福島のニュース

「リンゴつぶすしか…」 風評終わり見えず 新地の果樹農家

草刈り機でリンゴをつぶす畠さん。「ことしは豊作で、大きさも甘さも最高なのに」と悔しがる=福島県新地町

 震災や原発事故に立ち向かう人を紹介する「ふんばる」。歩み続けながらも、壁の厚さに阻まれ、不安な年の瀬を迎える人もいる。福島県新地町で果樹園を経営する畠米七さん(49)は10月、直売所に自慢のリンゴを並べた(10月23日付)。「福島の農家は一番の被災者。なぜ悪者になり、出荷もできないのか」。原発事故による風評被害と闘い、販売のためのあらゆる努力を続けた。
 21日、阿武隈山地のふもとのリンゴ畑に甘い香りが漂っていた。ジャムのようにつぶされたリンゴが畑を覆う。売れ残り、こうするしかなくなった。
 「本当においしいリンゴなのに…。罪悪感とむなしさで吐き気がしてくる」。大切に育て立派に実ったリンゴを、畠さんは草刈り機でつぶす作業を続ける。処分量は約20トンにも上る。
 「風評被害も時間がたてば収まると思っていたが、甘かった」
 原発から北へ約50キロ。新地町の山沿いに畠さんの「バンビりんご七印園芸」がある。
 6月から食と農業の認証団体を活用して、リンゴや土に含まれる放射性物質を繰り返し検査した。土壌改良材にセシウムを吸収させ、7月末には不検出になった。その結果を知らせながらリンゴの販売に取り組んできたが、結局は駄目だった。
 「自分の家で食べるのは買うけれど、贈答用は宮城県山元町のリンゴにした。ごめんね」。直売所を訪れた地元の人に、そう言われたことがある。県境を挟んですぐ隣同士なのに、新地町のリンゴは買ってもらえない。
 「ようやく経営が安定してきたと思ったら、原発の事故。ショックです」。畠さんの父親栄七さん(83)が言う。栄七さんはもともと、福島市の飯坂地区で果樹を栽培していた。
 飯坂は昔から果物の大産地だが、浜通りの新地町にはリンゴもモモもなかった。海に近い場所でも何とか栽培できないかと、苦労を重ねてきた。
 親子二代で築き上げたリンゴ園。「賠償してもらえるのかどうか。それを確認してから来年どうするか、家族と相談しないといけない」
 畠さんは今、次の一歩を見いだせずにいる。
(佐藤夏樹)


2011年12月29日木曜日


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