この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
三回戦進出を決め、意気揚々と天幕に引き揚げて来た花音たち――同伴者である達也・深雪・雫の三人を含む――は、重苦しい雰囲気に思わず顔を顰めた。
「……何があったんですか?」
比較的いつもの雰囲気を保っていた鈴音に、五十里が訊ねる。
振り向いた鈴音の顔は、いつもより表情が乏しく見えた。
「男子アクセル・ボールの結果が思わしくなかったので、ポイントの見通しを計算し直しているんですよ」
九校戦の順位は各競技のポイントの合計で決まる。
一位が五十ポイント、二位が三十ポイント、三位が二十ポイント。
スピード・シューティング、バトル・ボード、ミラージ・バットは四位が十ポイント、アクセル・ボールとピラーズ・ブレイクは四位から六位までの順位が決まらないので三回戦敗退三チームに各五ポイントが与えられる。
モノリス・コードは一位チームに百ポイント、二位チームに六十ポイント、三位チームに四十ポイントが与えられ、ポイント上で最も比重の大きな競技になっている。
新人戦のポイントは二分の一にして総合順位点に加算。
これが九校戦のポイントシステムだ。
上位四名又は六名に残らなければ全くポイントが得られず、優勝を逃しても二位、三位、四位を占めればポイントで上回るチャンスがあるこの構造は、出来るだけ多くの競技で決勝リーグ・決勝トーナメントに勝ち残ることが勝利の第一条件となる。
「思わしくなかったといいますと……」
「一回戦敗退、二回戦敗退、三回戦敗退です」
恐る恐る訊ねた五十里に返された声は、冷淡とも聞こえるものだった。
「来年度のエントリー枠は確保しましたが、計算外でしたね」
そう聞こえてしまうのは、聞いている側がショックを受けているからかもしれない。
確かに他の競技に比べて、男子アクセル・ボールの布陣は力不足の感があった。
だがそれは、女子スピード・シューティングや女子アクセル・ボール、これから行われる男子ピラーズ・ブレイクや女子バトル・ボードのような「優勝間違いなし」と言える有力選手がいなかったというだけで、実力的には十分優勝を狙えるレベルにあったはずだ。
「新人戦のポイント予測が困難ですが、現時点のリードを考えれば、女子バトル・ボード、男子ピラーズ・ブレイク、ミラージ・バット、モノリス・コードで優勝すれば安全圏と思われます」
作戦スタッフの二年生が試算結果を報告した。
それを横で聞いていた達也は、少しハードルが高い計算じゃないか、と思った。
男女合わせて残り六種目のうち、四種目で優勝しようというのだ。
克人と摩利が出場する種目だから優勝は確実、と見込んでいるのかもしれないが、こういう見通しの立て方では、万が一アクシデントが生じた場合に、心理面から総崩れになるおそれもある。
だが――それは、達也が気にすることではない。
彼がその様な懸念を抱くのは、僭越というものだろう。
それよりも、個人的に気になることがあった。
男子アクセル・ボールには、桐原が出場している。
無鉄砲な面もあるが、責任感の強い性格だ。
ショックを受けているのではないだろうか……
◇◆◇◆◇◆◇
桐原と顔を合わせたのは一日の競技が終了した後、日没間近のラウンジだった。
一見、いつもと変わらぬ様子だ。
桐原の隣には紗耶香が腰を下ろしている。
努めて明るく振舞っているが、こちらは無理に笑っているのが見ただけで解った。
「桐原先輩、お疲れ様です」
「ああ、司波か」
何も言わずに通り過ぎるという選択肢も当然あったが、達也は、そう、しなかった。
「早々と二回戦で負けちまったよ。惨敗だ」
空元気、には違いないが、思ったより立ち直りが早いようだ。
勝ち負けを繰り返すアスリートは、心理的な弾力性、負けることへの耐性も高いのだろうか。
稽古では負け続けだが、「試合」は余り経験の無い達也には、理屈以上の理解は出来ない。
慰めの言葉が今この場で適切かどうかの判断がつかなかった達也は、事実のみを口にすることを選んだ。
「くじ運に恵まれませんでしたね。
二回戦で優勝候補とぶつかってセットカウント三対二、総得点差八点で惜敗。その優勝候補は先輩との試合で消耗してしまった所為で三回戦ストレート負けしていますから、事実上の痛み分けでしょう。
三高にむざむざと漁夫の利を占めさせたのは残念ですが」
「……ハッキリ言うんだな、お前」
敗戦の事実をオブラートに包もうとせず、慰めているとは到底思えない冷静な分析を口にした達也に、桐原は怒らなかった。
「俺が落ち込んでるとか思わなかったのかよ?」
むしろ、面白がっているような口調と表情だった。
「思いましたが、慰め方を知らないものですから」
桐原が吹き出した。
ソファの上で、腰を折って爆笑する。
隣の紗耶香がオロオロし出す笑いっぷりだった。
達也はその姿を無表情に見下ろしていた。
「……司波……やっぱ、おもしれーよな、お前って。
普通、そういう時は気不味〜い顔をして、見なかったフリをして通り過ぎていくもんだ。
わざわざ自分から声をかけたりしねーよ」
それ――知らぬ振り――も選択肢に入っていたが、何となく黙って通り過ぎるのも愛想が無いような気がした、というのが達也の側の理屈だ。だがどうやら「余計なお世話」の類だったらしい。
愛想などと、似合わぬことを考えるものではないな、と達也は思った、が、
「けどまあ、おかげでスッキリしたぜ。
お前さんが『痛み分けだった』って言うんなら、実際、そうだったんだろ。
俺もそんなに捨てたもんじゃないってことだな」
……案外そうでもないようだった。
桐原が本心からそう思っているのかどうかは、別にして。
達也の意図したとおりの結果だったかどうかは、別にして。
◇◆◇◆◇◆◇
思わぬ苦戦になったからといって、一番の下っ端のやることに変化がある訳ではない。
雑用係ならその限りでもないだろうが、達也は一応、技術者として採用されている。余計な雑用を押し付けて本来の作業に支障を来たすリスクを作り出すような愚か者は、一高幹部には流石にいなかった。
明後日からの新人戦に備えて、担当する選手のコンディションをチェックし、CADの設定に不適合が生じていないかどうかを確認して、今日の作業は終了。
ホテルのフロントで、自分宛に届いていた細長い小包を受け取って、割り当てられた部屋に戻る。
時刻はまだ夕食前だ。
今日は随分時間に余裕があるので、届いた荷物のテストをしてみることにした。
時計を見て、食堂の割り当て時間を確かめる。
深雪が迎えに来るまで、まだ少し余裕があった。
小包を解いて、中身を確認することにする。
これは彼が今朝、というか、今日の未明、FLT開発第三課に試作を依頼した物だった。
部品は普及しているものばかりで、形状も単純、設計図はそのまま自動加工機に読み込ませるレベルまで作り込んでいたとはいえ、半日で造形して、組立てて、到着する仕事の早さには感心してしまう。
(牛山さん、まさか無理したんじゃないだろうな……)
無理したと言うか、させたと言うか。
依頼メールに「遊び半分です」と、しつこいくらい念を押しておいたのだが。
まあ、本当の意味で時間を巻き戻すことは彼にも出来ないのだから、今更気にしても仕方の無いことではある。
再利用を前提とした郵送用のカバーを外すと、薄く細長い、ダイヤルロック式のハードケースが出てきた。
通常はショットガン・サイズのCADを搬送する際に使用されるケースだ。
ダイヤルをいつもの番号に合わせて開錠する。
ケースの中には「剣」が入っていた。
達也が取り出した物の形状は、ナックルガード付のミドルソード。
全長七十センチ、刃渡り五十センチ程度の片手剣。
――形だけは。
刃はついていない。
刃引きしてあるのではなく、最初から「剣」として作られていないのだ。
漢字の意味を考えれば定義矛盾だが、ミドルソードの形状に作られた金属製の木刀、というのがイメージ的に最も近いかもしれない。
あるいは、剣の柄がつけられた平べったい棍棒か。
無論これは、単なる棍棒ではない。
柄尻のスイッチをひねって軽くサイオンを流すと、達也の手に馴染みの感触が返って来た。
これはエリカの警棒と同じ、CADが組み込まれた武器なのである。
用途は通常の特化型CADよりも更に限定されており、一種類の起動式を提供するのみ。エリカのCADが通常の特化型CADとしてのプログラム交換性を保持しているのに対して、これは完全な単一機能特化型のCAD試作機だった。
壁までの距離を目で測り、さて、テストを、と達也が考えた丁度その時、ドアがノックされた。
まるで計ったようなタイミングに苦笑を浮かべ、達也は机の上に試作機を置いた。
約束の時間には少し早いが、ドアの向こう側の、隠そうともしていない気配から、友人たちが一斉に押し掛けてきたのだと分かる。
チラッと、試作機をしまおうか、とも考えたが、別に秘密にする必要もないと思い直した。
それより、この試作機はあの友人向きだ。
自分でテストするより、アイツにテストさせた方が面白そうだ――そう考えながら、達也はドアを開いた。
「お兄様、お邪魔しましてもよろしいでしょうか?」
先頭にいて最初に口を開いたのは、彼の妹だ。
外開きのドアを押さえて招き入れると、深雪に続いて必要以上に近い、ほとんど触れ合わんばかりの間合いで彼の鼻先をエリカが通り過ぎて行った。
その後をほのか、雫、美月と続き、レオ、幹比古で打ち止め。
これはレディファーストと言うよりも、単純な力関係によるものだろう。
しかし、いくら機材用のスペース確保を名目としたツイン・シングルとはいえ、これだけの人数が一度に押し掛けると手狭になる。
椅子とベッドだけでは足りず、机に座っている者もいる。――それがだらしなく映らず、むしろ格好良く見せているので、達也も何も言わないが。
そしてその当人、机に座ったエリカは、机の上に放置された「剣」に当然気付き、当然のように興味を示した。
「達也くん、これ……模擬刀? 刀じゃなくて剣だけど」
「いや」
「じゃあ、鉄鞭?」
「いいや……この国じゃ鉄鞭を好んで使う武芸者なんていないと思うが」
「武芸者って、今時……じゃあ、なあに?
……あっ、もしかして、ホウキ(法機)?」
手にとって裏表眺めていたエリカは、グリップの上端にあるトリガーに気付いて声を上げた。
「正解。
より正確には、武装一体型CAD。
完全に単一の魔法に特化したCADと、その魔法を利用した白兵戦用の武器を一つに纏めた物だよ」
「へぇ……」
手に持ったまましげしげと見詰めるエリカだけでなく、ほのかと雫も興味深げな視線を向けている。
深雪は昨晩の話を憶えていたのだろう。「ああ、それが」という顔をしている。
美月と幹比古は余り興味がなさそうだ。新しい物よりも手に馴染んだ物に惹かれるタイプなのかも知れない。
達也は残る一人の横顔をチラッと見て、人の悪い笑みを浮かべ、エリカの手から試作機を取り上げた。
「レオ」
それを、そっぽを向いていたレオへと放り投げた。
「おっと!
達也、危ねえじゃねえか」
本当は触りたくてウズウズしているのに、天敵(?)のエリカに妙な対抗心を起こして興味のない素振りを装っていたレオは、表面上、慌てた振りをしながら、待ってましたとばかりその柄を掴み取った。
達也はその見せ掛けだけの抗議をすっぱり無視して、挑発的な笑い顔をレオに向けた。
「試してみたくないか?」
「えっ、オレが?」
レオの顔が一瞬、にやけた。
隣でエリカが「分かり易いヤツ……」とでも言いたげな顔をしていたが、達也はそれを目の端に捉えただけで、レオに視線を戻した。
「その武装デバイスは、渡辺先輩がバトル・ボードで使用した硬化魔法を応用した打撃武器だ。
刀身部分を作り替えれば、斬撃武器にもなる。
お前に向いていると思うが」
「達也が作ったのか?」
「ああ」
「ちょっと待って」
レオと達也の会話に、幹比古が割り込んで来た。
最初は興味のなさそうな顔をしていたが、しっかり聞いていたらしい。
「渡辺先輩の試合は昨日だよ?
それをたった一日で作ったのかい?
あり合わせの物には見えないけど」
「部品自体はあり合わせだが?
外装もありきたりの合金で、特別な材料は使っていない」
「でも、まさか手作りじゃないだろう?
そんな暇もなかったはずだし」
「そりゃ勿論だ。
設計図だけ引いて、知り合いの工房の自動加工機で作ってもらった」
「へぇ……」
内情を知っている深雪は「知り合いの工房」の部分で思わず吹き出しそうになったが、利用可能状態で何枚も常備している猫の皮のお陰で、兄を疑惑の眼差しに晒すような粗相をせずに済ませた。
「さて。
レオ……試してみたくないか?」
達也の口調は、まるで、メフィストフェレスの囁きだった。
明らかに裏がありそうで、それが分かっていても抵抗し難い魅力があった。
「……いいぜ。実験台になってやるよ」
「堕ちた」
ボソリと呟いた雫の一言が、友人たちの抱いた印象を簡潔に代弁していた。
次に達也が取り出したのは、スピーカーが一体となったミラーシェード型HMDだった。
「マニュアルだ」
「?」
「その武装デバイスのマニュアルが記録されているから見ておいてくれ」
「あ? ああ……」
どうやらこれは、手渡された(正確には、投げ渡された)武装一体型CADのマニュアルを映像と音声で記録したものらしい。
「それって、仮想型端末の一種になりませんか?」
そう感じたのは、実際に問い掛けたほのかだけではなかった。
未熟な魔法師にとって、仮想型情報端末は有害。
この常識に従い、第一高校でも仮想型端末を生徒に禁止している。
自分でも頑なにスクリーン型の端末を使用している達也が、視覚と聴覚に限定されるとはいえ仮想型の再生機器を友人に勧めていることに、彼女たちは疑問を抱いたのだ。
「そんなに大袈裟なものじゃないが、確かに似たような物だな」
「……良いんでしょうか?」
「えっ? ああ……
仮想型端末の有害性?」
「え、ええ……」
「それなら心配要らないよ。
仮想型端末の有害性は、誤った成功体験をすり込んでしまうリスクにある。
実際に出来ることを仮体験させるには、寧ろ有益なツールだ」
「……仰る意味が良く分かりませんが……」
ほのかは達也に対して最初から丁寧な喋り方をしていたが、これはまるで深雪の口調が伝染したような言葉遣いだった。
「魔法は、架空のイメージで現実を一時的に作り変える技術。
仮想型体感機器は、架空のイメージを現実と錯覚させるテクノロジー」
達也の解説が丁寧で詳細なものになったのは、条件反射的な対応だったのかもしれない。
「両者は、現実でない事象を現実の事象として認識するに至る、という点で一致している。
その一方で、仮想型体感機器による体験は、現実を改変する為の労力を必要としない。
改変を失敗することもない。
仮想型端末のリスクはここにある」
達也は一旦、言葉を切った。
自分でも説明臭いと思ったからだ。
しかし、理解している顔が半分、理解していない顔が半分、どうやら言葉が不足しているようだ、と思い直して、説明を続けることにした。
「仮想型体感機器は、何の苦労もなく現実の事象を改変出来たような錯覚を魔法師に与える虞がある。
魔法を使えない人間は、最初からそんな錯覚をしない。
熟練した魔法師なら、自分に出来ることと出来ないことをしっかり弁えている。
だが未熟な魔法師は、仮想型体感機器の中のフィクションと魔法により改変された事象という現実を混同して、自分の力量を見誤ってしまう可能性があるんだ。
苦労も失敗もなく改変された『現実』に慣れてしまった未熟な魔法師は、何故自分が魔法に――事象の改変に失敗したのかを考えられなくなる。考える力も考える意欲も損なわれる。
だから魔法を学ぶ未熟な学生には、仮想型端末が有害だって言われているんだよ」
再び言葉を切る。
もうこれ以上、説明は不必要にも見えたが、念の為の結論だけ付け加えておくことにした。
「つまり、出来ないことを出来ると錯覚させる点に、問題があるんだ。
出来ることを仮想的に事前体験させることに問題はない。そういう仮想体験は、魔法式構築に必須のイメージ形成に、寧ろプラスに働くという面もあるんだよ。
ただ、そういう有益なコンテンツのみを選び出すのが難しい、という実情があるんで、仮想型端末の一律禁止もそれなりに合理的だと思うけどね」
「そうなんですか……すごく、勉強になりました」
ほのかの頷き方が必要以上に熱心な気がして、達也は「少しやり過ぎたか」と思った。
余り依存心を持たれても、自分には応えられないのだが……
それが達也の本音だった。
◇◆◇◆◇◆◇
試作CADのテストは、夕食後、九校戦会場外の、屋外格闘戦用訓練場を借りて行うことになった。
達也の手配ではなく、エリカのコネである。
エリカはここに来て、自棄になったように実家の影響力を使いまくっている。
何か心境の変化を強いられるような出来事があったのだろうか?
そういえば懇親会の場で、それらしき事を聞いた記憶が達也にはあった。
もっとも、いくら心配したところで達也に出来ることは何も無いのだ。
それに、自分が本心から心配している訳ではないということも、達也には分かっている。
所詮自分の感情は表層的なものでしかない。
ならば開き直って、この場は技術者としての好奇心を優先させる方が余程誠実というものだ。
達也は自分にそう言い聞かせて、余計な世話を焼きそうになる自身を戒めた。
「レオ、使い方は理解したか?」
意識をこれから始めるテストに集中する。
余興で作った物とはいえ、既存魔法の単純なアレンジとはいえ、新魔法・新デバイスのテストであることに変わりはない。
今回、気を抜いて事故に遭うのは、達也ではなくレオなのだ。
「おう、まあな……けどよ、ホントにあんな事が出来るのか?」
あんな事、とはHMDで見せられた試作機の予定動作のことだろう。
だろう、と言うか、それ以外には無い。
「それを確かめるためのテストだ」
「そりゃそうか」
この訓練場はホテルから歩いて三十分程の距離にある。
昼間ならともかく、今は夜中。
町中ならともかく、ここは山の中の軍事演習場。
深雪もエリカも頑強に抵抗したが、何とか説き伏せてホテルに残して来た。
それでも不安だったので、深雪の監視をほのかに、エリカの監視を美月に頼んである。
そして現在この場には、達也とレオの二人のみ。
「じゃあ、始めるか」
「りょーかい」
最初は試し斬り(今回は試し打ち)用の人形も無し。
何もない状態で、武装一体型CADの武装部分の動作を確認する。
「行くぜ」
レオは、柄尻に付いているスイッチを捻った。
カチッとはまりこむ軽い手応え。
グリップ上端のトリガーを人差し指で押し込み、サイオンを流し込む。
外見から受ける印象とは違い、爆発力は無いが、粘り強い持久力に優れたサイオン供給。いや、タフでスタミナに溢れているという側面は、見た目通りか。
個人用に調整されていないCADは術式構築のアシスト機能がほとんど働いておらず、起動式から魔法式を構築するコンパイルのプロセスにはそれなりの時間を要した。
およそ、ゼロコンマ六秒。
それでも実習の成績より随分速い。
これは、得意魔法であるということと、CAD及び起動式の性能に依るものか。
今は、どうでもいい事だ。
時間を測っているのではなく、発動する魔法そのものを観測する為に、今、ここにいるのだから。
「おっ?」
レオが声を発したのは、発動した魔法に対してというより、手に伝わってきた慣性が予想以上だったが故。
「ハハッ、ホントに浮いてら。
面白れ〜」
子供のような笑みを浮かべて、レオは刀身が半分以下になった「剣」を振り回す。
その動きに合わせて、空中に浮いた刀身の片割れが弧を描いて飛び回る。
「三、二、一」
「オッと」
達也のカウントを聞いて、レオは手を止めた。
「ゼロ」
時間切れのカウントと共に、空中の刀身が勢いよく手元に戻って鍔元に残った刀身の「切れ端」と噛み合い、一本の「剣」に戻った。
「大成功だな、達也」
楽しくて仕方がない、といった表情で親指を立てて見せたレオに、達也もサムズ・アップを返した。
「でもよ、よくこんな物を思い付いたな?
分離した刀身と残った刀身の相対位置を硬化魔法で固定することにより、刀身を『飛ばす』なんて、自分でやってても嘘みたいだぜ。
硬化魔法って、つながってなくても機能するんだな」
「硬化魔法の定義内容は相対位置の固定だからな。固定観念を取っ払ってやれば、接触している必要はない。
それと、このデバイスの作動形態は『飛ばす』というより、『伸ばす』の方に近いだろう。
間が中抜けになってるだけで、刀身の延長線上でしか動かん訳だし」
「その方が余計なことを考えなくて済むぜ。
長〜い剣を振るのと同じ感覚で良いんだからな」
レオの言う通り、この武装デバイスは遠隔操作系統の武器に付き物の、コントロールに精神力を磨り減らすという側面は無い。
術式の効力が切れるまで、単純に手を動かした通りに、同じ距離を保って飛び回るだけだからだ。
「ところで今はどうやって繋がってるんだ?
術式は働かせていないぜ?」
「ああ、それは簡単。
電流反応型の形状記憶合金に着脱の瞬間だけ電流を流して、噛み合わせを外しているんだ」
なるほど、とレオは頷いた。
現代では割とポピュラーな留め金の仕組みだ。
「だから魔法を解いている状態で強い衝撃を与えると、ポキッと逝ってしまう可能性が高いんだけどね」
「問題ないだろ。使わん時は鞘に収めてればいいだけじゃねーか」
「まあな。
じゃあ次は、実際に人形を叩いてみるか?
それとも、分離間隔の変更をテストしてみるか?」
「なあ達也、これって飛ばしてる最中に間合いを変えることは出来ねえのか?」
「不可能ではないが、難しいぞ?
今は柄尻のスイッチで分離間隔に関する起動式の定数を調整するようにしているが、魔法式の変数にすることも勿論出来る。
だが、途中で分離間隔を変えるとなると、発動中の魔法の上書きになるからな」
「そっか。
まっ、戻って来るまでの時間を短くしときゃ、途中で間合いを変える必要もないか。
実剣でも、斬り込んでいる途中で間合いを変えるなんて出来ないしな」
「エリカあたりなら出来そうだけどな。
で、どうする?」
「……そうさな。
ダミーを頼む」
「了解」
達也がノート大のリモコンを操作すると、地面から実物大の藁人形が突き出てきた。
「……古い」
「……誰の趣味だよ」
再生可能なバイオ素材が主流の時代とはいえ、まさかのアナクロに二人は顔を見合わせて脱力する。
「まあ……試し斬りの相手として、機能的には十分な訳だが」
「藁人形に『機能』もねえだろ……
けど確かに、文句を付けることでもねえよな」
レオは空いている左手で自分の頬を張って気合いを入れ直すと、藁人形に向かって構えを取った。
◇◆◇◆◇◆◇
九校戦三日目。
男女ピラーズ・ブレイクと男女バトル・ボードの各決勝が行われる此の三日目は、九校戦の前半のヤマと言われている。
第一高校の勝ち残り状況は、男子ピラーズ・ブレイクと男女バトル・ボードが各二人、女子ピラーズ・ブレイクが一人。
予定通りとは行かないが、作戦上誤差の範囲には収まっていた。
「服部先輩が男子第一レース、渡辺先輩が女子第二レース、千代田先輩が女子第一試合で十文字会頭が男子第三試合か……」
組合せ表を見て、達也は少し悩んだ。
競技によって開始時間も試合時間も多少ずれるとはいえ、服部と花音の試合を両方とも観に行くのは不可能だ。
(服部先輩は俺に観に来て欲しくなどないだろうしな……)
とは言え、同じ生徒会役員同士、深雪が服部のレースを知らん顔するのも問題だ。
「あっ、いたいた。
達也くん!」
しかし、それほど長く悩む必要もなかった、というか、無くなった。
「会長、何かご用ですか?」
「一寸手伝って欲しいのよ」
真由美に引きずられる格好で、達也は作業車へ連れて行かれた。
◇◆◇◆◇◆◇
「お兄様、もうすぐスタートですよ!」
結局、達也が解放されたのは、摩利のレースが始まる直前だった。
作業中わざわざ「あたしのレースは観に来るんだろうね?」と念押しまでされて、見逃したなどということになれば、それが一部分だけであろうとも、後で何を言われるか分からない。
席を取ってくれた妹と友人たちに一通り礼を言って、達也はスタートラインへ目を向けた。
本当にギリギリのタイミングだったようだ。
バンダナで纏めたショートボブの髪を揺らし、摩利は既に、スタート姿勢を取っていた。
準決勝は一レース三人の二レース。
それぞれの勝者が一対一で決勝レースを戦うことになる。
他の二人が緊張に顔を強張らせている中、摩利だけが不敵な表情でスタートの合図を待っている。
用意、を意味する一回目のブザーが鳴る。
観客席が静まりかえった。
一拍の、間。二回目のブザー。
スタートが、告げられた。
先頭に躍り出たのは摩利。
だが予選とは違い、背後に二番手がピッタリついている。
少し遅れて、三番手。
「やはり手強い……!」
「流石は『海の七高』」
「去年の決勝カードですよね、これ」
激しく波立つ水面は、二人が魔法を撃ち合っている証だ。
普通ならば先を行く摩利の方が引き波の相乗効果で有利だが、七高選手は巧みなボード捌きで魔法の不利を補っている。
スタンド前の長い蛇行ゾーンを過ぎ、ほとんど差がつかぬまま、鋭角コーナーに差し掛かる。
此処を過ぎれば、スタンドからはブラインド。スクリーンによる観戦になる。
達也はチラリと大型ディスプレイに映ったコーナー出口の映像に目を向けた。
「っ?」
其処に見つけた小さな異常に、目を奪われる。
「あっ!?」
だから不覚にも、その瞬間を見逃してしまった。
観客席から聞こえた悲鳴。
急いで戻した視線の先では、
七高選手が大きく体勢を崩していた。
「オーバースピード!?」
誰かが叫んでいた。
確かに、そう見えた。
ボードは水を掴んでいない。
飛ぶように水面を滑る七高選手は、そのままフェンスに突っ込むしかない。
――前に、誰もいなければ。
彼女が突っ込むその先には、減速を終えて次の加速を始めたばかりの摩利がいた。
摩利はフェンスに身体を向けている。
それでも、背後から迫る気配に気付いたのか、肩越しに振り返った。
そこからの反応は、見事の一言に尽きた。
前方への加速をキャンセルし、水平方向の回転加速に切替。水路壁から反射してくる波も利用して、魔法と体捌きの複合でボードを半転させる。
突っ込んでくる七高選手を受け止めるべく、新たに二つの魔法をマルチキャスト。
突っ込んでくるボードを弾き飛ばすための移動魔法と、相手を受け止めた衝撃で自分がフェンスへ飛ばされないようにするための加重系・慣性中和魔法。
本来なら、そのまま事故を回避できただろう。
不意に水面が、沈み込んだりしなければ。
小さな変化だった。
だが、ただでさえ百八十度ターンという高等技術を駆使した後だ。
摩利はサーフィン上級者という訳ではなく、ただその優れた魔法・体術複合能力により無理に行った体勢変更は、突如浮力が失われたことにより、大きく崩れた。
その所為で、魔法の発動にズレが生じる。
彼女の足下を刈り取ろうとしていたボードを、側方へ弾き飛ばすことには成功した。
だが、慣性中和魔法が発動するより早く、足場を失った七高選手が摩利に衝突した。
そのまま、もつれ合うようにフェンスへ飛ばされる二人。
大きな悲鳴がいくつも上がった。
レース中断の旗が振られる。
達也も我知らず立ち上がっていた。
摩利は七高選手とフェンスに挟まれる格好で衝突している。
受け身が取れたようには見えない。
「お兄様!?」
深雪が蒼褪めた顔で彼を見上げている。
「行って来る。お前たちは待て」
幼い頃からボディガードとして、あるいは兵士としての訓練を積んで来た達也には、簡単な外科手術ならこなせる程度のスキルがある。
「分かりました」
達也の落ち着いた声で、自分たちが行っても混乱を増幅するだけだと理解した深雪は、腰を浮かせている友人たちに手振りで座るよう指示しながら、達也に頷いて見せた。
達也は人の密集するスタンドを、手品のようにすり抜けながら駆け下りて行った。
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