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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(12) 代役
 覚醒は速やかなものとは言えなかった。
 意識に靄がかかったように、現状が上手く把握できない。
 自分はここで何をしているのか……?
 目が覚めて、摩利の意識に最初に浮かんだ思惟が、この疑問だった。
「摩利、気がついた? 私が誰だか分かる?」
 悪友が――と、こんな時、しかも心の中だけの台詞であるにも関らず、摩利は友人という言葉を使わなかった――自分の顔を上から覗き込んでいる。
 質問の意味は分かっても、何故そんなことを訊ねて来るのか理解できなかった摩利は、訝しげに問い返し――
「真由美、何を言っている? そんなことは訊くまでも――あっ……」
 自分の台詞の途中で、その理由と、現在の状況に自分で思い至った。
「ここは病院か……」
「ええ、裾野基地の病院よ。
 良かった……意識に異常は無いようね」
「あたしはどのくらい気を失っていたんだ?」
 後頭部から伝わってくる鈍痛が、自分は眠っていたのではなく受身を取り損ねて気絶したのだと、摩利に教えていた。
「お昼を回ったところよ。
 あっ、まだ起きちゃダメ」
 ベッドの上に身体を起こそうとした摩利を、真由美はすばやく先回りしてベッドに押し戻す。
 それほど強い力ではなかったが、摩利の方で、いつもの半分も身体の自由が利かなかった。
「肋骨が折れていたのよ。
 今は魔法でつないでいるけど、まだ定着していないわ。
 当然知っていると思うけど、魔法による治療は結局のところ応急処置で」
「定着するまでは仮に治っているだけだ。
 決して、瞬時に健康状態を取り戻すものじゃない。
 ――大丈夫だ。そのくらい、弁えている」
 真由美の台詞を横取りする形で、自分に言い聞かせるように口に出すと、摩利は力を抜いてベッドに身体を預けた。
「それで、定着までどのくらい掛かる?」
「全治一週間。一日寝てれば日常動作に支障はなくなるけど、念の為に、十日間は激しい運動を禁止」
「おい、それじゃあ!?」
「ミラージ・バットも棄権ね。仕方ないわ」
「そうか……」
 摩利は、ため息をついて、目を閉じた。
 再び瞼を開くまで、少し時間が掛かった。
「……レースはどうなったんだ?」
「七高は危険走行で失格。
 決勝は三高と九高よ。
 三位決定戦はウチと二高。小早川さん、随分気合が入ってるから三位は取れるんじゃないかな」
「精神的なムラが無ければ、実力は十分だからな、小早川は」
「そうね。
 それから、七高の選手の怪我は大したこと無いそうよ。庇った甲斐があったわね」
「……自分が大怪我をしてれば世話は無い」
 憮然とぼやいて見せた(・・・)摩利を見て、真由美は失笑気味にクスッと笑った。
 摩利は顔を背けて、それを見なかったフリをした。
「男子は、はんぞーくんが決勝進出。村上くんも惜しかったんだけどね。
 男子ピラーズ・ブレイクは十文字くんが決勝リーグ進出。女子ピラーズ・ブレイクも花音ちゃんが決勝リーグ進出」
「あたしだけが計算違いか……」
「仕方が無いわ。
 摩利、貴女の判断は間違っていなかったの。
 あそこで貴女が加速を止めなければ、間一髪で衝突は回避できたでしょう。
 決勝にも進めたと思う。
 でも……七高の選手は大怪我をして、多分、魔法師生命を絶たれていたと思うわ。
 それほど危険な突っ込み方だった。
 これは達也くんも同意見ね」
「……おい、そこで何故、アイツの名前が出て来るんだ?」
「貴女を此処に運んで来て、治療に付き添っていたのは彼だから」
「なに?」
「もちろん、達也くん一人に任せた訳じゃないけど。
 ……ビックリした?」
 にんまりと笑った真由美から、苦虫を噛み潰した表情で摩利は顔を背けた。
 自分がホッとしていることを自覚できるだけに、真由美の笑顔が忌々しかった。
「女の子の着替えを男の子に見せるはず無いじゃない。
 治療中はちゃんと廊下で待っていたそうよ。
 でも、後でお礼は言っておいた方がいいわね。
 救護班と同じくらい真っ先に駆けつけて、水路から引き上げるのを手伝ってくれたし、骨折してるって一目で見抜いて応急措置を指示したのも達也くんだから」
「……何者だアイツは」
 呆れ顔で目を丸くした摩利に、真由美も深々と頷いた。
「なんと言うか、事故とか怪我人とかに矢鱈と手馴れていた気がするのよねぇ……
 ところで、気分はどうかしら?」
「どうしたんだ、いきなり……
 少し頭が痛むが、外傷的なものだろう。意識はしっかりしている」
「脳にも損傷は見られないそうよ。
 ……そっか、じゃあ今、訊いちゃおうかな」
「?」
 首をかしげる摩利の目を、真由美は真剣な眼差しで覗き込んだ。
「どうしたんだ、急に」
「摩利……あの時、第三者から魔法による妨害を受けなかった?」
「……どういうことだ?」
「七高選手を受け止める直前に摩利が体勢を崩したのは、第三者による不正な魔法で水面に干渉された所為じゃないのか? ということよ」
 真由美の言っていることの意味を理解して、摩利の目が鋭く光った。
「……確かに、ボードが沈み込む直前、足元から不自然な揺らぎを感じた。
 だがそれが魔法によるものかどうか、ましてや不正な干渉によるものかどうかは、あたしには分からなかった。
 ……何故、そう思うんだ?」
「あの時、貴女が足元を取られた水面の動きは不自然だったわ。
 魔法による事象改変に特有の不連続性があった。
 でもあの時、七高の選手も九高の選手も、そんな魔法は使っていなかった。
 残る可能性は、第三者による魔法。
 これも達也くんと同意見よ。
 彼、大会委員会からビデオを借りて、水面の波動解析をしてみるそうよ。
 それで少なくとも、自然現象以外の力が働いたかどうか分かるんですって」
「……まず、そんなことが高校一年生のスキルで出来るのか、と言いたいところだが、それは横に置いておくとして……
 あたしも他の選手も魔法を使っていたんだから、自然現象以外の力が働いていたのは調べるまでもないんじゃないか?
 意味があるとは思えないが……」
「選手が使った魔法の影響も計算に入れて、それ以外の力が働いていなかったかどうか検証してみるって言ってたわ。
 五十里くんも今日の試合が終わってから手伝うって言ってた。
 多分、意味のある結果が出てくるんじゃないかしら。
 摩利も何か思い出したことがあったら教えて頂戴ね。
 これはウチの――第一高校の順位だけに関る問題じゃなくて、九校戦全体、魔法科高校全体に関る問題なのかもしれないから」
「…………」
 横になったまま黙り込んでしまった摩利に「そろそろ戻らないといけないから」と声をかけて、真由美は病室を出て行った。
 一人残された摩利は、尚も真剣な眼差しで、天井を見詰めていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 ノックに応じて深雪がドアを開けると、そこには上級生の男女がいた。
「どうぞお入りください。
 ……お兄様、五十里先輩と千代田先輩がお見えになられました」
 深雪の声に、達也はキーボードを叩いていた手を止めて立ち上がった。
「わざわざすみません」
「いいよ、気にしないで。
 手伝うって言ったのは僕の方だし、作業中の端末を持って来させる訳にも行かないしね」
 軽く頭を下げた達也に、五十里は気安げに手を振った。
 達也はもう一度会釈して、今度は花音に目を向けた。
「千代田先輩、優勝おめでとうございます」
「ありがと。
 摩利さんがあんなことに巻き込まれちゃったからね、その分、あたしたちが頑張らないと!」
 グッと拳を握ってみせる花音は、熱血という言葉がよく似合っていて、達也には少し眩しかった。
「それで、何か分かったの?」
「一通り、検証してみました。
 やはり、第三者の介入があったと見るべきですね。
 五十里先輩、確認していただけますか」
「了解。
 ……流石に司波君は仕事が速いね」
 勧められた椅子に腰を下ろしながら、五十里はジェスチャー混じりで感心を表現して見せた。
 卓上用の小型ディスプレイ(と言っても伝統的な単位系で二十インチに相当する)の画面は二分割されていて、ビデオの映像とそれをワイヤーフレーム化したシミュレーション映像が表示されている。
 五十里は脳波アシスト付モノクル型視線ポインタの、後方部分が欠けた細い金属環を押し広げて慣れた手つきで額に装着し、モノクル部分を右目に合わせて、キーボード中央下段のクリックボタンに親指を置いた。
 脳波アシストも視線ポインタも、元々はキーボードから手を離さなくてもいいようにと作られた入力補助装置だが、今ではキーボードを使わずに済ませる道具になっている。
 しかし五十里はどうやら、キーボード入力の補助という本来の使い方をするようだった。
 五十里の操作によって、実写映像とシミュレーション映像が同時に動き出す。
 事故の場面に差し掛かったところでタイムゲージにポインタが合わせられ、再生がスローダウンした。
 シミュレーション画面の上部に、水面の変化に影響を与える諸要素が数字で表示される。
 そして問題の、水面が陥没した瞬間、項目名に“unknown”が表示され、誤差では解決できない「力」が水中から(・・・・)掛かっていることが示された。
 画面を止め、五十里が振り返った。
「……予想以上に難しいね、これは……」
「啓、どういうことなの?」
「花音も知っているとおり、九校戦では外部からの魔法干渉による不正を防止するため、対抗魔法に優れた魔法師を大会委員として各競技場に配置すると共に、監視装置を大量に設置している。
 この監視網に引っ掛からなかったという事は、監視装置の走査範囲を超えた高空に局所的なダウンバーストを作り出して、高圧の空気塊を叩きつけることで水面を陥没させたんじゃないか、って僕は予想していたんだよ。
 そんなことをされて渡辺先輩が気づかないはずはないから、かなり無理がある仮説だとは分かっていたけどね。
 でも司波君の解析に依れば、水面を陥没させた力は水中に生じている。
 外部から水路に魔法式を投射すれば間違いなく監視装置に引っ掛かるし、自然現象で水面下から水面を陥没させる現象なんて、水底が抜けるくらいしか考えられないから、それもあり得ない。
 可能性としては、水中に工作員が潜んでいた、ってことくらいだけど……それこそありえないしね……」
「司波君の解析が間違っているんじゃないの?」
 遠慮のない花音の指摘に深雪が顔色を変えた。
「それはない」
 だが、深雪が何か言うより先に、五十里が花音の疑念を否定した。
「司波君の解析は完璧だ。少なくとも僕のスキルでは、これ以上のことは出来ないし間違いも見つけられない」
 五十里と花音が揃って考え込んでしまった。
 無言のまま秒針が二回転ほどしたところで、再び、ドアがノックされた。
 目線で兄に問い掛けた深雪は、頷きが返されたのを確認して、来訪者の応対へ向かう。
 彼女はすぐに戻ってきた。
 その背後には、二人のクラスメイトがついて来ていた。
「美月は、お兄様に呼ばれた、と言っていますが……?」
「すまんな、二人ともわざわざ」
 間接的に妹の問い掛けを肯定して、達也は二人の先輩の方へ向き直った。
「ご紹介します。俺のクラスメイトの、吉田と柴田です。
 二人とも、知っているとは思うが、二年の五十里先輩と千代田先輩だ」
 幹比古と美月が緊張気味に、五十里と花音がざっくばらんに自己紹介を終えたところで、五人から向けられた「?」の眼差しに達也は簡潔な答えを返した。
「二人には、水中工作員の謎を解く為に来てもらいました」
 無論、それだけでは誰も理解できるはずがない。
 そのことは達也にも最初から分かっていたので、途切れることなく説明を続けた。
「俺たちは今、渡辺先輩が第三者の不正な魔法により妨害を受けた可能性について検証している」
 これは幹比古と美月に向けた説明。
 幹比古は眉を顰め、美月は驚きを露わにした。
「渡辺先輩が体勢を崩す直前、水面が不自然に陥没した。その所為で渡辺先輩の慣性中和魔法のタイミングがずれ、フェンスに激突することになってしまった。
 この水面陥没は、ほぼ確実に、水中からの魔法干渉によるものだ」
 美月はまだ驚きから脱し切れていない。
 だが幹比古は達也の此の言葉を聞いて、目に強い光を宿していた。
「コース外から気づかれることなく、水路内に魔法を仕掛けることは不可能だ。
 遅延発動魔法の可能性も低い。もしそうなら、小早川先輩が第一レースで気づいたはずだ」
 現代魔法にも遅延発動の技術はあるが、その為には対象物に魔法式を「記録」しなければならない。遅延発動魔法をかけた時点で対象物は魔法による改変を受け、その改変が次の魔法を遅延発動させるという仕組みになっている。
「だとすれば、魔法は水中に潜んでいた何かによって仕掛けられたと考えるべきだ、というのが五十里先輩と俺の意見だ」
 確認の視線を向けると、幹比古と美月がそれに応えて頷いた。
「しかし、生身の魔法師が水路の中に潜んでいたと考えるのは荒唐無稽です。
 現在知られている限り、そこまで完璧に姿を隠す(すべ)は、現代魔法にも古式魔法にもありません」
 達也の言葉に、今度は五十里と花音が頷く。
「ならば、魔法を行使する人間以外の何かが、水路内に潜んでいたと考えるのが合理的でしょう」
 五十里と花音は顔を見合わせ、お互いの表情に戸惑いの色を見つけた。
 問い返すには、しばしの時間が必要だった。
「……司波君は、SB魔法の可能性を考えているのかい?」
 五十里の言葉に達也は頷いた。
 現代魔法を行使する魔法師は、通常、サイオンの波動によって魔法を知覚している。
 しかしSB――Spiritual Being(心霊存在)の本体はプシオンで構成されるものであり、同時に観測されるサイオンは、その「運動」を方向付けする外的付加物――例えば精霊を使役する為のコマンド――というのが、現時点で最も有力な仮説だ。
 魔法師にプシオンを知覚できないということではない。
 だが、サイオンのようにその状態を見分けることは、普通出来ない。
 例えて言うならば、赤外線を「暖かい」という漠然とした認識で知覚することは出来ても、赤外線の波長の違いを可視光線の波長の違いのように色彩として捉えることは出来ないようなものだ。
 活性化したプシオンならば、そこにあるということを魔法師は知覚することが出来る。
 しかし、活性が低い状態のプシオンを知覚することは難しい。
 つまり、現代魔法の魔法師にとって、潜伏状態のSBを見つけ出すことは困難なのだ。
 心霊存在使役魔法――SB魔法による遅延発動型の術式が仕掛けられていたとしたら、確かに、大会委員の監視を潜り抜けた可能性は高い。
「吉田はSB魔法を得意とする魔法師です。
 また、柴田は霊子光に対して特に鋭敏な感受性を有しています」
「だから二人に来てもらったんだね」
 もう一度、五十里に頷いて、達也は幹比古の方へ向き直った。
「幹比古、専門家としての意見を聞きたい。
 数時間単位で特定の条件に従って水面を陥没させる遅延発動魔法は、SB魔法により可能か?」
「可能だよ」
 幹比古の答えは、即答だった。
「今の条件ならば、第二レースの開始時間を第一の発動条件、水面上を人間が接近することを第二の発動条件として、水の精霊に波あるいは渦を起こすよう命じることで達成できる。
 精霊じゃなくて、式神でも可能だろう」
「お前にも可能か?」
「準備期間による。
 今すぐやれと言われても無理だけど、半月くらい準備期間をもらって、会場に何度か忍び込む手筈を整えてもらえれば、多分可能だ」
「前日に会場へ忍び込む必要は?」
「無い。
 地脈と地形が分かっていれば、地脈を通して精霊を送り込むことが出来る。
 事前調査はその為のものだ。
 ……但し」
「?」
「そんな術の掛け方では、ほとんど意味のある威力は出せないよ?
 精霊は術者の思念の強さに応じて力を貸してくれるものだ。
 そんなに何時間も前から仕掛けたのでは、せいぜい侵入者を驚かせる程度の猫騙しレベルにしかならないと思う」
「と言うと?」
「水面を荒らすことは出来ても、それだけで渡辺先輩がバランスを崩すほどの大波は作れないはずだ。
 七高の選手が突っ込んでくるという事故が重ならなければ、子供の悪戯にしかならないんじゃないかな」
 幹比古の言葉に、どういう訳か、達也は深く頷いた。
「あれも単なる事故であれば、な」
「えっ?」
 意味深な台詞に幹比古は当然の疑問を示したが、すぐには答えず、達也は美月へ目を転じた。
「美月、渡辺先輩の事故のとき、SBの活動は見なかったか?」
「……メガネを掛けていたから……ごめんなさい」
「いや、そうだな。
 これは俺がうっかりしていた。
 美月が謝る必要は無い」
 項垂れた美月に達也が頭を下げ、深雪が美月を慰めに掛かった。
「さっきの話だが」
 達也が目を向けた先は幹比古。
 だがその言葉は二人の二年生にも向けられていると、五十里にも花音にも分かっていた。
「七高選手の暴走も、単なる事故ではないと俺は思っている。
 これを見てくれ」
 幹比古をディスプレイの前に連れて行って、シミュレーション映像を最初から再生する。
 横から覗き込んでいる五十里と花音を意識しつつ、達也は衝突の少し前で再生を止めた。
「本来ならばここで、七高の選手は減速に入らなければならない」
 コマ送りで再生を再開する。
「だが見てのとおり、実際にはここで更に加速している」
「……その通りだね。確かに、不自然だ」
「そうね。こんな単純ミスをする魔法師が、九校戦の選手に選ばれるわけ無いか」
 五十里、花音のコメントに首肯して、達也は再生速度を通常に戻した。
「おそらく七高の選手は、CADに細工をされていたのだと思う」
 ギョッとした気配が部屋に満ちた。
「コースで減速が必要になるのは、このコーナーが最初だ。
 減速の起動式を加速の起動式とすり替えられた場合、間違いなくこのコーナーで事故を起こす。
 そして去年の決勝カードのラップタイムを見れば、渡辺先輩と七高の選手がほとんどもつれ合う状態でこのコーナーを回るであろうことは簡単に予想できる。
 もし俺に妨害の意思があれば、優勝候補二人を一度につぶすチャンスだと考えただろう」
「……確かに理屈は通っているけど……CADに細工なんて出来るのかい?
 もし細工したとしたら、一体何時?」
「七高の技術スタッフに裏切者が紛れ込んでいるとか?」
 五十里と花音の質問に、達也は頭を振った。
「残念ながら確証はありません。
 七高にCADを見せろと言っても、一蹴されることは分かり切っています。
 ただ、細工する機会はあると思います」
「やっぱり裏切かな?」
「その可能性も否定し切れませんが……
 俺は、大会委員に工作員がいる可能性の方が高いと思います」
 会話が途切れた。
 五十里も花音も幹比古も、今度こそ絶句していた。
 一様に「信じられない」という顔をしていた。
「……しかしお兄様、大会委員に工作員がいるとして、一体何時、どのようにしてCADに細工したのでしょうか?
 競技用のCADは各校が厳重に保管しているはずですが」
 そして達也の言葉を信じられないということがあり得ない深雪が、推理の更なる開陳を求める。
「CADは必ず一度、各校の手を離れ大会委員に引き渡される」
「あっ……!」
「だが、手口が分からない。そこが厄介だが……」
 万に一つであっても、警戒を怠ることは出来ない。
 これから試合を控えている深雪、そしてそのCADを調整する達也は、そのことを深く心に刻んだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 第一高校、三日目の成績は男女ピラーズ・ブレイクで優勝、男子バトル・ボード二位、女子バトル・ボード三位。
 第三高校が男女ピラーズ・ブレイクで二位、男女バトル・ボードで優勝という好成績を収めた為、両校のポイントは前日より寧ろ接近していた。
 大会が始まる前、摩利は達也に、新人戦のポイントは総合順位に大きく影響しないだろうと言っていたが、どうやら彼女の予想は外れたようだ。
 明日からの新人戦に備え、担当選手が使用するCADの入念なチェックを行っていた達也は、端末で真由美から呼び出しを受けた。
 作業を中断し、「こんな遅い時間にどうしたのだろう?」と頭を捻りながら、一高に割り当てられたミーティングルームへ足を運ぶと、扉の前でバッタリ、深雪と顔を合わせた。
「深雪も会長に呼ばれたのか?」
「ええ、お兄様もですか?」
 達也は、五十里たちと検証した妨害工作の可能性と技術的な防衛策について、協議するために呼ばれたと考えていた。
 しかしそれでは、深雪も一緒に呼ばれた理由が分からない。
「行くか」
「はい」
 世の中には、考えなければ分からない事と、考えても分からない事がある。
 そして考えても分からない事ならば、行動してみるしかない。
 古人も言っている。
 下手な考え休むに似たり、と。
「失礼します」
 それほど密度の濃い事――と言うか、理屈っぽい事を思考に乗せた訳でもなかったが、少なくとも無駄に思い悩んだりせずに、達也はドアを開けた。
 そこには真由美と鈴音と克人と――まだベッドで寝ているはずの摩利の姿があった。
「ご苦労様。明日の準備は終わった?」
「いえ、もう少し掛かります」
「そう……ごめんなさいね、達也くんまで呼び出したりして」
 すまなさそうに言う真由美の台詞で、どうやら呼び出しのメインは深雪であるらしいことが分かった。
「掛けてくれる?」
 勧められるままに、並んで腰を下ろす兄妹。
「少し相談したいことがあって……いいえ、少しじゃないわね。
 二人には、大事な相談があって、来てもらいました」
 真由美に改まった口調で話し掛けられるのは、何だか久し振りな気がして、達也は少し新鮮に感じた。
「リンちゃん、説明してもらえますか?」
 改まった口調でも「リンちゃん」なんだな、と、何となく考えながら、達也は鈴音に目を向けた。
「今日の成績は二人も知っていると思います」
 当たり前のことだから、返事を期待されているとは思わなかったが、達也は深雪と同時に頷いた。
「アクシデントもありましたが、当校の今日のポイントはプラスマイナスでほぼ計算どおりです。
 しかし、三高が予想以上にポイントを伸ばしている為、当初の見込みより差が詰まっています」
 ここで再び、理解した標しに頷く。
「新人戦で優勝できないまでも大差をつけられなければ、最後のモノリス・コードに勝利することで総合優勝を果たせます。
 ですが万一、新人戦で三高に大差をつけられるようなことがあれば、本戦ミラージ・バットの成績次第では逆転を許してしまう可能性もあります」
 仮定ばかりの話だが、要するに新人戦で頑張れ、と言いたいのだろうか?
 そんな用事で呼び出す必要は無いはずだが……と、ポーカーフェイスの裏側で達也は首を捻った。
「本戦のポイントは新人戦の二倍。
 私たち作戦スタッフは、新人戦をある程度犠牲にしても、本戦のミラージ・バットに戦力を注ぎ込むべきだという結論に達しました」
(新人戦を犠牲にしても? まさか!?)
「ええ、そうよ、達也くん」
 達也の僅かな表情の変化を鋭く読み取って、真由美が質問を先取りする。
「深雪さん。貴女には、摩利の代役として本戦のミラージ・バットに出場してもらいます。
 達也くんは引き続き深雪さんの担当エンジニアとして九日目も会場入りしてもらうことになります」
 本人の発言に反して、真由美の台詞は相談ではなかった。
 決定事項の通達だった。
「しかし、先輩方の中にも一種目にしかエントリーされていない方々がいらっしゃいます。
 何故わたしが新人戦をキャンセルしてまで代役に選ばれるのでしょうか?」
 深雪の声は落ち着いていた。
 突然の抜擢に舞い上がることも無く、常識的な気遣いと冷静な計算に基づく質問を投げ掛ける。
 彼女の反問に、摩利が「ほう……」という表情を見せ、克人が微妙な意外感を表した。
「その方が合計ポイントで高得点を見込めるからです」
 答えは、更に冷静な鈴音の声に乗って返って来た。
「ミラージ・バットには補欠を用意していなかった。
 それが最大の理由だな」
 説得――だろう――の言葉を重ねたのは、本来の選手だった、摩利。
「空中を飛び回るミラージ・バットにぶっつけ本番で出場しろというのは、いくら本校の代表選手でも酷な話だ。
 それより、一年生であっても、事前に練習を積んでいる選手の方が見込みがある。
 それに――」
 言葉を切ったのは、意図的な「間」だろう。
 摩利は意外と芝居気のある少女だ。
「達也くん。君の妹なら、本戦であっても優勝できるだろう?」
 しかも、搦め手で攻めて来た。
 些かあざとい論法のような気もするが、達也に謙遜する理由は無い。
「可能です」
「お兄様……」
 当然のように、と言うより決定事項のようにあっさりと言い切った達也に、摩利はニヤリと笑い、克人は一つ頷き、真由美は目を丸くし、鈴音は眉を動かし、そして深雪は、恥じらいを浮かべて俯いた。
「そのように評価して下さってのことなら、俺もエンジニアとして全力を尽くしましょう。
 深雪、やれるな?」
「ハ、ハイ!」
 ただでさえ美しい背筋を更にピンと伸ばし、深雪は上ずった声で達也に答えた。
 それは、代役を引き受ける返事でもあった。


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