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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(10) 花形と裏方
「達也くん、こっちこっち!」
 風間たちとのティータイムから戻ってみると、スタンドは既に満席だった。
 達也が待ち合わせメンバーの姿を探していると、彼を先に見つけたエリカの方から声が掛かった。
「準々決勝から凄い人気だな」
 人の波を掻き分けるようにして進み、エリカの隣の席に座る。
「会長が出場されるからですよ。他の試合は、これほど混んではいません」
 達也の台詞は独り言に近い何気ない感想だったのだが、律儀に答えを返したのは、反対側の隣席をキープしていた深雪だった。
 今回は深雪の向こう側にレオ、エリカの後ろに美月、達也の後ろにほのか、深雪の後ろに雫という座席配置だ。
「ほのか、観辛くないか?」
 達也の身長は入学時から順調に伸びて、今では180センチ近く(正確には178センチ)になっている。
 段差があるとはいえ、観戦しにくいのではないか、との懸念は当然出て来る。
 だが振り返って訊ねた達也に、ほのかは笑顔で首を横に振った。
「……ところで幹比古はどうしたんだ?」
「気分が悪くなったんだって。部屋で休んでるって言ってた」
 達也の質問に答えた後、だらしない、とエリカは表情で付け加えた。
「熱気に当てられたみたいですよ。
 私もメガネを掛けていなかったらダウンしてたかもです」
 美月が幹比古をフォローする。
 なる程、感覚が鋭敏すぎるとそういうこともあるか、と達也は思った。
 彼女たちの心理模様も興味深かったが、今は考えないことにした。

 真由美がシューティングレンジに姿を見せた瞬間、嵐のような歓声がスタンドを揺るがした。
 スタンドの其処彼処に設置されたディスプレイが一斉に「お静かに願います」のメッセージを映し出し、潮が引くように歓声が収まる。
 声は消えたが、その分、熱気は強まったような気がする。
 達也は対戦相手の選手が少し可哀想になった。
 人気選手の相手をする時には、競技の種類によらず付き物のプレッシャー、ではあるのだが。
 相手を気遣ってのことだろう。
 真由美は観客の応援など存在しないような素振りで小銃型CADのトリガーロックをリリースし、開始の合図を待つ態勢を整えていた。
 競技の開始はシグナルで示される。
 実質的には、投射機が標的を撃ち出さない限り、この競技は始まらない。
 それでもスピード・シューティングの選手にとって、縦に並んだ五つのライトが、始まりを告げる角笛だ。
 最初のライトが点った。
 一つずつ光源が増え、光が最上段に到達した瞬間、素焼きの円盤が空中を飛び交い始めた。

 空中を白い(・・)円盤が乱舞する。
 真由美の撃ち落すべき標的は赤。
 赤く塗られたクレーは、有効エリアに飛び込んで来た瞬間、ほぼ同時に撃ち砕かれていく。
「すごい……」
 後ろから聞こえてきた感嘆の声に、達也は心の中で頷いた。
 確かに凄い。
 戦術的には、あまり賢い戦い方では無い。
 先に自分の標的を撃ち落してしまえば、相手は自殺点を心配しなくても良くなる。相手選手は、手当たり次第に攻撃することが可能になる。
 だがそんな小利口な理屈など粉砕してしまう、圧倒的な技量がここにある。
「えっ!?」
 思わず、といった感じでほのかの口から漏れた驚きの声。
 声にこそ出さないものの、雫も同じように驚いているのが気配で分かった。
「『魔弾の射手』……去年より更に速くなっています」
 空中を乱舞するクレーから目を離さず、頷く仕草だけで達也は深雪の言葉に応えた。
 白いクレーの向こう側を飛ぶ赤いクレーを、下から(・・・)撃ち抜いたドライアイスの弾丸。
 誘導弾ではない。(そんな非効率な魔法を使う物好きはいない)
 白いクレーが邪魔にならないポイントでドライアイスの弾丸を形成し、狙撃した遠隔魔法。
 魔弾を作り出すのではなく、その銃座――射手を作り出す魔法、それ故に『魔弾の射手(・・・)』。
 遠隔物に働きかける魔法自体は、ごく一般的なものだ。
 スピード・シューティングでも魔法で弾丸を生成して狙撃する真由美のような戦い方をする選手は寧ろ例外で、クレーに直接振動魔法を掛ける、クレーに移動魔法を掛けて別のクレーにぶつけて破壊する、という戦い方がこの競技の主流だ。
 魔法は物理的な障碍物に左右されないのだから、今のようにブラインドになった標的を破壊するのに特別な技術を使用する必要は本来、無い。
 では『魔弾の射手』と名付けられたこの遠隔弾丸生成・射出の魔法は、何を目的とし如何なるメリットを有するのか。
 それは、他人が魔法を使用している領域外から、死角をついて攻撃することができる、という点にある。
 例えばスピード・シューティングの対戦で、お互いに振動魔法を撃ち合った場合。
 互いの標的が接近している場合、互いの魔法が干渉し合って予期せぬ現象――例えば魔法が発動しないとか、超音波の衝撃波を撒き散らすとか――を引き起こすことがある。
 他の魔法師と競合する環境下で遠隔物を魔法で操作する場合は、座標を厳密に絞込み、より強い干渉力を発揮する集中力が必要とされる。
 対戦型スピード・シューティングは元々、魔法の発動速度と共に、魔力の集中を要求する競技なのだが、真由美は対戦相手の魔法行使領域外から狙撃することにより、一人で魔法を行使するのと同じ状況を作り出しているのである。
 無論それは、相手選手にとっても同じ。
 そうなれば戦いは純粋に、スピードと照準の精確さの勝負になる。
 そしてスピード、(照準の)精確性において、真由美の魔法力は世界的に見ても卓越した水準にある。
 高校生レベルでは、勝負にすらなっていなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 一日目の競技、スピード・シューティングは、大方の予想通り、女子部門で真由美が圧勝、男子部門も一高が優勝した。
「会長、おめでとうございます」
「ありがとう。摩利も無事、準決勝進出ね」
「まずは予定通りだな」
 既に夜も更け、食事も入浴も終わって、後は眠って英気を養うばかりの時間、真由美の部屋に女子生徒会役員(プラス風紀委員長)が集まっていた。
 まだ一日目が終わったばかりであり、真由美は明日も競技がある。本格的なお祝いは総合優勝の後ということで、今はジュースで簡単な祝杯を挙げているところだった。
 女性限定なのは時間を考慮してのこと、だが、別にパジャマパーティーという訳でもなく、男性がいても本当は差し支え無い。
 それなのに何故、女性のみになったかというと――
「少しヒヤッとしたが、服部も何とか勝ち残りか」
「CADの調整が合ってなかったみたいです。
 試合が終わってからずっと、木下先輩と二人で再調整してましたけど……」
「まだ終わっていないようですね」
 あずさの言葉を受けて、鈴音が端末で各スタッフの作業報告を確認した。
「木下くんも決して下手じゃないんだけど」
「残念ながら、名人とも言えないな」
 摩利の歯に衣を着せない評価に、真由美が苦笑を漏らした。
「あの、木下先輩の所為とばかりも言えないと思います。
 ここに着いてから服部くん、何だか不安定になってた気がします」
「厳しい言い方をするようだが、そういうのをひっくるめてアジャストするのがエンジニアの腕だ」
「それは……そうですけど……」
「こらこら摩利。あーちゃんを虐めないの。
 幸い、はんぞーくんは明日オフだし、本人の気が済むまでやらせてあげるしかないでしょう。
 ……でもそうすると、明日の木下くんの担当をどうするかが問題ね」
「木下君は女子アクセル・ボールの副担当になっています。
 サブですので、抜けても問題は生じないかと」
「そうねぇ……イズミんがいるから大丈夫とは思うけど……」
「和泉一人に任せるのもリスキーじゃないか?
 アクセル・ボールのコートは六面だ。
 一回戦でも二試合が同時になるし、一回戦を三人全員が勝ち抜けば、二回戦は三試合同時。
 真由美は自分で調整できるとしても、残る二人分を一度に調整する必要が出てくるかもしれない。
 各試合のインターバルが長く取ってあるとはいえ、時間が足りなくなる事態も十分予想される。
 その為のサブだろう?」
「男子のサブの石田君を女子兼任にするのは如何ですか?」
 女子の試合は午前、男子の試合は午後。鈴音の提案は、スケジュール的には可能なものだったが、真由美の反応は否定的だった。
「午前も午後もじゃ、石田君に負担が掛かり過ぎよ。
 アクセル・ボールは一日の試合数が一番、多いんだから」
「では、明日、明後日の両日ともオフの司波君では如何でしょう?」
 鈴音の代替案に、真由美は少し考えてから頷いた。
「……それが一番かな。
 じゃあ、深雪さん。達也くんに伝えてくれる?」
「はい」
 真由美の依頼に、深雪は笑顔で頷いた。

◇◆◇◆◇◆◇

「……それでこんな夜更けに来たのか」
 いくら兄妹とはいえ、およそ若い女の子が男性の部屋を訪れる時間ではない。
 達也はベッドに腰掛けるよう深雪に手振りで示しながら、呆れたように呟いた。
「……ご迷惑でしたか?」
 不安げに眼差しを揺らして深雪が問う。
「いや、知らせてくれたのはありがたいが……」
 深雪にこういう目をされて、達也が強く出られた(ためし)は無かった。
「いくらホテルの中とはいえ、女の子が部屋の外を出歩く時間じゃないよ?
 色々と不穏な動きもあるんだ。
 もしかしたら廊下に不審者が侵入しているかもしれない」
 ここは一応、軍事施設。
 セキュリティは一流民間ホテルより更に上だ。
 いくらなんでも考え過ぎではないか、と深雪は思ったが、達也が心配してくれるのは嬉しかった。
「はい、申し訳ありませんでした、お兄様」
「満面の笑顔で謝られてもなぁ……」
 ぼやく達也の方も、顔が笑っている。
 これでは叱責どころかお小言にすらなっていないが、元々妹を厳しく叱り付けるには、達也は深雪に甘過ぎるのだった。
「とにかく、伝えてくれてありがとう。
 部屋まで送っていくよ」
 達也が椅子から立ち上がると、深雪も慌てて立ち上がり、大急ぎで両手を振った。
「いえ、一人で大丈夫です。
 お兄様は作業中でいらしたのでしょう?
 ただでさえお邪魔してしまったのに、これ以上お手間を取らせる訳には……」
「作業中と言っても、これは遊びのようなものだから気にしなくて良いよ」
 妹の視線から隠すように、達也はノート型端末を閉じた。
「ですが、今のはCADのプログラムですよね?」
 ハードはあまり得意でない深雪だが、達也の影響でソフトにはある程度のスキルがある。
 チラッと見ただけで内容を理解することは出来ないが、開いていたエディターの種類やコードの書式から、それが起動式用のプログラムだという程度のことは見分けがついた。
「今回の競技とは無関係のものだから、中断しても少しも構わない。
 プログラム自体、玩具用みたいなものだからね」
「玩具、ですか?」
「一寸、新しい近接戦用の武器を思いついたんだが、実用性はほとんど無いんだ。
 相手を驚かせるくらいの効果しかない、だろうなぁ。
 完成しても製品化はできないだろうね」
「それでも新しい魔法としての意義はあるのでは?
 お兄様がお作りになるもので、無意味なものなど無いかと」
「ジョークとしての価値はあるかな。
 まあ、そういうものだから、急いでいる訳じゃない。
 それよりお前の方が重要だ(・・・)
「そんな……お兄様ったら、わたしの方が大切だ(・・・)、なんて……」
(んっ?)
 両手を頬に当てて俯く妹に、達也は少なからぬ違和感を感じた。
 今、自分の台詞が妙な方向へ改竄されたような気がしたのだ。
(意味は合ってる、が、ニュアンスが致命的に違うような……)
 戸惑いは一瞬では収まらなかったが、現実に復帰したのは達也の方が早かった。
「……行こうか」
「はい、わたしの大切なお兄様」
 達也は思わず膝が抜けそうになった。
 深雪はまだ、現実に復帰できていないようだ――と、信じたい。
 達也はこの時、そう思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 九校戦二日目。
 達也は技術スタッフのユニフォームを着て、競技エリア内に設けられた第一高校の天幕に居た。
 このユニフォームに袖を通すのは発足式以来だ。(開会式に出席するのは選手のみ)
 懇親会のブレザーといい、このブルゾンといい、どうにも抵抗感を拭い切れない。
 だが、ユニフォームとして定められている以上、彼の方で慣れる以外に無いことも分かっていた。
「どうしたの? 何か不機嫌?」
「いえ、特には。何故そのようなことを?」
 真由美に問われ、落ち着いた声で問い返したが、内心、動揺を禁じ得なかった。
 ポーカーフェイスを保っていたつもりだったが、そんなに分かり易かっただろうか。
「んーっ、なんとなく?」
「いえ、そんな曖昧なことを疑問形で言われましても……」
 字面とは別の意味で、達也は脱力した。
 どうやら、特に表情に出ていたとか雰囲気に棘があったとかそういう理由では無さそうだ。
 もっとも、何の兆候も無しに彼の心の裡を言い当てたとなれば、寧ろその方が怖い、というか脅威ではあるのだが。
「それより何か御用があったのでは?」
 今は気にしても仕方のないことを脇にどけて――気にしても対策など立てようもないし――達也は試合前の真由美が彼の所へやって来た理由を訊ねた。
「様子を見に来ただけ、だったんだけど……データはもう頭に入ったの?」
 彼が女子アクセル・ボールの副担当をするのは昨晩急遽決まったことであり、実際にCADの調整を手掛けなければならなくなった場合の為に、達也は各選手のサイオン特性データを大急ぎで頭に叩き込んでいたのだった。
「ええ、まあ」
「全員分?」
「ええ、まあ」
 全く同じ短い答えを繰り返した達也を、真由美は目を丸くして見詰めた。
「何か今更、って感じだけど……達也くんってホンっトに凄いのね」
「瞬間記憶とか完全記憶とかいうらしいですよ。
 俺としてはこんなものより、普通の魔法力が欲しかったんですけど」
「受験生としては許しがたい贅沢ね」
 受験などしなくても推薦で進学できるくせに、真由美はそんなことを言い出した。
 ――両手を腰に当て、頬を膨らませるオマケつきで。
「…………」
「ん? どうしたの?」
 片手の親指と中指で両のこめかみを揉み始めた達也に、真由美はちょこんと小首を傾げて見せる。
「会長、もしかして……いえ」
「?」
 言いかけた台詞は「演技じゃなくて素だったんですか?」なのだが、達也はその台詞を呑み込んだ。――まず、賢明と言えよう。
「……そろそろ試合が始まるんじゃありませんか?」
「そうね。
 じゃあ、行きましょうか」
「はっ?」
「だから、一緒に行きましょうか」
「……ええ、そうですね」
 試合中の調整は許されないが、試合終了後すぐに再調整をしなければならないケースも考えられる。
 スタンドではなく、コート脇についていなければならないのは当然だった。
 達也は振り返る真由美の横へ並んだ。

「深雪さんはスタンドなの?」
「ピラーズ・ブレイクを観に行ってます」
「そっか……本当に別行動することもあるのね」
 真由美は歩きながら随分感慨深げに頷いた。
 達也は少々情けない気持ちになった。
「……そんなにいつもいつも一緒にいるように見えるんですか?」
 余程情けない顔に見えたのだろうか。
 真由美は大慌てで両手を振って、否定の意思を示した。
「えっ、いえ、本当はそうじゃないって分かってるのよ?
 生徒会の仕事中はいつも別々だし、教室だって実習だって一緒じゃないって知ってるし。
 ほら、何と言うかその……イメージよ、イメージ!」
「会長……魔法師にとって、イメージは現実そのものなんですが……」
 湿度と重量を増した眼差しに、真由美は見えない汗をだらだらと流さなければならなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 重苦しい空気は、コートに着くまで続いた。
 流石に試合場を前にして、士気に差し障る態度を取り続けるのは拙いと考えた達也は、自分で自分に一喝を食らわせて表情を引き締めた。
 しかしそれは、真由美が上に羽織っていた膝上丈のクーラージャンパー(熱電効果による冷却機能がついた防暑用スタジアムジャンパー)を脱いだ瞬間、危うく崩れ落ちそうになった。
「……もしかしてそのウェアで出るんですか?」
「そうよ?」
 当たり前のように頷かれて、達也は頭痛を感じた。
「本当に、そのスコートで試合をするんですか?」
「えっ、おかしいかな?
 ……似合ってない?」
「…………とても良くお似合いです」
「そう……? フフッ、ありがと」
 上機嫌でストレッチを始めた真由美の姿を、達也はもう一度確認の意味を込めて見てみた。
 何度見ても、彼の見間違えではなかった。
 テニスウェア、としか表現しようのない、ポロシャツにスコート姿。それも競技用というよりファッション性重視。
 少し身体を傾けるだけで裾が跳ね、アンダースコートが見えてしまう。
 アクセル・ボールは動きの激しい競技だ。
 通常は半袖シャツにショートパンツ。転んでも大丈夫なように、膝・肘用のプロテクターを着ける選手もいる。
 魔法オンリーで戦えばその限りでは無いが、ラケットを使わない選手は逆に、ボールがぶつかっても怪我をしないようなウェアで試合に臨む。
 こんな両手両足むき出しの、ヒラヒラした格好で出場する競技ではなかったはずなのだが……
(この女性(ひと)なら何でもありか)
 見慣れてくると何となくそんな気がして、達也は納得してしまった。
「達也くん……今なにか失礼なことを考えなかった?」
「滅相もありません。
 ラケットは使わないんですか?」
 中々鋭い指摘を真面目くさった顔でサラリと流し、事務的な口調で話を逸らす。
「うん、私はいつもこのスタイルよ」
 一瞬、いつも「テニスウェア」スタイルなのか、と勘違いしそうになったが、これは勿論「魔法オンリー」の競技スタイルという意味だ。
「CADは何を?」
「これ」
 そう言って真由美は、小さなバッグの中から拳銃形態の特化型CADを取り出した。
 ショートタイプ、一部でシビリアンタイプと呼ばれる、実弾拳銃の銃身に当たる部分が短いタイプの物だ。(達也のCADはロングタイプ、一部でキャバルリータイプと呼ばれる銃身部分が長いタイプ)
 拳銃形態・小銃形態CADの銃身部分には照準補助装置が詰まっている。魔法的な座標(対象物エイドスのイデア内における相対座標)を計測する為のアクティブレーダーがこの「銃身」の正体だ。
 長い銃身を持つCADは、それだけ照準補助を重視しているということになる。
 逆に言えば、特化型の起動速度のみを求め、照準補助を必要としていない魔法師には、軽くて携行も取り回しも便利なショートタイプの方が向いていると言える。
「会長は汎用型をお使いでしたよね?」
「普段はね。
 どうせ一種類しか使わないから」
 随分省略された言い方だが、「試合中はどうせ一種類の魔法しか使わないから特化型を選んだ」という意味だと、達也は正確に理解した。
「移動魔法ですか? それとも、逆加速の魔法ですか?」
「正解。『ダブル・バウンド』よ」
 真由美は入念なストレッチを続けながら、特にもったいぶることもなく達也の質問に答えた。
「達也くん、ちょっと手を貸してくれない?」
「いいですよ」
 ぺたりと座り込んで大きく脚を広げた真由美の背中を軽い力で斜めに押す。
 ほとんど抵抗もなく、彼女の胸は脚についた。
「運動ベクトルの倍速反転ですか……しかし、あれ一種類ではリスクがありませんか?
 低反発性ボールでは、壁や床で運動エネルギーが失われると、相手コートまで戻らない可能性もありますが」
 少し低めの体温を掌に感じながら、達也は肩越しに囁く形で注意を促してみた。
「んーんんん……っと、一応、他の加速系魔法も入れてるけど、去年も使わなかったし」
 事も無げに言っているが、これは相当の力量差が無いと出来ないことだ。
 真由美のレベルがどれほど飛び抜けているのか、達也は改めて実感した。
「もう良いわ」
 左右四回ずつ繰り返したところで真由美に言われ、達也は手を離した。
 腰を伸ばして距離をとると、両足を揃えた真由美がこちらを見上げて手を差し出している。
 何がしたいのかすぐには分からなかったが、じっとこちらを見詰めるだけで動こうとしない真由美の少し不満げな表情を見て、達也はようやく彼女の意図を理解した。
 正面に回りこんで差し出された手を握る。
 小さく、柔らかな手だった。
 彼が軽く引っ張ると、真由美は膝を揃えたまま器用に立ち上がった。
「ありがと」
「いえ、どういたしまして」
 我ながら愛想に欠ける受け答えだと達也は思ったが、真由美は何故か嬉しそうだった。
「う〜ん、何か新鮮」
「はっ?」
 流石にこの発言は脈絡が無かった。
 反射的に問い返した達也へ、真由美はニコニコと笑みを返した。
「私って、兄と妹はいるけど弟はいないのよね」
「はぁ……」
 それは知っていた。
 秘密主義の四葉と違い、七草家は社交的な家柄だ。
 子供たちの誕生日パーティーも大勢の招待客を呼んで毎年盛大に祝っている。
 少し調べれば、七草家の家族構成を知ることは特に難しく無い。
 確か、兄二人の他に、中学三年生になる双子の妹がいたはずだ。
「達也くんって私のこと特別扱いしないじゃない?」
「……そんなに馴れ馴れしくしているつもりもありませんが……」
 達也が落とし穴に警戒しながらそう言うと、真由美はクスッと笑った。
「そういう意味じゃなくって。
 変に構えたりオドオドしたりソワソワしたりしないでしょ?」
 最初のはともかく、後の二つは真由美がそう仕向けているからじゃないのか、と達也は思ったが、無論、そんなことは口には出せない。
「一応敬語を使ったりしてるけど、実は遠慮がないし。
 冷たいのかと思うと、こんな風に我侭も聞いてくれるし。
 弟ってこういう感じかな〜、なんてね」
 達也は思わず、目を瞠って真由美を見返してしまった。
 確かに身長を除けば、それなりにしっかりしているし意外と色気もあるし少々分かり難いが気配りも出来るようだし、「姉」と自称されても違和感は無い。
 だが正直言って、こんな姉がいたら気の休まる時が無くなりそうだと思う。
「……さあ?
 俺も妹だけですから」
「それもそっか」
 これから試合だということを忘れてるんじゃないか、と思いたくなる笑顔で、真由美は達也をニコニコと見詰めている。
 いい加減、居心地が悪くなった達也は逃走を試みた。
「すみません、他の選手の様子も見ておきたいと思いますので」
「その必要は無いわ」
 だが彼の逃走計画は、第三者の介入によりあえなく失敗に終わった。
「あら、イズミん」
「七草……アンタ、相変わらずその呼び方なのね」
 頭痛をこらえるような仕草を見せたのは、達也と同じブルゾンを着た女子生徒。技術スタッフ三年生の和泉理佳である。
「リカちゃんの方が良かった?」
「わざとやってるでしょ!
 はぁ、良いわよもう、イズミんで」
「それで、和泉先輩。
 必要ない、とは?」
 真由美の言葉遊びに付き合っていたら(きり)がない、と達也は既に学んでいた。
 真由美と和泉、二人のやり取りを完全に無視して、達也は最初の台詞の意味を訊ねた。
「えっ? ああ……
 司波君、貴方は七草の試合を見ていて。
 あっちは私が見てるから」
 この和泉という女子生徒は、達也が技術スタッフに加わっていることを余り好意的に思っていない。
 エリート意識、と言うより自負心が強いタイプだ。
 多分、彼の手を借りなくても自分だけでカバーできる、と考えているのだろう。
「そうですか。分かりました」
 本当は逃げたいのだが、分担がそういう風に決まれば達也に否やは無い。
 余計なことを言わずに、達也は頷いた。
「じゃ、頼んだわよ」
 付け足しのようにそう言い捨て、和泉はすたすたと去って行く。
「悪い子じゃないんだけどねぇ」
 やれやれ、という空気を醸し出しながらその背中を見送る真由美だったが、達也にあえて聞かせるように呟いたその台詞も、彼には風のそよぎと同じだった。
 和泉がどのような態度を取ろうと、達也には関係のないことだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 アクセル・ボールはテニスやラケットボールに似た球技だが、サーブという制度は無い。
 一セット三分、インターバル三分の、三セットマッチ。(男子は五セットマッチ)
 試合開始の合図と共にコートの両サイドから圧縮空気で射出された六個のボールは、ブザーがセットの終了を告げるまで、コートを目まぐるしく飛び交って止まることは無い。
 ――普通ならば。
 だが達也の目の前で行われている試合は、少々毛色が違っていた。
 対戦相手も真由美と同じ魔法オンリーのスタイル。
 この競技に出てくるだけあって、移動系統を得意としているようだ。
 身体の動きでイメージを補完するタイプなのか、両手で保持したショートタイプ拳銃形態CADを忙しくボールの方へと動かしている。
 移動魔法に捕らえられたボールは、得点エリアに落ちる前に空中で運動方向を変え、真由美のコートへ不自然な弧を描いて飛んで行き――ネットを越えた瞬間、倍のスピードに増速されて反転する。
 全てのボールが、一球の例外も無く。
 真由美は胸の前に両手でCADを構え、コートの中央に立っている。
 まるで絵のモデルのように、ただ、立っているだけ。
 透明の壁で覆われたコートの中は、彼女の髪を、短いスコートの裾を揺らす風も吹かない。
 伏せ気味の両眼に神秘的な光をたたえ、祈るようにCADを捧げ持っている。
 ただそれだけで、相手の得点を許さない。
 目測で、およそ十センチ。
 それが、相手ボールに許された侵入の限界線。
 真由美の魔法は、ボールに細かいコントロールを付加していない。
 相手の得点エリアを狙うのでもなく、単純に打ち返しているだけであり、見た目の難易度はボールの軌道を折り曲げて様々な角度から得点エリアを狙う相手選手の魔法の方が高度に見える。
 だが現実に得点を重ねているのは真由美の方だ。
 一方的に、一つの失点もなく。
 三分の笛が鳴らされた瞬間、相手選手は両膝をついてコートにへたり込んだ。
 その崩れ落ちるが如き動作が、相手選手の絶望を映し出しているように見えた。

◇◆◇◆◇◆◇

 ペースを乱されず、集中を崩されず、超然と魔法を操っているように見えた真由美だったが、彼女の内心はそれほど穏やかなものではなかった。
 セット終了の合図を聞いて、思わず長い息を吐き出してしまう程度には。
 試合自体は、苦戦しているという意識はない。
 傲りではなく、客観的な認識として、自分の魔法力は相手選手を圧倒していると分かっている。このまま次のセットで、確実に勝負は決まる。
 問題は、コート脇から彼女を見詰めている視線だった。
 見られることには慣れている。
 彼女は物心ついて以来、ずっと注目され続けてきたのだ。
 純粋な賞賛を込められたものもあれば、陰湿な嫉妬や生々しい劣情を隠したものも、彼女には空気のようにお馴染みのものだった。
 だがこの三分間で感じた視線は、初めて体験するものだった。
 自分の全てを見られているような錯覚。
 単に裸を見られている、というレベルのものではない(それだって大問題だが)。
 短いスカート(あるいはスコート)の裾や大きく開けた胸元にこっそり向けられる眼差しなら、寧ろお馴染みのものだ。
 真由美が彼――達也から感じた視線は、そんなありきたりなものではなかった。
 素肌にとどまらず、その下――肉や骨や血、彼女を物質的に構成する要素、プラス、彼女の意思や感情や価値観、癖、習慣、嗜好、今の彼女を形作っている過去、彼女を支える才能と努力、「七草真由美」という人間を構成する全要素が読み取られ、さらけ出される様な、得体の知れない不安感をもたらす視線。
 達也が真由美の試合を間近に見るのはこれが初めてだ。
 だが、担当する一年生の練習試合はこの距離で何度も見ているはずで、見られていた一年生たちから、不安を訴えられたことはない。
 この感覚に自分より年下の少女たちが耐えられるはずはない、と思う。
 そうするとこの感覚は、本当に自分の錯覚か、それとも――自分だから感じ取ることができたのか。
 今から三分間のインターバル。普通はその間に、汗を拭いたり水分を補給したりする。
 しかし、タオルやドリンクを入れたバッグは、達也に預かってもらっている。
 コートの外に出るということは、自分から達也が待っているところへ――待ち構えている所へ行くということになる。
 コートの外に出るのが、真由美は少し、怖かった。
 とはいうものの、このままずっとコートの中にとどまり続けるのも不自然だ。
 一歩も動いていないとはいえ、座った方が良いのは間違いないし、水分を補給すべきでもある。
 コートチェンジだってしなければならない。
 運営委員から変に思われるだけならともかく、応援に来てくれている同級生や下級生に不安を与えるのは、彼女の立場として如何にも拙い。
 真由美は一つ深呼吸して、吐き出す息と共に不安感を身体の外へ追い出した。
(えーい、女は度胸!)
 真由美は自分の足に前進を命じた。

◇◆◇◆◇◆◇

「お疲れ様でした」
 タオルを差し出す下級生を前にして、あの得体の知れない息苦しさは少しも感じられなかった。
 いつも通りの、真面目くさった表情の下に一癖も二癖も隠しているに違いない、彼女にも内心を読み取らせないポーカーフェイス。何を考えているのか分からないという不安感と、それでも決して裏切られることだけはないという奇妙な安心感を与える年下の男の子。
 さっきの「弟のようだ」という台詞は、その場の思いつきでも達也をからかう為の冗談でもなかった。冗談であることに違いはないが、一面では真由美の本音でもあった。
 彼のことを怖がっていた自分が何だかバカバカしくなって、真由美は不必要に強気な態度を取った。
「お疲れ様でしたって、まだ試合は終わってないわよ。
 気を抜いちゃダメ」
 達也はチームの一員ではあるが、選手ではない。
 彼の出番は試合が始まる前と試合が終わってからで、試合中は傍観者に過ぎないのだから「気を抜くな」というのはおかしな台詞なのだが、達也はその点に気づきながら敢えて指摘はしなかった。
「いえ、もう終わりでしょう」
「えっ?」
 その代わり、現状においてもっと有意義な指摘を選んだ。
「相手選手に試合を続ける余力はありません。
 このまま次のセットに入っても、途中で力尽きることは明白です。
 向こうのスタッフにも分かっているはずだ。
 この試合は、向こうが棄権して終わりです」
 真由美がコートの方を振り返ってみると、果たして相手チームの作戦スタッフが審判団と何事か話をしている。
 相手選手は、ベンチに座り込んで腕にメディカルチェッカーを巻いていた。
「魔法の連続発動によるサイオンの枯渇です。
 ペース配分を誤ったのでしょう。
 会長の試合相手を務めるには、少々役者不足でしたね」
「……見ているだけで、そこまで分かるものなの……?」
「キチンと視て(・・)いれば、分かるものですよ」
 達也の台詞が聞こえていた訳ではないだろうが、彼がそう言った直後、審判団から相手選手の棄権が告げられた。
 惚けた表情で立ち尽くす真由美は、レアで且つ、他愛のない笑いを誘う姿だったが、達也は微笑を浮かべることもなく、真由美に移動を促した。
「テントへ行きましょう。
 次の試合に備えてCADをチェックしておいた方が良い」
「ええ、そうね。お願いするわ」
 主導権を完全に達也に握られた形となっていたが、真由美は無意味に反発を示すこともなく、彼女の荷物を持って歩き出した達也の後に続いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 調整機の立ち上げを終えた達也にCADを渡しながら、真由美はその隣に腰を下ろした。
 向こう側、ではなく。
 膝まですっぽり隠すクーラージャンパーは羽織っておらず、試合中の「テニスウェア」スタイルだが、これは真由美の悪戯心によるものではなく、達也が不自然に体を冷やすことを止めた所為だ。
 肩が触れ合うほどの至近距離に椅子を並べているのだが、例によって達也はむき出しの太ももに見向きもしない。
 真由美も別段、そのことに口を尖らせたりはしない。
 彼女の注意は、調整機と、そこにつながれた自分のCADに向いていた。
「私の計測はしなくてもいいの?」
「十分や十五分では、プログラムの書き換えは出来ても、テストをする時間がありませんから。
 わざわざ機械を使って測定する意味はありません」
 彼と話をしていると間々あることだが、真由美は無意識に小首を傾げてしまった。
 今の言い方は、まるで機械を使わなくても大まかな計測が出来るように聞こえたが……
「……見ただけで分かるの?」
「分かりますよ。会長にも分かるでしょう?」
「えっ、と……」
「魔法が正常に発動しているかどうか、CADが正常に機能しているかどうかは、計測機を使わなくても魔法師ならば見ただけで分かります。
 会長にも勿論、分かりますよね」
「それは分かるけど」
「俺にはそれが、ある程度詳しく分かるだけです」
 達也の目はずっとディスプレイを流れる文字列へ向いたままだ。
 ある程度、がどの程度なのか、真由美は非常に気になったが、単なる好奇心でエンジニアの作業を邪魔することは彼女にも流石に憚られた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也は調整機から取り外したCADの電源をオフにして、トリガーや起動式切替スイッチの感触をチェックしてから、真由美に手渡しで返した。
 自分で明言したとおり、中のプログラムは弄っていない。
 その事に真由美は少しホッとしながら(本人は隠しているつもりだったが、達也にはバレバレだった)、何を思ったのか、手渡されたCADのグリップを握りトリガーに指をかけたまま、膝の上においた。
「会長……あまり良い気分はしないので、銃口をこちらに向けないでもらえますか」
 正確に言えば、CADに「銃口」は無い。
 ライフルタイプの大型CADの中には、先端に撮像素子がセットされたものもあり、それが光学兵器の「銃口」に見えないこともないのだが、拳銃形態のCADではショートタイプであろうとロングタイプであろうと「銃身」の先端は単なる金属面だ。
 だが全体の形状が実銃に酷似しているので、銃器の恐ろしさを熟知した者にとっては、「銃口」を向けられると少なからず不安になるのである。
「あっ、ごめんなさい」
 そういう事情をどの程度理解しているのかは分からないが、真由美は素直に謝罪を口にして、くるりとCADを回転させ、銃身を持って銃口を自分の方へ向ける格好で持ち直した。
「俺の方こそすみません。細かいことを言って」
「気にしないで。もっともな事だしね。
 それで、どうだった?」
 省略の多過ぎる質問だったが、喜ぶべきか悲しむべきか、真由美が何を訊きたいのか達也には解ってしまった。
「上手に調整されていると思いますよ。
 無理をせず、奇を衒わず、基本に忠実に、確実性が確保されています。
 確実性重視のあまり、起動式にいささか冗長な部分もありますが、会長の魔法力を考えれば、満点じゃないでしょうか」
 とりあえず、誤魔化したり煽てたり粗を探したりする場面ではないので、達也は思ったままを口にした。
 調整機に表示されたままの起動式を見ながら答えて、真由美に視線を戻すと――彼女は微妙に、照れていた。
「そう……?
 フフフ、何だか、嬉しいわね」
 目元をほんのり赤くして、視線を僅かに逸らし、照れ笑いを浮かべ。
 派手に赤面されるより、かえって気恥ずかしさを覚える反応だった。
「……そうですか?」
 間がもたない、という要素もあったが、真由美は褒め言葉など日常的に聞き飽きるほど聞いているだろうに、という純然たる疑問もあった。
「ええ。
 お世辞を言わないって分かってる相手から褒められるのは嬉しいじゃない?」
 達也も自分のことを、分別を備えた大人だと考えている訳ではない。
 客観的に、自分はまだまだ未熟な子供だと思っている。
 それでもこの、真由美の評価は、お世辞も言えない社会不適格者と言われているような気がして少なからず不本意だった。
「……俺も人並みにお世辞くらい言いますが」
 しかし達也の、ある意味月並みな反論を、真由美は見透かしたようにニッコリ笑って切り返した。
「お世辞なの?」
「……いえ、違いますけど」
 したり顔で笑われているのが少し口惜しかったが、これ以上足掻くと底なし沼にはまり込んでしまうのは間違いない。
 そもそも最初から反論が必要な場面でもなかったのだ。
 達也は潔く、真由美の笑顔を受け容れた。

◇◆◇◆◇◆◇

 アクセル・ボールは九校戦中、一日の試合数が最も多い競技だ。
 試合数自体はモノリス・コードが六試合と最も多く、アクセル・ボールはピラーズ・ブレイクと同じ五試合だが、モノリス・コード、ピラーズ・ブレイクが二日間にわたり競技日程が組まれているのに対して、アクセル・ボールは五試合を半日で戦い抜かなければならない。
 試合時間も短いとはいえ、競技の性質上、三分間のセット中は息をつく間もないほど魔法を連発しなければならないから決して一試合あたりの負担が小さいとは言えない。
 故にこの競技を勝ち抜く為には、如何に魔法力の消耗を抑えるかが重要になると言われている。
 二セット連取が望ましいのは勿論のこと。
 セット中も遮二無二全てのボールを返しに行くのではなく、ある程度の失点は織り込んだ上で無理のないペース配分を行わなければならないとされている。
 最初から最後まで同じペースで魔法を使い続けられる真由美の様な選手は、反則級の規格外なのだ。
 とは言っても、真由美も考え無しの力自慢ではない。
 彼女も一応、戦法は考えている。
 二セット連取は必須条件。――いや、それは単なる力ずくだろう、というツッコミは禁則事項だ。
 余りこの競技向けとは言えない、単純にボールを跳ね返すだけの魔法一種類で戦うのも、複数の魔法を使い分けることによる消耗を抑える為だ。――それは魔法力の消耗を抑えることにはならない、というツッコミも却下する。
 とにかくそういう訳で、試合が始まれば最初から迷わず全力全開、が彼女の身上なのだが……
 第二試合が始まって、彼女は珍しく、戸惑っていた。
 調子が悪い訳ではない。
 相変わらず、相手に一得点も許さぬまま既に第一セットの半分が過ぎている。
 寧ろ、その逆だった。
(何故……?)
 第一試合が相手の棄権で終わった為、通常より長い休憩時間を取れたのは確かだ。
 だがそもそも、半日で五試合というタイトなスケジュール。
 疲労により調子が落ちていくことはあっても、実感できるほど調子が上向きに変わるというのは、普通なら考えられないことだった。
 ということは、普通ではない原因がある、ということに他ならない。
 思い当たる節は一つだけだ。
 セット終了のホイッスルと共に、
 真由美は、嘘つきな下級生を問い詰めてやろうと決心した。

◇◆◇◆◇◆◇

「達也くん、プログラムは弄らないんじゃなかったの!?」
 第一試合とは正反対。
 セット終了の合図と共に、真由美はコート外へ、達也の所へ突進した。
 真由美の剣幕に達也は驚きを隠せなかったが、応える口調は落ち着きを保っていた。
「プログラムは弄っていませんよ。
 動作上の不都合は無かったはずですが、何か気になる点がありましたか?」
「嘘!」
 ビシッ、という擬音が本当に聞こえてきそうな勢いで、真由美は達也の鼻先に指を突きつけた。
「術式構築の効率が明らかに上がっていたわよ。
 ハードを改造する時間なんて無かったから、ソフトを弄ったとしか考えられない!」
「……効率が上がったんですよね? 下がったんではなく」
 困惑気味に達也がそう問うと、真由美のテンションが見る見る(しぼ)んでいった。
「それは……そうだけど……」
 効率が損なわれたならともかく、効率が上がったといって文句をつけている自分の態度が理不尽なものだとようやく自覚したようだ。
「とにかく、座りませんか」
 困惑顔のままでタオルを差し出された真由美は、少し恥ずかしそうで少し拗ねた顔をして、ベンチに腰を下ろした。
「効率が上がったのは、ゴミを取り除いたからでしょう」
 身体半分の隙間を空けてその隣に腰を下ろした達也は、あえて真由美に顔を向けぬまま、宥める様にそう言った。
「誤魔化さないで。私、隣で見てたのよ。
 分解掃除なんてしなかったし、クリーナーも使ってなかったじゃない」
 半ば意地になって言い返す真由美に、達也は根気よく答えた。
「いえ、ハードの掃除ではなく、ソフトのゴミ取りです」
「ソフトのゴミ取り?」
 どうやら真由美にはピンと来なかったようだ。
 CADの性能は使用者の精神状態にも左右される。
 エンジニアに対する不信感は、CADの性能を顕著に低下させる。
 事後承諾なので正確にはインフォームド・コンセントと言えないが、ここはキチンと説明しておくべきだろう、と達也は思ったのだ。
「会長のCADのシステム領域に、アップデート前のシステムファイルの残骸が散らばっていましたので、それを取り除いておきました。
 CADのOSはそういうゴミが残り難く出来ているんですが、それでも完全ではありません。
 そういう不要データを消去することで、CADの効率が多少アップするんですよ。
 もっとも、普通なら意識できるレベルではありませんので、さっきは説明しませんでしたが。
 会長の感受性がそれだけ鋭いということでしょうね。
 俺が迂闊でした」
「あっ、えっと、いいのよ、そういうことなら」
 大袈裟に頭を下げられて、真由美は狼狽気味に両手を振った。
「だったら達也くんは、自分の役目を果たしてくれただけだもんね。
 私の方こそ、疑うようなことを言ってゴメンナサイ」
 達也が顔を上げると、目の前にはぺこりと頭を下げた真由美の頭があった。
 随分切替が早い人だな、と達也は思った。
「じゃあ、この話はこれまでと言うことで」
 随分素直に頭を下げることが出来る人だな、とも達也は思った。
「そうね」
 年長者の余裕、なのだろうか。
「ねえ、達也くん」
 と言っても、上から目線の余裕ではない。
「はい?」
「後でその『ゴミ取り』のやり方、教えてくれる?」
 悪い気は、しない。
「いいですよ。
 ですが今は、試合に集中してください」
「もちろんよ。
 お姉さんに任せなさい!」
 殊更に年上ぶった態度が、寧ろ微笑ましかった。

 真由美はそのまま、相手選手をまるで寄せ付けない、全試合無失点・ストレート勝ちで、女子アクセル・ボール優勝を飾った。

◇◆◇◆◇◆◇

 アイス・ピラーズ・ブレイクは極めて大掛かりな舞台装置を必要とする競技だ。
 この真夏に、巨大な氷の柱を何百本も用意しなければならないのだから、いくら軍の全面的な協力があるといってもそう何面も競技フィールドを用意することは出来ない。
 用意できる競技場は、主に製氷能力の制約から、男女二面ずつ合計四面が精一杯。
 二面のフィールドで一回戦各十二試合、二回戦六試合、合計十八試合をこなすのが、一日のスケジュールとしては限界だった。
「もっとも、魔法力の消耗が激しい競技だからな。一日で五試合全部となると、今度は選手の方がもたないだろう。
 二日目の決勝リーグは、試合と試合の間隔も短い。ピラーズ・ブレイクが『最後は気力勝負』と言われているのも一面では真実を突いている」
 達也が教訓じみた解説をしている相手は、熱心に頷いている雫。
 深雪もこの場にいるが、妹だけなら今更聞かせる話でもなかった。
 三人がいるのは観客席ではなくスタッフ席。
 次に登場する花音の試合を間近に観戦することで、実際の試合の感触をつかもう、という趣旨だった。
 花音と五十里は最後の打合せで、とても声をかけられる状態ではない。
 他のメンバーは、男子アクセル・ボールの試合を見に行っている。
 桐原の応援に来た紗耶香にエリカが付き合い、エリカに美月が引っ張られ、美月が幹比古を誘い、幹比古がレオに声をかけ、という構図だ。
 この話を深雪から聞いた時、素直じゃないな、という感想を達也は持ったが、誰が何に素直じゃないかは言わぬが花だった。
 いよいよ花音がステージに上がった。
 フィールドの両端に設けられた高さ四メートルの櫓。
 選手はそこから、魔法のみで自陣の氷柱を守り、敵陣の氷柱を倒す。
 フィールド内であれば魔法の安全規制が解除される、魔法競技中、最も過激と言われる競技。
「司波君」
 花音をステージへ送り出した五十里が、達也を手招きしている。
「僕たちも上がろう」
 深雪と雫を引き連れた達也に、五十里はそう誘いをかけた。

◇◆◇◆◇◆◇

 選手が立つ櫓の後方に、スタッフ用のモニタールームがある。
 ここには選手の体調をモニターできる機器と、フィールドを直に見渡すことのできる大きな窓が設けられている。
「千代田先輩の調子はどうですか?」
 黙ったままでいるのも失礼な気がして、達也は当たり障りの無い話題を振った。
「随分気合が入っているよ。
 入れ込み過ぎて明日に影響しないか、心配なくらいだね」
 達也の繰り出した定番の質問に、五十里は笑顔で答えた。
 そこに、不安の影は見当たらない。
「一回戦は最短決着だったそうですね」
「花音はああいう性格だから。
 もう少し慎重に行ってくれると、見ている方も安心なんだけど」
 苦笑しながら返された言葉に、達也は興味を覚えた。
 午前中はずっと真由美についていた達也は、午前の一回戦を当然見ていない。
 ただ、花音が一回戦の最短時間で勝利したという結果を知っているだけだ。
 そういえば、試合時間が短かった割りに、自陣の(ピラー)も結構倒されていたようだが――
「始まる」
 雫の呟きに、達也はフィールドへ視線を向けた。

 試合開始の合図と共に、地鳴りが生じた。
「地雷源」
 地雷原、でなく、地雷源。
 達也は眼前の光景から、反射的にその二つ名を呟いていた。
 速さと共に多能性が現代魔法のセールスポイントだが、やはり人である以上、魔法師にも得意・不得意がある。
 魔法の才能が遺伝するものである以上、血縁者の間で得意・不得意が共通することが多いのも、また当然の傾向と言える。
 四葉のように、一族一人一人の特性がまるで異なる、という方が例外だ。
 有力な一族にはその共通する特性を以て、個人に対するものとは別に、一族に対する二つ名が贈られる――と言うか、つけられることがある。
 有名なところでは、十文字家の「鉄壁」。
 一条家の「爆裂」。
 七草家は不得意とする系統が無いことを以て、逆説的に「万能」と呼ばれたりする。
 千葉家は「剣の魔法師」。これは特性と言うより技能に贈られた二つ名だが、一族総体を指すものという意味では同じだ。
 そして千代田家の「地雷源」。
 振動系統・遠隔固体振動魔法、その中でも特に、地面を振動させる魔法を千代田家の魔法師は得意としている。
 土、岩、砂、コンクリートなど、材質は問わない。
 とにかく「地面」という概念を有する固体に強い振動を与える。それが千代田家の得意とする魔法「地雷原」であり、「地雷を作り出す者」=「地雷源」が千代田一族に与えられた二つ名だった。
 直下型地震に似た上下方向の爆発的振動を与えられ、相手陣内の氷柱が一度に二本、轟音を立てて倒壊する。
 相手選手は移動速度をゼロにする移動系統魔法「強制静止」で防御を図るが、標的を変えて次々と炸裂する「地雷原」に防御対象の切替が追いついていない。十二本の柱の内、五本を続けざまに倒されたところで攻撃に転じた。
「あら?」
「えっ?」
「……?」
 達也たちが三人三様の表現で意外感を表している横で、五十里が苦笑を浮かべた。
 あっさり倒されていく自陣の氷柱を見て、やれやれという感じで首を振っている。
「思い切りが良いと言うか大雑把と言うか……
 倒される前に倒しちゃえ、なんだよね、花音って……」
「……いえ、まあ……戦法としては間違っていないと思いますが……」
 攻勢に転じたことで、相手の防御力も落ちている。
 自陣残り六本となったところで、花音は敵陣の氷柱を全て倒し終えた。

◇◆◇◆◇◆◇

「勝利!」
 櫓から降りて来た花音が、得意げな笑顔でVサインを作って見せた。
 笑顔を向けた相手は無論、五十里だ。
 しょうがないなぁ、という表情を浮かべながら、五十里もやはり笑顔だった。
「なんと申しましょうか……」
「お似合い?」
「理解し合っている、と言っておこうよ、二人とも」
 達也は達也で、連れの二人に別の意味で苦笑を余儀なくされていた。
 本音は達也も「お似合いだ」と思っていたのだが。
 この二人は本当に息が合っている気がする。
 選手と裏方、共に舞台上へ上がることはなくとも、二人は力を合わせて戦っていた。
 しかし――と、達也は思う。
 これだけ息があったコンビになってしまうと、他の選手と組んだ時、五十里は裏方としての役目を果たせるだろうか。
 選手四十人に対して、エンジニア八人。
 単純に平均しても、エンジニア一人で選手五人を担当しなければならない。
 達也も一年生女子だけとはいえ、六名を担当している。午前中の飛び込みもカウントすれば七名だ。
 一人の選手と感情的に強く結び付いて、他の選手に対しても同じようにベストを尽くせるものだろうか。
 そしてこれは、達也自身にも言えること。
 彼は本当に、深雪に対するのと同じように、雫やほのかに対してベストを尽くせるだろうか。
「……司波君、どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
 まさか五十里に面と向かって「他の選手にも同じように熱心になれますか?」と訊くわけにもいかない。
 達也は意味も効果もない無難な決まり文句で、五十里の問い掛けを誤魔化した。


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