あずさには視界を狭めるデメリットしかないように感じられたが、ほのかは迷わず達也の持って来たゴーグルを着用した。
「……そういえば光井さんは何故、光学系の起動式をあんなに沢山準備してるんでしょう?」
 エンジニアが起動式の種類にまで口を出すのは稀なこと。
 起動式のラインナップまで自分で決めてしまう達也は例外で、普通エンジニアは、選手の希望したとおりに起動式をCADへインストールする。
 ほのかが光波振動系の幻影魔法を得意としていることは、あずさも選手プロフィールから知っていたが、この競技の性質上、幻影魔法の出番は無いのではないか、というのがあずさの正直な感想だった。
「バトル・ボードのルールでは、他の選手に魔法で干渉することは禁じられています。
 但し、水面に干渉した結果、他の選手の妨害となることは禁止されていません」
「……どういうことでしょう?」
 重ねて問われた達也は、人の悪い笑顔を返したのみだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 新人戦女子バトル・ボード、スタートの直後。
 観客はほぼ反射的に、揃って、水路から目を背けた。
 まるでフラッシュでも焚いた様に、水面が眩く発光したのだ。
 選手が一人、落水した。
 他の選手がバランスを崩し、加速を中断する中、一人ダッシュを決めた選手が先頭へ躍り出た。
 これある事を予期していたが如く――と言うか張本人なのだが――濃い色のゴーグルを着けた選手、つまりほのかだ。
「よし!」
 してやったり、と声を上げた達也の横顔を、あずさは呆気に取られて見上げていた。
「……これがお兄様の作戦ですか?」
 サングラスを外しながら問い掛ける深雪の声も、流石に呆れ声だった。(ちなみにサングラスは、スタート前に達也から三人に配られていた物だ。深雪たちは訳が分からぬまま、達也の指示に従って掛けているだけだった)
「……確かに、ルールには違反していないけど……」
 雫の声も、幾分非難混じり。
 これはフェアプレーの精神に反していると言われても仕方が無い、と感じているのだろう。
 しかし、著しくアンフェアなプレーがあった場合に示されるイエローフラッグ、競技中断の旗は振られていない。ルール違反選手の失格を示すレッドフラッグは言うまでも無い。
 大会委員は、ほのかの魔法を、達也の作戦を合法的と認めた、ということだ。
「……水面に光学系魔法を仕掛けるなんて、思ってもみませんでした」
 どこまでも素直な性格なのか、あずさが感嘆と共に呟いた。
「水面に干渉と言われると、波を起こしたりとか渦を作ったりとか、水面の挙動にばかり意識が向きがちですが、ルールで許可されているのはあくまでも『魔法で水面に干渉して他の選手を妨害すること』ですからね。
 水面を沸騰させるとか全面的に凍結させるとかは流石に危険過ぎますけど、目眩まし程度のことは今まで使われなかった方が不思議だと、俺は思っていますが」
 何の心構えも無く目潰しを喰らわされて、すぐに視力を回復できるものでもない。
 緩やかにではあっても蛇行しているコースは、視界を塞がれた状態で全力疾走できるものでもなく、ほのかと他の選手の間には既に決定的とも言えるだけの差がついていた。

◇◆◇◆◇◆◇

「……決まりだな」
「……誰が考えたの、この作戦?」
 モニター越しに見ていた真由美たちは、モニターの方で光量の調節が行われたので眩しい思いをせずに済んだが、それだけに作戦の独創性を冷静に評価し、驚きを覚えていた。(冷静に驚く、というのも奇妙な表現ではあるのだが)
「司波君ですが」
「えっ、でも達也くんは、この競技を担当していないはずだけど」
「作戦の具申は光井さん本人からです。しかし起動式のラインナップを含めて作戦プランを作ったのは司波君だと、その際に言っていました」
「……次から次へとやってくれるな」
 摩利の口調からは、舌打ちが聞こえてきそうだった。
「どうしたの? 何か不機嫌みたいだけど」
 真由美の問い掛けに、摩利は答えなかった。
 もっとも、その沈黙自体が、摩利の内心を雄弁に物語るものではあったが。
「……工夫って大事よねぇ。老師の仰るとおりだわ」
 真由美の見たところ、摩利は自分が思いつかなかった作戦を見せられて不機嫌になっているのだ。
 多彩なテクニックを売りにしている摩利にとって、面白いことではないのだろう。
「過去九年、誰も思いつかなかった作戦ですから、ここは素直に感心すべき所かと」
「……感心しているさ。だから癪に障るんじゃないか」
 鈴音にズバッと斬り込まれて、渋々、嫉妬していることを摩利は認めた。
 認められるだけの度量があるから、鈴音も敢えて突っ込んだのだが。
「でも、これって一回限りの作戦じゃないかしら?
 決勝トーナメントはどうするのかな?」
 摩利に対するフォロー、でもないだろうが、真由美がそんな疑問を口にする。
 しかし、
「心配は要らんだろ。あの男がそこまで考えていないはずはない」
「そうですね。これは次の試合の布石でもあります」
 どうやら杞憂のようだった。

◇◆◇◆◇◆◇

「うーん……これは、ほのかに悪いことをしたかな……」
 最初の奇策で稼いだリードを最後まで守りきってゴールしたほのかを見て、達也は少し苦い声で呟いた。
 彼の隣では、深雪が眉目を曇らせて兄の顔を見上げている。
「……どうしたんですか?」
 二人の様子に、何となく他人に聞かれるのが憚られる様な気がして、あずさは達也に、声を潜めて問い掛けた。
「あ、いえ……」
 返って来たのは歯切れの悪い、言い訳の為の枕詞。
 それでもそのまま黙殺するようなことは無かった。
「このレースは単純なスピードだけでも勝てたようですから……目眩ましなんて必要なかったかな、と」
「はあ……でも、最初の眩惑魔法でリードを奪えたのですから、作戦として成功しているのでは?」
 達也たちが何を案じているのか分からないあずさは、再度首を捻った。
「ああいう目立つことをすると、他の選手からマークされるんですよね……」
「準決勝は三人一組のレースですから……次の試合で、一対二の戦いになってしまう虞がありますね」
 達也の言葉を深雪が補完する。
 それでようやく、あずさは彼らが何を心配しているのか理解した。
「何だ、そんなことですか」
 そして達也たちの心配をあっけらかんと笑い飛ばした。
「そんなことって……かなり不利だと思いますが……?」
 控え目に反論した深雪に向けて、あずさは朗らかに頭を振った。
「そんなこと無くたって、ウチは最初っからマークされてますよ」
「はぁ……」
 あまりにも朗らかに言い切ったので、達也は一瞬、あずさが自慢しているのかと勘違いしてしまった。
 ――まあ、一瞬だけのことだったが。
 いくら鈍感といっても、慰められているのだ、ということが分からない程、鈍くは無かった。

◇◆◇◆◇◆◇

「勝ちました! 勝ちましたよ、達也さん!」
 水路から上がるや否や、達也の所へ駆け寄って勝利を報告するほのかは、今にもピョンピョンと飛び跳ねそうな勢いだった。
「あ、ああ、見てたよ。おめでとう」
 チームメイトばかりか他校のスタッフの視線まで集めている気がして、達也は祝福を送りながら両手を前に出して押し止めるような仕草で、ほのかを落ち着かせようとした。
 しかし、それは逆効果だった。
「ありがとうございます!」
 どんな風に勘違いしたのか、ほのかは目の前に差し出された達也の両手をガッシリと握り締めて、うるうると今にも嬉し涙を零しそうな潤んだ瞳で彼の顔を見詰めだしたのだ。
 深雪でもここまでストレートな感情表現を示すことは余り無い。
 この方面における経験値の絶対的な不足から棒立ちになってしまった達也を前に、ほのかは本当に泣き出してしまった。
「私、いつも本番に弱くて……運動会とか対抗戦とかこういう競技会で勝てたことってほとんど無いんです」
 初耳だった。
 もし本当なら、新人戦の戦略上エライ誤算につながりかねないところだ。
 だが、途方に暮れた達也が右に左に目線を彷徨わせると、ほのかの背後で雫が指を揃えた掌をヒラヒラと左右に振っているのが見えた。
 まるで「ソンナコトナイナイ」とツッコんでいるかの如く。
 ほのかに両手を委ねたまま、雫へ視線を固定すると、彼女は達也へ向けて口だけ動かし始めた。
 その唇の動きは「しょ・う・がっ・こ・う・の・こ・ろ・の・は・な・し・だ・よ」と読み取れた。
(小学校の頃の話、ねぇ……)
 天を仰いで嘆息する達也。
「予選を突破できたのは、達也さんのお陰です!」
 嘘をついているつもりはないのだろうが……少し思い込みが激し過ぎないだろうか。
 深雪から向けられた氷柱つららの視線(氷の、と表現するには、先端が鋭く尖っていたのだ)にもめげず、ほのかが落ち着きを取り戻すには暫しの時間が必要だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 運動競技でも盤面遊戯でもヤル気が無ければ勝利は覚束おぼつかない。
 それは魔法競技でも同じ。
 チームメイトの活躍を見て「今度は自分が」と意気込むことは、ヤル気を生み出す基本的なシステムで、それゆえ勝利は士気を高める特効薬とされている、のだが。
 時として、「ヤル気」は「気負い」につながり、「気負い」は容易に「空回り」へと直結する。
 彼女たちの目の前に、その実例があった。
「森崎くんが準優勝したけど……」
「あとの二人は予選落ち、か……」
 新人戦一日目が終了し、ミーティングルームに集まった一高の幹部三年生は、男子スピード・シューティングの順位表を前に、ため息を吐いた。
「男子と女子で逆の成績になっちゃったわね……」
「そうとも言えません。
 三高は一位と四位ですから、女子で稼いだ貯金がまだ効いています。
 あまり悲観し過ぎるのもどうかと」
「……そうだな。
 市原の言う通り、悲観的になりすぎるのも良くない。
 元々、女子の成績が出来過ぎだったんだ。
 今日のところはリードを奪ったことで良しとしなければ」
「しかし、男子の不振は『早撃ち』だけではない。
 『波乗り』でも予選通過女子二名に対して、男子一名だ」
 自分自身に言い聞かせるような口調だった摩利の発言に対し、克人が険しい表情で異を唱えた。
(「早撃ち」はスピード・シューティング、「波乗り」はバトル・ボードの通称。アクセル・ボールは「アクセル」、アイス・ピラーズ・ブレイクは「棒倒し」、ミラージ・バットは「ミラージュ」、モノリス・コードは「モノリス」と略されることがある)
「このままズルズルと不振が続くようでは、今年は良くとも来年以降に差し障りがあるかもしれん」
「それは、負け癖が付くということか?」
「その虞があるだろう」
 克人の指摘に、摩利も真由美も苦い顔で黙り込んだ。
 魔法科高校のリーダーを自認し、常勝を自らに課している一高の幹部としては、「今年さえ良ければ」という安逸に甘んじることは出来ないのだ。
「男子の方は、梃入れが必要かも知れんな」
「しかし十文字、梃入れと言っても今更何が出来る?」
 苦い声で呟いた克人に対する、摩利の反論。
 確かに「今更」だ。
 既に新人戦は始まっているのであり、今更選手もスタッフも入れ替えることは出来ない。
 視線で回答を促されても、克人の再反論は無かった。
 ただその佇まいは、答えに窮したと言うより、何か腹案があって今は敢えて黙っているという印象をもたらすものだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 例の犯罪組織が関っていると思しき妨害工作は、摩利の一件以来動きが無いが、達也としては気を抜くことは出来ない。
 いよいよ明日は、いや、既に「今日」は、深雪の出番なのだから。
 彼の推測が正しければ、「敵」がCADに細工を仕掛けるタイミングは競技の直前。
 夜の内に妨害工作を受ける可能性は低いと見ているが、念を入れるに越したことはない。
 相手は彼に手の内を読ませない、高いスキルを持っているのだ。
 最終調整を終えたCADをシステム的に厳重ロックし、更に保管庫へ入れて三重に施錠し、達也はようやく作業車両を後にした。
 人影はない。
 人の気配も、人間以外の気配も感じられない。
 敵にとっても、こちらの警戒は予想以上なのだろう。
 風間やその配下、独立魔装大隊の精鋭が密かに協力してくれているのだから、例えその企てがあったとしても、直接的な攻撃は及ばないと考えて良い。
 達也は不必要に彷徨うろつき回ることなく、ホテルの通用口を通って(無論、バイオメトリクス認証が用いられている)、自分の部屋へ戻った。
 彼のルームメイトは息をせぬ機材。
 故にこの真夜中、彼が廊下にいる以上、中から人の気配が漏れてくるはずはない――のだが、達也は迷わずキーを開けて中に入った。
「こら、何時だと思っているんだ」
 先手を打って叱りつける。
 今日はいつもと違って、すこし厳しい声を出すことが出来た。
 それだけいつもと違って、笑って済ませることが出来ない背景があるのだ。
 いつもと違う、そのことを、叱責を受けた方も感じ取ったのだろう。
 ビクッと身を竦ませて、深雪は恐る恐る、兄の顔色を窺った。
「睡眠不足は集中力を低下させる。いくらお前でも、思わぬミスが敗北につながらないとも限らないんだぞ」
「申し訳ありません!」
 泣きそうな声で深々と頭を下げる。
 妹のこんな声を聞くと、こんな姿を見ると、達也にはもう、厳しい態度をとり続けることは不可能だ。
「……分かれば良いんだ。
 さあ、もう部屋へお帰り。送っていくから」
 和らげられた声に力を得たのか、顔を上げた深雪は、眼差しで兄の言いつけを拒んだ。
「深雪?」
「……お兄様、少しだけ、本当に少しだけ、お時間をいただけませんか?」
「……少しだけだよ」
 意地の張り合いは時間の浪費にしかならない。
 経験のもたらす智恵で早々に諦めをつけた達也は、消極的な肯定で妹に先を促した。
「…………雫に聞きました。
 お兄様、『インデックス』にお名前を連ねる名誉を、断られたそうですね」
「正式に、ではないがな」
「正式のお話があっても、お断りになるおつもりでしょう?」
「ああ」
 短く首肯した達也を前にして、深雪は、何かに耐えるように、唇を噛んで、暫し、立ちつくした。
「…………それは、叔母上のご意向を汲んでのことですか?」
「ああ」
 短い、即答。
 深雪は、泣き出すのをこらえているような顔で、俯いた。
「……魔法大学の調査力は極めて高い。ニュースサイトという名のゴシップサイトを運営している、そこらの報道機関など比べものにならない。あるいは、軍の諜報機関に匹敵するかも知れない。
 新魔法の開発者には大学の資料を利用する上で様々な特権が与えられる関係で、その身元を詳細に調べ上げられる。敵性国家群のスパイや、テロ組織を排除する為にね。
 高校の入学審査とは桁が違う調査だ。
 四葉が念入りに情報をブロックしている『シルバー』ならともかく、『司波達也』では四葉とのつながりを暴き出される可能性が低くない」
「…………」
「確かに、九校戦に出るだけでも、身元が調べられてしまうリスクはゼロじゃない。
 しかし、魔法大全に名を残すとなれば、高校の競技会で活躍するのとは訳が違う。
 四葉の『ガーディアン』はあくまでも日陰の存在。
 日陰者が脚光を浴びるのを、あの叔母上が、『夜の女王』が容認すると思うかい?」
 深雪は何も答えない。
 気休めすらも、口に出来ない。
 それが、彼の問い掛けに対する答えだった。
「……今はまだ、力が足りない。
 今の俺では、四葉真夜を倒すことは出来ても、四葉を屈服させることは出来ない。
 武力だけでは、暴力だけでは、不十分だ。
 叔母上を退けても、別の、もっと(たち)の悪い操り手が姿を見せるだけだ。
 今は、従うしかない」
 妹に言い聞かせる台詞、というより、自分に言い聞かせる台詞。
 そうやって自分を納得させた達也に、
「!?」
 深雪は、正面から抱きついた。
 彼の胸に、泣き出しそうな顔をうずめる。
 その姿は「しがみついた」と表現する方が相応しくも見えた。
「……わたしは味方ですから」
「深雪……」
「わたしはいつまでもお兄様の味方ですから。
 その時はきっと、やって来ます。
 必ず、やって来ます。
 その時まで、その後も、わたしはずっと、お兄様の味方ですから」
「…………」
 時計の針は「少しだけ」を大幅に超過している。
 だが「もう少しだけ」妹の好きにさせてやろう……深雪の背中に優しく手を回して、達也はそう、思った。


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