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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(3) 抜擢
 魔法大学付属高校にとって、夏の九校対抗戦は秋の論文コンペティションに並ぶ一大イベントだ。
 イベントとしての華やかさでは論文コンペを大きく引き離すナンバーワンイベントと言える。
 九校戦はスポーツタイプの魔法競技による対抗戦(魔法競技にはスポーツタイプ以外に立体パズルやボードゲーム、迷路や宝探しのタイムを競うゲームタイプがある)。第一高校にも各競技のクラブが存在するが、学校同士の対抗戦という色彩が強い九校戦の出場選手はクラブの枠組みを超えて全校から有望な選手が選び出される。
 こうした性質上、九校戦の準備は部活連ではなく生徒会が主体となって行われる。
「……だからといって、各クラブの選手(レギュラー)を無視するわけにもいかないし、選手を決めるだけで一苦労なのよね……」
 いつも活き活きとした笑顔が魅力の真由美も、今日はどこか、精彩を欠いていた。
 弁当箱に箸を伸ばす手も、心なしか勢いが無い。
 最近、深雪も相当に忙しそうにしているが、単に事務仕事だけではすまない生徒会長は、普段のお気楽そうな佇まいからは窺い知れない気苦労があるのだろう。
「それでもまあ、選手の方は十文字くんが協力してくれたから、何とか決まったんだけど」
 今日の昼食会は、真由美による、延々と続く愚痴の独演会の様相を呈していたが、ようやく終息を迎えたようだ。
 この程度で消化不良を起こす柔な胃腸は持ち合わせていないが、食事時のBGMが愚痴ばかりというのはやはり、精神的によろしいものでは無いな、と、達也はネガティブな話題から解放されたと考えてホッと一息ついた。
「でも、選手以上に問題なのはエンジニアよ……」
……のだが、どうやら彼の早とちりだったようだ。
「まだ数が揃わないのか?」
 摩利の問い掛けに、真由美は力無く頷いた。
「ウチは魔法師の志望者が多いから、どうしても実技方面に優秀な人材が偏っちゃってて……
 今年の三年生は、特に、そう。
 魔法工学関係の人材不足は危機的状況よ。
 二年生はあーちゃんとか五十里いそりくんとか、それなりに人材がいるんだけど、まだまだ頭数が足りないわ……」
「五十里か……あいつも専門は幾何の方で、どちらかと言えば純理論畑だ。調整はあまり得意じゃなかったよな」
「現状は、そんなこと言ってられないって感じなの」
 真由美と摩利が二人揃ってため息をついているという珍しい光景が、事態の深刻さを如実に物語っていた。――そんなことで深刻さの度合いを測るのは、何処か間違っているような気もしたが。
「私と十文字くんがカバーするっていっても限度があるしなぁ……」
「お前たちは主力選手じゃないか。
 他人のCADの面倒を見ていて、自分の試合が疎かになるようでは笑えんぞ」
「……せめて摩利が、自分のCADくらい自分で調整できるようになってくれれば楽なんだけど」
「……いや、本当に深刻な事態だな」
 疲労の故かそれ以外の要因もあるのか、いい感じに据わった真由美の眼差しから、摩利は空々しく顔を背けた。
 生徒会室は、本格的に、精神衛生上好ましくない雰囲気になってきた。
 達也は教室に戻る――ここから逃げ出すべく、深雪に目配せして、意思の疎通とタイミングを計った。
「ねえ、りんちゃん。やっぱり、エンジニアやってくれない?」
 九校戦前の修羅場で、昼休みも生徒会室に釘付けの鈴音に、真由美から何度目かのアプローチが飛んだ。
「無理です。
 私の技能では、中条さんたちの足を引っ張るだけかと」
 そして何度目かの、すげない謝絶に沈没する。
 すっかり意気消沈してしまった真由美には悪いが、ここがチャンスだろう。
 深雪とアイコンタクトをとって、達也は腰を浮かせ――
「あの、だったら司波君がいいんじゃないでしょうか」
 ――かけたところで、あずさから思わぬ攻撃を喰らって、離陸に失敗してしまう。
「ほえ?」
 テーブルに突っ伏していた真由美が、顔だけを上げて何語か分からない奇妙な応答を返した。
「深雪さんのCADは、司波君が調整しているそうです。
 一度見せてもらいましたが、一流メーカーのクラフトマンに勝るとも劣らない仕上がりでした」
 真由美が勢い良く身体を起こした。
 最初の気の抜けた返事が嘘のように、真由美の顔に生気が戻った。
「盲点だったわ……!」
 獲物を見つけた鷹のような視線が、真由美から達也へ向けられた。
 達也はそれだけで、諦めの境地に半ば、至った。
「そうか……あたしとしたことが、うっかりしていた」
 そこに摩利まで加わっては、最早逃れようも無いだろう。
「そういえば委員会備品のCADも、コイツが調整していたんだったな……
 使ってるのが本人だけだから、思い至らなかったが」
 何を言っても無駄だろうな、と達也は既に九割九分まで諦めていたが、不戦敗は主義に反する部分があるので、ささやかな――だがおそらく、無駄な――抵抗を試みた。
「CADエンジニアの重要性は先日委員長からお聞きしましたが、一年生がチームに加わるのは過去に例が無いのでは?」
「何でも最初は初めてよ」
「前例は覆す為にあるんだ」
 間髪を入れず、何やら過激な反論が返って来た。
「……進歩的な(・・・・)お二人はそうお考えかもしれませんが、他の選手は嫌がるんじゃないんですか?
 一年生の、それも二科生、しかも俺は色々と悪目立ちしてますし」
 自分で言っていて少々気が滅入ってきたが、事実から目を背ける訳には行かない。
「CADの調整は、ユーザーとの信頼関係が重要です。
 CADが実際にどの程度の性能を発揮するかは、ユーザーのメンタルに左右されますからね。
 選手の反発を買うような人選はどうかと……」
 一見、もっともらしい達也の意見に、真由美と摩利が顔を見合わせる。
 だが口で何と言おうと、達也の本音は彼女たちにとって見え透いていた。
 厄介事お断りの怠け者な(?)後輩に引導を渡すべく、アイコンタクトで攻撃(口撃?)手順をすり合わせる二人。
 そこへ、予想外の援護射撃が撃ち込まれた。
「わたしは九校戦でも、お兄様にCADを調整して頂きたいのですが……
 ダメでしょうか?」
 思いがけない深雪の裏切り(?)に、達也は凍り付いてしまった。
 彼の心情を古典劇風に表現すれば「ああ深雪(ブルータス)、お前もか……!」である。
「そうよね!
 やっぱり、いつも調整を任せている、信頼できるエンジニアがいると、選手として心強いわよね、深雪さん!」
 すかさず、真由美が追い討ちを掛ける。
「はい。
 兄がエンジニアチームに加われば、わたしだけでなく、光井さんや北山さんも安心して試合に臨むことが出来ると思います」
 あの二人が新人戦の選手に選ばれているというのは、今初めて耳にしたことではあるが、予想通りの妥当な人選だと達也は思った。
 ――現実逃避気味に。
 明らかに、チェックメイトだった。

 放課後、部活連本部の準備会議で、達也をチームへ加えるかどうかを最終的に決定することになった。
 一縷の望みが残った訳だが、達也は既に、完全に諦めていた。
 そもそも深雪に望まれた時点で、彼に逃げ道など無いのだから。
 仮に難色を示されたならば、今度は逆に、彼の方から積極的にアピールしなければならない、という局面も想定される。
 どちらにしても、欝なことだった。
 こういう時、人はついつい、自分の得意分野に手が伸びる。
 その場の優先順位は限りなく低くても、とりあえず、出来ること、慣れていること、得意なことで自分の価値を再確認し、落ち着きを取り戻す、一種の代償行為だ。
 蓄積されたストレスの故か、滅多にないことだが、達也もこの些細な代償欲求の罠にかかってしまった。
 昼休みは三分の二以上が過ぎていたが、山積みになっているデスクワークに取り掛かった深雪を待つ間、手持ち無沙汰になってしまった達也は、ショルダーホルスターから銀色のCADを抜き出して、カートリッジのドライブや起動式切替のスイッチその他、物理的な可動部分のチェックを始めた。
「あっ、今日はシルバー・ホーンを持って来てるんですね」
 それを目敏く見つけて近寄ってきたのは、深雪と同じく、大量のデスクワークを抱えているはずのあずさだった。
 何となく視線を、真由美でも摩利でもなく、鈴音の方へ向ける。
 達也の声無き声を正確に理解した鈴音は、器用に、眉毛だけで肩を竦めるのと同じ感情表現をして見せた。
 つまり、今のあずさには、デスクワークなど手につかないだろう、ということだ。
「ええ、ホルスターを新調したんで、馴染ませようと思いまして」
 朝に三つと言われれば怒って、朝に四つと言われれば喜ぶあれか、等と、客観的に見ればかなり酷いことを内心で考えながらあずさに視線を戻し、表面だけは愛想良く達也は答えた。
「えっ、見せてもらっていいですか?」
 キラキラと目を輝かせながら、あずさが更に近寄って来た。
 CAD本体だけでなく、周辺装備にも興味があるようだ。
 普段はどちらかと言えば避けられている――と言うか怖がられている――印象があるだけに、達也としては苦笑を禁じ得ない気分だったが、小動物的な雰囲気があるあずさがこういう風にちょこまかと寄って来ると、とても邪険には出来ない。
 これも一種の人徳だろうか、と思いながら、達也は真夏でもきちんと着込んでいる上着――無論、防暑加工のハイテク生地で仕立てられている――を脱ぎ、ショルダーホルスターを外してあずさに手渡した。
「うわーっ、シルバー・モデルの純正品だぁ。
 いいなぁ、このカット。抜き打ちし易い絶妙の曲線(カーブ)
 高い技術力に溺れないユーザビリティへの配慮。
 ああ、憧れのシルバー様……」
 ……今にも頬ずりしそうな勢いだ。
 達也は、ポーカーフェイスを保つのに一苦労だった。
 その後も一頻り撫で回すように観察していたが、ようやく満足したのか、あずさは満ち足りた笑顔で達也にホルスターを返した。
「司波君もシルバー・モデルのファンなんですか?
 単純に値段とスペックだけ見れば、マクシミリアンのシューティングモデルとかローゼンのFクラスとか、同じFLT(フォア・リーブス・テクノロジー)の製品でもサジタリアス・シリーズなんかに比べると割高感がありますけど、シルバーのカスタマイズには値段が気にならなくなる満足感がありますよね!」
 あずさが「デバイスオタク」だということは、以前に摩利から教えてもらったことがある。
 それを聞いた時には、酷い言われようだ、とあずさに同情したものだが、今の姿を見ていると、そう言われても仕方が無いかな、という気にもなってしまう。
 達也の考え方では、値段とスペックの対比、つまり費用対効果で劣っていれば、満足感でも劣っている。
 要は、数字に表れないスペックを何処まで評価するかということであり、その分析無くして「満足だ」というのは単なる信仰だろう、と彼には思える。
 とは言うものの、こういうことは本人の価値観の問題だから、本人が満足していると言うのに他人が水を注すことでもない。
「いえ、実は一寸した伝手がありまして、シルバーのモデルはモニターを兼ねて安く手に入るんですよ」
 彼がこの台詞を口にした瞬間、端末に向かっていた深雪の肩が大きく揺れたが、それに気付いた者はいなかった。
「えーっ! ホントですか!?」
 あずさの顔には大きく大きく、「良いなぁ」と書かれている。
 今度は達也も、少しばかり顔が引き攣ってしまった。
「……今度、新製品のモニターが回ってきたらワンセットお譲りしましょうか?」
「えっ!?
 ホントに!?
 ホントに良いんですか!?
 ありがとうございます!!」
 答えを差し挟む余裕も無かった。
 辛うじてジェスチャーで頷いてみせると、あずさは達也の空いている左手を両手で掴んで、ぶんぶん上下に振り回し始めた。
「……あーちゃん、少し落ち着いたら?」
 流石に見かねたのか、真由美が山積みの案件処理の手を休めてあずさに声を掛けた。
 あずさがピタッと動きを止める。
 恐る恐る、目線を自分の手元に落とし、
 自分の両手が達也の手をしっかり握り締めているのを、触覚だけでなく視覚の上からも認識し、
 そっと顔を上げて達也の顔を窺い、無表情に見返してくる眼差しを避けてもう一度手元に目を落とし、
 あずさは火に触れたような勢いで、両手を離した、だけでなく、全身で飛び跳ねた。
「ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい……!」
 耳まで赤くなる、という表現があるが、比喩ではなく、あずさは本当に耳まで赤くして何度も勢い良く頭を下げている。
 その内、目を回すのではないか、と本気で心配になってきたので、達也はアイコンタクトで真由美にヘルプを求めた。
「……あーちゃん、もうそれくらいにしたら?
 達也くんも、何だか困っちゃってるみたいよ?」
 真由美も達也と懸念を共有していたのか、悪戯に(徒に、ではない)場をかき回すことも無く、あずさを宥めにかかった。
 言われるがままに深呼吸などして、何とか落ち着きを取り戻すあずさ。
 呆れ顔のため息一つと共に、真由美は案件処理へと戻る。
 あずさは、達也の顔を見て照れ臭そうに笑うと、急に真面目な顔になって、
「じゃあ、もしかして司波君は、トーラス・シルバーがどんな人かも知ってたりしませんか?」
等と訊ねてきた。
 ――まあ、照れ隠しである事は、誰に言われなくても分かる。
 ただこの質問は、達也にとって、非常に答え難いものだった。
「……いえ、詳しい事は何も」
 壁際でビープ音が鳴った。
 深雪が使っている情報端末の、不正操作のアラームだ。
 誰にでもミスタイプくらいあるので別におかしなことでは無いが、アラームが鳴る程のミスを深雪がしてしまうのは珍しい。
 真由美と鈴音が「おやっ?」という表情で壁に向かっている深雪に視線を投げたが、深雪は何事も無かったようにデータ処理を続けていたので、声を掛けることも無く二人も自分の仕事へ戻った。
「……深雪さんがミスするなんて珍しいですね」
「偶々でしょう」
 状況に照らして、達也の返事はスムーズ過ぎるものだったが、あずさは特に気に留めた様子も無く、元の――始めたばかりの、話題に戻った。
「いくら正体を隠してる、って言っても、同じ研究所の人たちは知ってるはずですよね?
 それとも、一人で全部作ってるんでしょうか?」
「……いや、それは流石に無理なのではないかと」
「そうですよねぇ。
 そうだ、司波君、その『伝手』で研究所の人に話を聞けませんかね?」
「……いえ、伝手と言ってもそのような類のものでは無く……
 それに、フォア・リーブスが何らかの経営上の理由で秘密にしているんでしょうから、研究所の人から話を聞きだすのは無理だと思いますよ」
「うーん、そうですねぇ……」
「……分かっているとは思いますが、秘密情報の取得に精神干渉系魔法を使うのは重罪ですよ」
「えっ、や、やだな、そんなこと考えるはず無いじゃ……ないですか…………」
 達也から半眼の視線を浴びて、あずさの小さな身体が更に縮こまった。
「……いえ、本当に分かっているなら良いんです。
 あくまで、念の為ですから」
「だ、大丈夫ですよ。その位、分かってますって。アハ、アハハハ……」
 一筋、二筋と、比喩的な意味ではなく肉体的に冷や汗を流している様子を見て、達也はあずさに対するプレッシャーを緩めた。
「……それにしても何故、中条先輩はトーラス・シルバーの正体がそんなに気になるんですか?」
 あずさが使っているCADはFLT製ですらない。
 シルバーモデルのユーザーでもないのに、その設計者の素性がそんなに気になるものだろうか。
 達也にとっては素朴にして、当然に思える疑問だったのだが。
「えっ?」
 あずさは、その質問こそ意外過ぎるもの、という顔で達也を見返した。
「気になりますよ。寧ろ、司波君、気にならないんですか?
 トーラス・シルバーですよ?
 ループ・キャストを世界で初めて実現し、特化型CADの展開速度を二十パーセントも向上させ、思念スイッチの誤認識率を五パーセントから二パーセントへ三パーセントも低下させた、あの(・・)トーラス・シルバーですよ?
 しかもそのノウハウを惜しげもなく公開し、独占利潤よりも魔法界全体の進歩を優先させた、あの(・・)トーラス・シルバーですよ?
 魔工師を目指す者なら、僅か一年の間に特化型CADのソフトウェアを十年は進歩させたと言われているあの天才技術者がどんな人なのか、興味が湧かないはずは無いと思いますけど」
 何やら、責められている様にも感じるひしひしとした迫力に、達也は不覚にもたじろいでしまった。
 世間の「トーラス・シルバー」像がここまで大きな物になっていたとは、彼の予想を超えていた。
「……認識不足でした。ユーザーとしては全く不満が無いという訳でもなかったので、それ程、高い評価を得ているとは……」
「はあ……なるほど。司波君にとってはモニターを務めるほどシルバーモデルは身近な物ですから……わたしとは感じ方が違うのかも知れませんね」
 不得要領顔ながらも、あずさは何とか納得してくれたようだ。
「ねっ、ねっ、司波君は、トーラス・シルバーって、どんな人だと思いますか?」
 純粋な、好奇の瞳。
 これはどうやら、もう暫く付き合ってやらねば収まりそうもない、と達也は諦めた。
「そうですね……
 意外と、俺たちと同じ日本人の青少年かもしれませんね」
 再び壁際でビープ音が鳴った。
 深雪は背筋をピンと伸ばした姿勢を崩すことなく、仕事を続けている。
 ――彼女は決して、今どんな顔をしているのかを、こちらに見せようとはしなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 部活連本部で開かれた九校戦準備会合は、始まる前からピリピリとした空気に包まれていた。
 試合で活躍すればその生徒にはそれに見合う成績加算が与えられるが、メンバーに選ばれただけでも、長期休暇課題免除、一律A評価の特典が与えられる。
 それは選手だけでなく、エンジニアに選ばれた生徒も同様だ。
 それだけ学校側にとっても九校戦は重要な行事であり、生徒にとっても九校戦メンバーに選ばれる事は大きなステータスとなる。
 メンバーの最終調整を目的とする会合が、刺々しく生々しい雰囲気になるのもやむを得ないところだ。
――と、達也も第三者の立場であったならば、一喜一憂する同級生・上級生を同情を込め冷笑混じりに眺めていられただろうが、当事者として俎板の上に載せられる身となれば、鬱々とした気分でため息をこらえ、一刻も早くこの茶番が終わることを望むばかりだった。
 九校戦自体に興味が無い訳ではない。
 同年代の魔法師候補生たちを相手に自分の技術を振るうことに対する欲求は、父親の研究室でCAD改良に費やした知的な自己実現欲とは別種の飢餓感として、達也の中に確かに存在する。
 一般人よりもかなり感情に乏しく作られていたが、本来ならば最も血気盛んな年頃だ。他人と競うことに全く無関心でいられるほど、彼も――クラスメイトに何と評されようとも――枯れてはいない。
 ただその為には、自負と嫉妬と虚栄と嫌味と、その他諸々の渦巻くセレモニーを片付けなければならない。それが彼には憂鬱だった。
 そんな彼の思いに関係なく――当たり前だが――着々と会議室の空席が埋まり、全ての空席が埋まったところで、真由美が議長席に腰を下ろした。
「それでは、九校戦メンバー選定会議を開始します」
 既に選手・エンジニアの内定通知を受けている二、三年生のメンバーと、実施競技各部部長、生徒会役員(但し、深雪は生徒会室で留守番中)、部活連執行部を出席者とする大人数の会議が始まった。

 達也に与えられた席は、内定メンバーと同じオブザーバー席だった。
 そして彼のような異分子を目敏く見つけ出す(うるさ)型は、ある程度以上の規模の集団には必ずと言っていいほど存在する。
 案の定会議は、冒頭早くも、何故この場に一年の二科生がいるのか、という所から(もつ)れて行った。
 達也に対して、好意的な視線が無かった訳ではない。
 寧ろ、予想外に好意的な意見が多かった。
 同級生と違い上級生の間には、風紀委員としての実績がある達也は二科生と言っても別格だ、という認識が存在するようだった。
 それでも尚、反対意見の方が多い。
 それも明確な反対、論理的な反対ではなく、感情的な、消極的な反対である為、余計に、ダラダラといつまでも結論が出ない迷走状態に陥っていた。
「要するに」
 不意に、重々しい声が議場を圧した。
 然程大きな声では無かったが、その場の誰もが無秩序な言い合いを止めて、発言者へ目を向けた。
 それまで沈黙を守っていた克人が、自分に向けられた視線を端から一通り見返して、言葉を継いだ。
「司波の技能がどの程度のものか分からない点が問題になっていると理解したが、もしそうであるならば、実際に確かめてみるのが一番だろう」
 広い室内が静まりかえった。
 それは単純で効果的で、誰も文句のつけようがない結果が明らかになる反面、少なからぬリスクを伴うが故に、誰も言い出さなかった解決策だった。
「……もっともな意見だが、具体的にはどうする?」
「今から実際に調整をやらせてみればいい」
 沈黙を破った摩利の問い掛けに対する克人の答えは、またしても単純明瞭なものだった。
「何なら俺が実験台になるが」
 現在実用に供されているCADは、使用者に合わせて調整しなければならない。
 十人の魔法師がいれば、同じ機種を使用しても十通りの調整が必要となる。
 魔法師はCADが展開した起動式を自分の無意識領域へそのまま取り込む。
 つまり、魔法師の精神は自分のCADに対して無防備な状態になっている。
 近年のCADは、起動式の読込を円滑化・高速化するためのチューニング機能を備えており、それだけ使用者の精神に対する影響力が強い。
 このチューニングが狂うと、魔法効率の低下から始まって不快感、頭痛、眩暈や吐き気、酷くなると幻覚症状などの精神的ダメージをこうむることになる為、最新・高機能なCADほど精確緻密な調整が必要とされる。
 実力の定かでない魔工師にCADの調整を任せるということは、魔法師にとって大きなリスクを背負う行為だ。
 克人の発言は、自らの発案とはいえ、勇気のあるものと言えた。
「いえ、彼を推薦したのは私ですから、その役目は私がやります」
 すかさず、真由美が代役を申し出た。
 責任感に基づく発言、ではあろうが、裏を返せば完全には信用されていないということであり、達也としては余り愉快なものではない。
「いえ、その役目、俺にやらせて下さい」
 だが、それに続く桐原の立候補は、意外でもあり、驚きでもあり――その男気が快かった。

 学校が職員・生徒に開放しているCADの調整設備は実験棟にある。
 しかし今回は、実験棟の備付調整機器ではなく、九校戦で実際に使用する車載型の調整機を会議場に持ち込んでテストを行うことになった。
 調整するCADも九校戦の規格に合わせた物が準備された。
 本番の準備は、道具面に関する限り、滞りなく進んでいることが分かる手際の良さであり、人選面の遅れが逆に際立つ風景でもあった。
 調整機の前に腰を下ろした達也と、機械を挟んでその向かい側――と言っても、お互い顔は見えない――に座る桐原を、生徒会役員と各部の部長がグルリと取り巻いている。
 まず調整機の立ち上げ段階から、意地の悪い目が達也の手元に注がれていたが、日常的に、遥かに複雑な調整用機器を操作している達也にとっては、居眠りしながらでも躓きようが無いプロセスだ。
 計測準備までの手順を流れるようにこなして、忌々しそうな視線をポーカーフェイスで受け流す。
「再確認させていただきますが、課題は競技用CADに桐原先輩のCADの設定をコピーして、即時使用可能な状態に調整する、但し起動式そのものには手を加えない、で間違いありませんか」
「ええ、それでお願い」
 真由美が頷くのを見て、達也は小さく首を振った。
「……どうしたの?」
「スペックの違うCADの設定をコピーするのは、余りお勧めできないんですが……仕方ありませんね。
 安全第一で行きましょう」
「?」
 首を傾げたのは真由美だけではなかった。CADの設定のコピーは、機種変更の際、普通に行われていることなので、何を問題視しているのか分からなかったのだろう。
 ただ流石に、あずさを始めとするエンジニアチームのメンバーは、達也の発言の意味が理解できたようだ。小さく頷く者、お手並み拝見とばかりニヤリと笑う者、概ね二通りの反応を示している。
 達也はそれ以上無駄口を叩かず、早速作業に取り掛かった。
 まず、桐原からCADを借りて、調整機に接続する。
 設定データの抜き出しは半自動化されており、スキルの違いが表れる作業ではない。
 ただ、設定データをそのまま競技用デバイスにコピーせず、調整機に作業領域を作って保存した手順に「おや?」という表情を見せた者が数名いた。
 次に、桐原本人のサイオン波特性の計測。
 ヘッドセットを着け、両手を計測用パネルに置く。
 これも通常の手順であり、オートアジャスター機能付きの調整機であれば、CADをセットしてサイオン波を計測するだけで自動的に調整が完了する。
 生徒が学校の調整機を使って自分でCADを調整する場合は、ほとんどこの段階止まりだ。
 逆に言えば、自動調整に頼らず、マニュアルでCADのオペーレーション・システムにアクセスし、より精密な調整を施すのがエンジニアの腕の見せ所となる。
「ありがとうございます。外していただいて結構ですよ」
 達也から計測終了の合図を送られて、桐原がヘッドセットを外した。
 普通なら、後は設定を行うCADをセットして、自動調整結果に微調整を加えるだけだが、その為には設定済の、この場合なら設定をコピー済のCADが準備されていなければならない。
 手順のミスか、と見物しているほとんどの者が思った。
 それを裏付けるように、達也はディスプレイを見詰めたまま動かない。
 ただその佇まいは、順番を間違えて途方に暮れているという感じではなかった。
 そんな頼りなさは無く、怖くなるような真剣な眼差しがあった。
 好奇心が抑えきれなかったのか、あずさがひょこっと首を伸ばして、達也の肩越しにディスプレイを見た。
「へっ?」
 途端に彼女は、花の乙女には些か似つかわしくない、間の抜けた声を上げた。
 その雑音に、達也は眉一つ動かさない。
 どうしたの?、と声を掛けることも憚られて、真由美と摩利もあずさの隣から、ディスプレイを覗き込んだ。
 二人とも、寸でのところで声を抑えた。
 そこには、当然映し出されているべきグラフ化された測定結果は表示されておらず、ディスプレイ一杯を無数の文字列が高速で流れていた。
 辛うじて所々の数字が読み取れる程度で、二人には流れ去る文字列を目で追う事も出来ない。
 文字の行進は、すぐに止まった。
 時間にして数十秒、達也が凝視を始めてからも、五分は過ぎていない。
 達也は競技用デバイスをセットして、猛然とキーボードを叩き始めた。
 次々と、いくつものウインドウが、開かれては閉じる。
 開いたままになっているウインドウの一つが、今の今まで読み取っていた測定結果の原データであり、もう一つのウインドウがコピー元の設定を記述した原データであることに、あずさだけは気がついた。
 今、自分たちの目の前でどれほど高度なオペレーションが行われているか、理解している者はほとんどいないだろう。
 この場の大多数は、今では珍しくなったキーボードオンリーの入力スピードに目を奪われていることだろう。
 だが本当に驚くべきは、サイオン波特性の計測結果を、原データから直接理解するスキルだ、とあずさは思った。
 このやり方なら、測定結果の全てを、デバイスのキャパが許す限り、調整に反映させることが出来る。
 これは、自動調整機能に全く頼らない、完全マニュアル調整だ。
 彼女の目の前で、一時作業領域に保存された設定データが瞬く間に書き換えられた。
 出来上がった設定は相変わらず生のデータだったが、あずさには辛うじて読み取ることが出来た。
 安全マージンを大きく取った、まさしく「安全第一」の設定だった。
 これなら自動調整よりユーザーの負うリスクは小さく、自動調整より遥かに効率の良い起動式の提供が可能だ。
 実際に、試してみるまでも無かった。
 この一年生の調整技能は、自分たちエンジニアチームの誰よりも、上だ。
 あずさは何としても、達也をチームに引き込もうと決意した。

 起動式には手を加えない、という条件だったので、調整はすぐに終わった。
 見物人にとっても、呆気なく感じるほどの手際だった。
 すぐにテストが行われる。
 桐原の顔が、傍目に分からぬほど微かに、緊張に強張っていたのは「ご愛嬌」の範疇だろう。
 実際には、事故も事故未満の不都合も、何も起こらなかった。
 達也が調整したCADは、桐原愛用のデバイスと全く同じように(・・・・・・・)作動した。
「桐原、感触はどうだ」
「問題ありませんね。自分の物と比べても、全く違和感がありません」
 克人の問い掛けに、桐原は即答した。
 それが個人的な友誼に基づく過大評価でないことは、この場にいる者ならば、魔法の発動状態を見るだけで理解できた。
 ただ、魔法をスムーズに発動できた、というある意味平凡な結果以上のことは、見ているだけでは分からない。
「……一応の技術はあるようですが、当校の代表とする程のレベルには見えません」
「仕上がり時間も、平凡なタイムだ。余り良い手際とは思えない」
「やり方が変則的ですね。それなりに意味があるのかもしれませんが……」
 案の定、まず出て来たのは、地味な結果に対する否定的な評価だった。
 生徒会長直々の、しかも特例的な推薦ということで、無意識のうちに目を見張るようなハイレベルの技量を期待していた反動でもあった。
「わたしは司波君のチーム入りを強く支持します!」
 それに猛反発して見せたのはあずさだった。いつもの気弱な佇まいが嘘のようだ。
「彼が今、わたしたちの目の前で見せてくれた技術は、高校生レベルでは考えられないほど高度なものです。オートアジャストを使わず全てマニュアルで調整するなんて、少なくともわたしには真似できません」
「……それは確かに高度な技術かもしれないけど、出来上がりが平凡だったら余り意味は無いんじゃあ……?」
「見かけは平凡ですけど、中身は違います!
 あれだけ大きく安全マージンを取りながら、効率を低下させないのは凄いことなんです!」
「中条さん、落ち着いて……
 不必要に大きな安全マージンを取るより、その分を効率アップに向ける方が適切だと僕は思うけど?」
「それは……きっと、いきなりだったから……」
 だが元々弁が立つ方ではないのか、勢いが尻すぼみになってしまう。
「桐原のCADは競技用の物よりハイスペックな機種です。
 スペックの違いにも拘らず、使用者に違いを感じさせなかった技術は高く評価されるべきだと思いますが」
「えっ?……服部君?」
 ここで助け舟を出したのは、意外なことに、服部だった。
「会長、私は司波のエンジニアチーム入りを支持します」
「はんぞーくん?」
「九校戦は、当校の威信を掛けた大会です。肩書きに拘らず、能力的にベストのメンバーを選ぶべきでしょう。
 エンジニアの仕事は選手が闘い易い様にサポートすることです。桐原に『全く違和感が無い』と言わせた技術は、中条の言うように非常にレベルの高いものと判断せざるを得ない。
 候補者を挙げるのにも苦労するほどエンジニアが不足している現状では、一年生とか前例が無いとか、そんなことに拘っている場合ではありません」
 所々に垣間見える棘が、服部の本音を雄弁に物語っている。
 であるにも拘らず、服部が達也のチーム入り支持に転じたという事態は、この場の雰囲気を変えるのに十分なインパクトを有していた。
「服部の指摘はもっともなものだと俺も思う。
 司波は、我が校の代表メンバーに相応しい技量を示した。
 俺も、司波のチーム入りを支持する」
 克人が旗幟を明らかにしたことにより、大勢は決した。


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