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保田妙本寺の邪義を粉砕する!「奇妙奇天烈な人形信仰」

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2011年12月20日(火)22時44分29秒
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  保田妙本寺期待の星、ルーキー・竹本良一君が敗者復活戦を望んでこられましたのでご紹介いたします。

竹本君曰く、

①「俺たちはお人形さんを単体で拝んでいるのではない、而二不二(ににふに)で、拝んでいるのだ」。

まず竹本良一君のいう「而二不二」という言葉の意味ですが、これは「不二」と同意語であります。つまり一つであり二つ、二つであって一つ、つまり表裏一体ということです。これは仏教における基本概念であり、生死即涅槃、煩悩即菩提、色心不二、依正不二、九界即仏界・・・、つまり相反することの表裏は同じであるという意味です。
この相反する物事の「表」と「裏」の間に、「妙法」という二文字が入ることにより、即身成仏が成就出来る訳です。

しかしながら保田妙本寺の信仰は、竹本良一君のいうような而二不二の信仰でしょうか? 保田妙本寺では、信仰よりも本尊の安置形式を非常にこだわる宗派です。

竹本良一君ブログに曰く、


「大石寺が使う人法一箇の語句は、化儀の曼荼羅御本尊に偏重し、人本尊である大聖人を格落ちさせた拝み方であります。戒壇板本尊に全てが備わるとする教義は大聖人・日興上人の真意を蔑にした、信者洗脳め(ママ)=の謀議に過ぎないのであります。(2011年12月18日現在)

「化儀の曼荼羅本尊に偏重し」と言い、人法一箇の御本尊を貶め、大聖人の御影像をこよなく尊重するという奇妙な化儀を立てているのです。この件に関しましては既に破折済みですので、興味のある方はここをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53456416.html

そして、安置形式を、

御本尊=法本尊
御影像=人本尊

これを同時に拝むという意味で、竹本良一君は「而二不二」という言葉を持ち出したと推測するわけですが、これは明らかに「法」と「人」を分離した邪義であります。私は逆に竹本良一君にお聞きしたい。貴殿の法本尊たる日興上人の形木本尊には、「首題・南無妙法蓮華経 日蓮」とあるのか否や? あるのであれば、既に人法一箇であると言えましょう。(注:血脈の切れた形木本尊です)

更に付け加えて破折いたしますと、保田妙本寺の御観念文をご覧下さい。

二座で法本尊の万年救護の本尊供養
三座で人本尊供養

とございますね。

なんてことはない、別々に観念しているではないか! これを竹本良一君は「而二不二」と称しているのでありますが、誰が見ても、「而二【分離】」であることは明らかであり、法本尊=単体、人本尊=単体で拝んでいるのがよく分かりますね。

これを竹本良一君君は、「二尊一体」、「而二不二」と簡単なことをワザワザ難しく反論しているのですが、私に言わせれば、「二つ合わせてワンセット」という表現で十分であり、而二不二意味からは程遠いと申し上げておきます。

② 日寛上人の「観心本尊抄文段」を出し、「ホラ、大石寺も御影信仰だ」

といつものごとく、「創価パクリ疑難」を申されています。余ほど創価に未練があるのでしょうね。創価を脱会した人間は創価の邪義をまずは述べるのが普通の人間でありますが、竹本良一君は宗門への疑難ばかりです。創価に「パクリ料という借金」が相当あるゆえでしょうか? 「今なお、外道創価とお友達」と言っておきましょう。

さて、創価パクリ信心の竹本良一君が出した日寛上人の「観心本尊抄文段」を検証いたしましょう。

寛師『観心本尊抄文段』に曰く

『問う、蓮祖の影像を造立して本尊と崇め奉る、その謂は如何。答う、初めに道理を明かす。一にはこれ下種の教主なるが故に。謂く「末法は是れ本未有善の衆生なり。故に不軽、大を以て而して之を強毒するの時なり。日蓮は不軽の跡を紹継す」等云云。二には三徳の縁深きが故に。謂く「日蓮は日本国の人人の父母ぞか
し・主君ぞかし・明師ぞかし」と云云。三には人法体一なるが故に。伝教云く「一念三千即自受用身」等云云。宗祖云く「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」と云云。妙楽云く「本地の自行は唯円と合す」等云云。次に文証を引くとは、血脈抄に云く「仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり」と云云。また云く「内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」等云云。 開目抄の始めに云く「一切衆生の尊敬すべき者三あり
所謂主師親これなり」と。終りに云く「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」等云云。また造初めの御影、生御影等、これを思い合すべし。』(観心本尊抄文段 日寛上人御書文段 268P)

竹本良一君は上の文段の「問う、蓮祖の影像を造立して本尊と崇め奉る、その謂は如何」を以て「日蓮正宗も大聖人の御影を造立し本尊としているではないか」と強弁しているのですが、これぞ「寛師読みの寛師知らず」と言っておきます。何としても日蓮正宗を貶めよう、重箱の隅をつついても疑難を作り上げよう、何としても本門戒壇の大御本尊を否定したいという根性なのでしょう。創価も同じです。日蓮正宗を離れ血脈を否定する輩の根性は皆このようなものですね。

では、竹本良一君は何処を読み間違えたのでしょうか? 竹本良一君は「本尊と崇め奉る」を「信じ奉る」と読み間違えたのです。

ここで言う「崇(あが)める」という言葉は「御尊敬申し上げる」という意味であります。また「本尊」というのは日寛上人のお弟子が寛師に質問をしているわけです。恐らく当時は御影像のことを「御影本尊」と呼ばれていたのではないでしょうか? それをお弟子さんが問うたのです。これはその後に続く「答う・・・」からもはっきりと分かります。

日寛上人はどこにも「御影像を本尊であると信じなさい」という御指南は見当たりません。日寛上人は中興の祖と呼ばれ本門戒壇の大御本尊こそが「究竟中の究竟である」とお説き遊ばれました。その日寛上人がここで突然、「御影像を信じ拝みなさい」と言われるはずがないのです。

本門戒壇の大御本尊第一のことは、観心本尊抄文段の全ての「問う、答う・・」に一貫して流れていることであります。まさに竹本良一君は「文に溺れ義に迷った」ということであります。このような腐った根性ですから「御書に本門戒壇の大御本尊の記述が全くない」という創価疑難の三番煎じにもマンマと乗せられてしまうのです。

前回も申しましたが、御本尊の説明はご本尊にちゃんと書かれています。万年救護の本尊の説明は御書のどこにも書いていません、日禅授与本尊、紫宸殿本尊、御書のどこに説明がありますか? それと同じです。

また竹本良一君は

法華取要抄文段を出し、


『問う、本尊問答抄の意は、末代悪世の凡夫は但法華経の題目を以て本尊と為すべし等云云。若し爾らば、蓮祖を造立して仍本尊と為すべからざるか、如何。答う、「法華経の題目」とは本地甚深の奥蔵、即ちこれ蓮祖聖人の御事なり。その故は蓮祖大聖人、我が身は即ち法華経の題目なりと知しめし、久遠元初の自受用報身と顕れたまえり。故に知んぬ、法に即して人、人に即して法、人法本これ体一なることを。故に「法華経の題目」とは、またこれ蓮祖聖人の御事なり。豈本尊と為せざらんや。この故に蓮祖の在世に、御弟子日法をして自身の影像を造立せしむ。即ち今の生御影これなり。』(日寛上人 御書文段 法華取要抄文段541P)

「蓮祖を造立して仍本尊と為すべからざるか、如何。」とお弟子の問いに「造立、本尊」とあるではないかと言いたいのでしょうが、その後に続く文意に「連祖を造立し、本尊とし、信じ奉るべし」という内容の言葉は皆無であります。最後の「御弟子日法をして自身の影像を造立せしむ。即ち今の生御影これなり。」とありますが、これは御存じのように戒壇様を日法師が彫刻した後の楠木の板を以て日法師が身丈三寸の御影(最初仏)を彫刻されたものであり、大石寺の重宝として現在も厳護されています。

③弥四郎国重とは誰のことか?

竹本良一君は本門戒壇の大御本尊の脇書、即ち、

「右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白 弘安二年十月十二日」

を以てこの弥四郎国重とは誰か?と賞味期限が既に切れ、破折しつくされた古い疑難を投げているのですが、これは大聖人様御内証の信徒の名前です。誰にも分かりません。但し一機一縁の御本尊ではありません。「法華講衆等」と複数になっておりますので、一人ではないのは確かです。即ち日蓮正宗全法華講員のことであるということです。

④その他、「富士一跡門徒存知事」を「偽書だ、偽書だ!」と騒いでおられますが、よほど下の文証が頭に来たのでしょう、未練ある創価員と連動しておられる御様子です。とかく邪教は、自分の教団に都合の悪い文書は「偽書」と申すことは世の常であるため、捨て置きます。

 「ここに日興が云はく、先づ影像を図する所詮は後代には知らせしめんが為なり」 (新編1869P)

とあるように、後世の僧俗が御影の御姿を通して、生身の大聖人の御姿を偲び奉り、御本尊に対する信心をより深めていくことが目的とあり、「この影像(御影像)を拝みなさい」という記述は全く見当たらない。


以上、

平成二三年一二月二十日
大阪南布教区妙輪寺所属
日蓮正宗法華講員
黒川和雄

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創価学会、保田妙本寺からの脱会を考えておられる方、気楽にお電話ください。
186-090-9626-7585

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下記のURLに永久保存して御座います。

http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53463867.html

 
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