市役所の職員が公表を受け入れられるように、準備が必要だという議論がありました。私は、当然、村田副市長が対応するものと思っていました。しかし、公表された後、市役所内部で混乱があり、南相馬市立総合病院が非難されたと聞きました。
村田メールと日本国憲法
村田メールの下記内容は、村田副市長の姿勢を如実に示しています。
(1)南相馬市立総合病院は、福島県や福島県立医大に多大な迷惑をかけた。
(2)福島県や福島県立医大に多大な迷惑をかけたことについての対応を南相馬市立総合病院ではなく市の側で負わされている。
村田メールを読むと、南相馬市の行政の最大の関心事が、福島県や福島県立医大の機嫌を取り繕うことにあると理解されます。
私は、東日本大震災でいくつかの救援活動に関わりました(引用文献1)。いずれも、それまで誰もが実施したことのない救援活動でした。新しい取り組みだったこともあり、様々な局面で、行政と齟齬が生じました。
行政の、法令と前例に縛られた硬直性、事実を捻じ曲げる知的誠実性の欠如、被災者救済より自らの責任回避を優先する倫理的退廃には、何度も驚かされました。
自らの権力を高めるだけのためとしか思えない情報の非開示や小出しは、日常的に行われているように思えました。特に、福島県の対応には、数々の問題がありました(引用文献2、3、4、5、6、7)。
以下、具体例をいくつか示します。
1.福島県は、メディアに対し誤った認識を誘導して双葉病院に対する非難報道のきっかけを作った。
2.福島県福祉事業協会傘下の知的障害者施設の多くは、福島原発の10キロ圏内にあった。急に避難を強いられたため、名簿が持ち出せなかった。利用者の多くは、抗てんかん薬をはじめ、重要な薬剤を投与されていた。法令上、生年月日が分からないと、正確な年齢が分からず、処方箋が書けない。
このため、福島県の災害対策本部及び障がい福祉課に対し、生年月日データの有無とない場合の対応について相談したが、自分たちの責任で対応するよう言われ、一切の協力を拒否された。
この直後、てんかん発作の重積状態で障害者が1人死亡した。福島県はこれを受けて、投薬などが適切に行われているか、避難所に調査にきた。
3.福島県は、南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後、法的権限なしに、書面を出すことなく、口頭で入院病床の再開を抑制し続けた。長期間、入院診療が抑制されたため、民間病院の資金が枯渇した。病院が存続できるかどうか危ぶまれる状況である。
4.福島県・福島県立医大は、被曝について、市町村が、県外の医師たちに依頼して実施しようとした検診をやめるよう圧力をかけた。
5.福島県立医大は、2011年5月26日、学長名で、被災者を対象とする個別の調査・研究を、差し控えよとする文書を学内の各所属長宛てに出した。調査は行政主導で行うので、従うよう指示するものだった。
6.南相馬市立総合病院の院長が、関西の専門病院の協力を得て、小児の甲状腺がんの検診体制を整えようとした。講演会や人事交流が進められようとしていた矢先、この専門病院に対し、県立医大の教授から、福島県立医大副学長の山下俊一氏と相談するよう圧力がかかり、共同作業が不可能になった。
7.南相馬医師会の高橋亨平会長と協力者が、飯舘村で除染の効果を検証するための実験を実施しようとしたのを、福島県が阻んだ。
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