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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(8) 開戦前々夜
 事故の後、警察の事情聴取とか現場を通行可能にする為の手伝いとかで三十分程度の時間をロスしたが、出発の遅れと合わせて、昼過ぎには宿舎に到着した。
 その競技の性質上、九校戦で活躍した選手から軍人の道に進む者は多い。
 軍としてしても優秀な実戦魔法師を確保する為に、九校戦には全面的に協力しており、会場と共に宿舎も、視察の文官や会議の為に来日した他国の高級士官とその随員を宿泊させる為のホテルを九校戦の期間中、生徒と学校関係者の為に貸切の形で提供している。
 と言っても、至れり尽くせりという訳ではない。
 ホテルといえど軍の施設だから、専従のポーターやドアマンはいない。いつもはここを統括する基地の当番兵がその役目を担うのだが、高校生の大会ということもあって、九校戦では自分たちで荷物の積み下ろしをすることになっている。
 作業車に積み込んだ大型機器は、車に載せたままで使用するものだから荷降ろしは発生しない。
 だが小型の工具やCADは部屋で微調整をしたりするので、台車に載せて押していくことになる。
 手早くその作業を終えて、荷物を載せた台車を押す一年生の技術スタッフと、その隣を笑顔で談笑しながら付いて行く女子生徒を視界に納め、服部は沈んだ面持ちで頭を振った。
「どうした、服部。随分不景気な面だな」
 そんな彼に、背後から気さくな声が掛けられた。
「桐原……いや、そんなことは無いさ」
 振り返った服部は、そこに声から予想した通りの友人の姿を認め、反射的に、余り意味のない否定の言葉を返した。
「そうかぁ?
 少なくとも、好調って顔はしてないぜ」
 自覚があるのだろう。
 桐原の言葉にそれ以上反論しようとせず、服部は自虐的な笑みを浮かべた。
「一寸……自信を無くしてな」
「おいおい、明後日から競技だぜ。こんな時に自信喪失かよ?」
 桐原の出場種目は二日目のアクセル・ボールのみだが、服部は一日目、三日目のバトル・ボードと九日目、十日目のモノリス・コードにエントリーしている。
 単一エントリーの桐原と違い、服部は二年生ながら主力選手なのだ。
 彼の不調は、チームの戦略に大きな影響を及ぼす。
 桐原が慌てるのも無理のないことだった。
「一体何に落ち込んでるんだ?」
 桐原の知る服部刑部という男は、努力家であり自信家だ。努力に裏打ちされた自信家、と言うべきかもしれない。
 二年生ながら三巨頭に次ぐ全校トップクラスの戦闘能力は、よく陰口を叩かれているように才能だけによるものではない。態度が傲慢なので――これについては、友人であっても弁護できない――誤解されがちだが、才能以上に努力もまたトップクラスだ。少なくとも、桐原の見ている限りでは。
 努力と才能と実績、この三つの裏付けがあれば、そう簡単に自信を無くしてしまうことはないはずだが……
「お前は感じなかったんだな。羨ましいよ……」
「なんだぁ?
 そりゃ、俺がバカだって言っているか?」
「いや?
 鈍いとは思っているが」
「おい!」
 服部は、他人から誤解されがちな、皮肉っぽい笑みを浮かべている。
 少し、いつもの調子が戻ってきたようだ。
 自分をからかう為に、という点は、桐原にとって些か複雑だったが、安心できるのに違いはない。
「……似合わないぜ?
 一体何をクヨクヨしてるんだよ?」
 多少の意趣返しを込めて、桐原はそう訊ねてみた。
 服部も、友人の不器用な思い遣りが分からない程に鈍感ではなかった。
「さっきの事故の時……」
「あ〜、ありゃあ、危なかったな」
「そう、何もしなければ重傷者が何人も出ただろう。死人が出たかもしれない」
「だが会頭たちが上手くやってくれたじゃねえか。
 現実にならなかった被害で悩むのは『たられば』の一種だぜ?
 ベクトルが逆向きでも、不健康なことに変わりはねえよ」
 桐原の骨太な発言に、服部は小さく笑った。
「お前のそういう割り切ったところは、本当に羨ましいよ、桐原。
 だが俺が考えていたのはそういうことじゃない」
 言葉を切って、服部はまたしても小さく頭を振った。
「……あの時、俺は結局何も出来なかった」
「そりゃ、あの状態で下手に手出ししたら、もっと収拾がつかなくなっちまう虞があるからな。
 手出しをしないだけ、まともな判断力を残していたと思うぜ」
「だが……司波さんは、正しく、対処して見せた。
 自分の得意な分野から分担すべきことをキチンと判断して、コミュニケーションをとることも忘れなかった。
 もしあの直前、相克を起こしていた魔法式が突然消滅しなくても、彼女は十文字会頭と協力して事態を収拾出来ただろう」
「あん時は渡辺委員長も手出しできなかったんだぜ?
 司波妹は冷却系が得意みたいだし、魔法の向き、不向きの問題なんじゃね?」
「渡辺先輩の得意分野は対人戦闘に偏っているから、あの場面で手を出さないのは寧ろ自制心の賜だ。ああいう状況なら、俺の方が出来ることは多い。
 ……魔法力だけの問題じゃない。
 渡辺先輩は、あの場面で自分が手を出すべきじゃないと瞬時に判断して、十文字会頭に対処を求めた。
 十文字会頭は声を掛けられる前に、自分が何とかしなければならない場面だと判断して、魔法式構築の準備をしていた。尚且つ、自分だけでは回避が難しいことを見抜いて、慌てて魔法を放ったりしなかった。
 司波さんは、自分に出来ることを冷静に判断した上で、声に出すことで協調を取っていた。
 それは単に、魔法力が大きいとか小さいとか、多彩な魔法を使えるとか強力な魔法を使えるとか、そういう技能的な問題じゃなくて、魔法師として、魔法を使わなければならない場面で正しく魔法を使えるかどうか――そう、魔法の資質ではなく、魔法師としての資質の問題だ。
 確かに彼女の魔法力は飛び抜けている。
 多分、単純な力比べでは、俺は彼女に勝てないだろう。
 だがその点については、さっきのことがあるまで、それほど気にしてはいなかった。
 魔法師としての優劣は魔法力の強さだけで決まるものではないからな。
 しかし――魔法の資質だけでなく、魔法師としての資質まで、年下の女の子に負けたとあっては……自信を失わずにはいられんよ」
 またもや消沈してしまった服部に、桐原は「仕方ないな」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「あ〜、そういうのは場数だからなぁ。
 その点、あの兄妹は特別だと思うぜ」
「兄妹?」
 評価の対象が「彼女は」ではなく「あの兄妹は」だったことが予想外だったのだろう。服部は桐原へ訝しげに問い返した。
「兄貴の方は……多分ありゃ、殺ってるな」
「ヤってる?」
「ああ、実際に人を殺しているな。それも一人や二人じゃない」
「……殺人、という意味じゃないよな?
 実戦経験があると言いたいのか?」
「雰囲気が、な……
 俺の親父が海軍の揚陸部隊にいたのは知ってるだろ?」
「ああ。対馬海域で何度も交戦された経験がお有りなんだよな?」
「下士官だけどな。
 まあ逆に、下っ端だからこそ、最前線を経験したりもするし、実際に命の遣り取りをくぐり抜けて来た知り合いも多い。
 親父の戦友が偶に俺ん家でワイワイ騒いでたりするんだが、俺たちとはやっぱ、雰囲気が違うんだよ。どんなに剣術とか射撃とか、戦う為の技術、人を殺傷する為の技を鍛えてても、実際に人を殺したことのある兵士とそうじゃないアスリートじゃ、殺気の質が違う。
 四月の事件の顛末は知ってるか?」
「何だ、いきなり……反魔法派のテロリストの仕業だったらしいな。
 テロ組織は十文字家が潰したらしい、という程度しか知らないが」
「そうか……だったら詳しい話はできねえな……
 ま、お前にだったら、この程度は話しても良いだろ。
 俺はあの時、テロリストを掃除した現場にいた。
 司波の兄妹も、な」
「……本当か?」
「そう言いたくなる気持ちは分かるが、事実だぜ。
 そしてその場で、俺は多分、司波の――兄貴の方の、本性を見た」
「本性?」
「ああ、本性、あるいはその一端。
 ありゃあ、ヤバいな。
 前線で殺し合いをして生き延びた兵士と同質で、何倍も濃密な殺気をコートでも着込むように身に纏っていやがった。
 何であんなヤツが高校生やってるんだ、ってゾクゾクするくらいヤバかったぜ」
 口ではそういいながら、桐原の表情はどこか舌なめずりしているような趣があった。
「……歳を誤魔化したりは出来ないはずだが」
「経験、イコール年齢じゃねえってことだろ」
「……司波さんもか?」
「妹の方は直接見た訳じゃねえけどよ。
 あの兄貴が、荒事の現場に連れて行ったんだ。ただの女の子なはずねえよ。
 今日のあの様子を見てると、綺麗なバラには刺がある、どころか、鋭い爪と獰猛な嘴で毒蛇を喰らう孔雀ってとこじゃねえか?
 あんなのにちょっかい出そうなんて、随分と命知らずだと思うがね。まっ、無知は幸いなりってとこか?」
 与えられた情報を消化し切れずに戸惑いを隠せない服部へ目を向けると、桐原は揶揄の混じった笑みを浮かべた。
「しかしあの(・・)服部の口から、あんな台詞が聞けようとはな」
「……何のことだ」
 桐原の意味ありげな笑い方が気に食わず、不機嫌をむき出しにした声で問い返す服部。
 だがニヤニヤ笑う桐原の顔は、小揺るぎもしなかった。
「魔法師の優劣は、魔法力だけで決まるものではない、か。
 その台詞がお前の口から飛び出したって会長が聞いたら、大喜びするんじゃねえの?」
「っ……!」
 服部は鋭い眼差しで桐原を睨み付けた。
 だが桐原が相変わらずニヤニヤ笑いながら、否、服部の過剰な反応に益々笑みを深めながら、真っ直ぐに彼へ視線を向けているのを見て、服部は顔を背けた。
「優劣はともかく、強い弱いは魔法力だけで決まるもんじゃねえよなぁ」
 服部は一言も断らず、桐原を置いてその場を立ち去ろうと歩き始めたのだが、桐原はそんなあからさまな拒絶など「知ったことか」とばかり、彼のすぐ後ろを歩きながら話を続けた。
「ブルームだ、ウィードだなんて、たかが入学前の実技試験の結果じゃねえか。
 一科の中にも、伸びる奴もいれば伸びない奴もいる。
 千代田なんて、才能だけに胡座かいてた去年の夏から比べれば完全な別人だぜ。
 二科の連中だって、自分で諦めちまわなきゃ、強くなれる奴は一杯いるんじゃねえの?
 ……いや、将来性だけの話じゃねえな。
 現に、二科生にだって『できる』奴は少なくない。
 今年の一年は特にな。
 おっと、別に、司波兄に負けたから言うんじゃないぜ」
 服部の肩がビクッと震えた。
 それを見て「ああ、そう言えば、コイツもあの野郎に苦杯を嘗めさせられた口だったな」と桐原は思った。
「まっ、現時点では俺より奴の方が強い。
 それは認めるさ。
 だが、アイツがいくら、詐欺みたいに強いからって、負けっ放しにしとくつもりは無しだ。
 腕を磨いて磨いて磨き抜いて、次に立ち合うときは勝ってやる。
 今、劣ってるからって、諦めちまったら、負けたままだからな。
 今までの二科の連中は、過去に劣ってたからって、今を諦めていた。
 だから強くなれなかったし、そんな奴等なら対等と認めてやる必要もなかった。
 だが、強くなろうとして、実際に強くなった奴なら逆に、バカにする理由は無いだろうさ」
 服部は相変わらず応えない。
 口を閉じたまま、さっさと割り当てられた部屋へ向かっている。
 桐原は肩をすくめて、話の肴に使っていた兄妹の方へと振り返った。
 背後では妹の方が、何やら深刻そうな顔で兄貴の顔を見詰めていた。
 それを見て桐原は、ふと「また厄介事にならなきゃいいが」と思った。
 そして、自分の思惟の脈絡の無さに、苦笑いを漏らした。

◇◆◇◆◇◆◇

 桐原の予感は、些細な、だが切実かも知れない彼自身の願望を裏切る方向で的中していた。
「……では、先程のあれは、事故では無かったと……?」
 眉を顰めて問い返す妹に、達也は小さく頷いた。
「あの自動車の跳び方は不自然だったからね。
 調べてみたら、案の定、魔法の痕跡があった」
 人の目、他人の耳を気にして小声で答える兄に倣って、深雪も声を潜めた。
「わたしには何も見えませんでしたが……」
 反問の形になってはいたが、深雪は兄の言葉を全く疑っていなかった。
 彼女はあの「事故」を最初から見ていた。
 そして、魔法が使われた形跡を最後まで知覚しなかった。
 しかし「現在」しか見ることの出来ない自分とは違い、兄の知覚は「過去」にも及ぶ。
 兄が「あった」と断言する以上、それは確かに存在した事なのだということを、深雪は知っている。
「最小の出力で瞬間的に行使されている。魔法式の残留サイオンも検出されない高度な技術だ。専門の訓練を積んだ秘密工作員なんだろうな。
 使い捨てにするには惜しい腕だ」
「使い捨て……ですか?」
 その単語の不吉な響きに、深雪の声が、本人の意図する以上に小さくなった。
「魔法が使われたのは三回。
 最初はタイヤをパンクさせる魔法。
 二回目が車体をスピンさせる魔法。
 そして三回目が車体に斜め上方の力を加えて、ガード壁をジャンプ台代わりに跳び上がらせる魔法。
 何れも、車内から放たれている。おそらく、魔法が使用された事を隠す為だろう。
 現に、お前も含めてあれだけ大勢の優秀な魔法師がいたのに、誰も気が付かなかった。
 俺にも分からなかった。
 全く、見事なものだ。
 特に最後の術式は、スピンする車内で振り回されながら、衝突の瞬間を正確に捉えた訳だからな。
 並大抵の錬度じゃない」
「では、魔法を使ったのは……」
「犯人の魔法師は運転手。
 つまり、自爆攻撃だよ」
 足を止めて、俯く深雪。
 その肩が微かに震えていた。
「卑劣な……!」
 それは、哀しみ故ではなく、怒りの発露。
 妹が、犯罪者に対する誤った同情に溺れるのではなく、それを命じた者の遣り口に憤りを示したのを見て、達也は満足げに頷いた。
「元より、犯罪者やテロリスト等という輩は卑劣なものだ。
 命じた側が命を懸ける事例など稀だという点でも然り。
 だから、そんなことで一々怒ってたら切りがないぞ?
 それより、何が狙いだったかが気になるところだね」
 ポンポンと宥めるように妹の背中を二度叩いて、達也は再びカートを押し始めた。
 深雪もすぐ、その後に続いた。
 ――が、十歩も進まぬ内に、再び立ち止まることになった。
 ショートパンツに編み上げサンダルで健康的な素足を惜しみ無く人目に曝し、上もタンクトップで肩を剥き出しにした少女が、壁際に置かれたソファーから手を振っていた。
 深雪に合わせて達也が立ち止まると、何処かのリゾートビーチと間違えているんじゃないかと思いたくなる格好をした友人が、手を振るのを止めてソファーから立ち上がった。
「一週間ぶり。元気してた?」
「ええ、まあ……それよりエリカ、貴女、何故ここに?」
「もちろん、応援だけど」
 気軽な挨拶を交わした後、訝しげに問う深雪に、エリカはあっさりと答えた。
 無論、その程度の回答は深雪も予想済みであり、それ故、彼女を納得させるものとはならなかった。
「でも競技は明後日からよ?」
「うん、知ってる」
 どうもエリカは悪戯っ子気質と言うか、他人を煙に巻いて楽しむ傾向があり、中々本題に入れない時がある。
「深雪、先に行ってるぞ。
 エリカ、また後でな」
 そう、さっさと見切りをつけた達也は、機材を載せた台車を技術スタッフの作業用に確保した部屋へ運ぶべく、二人を置いてエレベーターホールへ進んだ。
「あっ、うん、またね……って、挨拶くらいさせてくれても」
「ごめんなさい。スタッフの先輩方が待っていらっしゃるのよ。
 それで、何故二日も早く来たの?」
 一先ず兄の代わりに謝ってから、深雪は質問を再開した。
「今晩、懇親会でしょ?」
「…………」
「…………」
「…………それで?」
 回答の続きを待ったが、何時まで経っても説明を完結させる気配が無かったので、深雪は仕方なく自分の方から会話を繋げることにした。
「念の為に言っておくけど、関係者以外は、生徒であってもパーティーには参加出来ないわよ」
「あっ、それは大丈夫。あたしたち関係者だから」
「えっ? それは」
「エリカちゃん、お部屋のキー……っと、深雪さん?」
 関係者とはどういう意味なのか、それを尋ねようとした深雪の言葉は、小走りに近づいて来る少女の声に遮られた。
「美月、貴女も来ていたの?」
「こんにちは、深雪さん……どうしたんですか?」
 深雪に話し掛けられて朗らかに会釈を返した美月だったが、返事の代わりにマジマジと見詰められて、居心地悪そうな愛想笑いを浮かべた。
「……派手ね」
「えっ、と……そうでしょうか」
 心許なげに自分を見下ろす美月のファッションは、キャミソールのアウターに、膝より随分上のスカートと、見る人によってはエリカよりも扇情的と見られかねないものだった。
 深雪の率直な感想は「何処の避暑地と勘違いしているのかしら?」である。
「エリカちゃんに、堅苦しいのは良くないって言われたものですから……」
「そう……」
 深雪は何か一言、エリカに言ってやろうと考えたが、素知らぬ顔でそっぽを向いている姿を見て、何の効果も無いだろう、と諦めた。
 エリカの相手をしながら、よく溜め息をついている兄の気持ちが少し分かったような気がした。
「美月、悪いことは言わないから、早めに着替えた方が良いわ。
 その服、似合っていて可愛いんだけど、TPOに合っていないと思うから」
 だが、苦笑いで済ませるには、深雪は兄より少しだけ生真面目で少しだけ負けず嫌いだった。
「そう……ですか?
 ……やっぱり?」
「ええ、多分」
 チラッとエリカの方を見て訊ねた美月に、同じくチラッとエリカへ視線を投げて深雪は頷いた。
「えーっ、そーかなー?」
 流石に知らん顔も出来なくなったのか。
 エリカが不満げに反論した、が、
「ところで、部屋のキーって言ってたけど、ここに泊まるの?」
……今度は深雪が素知らぬ顔でスルーした。
「はい」
 答える美月の隣でエリカは憮然としていたが、深雪に食って掛かるような真似はしない。
 この虫も殺さないような美少女が、実は強かで容赦の無い性格であることを、エリカは四ヶ月の付き合いで学んでいた。
「よく部屋が空いていたわね……
 いえ、それより、よくホテルが受け入れたわね。
 ここは、一般の人が宿泊できる所じゃないのに」
「そこはコネよ」
 気を取り直したエリカの、何の悪びれもない種明かしに、深雪は小さく噴き出してしまった。
「流石は千葉家」
 声に笑いの成分が残留していたが、深雪は決してからかってそう言った訳ではなく、本心から、単なる事実として相槌を打っただけだった。
 十師族の苗字に一から十までの数字が入っているように、百家の中でも本流とされている家系の苗字には“『千』代田”、“『五十』里”の様に、十一以上の数字が入っている。数値の大小が力の強弱を表すものではないが、苗字に数字が入っているかどうかは、血筋が大きく物を言う、魔法師の力量を推測する一つの目安となる。この様に苗字に数字が含まれる魔法師の家系は、「数字付き」の隠語で呼ばれている。(無論、それは推測(・・)の為の目安(・・)に過ぎないのであって、第一高校の生徒会を見ても、会長の真由美しか「数字付き」には該当しない)
 そしてエリカの実家も“『千』葉”家、つまり「数字付き」と呼ばれる百家本流の一つだ。
 千葉家は特に、自己加速・自己加重魔法を用いた白兵戦技で知られている名門。千葉家の特異な点は、魔法の行使において優れているだけでなく、それを体系化し白兵戦魔法師育成のノウハウを作り上げたことにある。
 警察及び陸軍の歩兵部隊に所属する魔法師の約半数が、直接・間接に千葉家の教えを受けているとされている。海軍や空軍でも、白兵戦が想定される部隊においては、千葉一門より教官の派遣を受けていることが多い。
 千葉家は、実戦部門に対する「コネ」という面から見れば、あるいは十師族以上の権勢を有しているのである。
「……でも、いいの?
 エリカは、ご実家の後ろ盾を使うのが嫌いだと思っていたのだけど」
「嫌いなのは『千葉家の娘だから』って色眼鏡で見られること。
 コネは利用する為にあるんだから、使わなきゃ損よ」
 相手によっては刺々しい雰囲気になりそうな問い掛けだったが、訊いたのが深雪で訊かれたのがエリカだったからか、非常にあっけらかんとした問答になった。
「フフッ、そうね。
 じゃあ、わたしも荷物を整理しなきゃならないから。
 どういう関係者なのか知らないけど、パーティーで会いましょう?」
 手を振るエリカと会釈する美月に見送られ、深雪はエレベーターホールへ向かう。
「おい、エリカ。自分の荷物くらい自分で持ちやがれ」
「柴田さん、荷物、持って来たよ。事後承諾で悪いけど、フロントが混み合ってきたから」
 その途中で、エリカたちを呼ぶ少年の声を聞いた。
 一人は聞き覚えのある、もう一人は聞いた事のない、声。
 女の子二人組、ではなく、男女二組だった訳だ。
 深雪は足を止めず、振り返らずに、こっそり笑みを浮かべた。

◇◆◇◆◇◆◇

 そもそも深雪たち一行を乗せたバスは何故、前々日の午前中などという早過ぎる到着時間を予定していたのか。
 それは、夕方に予定されているパーティーの為である。
 高校生のパーティーだから勿論ノーアルコール。これから勝敗を競う相手と一同に会する立食パーティーは、プレ開会式の性格が強く例年、和やかさより緊張感の方が目につく。
「……だから本当は出たくないのよね、これ……」
 真由美の、生徒会長にあるまじき放言を、達也は礼儀正しく聞かなかったことにした。
 技術スタッフは裏方ではあるが、競技場内で活動する正規のメンバーとして、パーティーに出席しなければならない。
 パーティーとかレセプションとかの類いを苦手としている達也は、内心、真由美の意見に賛成だった。
 パーティーのドレスコードは各学校の制服。着る物にあれこれ悩まなくていいのはありがたいのだが、借り物のブレザーはどうも身体にしっくり来なくて、パーティーに対するネガティブな気分を増幅していた。
「やはり、新調された方が良かったのでは……?」
 小さく身体を揺すっていたのに気付いたのだろう。
 深雪が眉を曇らせて達也の顔を見上げていた。
「いや、大丈夫だ。
 すまないな、気を遣わせて」
 言葉だけでなく、達也は恥じた。これではどちらが兄(姉)か分からない。全員参加の公式行事なのだから、苦手とか嫌いとか言っている場合ではないのだ。
「いえ、滅相もありません」
 微妙な表情の変化で、達也が鬱々とした気分を吹っ切ったのが分かったのだろう。
 深雪は嬉しそうに微笑んだ。
「はいそこ。
 兄妹(きょうだい)で雰囲気作るの禁止」
 冷やかし含みの声に目を上げてみれば――厳密に言えば、一旦上げた目線を下ろさなければならなかった――笑いをこらえている表情で真由美が達也たちを見ていた。
「雰囲気、って……何ですかそれは……」
 世の中には男女関係を全て色恋事に結び付けたがる病に罹った少女たちがいると、ゴシップサイトで読んだことがあるが、それが事実で患者が自分の身近にいるというのは、正直勘弁して欲しいと達也は思った。
 まあおそらく真由美は、いつもの調子で彼のことをからかいたがっているだけなのだろうが。
 まずまともな答えは返ってこないと分かっていたが、一応、達也は視線で回答を促してみた。
 しかし、真由美の目は、達也ではなく彼の隣に向けられている。
 今にも吹き出しそうになっている、その視線を辿ってみると……
「深雪……そこで何故お前が照れる……?」
 恥じらいを浮かべて俯いている妹の姿があった。
「さあ、行きましょうか」
 先程の後ろ向きな態度とは打って変わって、何故か、晴れ晴れとした表情で真由美が一同に促した。
 何だか、気分転換の肴にされたようで釈然としない気持ちはあったが、足取りが軽くなった真由美の後姿を見て、「まあ、いいか」と達也は思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 九校戦参加者は選手だけで三百六十名。裏方を含めると四百名を超える。
 全員出席が建前とはいえ、様々な理由をつけてパーティーを欠席する者は決して少なくない。
 それでも、懇親会は出席者数三百人から四百人の、大規模なものとなる。
 会場も必然的に大きなものとなり、ホテル側のスタッフもそれなりの人数が必要だ。
 ホテルの専従スタッフや基地の応援だけでは賄い切れないだろう、ということも容易に推測できるし、明らかにアルバイトと思しき若者が給仕服に身を包んで会場内を行き来しているのも納得できる。
 しかし――その中に知り合いの姿を見つけたとなると、驚かずにはいられない。
 短い開会の辞の後――長さだけが取柄の退屈な演説が無いのはありがたかった――早速料理を取りにいった達也に背後から掛けられた声。
「お飲み物は如何ですか?」という聞き覚えのある声に振り返ってみると、そこには、ドリンクを載せたトレイ片手のエリカが立っていた。
「……関係者とはこういうことか……」
「あっ、深雪に聞いたんだ?
 ビックリした?」
「……驚いた」
 楽しそうに笑うエリカに、気の利いた反撃を考え付く余裕も無く、達也は頷いた。
「よく潜り込めたな……いや、その位は当然か」
 場所が場所だ。
 例え日雇のアルバイトであったとしても、高校生が簡単に雇ってもらえる所ではない。
 年齢制限だってある。今回はアルコール抜きだとしても、それで条件が緩和されるものでもないのだ。事実、会場を行き来するウエイターもコンパニオンも、大体二十歳以上に見える。
 流石は千葉家、というところだろうか。
 コネの使い道を間違っているような気もするが。
「それにしても……」
「んっ? なぁに?」
「いや……」
 彼らしくもなく、達也は言葉を濁した。
 流石に本人を前にして「それにしても化けたな」とは言い辛かったのだ。
 本人も、年齢的に拙いということは分かっているのだろう。
 エリカは随分、大人びたメイクをしていた。
 これだけ間近に見ても、他のコンパニオンとそれほど変わらない年頃に見える。
 普段は歳相応に溌剌とした美少女のイメージが強いエリカだが、スレンダーな彼女には、大人びたメイクも似合っていた。
(彼女には……?)
 達也はふと、自分の思考に違和感を覚えた。
 エリカは一人ではなかった。
 美月が一緒だったはずだ。
 人ごみが苦手で接客に向いているとは言い難い彼女に、パーティーのコンパニオンが勤まるのだろうか……?
「ハイ、エリカ。可愛い格好をしているじゃない。
 関係者って、こういうことだったのね」
 彼が黙り込んでしまった空白を、ちょうど補うタイミングで深雪が会話に入って来た。
「そういうこと。
 ねっ、可愛いでしょ?
 達也くんは何も言ってくれなかったけど」
 身体を左右に捻ってフワリと広がったスカートを揺らして見せながら、エリカは不満げにそう言った。
 突如矛先を向けられた達也だったが、そこは持ち前の切替の速さで、すぐさま反論を繰り出そうとした、が、深雪の方が一拍早かった。
「お兄様にそんなことを求めても無理よ、エリカ」
 笑いながら首を振った深雪を、達也より寧ろエリカの方が意外そうな目で見つめた。
 深雪が達也を庇わず、否定的な発言をしたのに意表を衝かれたのだ。
――だが、それはエリカの早合点だった。
「お兄様は女の子の服装なんて表面的なことに囚われたりはしないもの。
 きちんと、わたしたち自身を見て下さっているから、その場限りのお仕着せの制服などに興味を持たれないのよ」
 それは過小評価で過大評価だ、と達也は思った。
 今回に関して言えば、他の事――美月のことが気になって、そこまで気が回らなかっただけだ。
 彼にだって女性の服を褒めるくらいの気配りはあるし、際どい格好をされれば目のやり場に困ったりもする。
 ――いや、その場合は服ではなく、その下に見えているものが問題なのかもしれないが。
「ああ、なるほどね。
 達也くんはコスプレなんかに興味は無いか」
「それってコスプレなの?」
「あたしは違うと思うんだけど、男の子からしたらそう見えるみたいよ」
 だが少女たちの会話は、本音を口に出せない彼を置いてけぼりにして突っ走っていた。
「男の子って、西城君のこと?」
「アイツじゃその程度のことさえ言えないって。
 ミッキーよ、コスプレって口走ったのは。
 しっかりお仕置きしといてやったけど」
 達也の耳には、不穏な台詞がしっかりと残った。
 だが深雪には、然して気にならなかったようだ。
「ミッキー?」
 全く知らない固有名詞が、話している相手の口から当たり前のように出て来たら、そちらの方が気になるのは当然かもしれないが。
「ミキのことよ。
 女みたいな呼び方するなって、やたらグチグチと拘るもんだからミッキーって呼ぶことにしたの」
「……だから、その『ミキ』とか『ミッキー』とかって誰?」
 深雪の再質問に、エリカは「あっ」という表情を浮かべた。
「そうか。深雪は知らないんだっけ」
 そう呟くや否や、エリカは呼び止める間もなくその場を走り去った。
「器用だな。バランス感覚が余程優れているのか……」
 片手にトレイを持ったまま、ドリンクを溢さずに走って行くエリカを見て、達也はしきりと感心している。
 それも少しずれているのでは?、と深雪は思ったが、口に出したのはもっと当たり障りのないことだった。
「一体どうしたのでしょうね……?」
 実のところ、答えを期待しての質問ではなかった。
 ただいきなり放置されて、間が持たなかった為に口から零れた台詞だ。
 だが、予想に反して、
「多分、幹比古を呼びに行ったんだろう」
 明確な答えが返って来た。
「吉田幹比古。名前は知っているだろ?」
「お兄様と同じクラスの方ですね?」
 定期試験の上位者リストで話題になった名前だ。深雪もしっかり覚えていた。
「エリカとは幼馴染らしい。
 深雪は幹比古に会ったことがなかったからな。
 紹介するつもりじゃないのか?」
 なる程、エリカのやりそうなことだった。
 何も言わず、いきなり走り去ったことも含めて。
「深雪、ここにいたの」
「達也さんも、ご一緒だったんですね」
 何とは無しにエリカの姿が消えた方を見ていた兄妹に、今度は二人の女子生徒が話しかけてきた。
「雫、わざわざ探しに来てくれたの?」
「ほのか、雫。……君たちも、いつも一緒なんだな」
「……そう言えば、そうですね」
「友達だから。
 別行動する理由もないし」
「そりゃそうだ」
 達也が二人を名前で呼ぶようになったのは、つい先月のことだった。
 熱心に「お願い」していたのはほのかの方だが、達也としては、雫の無言のプレッシャーに押し切られたという面の方が強かった。
「他のみんなは?」
 訊ねたのは深雪。
 但し、余り気乗りしていない声だった。
「あそこよ」
 ほのかが指差す方を見てみると、慌てて目を逸らす男子生徒の集団がいた。
 チームメイトの一年女子も、同じところに固まっている。
「深雪の側に寄りたくても、達也さんがいるから近づけないんじゃないかな」
「何だそりゃ。俺は番犬か……?」
 雫の推測に、呆れ声を漏らす達也。
 当たっている可能性が高いだけに、笑い飛ばすことも出来ない。
「みんなきっと、達也さんにどう接したらいいのか戸惑っているんですよ」
 ほのかが口にしたのは慰めの台詞だが、それもありそうなことだと達也は思った。
 彼は、自分が「異端」だと自覚している。
 本来ならば、彼の方から歩み寄るべきなのだろうが……
「バカバカしい。
 同じ一高生で、しかも今はチームメイトなのにね」
 竹を割るように断じたのは、新たな声だった。
「千代田先輩」
 花音がグラスを片手に(無論、ソフトドリンクだ)、達也たちの輪の中に入って来た。
 その後ろには、同じようにグラスを持った五十里の姿もあった。
「分かっていてもままならないのが人の心だよ、花音」
「それで許されるのは場合によりけりよ、啓」
 花音と五十里は互いのことを名前で呼び合う。
 まあ、婚約者なら当然過ぎるほど当然かもしれない。
「どちらも正論ですね。
 しかし、今はもっと簡単な解決方法があります」
 お節介かな? とも思ったが、こんなことで言い争いをされては達也の方が愉快ではない。
 恋人同士のコミュニケーションの邪魔をするのは忍びなかったが、達也はさっさと収束を図った。
「深雪、クラスメイトの所へ行っておいで」
「ですがお兄様」
「後で部屋においで。
 俺のルームメイトは機材だから」
 選手もスタッフも基本的に部屋はツインだが、達也が唯一の一年生スタッフで唯一の二科生である為、気を遣わなくてもいいように、と機材番の名目で、真由美がツイン・シングル(シングルユースツインルーム)を割り当ててくれたのだ。
「ほのか、雫も。良ければ後で」
 深雪はまだ不服そうだったが、達也が何故そんなことを言ったのか、その理由は彼女自身よく理解していた。
「……分かりました。では、後ほど」
「後でお邪魔させてもらいますね」
「また後で」
 笑いながら手を振っていた達也は、不機嫌な眼差しを感じて振り返った。
「大人の対応ね。
 でも、それじゃあ先送りにしかならないと思うけど?」
 達也と花音の関係は、顔見知りの範疇を超えるものではない。
 達也の交友関係に花音が口を挟むのは筋違いなのだが、花音の発言が義侠心から出たものだと解っていたので、達也も真面目に対応することにした。
「先送りで良いんですよ。
 今すぐ解決する必要の無い問題で、時間がある程度の解決をもたらす類いの事なのですから」
「それは……っ」
 言葉に詰まったまま、花音は悔しそうな目を向けてきた。どうやらこの上級生の少女は、相当な負けず嫌いらしい。
「花音、司波君の言う通りだよ。
 世の中には、拙速を尊ばないこともあるんだ」
「だが、若々しさが無いのも確かだな」
「摩利さん」
 新たに絡んできた摩利に、達也は反論せず、ただ軽い会釈を返した。
「五十里、中条が探していたぞ」
 そして、達也のそんな反応は織り込み済みとばかり、摩利はさっさと用事を済ませた。
「すみません、それで、中条さんは何処に?」
「一号作業車だ。
 もうすぐ来賓挨拶が始まるから、早く用を済ませて中条も引っ張って来てくれ。
 他の有象無象はともかく、老師のお言葉に欠席者がいるのは外聞に障る」
「そうですね。分かりました」
「摩利さん、失礼します」
 五十里と花音を手を振って見送った後、摩利は達也へ向き直った。
「サイズは合ってたようだな」
「少し窮屈ですけどね」
「それは仕方がない。
 肥満体型は想定してても、筋肉の発達で幅が足りないというのは貸衣裳の想定外だ。それ以上大きなサイズにすると胴回りが余ってみっともないからな」
「そうですね。仕方がありません」
「新調すれば良かったんじゃないか?」
「二回しか着ないブレザーを新調するのは、もったいなさ過ぎますよ。
 ワッペンなら取り外して着るという選択肢もあったでしょうけど、刺繍ですからね、これは……」
 そう言いながら、達也は少し忌々しげに自分の左胸を見下ろした。
 そこには八枚花弁のエンブレムが縫い付けられている。
 他校の生徒との親睦会に、校章が無いと分かり難い、と言われて無理矢理着せられたものだ。
「二回だけとは限らないぞ?
 秋には論文コンペもあるし、君が一科に転籍しないとも限らないからな」
 笑いながらではあったが、摩利の目は結構本気だった。
 達也は憮然として答えた。
「論文コンペに選ばれたとしても、自分の制服で構わないでしょう。
 一科への転籍はありえません。そんなことは規定も前例も無い」
 達也の言葉に、摩利は声を上げて笑った。
「前例? 今の君の立場自体が前例に無いじゃないか。
 君の様な二科生は前例に無いんだから、前例が無いというだけで可能性を否定する根拠にはならないよ。
 前例が無い、等と言うより、君こそが『前例』になるべきだ。君の様な後輩の為にね」
「…………」
 苦虫を噛み潰してしまった達也を見て、摩利はもう一度、楽しそうに笑った。
「さて、あたしは他校の幹部と少し話をしてくるが、君も一緒にどうだ?」
「……いえ、多分、エリカが俺を探しに来るでしょうから」
 エリカの名前が出た瞬間、摩利の目に一瞬の動揺が走った。
 意趣返しのネタにしようか、という思考が脳裏を過ったが、冗談の種に使うには少々根が深そうだ。
 達也は、無言で摩利を見送った。

◇◆◇◆◇◆◇

「あれっ?
 深雪は?」
 エリカは達也の予想通り、幹比古を伴って戻ってきた。
「クラスメイトの所へ行かせた。
 後で俺の部屋に来るから、その時に紹介するよ」
「あ、うん」
 達也の台詞は前半がエリカに、後半が幹比古に対するもの。
 幹比古の反応は、残念そうというよりホッとしたという色合いの濃いものだった。
「……無理にとは言わんぞ?」
「……えっ?」
 すぐには自分に掛けられた言葉と分からなかったのだろう。
 幹比古の回答には少し間があった。
「いや、そういう訳じゃないよ!
 少し緊張するのは確かだけど……」
「や〜ねぇ、男って、美人の前だと格好つけたがるんだから」
「エリカも十分美人だよ。今日は特にね」
「えっ? チョッと、ヤダもう……」
「それで?」
 茶々を入れて来たエリカを茶々返しで撃退し、達也は幹比古に続きを促した。
「達也、君って……
 いや、初対面にこの格好というのは、チョッと恥ずかしかったからね……」
 幹比古は何か言いたげに口を開きかけたが、疲れた様子で首を振って、訊かれたことに答えた。
 そう言われて、達也は改めて幹比古とエリカの衣装を見た。
 幹比古の衣装は白いシャツに黒の蝶ネクタイ、黒のベスト。
 エリカの衣装はスカートがフワリと広がった黒のワンピースに白いエプロン、頭に白いヘッドドレス。
 端的に言えば、執事とメイド、ではなく、召使いとメイドだった。
「別におかしな格好ではないと思うが?
 ホテルの従業員ならそんなものじゃないか?」
 フロアを行き来しているウェイターは皆、幹比古と同じ格好をしている。
「ほらご覧なさい。
 自意識過剰なのよ、ミッキーは」
「僕の名前は幹比古だ」
 同じ遣り取りが何度も繰り返されたであろうことが窺われる口調と表情。
 どうやら幹比古は、今の自分の姿が余程気に入らないらしい。
 もしかしたら旧家出身の彼には、使用人と同じ格好をするということに抵抗があるのかも知れない。
「ところで、あとの二人はどうしたんだ?」
 何故こんなところでアルバイトの真似事をしているのかも気になったが、そこには触れないでおこうと達也は思った。
「レオに接客が務まると思う?」
「その程度の使い分けくらいはできると思うが……」
 友人の為に控えめな弁護を達也は試みたが、今にも吹き出しそうなエリカの表情は変わらなかった。
「美月もこの格好は嫌なんだって。
 実はミキと気が合うのかしら」
「僕の名前は幹比古だ!」
「了解りょーかい。
 という訳で、二人とも裏方。
 レオは厨房で力仕事、美月はお皿を洗ってるよ」
 何が「という訳」なのかは分からなかったが、言わんとすることは理解できた、気がした。
「二人とも機械の操作は得意だからな」
「そうね。二人とも、見掛けによらないけど」
 今の時代、倉庫の出し入れも食器の洗浄も、人手を使う部分はほとんど無い。
 かなり細かい部分まで、機械が人の手の代わりを務める。
 要するにあの二人は、裏でキッチン用オートメーションを操作しているということだろう。
「僕もそっちのはずだっただろう。
 何故いきなり給仕をやらさせられるんだ!?」
「何度も説明したじゃない。
 チョッとした手違いだって」
「説明になってないだろう!」
「ハイハイ騒がないの。
 アルバイトとはいえ、あたしたちはお仕事中なのよ。
 ほら、あっちのお皿、空いてるわよ」
「……後で覚えてろよ、エリカ」
 そう言い捨ててテーブルへ向かった幹比古だったが、達也にはその捨て台詞にあまり「本気」が感じられなかった。
「忘れちゃうのはミキの方なんだけどねぇ……」
 呆れ声で見送るエリカの声音にも表情にも、それ以外の感情は見受けられなかった。
 だが達也には、それがエリカの本音の全てでは無いように思えた。
「……どういう事情があるのかは知らないが、もう少し手加減してやったらどうだ?」
 エリカは何について言われたのか、咄嗟には分からなかったようで、答えが返ってくるまで少なからぬ間があった。
「…………そんなに大した事情がある訳じゃないんだけど。
 でもそうね。あたしも少し八つ当たり気味だったかな。
 ミキがこういうの苦手なのは良く知ってるんだけど。
 でも、ね……」
「…………怒らせたかったのか?」
「う〜ん、どうだろ……?
 屈折し過ぎて、見ていてイライラする、ってことはあるんだけどね。
 まだ素直に笑えないのは仕方ないと思うんだけど、怒ることすら忘れちゃう執着ってのはどうなんだか……それってもう、妄執の域だと思うんだよね」
「優しいんだな」
「止してよ」
 達也としては相槌程度の、何気ない一言だったが、返って来た拒否反応は予想外に激しいものだった。
「八つ当たり、って言ったでしょ。
 あたしもミキも、今日ここにいるのは自分の意思じゃない。親に無理強いされた結果よ。
 優しく見えたとしても、それは単に、同類が相憐れんでいるだけ」
「……事情は聞かない。
 聞いてもどうしようもないからな。
 今の言葉は、忘れることにしとくよ」
「……ごめん、そうしてくれる?
 ……ねぇ、達也くん」
「ん?」
「達也くんってさ……冷たいよね」
「……いきなりだな」
「でも、その冷たさがありがたい……かな。
 優しすぎないから、安心して愚痴をこぼせる。
 同情されないから、惨めにならない。
 ……ありがと」
 最後の一言は、聞き取れるか聞き取れないかの、小さな声。
 逃げるように配膳台へ向かうエリカの後姿を見ながら、悩みは誰にでもあるものだな、と達也は思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 深雪は真由美に声をかけられて、クラスメイトと別れ、生徒会のメンバーと同行していた。
 他校の生徒会役員と挨拶を交わす――傍ら、腹黒い探り合いを演じる――真由美と鈴音の背後で、エリカを見送る兄をこっそり横目で見つめる。
 声に出さず、表情にも出さず、心の中だけでため息をついた。
 深雪は達也を誰よりも高く評価しているが(深雪が(・・・)誰よりも高く、ではなく、達也を(・・・)誰よりも高く、である)、それでも完璧な人間だと考えている訳ではない。――或る種の超人だと考えてはいるが。
 兄には少なくない欠点がある、と深雪は思っている。
 その欠点の一つが、他人から寄せられる好意を信じられない、ということだ。
 鈍感過ぎて他人の好意が分からない、という面も多少はある。
 しかしそれ以上に、他人が自分に好意を持っているということを、達也は心の底で疑ってしまう。
 それはある意味で仕方の無いことだ。
 愛情という最高の好意を実の親から与えられなかったばかりか、実の親の手によって「愛情」そのものを心の中から剥ぎ取られたのだから。
 兄が自分の愛に応えてくれるのは奇跡みたいなものだ、と深雪は理解している。
 それでも、可愛い同級生から(エリカは深雪の目から見ても文句無く美少女だ)恋慕にも似た好意――あれは既に「恋」ではないかと深雪は感じている――を示されて、その後姿を醒めた目で見送っている兄の姿には、安堵よりも切なさを覚えてしまう。
 兄は自分がこうして見つめていることに気づいてもいないだろう、と深雪は思った。
 もしかしたら視線には気づいているかもしれない。
 でも、自分がどんな想いを抱えているのか、など、想像すらもしていないに違いない。――そう思って、深雪はますます切なくなった。
 そして、段々腹が立ってきた。

 ――これはもう、一度文句を言わなければ気が済まない。

 ――円滑な人間関係構築の為に、余り鈍感過ぎるのは兄の為にもならないはずだ。

 ――そう、これは兄の為、愛の鞭に他ならない。

 淑やかなアルカイック・スマイルの下で、深雪はそう決意した。
 ……そんな彼女が、自分を見つめる視線に気づくはずも無かった。
 誰しも、自分のことは分からないもの、なのかも知れない。

◇◆◇◆◇◆◇

 今、真由美たちと(表面的には)笑顔で談笑しているのは、第一高校にとって最大のライバル校と目されている第三高校の生徒会役員だ。
 その背後で、三高の一年生が何事かこっそり囁き合っていた。
 先輩の情報戦に耳を傾け、戦力分析に勤しんでいる、のであれば、流石は尚武の校風を掲げる第三高校。上級生も感涙に咽たかもしれない、が……
「見ろよ一条、あの子、超カワイクねぇ?」
「超って、お前……何時の時代の高校生だ」
「うるせーな。おめーには聞いてねーよ。
 なっ、なっ、一条、どう思う?」
「何サカってるんだよ……無駄無駄。あんな美少女、高嶺の花もいいトコだろ。お前じゃ相手にされないって」
「つくづくるせーな。俺じゃダメでも、一条ならイケるかもしれねーじゃんか。
 なんせ一条は顔良し腕良し頭良し、そのうえ十師族の跡取りなんだからよ。
 そしたら俺にもお近づきになるチャンスくらいめぐってくるだろ」
「なに威張って情けないこと言ってんだよ……」
 実態は、このような会話が交わされていたのであった。――まあ、実に高校生らしいと言えない事も無い。
将輝(まさき)、どうしたんだ?」
 ただ、その輪の中心にいた男子生徒は、盛り上がる仲間に応えも返さず、じっと話題の女子生徒を見つめていた。
「……将輝?」
「……ジョージ、お前、あの子のこと、知ってるか?」
「え? ああ、制服で分かると思うけど、一高の一年生だよ。
 名前は司波深雪。
 出場種目はピラーズ・ブレイクとフェアリー・ダンス。
 一高一年のエースらしい」
「げっ、才色兼備ってやつ?」
 大袈裟に仰け反るチームメイトを尻目に、一条将輝はポツリと呟きを漏らした。
「……司波深雪、か……」
「珍しいね?
 将輝が女の子に興味を示すなんて」
「そう言や、そうだよな」
「一条の場合は、女の方から寄ってくるからな。
 ガツガツする必要なんて無いんだろ」
「贅沢なんだよ、コイツは」
 段々「モテナイ男の八つ当たり」の様相を呈してきたが、将輝は黙り込んだまま応えない。
 ただ、露骨にならないように、時々視線を外しながら深雪を見つめているだけだ。
 その視線には、ただならぬ熱が込められていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 来賓の挨拶が始まり、今日の主役達は世慣れない高校生らしく、食事の手を止め、談笑を中断し、必要以上に真面目な態度で大人たちの声に耳を傾けていた。――あるいは、傾ける振りをしていた。
 エリカが仕事に戻ってから、話しかけてくる者も無くなった達也にとっては、手持ち無沙汰からの解放だ。
 入れ替り立ち替わり壇上に現れる魔法界の名士の顔を見るだけでいい暇つぶしだった。
 初めて見る顔もあれば、映像で見ただけの顔もある。
 無論、直に見たことのある顔もあるし、言葉を交わしたことこそないものの、同じ部屋に同席した経験のある者もいる。
 その中でも彼が特に注目していたのは、「老師」と呼ばれる、十師族の長老の登場だった。
 九島烈くどう・れつ
 十師族という序列を確立した人物であり、約二十年前までは世界最強の魔法師の一人と目されていた人物だ。
 最強の名を保持したまま第一線を退き、以来、ほとんど人前に出てくることのないこの老人は、何故かこの九校戦にだけは毎年顔を出すことで知られている。
 直に見たことは無い。映像で知っているだけだ。
 歴史上の人物を直接目にするに等しい興奮を、達也は自分の中に見出していた。
 順調に激励、訓示が消化されて行き、いよいよ九島老人の順番になった。
 年齢はそろそろ九十歳近いはずだ。
 かつて最強と呼ばれた魔法力は、どの程度残っているのだろう。
 魔法を行使するだけの体力は残っているのだろうか。
 司会者がその名を告げた。
 息を呑んで、登壇を待つ。
 そして現れた人物の姿に、達也は思わず、その息を吐き出すのを忘れてしまう。
 眩しさを和らげたライトの下に現れたのは、パーティドレスを纏い髪を金色に染めた、若い女性だった。
 ざわめきが広がった。
 衝撃を受けたのは、達也だけではなかった。
 意外すぎる事態に、無数の囁きが交わされていた。
 壇上に上るのは、九島老人ではなかったのか。
 何故、こんな若い女性が代わりに姿を見せたのか。
 もしや、何らかのトラブルがあり、彼女が名代として派遣されたのか。
(――いや、違う)
 達也はようやく、真相に気付いた。
 壇上に現れたのは、この女性だけではない(・・・・・・)
 彼女の背後に、一人の老人が立っている。
 ただ、自分たちの意識が、派手に装った若い美女に吸い寄せられているだけだ。
(――精神干渉魔法)
 おそらく、会場の全てを覆う大規模な魔法が発動しているのだ。
 目立つものを用意して、人の注意を逸らすという「改変」は、改変と呼ぶまでもない些細なもの。何もしなくても自然に発生する「現象」。
 ただそれを、全員に、一斉に引き起こす為の、大規模ではあるけれども、微弱で、些細な、それ故に気付くことの困難な魔法。
(これがかつて最強、いや「最高」にして「最巧」と謳われた「トリック・スター」九島烈の魔法か……)
 達也の凝視に気がついたのか。
 女性の背後の老人が、ニヤリと笑った。
 それは、悪戯を成功させた少年のような笑顔だった。
 老人の囁きを受けて、ドレス姿の女性はスッと脇へどいた。
 ライトが老人を照らし、大きなどよめきが起こる。
 ほとんどの者には、九島老人が突如空中から現れたように見えたことだろう。
 老人の目が、再び達也を見た。
 達也は目立たぬように目礼を返した。
 老人の目は、上機嫌そうに笑っていた。
「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」
 その声は、マイクを通したものであることを差し引いても、九十歳近いとは信じられぬほど若々しいものだった。
「今のは一寸した余興だ。
 魔法というより手品の類だ。
 だが、手品のタネに気付いた者は、私の見たところ五人だけだった。
 つまり」
 老人が何を言い出すのか、何を言いたいのか、大勢の高校生が興味津々の態で耳を傾けていた。
「もし私が君たちの鏖殺を目論むテロリストで、来賓に紛れて毒ガスなり爆弾なりを仕掛けたとしても、それを阻むべく行動を起こすことが出来たのは五人だけだ、ということだ」
 老人の口調は、特に強くなった訳でも荒げられた訳でもない。
 だが会場は、それまでと別種の静寂に覆われていた。
「魔法を学ぶ若人諸君。
 魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。
 そのことを思い出して欲しくて、私はこのような悪戯を仕掛けた。
 私が今用いた魔法は、規模こそ大きいものの、強度は極めて低い。
 魔法力の面から見れば、低ランクの魔法でしかない。
 だが君たちはその弱い魔法に惑わされ、私がこの場に現れると分かっていたにも関わらず、私を認識できなかった。
 魔法を磨くことはもちろん大切だ。
 魔法力を向上させる為の努力は、決して怠ってはならない。
 しかし、それだけでは不十分だということを肝に銘じて欲しい。
 使い方を誤った大魔法は、使い方を工夫した小魔法に劣るのだ。
 明後日からの九校戦は、魔法を競う場であり、それ以上に、魔法の使い方を競う場だということを覚えておいてもらいたい。
 魔法を学ぶ若人諸君。
 私は諸君の工夫(・・)を楽しみにしている」
 聴衆の全員が手を叩いた。
 だが残念ながら、一斉に拍手、とはいかなかった。
 戸惑いながら手を叩く同年代の少年少女の中で、達也は同じように手を叩きながらも、他の少年たちとは違い、声に出さず笑い続けた。

――これが「老師」か
――この国の魔法界も、捨てたものでは無いな

 達也はこの時、そう、思った。


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