この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
新入部員勧誘(争奪?)週間の終了で、入学関連のイベントは一段落。
達也たちのクラスでも、今日から魔法実習が始まった。
本格的な魔法の専門教育は高校課程からだが、入学試験に魔法実技が含まれていることからも分かる通り、生徒たちは入学時点である程度の魔法スキルを身に付けている。
授業もそれを踏まえて行われるから、いくら基礎から体系的に教え直すといっても、実技が苦手な生徒は入学早々ついて行けなくなってしまうということも起こる。
一科、二科の区分けは、ある側面から見れば、この格差を考慮して双方に悪影響が出ないようにする合理的なものだった。――それが、一方の切り捨てであったとしても。
◇◆◇◆◇◆◇
「940ms(ミリ秒)……達也さん、クリアです!」
「やれやれ……三回目でようやくクリアか」
我が事のように目を輝かせて喜ぶ美月に、達也は疲れ気味の笑顔で答えた。
現在、達也たちのクラスは、初めての魔法実技の授業真っ最中。
基礎単一系魔法の魔法式を制限時間内にコンパイルして発動する、という課題を、二人一組になってクリアするのがその内容だ。
起動式を読み込み、無意識領域内に設定された魔法演算領域で魔法式に変換して発動する。
これが現代魔法のシステム。
このスキームの中で、機械に記録可能なデータである起動式を機械には再現不能な魔法式に変換するプロセスを、情報工学の用語を流用して「コンパイル」と呼んでいる。
現代魔法は、魔法発動に必要な工程をデータ化して起動式に記録し、これを魔法式に変換するというスキームで正確性・安定性・多様性を実現した。
その代償として、念じただけで現象を書き換える、「超能力」の持っていた速度を犠牲にした。
魔法式の構築という余分な工程を介在させる以上、これはもう、どうしようもないことだ。
魔法式の構築時間をゼロにすることは出来ない。
――が、限りなくゼロに近づけることは出来る。
現代魔法が魔法式構築の速度を重視するのは、このような背景による。
CADも元々は起動式を記録する為だけのストレージ機器だったが、すぐに魔法発動高速化に力点が置かれるようになった。
今日の授業で使っているCADは、個人別の調整が不要である代わりに高速化支援の機能は全く組み込まれていない。この、ある意味で原点なCADを使って、コンパイルの高速化を練習するのが今日の実習の目的だった。
ペアの一方がクリアできないともう一方も自動的に居残りとなる。美月は一発クリアだったので、達也としてはホッと一息、胸を撫で下ろしたところだった。
「でも意外でした。
達也さん、本当に実技が苦手だったんですね……」
今日の課題のような単一系統・単一工程の魔法であれば、起動式の展開完了・読込開始から起算して魔法の発動まで500ms以内が、魔法師として一人前と呼べる目安とされている。
1000msを切るのに三回の試技を必要とした達也は、お世辞にも優秀とは言えない。
「意外って、結構何度も自己申告したと思うけど?」
「確かにお聞きしましたけど……謙遜だとばかり。
だって達也さんみたいに何でも出来る人が、実技が苦手だなんて」
心底不思議そうに首を傾げる美月に、達也は苦笑を漏らしてしまった。
――他に表情の選択余地が無かったのだ。
「……自分で言うのも何だけど、実技が人並みに出来ていたら、このクラスにはいなかっただろうね」
なるべく嫌みにならないよう、口調には気をつけた。その甲斐あってか、あるいは無用な気遣いだったか、美月は素直に頷いた。
「そうですね。
もし達也さんが実技も得意だったら……ちょっと完璧過ぎて、近寄り難かったかもしれません」
そう言って、美月は屈託のない笑みを浮かべた。
自分が彼女と同じように笑えているか、達也は少し、気になった。
「でも、達也さん……口惜しくは、ないんですか?」
「……何が?」
再び小首を傾げた表情には何も含むところが見当たらず、だからこそ達也は、彼女の質問に答える気になった。
「本当は実力があるのに、実力が無いみたいに評価されるなんて、普通なら口惜しいと思うんです。
私なら、口惜しくて仕方ないと思います。私に達也さんくらいの力があれば、ウィードなんて見下されて、とても平気でいられないと思うんですけど……達也さん、余り気にしてないみたいだから……」
非常に答え難い質問だった。
美月の性格からして、悪い噂を流すとか誰かに告げ口するとか、そういう真似をするとは考えられないが、納得のいく答えを返そうとすれば、彼が抱え込んでいる個人的事情にある程度踏み込まなければならない。
「処理速度も実力だよ。
それも、重要なファクターだ。
コンマ一秒が生死を分けるような事態だって、皆無ではないからね」
結局、達也は建前論を選択した。
美月がただの二科生であれば、それで納得させられただろう。
だが、彼女は、
「実践を想定するなら、達也さん、本当はもっと速く発動できるんでしょう?」
特別な「眼」の持ち主だ。
「……何故そう思う?」
こんな訊き方をすること自体、相手の発言を認めるもの、相手に言い負かされているのを認めるようなものと分かってはいたが、動揺した頭はそれ以上の応答を演算してはくれなかった。
「さっきの実技ですけど、達也さん、三回とも凄くやり難そうでした。
母が翻訳家をしているんでこういう言い方になるんですけど、まるで、英語の質問に英語で考えて英語で答えられる人が、無理やり日本語で回答してそれを英訳することを要求されているみたいで。
それに最初の試技のとき、達也さん、一旦構成し掛けた魔法式を破棄してコンパイルをやり直してたでしょう?
タイミング的に見て、起動式の読込と最初の魔法式の構築が並行していました。
あれを見て思ったんです。
達也さんって、この程度の魔法なら、起動式を使わずに直接魔法式を構成できるんじゃないかって」
頭の芯がスッと冷えた。
動揺がピークを超えて、逆に平常心を取り戻す。
動揺すること自体が少ない達也にとっては、滅多にない体験だった。
「そこまで見られていたとは思わなかった。
流石は天眼通の持ち主……」
今度は美月の顔がサッと蒼褪めた。
少し意地の悪い言い方だったか、と達也は微かに口の端を吊り上げた。
「確かに、基礎単一系程度なら、直接魔法式を組むことでもう少し速く発動できるよ。
でもその手が使えるのは工程の少ない魔法だけだ。俺には五工程が限界だな」
現代魔法において工程という言葉には、魔法を発動するプロセスそのものと、目的とする現象改変を行う為に組み合わせられた複数の魔法の、一つ一つの魔法処理の二通りの意味を持つ。ここで達也が言っている「五工程の魔法」は、五つの魔法処理を組み合わせて一つの現象改変を行う術式を意味している。
例えば卵をキッチンからテーブルへ魔法で移動させる場合、加速、移動、加速、移動の四工程が必要となる。
移動魔法は物体の速度と線形の座標を書き換える魔法であり、加速の工程を省略すると対象物に慣性を無視した加速が掛かる。卵であれば、割れてしまう。
移動の工程を省いて加速と減速だけで処理しようとすると、卵は放物線軌道で飛んでいくことになり、恐ろしく精密な減速制御が必要になる。工程が増えても加速魔法である程度まで減速をかけて、移動魔法で速度をゼロにする方が容易なのだ。
これに対して、対人戦闘で相手を吹き飛ばす魔法は、移動の単一工程で完結する。元々相手にダメージを与えることが目的なのだから、衝撃を緩和する為の工程は必要ない。
「五工程あれば、戦闘用には十分だと思うんですけど……」
一般論で言えば、民生用魔法は戦闘用魔法より多段階の工程が必要とされる。
美月の言うように、単一工程から五工程の魔法で戦闘用魔法の大半はカバーされるだろう。
「俺は、戦闘用に魔法を学んでいるんじゃないからね。
多段階工程の魔法を使いこなす為にはやはり起動式が必要で、その処理速度が劣っていることに対して相応の評価を受けるのは仕方の無いことだと納得しているよ」
そう言って、もう一度微笑んで見せると、美月は何故か、眼を潤ませて彼を見上げていた。
「?」
「凄いです、達也さん……尊敬します……」
胸の前で指を組んで、うっとりとした口調で、美月は(達也にとって)聞き捨てならないことを口走った。
「はっ?」
「魔法が使えるから魔法師になる……それが普通なのに、達也さんはちゃんと自分の目的を持って、その為に魔法を学んでいるんですね……」
「いや、まあ、確かにその通りだけど……」
「私、心を入れ換えます!」
「えーっと……」
「私は元々、この『眼』を治す為に魔法を勉強しているだけで、将来、魔法を使って何をしたいかなんて深く考えたことは無かったんですけど、これからしっかり、考えてみます!」
「もしもし、美月さん?」
「そうですよね、目的をしっかりと持っていたら、少し中傷されたくらいで挫けたりしませんよね。
自分の人生にとって大切な目標が達成できれば、学校の成績なんて副次的なものですよね。
それって、生き甲斐ですよね。
人は、自分だけの生き甲斐を求めて……」
「ちょっと、美月。なにエキサイトしてるの?」
美月の独演会は――授業中であるにも関わらず――エリカのツッコミが入るまで続いた。
クラスメイトから向けられた奇異の目――というより、白い眼差しに、赤面して俯く。
美月のそんな姿を眺めながら、達也は皮肉な気分が面に現れないよう、慎重に表情を作っていた。
生き甲斐?
そんな、上等なものではなかった。
魔法と関わらない生き方など、彼には選びようがなかった。
魔法が使えるから魔法師になるのではなく、魔法が使えないのに魔法師にされた。
彼にとって魔法とは、誕生の瞬間にかけられた呪いだった。
それを何とか、自分にとって許容できるものへ変えようと、足掻いているだけに過ぎない。
しかし――魔法が使えるから魔法師になる、それが普通であるなら、魔法師の卵が魔法を否定することも決して難しくは無い。
自分は少し、思い違いをしていたのかもしれない。
――そう、思った。
◇◆◇◆◇◆◇
そして昼休み。
達也は結局、居残りをしていた。
――エリカとレオに懇願されて。
「1060ms……ほら、頑張れ。もう一息だ」
「と、遠い……0.1秒がこんなに遠いなんて知らなかったぜ……」
「バカね、時間は『遠い』とは言わないの。それを言うなら『長い』でしょ」
「エリカちゃん……1052msよ」
「あああぁ!
言わないで!
せっかくバカで気分転換してたのに!」
「ご、ごめんなさい……」
「ううん、いいのよ美月。
どんなに厳しくても、現実は直視しなくちゃいけないものね……」
「……テメエの三文芝居なんざどうでもいいが、いい加減、人を玩具にするのは止めやがれ」
エリカとレオは、授業時間中に仲良く一秒をクリアできなかった。
それで、達也にコーチを頼んだのである。
「レオはさ、照準の設定に時間が掛かり過ぎてるんだよ。
こういうのは、ピンポイントに座標を絞る必要は無いんだ」
「分かっちゃいるんだけどよ……」
弱音を隠す余裕も無くなったレオに、達也は同情を込めて頷いた。
「まあ、そうだろうけどな……
仕方が無い。裏技になるが、先に照準を設定してから、起動式を読み込んでみたらどうだ」
「えっ? そんなことができるのか?」
「だから、裏技だ。応用の利かない、所詮はその場しのぎだから、余り教えたくは無いんだが……」
「そんな!? 頼む、達也! この際、裏技でもカンニングでもいいから教えてくれ!」
頭上で両手を合わせて拝み込むレオに、達也は深々とため息をついた。
「人聞きの悪いことを言うな。別に、不正をする訳じゃない。
……ったく、俺も実技は苦手だって言ってるのに。教わるんなら、もっと上手いヤツに声をかけた方が良かったんじゃないか?」
「苦手って言っても、俺より上手いじゃないか。
それにコンパイルの仕組まで分かって、何処が悪いのかまで指摘できるようなヤツはお前だけだ」
「おだてなくても教えてやるって……
それから、エリカの方だが……」
「なになに? 裏技でもカンニングでも不正でもいいからお願いします!
いい加減、お腹空いたよぉ」
「だから、二人揃って人聞きの悪いことを言うな。
エリカの方は、何処が悪いのか分からない」
「ええぇ!?」
「正確に言うと、何で出来ないのか分からない。
俺より余程、スムーズにコンパイルできているのにな」
「そんなぁ! 達也くん、見捨てないでよ」
涙目になって――多少、芝居がかっていたが――祈るように指を組み合わせて上目遣いに眼差しで縋り付いてくるエリカに、ため息をもう一つ。
この二人、行動パターンがそっくりだ、と達也は思ったが、口にしたのは別の言葉だった。
「そこでだ。エリカ、起動式を読み込むとき、パネルの上で右手と左手を重ねてみてくれ」
「えっ?」
その言葉を聞いて、エリカだけでなく美月もポカンとした表情を浮かべた。
「……それだけでいいの?」
「俺も、確信がある訳じゃない。だから理由は、上手く行ったら説明するよ」
「う、うん……やってみる」
疑問はとりあえず棚上げにして、据付型のCADに向かうエリカ。
それを見て、達也はレオに裏技のレクチャーを始めた。
◇◆◇◆◇◆◇
「1010ms。
エリカちゃん、一気に40も縮めたわよ!
本当に、もう一息!」
「よ、よーし!
なんだか、やれる気になってきた!」
「1016。
迷うな、レオ。的の位置は分かっているんだ。一々目で確認する必要は無い」
「わ、分かったぜ。
よし、次こそは!」
達也と美月が計測器をリセットしている傍らで、目を閉じる、腕を振り回す、それぞれの方法で精神を集中し、気合を高めるエリカとレオの二人。
その背後から、
「お兄様、お邪魔してもよろしいですか……?」
遠慮がちな声が掛けられた。
「深雪、……と、光井さんに北山さんだっけ?」
「エリカ、気を逸らすな。
すまん、深雪。次で終わりだから、少し待ってくれ」
「いっ?」
「分かりました。申し訳ございませんでした、お兄様」
さり気なく掛けられたプレッシャーに、レオの顔が引き攣った。
深雪が後続の二人に合図してドアの陰に身を隠す。
それを見て、達也は小さく頷いた。
「よし、二人とも、これで決めるぞ」
声を張り上げた訳ではない、が、有無を言わせぬ口調。
「応!」
「うん! これで、決める!」
二人は気合を漲らせて、CADのパネルへ向かった。
◇◆◇◆◇◆◇
「ようやく終わった〜!」
「ふう……ダンケ、達也」
レオの謝辞に片手で応え、達也は深雪に声を掛けた。
笑顔を浮かべて歩み来る深雪。
遠慮がちながら、二人のクラスメイトもその後に笑顔で続く。
「二人とも、お疲れ様。
お兄様、ご注文の通り揃えて参りましたが……足りないのではないでしょうか?」
「いや、もう余り時間も無いし。
深雪、ご苦労様。光井さんと北山さんもありがとう。手伝わせて悪かったね」
「いえ、この程度のこと、何でもないです!」
「大丈夫。私はこれでも力持ち」
達也はもう一度礼を言って、三人からビニール袋を受け取った。
「ほら」
そして、エリカとレオに向かって、そのまま差し出す。
「なぁに?」
「サンドイッチ……か?」
袋の中身は購買で売っているサンドイッチと飲み物だった。
「食堂で食べてると午後の授業に間に合わなくなるかもしれないからな」
そう言いながら、達也は深雪から弁当箱を受け取っていた。
「ありがと〜! もうお腹がペコペコだったのよ!」
「達也、お前って最高だぜ!」
現金な友人たちに苦笑を浮かべながら、達也は近くの椅子に腰を下ろし、美月にも遠慮しないよう声を掛けた。
「……でも、いいんでしょうか? 実習室での飲食は禁止なのでは?」
「飲食が禁止されているのは情報端末を置いてあるエリアだけだよ。
校則では、教室内の飲食も特に禁止されていない」
「えっ、そうなんですか?」
「そうなんだよ。俺も禁止されているものだとばかり思い込んでいたから、少し意外だった」
箸を取りながら悠然と答える達也に、「それなら」と美月も手を伸ばす。
「へぇ……そうと分かれば遠慮なく」
「アンタは最初から遠慮なんてしてないでしょ」
和気藹々と(?)テーブル……は無いから適当に椅子を寄せて、遅い昼食を摂り始める達也たち居残り組一同。
深雪たち差入組も、飲み物だけ持って、その輪に加わった。
「深雪さんたちは、もう済まされたんですか?」
「ええ。お兄様に、先に食べているように言われたから」
「へぇ、チョッと意外。
深雪なら『お兄様より先に箸を付けることなどできません』とか言うと思ったのに」
ニコニコ、と言うより、ニヤニヤと笑いながらエリカが茶々を入れる。
本気でないのは、顔を見れば分かった。
――唯一人を除いて。
「あら、よく分かるわね、エリカ。
いつもならもちろん、その通りなのだけど、今日はお兄様のご命令だったから。
わたしの勝手な遠慮で、お兄様のお言葉に背くことはできないわ」
「……いつもなら、そうなんだ……」
「ええ」
「……もちろん、なのね……?」
「ええ、そうよ?」
笑顔が引き攣り気味になっているエリカに、深雪は真顔で小首を傾げる。
妙な重量感を増していく空気を振り払うように、美月が不自然にトーンの高い声を発した。
「深雪さんたちのクラスでも実習が始まっているんですよね?
どんなことをやっているんですか?」
ほのかと雫が顔を見合わせる。
遠慮と気まずさが入り混じった表情だ。
そんなクラスメイトの態度と裏腹に、深雪は勿体も付けず、ストローから唇を離して即答した。
「多分、美月たちと変わらないと思うわ。
ノロマな機械をあてがわれて、授業以外では役に立ちそうも無いつまらない練習をさせられているところ」
達也を除いた五人が、ギョッとした表情を浮かべた。
淑女を絵に描いたような外見にそぐわない、遠慮の無い毒舌に。
「ご機嫌斜めだな」
「不機嫌にもなります。
あれなら一人で練習している方が為になりますもの」
笑いながら、からかい気味に掛けられた兄の言葉に、拗ねた顔と声で、それでも少し甘えていることが第三者にも分かる態度で、深雪は答えた。
「ふ〜ん……手取り足取りも良し悪しみたいね」
「恵まれているのは認めるわ。
気を悪くしたのだったら、ごめんなさい」
「やっ、少しも気を悪くなんてしてないから」
真面目な顔で頭を下げる深雪に、エリカは軽く、手を振った。
「見込のありそうな生徒に手を割くのは当然だもの。
ウチの道場でも、見込のないヤツは放っとくから」
「エリカちゃんのお家って、道場をしているの?」
「副業だけど、古流剣術を少しね」
「あっ、それで……」
納得顔で頷く美月。
エリカが伸縮警棒で、森崎のCADを叩き落した時のことを思い出したのだろう。
「千葉さんは……当然と思っているの?」
そこへ、おずおずと口を挟んだのは、ほのかだった。
「エリカで良いよ。
いや、寧ろそう呼びなさい」
「なんでオメエは、そういつも偉そうなんだよ……」
呆れ声のツッコミは、ほのかにとってちょうど良い「間」になったようだった。
「じゃあエリカ、私のことも、ほのかで」
「オーケーおーけー。
それで、当然と思うかって、一科生には指導教官がついて、二科生にはつかないことかな?」
「……そう、そのこと」
「だったら、当然だよね。
当たり前のことなんだから、深雪やほのかが引け目を覚える必要は無いんだよ?」
「……やけにあっさりしてるな」
「あれ? もしかしてレオ君は、不満に思っているのかな?」
「いや、俺だって仕方が無いことだと思っているけどよ……」
「そっか〜
でもあたしは、『仕方が無い』じゃなくて『当然』だって思ってるんだけどな」
「……理由を訊いても良い?」
ほのかの質問に、エリカはちょこんと首を傾げた。
少し考えをまとめているらしき沈黙の後に、こめかみを人差し指で掻きながら口を開いた。
「ウ〜ン……今まで当たり前のことだと思ってたから、説明が難しいなぁ……
例えばね、ウチの道場では、入門して最低でも半年は、技を教えないの」
「ほぉ」
興味深げに頷いたのは達也。
ほのかや雫や美月は、頭上にハテナマークを浮かべている。
「最初に足運びと素振りを教えるだけ。
それも一回やって見せるだけで、後はひたすら素振りの繰り返しを見ているだけ。
そして、まともに刀を振れるようになった人から技を教えていくの」
「……それじゃあ、いつまで経っても上達しないお弟子さんも出てくるんじゃない……?」
「いるね〜、そういうの。
そして、そういうヤツに限って、自分の努力不足を棚に上げたがるんだな。
まず、刀を振るって動作に身体が慣れないと、どんな技を教わっても身に付くはずが無いんだけどね」
「あっ……」
「そしてその為には、自分が刀を振るしかないんだよ。
やり方は、見て覚える。
周りに一杯、お手本が居るんだから。
教えてくれるのを待っているようじゃ、論外。
最初から教えてもらおうって考え方も、甘え過ぎ。
師範も師範代も、現役の修行者なんだよ?
あの人たちにも、自分自身の修行があるの。
教えられたことを吸収できないヤツが、教えてくれなんて寝言こくなっての」
思いがけずエキサイトして罵詈雑言を繰り出しているエリカを、達也は興味深そうに眺めている。
「……お説はごもっともだと思うけどよ、俺もオメエも、ついさっきまで達也に教わってたんだぜ……?」
「ア痛!
それを言われると辛いなぁ」
レオの指摘に顔を顰めつつ、あっけらかんとした調子は変わらない。
「それはそれ、背に腹は代えられない、ってことも確かにあるけどさ……教わるには、教わる相手に相応しいレベルがないと、お互いに不幸だって思うのよ。
まっ、一番の不幸は、教える側が、教えられる側のレベルについていけないことなんだけどね」
ここでパチリと、意味ありげなウインク。
達也はニヤリと、人の悪い笑みを返した。
「残念ながら、今日は不幸な結果に終わったな。
最終的な記録は、俺よりエリカの方が100ms以上、速かった」
エリカのこめかみから、一筋の冷や汗が流れる。
「あ、いや、あたしは、そういうことを言っているのでは……
そ、そういえば、さっきの種明かしを聞いてない!
ねえ、何で手を重ねて置いただけで、あんなにタイムが上がったの?」
強引な話題転換。
話を逸らそうとしているのは誰の目にも明らかだが、突っ込み過ぎると後々しこりを残しそうな話題なので、達也は大人しく逸らされることにした。
「なに、単純なことだ。
エリカは片手で握るスタイルのCADに慣れている。
だから、両手をパネルに置くスタイルの授業用CADには、スムーズにアクセスできないんじゃないかと思っただけだよ」
「それで、両手を重ねさせて、接点を片手にしたんですね……」
「片手を置くスタイルでも良かったんだが、手を重ねるスタイルの方が気合が入るんじゃないかと思ってね。
要するに、気分の問題だ」
「……なるほど、あたしはまんまと達也くんに乗せられたのね」
空ろな笑いを漏らすエリカ。
その脱力具合が漫画チックで、皆が釣られ笑いを溢した。
「なーんか、気が抜けちゃったな……
そうだ。
深雪もこれと同じCADを使ってるんでしょ?」
「ええ」
頷きながら嫌悪感を隠そうとしない深雪に、エリカは好奇心をかき立てられた。
「ねえ、参考までに、どのくらいのタイムかやってみてくれない?」
「えっ、わたしが?」
自分を指差し、目を丸くする深雪に、エリカはわざとらしく、大きく、頷いた。
達也に目で問い掛ける深雪。
苦笑いを浮かべながら頷く兄を見て、深雪は躊躇いがちながら、承諾の応えを返した。
機械の一番近くに居た美月が、計測器をセットする。
深雪はピアノを弾くときの様に、パネルに指を置いた。
計測、開始。
サイオンが閃き、
美月の顔が強張る。
いつまで経っても結果を告げない友人に焦れたのか、エリカが結果発表を催促した。
「……235ms……」
「えっ……?」
「すげ……」
そしてたちまち、表情筋の硬直が伝染する。
「何回聞いても凄い数値よね……」
「深雪の処理能力は、人間の反応速度の限界に迫っている」
ため息を漏らしたのはA組の生徒も同じ。
ただ、その兄だけが驚いていない。
そして本人は、不満そうに眉を顰めている。
「旧式の教育用ではこんなものだろう。仕方がないよ、深雪」
「こんな雑音だらけで洗練の欠片もない起動式を受け入れなければならないなんて……本当に、嫌になってしまいます。
やはり、お兄様に調整していただいたCADでないと、深雪は実力を出せません」
「そう言うな。もう少しまともなソフトに入れ換えてもらえるように、その内、会長か委員長から学校側に掛け合ってもらうから」
拗ねるように、甘えるように身を寄せる深雪の頭を、幼い子供にするように、達也は優しく撫でている。
その光景を見ても、いつものように、当てられることはなかった。
目の前で見せられた実力と、兄妹の間で交わされた会話。
この格差を前にすれば、嫉妬という感情自体が、バカバカしいものだった。
◇◆◇◆◇◆◇
放課後のカフェを行き交う生徒たちを、達也はぼんやり眺めていた。
ぎこちない雰囲気が漂っているのは、新入生の利用が多い為か。
摩利に聞いた話では、入学直後が最も学内カフェの利用率が高いらしい。
慣れてくると、部室や中庭や空き教室等のたまり場を見つけて、足が遠のくのだそうだ。
まあ、営利でやっている店ではないから、客足が薄くても問題は無いのだろう。
テーブルの上のコーヒーは、既に冷めてしまっている。
先日とは逆の立場、逆のパターン。
自分を監視している視線を鬱陶しく感じながらも、待ち人の到来に注意を向ける。
約束から、十五分。
彼女はようやく現れた。
「ごめん! 待ったでしょう?」
「大丈夫です。連絡を貰ってましたから」
無理をしている訳ではない。
達也の端末には、確かに、十分前後遅れる旨の伝言が入っていた。
もっとも、着信があったのは待ち合わせ五分前で、既に予定を組み替えられるタイミングではなかったが、十分や二十分、待った内に入らない、という程度には、達也は気が長かった。
「そう、よかった……
怒って帰ってたらどうしようかと思っちゃった」
大袈裟に胸をなでおろす紗耶香。
どうやら今日も「可愛らしい女の子」モードらしい。
彼女の演技指導役は、自分のことを一体どういう趣味だと思っているのだろう、と達也は首を傾げた。
「どうしたの?」
不思議そうな声。
どうやら、動作に表れてしまったようだ。
「大したことじゃありません。先輩が時々『可愛らしい女の子』になるので、剣を握っているときとのギャップを感じたんですよ」
「やだ……もう、からかわないでよ」
慌て気味に、目を逸らされた。
これは、彼女の素の反応か、それとも作られた仕草か。
彼には判別がつかない。
残念ながら、探りは不発に終わったようだ。
「すみません」
笑いを含みながら、謝罪。
これは、彼の演技だ。
自信は、余り、無いのだが。
「もう……司波君って、本性はナンバ師なの?」
「魔法師ではありませんね、今のところは、まだ」
冷め切ったコーヒーに口をつける。
言葉遊びはお終い、という合図。
紗耶香に通じるかどうかは分からなかったが、腰を落ち着け直したところを見ると、こういう機微には敏い性質らしい。
「一昨日の話なんだけど……」
達也がカップをテーブルに戻したところで、紗耶香の方から本題を切り出した。
「最初は、学校側にあたしたちの考えを伝えるだけで、良いと思ってた」
腕がピクッと震えたのは、テーブルの下で拳を握り締めでもしたからだろうか。
「でも、やっぱり、それだけじゃダメだって分かった。
あたしたちは、学校側に待遇改善を要求したいと思う」
随分踏み込んだな、というのが達也の印象だった。
本気なのか、それとも彼を引き込むハッタリなのか。
ハッタリだとすれば、逆効果だが。
「改善というと、具体的に何を改めて欲しいんですか?」
「それは、……あたしたちの待遇全般よ」
「全般と言うと、例えば授業ですか?」
「……それもあるわ」
「一科と二科の主な違いは指導教員の有無ですが、そうすると先輩は、学校に対して、教師の増員を求めているのですか?」
そんなことは不可能だ。
元々、有効レベルで魔法を行使できる成人が不足しているからこその国策学校。
二科制度も、魔法師、魔工技師の供給を確保する為の、ある意味無理を承知の施策だ。
「そこまで言うつもりは無いけど……」
案の定、返って来たのは歯切れの悪い否定。
「では、クラブ活動ですか?
剣道部には、剣術部と共用とは言え、専用の体育館が割当てられているはずですが」
昨日調べてみた限りでは、意外なことに、剣道部と剣術部の利用日は、平等に割当てられている。
「それとも、予算の問題ですか?
確かに魔法競技系クラブにはそうでないクラブに比べて予算が多く割当てられていますが、活動実績に応じた予算配分は普通科高校でも珍しくないと思いますが」
「それは……そうかも知れないけど……
じゃあ、司波君は不満じゃないの?
魔法実技以外は、魔法理論も、一般科目も、体力測定も、実戦の腕も、全ての面で一科生を上回っているのに、ただ実技の成績が悪いというだけでウィードなんて見下されて、少しも口惜しくないの?」
必死に言い募る紗耶香の姿に、達也は軽い苛立ちを感じた。
彼の不満も無念も、彼女自身の想いとは関係のないことだ。
変えたいと思っているのが彼女自身なら、何故自分の想いを語らないのか。
「不満ですよ、もちろん」
だから彼は、
「じゃあ!」
「ですが、俺には別に、学校側に変えてもらいたい点はありません」
自分自身の想いを、語る。
「えっ?」
「俺はそこまで、学校というものに期待していません」
僅かに一欠片ではあるが、紛れもない本心を。
「魔法大学系列でのみ閲覧できる非公開文献の閲覧資格と、魔法科高校卒業資格さえ手に入れば、それ以上のものは必要ありません。
ましてや、学校側の禁止する隠語を使って中傷する同級生の幼児性まで、学校の所為にするつもりはありません。
残念ながら先輩とは、主義主張を共有できないようです」
そう言って、達也は席を立った。
「待って……待って!」
振り返ると、椅子に座ったまま――もしかしたら、立ち上がることができず――蒼い顔で、縋りつく様な眼差しで、紗耶香が彼を見上げていた。
決して、睨みつける、ではなく、真摯な、必死な視線だった。
「何故……そこまで割り切れるの?
司波君は一体、何を支えにしているの?」
「俺は、重力制御型熱核融合炉を実現したいと思っています。
魔法学を学んでいるのは、その為の手段に過ぎません」
紗耶香の顔から表情が抜け落ちた。
多分、何を言われたのか、理解できなかったのだろう。
理解してもらいたいと思って告げた言葉でもない。
達也は構わず、再び、背を向けた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。