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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第二章・新人戦編
2−(2) 二つの顔
 交通集中管制技術の進歩は、電車の形態を根本的に変化させ、キャビネットを都市内公共交通機関の主役に据えた。
 軌道上における車両の運行はほぼ完全に制御され、安全性と利便性と輸送量を同時に成立させている。
 一方、公道上の交通管制は、期待されたほど進んでいない。
 都市間を結ぶ高速道路では自動運行システムも導入されているが、一般道及び都市高速に、個別の自走車両をコントロールするシステムは、まだ実現されていない。
 その代わり、ドライバーをアシストする車載頭脳の開発が進んだ。
 現代の自走車は違法な改造をしない限り、交通事故を起こしたくても起こせない。(十文字の車がブランシュのアジトへ突っ込むことができたのは、あれが軍用車両をベースとした改造車だからだ)
 輸出されている自走車両も同じ車載頭脳を搭載しているから、大規模な交通管制システムを導入する余力の無い小国も交通事故撲滅の恩恵を受けることが出来る、ということで、世界的に見れば集中管制技術よりも個別管制技術の方が評価される傾向にある。
 もっとも、安全性の代償に、未熟な――もっと率直な表現が許されるならば、下手なドライバーは、交通事故の代わりに交通渋滞を起こす。玉突き事故の代わりに、玉突き急ブレーキが掛かるのだから渋滞が起こるのも当然と言えば当然かもしれない。
 このような社会的損失を防止する為、という名目で、安全面の懸念が薄れた今でも、運転免許制度は堅持されている。

 真新しい電動二輪車の前で、達也は妹が出て来るのを待っていた。
 免許は十六歳になった四月中に、もっと正確に言えば誕生日の次の日曜日に、即、取った。
 この電動二輪車はその次の週末に買ったものだ。
 ただ、彼が免許を取ったのは純然たる実用目的なので、実際に走った回数はまだ一桁台、長距離を走ったことは無い。
 その割りに整備はしっかり行っているので、二ヶ月以上経っても真新しい印象のままなのである。
「お兄様、お待たせしました」
 門灯に浮かび上がる妹の華奢な肢体。
 長い髪をアップにした妹は、彼が着込んでいる物とほぼお揃いのライダースーツを着ていた。身体にピッタリ貼り付くツナギは、未成熟ながらも女性らしい優美な曲線を露わにしている。
 手に持っていたヘルメットを被せてやると、つい、とおとがいを上げる。当たり前のような妹の仕草に小さく苦笑しながら、達也は顎の下でストラップを締めてやった。
 くすぐったそうに首をすくめた深雪に最前とは異なる微笑を向けて、自分もヘルメットを被り、達也はバイクに跨った。
 シールドを上げて、タンデムシートに跨った深雪に、しっかり捕まるよう促す。
 腰に回された手と背中に密着した身体の感触を確認して、達也はスロットルを開いた。
 兄妹の跨る電動二輪は、星空の下、静かに発進した。

◇◆◇◆◇◆◇

 毎朝十分で走破する道のりにそれ以上の時間をかけて、二人は目的の寺に着いた。
 自分の足で走らなかったのは、早朝と違い他の車が通っているからだ。
 ランニングやローラーブレードに制限速度は無い。
 その代わり、魔法使用制限に引っ掛かる。
 ――本来ならば、達也が毎朝行っているランニングは、官憲による取締りの対象なのである。
 今夜の目的は、達也ではなく深雪のトレーニングだ。
 深雪が九校戦の選手に内定したので、その為の準備。
 九校戦で行われる競技は、魔法競技の中でも魔法のウェイトが高いものがセレクトされている。
 それでも、肉体の運動能力が不必要というものではない。「バトル・ボード」は身体的な反応速度とバランス能力が高い方が有利だし、「アクセル・ボール」は戦術の選択によっては高い運動能力が必要となる。
 減速魔法、冷凍魔法を得意とする深雪にとって「アイスピラーズ・ブレイク」は彼女の為にあるような競技であり、新人戦どころか本戦に出ても優勝はほぼ確実だろう。
 だが、個人戦が今年から男女別になったことによる出場種目の増加で、深雪が出場することになるであろうもう一つの競技「ミラージ・バット」には、バトンでホログラムを叩き割るというアクションが必要になる。
 達也と共に八雲の手解きを受けていた深雪は、その華奢な体格からは想像もつかぬほど高い運動能力を有しているが、最近は身体を動かす機会が減っていたので念の為にトレーニングしておくことにしたのだった。
 モーターを止め、敷地の中にバイクを押して入る。境内の駐輪場に愛車を置いて、二人は八雲の元へ挨拶に向かった。
 この時間であれば、門下生に暗闇稽古をつけているはずだ。
 灯りが落ちた道場に近づくと、予想通り、押し殺された息遣いと、時々殺しきれずに外まで洩れる踏み込み、転倒の板鳴りが聞こえた。
 稽古の邪魔をしないよう、古びた引き戸をそっと開く。
 間髪を入れず飛来した棒手裏剣を防弾防刃仕様のグラブで打ち払い、ツナギに仕込んだ鉛の玉を投げ返す。
 達也の遠当てに手応えは無かった。
「鉛玉は余り上達していないようだね。
 魔法があるからと安心せず、飛び道具も練習しなきゃ。
 でも、手裏剣を掴み取らず払い落としたのは的確な判断だよ、達也君」
 気配は無く、声だけが聞こえた。
 達也は声が聞こえた正面奥に向かって、ではなく、右横の壁に向かって再度鉛の玉を投擲した。
「うひょ!?」
 気の抜ける悲鳴と共に、撃ち込んだ辺りから気配が波紋のように広がる。
 達也は咄嗟に、深雪を抱いて後ろへ跳んだ。
 間一髪、妹を庇う背中の紙一重を、上から下へ、天井から急降下した黒い剣風が疾り抜けた。
 片足で、素早いステップを踏む。
 踏みつけた足の下で、表面を全て黒く塗り潰した木刀が動きを止める。
 引き抜いて二の太刀を放とうとしていた八雲は、ビクとも動かぬ得物に、諦めて手を離した。
「……師匠、随分手荒な歓迎でしたね」
「……君の遠当てこそ、殺気がこもっていたんじゃないのかい?」
 暗闇の中で睨み合う師弟は、どちらからとも無く、腹黒い笑みを交した。

◇◆◇◆◇◆◇

 四隅に篝火を燈した境内の一角。普段は護摩焚きに使われる場所に(一応、この寺は比叡山の末寺を標榜しているが、八雲が題目や念仏の修法を行っているところを達也も深雪も見たことは無い)、仄かに蒼い、茫っと紅い光球がふわふわと漂っている。
 場所が場所だけに、人魂か? と、何も知らない人間ならば腰を抜かしかねない光景だが、幸いなことに、この場に部外者はいない。
 細長い影が蒼い光の中を通り抜け、光球が一つ、フッと消えた。
 光の球は二つ、三つと増えて行く。
 散らばり、漂う光球を、たおやかなシルエットが、意外な素早さと力強さを伴う身のこなしで追いかけ、手に持つ短い杖で両断して行く。
 両断した光球の数が三十を数えたところで、達也は深雪に小休止の合図を送った。

 大きく息をつく八雲に飲み物を差し出す役目は、いつもならば深雪のものだが、今日は達也が代理を務めている。
 今夜は深雪も、同じように大きく息をついている、ふるまわれる側だからだ。
「ありがとうございます、師匠。
 場所を貸して頂くだけでなく、修行の相手までして頂いて」
 飲み物を差し出した後、改めて頭を下げる達也へ、八雲は鷹揚に頷いて見せた。
「実体を打つのと幻影を打つのでは、随分勝手が違うからね。
 深雪君も僕の可愛い生徒だし、協力は惜しまないよ」
 可愛い、の所に妙な力が入っていたようにも感じたが、九校戦までは気にしないようにしよう、と達也は考えた。
 幻影魔法は「忍術」の得意分野であり、投影のスピード、映像のリアリティ、動きの滑らかさ全ての面において現代魔法以上の洗練度を誇る。現代魔法は多種類の異能を高速・精確に発動可能としたが、限定された得意分野では、まだまだ古式魔法に及ばない部分も少なくはない。
 限られた魔法しかまともに使えない達也では、八雲の代わりにホログラム投影機の代用になることはできないのだ。
「深雪、今夜はここまでにするか?」
 息を弾ませている妹にドリンクを渡しながら、達也はそう尋ねたが、深雪は首を横に振って、一口、喉を湿らせた。
「もし先生がよろしければ、もう少し身体を動かしておきたいんですが」
「僕は構わないよ。なんなら達也君も一緒に鬼火を追いかけてみるかい?」
「いや、俺は……止めておきます」
 八雲がニヤリと浮かべた笑みの意味は、何となく想像がついた。
 その思惑をひっくり返してやりたい気持ちが無いではなかったが、今日は深雪の練習が先だ。
「そうか、いや、残念」
 本当に残念そうな顔で、それでも隠しきれない含み笑いと共に首を振る八雲。
 その顔を見れば、辞退して正解だったと確信できる。
「じゃあ、始めようか」
「はい、よろしくお願いします」
 再開の合図に腰を折る深雪。
 二人の手にあったカップは、達也が既に回収済みだ。
 深雪が篝火で囲まれた方形の中央に立ち、八雲が再び術を行使しようとしたその時、
「誰だ」
 降って湧いたような、人の気配。
 誰何を発したのは、達也。
 いや、時系列はその逆だ。
 コーチングの為にイデアへ知覚を広げた瞬間、彼の認識ネットワークに引っ掛かった存在(・・)へ向けて、達也が何の気配も無い暗闇に誰何を発した直後、何処からとも無く、人の気配が生まれた。
「おや、遥クン」
 その気配へ向けて、八雲が気安く声をかけた。
 その名に、達也も、深雪も、覚えがあった。
 暗闇から、ゆらゆら揺れる明かりの中へ歩み出てきた、深雪より少し大人びたシルエット。
 深雪と同じような暗色のツナギを着ている為か、胸や腰の辺りが随分強調されているように感じる。
 達也の視線を辿って、深雪がムッとした表情を浮かべたが、兄の脇腹に肘を突きたてる前に、その瞳が凍てついた鋼鉄色に染まっているのを見て、落ち着きを取り戻した。
 嘗め回すような達也の視線は、遥の身体能力を測っていた。
「達也君、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。
 遥クンも僕の教え子だ」
「司波君のように親しく教えていただいた訳ではありませんけど」
 遥の声音は、闇に溶け込む今の不穏な格好に似合わぬ、軽くお道化たものだった。
「それにしても、先生はともかく司波君に気付かれるとは思いませんでした。
 もしかして、私の技が衰えているのですか?」
「自分を誤魔化すのは良くないなぁ。
 遥クン、あんまり嘘ばかりついてると、自分の本音すら分からなくなってしまうよ?」
「それ、司波君にも言われました」
「おっと、余計な一言だったか。
 まっ、それはこの際置いておくとして、遥クンの隠形は完璧に近かったから余計な心配はいらないよ?
 もし本心から、衰えたなんて思っているんならね」
 八雲から投げ掛けられた眼差しを、これぞ典型、と言いたくなる様な誤魔化し笑いで遥は受け流した。
 多分、誤魔化せるとも思っていないし、誤魔化すつもりも無いのだろう。
 八雲もニヤニヤ笑っているところを見ると、これがこの二人の、いつものコミュニケーションスタイルなのか。
「達也君は気配に(・・・)気付いた訳じゃないよ。
 僕たちとは、少し違う『眼』をもっているからね、達也君は。
 彼の目を誤魔化したかったら、気配を消すんじゃなくて、気配を偽らなきゃ」
「なるほど……勉強になりました」
「そろそろ、こちらの疑問にも答えて欲しいんですが」
 自分を出汁にして師弟ごっこに興じている二人に、達也は不機嫌をわざと(・・・)丸出しにした声で訊ねた。
「フム……確かに、遥クンにだけ情報をあげるのも不公平だね。
 遥クン、構わないかな?」
「ダメだと言っても、私がいないところで話しちゃうんでしょう?」
 肩をすくめる仕草はさばさばしたもので、遥が既に諦めの心境だったことが窺われる。
「じゃあ、本人の了解が取れたということで……
 遥クンは公安の捜査官だよ」
 実に端的な、八雲の説明だった。
 それだけでも訊きたかった事は十分理解できたが、本音を言えばもう少し、説明が欲しいところだ。
「んっ? あまり驚いていないね」
 しかし、説明を求めたのは、八雲の方が先立った。
 八雲は兄妹がビックリする姿を期待していたらしい。
 達也だけでなく深雪も、遥の正体を平然と受け容れたのが不思議だった、というか、面白くなかったようだ。
「俺にも少しは自前の情報網がありますから、小野先生が軍関係者じゃないことは分かっていました。
 そうすると後は公安(警察省公安庁)か、内情(内閣府情報管理局)か、あるいは外国のスパイということになりますので」
「情報網というと、彼か。
 いいのかねぇ……彼の立場上、一高校生に情報を漏らしたなんてばれたら、ただじゃ済まないだろうに」
「立場で言えば、師匠もそんなに変わりませんよ……
 で、小野先生は第一高校内におけるブランシュを始めとした反政府組織の活動を探る為、カウンセラーに偽装した公安の潜入スパイという理解で、間違いありませんね?」
「違うわ」
 行間、文字間を埋めつつ、達也が確認の意味で再度訊ねた。
 だが、遥から返って来たのは、割と強い調子の否定だった。
「私が公安のスパイというのは事実だけど、カウンセラーは偽装じゃないわよ。
 時間的な前後関係で言えば、カウンセラー資格を目指していた私に今の上司が接触して来て、第一高校に配属になった後、公安の秘密捜査官になった、という順番。
 先生の教えを受けたのは二年前から一年間のことだから、達也君のほうが兄弟子になるわね」
「それにしては、見事な隠形ですが」
「それが私の魔法特性だもの。
 他の魔法は使えないけど。
 上司が私に目をつけたのも、それが理由よ」
「……なるほど、BS(Born Specialized)魔法師でしたか」
「その肩書きは好きじゃない」
 まるで同い年の少女のような拗ね方でそっぽを向いた遥に、達也は失笑を漏らしてしまう。
 BS魔法師、あるいはBS能力者。先天的特異能力者、先天的特異魔法技能者とも呼ばれる、魔法としての技術化が困難な異能に特化した超能力者のことだ。
 BS魔法師は、「BSの一つ覚え」という陰口からも分かるように、普通の魔法師からは一段下に見られているが、その特異能力は他者に真似のできないものが多く、例え真似できたとしても極めて高いレベルを示す。
 職務と特異能力がマッチすれば、「何でも出来る」通常の魔法師より役に立つことが多いのである。
「何もかも中途半端であるより、何か一つを極めている方が優れていると思いますけどね。
 まあこれは、小野先生の価値観の問題ですが」
 何やら生徒とカウンセラーの役割が逆転しているような気もしたが、ここは学外で今は放課後を通り越した夜更けだから、気にする必要も無いだろう。
 同じ逆転の構図を感じ取ったのか、遥も不機嫌ながら、拗ねるのを止めていた。
「司波君、今日のところは仕方ないけど、秘密捜査官の身分は本来極秘だから。
 他の人にはオフレコで頼むわよ」
 無意味じゃないかな、と達也はすぐに思った。
 公安のスパイの身元程度、十師族にはすぐに分かってしまうだろう。
 実家が警察と太いパイプを持つエリカにも、既に分かっているかもしれない。
 達也自身も、所属までは分からなかったが、遥が諜報関係の人間だという事はほぼ確信していた。
 正体がばれていないと思っていたのは、遥本人だけかもしれない、のだが、そんなことは口にしない。
 達也は遥の頼みに、こう答えた。
「分かりました。他言はしません。
 その代わりと言っては何ですが、四月のようなことがあった場合は、早めに情報をもらえませんか」
「……分かったわ。ギブアンドテイクで行きましょう」
 様々な思惑を秘めて、二人は握手を交わした。

◇◆◇◆◇◆◇

 言うまでも無く、魔法科高校にも魔法以外の一般科目の授業がある。
 その中には体育もあり、試合形式の授業に、少年が必要以上の熱い闘志を燃やしたりするのは、今も変わらぬ風景だ。
 今日の授業はレッグボール。
 フットサルから派生した競技で、無数の小さな穴が開いた透明の箱でフィールドをすっぽり覆ったフットサル、但し選手は頭部保護のヘッドギアを着け、ヘディングはハンドと同じ扱いで禁止、というのが百科事典でよく見かける解説だ。(余談だが、この「透明の箱の中で球技」という競技形態は、二十一世紀後半のスポーツトレンドの特徴の一つである)
 魔法を併用した競技として行われることもあるが、今日の授業では魔法抜きで行われている。
 レッグボールでは反発力を極端に高めた軽量ボールを使用しており、フィールドを囲う壁と天井にもスプリング効果を持たせてある。上下左右からピンボールのような目まぐるしさで跳ね返るボールを追いかけ、相手ゴールに蹴り込むというスピーディかつパワフルな球技で、見た目が派手な為、「観る」スポーツとしても人気が高い。
 今も、休憩中の一年E組とF組の女子生徒が、自分たちの授業はそっちのけで声援を送っている。
「オラオラ、どきやがれ!」
 こぼれ球にレオが突進する。
 ボールの反発力が極端に高いので、サッカーやフットサルと違い、ドリブルは難しく、ほとんど使われない。
 レッグボールは五人のフィールドプレーヤーの間で、壁や天井を利用してパスをつなぎ、相手ゴールにシュートを放つのが一般的な戦術である。
 こぼれ球を拾う運動量は、勝敗を大きく左右する。
「達也!」
 縦横無尽に走り回るレオが、シュートの勢いで中盤の達也にパスを送る。
 胸や腹でトラップしようものならノックダウンを喰らいそうなパスを、達也は真上に蹴り上げることでその勢いを殺し、天井から跳ね返ってきたところを踏みつけて抑える。
 機械の様な精密なボール捌きでパスを受けた達也は、側面の壁に向けてボールを蹴りだした。
 跳ね返った所にいたのは、幹比古。
 ワントラップで、シュート。
 ゴールを告げる電子ブザーが鳴り渡り、見物の女子生徒から歓声が上がる。
「やるな、あいつ」
 達也の横に並んだレオが、素直な賞賛を幹比古に向けた。
「ああ。読みが良いし、見掛けより身体が動く」
 見かけによらず、という以上の、見かけを裏切る身体能力に、達也も意外感を禁じられない。
 吉田家は系統外魔法の名門であり、古式魔法の修行方法を受け継いでいると聞いている。
 ならば、相応の荒行で、身体を鍛え上げているのは分かる。
 ただ、幹比古の外見は、そのような形跡を覚らせない。それが達也の意外感の源泉だった。
 爪を隠した鷹は、思いがけない所に潜んでいるものだ……
 そんな感慨を抱きつつ、達也は飛んで来たボールを華麗な上段回し蹴りで相手ゴールへ蹴り返した。

 試合は達也たち三人の活躍で圧勝。
 見学席に戻った達也は、レオと共に、少し離れた位置に腰を下ろした幹比古の近くへ移動した。
「ナイスプレー」
 声をかける達也の呼吸は、既に落ち着きを取り戻している。
「そっちもね」
 応える幹比古も、達也と同じく、既に呼吸の乱れは無い。
 いつもは何処か刺々しい雰囲気を纏っている幹比古だったが、今は流した汗と、体育の授業とはいえ、勝利の美酒の効果もあってか、他人を拒絶するオーラが薄くなっている。
「やるじゃねえか、吉田。こう言っちゃ何だが、予想外だぜ」
「幹比古」
 レオの開けっ広げな態度に感化されたのか、
「苗字で呼ばれるのは好きじゃない。僕のことは名前で呼んでくれ」
 幹比古はこれまでにない、打ち解けた態度を取っていた。
「おう。じゃあ、俺の事はレオって呼んでくれ」
 入学から三ヶ月が経過している今の時期に交わす会話としては、いくら前世紀のようなクラス単位の活動が少なくなったからといって、おかしいかもしれない。
 だがそれだけ、幹比古はクラスメイトを含めた全ての人間に対し、壁を作って過ごしていた。
 今だけの、気まぐれに近い変化かもしれないが、確かにこれは、一つのきっかけに違いなかった。
「俺も幹比古と呼ばせてもらっていいか?
 その代わり、俺の事は達也で良い」
「オーケー、達也。
 実を言うと僕は、前から君と話をしてみたいと思っていたんだ」
「奇遇だな。実は俺もだ」
「……何となく疎外感を感じるぜ」
「気の所為だよ、レオ。
 君とも話をしたいと思っていた。
 何と言っても、あのエリカにあれだけ根気良く付き合える人間は珍しいからね」
「……なんか釈然としねえなぁ」
 エリカとワンセット扱いに顔を顰めたレオを見て、達也と幹比古は同時に吹き出した。

 前の――つまり、達也たちの――試合に比べれば、今度の試合は接戦になった。
 先程から交互に点が入っている。
 どちらも技術的に拮抗している、高校生らしい、平凡な試合だった。
「達也はどうしてこの学校に来たんだい?」
 見学という建前上、フィールドを見てはいるが、意識は完全に横へ向けて、幹比古が訊ねた。
 最近良くこの話題が出るな、と思いながら、達也は答える。
「正直に言うと、付属なら何処でも良かったんだ。
 だから、一番近い所を選んだ」
「……何だかいい加減に聞こえるけど?」
「実際、いい加減なんだろうな。
 大学の非公開文献と、受験資格だけが目的だから」
「そりゃあまた、随分な割り切りだ……
 でも納得した。確かに、達也には相応しい選択だと思うよ。何と言うか、こう、イメージ的にね」
 達也の回答に呆れ顔ながらも、幹比古は深く頷いている。
「イメージか……どんなイメージなんだ?」
 それが必要以上に深い頷き方であるような気がして、達也は少し突っ込んだ質問をしてみた。
「孤高」
 返って来た答えは、世間話にしてはやけにキッパリとした響きを帯びていた。
「超然。
 あるいは、達観。
 悪い意味に取らないで欲しいんだけど、達也には僕たちより遥かに老成したイメージがある」
 表情は変えていないはずだ。
 だが、自分の腕の筋肉が、ほんの僅か、拳を握る為の強張りを示したことに、達也は気付いていた。
「……悪い意味に取るなと言われてもなぁ……
 十六歳で老成していると評価されるのは、流石に一寸、自分を省みるところがあるな」
  わざとらしくピントを外してぼやいて見せたのは、見え透いた韜晦。
 だが達也の見込みどおり、幹比古は空気を読めるタイプだった。
「そうだね。枯れてる、と言うべきだったかな?」
「そりゃ同じだって」
「達也のは枯れてるんじゃなくて、採点が辛すぎるんだよな」
 レオが益々脱線した話題を振って来たのも、空気を変える為だろう。
 彼は意外と気がつく性質だ。
 ただ、行き過ぎやり過ぎの傾向はあるが。
「何のことだ?」
「あんだけ美少女な妹がいれば、大抵の女にゃ興味が湧かないだろ」
「ああ、確かに。
 深雪さんだっけ?
 入学式で彼女を初めて見たときは、見とれるよりビックリしたよ。
 あんなに綺麗な女の子が実在するなんて信じられなかった」
「おっ?
 達也、可愛い妹が狙われてるぜ。
 兄貴としてはどうよ?」
 人の悪い笑みを浮かべて問い掛けるレオに答えたのは、話を振られた達也ではなく、出汁にされ掛かった幹比古だった。
「よしてくれよ。
 そんなんじゃない。
 話をするだけならともかく、それ以上の関係になろうなんて、考えただけで怖気づいちゃうって。
 彼女にするなら、もっと気楽に付き合える相手がいいな」
 幹比古の言葉に、レオは深く頷いた。
「そうだよなぁ。
 まあ、それでなくても彼女は難攻不落のブラコンっぽいし、付き合う為には無敵のシスコン兄貴を突破せにゃならんし……ハードルが高すぎるぜ」
「レオ……お前とは一度、とことん話し合う必要があるようだな」
「おお怖、遠慮しとくぜ。
 オレはこんなことで命を懸けたかねえよ」
 重く据わった達也の視線にレオは大袈裟に震えて見せた。
 見るからに演技ではあったが、そこに少なからぬ本気が混じっているように見えて、幹比古は興味深げに二人を見比べた。
 身体は一回り、レオの方が大きい。
 手足の太さも、それに見合うものだ。
 さっき一緒にプレーした感触では、敏捷性もそれ程、差が無いように見える。
 噂では、達也は高名な忍術使いに体術の手解きを受けているらしいが、それ程に圧倒的な技術差があるのだろうか?
 魔法力に劣っているというハンデを覆してしまう程の?
 幹比古にとって、魔法力の差を埋める手段を見つけ出すことは、切実な望みだった。
 半年前、失ってしまった「力」に代わるもの。
 物心ついて以来、あの(・・)時まで、ずっと強者であり続けた幹比古は、弱者に甘んじることに耐えられない。
 自分が焦っていると分かってはいた。
 余裕皆無の今の心理状態が、必要以上に自分自身を消耗させていることも自覚していたが、それでも自分を追い込まずにいられない。
 この半年間、かつて覚えが無いほど勉学に打ち込んだ。
 それまで余り熱心とは言えなかった武術にも、真剣に取り組んだ。
 それでも、喪失感は埋まらなかった。
 だから、魔法実技の成績で劣り、現実に魔法の実践で劣っているにも拘らず、魔法力で遥かに勝る上級生を打ち負かしてしまう達也に興味を持ったのだ。
 魔法力の差を埋める、白兵戦技術?
 幹比古は、達也とレオを闘わせて見たい、と思った。
 達也と戦ってみたい、と、意識することなく考えた。
「幹比古?」
「えっ?」
 その所為か。
 急に名前を呼ばれて、ほとんど臨戦態勢で身構えてしまう。
 その姿を見て、達也もレオも、二人とも苦笑いを浮かべた。
「おいおい、物騒だな」
「どうしたんだ?
 急に黙り込んでしまったかと思ったら、今度はいきなり」
「あっ、いや、
 ……ゴメン、なんでもない」
 幹比古としては、決まり悪い思いで謝るしかない。
 元々コミュニケーションは余り得意な方ではないのだ。
 せっかくの友好的な雰囲気が、ギクシャクとしたものに変わり、達也とレオが盛んにジョークを飛ばしたにも拘らず、授業時間終了まで修復されることは無かった。


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