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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(9) 開幕
 懇親会が前々日に催されたのは、前日を休養に当てる為だ。
 技術スタッフや作戦スタッフは最後の追い込みに余念がないが、選手は既にベッドに入り、明日からの戦いに備えている。
 達也は今晩も彼の部屋に遊びに来ていた深雪、ほのか、雫を自分の部屋に返した後、作業車で起動式のアレンジをしていた。
「司波君もそろそろ切り上げた方がいいよ」
 声を掛けられて周りを見れば、車内には既に彼ともう一人を残すのみとなっていた。
「こんな時間でしたか」
 時計はそろそろ、日付の更新を示していた。
 達也の言葉に、五十里は性別不詳の笑顔で頷く。(余談だが、五十里は私服もヘアスタイルもユニセックスなもので、実はこの先輩、わざと男っぽくない外見を演出しているのではないか、と達也は疑っていた)
「司波君の担当する選手の出番は四日目以降なんだから、あんまり最初から根を詰めない方がいいと思うよ」
「そうですね」
 達也が担当するのは一年生女子スピード・シューティング、ピラーズ・ブレイク、ミラージ・バットの三種目。これは深雪たちの希望であると同時に、一年生男子(主に森崎)が嫌がった所為でもある。(深雪はピラーズ・ブレイクとミラージ・バット、ほのかはバトル・ボードとミラージ・バット、雫はスピード・シューティングとピラーズ・ブレイクにエントリーしている)
 一年生の競技、つまり新人戦は四日目から八日目にかけて行われる。
 明日から担当選手が登場するスタッフに比べて、達也に余裕があるのは確かだった。
 花音は二日目・三日目のピラーズ・ブレイク単一エントリーだが、五十里は明日の出場選手の中にも担当を持っている。
「では、お先に失礼します」
 敢えて一緒に引き上げようとは言わずに、達也は作業車を後にした。

 真夏の夜は、真夜中であっても、それほど気温が下がらない。
 Tシャツ一枚で散歩するには丁度いい位だ。
 すぐには部屋へ戻らず、ラフな格好でホテルの周りをブラブラ歩いていた達也は、妙に緊張した気配を感じた。
 周囲を窺いながら息を殺している、そんな気配だ。
 泥棒か? と最初は考えたが、すぐに自分で打ち消した。
 隠そうとして隠し切れていないこの気配は、もっと暴力的で好戦的なものだ。
 達也は感覚を開放し、イデア――あらゆる存在物の情報体を包含する巨大情報体――にアクセスした。
(数は三人。場所は……ホテルを囲む、生垣に偽装したフェンスの間際か)
 三人はそれぞれ拳銃と小型の爆弾を持っている。
 武器を所持しながら、軍の管理地内に侵入してきた相手だ。
 CADは手許に無いが、放置しておくことは出来なかった。
 達也は足音を消して駆け出した。
 彼の感覚は、同じように不審者へ向けて近づいている知人を捉えていた。
 達也に劣らぬ隠密技術。
 最初の位置関係から、不審者への接触は向こうが――幹比古の方が早い。
 援護の為の術式を、達也は走りながら編み上げた。
 特定の魔法に特化した彼の魔法能力は、特定魔法に限るなら、CADが無くとも、他の魔法師がCADを使用した場合と同等のスピードと精度と威力で行使し得る。
 幹比古が魔法を放つ体勢に入った。
 CADは使っていない。
 イデアを通じた認識は、映像ではなく概念として流れ込んでくる。
 幹比古が取り出したのは三枚の短冊――おそらくは、呪符だ。
 幹比古は、現代魔法ではなく、古式魔法を使うつもりだ。
 達也が「知覚」している前で、サイオンが幹比古の手を伝って呪符に流れ込み、術式が構成された。
 現代魔法も古式魔法も、「存在」に付随する「情報」に干渉し、「現象」を書き換えるという基礎構造に違いは無い。
 ただ、その干渉の方法・態様が異なるだけだ。
 幹比古が発動した魔法のシステムは、魔法演算領域内で干渉の為の情報体、即ち魔法式を形成するのではなく、手に持つ呪符に情報を書き足し、それを媒体として「存在」から離れイデアの海を漂っている「独立した非物質存在となった情報体」を支配下に置き、それを通して現象を書き換えるという三段階の構成になっている。
 存在に付随する情報体、エイドスを直接書き換える現代魔法に比べれば速度と自由度で劣るものの、改変に対する抵抗を受け難いというメリットがある。限定された現象改変ならば、現代魔法より少ない力で大規模な効果が得られるだろう。
 魔法式を解析することの出来る達也は、この一瞬の間にそれだけのことを理解した。
 そして、幹比古の術式に、焦りを覚えた。
(それでは間に合わない)
 幹比古が行使している魔法には、複数の無駄な迂回路がある。それによる術式発動の遅延は、無視できない長さになるはずだ。
 達也は、「分解」の照準を、賊が手にしている拳銃にセットした。

◇◆◇◆◇◆◇

 幹比古が不穏な気配に気付いたのは、彼が魔法の訓練をしていたからだった。
 ホテルの庭の、奥まった部分。
 建物から離れ、敷地を囲む生垣に近い、人気のない場所を見つけて、日課となっている「修行」を始めた。
 個々の現象から離れ、「風」「水」「土」「火」等の、抽象的な「概念」の塊である「精霊」と感覚を同調させる、神霊魔法の基礎訓練。
 現代魔法学の解釈では、精霊とは、実体を離れ情報の海を漂う情報体。
 概念そのものが情報の世界を移動することに付随して、その概念によって表現されるエネルギーが塊となって実体世界を移動する。
 それが非物質体として観測されるのだとされている。
 しかし幹比古は、こうして「精霊」と触れ合うことにより、彼らを、確かに、この(・・)世界に「在る」ものとして感じていた。
 理屈、ではなく、実感。
 幹比古にとって、精霊とは確かにここ(・・)にいる、意思を持つ存在であり、こうして触れ合うことで、彼らが「見聞き」した様々なことを教えてくれる「モノ」だ。
 幹比古は、同調訓練を始めてすぐ、ホテルの敷地外に人がいることを「聞いた」。
 最初は何か用があって外に出ていた人か、さもなくば巡回兵か、と思って気に留めなかった。
 だが、精霊が繰り返しその存在を告げるにつれて、幹比古はそれが警告ではないかと考えた。
 同調訓練の応用で、感覚の糸を精霊が告げている方へ伸ばす。
 糸にかかったのは、「悪意」だった。
 幹比古の顔が、緊張に引き締まった。
 誰かを呼ぶか、それとも自分で対処するか、咄嗟に迷った。
 だが、自分の中に生じている焦燥が、「急げ」という精霊からの警告のような気がした。
 幹比古は、「悪意」へ向けて駆け出した。
 不安はあった。
 もしも相手が銃器で武装していたとしたら、未熟な自分に対処出切るのか、という不安。
 至近距離で向き合ったとき、拳銃に勝てる魔法師は稀だ。
 遮蔽物があれば、物理的な障碍に左右されない魔法の方が有利。
 遮蔽物が役に立たない状況では、指を曲げるだけの拳銃のスピードに対抗することは難しい。
 だが幹比古は、そんな、合理的な不安を怯懦として思考から排除した。
 昨日のことが脳裏を過ぎった。
 幹比古がボーイの真似事までさせられたのは、父親の意向だ。
 エリカは手違いだと言っていたが、本当は分かっていた。

 ――本来、お前が立っているはずだった場所を見て来い

 一昨日の夜、彼の父親は、彼に、そう言った。
 ボーイの真似事は、それを実現する為の手段だ。
 幹比古の父は、晴れ舞台に立つ彼と同年代の者たちの姿を見せて、発破を掛けたかったのかもしれない。
 発奮を促したつもりかもしれない。
 だがその言葉は、そのやり方は、幹比古の中で屈辱としてわだかまっていた。
 幹比古はこの時、「自分は無能ではない」と証明したがっていたのかもしれなかった。
 照明がまばらな場所だったが、幹比古は実家の修行の一環として、暗闇の中で行動する訓練を積んでいる。
 仮に星明りだけだとしても、不自由は無い。
 悪意が明確な人の気配として捉えられるまでに接近した所で、幹比古は呪符を取り出した。
 三人の賊に、三枚の呪符。
 向こうも幹比古に気づいたのだろう。
 浴びせられる悪意と敵意に、幹比古はこの三人が賊であることを確信していた。
 躊躇は出来ない。
 敵意は殺気に変わっていた。
 躊躇えば、やられる。
 身元の確認は二の次だ。
 幹比古は符に魔力を込め、術を放った。

◇◆◇◆◇◆◇

 幹比古の手許に閃光が生じ、それに呼応するように、賊の頭上に電子が集まっていく。
 一秒以内に、電撃が賊を襲う。
 しかし、引き金を引く為の時間は、半秒もかからない。
 達也は「分解」を発動した。
 三人の賊が持つ三丁の拳銃は、エイドスの改変に従い、バラバラに解体された。
 その直後、
 空中に生じた小さな雷が、賊を撃ち倒した。
「誰だ!」
 幹比古が鋭く問い掛けた相手は、生垣の向こうに倒れている姿の見えない敵ではなく、背後から駆け寄ってくる彼を援護した魔法師だった。
 幹比古は、理解していた。
 彼の魔法が、本来ならば、間に合わなかったことを。
 彼が怪我をしなかったのは、他の魔法師による援護があったからだということを。
 自分の魔法から、以前のスピードが失われていることを、実戦の中で突きつけられていた。
「俺だ」
「達也?」
 幹比古がショックを受けていることは、気配で分かった。
 だが達也は、短く答えただけで足を止めず、生垣の手前で跳び上がった。
 自己加重の術式により負の加重をかけ、二メートル超の生垣を飛び越える。
 幹比古はそれを、呆気に取られて見送っていたが、ハッと我を取り戻して新たな呪符を取り出し、同じように自己加重の術式を行使した。
 幹比古が生垣の向こう側へ降り立った時、達也は倒れた賊の傍らに膝をついていた。
「達也?」
 それは、色々な意図を含んだ問い掛けだった。
 どんなつもりで問い掛けているのか、幹比古自身にも良く分かっていなかった。
「死んではいない。
 良い腕だな」
 それを達也は、賊の状態を訊ねたものだと受け取ったようだ。あるいは、幹比古の混乱をある程度見抜いて、最も当たり障りのない解釈を選んだのかもしれない。
「えっ?」
 幹比古は、達也が何を褒めているのか理解できなかった。
 本来なら自分はやられていた、という自虐的な想いが幹比古を捕えていた。
「ブラインドポジションから、複数の標的に対して正確な遠隔攻撃。
 捕獲を目的とした攻撃で、相手に致命傷を与えることなく、一撃で無力化している。
 ベストの戦果だな」
 達也の口調は冷徹と言い換えてもいいくらい冷静で、お世辞や慰めを掛けているのでは無いと聞いているだけで分かった。
 幹比古が信じられないのは達也ではなく、自分自身だった。
「……でも僕の魔法は、本来ならば間に合っていなかった。達也の援護が無かったら、僕は撃たれていた」
「アホか」
「……えっ?」
「援護が無かったら、というのは仮定に過ぎない。
 お前の魔法によって賊の捕獲に成功した、これが唯一の事実だ」
「…………」
 達也の、容赦の無い罵声と容赦の無い指摘に、幹比古はすっかり面食らっていた。
「現実に俺の援護があって、現実にお前の魔法は間に合った。
 本来ならば?
 幹比古、お前は一体、何を本来の姿と思っているんだ?」
「それは……」
「相手が何人いても、どんな手練てだれが相手でも、誰の援護も必要とせず、勝利することが出来る。
 まさかそんなものを基準にしているんじゃないだろうな?」
 心臓がひっくり返ったような衝撃を幹比古は感じていた。
 達也の口にした「基準」が余りに馬鹿げたものであることは、彼にも理解できる。
 だが自分は心の奥底で、達也の指摘と似たようなことを、確かに考えていなかっただろうか?
「やれやれ……もう一度、敢えて言おう。
 幹比古、お前は阿呆だ」
「達也……」
「何故それ程までに、自分を否定しようとする?
 何故それ程、自分を貶める?
 何がそんなに気に入らないんだ?」
「……達也に言っても分からないよ。
 言っても、どうにもならないことなんだ」
「どうにかなるかもしれんぞ」
 壁を作り、その影に逃げ込む幹比古の反論を、達也は言葉の破城槌で打ち砕いた。
「えっ……!?」
 今度こそ、絶句する幹比古に、達也は射貫くような視線を浴びせた。
「幹比古、お前が気にしているのは、魔法の発動スピードじゃないか?」
「……エリカに聞いたのかい?」
「否」
「……じゃあ何で……」
「お前の術式には無駄が多過ぎる」
「……何だって?」
「お前自身の能力に問題があるのではなく、お前が使用している術式そのものに問題がある、と言ったんだ。
 魔法が自分の思うように発動しないのはその所為だ」
「何でそんなことが分かるんだよ!」
 幹比古は叫んだ。
 混乱の余り。
 憤りの余り。
 彼の使う術式は、吉田家が長い年月を掛け、古式魔法の伝統に現代魔法の成果も積極的に取り入れて、改良に改良を重ねてきたものだ。
 それを、一度や二度、見ただけで、欠陥品扱いする達也に、幹比古は怒った。
 自分がずっと、都合のいい妄想と否定し、見ないようにしてきた疑念を言い当てられた気がして、幹比古は混乱した。
「俺には分かるんだよ。
 無理に信じてもらう必要は無いがな」
「……何だって?」
「俺は、『視る』だけで魔法の構造が分かる。起動式を読み取り、魔法式を解析することが出来る」
 幹比古の混乱は、この時、極みに達していた。
 そんなことが出来る魔法師など、聞いた事が無い。
 そんな異能が本当に存在するとすれば、現代魔法学の抱える課題の半分は解決してしまうだろう。
「……無理に信じてもらう必要は無い」
 達也はもう一度、突き放すようにそう言った。
 幹比古は、「ここから先は、お前自身の問題だ」、と言外に告げられたような気がした。
「今日のところは、この話はここまでにしよう。
 それより、コイツらの処置だ。
 俺が見張っているから、警備の方を呼んで来てもらえないか?
 それとも俺が呼びに行こうか?」
 正直なところ幹比古は、達也の「告白」が嘘か本当かを考えることも出来ない状態だったので、棚上げの提案は願ってもなかった。
「あ、僕が呼びに行くよ」
「分かった。待っている」
 幹比古は再度「跳躍」の術式を発動し、生垣の向こうへ消えた。
 一方、達也は、賊を拘束する手段を少し考え、地面に埋めてしまうことに決めた。
 「分解」では埋め直す為の土も消えてしまうから、「分離」と「発散」と「移動」を別々に使わなければならない。
 CAD無しでは少し辛い作業だが、先程の「跳躍」のように、単純な術式であれば、また複数同時発動ではなく一つずつであれば、魔法式を丸ごと暗記しているので実行に問題は無い。
 皮肉なことだが、人為的に作られた仮想魔法演算領域は、意識領域内に作られているが故に、丸暗記した魔法式をそのまま使えるというメリットがある。
(ズルいな、俺は……)
 一方で被害者意識を抱えながら、もう一方でそれを都合のいい道具として利用する。
 節操のない自分に自嘲の笑みを浮かべて、達也は魔法を発動しようとした。
 ――しかし、その必要はなくなった。
 近づいて来る知人の気配に、達也は魔法を中断した。
 話し掛けられるまで、それほど待つ必要はなかった。
「随分容赦のないアドバイスだったな、特尉」
「少佐、聞いておられたのですか?」
 達也は、盗み聞きする風間の気配を掴んでいなかった。
 だが、驚くには足りないことだ。
 風間は達也より遥かに長い期間、九重八雲の教えを受けた、九重門下の筆頭なのだから。イデアにアクセスしていない状態の達也では、風間の気配を察知するのは困難だ。
 ぞんざいに敬礼する達也に、風間はニヤリと笑って答礼した。
「他人に無関心な特尉には珍しいのではないか?」
「無関心は言い過ぎかと思いますが」
「それとも、身につまされたか?
 あの少年も貴官と似た悩みを抱えているようだからな」
「あのレベルの悩みなら、自分は卒業済みです」
「つまり、身に覚えがあるということか?」
「……この者たちをお願いしてよろしいでしょうか」
 人の悪い笑みを浮かべて、それこそ容赦のない追撃を重ねる風間に、退路を失ってしまった達也は、話を逸らすのが精一杯だった。
「引き受けよう。基地司令部には、俺の方から言っておく」
 ただ風間の方も、これ以上追求を重ねても意味は無いと理解していた。
 笑みを消し、真顔になって、達也に向かい頷いて見せる。
「お手数をお掛けします」
「気にする必要は無い。余計な仕事をさせられたのは貴官も同じだ」
「はい」
「だがこの連中……予想以上に積極的だな。
 技量も想像以上だ。
 達也(・・)。十分、気をつけろよ」
「ええ、ありがとうございます」
「明日の昼にでも、ゆっくり話すことにしよう」
「そうですね。それでは、失礼します」
「ああ、またな」
 部下と上官の顔から、知人・兄弟弟子の顔になって、二人は別れた。

◇◆◇◆◇◆◇

 翌日。
 九校戦は、何事もなかったように開幕した。
 昨晩の一幕を知る者は、当事者以外にほとんどいない。
 選手は皆、一流の魔法力を持つとはいえ、まだ高校生だ。
 全くの未遂に終わったことだし、不安を与えるのは好ましくない、との判断が下された結果だった。
 開会式は華やかさよりも規律を強く印象付けるものだった。
 魔法競技はそれ自体がとても派手なものだから、セレモニーを華美にする必要は無いのである。
 長々とした来賓挨拶もなく、九校の校歌が順に演奏された後、すぐに競技に入った。
 一日目の競技はスピード・シューティングの決勝までと、バトル・ボードの予選。
 スケジュールの違いは、両競技の所要時間の違いを反映している。
「お兄様、会長の試技が始まります」
「第一試技から真打登場か。
 渡辺先輩は第三レースだったな」
「はい」
 達也たちは、真由美の試合を観戦すべく、スピード・シューティングの競技場へ移動した。左から、雫、ほのか、達也、深雪の順番で、会場内の関係者エリアではなく、一般用の観客席に陣取る。
 スピード・シューティングには二つの試合形式がある。
 予選は五分の制限時間内に破壊した標的の数を競うスコア型。
 同時に四つのシューティングレンジを使い、六回の試技で予選を終えて、上位八名が準々決勝に進む。
 ちなみに、エントリーできる選手は二十四名。
 九校が三名ずつエントリーすると二十七名になるのだが、三校は前年度の当該競技順位により足切りにあい、二名しかエントリーできない。
 これはモノリス・コードを除く全競技に共通のルールだ。
 準々決勝以降は、対戦型。
 紅白の標的が百個ずつ用意され、自分の色の標的を破壊した数を競う。
「予選では大破壊力を以って複数の標的を一気に破壊するという戦術も可能だが、準々決勝以降は精密な照準が要求されるという訳だ」
 達也の言葉に、雫が熱心に頷いた。
 彼女はこのメンバーの中で唯一、新人戦スピード・シューティングにエントリーしている。
「従って普通なら、予選と決勝トーナメントで使用魔法を変えてくるところだが……」
「七草会長は予選も決勝も同じ戦い方をすることで有名ね」
 達也が言いかけた台詞は、背後に座った少女に横取りされた。
「エリカ」
「ハイ、達也くん」
「よっ」
「おはよう」
「おはようございます、達也さん、深雪さん、ほのかさん、雫さん」
 達也たちの背後にずらりと並んだのは、右から順にレオ、エリカ、美月、幹比古。
 都合よく四人分の席が空いていたのは、彼らの座席が最後列に近いから、という事情による。
「もっと前の方が空いてたんじゃないか?」
「達也くんたちの姿が見えたから。
 それにこの競技は、離れた所から見ないと分からないでしょ」
「まあな」
 観客席は後列ほど高い階段構造。
 空中を高速で飛ぶ標的を打ち落とすのだから、最前列近くの席から観戦する観客は、選手と同等の視力が必要となる。
 それでも観客が前へ前へと詰めかけているのは――
「バカな男どもが多い所為ね」
「青少年だけではないようだがな」
「お姉さま〜!、ってヤツ?
 ホント、嘆かわしいったら」
「そう言うな。確かにあれは、近くで見る価値があるかもしれん。
 毎日のように顔を合わせていた俺でも、別人かと思ってしまうくらいだからな」
「うわっ!
 深雪、どうする? 浮気よ、ウワキ」
 エリカの暴言に、達也も深雪も、ただ苦笑いを浮かべている。
 彼らが何を言っているかというと……
「エルフィン・スナイパー、ですか。
 ピッタリのニックネームですね」
「本人は嫌っているようだから、会長の前では言わない方が良いぞ」
 達也に釘を刺されて、ほのかは首をすくめるような仕草をした。
 前列に押し掛けた青少年及び少女たちのお目当ては、この第一レンジで開始の合図を待つ真由美の姿を見ることにあった。
 豊かに渦巻く長い髪の上から耳を保護するヘッドセットをつけ、目を保護する透明のゴーグルをかけた真由美の姿は、ストレッチパンツの上にミニワンピースと見間違えそうなウエストを絞った詰め襟ジャケットというユニフォーム、スピード・シューティング用の小銃形態デバイスと相俟って、可愛らしさと凛々しさが絶妙にミックスされ、近未来映画のヒロインのような雰囲気があった。
「会長さんをネタに同人誌を作ってる人たちもいますしね……」
「……それは初耳ね」
「……美月、貴女はそれをどういう経緯で知ったのかしら?
 もしそういう『趣味』があるのなら、わたしたちの友情を見直したいのだけど」
「えぇ!? いえ、そんな趣味なんてありませんよ!」
「始まるぞ」
 鋭いツッコミに慌てふためいていた美月は、達也の一言に慌てて口を閉ざした。
 観客席が静まり返る。
 ヘッドセットをつけているので、少しくらい観客が騒いでも選手には関係ない。
 単発小銃のように細長い、見ようによっては杖にも見える競技用CADを構えた選手の集中と気迫が、観客席を巻き込んだ結果だ。
 開始のシグナルが点った。
 軽快な射出音と共に、クレーが空中を翔け抜ける。
「速い……!」
 思わず呟いた雫の一言は、標的の飛翔スピードに対するものか、
 ――それを撃ち砕いた真由美の魔法に対するものか。
 真由美は首を傾げず、真っ直ぐに立ってCADを構えている。
 元より銃身から弾を撃ち出しているのではないのだから、照星に視線を合わせる必要は無い。CADには最初からマズルサイトもスコープも付いていない。
 その立ち姿は、銃よりも寧ろ、弓の構えに似ていた。
 クレーが次々と、不規則な間隔で撃ち出される。
 射出数は五分間に百個。
 平均すれば、三秒に一個。
 これだけでも実弾射撃に比べれば異常なハイペースだが、時には連続的に、時には十秒以上の間隔を置いて、時には五個、六個の標的が同時に宙を翔ける。
 真由美はその全ての標的を、一個の取りこぼしもなく個々に(・・・)撃ち砕いて行く。
 五分の試技時間は、あっという間に終了した。
「……パーフェクトとはね」
 ゴーグルとヘッドセットを外し、客席の拍手に笑顔で応える真由美を見ながら、達也は呆れ声で呟いた。
「ドライアイスの亜音速弾、ですよね?」
 拍手を送りながら訊ねた深雪に、達也は笑顔で頷いた。
「そうだ。良く分かったな」
「……その位、あたしにも分かったんですけど……」
 不満げな声のツッコミに、達也は苦笑いを浮かべる。
「そうだな、同じ魔法を百回も見せられれば分かるか」
 決まり悪げに目を逸らした者もいたが、達也は見なかったことにした。
「百回? 一発も外さなかったんですか!?」
 こちらは素直な性質なのか、正直に驚きを見せながら、ほのかが達也にそう訊ねた
「ああ。
 驚くべきは、魔法発動のスピードでも反復回数でもなく、あの精度だろう。
 いくら知覚系の魔法を併用していたといっても、手に入れた情報を処理するのは自前の頭だからな。
 余程マルチサイトの訓練を積んだのか、それとも天性なのか……流石に十師族直系は伊達じゃない」
「会長さん、知覚系魔法まで併用していたんですか?」
 驚きの声を上げたのは美月。
 だが今回は、同じような表情をしている者の方が多かった。
「遠隔視系の知覚魔法『マルチスコープ』。
 非物質体や情報体を見るものではなく、実体物をマルチアングルで知覚する、視覚的な多元レーダーの様なものだ。
 会長は普段から、この魔法を多用しているぞ?」
 気付かなかったのか?、と目で問われ、美月はブンブンと首を振った。
「全校集会の時なんか、この魔法で隅から隅まで『見張って』いたんだけどな。
 レアなスキルではあるが……肉眼だけであの射撃は無理だと思わないか?」
「確かに無理」
 即座に応じたのは雫。彼女は自分がシューティングレンジに立つ時のことを考えながら、試技を見ていたのだろう。
「でもよ、空気分子の運動を減速してドライアイスをつくり、これを亜音速に加速し、更に知覚魔法を併用していたんだろ?
 知覚魔法は常駐、減速魔法と加速魔法は百回も繰り返して。
 良く魔法力がもったな」
 ここでレオが言っている「魔法力」とは、実技判定における「魔法力」ではなく、通俗的な意味での魔法を反復行使するスタミナのことだ。
 良く誤解されていることだが、魔法はエネルギーを消費する運動では無い。
 サイキカルなエネルギーを消費して現象の改変しているのではなく、情報の改変により現象を改変しているのだ。
 情報改変にはサイオンで作成した魔法式の投射が必要だから、魔法式の規模に応じて魔法を行使し得る回数に限界はあるが、レオが今使った意味での「魔法力」とは、類似物を求めるならば思考力のスタミナに近い。
「会長の射撃魔法は『ドライ・ブリザード』のバリエーションだが、原型となっている『ドライ・ブリザード』は効率の良い魔法だからな。
 会長の魔法技能なら、百回どころか千回でも可能だろうさ」
 手放しで真由美を褒める達也の言葉に、深雪たち一科生組は複雑な表情を浮かべた。
 真由美の魔法力は彼女たちも凄いと思っているが、魔法に関して辛口な達也の、無条件で賞賛する言葉は、嫉妬心を呼び起こさずにいられないものだった。
 だが、レオの関心は別の点にあったようだ。
「えっ、でもよ、この真夏の気温でドライアイスを作るのも、それを亜音速まで加速するのも相当なエネルギーが必要なはずだぜ?
 いくら魔法がエネルギー保存法則の埒外だからといって、それだけの現象改変を伴う魔法の負担が少ないってのは、いくら達也の言葉でも俄かにゃ信じられんのだけど」
「埒外であっても、無関係じゃないのさ」
 バトル・ボードの会場へ移動する為に立ち上がりながら、達也は謎掛けの様な回答を返した。
「そりゃどういう意味だ?」
 追いかけるように立ち上がりながら、レオが再度、問い掛ける。
「魔法はエネルギー保存法則に縛られず、現象を改変する技術だ。
 だが改変される側の対象物まで、エネルギー保存法則から自由になっている訳じゃない。
 例えば、状態維持の式を組み込まずに物体を加速した場合、加速された物体は冷却される。
 運動維持の式を組み込まずに運動中の物体を加熱すれば、その物体の運動速度は低下する。
 通常の魔法式には、改変を意図しない要素について現状を維持する式が必ず組み込まれているから意識する機会は少ないがな。
 物理法則ってヤツは結構強固なもので、魔法という理不尽な(・・・・)力の干渉を受けても、何とか辻褄を合わせようとする復元力が働くんだよ。
 だから、逆に言えば、物理法則にとってはエネルギー保存法則を破らないように組まれた魔法の方が自然な(・・・)現象で、魔法の面から見れば、少ない干渉力で実行可能な魔法となるんだ。
 もう分かるだろ?
 ドライアイスを作ってそれを加速するという魔法は、ドライアイス形成過程で奪い取った分子運動エネルギーを、固体運動エネルギーに変換するというスキームで物理法則を欺いている。
 エントロピーを逆転させる、自然には絶対にあり得ない現象なんだが、ドライアイスを加速させることで、ただ単にドライアイスを作るより、熱力学的には辻褄が合ってるんだ」
「……何か上手いこと騙されてるような気がすんだけど」
「覚えておいた方がいいぞ、レオ。
 世界を『上手いこと騙す』のが、魔法の技術だ」
「つまり、あたしたち魔法師は、世界を相手取った詐欺師ということね?」
「強力な魔法師ほど、極悪な詐欺師ということになる」
 エリカと雫の茶々に、達也は笑うことしか出来なかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 バトル・ボードのコースには、統一された規定がない。
 元々海軍の魔法師訓練用に考案されたもので、魔法の使用が大前提である為、統一ルールを必要とするほど一般に普及することはあり得ないのだ。
 九校戦のバトル・ボードは全長三キロの人工水路を三周するコース。
 コースは男女別に一本ずつだが、難易度に差がある訳ではない。
 予選を一レース四人で六レース、準決勝を一レース三人で二レース、三位決定戦を四人で、決勝レースを一対一で競う。
 平均所要時間は十五分。
 最大速度は三十ノット超――時速五十五〜六十キロに達する。一枚のボードに乗っているだけの選手に、風除けは全く無い。追い風で速度を稼ぐセイリング競技と違って、まともに向かい風を受けるのだ。この風圧に耐えるだけでも、選手は相当な体力を消耗する。
「女子には辛い競技だ。ほのか、体調管理は大丈夫か?」
「大丈夫です。達也さんにアドバイスしていただいてから体力トレーニングはずっと続けて来ましたし、選手に選ばれてからは睡眠も長めに取るようにしていますから」
 今回の九校戦に関係なく、達也はほのかと知り合って間もない頃、彼女の体力不足を危惧して、魔法の訓練だけでなく肉体的なトレーニングも積極的に行った方が良いとアドバイスしたことがある。
 達也にとっては日常会話の中のついでのようなアドバイスだったのだが、ほのかは思いの外、真剣に受け取っていたらしい。
「ほのかも随分筋肉が付いてきたんですよ」
「やだ、止めてよ、深雪。
 私はそんな、マッチョ女になるつもりはないんだから」
 自分を挟んで交わされた会話に、達也は思わず噴き出してしまった。
「ほら……達也さんに笑われちゃったじゃない」
「笑われたのは、ほのかの言い方がおかしかっただけだよ」
「雫まで。
 いいわよ、どうせ私は仲間外れだし。
 二人と違って、達也さんに試合も見てもらえないし」
 いきなりいじけ出したほのかに、達也は困惑し、笑っていられなくなった。
 ここで何故、自分に矛先が向けられたのか。
「……ミラージ・バットは調整を担当させてもらうんだがな」
 とりあえず、言い掛かりと思しき部分だけは反論しておく。
 しかし、
「バトル・ボードは担当してもらえませんよね。
 深雪と雫は、二種目とも達也さんが担当するのに」
 どうも、逆効果くさかった。
「……その分、練習もつきあったし、作戦も一緒に考えたし、決して仲間はずれにしている訳では……」
 言い訳しながら、どんどん泥沼にはまっているような気がして、達也は遂に口ごもってしまった。
「達也さん、ほのかさんはそういうことを言ってるんじゃないんですよ」
「お兄様……少し、鈍感が過ぎると思いますよ?」
「達也くんの意外な弱点発見」
「朴念仁?」
 女性陣から集中砲火を浴びて、達也は絶句を余儀なくされる。
 男性陣地からの援護は無い。
 達也はレース開始の合図まで、ひたすら耐える破目に陥った。

◇◆◇◆◇◆◇

 コースの整備が終わり、選手がコールされて、達也はようやく解放された。
 途中から深雪たちが何を言いたいのかは理解できた。
 だが、相手の主張が理解できるかどうかということと、それに対応できるかどうかということは、全くの別問題なのである。
 今後は余計なことを言わないように、より一層注意しよう、と達也は決意した。
 そんな後ろ向きな決意を心に秘めて、スタートラインにたゆたう四人の選手を見る。
 水上コースだから、ラインなどは引かれていない(引きようがない)。
 四人が横一列に並ぶと少々狭く感じる水路の中側に、摩利は位置取っていた。
 他の選手が膝立ち、または片膝立ちで構える中、摩利だけは真っ直ぐに立っている。
 それは大部分、バランス感覚の違いを反映したものだが、見ようによっては他の選手をかしずかせている女王()の様な佇まいだった。
「うわっ、相変わらず偉そうな女……」
 エリカの呟きを聞いて、相変わらず(・・・・・)敵意むき出しだな、と達也は思った。
 つい今しがた決意したばかりなので、口には出さなかったが。
 エリカの左右に座るレオも美月も、聞かなかったことにしたようだ。
 空中に吊るされている大型ディスプレイ――残念ながら、魔法によってではなく、飛行船を使って、だ――に四人の選手のアップが映し出された。
 摩利はただ一人、不敵に笑っていた。
 確かに彼女は、敵役タイプだよな、と達也は思った。
 女子高生の多数派意見は違ったようだが。
 選手紹介アナウンスにより、摩利の名が呼ばれた瞬間、黄色い歓声が客席を――特に最前列付近を――揺るがした。
 手を挙げて歓声に応える摩利に、黄色い絶叫が益々高まる。
「……どうもうちの先輩たちには、妙に熱心なファンが付いているらしいな」
 熱狂度では、真由美のファンの少年たちより、こちらの方が数段上である。
「分かる気もします。
 渡辺先輩は格好良いですから」
 今回の九校戦で、真由美以上の男性ファン、摩利以上の女性ファンという、男女を問わぬ熱心なファンを獲得することになる自分の未来を知らない深雪は、冷静な口調で客観的に評価した。
 真夏の水上競技、ではあるが、選手が身に着けている物は水着ではない。
 身体にピッタリ貼り付くウェットスーツに、各高校のロゴが大きく、カラフルに入っている。
 バンダナを巻いたショートボブの髪を微風に揺らして水上に立つ摩利の姿は、少年少女向け騎士道物語の挿絵のようだった。
 エリカにもその台詞は聞こえたはずだが、特に反論はなかった。
『用意』
 スピーカーから、合図が流れる。
 空砲が鳴らされ、競技が始まった。

「自爆戦術?」
 呆れ声で呟いたのはエリカ。
 達也は呆れて声も出なかった。
 スタートの直後、四高の選手が後方の水面を爆破したのだ。
 おそらく大波を作ってサーフィンの要領で推進力に利用し、同時に他の選手を撹乱するつもりだったのだろうが……
「あっ、持ち直したぜ」
 自分がバランスを崩すような荒波を作って、何がしたかったのだろうか。
 レースはスタートダッシュを決めた摩利が、四高選手の作り出した混乱にも巻き込まれず、早くも独走態勢に入っていた。
 水面を滑らかに進む摩利のボード。
 移動魔法によりボードを動かしているのではなく、ボードと自分自身を一纏まりの存在として移動させているのだろう。
 あるいは、自分の肉体と自分が乗っているボード、二つの対象物に同時に移動魔法をかけているのか。
 どちらにしても、魔法をかける対象物を余程明確に定義しない限り、可能なことではなかった。
 ボードで水を掴み、直角の曲がり角を鮮やかにターン。
 まるで足の裏にボードが貼り付いているような安定度だ。
「硬化魔法の応用と移動魔法のマルチキャストか」
 魔法式の解析ではなく、水上を走り去る姿、ボードの上の姿勢とバランスの取り方で、摩利が何をやっているのかを達也は見抜いた。
「硬化魔法?」
 耳聡く聞きつけて、問いかけてきたのはレオ。
 自身の得意魔法だけに、当然、無関心ではいられないのだろう。
「何を硬化しているんだ?」
「ボードから落ちないように、自分とボードの相対位置を固定しているんだ」
「?」
「硬化魔法は、物質の強度を高める魔法じゃない。パーツの相対位置を固定する魔法だ。それは理解しているだろ?」
「そりゃ、実際に使っているからな」
「渡辺先輩は、自分とボードを一つのオブジェクトを構成するパーツとして、その相対位置を固定する魔法を実行している。
 そして、自分とボードを一つの『もの』として、移動魔法をかけている。
 それも、常駐じゃないな。硬化魔法も移動魔法も、コースの変化に合わせて持続距離を定義し、前の魔法と次の魔法が被らないように上手く段取りしている」
「へぇ……」
「……しかし、面白い使い方だな……確かに硬化魔法の対象は、単一構造物のパーツである必要はない。うん、これなら……」
「お兄様?」
 天才技術者の性か、マッドな物思いに耽りかけた達也を、深雪の声が引き戻した。
 摩利の姿は、少し目を離した隙に、スタンドの陰に入って見えなくなってしまっている。
 達也は「何でもない」とお茶を濁し、大型ディスプレイに視線を移した。
「加速魔法」
 水路に設けられた上り坂(・・・)を、水流に逆らって摩利は昇って行く。
 その挙動から見て、外部から受けた加速のベクトルを逆転させる術式だ。
「発散魔法も併用しているのか」
 同時に、水面を細かく砕いて(・・・)表面張力を弱める魔法も使われているようだ。
「凄いな。
 常時、三種類から四種類の魔法をマルチキャストしているのか」
 一つ一つの魔法はそれほど強力なものでない。
 ただ、その組合せが絶妙だった。
 芸術の域まで高められた魔法で観客を圧倒した真由美に対して、摩利は臨機応変、多種多彩、虹のように重ね合わされた魔法で観客を魅了している。
 どちらも、高校生のレベルではなかった。
 坂を昇り切って、滝をジャンプ。
 着水と共に、水面が大きく波打った。
 摩利の魔法により作り出された大波は、彼女のボードを前方へ押し流すと共に、二番手で飛び降りた選手を呑み込み落水寸前へ追い込んだ。
「戦術家だな……」
「性格が悪いだけよ」
 一周目の、コース半ばも過ぎないうちに、摩利の勝利は確実なものとなっていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 今日のバトル・ボードは予選のみ。昼食後に第四レースから第六レースが行われるのみだ。
 午後はスピード・シューティングの準決勝と決勝を観戦することにして、達也は一旦、皆と別れた。
 ホテルの、高級士官用客室へ向かう。
 風間の階級は少佐だが、その戦歴と率いる部隊の特殊性から、軍内では階級以上の待遇を受けている。
 本来であれば大佐クラスが使用する広い客室にルームサービスのティーセットを並べて、風間は大隊の幹部と共に一服しているところだった。
「来たか。まあ、掛けろ」
 警備の兵士(この基地の兵士ではなく風間の部下)に案内されて来た達也は、風間からざっくばらんな口調で椅子を勧められたが、居並ぶ幹部連に躊躇いを見せた。
 達也に与えられた「特尉」の階級は「準士官」の意味ではなく、「国際法上の軍人資格を持つ非正規の士官」としての意味を持つ(今日、この国の軍制には「準士官」を意味する特務士官の制度は無い)。軍の階級秩序に全面的に縛られている訳ではなく、交戦者としての保護を受ける為、独立魔装大隊で作戦行動に従事する時のみ命令系統に従うことを約している身なのだが、制度的な強制力は無いとは言ってもそこはやはり上官であり、それ以上に目上の大人たちだ。「掛けろ」と言われて「では遠慮なく」とは行かなかった。
「達也君。今日我々は君を、『戦略級魔法師・大黒竜也(おおぐろ・りゅうや)特尉』として呼び出したのではなく、我々の友人『司波達也』君として招いたのだ。余り遠慮されると我々の方が困ってしまう」
「それに君が立ったままだと、話もし難い。座ってくれないか」
「真田大尉、柳大尉……
 分かりました。失礼します」
 年齢を超えて示された友誼に、それ以上の遠慮で礼を失する愚を冒さず、達也は一礼して風間の向かい側へ腰を下ろした。
 テーブルの天板は円形。
 独立魔装大隊のティータイムは円卓の精神をモットーとしている。
 このテーブルは部屋に備付のものではなく、風間がわざわざ運び込ませたものだった。
 達也の席が最も扉に近いとはいえ、大人たちは彼を同列の友人として迎えていた。
「まずは久し振りですね。
 ティーカップでは少し様になりませんが、乾杯と行きましょうか」
「藤林少尉。ありがとうございます」
 風間の副官――というより秘書役――を務める女性士官からカップを差し出され、達也は目礼しながらソーサーごと受け取った。
 今日の彼女は軍服ではなくレディースのスーツを身に着けているので、余計に「大企業の若手女性秘書」的な雰囲気を漂わせている。
 彼女だけではなく、全員がスーツ上下やシャツ・上着無しの平服姿だった。
「私は先日会ったばかりだが、まあこの場は藤林君の顔を立てるとしようか」
「無理なさらずともよろしいのですよ、山中先生」
「いや、再会の祝杯に横槍を入れるほど、私は野暮ではないつもりだからな」
「……先生はカップにブランデーを注ぎ足す口実が欲しいだけでは?」
「目出度い席に酒精はつきもの」
「やれやれ……医者の不養生というのは、もう少し別の意味で使われる言葉だと思っていたのだが」
 柳大尉により示された疑惑に悠然と嘯きを返したのは、医者であり一級の治癒魔法師でもある山中軍医少佐。
 その言葉に、嘆かわしげに首を振っている風間を加えた五人が、この場に達也を迎えた独立魔装大隊幹部の面々だった。
「柳大尉、藤林少尉、お久し振りです。真田大尉、先日はありがとうございました」
「いや、こちらの方こそ助かったよ。『サード・アイ』の微細精密照準システムは、君でなければ手に負えないからね」
「あのCADは元々自分用ですから……
 山中先生、そう言えば先日の検査結果をまだ頂戴しておりませんが」
「……私だけ扱いが違わないか、達也?」
「先生……、面と向かって人体実験をさせろと言う医者に、好意を持つ人はいないと思いますが」
 山中の抗議にツッコミを入れたのは藤林嬢。
 山中はわざとらしく、そっぽを向いた。
 円卓は笑いに包まれた。

 久しぶりと言っても何年も会わなかった訳ではない。
 最も長く顔を合わせなかった者で半年強、真田と山中は、先月一緒に仕事をしたばかりだ。
 話題は自然と現況報告になり、この九校戦と、それに対する犯罪組織の蠢動へ移って行った。
「昨夜は活躍だったわね。もしかして、警戒してたの?」
「買い被りですよ、少尉。散歩してたら、たまたま気配を掴んだだけです」
「あんな遅い時間まで?」
「競技用CADの調整をしていたものですから」
 年齢が近いこともあり、このメンバーで達也と最も会話が多くなるのは、自然と藤林少尉になる。軍務で鍛え上げられた彼女はメリハリのある目に毒なプロポーションの持ち主だが、服装もルックスも地味で、性格にも飾り気がないので、達也も気楽に言葉を交わすことができた。
「やはり技術スタッフとして参加か。チームメイトは『シルバー』のことを知っているのか?」
「いえ、それは一応、秘密ですから」
 山中の問いに、達也は首を振りながら答える。
「君が高校生の大会のCADエンジニアを務めるというのは、イカサマの様な気もするけど。
 レベルが違い過ぎるんじゃないか?」
「真田大尉、達也君も(れっき)とした高校生ですよ?」
 笑いながらある意味尤もな疑念を呈した真田を、やはり笑いながらたしなめてから、藤林は達也へ視線を戻した。
「選手としては出場しないの?
 フラッシュ・キャストの技術があれば、結構いい線行くと思うんだけど。いざとなれば、『マテリアル・バースト』はともかく、『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』もあるんだし」
「いえ、『雲散霧消』や『マテリアル・バースト』は機密指定という以前に殺傷力でレギュレーション違反ですよ。
 そもそも『マテリアル・バースト』は『サード・アイ』が無いと使えませんしね」
「でも『トライデント』は持って来てるんでしょう?」
「あれもオーバースペックでCADのレギュレーション違反です。
 それと、フラッシュ・キャストは一応、四葉の秘匿技術なんですが」
 苦笑しながら藤林の言葉を打ち消す達也。
 その後に、柳が呆れ声で続いた。
「藤林……高校生の競技会と、戦略級魔法にして究極の『分解』魔法たる『マテリアル・バースト』を結び付けて考えることそのものが、大きくずれていると思うが」
「私も別に、九校戦で『マテリアル・バースト』を使う機会があるなんて考えていませんよ。
 でも去年の大会では、十文字家の御曹司が『ファランクス』を、七草家のご令嬢が『魔弾の射手』を使ってるんですから、『雲散霧消』を使ってもそれほどおかしくないと思うんですけど」
「藤林君、十文字家の『ファランクス』は防御用魔法に分類されていて、殺傷性ランクの対象外だよ。
 七草家の『魔弾の射手』はフレキシブルな威力設定がセールスポイントで、殺傷力は事後的に評価される。
 一方、物質を分子レベルに分解する『雲散霧消』は、殺傷性Aランク相当。
 同列視は出来ないよ」
「あら、真田大尉、ご存知ないんですか?
 九校戦の殺傷力規制は、対人影響の可能性がある競技に掛けられたもので、スピード・シューティングとピラーズ・ブレイクは対象外なんですよ。
 パンフレットは安全性を強調するあまり、この点に触れていませんけど」
 九校戦が現在の形態・ルールで開催されるようになったのが十年前。このメンバーの中で実際に九校戦を戦ったことがあるのは二高の優勝メンバーだった藤林だけだ。
 お互い、得意分野の薀蓄合戦になり始めたところで、風間からストップが掛かった。
「どちらにしても軍事機密指定の魔法を衆人環視の競技会で使う訳にはいかないのだから、そんなことで言い争っても仕方がなかろう?
 それより達也、もし選手として出場するようなことがあった場合は」
「分かっていますよ、少佐。
 『雲散霧消』を使わなければならないような状況に追い込まれたら、諦めて負け犬に甘んじます。
 ……しかし、自分が選手として出場するような状況は考え難いんですが」
「心掛けの問題だ。
 分かっているならそれでいい」
 互いに失笑気味の笑顔で話題を締めくくる風間と達也。
 世の中、何が起こるか一寸先は闇、とはいえ、合理的に考えれば達也の指摘が正しいことは二人とも分かっている。
 だが心の底では、風間だけでなく、達也の方も、自分の推測に十分な自信を持ち得ていなかった。


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