この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
保健室に着いて、紗耶香はすぐに目を覚ました。
今は右腕の治療をしながら、事情を聴取しているところだ。
最初はなるべく興奮させないように、と校医から制止が掛かったが、紗耶香自身の希望で、治療しながら話を聞くことになったのである。
「……という訳で、壬生先輩を追い詰めたのは、どうやら渡辺先輩のようですね」
エリカから、いつもの軽やかな喋り方をひっくり返したような棘のある口調の告発を受けて、摩利は目を白黒させていた。
「……すまん、心当たりが無いんだが……
壬生、それは本当か?」
俯いたのは一秒未満。
紗耶香は吹っ切れた表情で頷き、同じく、吹っ切れた口調で応えた。
「今にして思えば、私は中学時代『剣道小町』なんて言われて、いい気になっていたんだと思います。
だから入学してすぐの、剣術部の新入生向け演武で渡辺先輩の見事な魔法剣技を見て、一手のご指導をお願いしたとき、すげなくあしらわれてしまったのが凄くショックで……
相手をされなかったのはきっと、私が二科生だから、そう思ったらとてもやるせなくなって……」
「一寸……ちょっと待て。
去年の勧誘週間というと、あたしが剣術部の跳ね上がりにお灸を据えてやったときのことだな?
その時のことは覚えている。
お前に練習相手を申し込まれたことも忘れていない。
だがあたしは、お前をすげなくあしらったりしていないぞ?」
「傷つけた側に傷の痛みが分からないなんて、よくあることです」
「エリカ、少し黙っていろ」
真剣に首を捻っている摩利に、皮肉な口調を隠そうともせず茶々を入れたエリカ。
達也はそれを、制止した。
「なに? 達也くんは渡辺先輩の味方なの?」
「だから少し黙って聞いていろ。論評も非難も、その後でも遅くはない」
ピシャリと叩きつけられた正論に、不満げながらもエリカが黙り込む。
短い沈黙の後、紗耶香が少し辛そうに、反論した。
「先輩は、私では相手にならないから無駄だ、自分に相応しい相手を選べ、と仰って……
高校に入ってすぐ、憧れた先輩にそんな風に言われて……」
「待て……いや、待て。
それは誤解だ、壬生」
「えっ?」
「あたしは確か、あの時こう言ったんだ。
――すまないが、あたしではお前の相手は務まらないから、時間の無駄になってしまう。お前の腕に見合う相手と稽古してくれ――
とな。
違うか?」
「え、あの……そう、いえば……」
「大体、あたしがお前に向かって『相手にならない』なんて言うはずがない。
剣の腕はあの頃からお前の方が上だったのだから」
ポカンとした表情で見詰め返すだけの紗耶香に代わって、真由美が摩利に問い掛けた。
「ちょっと待って、摩利。
じゃあ貴女は、壬生さんの方が強いから、稽古の相手は辞退する、と言ったの?」
「そのとおりだ。
そりゃあ、魔法を絡めればあたしの方が上かも知れんが……
あたしが学んだ剣技は、魔法の併用を大前提としたものであって、魔法を最大限活かす為に身体をどう動かし武器をどう使うか、というものだからな。
純粋に剣の道を修めた壬生に、剣技で敵う道理がない」
「じゃあ…………あたしの誤解……だったんですか……?」
居心地の悪い沈黙が保健室に忍び込み、ゆっくりと広がった。
「なんだ、あたし、バカみたい……
勝手に、先輩のこと誤解して……自分のこと、貶めて……
逆恨みで、一年間も無駄にして……」
ただ、紗耶香の嗚咽だけが、沈黙の中に流れた。
「……無駄ではないと、思います」
その沈黙を破ったのは、達也だった。
「……司波君?」
「エリカが先輩の技を見て、言っていました。
エリカの知る壬生先輩の、中学の大会で準優勝した『剣道小町』の剣技とは別人のように強くなっていると。
恨み、憎しみで身につけた強さは、確かに、哀しい強さかも知れません。
ですがそれは、紛れもなく、壬生先輩が自分の手で高めた、先輩の剣です。
恨みに凝り固まるでなく、嘆きに溺れるでなく、己自身を磨き高めた先輩の一年が、無駄であったはずはないと思います」
「…………」
「強くなるきっかけなんて様々です。
努力する理由なんて、千や万では数え切れないでしょう。
その努力を、その時間を、その成果を否定してしまった時にこそ、努力に費やした日々が本当に無駄になってしまうのではないでしょうか」
「司波君……」
達也を見上げる紗耶香の目は、涙をぼろぼろと流し続けている。
だが彼女はその時、確かに笑みを浮かべていた。
「司波君、一つだけ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「もう少し、こっちに来てくれないかな?」
「こう、ですか?」
「もう一歩」
「はぁ」
雰囲気が変わり、ホッとした空気が流れた。
だがそれは、
「じゃあ、お願い」
すぐに、
「そのまま、動かないでね」
ギョッとしたものに、変わった。
「うっ、うう、うわあぁぁん……!」
達也の胸にすがりついて、紗耶香は大声で泣き始めた。
皆がおろおろした表情で顔を見合わせる中、達也は無言でその細い肩を支え、深雪はそれを見て、目を伏せた。
◇◆◇◆◇◆◇
ようやく落ち着きを取り戻した紗耶香の口から、「同盟」の背後組織が「ブランシュ」であることが語られた。
「予想どおりですね、お兄様」
「本命過ぎて面白みがないけどな」
「現実はそんなものですよ、委員長。
さて、問題は」
脱線しかけた軌道を、それこそ面白みがない処世訓で元に戻して、
「やつらが今、何処にいるのか、ということですか」
達也は今後の行動方針を、既定のものであるかの如く口にした。
「……達也くん、まさか、彼らと一戦交えるつもりなの?」
「その表現は妥当ではありませんね。
一戦交えるのではなく、叩き潰すんですよ」
おそるおそる訊ねた真由美に、達也はあっさりと、過激度を上乗せして頷いた。
「危険だ!
学生の分を超えている!」
真っ先に反対したのは、摩利。
学内限定とはいえ、常にトラブル処理の最前線に立っている彼女が、危険性に対して敏感になるのはある意味当然と言えた。
「私も反対よ。学外の事は警察に任せるべきだわ」
真由美も厳しい表情で首を横に振った。
だが、
「そして壬生先輩を、強盗未遂で家裁送りにするんですか?」
「っ!」
達也の一言に、顔を強張らせて絶句してしまう。
「なる程、警察の介入は好ましくない。
だからといって、このまま放置することも出来ない。
同じような事件を起こさない為にはな。
だがな、司波」
炯炯たる克人の眼光が、達也の眼を貫いた。
「相手はテロリストだ。
下手をすれば命に関わる。
俺も七草も渡辺も、当校の生徒に、命を懸けろとは言えん」
「当然だと思います」
しかし達也は、その眼光をものともせず、淀みなく答えた。
「最初から、委員会や部活連の力を借りるつもりは、ありません」
「……一人で行くつもりか」
「本来ならば、そうしたいところなのですが」
「お供します」
すかさず飛び込んで来た妹の声に、達也は苦笑を浮かべた。
「あたしも行くわ」
「俺もだ」
エリカから、レオから、次々と表明される、参戦の意思。
「司波君、もしもあたしの為だったら、お願いだから止めて頂戴。
会長の仰るとおり、警察に任せましょう?
あたしは平気。罰を受けるだけのことをしたんだから。
それより、あたしの所為で司波君たちに何かあったら、そっちの方が耐えられない」
慌てて紗耶香が止めに入るが、振り返った達也の表情は、彼女の誠意に応えるには相応しからぬ、シニカルなものだった。
「ご心配なく。壬生先輩の為じゃありません」
「っ……」
冷たく突き放す口調に、紗耶香がショックを受けた顔で黙り込む。
「虻蚊を叩き潰すのは、自分が刺されないようにする為です。
ご近所の為にゴキブリを駆除する人はいないでしょう?」
気休めを言っている印象は無かった。
深雪ほど彼のことを理解してはいないレオにも、エリカにも、真由美にも、摩利にも、達也が本気で害虫駆除とテロリスト退治を同列視しているということが、何となく分かった。
氷刃の如き眼差しで、理解させられた。
「……ゴキブリ駆除なんてHAR任せだけどね」
エリカの飛ばした然して気の利いていないジョークで、何とか雰囲気が常温に戻った。
「しかしお兄様。どうやって『ブランシュ』の拠点をつきとめればいいのでしょうか?
壬生先輩がご存知の中継基地はとうに引き払われているでしょうし、大した手掛かりが残っているとも思えませんが」
「そうだな。
残っていない、というよりも、最初から手掛かりになるようなものは何も置かれていなかっただろうね」
「では?」
手掛かりがないと言いながら、それほど困った様子の無い兄に、深雪が答えを促す。
「分からない事は、知っている人に聞けば良い」
「……知っている人?」
「心当たりがあるのか、達也?」
エリカとレオの問いには答えず、達也は黙って、出入り口の扉を開いた。
「小野先生?」
真由美の声に、困惑交じりの曖昧な笑みを浮かべたのは、パンツ・スーツ姿の遥だった。
「……九重先生秘蔵の弟子から隠れおおせようなんて、やっぱり、甘かったか……」
苦笑い混じりながらも、悪びれの無い声で話しかけた相手は、達也。
「隠れているつもりも無かったでしょうに。
あんまり嘘ばかりついていると、その内、自分の本心さえも分からなくなりますよ」
「気をつけておくわ」
達也に招き入れられる形で、遥はベッド脇まで歩み寄った。
身を屈めて、ベッドに腰を下ろした紗耶香と、目線を合わせる。
「もう大丈夫みたいね」
「小野先生……」
「ごめんなさいね、力になれなくて」
首を横に振る紗耶香の肩に手を置いて、その瞳を少しの間じっと覗き込んでから、遥はベッドを離れた。
「遥ちゃんが、ブランシュとかいう連中の居所を知っているのか?」
誰だ?、というベタなボケは、流石に無かった。
その代わり、聞いたことの無い、発言者にもそぐわない、妙な呼称が聞こえて来た。
「遥ちゃん?」
「あれっ? 達也、知らないのか?」
当然の疑問かと思ったのだが、逆に訊き返されて、達也は何と返せばいいのか戸惑ってしまう。
「クラスの連中は皆、そう呼んでるぜ?
遥ちゃんも、それで構わないって言ってるし」
「皆じゃないわよ。そんな呼び方してるのは、一部の男子だけ。
達也くん、騙されちゃダメよ」
「あ、ああ……」
思わぬ寸劇で、緊張感が大暴落していた。
だが、下手に緊張し過ぎるよりはこの方が良いかもしれないと、達也は思い直した。
――多分に、自分を納得させる為の成分が混じっていたが。
「――さて、小野先生」
「遥ちゃんで良いのに」
まさかと思った本人のボケに、挫けそうになる心のテンションを、何とか維持する。
「……小野先生。事ここに至って、知らない振りはありませんよね?」
「ノリが悪いのね」
「…………」
「……オッホン」
達也の向けた真っ白な視線に、流石に拙いと思ったのか、一つ咳払いして――それも必要以上に芝居がかっていたが――遥は居住まいを改めた。
「地図を出してもらえないかしら。その方が早いから」
達也は無言で情報端末を取り出した。
スクリーンを展開し、地図アプリを呼び出す。
遥も――達也の物より随分華奢でお洒落な感じだったが――端末を取り出し、指向性光通信を作動させた。
送信された座標データに従い、地図が立ち上がり、マーカーが光る。
「……目と鼻の先じゃねえか」
「……舐められたものね」
徒歩でもここから、一時間は掛からない距離。
縮尺を下げ、詳細表示に変える。
そこは、街外れの丘陵地帯に建てられた、バイオ燃料の廃工場だった。
「……環境テロリストの隠れ蓑であることが判明して、夜逃げ同然に放棄された工場ですね」
添付データを達也が読み上げる。
「当局が気付かないうちに、舞い戻っていたということかしら」
「根は同じだと?」
形式は質問だったが、摩利も、真由美と同じ考えである事は、その表情から分かる。
「放置されているところを見ると、劇毒物の持ち込みはないようだな」
「ええ。私たちの調査でも、BC兵器は確認されていないわ」
克人の呟きに、遥が頷く。
「車の方が良いだろうな」
「魔法では探知されますか?」
「探知されるのは一緒さ。
向こうは、俺たちのことを待ち構えているだろうから」
「正面突破ですね?」
「それが一番、相手の意表をつくことになるだろうな」
達也はともかく、深雪までもが当たり前のように好戦的な台詞を口にして、攻略の方針を決めて行く。
「そうだな。妥当な策だ。
車は、俺が用意しよう」
「えっ?
十文字くんも、行くの?」
真由美の疑問は、達也も共有するものだった。
克人は、配下の参戦を否定しながら、自分だけは前線に赴くタイプには見えない。
「部活連会頭として行くのではない。
第一高校生徒として行くのでもない。
これは、十師族に名を連ねる十文字家の者としての務めだ」
「……じゃあ、」
「七草。お前はダメだ」
「真由美。この状況で、生徒会長が不在になるのは拙い」
二人掛かりの説得に、真由美は不承不承ながら、頷く。
「司波、すぐに行くのか?
このままでは、夜間戦闘になりかねないが」
「そんなに時間は掛けません。
日が沈む前に終わらせます」
「そうか」
達也の態度に、何事か感じるものがあったのだろう。
克人はそれ以上何も訊こうとせず、車を回す、と言い残して保健室を出て行った。
「会頭と会長が十師族なのは分かったけどよ……遥ちゃんって、何者なんだ?」
「その話は後だ。行くぞ」
敢えて誰も口にしていなかったレオの質問は、達也によって棚上げにされた。
達也、深雪に続き、レオとエリカが保健室を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇
車は、オフロードタイプの大型車だった。
そしてその助手席には、追加のメンバーが座っていた。
「桐原先輩」
「よう、司波兄。
あんまり驚かねえのな」
「……いえ、十分驚いてますよ」
主に、その呼び方に、とは、口にせぬが花だった。
「司波兄、俺も参加させてもらうぜ」
「どうぞ」
一体どういう心境で桐原がこのようなことを言い出したのか、達也には分からない。
だが、押し問答するには、時間が惜しかった。
それに、桐原が大怪我をしようと命を落とそうと、達也には関係のないことでもあった。
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