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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(5) 四葉家の呪い
 フォア・リーブス・テクノロジー(英語発音を忠実に表記するなら「フォー・リーヴズ・テクロノジー」だが、会社登記及び商標登録の表記を故意に「フォア・リーブス」としている)、略称FLTのCAD開発センターは達也たちの住まいから交通機関を乗り継いで二時間の辺鄙な場所にある。
 達也にとっては通い慣れた道だが、慣れれば逆に、長距離の移動は単なる面倒でしかなくなる。
「深雪……?」
「はい。何でしょうか、お兄様」
「……いや、すまない。何でもないんだ」
「はい……?」
 本社付属の研究室ではなく、こちらの研究所へ通う時は大抵深雪も一緒なので、同じくらい慣れてしまっているはずだが、ピクニックにでも来ているような上機嫌に、達也は思わず理由を訊きたくなったのである。
 途中で言い淀んだのは、変な質問だと思い直したからだった。
 当然深雪は首を傾げたが、すぐにまた、鼻歌が漏れて来そうな上機嫌に戻った。
 既に研究所の敷地の中なので、実際に歌い出したりはしなかったが。
 ここは技術力を売りにする企業の研究中枢であり、FLTの謂わば心臓部である。警備もそれに見合った厳重なものだ。機械による監視だけでなく、人手を使った警備も過剰なほどに配置されている。
 だが、当たり前のことながら、達也たちが呼び止められることは無い。
 受付すら通さずに、窓の無い通路をどんどん奥へと進んでいく。
 やがて二人は、壁一面がガラス張りとなった部屋に出た。
 ガラスの向こうは半地下吹き抜けの広い、格納庫のような空間。
 対面には、この部屋と同じような観測室。
 ここは、CADのテストが行われている区画なのである。
 部屋の中では十人以上の技術者や研究員が、(せわ)しなく歩き回り、議論を交わし、計測器を動かしていた。
「あっ、御曹司!」
 全員がそうして忙しく働いているにも拘らず、観測室に入った達也はすぐに声を掛けられた。
 珍しいことに――多分、この場所以外ではないことだが――注目を集め敬意を以って迎えられているのは、深雪ではなく、達也。
 御曹司という呼び方は当初、彼がオーナーの息子のコネでここに出入りしていることを揶揄するものだったが、今では次期リーダーに対する尊称として使用されている。
 達也としては、恥ずかしいから止めて欲しい呼称だったが、彼らが今では好意からそう呼んでいることも理解できるので、彼の方から妥協しているのだった。
「お邪魔します。牛山主任はどちらに?」
 兄に向けられている敬意の眼差しに我が事のような上機嫌の微笑を振り撒いて、それが業務妨害になりかけている深雪を背後に従えながら、最初に話しかけてきた白衣の研究員に尋ねる達也。
 その問い掛けに対する応えは、人垣の背後から生じた。
「お呼びですかい、ミスター?」
 人の壁を掻き分けて姿を見せたのは、ヒョロリと背の高い、但しひ弱さは微塵も感じさせない、灰色の作業服に身を包んだ技術者だった。
「すみません、主任。お忙しい中を、お呼び立てして」
「おっと、いけませんな、ミスター」
 折り目正しく一礼した達也に向かって、牛山という名の技術者は、苦い顔で(かぶり)を振った。
「腰が低いのも結構ですが、ここにいるのはアンタの手下だ。
 手下に(へりくだ)り過ぎちゃあ、示しが付きません」
「いえ、皆さんは親父に雇われているのであって、俺の部下という訳では……」
「何を仰いますやら。天下のミスター・シルバー(・・・・)ともあろうお方が。
 俺たちゃあ皆、アンタの下で働けるのを光栄に思ってるんですぜ」
 牛山の声に、彼の声が届く範囲にいた技術者、研究者の全員が頷いた。
 フォア・リーブス・テクノロジーCAD開発第三課。
 ここは世に言う『シルバーモデル』の開発部署である。
 シルバーモデルは、今ではFLTの技術力を代表する製品として世間から認知されている。技術部のはみ出し者を集めて作られた、謂わば厄介払いの部署であった開発第三課が、シルバーモデルを世に出したことでFLT社内で高い発言力を有するに至った。
 故にここでは、シルバーモデル開発の中心人物であるトーラス・シルバーの片割れたる(・・・・・)達也に対して、技術者や研究者が高い忠誠心を抱くのは無理のないことだった。
「それを言うなら、名実共に此処のヘッドはミスター・トーラス(・・・・)、貴方でしょう。
 管理職になりたくないって貴方が駄々をこねるから、いつまで経っても第三課は課長も係長も不在のままなんですよ」
「止して下さいよ。『ミスター』も『トーラス』も、柄じゃねえって。
 俺はただの技術屋でさぁ。
 アンタの天才的アイデアを少しでも使い易くする為に、チョコチョコッと部品を弄っているだけの俺が共同開発者なんて、誰より俺自身が納得してねえ。
 俺はそんな恥知らずな人間じゃありませんぜ。
 御曹司が未成年の学生さんで、単独の開発権利者だと拙いってっから、仕方なく名前を連ねているだけです」
「……牛山さんの技術力が無ければ、ループ・キャストは実現しませんでしたよ。
 俺にはハードに関する知識も技能もノウハウも不足している。
 技術も理論も、ハードとして製品化して、始めて意味を持つものでしょう?」
「……あ〜っ、止めヤメ。やっぱ、理屈じゃアンタにゃ敵わねえや。
 それよか仕事の話をしましょうや。
 まさか、俺たちの顔を見に来ただけじゃねえでしょう?」
 頭をガリガリ掻きながら、牛山が白旗を揚げると、達也も生真面目な表情を崩して人の悪い笑みを浮かべた。
「オーケー、牛山さん。
 今日の試作品はこれです」
 意識的に変えた、ざっくばらんな言葉遣いと仕草で差し出された携帯端末形態のCADを、牛山は十秒ほど、まじまじと見詰めた。
 この試作用CAD、T−七型は、ある目的の為に牛山が用立てたものだ。
 それが試作機として、ソフトウェア実装済になっているということは……
「もしかしてこれは……飛行デバイスですかい?」
 達也の手からCADを摘み上げた指が、少し震えていた。
「ええ。牛山さんに作ってもらった試作用ハードに、常駐型重力制御魔法の起動式をプログラムした物です。
 この試作用、システムの書き換えが簡単で、とてもやり易かったですよ」
「テストは……」
「いつも通り、俺と深雪でテストしてみましたけど、俺たちは一般的な魔法師とは言えませんからね……」
 息を呑む音が聞こえた。
 一人や二人ではなく、彼らの声を聞いていた全員が、強張った顔で牛山の手元を凝視していた。
「……テツ、T−七型の手持ちは幾つだ?」
 やがて、静かに、と言っても差し支えの無い口調で、牛山が部下に尋ねた。
 十機です、という答えに半ば閉ざしていた目をカッと見開く。
「バカ野郎! たった十機かよ!? 何で補充しとかねえんだ!
 ああ? 部品の発注なんぞ後回しだ。あるだけ全部調整機にセットして御曹司のシステムをフルコピーしろ!
 ヒロ、テスターを全員呼び出せ! なにぃ? 休みだぁ!?
 そんなもん関係あるか!
 首に縄つけて引きずって来い!
 残りのヤローどもは今の作業を中断して精密計測の準備だ!
 分かってんのか? 飛行術式だぞ? 現代魔法の歴史が変わるんだ!」
 内線がつながっていたのだろう。
 この部屋の中だけでなく対面の計測室でも、休日出勤していた所員たちがバタバタと一斉に動き出した。

 試験場の高い天井から通信ケーブルが吊り下げられ、テスターが着込むベストにつながれた。
 このケーブルは命綱も兼ねている。
 浮遊の術式は既知のものであり、このテストラボでも測定を経験済みだが、飛行術式は空中に浮かぶというところまでは同じでも、背後にある仕組みは全く違う。ジャンプとも、落下減速とも異なる、未知の魔法だ。
 テスターの顔は緊張に蒼褪めている。
 新種の魔法は、それが良く知られた魔法のバリエーションに過ぎないものであっても、どんなリスクが潜んでいるか分からない。
 魔法式の一寸したバグが、魔法師を死に至らしめる可能性もゼロではない。
 それが全く新しいスキームを用いた、(知られている限り)世界初の魔法となれば、どれほど用心しても用心のし過ぎということは無い。
 床面が緩衝素材に切替られ、吊り下げテストを行って、ようやく実験準備が完了となる。
「実験開始」
 観測室に退避した――これは観測員の安全の為だけでなく、テスターの安全の為でもある――牛山の合図で、テストが開始された。
 上からではヘルメットの陰に隠れて、テスターの表情は良く見えない。
 だが、二十代にして既にベテランと言えるだけのキャリアを持つファースト・テスターが、グッと歯を噛み締めたのは見て取れた。
 それでも、CADのスイッチを入れる動作に躊躇は、無い。
「離床を確認」
「床面接地圧の上昇、観測されませんでした」
 視認するより早く、計測機器からの報告が飛び交う。
「上昇加速度の誤差は許容範囲内」
「CADの動作は安定しています」
 ゆっくりとテスターの身体が上昇する。
 今やはっきりと、その足が床から離れているのが分かる。
 弛んだケーブルが、吊り上げによるものではないと物語っている。
 観測機器の音と計測結果を報告する声以外、観測室には衣擦れの音一つ無かった。
 全員が動くことを忘れて、目の前の光景を、計測器の示す数値を凝視していた。
「上方への加速度減少……ゼロ。等速で上昇中」
 ゆっくりと浮かび上がるテスターの身体が、観測室の目線に並ぶ。
「上昇速度ゼロ。停止を確認」
 ここまでは、浮遊術式でも可能な範囲。
「水平方向への加速を検知」
 誰かが、誰もが、息を吸い込み、息を詰めた。
「加速停止。毎秒一メートルで水平移動中」
 観測報告が耳に入る前に、ハッキリと分かる速度で空中を移動しているテスターの姿が目に入る。
「動いた……」
「飛んでる……」
 半信半疑の呟きが逆に、目にするものが事実であると実感させる。
『テスター・ワンより観測室へ。
 僕は今、空中を歩いて……いや……空を、飛んでいる。
 僕は、自由だ……』
 そして予定外の通信がスピーカーから流れ出して、驚愕に押し込められていた感情の、箍が外れた。
「やった!」
「成功だ!」
「おめでとうございます、御曹司!」
 万歳を叫び始める観測要員。
 ランダムな航跡を空中に描くテスター。
 狂騒を示す所員たちの祝福を、達也は独り熱に冒されていない、穏やかな笑顔で受け止めていた。

「お前ら、揃いも揃ってアホか……?」
 牛山が呆れ顔で見下ろしているのは、魔法の使い過ぎでダウンしたテスターたちである。
 テストは予定時間を大きく超過し、九人のテスター全員の魔法力が尽きるまで続いた。
 観測が上手く行かなかったのではなく、テスターが止めなかったのである。
 彼らの要望で命綱を兼ねた有線ケーブルは無線通信に切り替えられ、仕舞いには予定に無かった空中での鬼ごっこを始める有様だった。
「常駐型魔法がそんなに長時間、使える訳ねえだろうがよ」
 現代魔法のほとんどは、瞬間的に発動するもの。
 継続的に作用する魔法の大半は、発動時に作用時間を指定するのであって、連続的に発動し続ける魔法を常用する魔法師は少ない。例えば高周波ブレードは常駐型に分類されてはいるが、実態はほとんどの遣い手が斬撃の都度、魔法を発動し直している。
 魔法を連続的に発動するというテクニック自体、つい最近まで一部の魔法師の特殊技能とされていたのであり、ループ・キャスト・システムの実用化によって市民権を獲得したばかりなのである。
「バカやったツケは自分で払えよ。超勤手当なんぞ出さねーからな」
 幸い、後遺症の残るような魔法力枯渇を起こしたテスターはいなかった。
 洒落になる範囲で済んだので、牛山は抗議の声を鼻先で笑い飛ばして粉砕し、テスト結果に目を通している達也の許へ歩み寄った。
「何か気になるところがあるんですかい?」
 振り返った達也の表情は、満足には程遠かった。
「欲を言えば(きり)が無いけど、ね」
「まあ、それはそうですな」
 牛山は、適当に相槌を打った。
 彼は達也が、基本的に水臭い性質(たち)で、積極的なアプローチは逆効果だということを弁えている。
「でもやはり、起動式の連続処理は、負担が大き過ぎるようだと思って」
「そりゃ、お姫様や御曹司に比べりゃ、そこらの魔法師の保有するサイオン量は微々たるもんですからね」
 現代の魔法力の尺度で測れば、達也は落ちこぼれの魔法遣いでしかない。
 だが魔法力の尺度は、魔法の発達に伴い、時代により変遷してきたものだ。
 例えば三十年前は、起動式のノウハウが現代ほど進んでおらず、起動式から魔法式を構築する速度に意味を持たせることが、実践的には無意味と言えるほど、遅かった。魔法式の効率は低く、実効性のある魔法式を構築する為には現代の何倍ものサイオンが必要とされていた。
 その当時は、魔法式の構築速度より魔法師が体内(肉体・精神体を合わせた「体内」)に保有するサイオンの量が、魔法師の力量を測る尺度として重要視されていた。
 その当時の尺度を当てはめれば、達也は深雪と共にSクラスの判定を受けるサイオンを保有している。
 現代においては、起動式と魔法式、そしてCADの進歩により、サイオンの保有量が直接問題となることは少ない。
 無系統魔法のうちで、サイオンそのものを放出する術式以外では、見栄え以上の意味は通常、持たない。
 だが起動式を展開するにも魔法式を構築するにもサイオンを消費することには変わりなく、それが何百回、何千回と繰り返されれば、一回一回の消費量は小さくても、やはり魔法師にとって負担となってくるのである。
「CADのサイオン自動吸引スキームをもっと効率化しないと……」
「……それは俺の方で考えますよ。ソフトじゃなくハードで処理すりゃ、少しは負担も減るでしょう。
 タイムレコーダーも専用回路をつけた方が良い」
 少し考え込みながら牛山がそう言うと、達也は我が意を得たりとばかりに破顔した。
「実は、同じ事を相談しようと思っていました」
「それは光栄ですな」
 二人はニヤリと、同じような笑みを交し合った。

◇◆◇◆◇◆◇

 ハード面の改善ポイントは幾つか判明したものの、術式の稼動について言えば、満足の行く結果が得られた。市販のCAD、平均的な魔法師でも、飛行術式は十分可能だと判明したことが、今日、最大の収穫だ。
 今日の実験結果を整理して、来週中にでも早速、飛行術式のノウハウをトーラス・シルバーの名で発表する。こういうことは拙速なくらいの方が望ましい。「世界初」と「世界で二番目」ではインパクトがまるで違うからだ。
 またそれとは別に、飛行術式用の専用CADをデザイン面から新設計し九月(半期決算月)を目処に製品化する。
 以上二つのスケジュールを詰めて、打ち合わせは終わった。
 ティーラウンジで待たせていた深雪と合流し、家路につく達也たち。
 多忙を押して、と言うより蹴り倒して見送りに来た牛山は、申し訳無さそうに頭を掻いた。
「すみません、一応、本部長には連絡しといたんですが……」
 実験中も、実験成功が明らかになっても、各開発センターを統括するFLTの開発本部長である達也たちの父親が遂に顔を見せなかったことを、牛山は気に病んでいるのだった。
「気にしないで下さい。今日は休日ですし、出て来ているとしても本社の方でしょう」
 本音を言えば、顔を合わせないで済む方が、達也としては気が楽だった。
 深雪としては寧ろ、顔を合わせたくなかった。
 だが曲がりなりにもFLTの社員である牛山に、オーナー一家の恥を晒すのは好ましいことではなかった。
 そういう思惑から、建前論で返した達也の言葉に、牛山は益々居心地悪げな表情を浮かべた。
「……いえ、実は、本部長は今日、こちらにいらっしゃってるんですが……」
 深雪の眉がピクッと吊り上ったのが、背中を向けていても手に取るように達也には分かった。
 達也はといえば、胸を撫で下ろしたい気分だった。
 危ういところでニアミスが避けられた訳だから。
「本部長ともなれば、現場に顔を出せる時間も減るということでしょう。
 決して研究部門を軽視している訳では無いと思いますよ」
「いえ、そりゃあ分かってますが。予算も以前の倍に増やしてもらいましたし」
 話を逸らし、逆に牛山を慰める形に捻じ曲げる。
 余計に恐縮してしまった牛山には申し訳ないが、達也にだって話題にしたくないことはあるのだ。
 だが世の中、中々上手くは行かないものである。
 牛山と別れ、研究所を後にしようと、玄関ホールまであと一区画という廊下で、達也たちはバッタリ、顔を合わせたくない人物と鉢合わせしてしまった。
「これは深雪お嬢様、ご無沙汰いたしております」
 無言で顔を見合わせてしまった親子三人の空間で、最初に口火を切ったのは四人目の人物だった。
 達也にも、深雪にも、旧知の人物だが、「旧知」とはこの場合、「親しい」ということを意味しない。
「お久し振りです、青木さん。こちらこそご無沙汰いたしております。
 しかし、ここにおりますのは、わたしだけではありませんが。
 お父様も、お元気そうですね。先日はお電話をありがとうございました。しかし偶には、実の息子にお声を掛けていただいても罰は当たらないと存じますが?」
 滑らかに返された可憐な声は、棘だらけだった。
「お言葉ですがお嬢様、この青木は四葉家の執事として、四葉家の財産管理の一端を任せられている者にございますれば、一介のボディガードに礼を示せと仰せられましても。
 家内にも秩序というものがございますので」
「わたしの兄ですよ」
 深雪の声は、精一杯、平静を保っている。だがそろそろ限界に近いことは、少なくとも達也には、明らかだった。
「畏れながら、深雪お嬢様は四葉家次期当主の座を家中の皆より望まれているお方。
 お嬢様の護衛役に過ぎぬ其処の者とは立場が異なります」
「おや、青木さん。口を挟んで失礼かとは存じますが、随分穏やかならぬことを仰る」
 あからさまな侮蔑の言葉も態度も、達也の心には少しも響かない。
 彼の心はそういう風に出来ている(・・・・・)
 それより、彼の代わりに深雪が怒り、傷つくことが、達也には厭わしかった。
「構わんよ。たかがボディガードとはいえ、君が深夜(みや)様のご子息であることは間違いない。
 多少礼儀というものを勘違いしても仕方なかろう」
「深雪が次の四葉家当主になることを、四葉家の使用人全員が望んでいる、と言われたように聞こえましたが、それは他の候補者の皆様に対して、余りにも不穏当ではありませんか?」
 だから深雪が逆上する前に、間髪いれず言葉を畳み掛ける必要があった。
「叔母上はまだ、後継者を指名されていないはずですが。
 それとも、叔母から指名の内定でもお聞きになられましたか」
 見るからに切れ者の、執事というより弁護士といった風情の壮年の紳士が、十六歳の少年の指摘に言葉を詰まらせた。
「もし叔母がそのような意向を固めたのであれば、深雪にも色々と準備をさせなければなりませんので、いい機会ですから是非お教え頂きたいんですが」
「……真夜(まや)様はまだ何も仰せになられていない」
 苦虫を噛み潰した表情で、青木が答える。
 達也はわざとらしく、眼を丸くして見せた。
「これは驚いた!
 序列第四位の執事が、次期当主候補者に、家督相続について自分だけの思い込みに過ぎない憶測を吹き込んだという訳ですか?
 さて、秩序を乱しているのは一体どなたなのやら」
 芝居がかった仕草でため息をつく達也を、青木は赤い顔で睨みつけた。
「……憶測ではない。同じ家中に仕えていれば、何となく思いは伝わってくるものなのだ。
 他心通などなくとも、心を同じくする者同士、思いは通じる。
 心を持たぬフェイク如きに分かりはしないだろうが」
 突如、結露を通り越して、壁に霜が貼りついた。
 空調が、急激に低下した気温を元に戻そうと、唸りを上げる。
 深雪の足元から渦を巻いて流れ出す冷気。
 だがそれは、達也の左手が指差すと同時に、まるで磁気テープを高速で巻き戻している時の様な軋み音――但し、魔法を知覚できる者のみに聞こえる幻聴――と共に、消失した。
 赤や蒼を通り過ぎて蒼白となった妹を片手で抱き寄せながら、達也は斬りつけるような厳しい眼差しを青木に向けた。
「その『心を持たぬフェイク』を作ったのは、俺の母親にして四葉家現当主・四葉真夜の姉である司波深夜、旧姓四葉深夜ですが。
 禁忌の系統外魔法、精神構造干渉を使い、意識領域内で最も強い想念を生み出す『強い情動を司る部分』を白紙化(フォーマット)して、魔法演算を行うエミュレータを植え付ける人造魔法師実験を計画したのは、当時四葉家の当主となったばかりの四葉真夜で、魔法の才能が無いと判明した六歳の息子を使ってそれを施術したのが司波深夜です。
 つまり、その実験台であるこの俺を贋作(フェイク)呼ばわりするということは、四葉家現当主とその姉が行った魔法実験が贋作作りだったと誹謗している、ということになるんですが、その点は当然、理解しておいででしょうね?」
「…………」
「達也、止めなさい」
 絶句し、硬直した青木を庇い、達也を制止したのは、それまで無言を続けていた彼の父親、司波龍郎だった。
「お母さんを悪く言うものではない」
 しかし、その言葉は全く的を外れた頓珍漢なもの。
 ただ、本家のご機嫌を損なわない為の、保身の台詞。
 この会社は四葉家が正体を隠して出資し設立したものであり、亡き妻の持ち株を相続して最大株主になったとはいえ、実質的な支配権は未だ四葉家に握られているのだから、卑屈になる気持ちも分からないではないのだが……
 達也は思わず、失笑を漏らしそうになった。
「達也、お前がお母さんを恨む気持ちも解らないではないが……」
 そして、彼のそんな表情すら、この父親には見えていない。
 ここは早く別れた方が、お互いの精神衛生の為だ、と達也は心の底から思った。
 だがその前に、一言だけ付け加えておく必要を感じた。
「親父、それは勘違いだ。
 俺は母さんを恨んでなどいない」
「そ、そうか」
 付け加えるのは一言だけ。
 口にしなかった台詞は、敢えて聞かせる必要のないものだ。
 彼の心に「恨む」という機能は残っていない。
 強い怒り、強い悲しみ、強い嫉妬、怨恨、憎悪、過剰な食欲、過剰な性欲、過剰な睡眠欲、そして……恋愛感情。
 彼は、怒りに我を忘れることがない。
 悲嘆に暮れることがない。
 嫉妬に胸を焦がすことがない。
 恨みを持たず、憎しみを持たない。
 異性に心を奪われることがない。
 食欲はあれど、暴食の欲求は生じない。
 性欲はあれど、淫楽の欲求は生じない。
 睡眠欲はあれど、惰眠の欲求は生じない
 情も欲も、その最も強い部分は、世界中で彼の母親だけが使えた特殊な魔法によって、彼の心から抹消されてしまっている。
 彼は母親を恨んでなどいない。
 怒ってもいない。
 彼は本気で怒ることが出来ない(・・・・)し、本気で恨むことが出来ない(・・・・)のだから。
 彼に残された唯一の強い感情は、四葉一族の中で彼に課せられた義務に伴い、意図的に残された一つの情念だけだった。
 無論それは、この父親に対する肉親の情などではなく。
 達也は、すすり泣く深雪の肩を抱いたまま、別れも告げずその場を後にした。


 2−(4)と2−(5)は元々一話に纏められたエピソードでしたが、飛行魔法の解説を挿入する関係で二話に分割しています。
 長さ的にも2−(5)は短めですので、今回、同時掲載としました。


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