ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第一章・入学編
1−(25) スペシャリスト
 茜色に染め上げられた世界の中、
 夕陽を弾いて疾走する大型オフローダーが、
 閉鎖された工場の門扉を突き破った。

「レオ、ご苦労さん」
「……何の。チョロイぜ」
「疲れてる疲れてる」
 いきなり、時速百キロ超で悪路を走行中の大型車全車体を、衝突のタイミングで硬化する等というハイレベルな魔法を要求されたレオは、集中力の多大な消費にかなりへばっていた。
「司波、お前が指示を出せ」
 克人の言葉に、達也は頷いた。
「レオ、お前はここで退路の確保。
 エリカはレオのアシストと、逃げ出そうとするヤツの始末」
「……捕まえなくていいの?」
「余計なリスクを負う必要は無い。安全確実に、始末しろ。
 会頭は桐原先輩と左手を迂回して裏口へ回って下さい。
 俺と深雪は、このまま踏み込みます」
「分かった」
「まあいいさ。逃げ出すネズミは残らず切り捨ててやるぜ」
「達也、気をつけてな」
「深雪、無茶しちゃダメよ」
 居残りを指示されたレオも、エリカも、不平を鳴らすような真似はしない。
 抜き身の刀――但し、刃引き――を手に提げた桐原が駆け出し、克人が悠然とそれに続く。
 達也と深雪は、GMS(ゼネラルマーチャンダイズストア;総合スーパー)にでも入るような足取りで、薄暗い工場の中へ進んだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 遭遇は意外に早かった。
 達也は遮蔽物の確保など気にせず進み、相手もホール状のフロアに隠れもせず整列していたからだ。
「ようこそ、はじめまして、司波達也くん!
 そしてそちらのお姫様は、妹さんの深雪くんかな?」
「お前がブランシュのリーダーか?」
 大袈裟な仕草で手を広げ、歓迎のポーズをとった男に対して、達也は冷ややかに問い掛けた。
 年齢は三十台半ば。
 ヒョロッとした身体つきに縁無しの伊達メガネ。その男は、学者か法律家といった趣の外見をしていた。
「おお、これは失敬。
 仰せの通り、僕がブランシュのリーダー、司一つかさ・はじめだ」
「そうか」
 一言頷いて、達也はショルダーホルスターから、銀色のCADを取り出した。
「ふむ、それはCADだね。
 拳銃くらい用意してくるかと思っていたが。
 それにしても大胆なことだ。ここまで、身を隠さずに入ってくるとは。
 如何に魔法師とはいえ、銃で撃たれれば死ぬのだよ?」
「俺は魔法師じゃない」
 狙撃を仄めかされた相手の意外な反応に、ブランシュのリーダーはわざとらしく、目を丸くして見せた。
「おお、そうか。君はまだ学生だったね。
 あんまり堂々としているから忘れそうになったよ」
「お喋りな男だな。
 まあ、アジテーターなど、それが商売なのだろうが」
「若いのに手厳しいね、君は。
 若いうちからそんなに穿った見方ばかりで、窮屈ではないかね。その調子では、その内、窒息してしまうよ?」
「一応、投降の勧告をしておく。
 全員、武器を捨てて両手を頭の後ろに組め」
「ハハハハハ、君は魔法の苦手なウィードじゃなかったのかい!?
 おっと失礼、これは差別用語だったね。
 でも、君のその自信の源は何だい?
 魔法が絶対的な力だと思っているなら、大きな勘違いだよ」
 司一が右手を上げた。
 左右に並ぶ、総勢二十人を超えるブランシュのメンバーが、一斉に銃器を構えた。
 拳銃だけでなく、サブマシンガン、アサルトライフルを持つ者すら混じっていた。
「交渉は、対等なものでなければならないから、こちらからも機会をあげよう。
 司波達也くん、我々の仲間になり給え。
 君のアンティナイトを必要としないキャスト・ジャミングは、非常に興味深い技術だ。
 君が我々の仲間になると約束するなら、妹さんは無事に帰してあげようじゃないか」
「やはり、それが狙いか。
 壬生先輩を使って接触したのも、キャスト・ジャミングが狙いだな」
「ふむ、頭の良い子供は好ましいね。
 だがそこまで分かっていてノコノコやってくるとは所詮、子供だ。
 とは言うものの、子供は強情なものでもある。
 全く勝ち目がないと分かっていても、大人しく言うことをきかないだろう」
「だったらどうする」
「こうするのさ……
 司波達也、我に従え!」
 その仕草は、学者というより手品師のようだった。
 外連味たっぷりに伊達メガネを投げ捨て、前髪をかき上げて正面から目を合わせる。
 その両眼が、妖しい光を放った。
 達也の顔から表情が抜け、身体から力が抜ける。
「ハハハハハ、君はもう、我々の仲間だ!
 では手始めに、ここまで共に歩んで来た君の妹を、その手で始末してもらおう!
 妹さんも最愛の兄上の手に掛かるなら、本望だろう!」
 命令することに慣れた口調。
 己が権威を疑わぬ表情。
 だが、
「……猿芝居はいい加減に止せ。
 見ている方が恥ずかしくなる」
 その顔は、冷ややかな達也の侮言に、瞬時に凍りついた。
「意識干渉型系統外魔法、邪眼イビル・アイ
 と、称してはいるが、その正体は催眠効果を持つパターンの光信号を、人の知覚速度の限界を超えた間隔で明滅させ、指向性を持たせて相手の網膜に投射する光波振動系魔法。
 洗脳技術から派生した、映像機器でも再現可能な、単なる催眠術だ。
 大袈裟な機械を使わずに済む為、相手の意表をつくことが出来るというメリットはあるが、所詮、それだけのものに過ぎない。
 確かこれは、ソビエト新連邦(・・・・・・・)が熱心に開発していた手品だったな」
 魔法ではなく、言葉で、達也は敵を凍りつかせた。
「壬生先輩の記憶も、これですり替えたのか?」
「お兄様、では……?」
 大きな目を更に見開いて問い掛けた深雪に、達也は無表情なまま、頷いた。
「壬生先輩の記憶違いは、不自然なほど激しいものだった。
 聞き間違いをした直後は動揺しているから、あんな極端な思い込みに捉われることもあるだろう。
 だが普通は、時間の経過と共に、冷静になっていくものだ」
「……この、下種ども」
 深雪の端正な唇から迸った、怒気。
 その熱が、凍りを解かしたのか。
「……貴様、何故……」
「つまらんヤツだな。
 メガネを外す右手に注意を引きつけ、CADを操作する左手から目を逸らす、そんな小細工がこの俺に通用するものか。
 起動式が見えていればどんな魔法を発動しようとしているのかも分かるし、対処も出来る。
 お前のちゃちな魔法など、起動式を部分的に(・・・・)抹消するだけで十分だった。肝心の催眠パターンに関する記述が抜け落ちては、邪眼も単なる光信号に過ぎない」
「バカな……そんな真似が……貴様、一体……」
「ところで、二人称は君、じゃなかったのか?
 大物ぶっていた、化けの皮が剥がれているぞ」
 この時、司一は初めて気がついた。
 この少年の表情が消えたのは、脱力したのは、彼の魔法を確認し無効化したことで、彼に対する一切の興味が失せたからだ。
 目の前のこの少年は、最初から、彼のことを同じ人間と見ていなかった。
 彼らのことを、人間として見てはいなかった。
 この少年の目は、これから自分が踏み潰そうとしている、虫ケラを見る目だ……
「う、撃て、撃てぇ!」
 威厳を取り繕う余裕は、最早なかった。
 同士、いや、部下たちが向ける疑惑の眼差しにも、気付く余裕はなかった。
 生物としての原初的な恐怖に駆られて、司一は射殺を命じた。
 だが――
 弾丸は、一発も発射されなかった。
「な、な、……」
「何だこれは!?
 何が起こったんだ!?」
 パニックが、フロアを満たした。
 床には、バラバラに分解された、拳銃、サブマシンガン、アサルトライフルが散乱している。
 男たちが引き金を引こうとした瞬間、彼らの武器は、部品に戻っていた。
 パニックの中、
 それを鎮めようともせずに、
 司一が、逃げ出した。
 彼は背後を、仲間を、一顧だにしなかった。
「お兄様、追って下さい。
 ここはわたしが」
「分かった」
 達也は奥の通路へ向けて、歩き出した。
 自然に、人垣が割れる。
 彼は何もせず、司一が逃げて行った通路へたどり着いた。
 そのまま彼を通していれば、残されたブランシュのメンバーは、捕まるだけで済んだはずだ。
 だがメンバーの一人が、ナイフを手に、達也の背中へ襲い掛かった。
 襲い掛かろうと、した。
「愚か者」
 常であれば、人を魅了してやまない可憐な響きが、絶望をもたらす裁きを運ぶ。
「ほどほどにな。
 この連中に、お前の手を汚す価値は無い」
「はい、お兄様」
 言葉を交わす兄と妹の間では、全身を霜で覆われた彫像が、傾き、倒れている最中だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 彼女の兄に害を為そうとした者は、一人だけ。
 その愚か者は、既に凍り付いている。
 だが、彼女にとってはそれだけで十分であり、それだけでは不十分だった。
 十分な理由、
 不十分な結果。
 たった一人の華奢な少女を前に、二桁の男たちが、一歩も動けなくなっていた。
 凍りついた足は、踏み出すことも、後退ることも出来なくなっていた。
 精神的にも――物理的にも。
 床は一面、白い霜で覆われていた。
 少女の立つ小さな円内、そこだけが、屋外と同じ季節だった。
 白い霧が、渦を巻き流れる。
 霧は、冷気で出来ていた。
 少女が右手を上げた。
 その姿は、死者に裁きをもたらす、氷の女王の現界か。
「お前たちは、運が悪い」
 いつもとは異なる口調。
 だが、命じ、裁く、権威と共にあるその言葉遣いに、些かの違和感もなかった。
「お兄様に手出しをしよう等とさえ、しなければ、せめて安らかに眠れたものを」
 冷気が、徐々に、這い上がってくる。
 男たちの顔が、恐慌と、絶望に染まる。
「わたしはお兄様ほど、慈悲深くは無い」
 冷気は既に、首の下までを、覆い固めていた。
「祈るが良い。
 せめて、手足が腐り落ちずに済むように」
 振動減速系広域魔法「ニブルヘイム」。
 声なき断末魔の絶叫が、霧の中に満ちた。

◇◆◇◆◇◆◇

 待ち伏せはなかった。
 戦力を分散させない程度の頭はあったようだ、と達也は思った。
 存在を知覚する達也に、待ち伏せは意味を成さない。
 隠れることもまた無意味。
 次の部屋に、十一人の人間が待ち構えている。
 サブマシンガンが、十丁。
 達也は壁越しに、CADの引き金を引いた。
 物理的な障壁は、魔法の障碍にはならない。
 達也が自由に使える二つだけの魔法、その一つ「分解」が、サブマシンガンのエイドスを書き換える。
 再びあがる、狼狽の声。
 彼が存在を知覚できるのは、魔法式のみならず起動式をも解析することが出来るのは、この魔法と、もう一つの魔法の副産物だ。
 構造を認識し、構造を分解する。
 物体であれば、その構造情報を物体が構成要素へ分解された状態に書き換え、情報体であれば、その構造それ自体を分解する。
 魔法としては最高難度に数え上げられる、構造情報に対する直接干渉。
 それを生来の能力として持ってしまったが故に、彼は他の魔法をまともに使えない。
 擬似的にしか、仮想的にしか、使えない。
 彼の魔法演算領域は、二つの最高難度魔法に占有されてしまっているからだ。
 だが今は、多様な魔法は必要ない。
 絶対の一、それこそが、必勝の武器。
 敵に、手持ちの銃器は無い。
 最奥の部屋に足を踏み入れた達也に、銃弾ではなく、不可聴の騒音が浴びせられた。
「ひゃはははははは、どうだい、魔法師?
 本物の、キャスト・ジャミングは?」
 狂ったように笑う男の手には、真鍮色の輝きを持つアンティナイトのブレスレット。
 残り十人の男たちの指にも、同じ色の指輪がはまっている。
 アンティナイトは産地が極めて限定された物質だ。
 旧アステカ帝国の一部、旧マヤ諸国地域の一部、チベットの中心部、スコットランド高地の一部、イラン高原の一部、など。
 高山型古代文明の栄えた地にのみ、アンティナイトは産出する。
 まるで、高地でのみ精製された人工物であるかのように。
「パトロンは中華連合(・・・・)か」
 動揺が伝わって来た。
 心底、つまらないと思う。
 彼らは三流もいいところだった。
 正直なところ、これ以上付き合いきれない。
「やれ!
 魔法が使えない魔法師など、ただのガキだ!」
 拳を合わせるのも面倒だったので、達也は右手を上げて、CADの(・・・・)引き金を引いた。
 射線上の男が、太腿から血を噴き出して倒れた。
 前と、後ろの二箇所から。
 細い、針で刺したような小さな穴が、神経節を直撃して、大腿部を貫通していた。
 次々と引き金を引く達也。
 男たちは、肩から、足から、次々と血を噴き出して倒れる。
 魔法式で設定した射線上の、肉体を構成する皮膚と筋肉と神経と体液と骨格と、あらゆる細胞物質を、分子レベルに分解して穴を穿っているのだ。
 物体の、情報体の、一部分のみを変化させる。
 これもまた、現代魔法においては高難度に属する技術だが、能力の極端な限定を代償とした達也の魔法演算力にとっては、造作も無いことだった。
「何故だ!?」
 この男がこの台詞を口にするのは、一体何度目だろう?
 記憶を辿れば答えが出るが、数え上げるのも、バカバカしかった。
「何故、キャスト・ジャミングの中で魔法が使える!?」
 キャスト・ジャミングは、他者の魔法発動を阻害するサイオンのノイズを作り出す、一種の無系統魔法だ。アンティナイトによって作り出されるノイズの構造が、魔法式の作用を妨げる。
 達也はその構造を分解し、ノイズをサイオンの細波(さざなみ)に変えた。
 キャスト・ジャミングは、他者の魔法式の通路に立ち塞がる障碍物。
 その障碍物そのものを、達也の魔法は分解することが出来る。
 ただ、それだけのことに過ぎない。
 邪眼を使うのだから、この男も魔法師だろうに、そんなことも分からない。
 最早、始末することすら、億劫だった。
 その時。
 男が背にした、壁が切れた。
 細かく煌く銀光は、高速振動する鋼の乱反射。
 振動魔法、高周波ブレードの、刀身だった。
「ひいぃっ!」
 腰を抜かしたか、と思わせる無様な姿で、男が壁から跳び退いた。
 男が今まで立っていた場所に、乗り込んできたのは、桐原武明。
 どうやら裏口から逆に進んで、ここまで道を、文字通り、切り開いてきたらしい。
「よぉ。コイツらをやったのは、お前か?」
 他に答えなどあるはずは無い。
 達也が肯定を返す前に、桐原は何度も頷いた。
「やるじゃねえか、司波兄。
 それで、こいつは?」
 怯えた眼で壁に貼り付く男を、蔑みの目で桐原は指した。
それ(・・)が、ブランシュのリーダー、司一です」
「こいつが……?」
 変化は、一瞬。
 達也ですらたじろぐほどの怒気が、桐原の全身から放射された。
「こいつか!
 壬生を誑かしやがったのは!」
「ひいぃぃぃぃ!」
 憤怒の表情で詰め寄る桐原に、窮鼠の力を振り絞ったのか、先に数倍するサイオンのノイズが浴びせられる。
 本来であれば、桐原の高周波ブレードは、効果を失わなければならなかった。
 それほどの強度で、キャスト・ジャミングは発動していた。
 だが。
「テメエの所為で、壬生がぁぁ!」
「ぎゃああぁぁぁぁ!」
 刃引きされた桐原の刀は、真鍮色の腕輪がはまる司一の右腕を、肘から切り落としていた。
 桐原の開けた穴から、克人が姿を見せた。
 彼は一瞬、眉を顰めた後、左手のCADを操作した。
 深雪と同じ、携帯端末形態の汎用型CAD。
 五感で知覚できるタイムラグは無かった。
 肉の焼ける臭いと共に、出血が止まり、絶叫も止まった。
 司一は、泡を吹き、失禁して、失神していた。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。