杉内流出問題で注目を集めたソフトバンク小林氏だけじゃない 東大出身のプロ野球選手
前ソフトバンク杉内俊哉投手(31)の巨人への流出を許した発端をつくったとして、取締役兼執行役員編成育成部長を引責辞任し、海外担当兼中長期戦略担当部長に降格させられたソフトバンク小林至氏(43)。
その小林氏は東大出身のエリートとあって、注目を集めたが、過去に同大出身でプロ野球に進んだ選手は5人いる。史上初の東大出身のプロ野球選手となったのは、65年に大洋(現横浜DeNA)に入団した新治伸治投手(故人)。
新治は同大卒業後、大洋漁業(現マルハ)に入社。子会社の大洋ホエールズに出向となり、選手としてプレーすることになった変わり種。それでも、初年度(65年)は40試合登板で5勝(2敗)、2年目の66年には37試合に登板し4勝(4敗)を挙げた。その後、2年間は振るわず、68年シーズン終了後に引退。通算9勝は同大出身投手としては最多である。引退後は親会社に復帰し、支店長や支社長などを歴任し、横浜ベイスターズの球団顧問も務めた。
2人目は66年の第2次ドラフトで3位指名されて中日に入団した井手峻(67=投手→外野手)。井手は1年目の67年に1勝(4敗)を挙げたが、その後、2年間は1軍登板がなく、外野手に転向。持ち前の俊足と強肩を生かして、代走や守備固めで活躍。76年に引退するまで10年間プレーし、359試合に出場。これは同大出身選手では最多。73年には本塁打も記録しており、これは同大出身選手が放った唯一の本塁打である。井手は引退後、コーチ、2軍監督、解説者を経て、87年に中日フロント入り。現在は取締役(編成担当兼チーム運営部長兼渉外部長)を務めており、選手の契約更改交渉の担当としてもおなじみ。球団フロント入りした同大出身者で、最も出世したのが井手だろう。
井手の引退後、長らく同大からプロ野球選手は誕生していなかったが、小林投手が90年に千葉ロッテの入団テストに合格。留年していたため、卒業するまで1年間練習生として在籍。91年ドラフト8位指名を受けて入団。井手以来、16年ぶりの同大出身プロ野球選手となった。しかし、話題先行の獲得といってもよく、東京六大学リーグで1勝も挙げていない小林は、1軍登板もなく2年間で自由契約となり、球団にも残ることはできなかった。同大出身のプロ野球選手のなかで、1軍での出場機会がなかったのは小林だけ。それだけに、高学歴を鼻にかけた上から目線で選手と向き合っては、杉内のように反発する選手が出ても無理からぬところだ。
4人目は99年ドラフト7位で日本ハムに指名された遠藤良平投手(35)。遠藤は東京六大学で8勝を挙げていたが、2年間で1試合の登板に終わり引退。遠藤の01年の1軍登板は同大出身投手では、68年の新治以来、33年ぶりとなった。現在は球団職員を務めている。
5人目は04年ドラフト9位で横浜に入団した松家卓弘投手(29)。香川県立高松高時代、プロ球団からの注目を集めていた松家は東京六大学では3勝をマークしていた。だが、プロでは4年間1軍登板はなく、5年目の09年に9試合登板(0勝1敗)したが、同年オフに日本ハムにトレード。10年には5試合の登板があったが、今季は1軍登板なし。現役唯一の同大出身プロ野球選手であるが、年齢的にも来季は正念場となりそうだ。
長いプロ野球の歴史のなかで、東大からプロ野球に進んだのはわずか5人だけ。しかも、井手以降、長らく1軍で活躍した選手はいない。文武両刀といえば、聞こえはいいが、高学歴の選手がプロスポーツの世界で成功するのは、たやすいことではないようだ。
(落合一郎)
その小林氏は東大出身のエリートとあって、注目を集めたが、過去に同大出身でプロ野球に進んだ選手は5人いる。史上初の東大出身のプロ野球選手となったのは、65年に大洋(現横浜DeNA)に入団した新治伸治投手(故人)。
新治は同大卒業後、大洋漁業(現マルハ)に入社。子会社の大洋ホエールズに出向となり、選手としてプレーすることになった変わり種。それでも、初年度(65年)は40試合登板で5勝(2敗)、2年目の66年には37試合に登板し4勝(4敗)を挙げた。その後、2年間は振るわず、68年シーズン終了後に引退。通算9勝は同大出身投手としては最多である。引退後は親会社に復帰し、支店長や支社長などを歴任し、横浜ベイスターズの球団顧問も務めた。
2人目は66年の第2次ドラフトで3位指名されて中日に入団した井手峻(67=投手→外野手)。井手は1年目の67年に1勝(4敗)を挙げたが、その後、2年間は1軍登板がなく、外野手に転向。持ち前の俊足と強肩を生かして、代走や守備固めで活躍。76年に引退するまで10年間プレーし、359試合に出場。これは同大出身選手では最多。73年には本塁打も記録しており、これは同大出身選手が放った唯一の本塁打である。井手は引退後、コーチ、2軍監督、解説者を経て、87年に中日フロント入り。現在は取締役(編成担当兼チーム運営部長兼渉外部長)を務めており、選手の契約更改交渉の担当としてもおなじみ。球団フロント入りした同大出身者で、最も出世したのが井手だろう。
井手の引退後、長らく同大からプロ野球選手は誕生していなかったが、小林投手が90年に千葉ロッテの入団テストに合格。留年していたため、卒業するまで1年間練習生として在籍。91年ドラフト8位指名を受けて入団。井手以来、16年ぶりの同大出身プロ野球選手となった。しかし、話題先行の獲得といってもよく、東京六大学リーグで1勝も挙げていない小林は、1軍登板もなく2年間で自由契約となり、球団にも残ることはできなかった。同大出身のプロ野球選手のなかで、1軍での出場機会がなかったのは小林だけ。それだけに、高学歴を鼻にかけた上から目線で選手と向き合っては、杉内のように反発する選手が出ても無理からぬところだ。
4人目は99年ドラフト7位で日本ハムに指名された遠藤良平投手(35)。遠藤は東京六大学で8勝を挙げていたが、2年間で1試合の登板に終わり引退。遠藤の01年の1軍登板は同大出身投手では、68年の新治以来、33年ぶりとなった。現在は球団職員を務めている。
5人目は04年ドラフト9位で横浜に入団した松家卓弘投手(29)。香川県立高松高時代、プロ球団からの注目を集めていた松家は東京六大学では3勝をマークしていた。だが、プロでは4年間1軍登板はなく、5年目の09年に9試合登板(0勝1敗)したが、同年オフに日本ハムにトレード。10年には5試合の登板があったが、今季は1軍登板なし。現役唯一の同大出身プロ野球選手であるが、年齢的にも来季は正念場となりそうだ。
長いプロ野球の歴史のなかで、東大からプロ野球に進んだのはわずか5人だけ。しかも、井手以降、長らく1軍で活躍した選手はいない。文武両刀といえば、聞こえはいいが、高学歴の選手がプロスポーツの世界で成功するのは、たやすいことではないようだ。
(落合一郎)
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