2011-05-01 02:37:16

桃の花

テーマ:
MtoM  by美元


「今朝、ママが天国に旅立ちました」
…朋ちゃんから、そうメールが届いたのは去年の春でした。
桃の花が咲き始めた頃。


淳ママ。


友人の結婚式の帰り道。
「ママが病気なの」
朋ちゃんの突然の告白。
その病状が末期だと聞いたとき、それ以上何も聞けませんでした。



朋ちゃんとは中学時代の同級生。
2年生のとき、書道の道具を兄に捨てられて。
買い直すこともできなくて。
そんなときに、快く貸してくれたのが隣のクラスの朋ちゃんでした。
捨てられた…なんて言えなくて。
毎回とぼけて借りに行っていた私を変な目で見る同級生もたくさんいました。
朋ちゃんは…。
何かを察してくれたのかな…。
ある時から、私のクラスに届けに来てくれるようになりました。

3年生になって、同じクラスになれた時、本当に嬉しかった。
いじめを受けた中学時代、友達なんて居ないって思っていたのですが、
朋ちゃんと一緒に行った修学旅行は本当に楽しくて。

母親が居なくなった後、
ハンカチを持ち歩かなくなりました。
女子特有の「いつも一緒」が苦手で。
…というより、たくさんいじめにあって、
ある日突然「ひとり」になる怖さを知って居た私は
あらかじめ一人で居ようと思ったのかな。
教室移動もトイレに行くのも。
強がって一人で行っていました。

ある日、トイレから出ると…。
洗面台で朋ちゃんが待っていてくれました。
ハンカチを差し出して。
「これ、裕子用^▽^」
いつからか、朋ちゃんはハンカチを二枚持参するようになっていました。

朋ちゃんが居たから。
「中学時代、楽しかった☆」と。
心から言えます。

あの頃も今も。
助けて貰いっぱなしだけど。
本当にかけがえの無い友達です。


中学時代は身長が140センチ台だった朋ちゃんと
既に170センチ台だった私。

「裕子さんと並んでいると、朋ちゃんが本当に小さく見えるの^▽^」
そう言って笑っていた淳ママ。

お正月。ひな祭り。クリスマス…。
たくさんの時間を朋ちゃんのお家で過ごしました。

家族旅行にも、一緒に連れて行ってもらって。
親戚のおうちにまで、行かせてもらったことも。

「もっと一緒にご飯食べたらよかったね。」
私が小学生の頃からずっと『ひとりごはん』だったことを知って、
淳ママはそう言ってくれました。

美人で頭も良くて
結婚前はスチュワーデスをしていた淳ママ。

結婚してからは、
転勤も、人付き合いも多いパパのお仕事をしっかり支えていたママ。

週末になると、パパと一緒にテニスに行くママをみて
こんな夫婦になりたいな…ってずっと思っていました。

とにかくお料理上手で、
フルコースみたいなメニューもお手の物。
ある日、朝御飯にトーストと自家製カスタードクリームが出てきて
「クリームパン^▽^」と言われたときは本当に感動しました。

そんなママも、結婚当初は何もできなくて。
いっぱい頑張ったと聞いたとき。
ママのパパへの愛情と、子供たちへの想いを感じました。

パパママチームと朋裕子チームで卓球したこと憶えていますか?
お互いに本気になって(笑)。すごく楽しかったです。
おうちの前の公園で、朋ちゃん、妹とフリスビーをしたこと。
こんな幸せな時間があるんだ…って教えてもらいました。
親戚のおうちに行って、みんなで大掃除。
マンション育ちの私は草むしりをしたのは初めてで、夢中になりました。
アウトレットに一緒にお買い物に行きました。
あの頃のママは帽子が必要で。
病状を聞けなくて。
どこかで…、
まだ大丈夫って…。
思っていました。


ママと話したかったこと、たくさんありました。

私の天国のママから、淳ママへの伝言が。
あったのに…。
伝えられなかった…。

後悔してもしきれない。


まだ大丈夫…って。
思っていました。


もう一度だけで良いから。
一日だけで良いから。
会いたいです。



「朋ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
いつもそう言ってくれて居た淳ママ。

身体が大きい私は、朋ちゃんを支えて居るように見られがちだけど。
本当は逆で。
淳ママが朋ちゃんを産んでくれたから。
たくさん笑えたし、たくさん幸せな時間がありました。


朋ちゃんから連絡があったあの日。
不思議だけど。
夜中に予感がしていました。
朋ちゃんに連絡をしたい衝動にかられました。
夜中だったから、朝まで待とう。
そう思っていた朝方に届いた訃報。

一刻も早く行きたかったけど。
目を閉じている淳ママにあったら、
本当に天国に行ったことを感じてしまうようで。
少しでも後回しにしたくて。

同じクラスだったマツに来てもらっても。
夜になっても動けなくて。
お父さんに送ってもらってやっと。
ママに会いに行けました。

朋ちゃんが他の友達には連絡していなかったことを知って。
どうしてもっと早く行かなかったのかと、後悔しました。
ごめんね…、朋ちゃん。

朋ちゃん。
あの日、淳ママに会わせてくれて本当にありがとう。

告別式。
どうしても動き出せなくて。

私が葬儀場に着いたのは
ちょうどみんなが火葬場へ移るバスに乗り込む時でした。

見送っている私に気づいた朋ちゃん。
「裕ちゃん、乗って!」

最期のお見送りに。
家族や親戚の方々と一緒に。
立ちあわせてくれました。


20年以上も前のことですが。
今でも鮮明に憶えています。

母を見送る時。
一番悲しかったのは。
霊安室ではなく。
火葬場でした。

扉が閉まった瞬間。
もう二度と母に会えないことを
身体中で感じて。
大声で泣きました。
立って居られなかった。
現実を付きつけられたような。
張り詰めていた糸が切れたような。
大きな衝撃がありました。
心に杭を打たれたように。
胸が痛くて辛かった。


淳ママが運ばれて行く時。
朋ちゃんも同じ辛さを感じるのかと思うと。
心配で、仕方がありませんでした。

だけど。
私がこれ以上でしゃばってはいけないと。
少し離れて朋ちゃんの背中を見ていました。

扉が閉まって、朋ちゃんが声を上げて泣いたとき。
本当は駆け寄りたかった。
今でも後悔してるの…。

待合室に戻る途中の廊下で、
一緒に歩いていた朋ちゃんが、
突然、床に伏せて泣き崩れたとき。

夜中の予感も、おうちに行ったときも。
告別式でも、火葬場でも…。
淳ママが私の身体を使って、朋ちゃんを支えたかったのだと。
おこがましいけどそう感じて。
もっと近くに居ればよかった。
ずっと一緒に居ればよかった。
後悔したよ…。


気丈に振る舞っていた朋ちゃんが、
本当はどれだけ精一杯だったか。
わかってたのに。
ごめんね…。

「今日、泊まれる?」

そう言って、頼ってくれたことが
嬉しかった。


マツと三人で川の字の夜。
ベッドから伸びてきた朋ちゃんの手。
朝まで握ってたのは、私じゃないよ…。

翌日の大掃除。
無我夢中になったあの時も…。

私の身体を使ってくれたんだと思う。

パパやみんなに。
きれいな部屋で暮らして欲しい。
新しい生活を心配して。
誰よりもお掃除したかったはずだから。


「裕ちゃんは20年前にこれを経験したんだよね…。」


朋ちゃん。きっとね。
私のママは朋ちゃんのママに挨拶に行っていると思うの。
「お世話になりました。裕子の母です^^」
「あら!やっぱり背が高いんですね^^」なんて


今年も、桃の花が咲いていました。
春は必ず訪れる^^

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コメント

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1 ■無題

美元さんは、素敵な友人とその御家族に巡り会えて、幸せですね。とても羨ましいです。さまざまなエピソードに心が温まりました。

2 ■涙が止まりませんでした

blogを読ませて頂いて、涙が止まりませんでした。胸が痛くて

大切な人を亡くす経験がまだありませんが、自分にもその時が来たとき乗り越えなくてはいけないのだけど、乗り越えられるか不安です。

皆さんの心が少しでも安らかになることをお祈りしています。

3 ■無題

涙がとまりません。大切なことを教えてくださりありがとうございます。
私も私のまわりの大切な人たちを大切にします。

心よりご冥福をお祈り致します。

4 ■無題

みなさんと同じで涙がでてしまっていました。

5 ■無題

涙が…

私もいつか大切な人を見送らねばならないときがくる。
辛いけど…でも…

ありがとうございました。
大切なものを学ばせていただきました

6 ■無題

美元さん
涙が止まりません。
今話題になっていることで興味本位にブログを覗かせていただきましたが、自分がとても恥ずかしいです。
人も想う事、もっともっと学習しなければ。
ありがとうございました。

7 ■美元さん☆。。。

幼い頃にとてもつらい経験をされてたんですね。

わたしは2年前の36歳の時に大切な母を肺がんでなくしました。

病気になってもそこにいるのがお母さん。

話しが出来なくなってもそこに居るのがわたしのお母さん。

目が閉じたままになってもそこに居るのがわたしのお母さん。

息をしなくなっても。。。わたしのお母さん。。。

棺に入っててもそこにいるのは。。。わたしのお母さん。。。

その姿が見えなくなってしまった火葬場は。。。美元さんのおっしゃるとおり本当につらいところですね。

わたしにもわたしより24年早くお母さんをなくした仲良しの友達がいます。

とても支えられました。

美元さんもどうそお友達の支えになってあげてください♪。。。ってわたしに言われなくてもなさってることとおもいますがっ(^▽^;)

美元さんのお母さんも
お友達のお母さんも
わたしのお母さんも(*^o^*)
みんなそれぞれのかわいい娘達の事を
見守ってくれてるとおもいますっ☆。。。

長文で失礼いたしました。

8 ■無題

美元さんの気持ちが伝わって来て涙が止まらなくなりました。
今以上に大切な人達を大事にしようと思いました。
ありがとうございます。
美元さん応援しています。

9 ■みおんさん。

興味本位でblogを覗いて
いま、涙がとまらないです。
本当に素敵なひとなんですね>_<。

がんばってください。

10 ■☆

美元さんと

美元さんの大切な方々に

溢れるほどの
幸せが降り注ぎますように。

11 ■ありがとうございます!

とてもいいblogをのぞかせていただきました!


のぞくだけでもよかったんですが、
応援していること伝えたくて、書きこみました。


美元さん、ファイトです!

12 ■涙が…

止まりません…

初めてブログを読ませていただきました。

素敵なお友だちとそのお母様との想い出…
私も一昨年に母を亡くしました。
肺癌で70でした。
自分の事、美元さんの今までの事…
色んな事が溢れて泣けて泣けて仕方ありません。。。

今もお辛い状況だと思いますが、お二人のお母様がちゃんと見守っていらっしゃると思います。
私も影ながら応援させていただきます。
頑張って下さいね!

素敵なブログをありがとう♪

13 ■無題

私も今話題だからと興味で覗きにきたものなのですが、涙がぼろぼろ出てきました。何か忘れていた大切なことに気づかされ初心にかえりました。美元さん応援しています。

14 ■無題

ランキング1位だったから
何気なく覗いてみたら
美元さんって
素敵な人ですね!!

これからも応援します!!

15 ■こんにちは(^-^)

初めてブログ拝見させて頂きました。
記事を読んでいるうちに、涙がボロボロ流れ出てきました。
美元さんの大切な人達を思う優しい気持ちが強く伝わってきました。

私も7年前の26歳の年に、父親を病気で亡くしました。
その時、多くを語らず痛んだ心にそっと寄り添ってくれた親戚や友人達の気持ちがとても有り難かったです。

今年は大地震や災害などで、心を痛めておられる方々が大勢いらっしゃると思います。
自分なりに出来る事…毎朝皆の平和を祈ったり人にささやかな親切をしたり道のゴミを拾ったり植物を育てたり…小さな事ですが自分なりにしています。あと、なるべく笑顔でいること(^-^)

こうして奇跡的に生かされている私達…一緒に頑張って生きていきましょう(*^―^*)♪
北の街から応援してますo(^o^)o

16 ■涙、、。

とてもいいお話ですね。
朋ちゃんのやさしさ、それはママの教えだったのですね。
とてもいい家柄だなと感じます。

改めて、友人や家族の大切さを
思い知らされました。

すてきな話ありがとう。

17 ■はじめまして

昨日報道で知り、なぜなんだろう?とブログ読んでいたら、泣けてきました…。私は小学生の時に、ある日突然父を交通事故で亡くしました。親を早くに失う大きすぎる悲しみや戸惑いを、おんなじように感じて生きていらしたのですね。涙涙で、意外な事実に、ショックです。経験しなければわからない大きすぎる喪失感。美元さんのこと、ずっと見守っていたい。私も、一人で平気強いもんね!って強がって生きていたかもしれないなぁと思います。美元さんが教えてくれた。美元さん応援しています。美元さんの幸せを願っています。 これからも頑張ってください。

18 ■自然に

読みおわった時涙が出ていました。

昨日4年前に別れた彼から「もぉ連絡はとれない」と連絡がありました。

2ヶ月前に偶然出会い再び連絡をするようになっていました。

4年前私と別れた数日後彼のお父さんは亡くなりました。

私はすごく悩みました。

すぐに行きたかった。そばで支えなきゃいけない気がした。

でも結局しなかった。なんて声を掛けたらいいのかもわからず何も言えなかった。

別れる前の私が今でも好きだと彼は言ってくれます。
だけど、亡くなったと伝えた時どうして優しい言葉をかけてくれなかった?一緒にいてほしかったと。
最愛の人を二人同時になくした時の気持ちは忘れられないからもぉ私とは連絡しないと。


今とても悔やんでます。攻めてます。どうすればいいのかもわからず。

そんなときに目にした日記。

今でも涙がとまりません。

19 ■悲しい

素敵な日記でした。
美元さんって心がきれいです。
涙がこぼれました。
胸に響きました。
ファンになりました(>_<)

20 ■長々とスミマセン

私も二年前
小学6年生だったとき
母を亡くしました。

それが、急死で
病気とかなかったのに、とつぜん。
急の出来事で本当にビックリしました。
青い肌で母が倒れていたいたリビング
今でも忘れません。

突然で、まだ信じられないときが3ヶ月くらい
続きました。

誰もいないリビングへ走って、
「ママ、パン食べていい~?」っていったとき
涙が止まりませんでした。
本当に母がいないことを実感しました
必死に嘘だとか夢だとか
思い込みました。

大切な人が天国へ旅立つって
辛いですよね。

もう忘れてるつもりだったけど
この記事読んで、再び
思い出しました。
2年前のことだけど、繊細に覚えています。

21 ■無題

涙が止まりません…(ノ_・。)

22 ■初コメ失礼します。

美元さんのblogを読んで、16歳で旅立った私の従姉妹を思い出しました。思い出す事も供養の1つなんだよって何かで聞いた事があります。毎日の忙しさで忘れてしまっていました。美元さんのblogを読み、涙が出たけど何か暖かい気分になれました。

23 ■無題

興味本意で訪れてしまいました。でもそのことを後悔しました。すごく心がきれいで素敵なかたなんですもの。友達を思う気持ち、お母様を思う気持ちすごく共感してしまい感動してしまいました。素敵なメッセージを伝えてくれた美元さんどうか負けないでこれからもそのままでいてください。うまくいえないけれど本当に素敵な女性です。応援しています。私も宮城にいて地震でいろんな経験しましたが負けずに自分らしくいたいと思いました。お互いマイペースに幸せみつけていきましょ☆

24 ■初めまして

『死んだんじゃない。
生きる場所が変わっただけ』
とゆう言葉を知った時に涙が止まらない。
その反面温かい気持ちになりました。
死は二度とあって
一度目は肉体が無くなる事
二度目は故人を忘れてしまい魂が無くなる事
故人を我々が殺してしまう事
それが本当の死だと。
永遠に我々の心の中で一緒に生きていく事を忘れない事ですよね。

25 ■無題

私も興味本位で何気なく訪問しました。
何気なくこのブログを呼んで、、涙が自然とあふれてきました。
思いのこもったひとつひとつの言葉に胸が熱くなって、自分の大切な人が亡くなってしまったら・・・、と、つい考えていました。

美元さん、今はとても大変と思いますが、たとえ結果が望むように行かなくても、天国で見ているお母さんのために前向きな一歩を踏み出してください。そんな美元さんを応援したいと思います。心の綺麗な美元さんの幸せをお祈りします。

26 ■感動しました

2か月ほど前に 愛猫を亡くしました 自然死ではなく安楽死で… 旦那と二人子供もいない生活の中で可愛がってきたのに なんで最後まで看てあげられなかったんだろうと 後悔と寂しさで元気な頃の写メをみながら 一人泣いていた所 興味本位でみにきて 読んだ温かい心 感動しました


本当の人の死とは その人の事を知っている人 その人の事を思い出す人が いなくなったときだ と聞いた事があります

忘れられることは 寂しいもの…
忘れたくない覚えていたい…


そう思いました

27 ■私も

美元さんはちらっとしか拝見したことありませんでしたが、その時から優しそうな方だなって思っていました。
でも初めてこちらをみにきて、優しさに泣けました。
人のブログをみてないたのは初めてです。

とても素敵な人柄を感じました。
色々と大変だとは思いますが、ご無理はされずに。。
応援しています。

28 ■涙が出ました

文章から、美元さんが心がとってもきれいな方なんだということが伝わってきました。
自然に涙が出てきました。
心をきれいにしていれば、辛いことがあっても、必ず幸せがやってくると私は信じています。
美元さん、がんばって!!!

29 ■泣きました

霊安室よりも火葬場…
とても共感しました。
その人のかたちがあるだけで、なんだか起きるんじゃないか?と思ってしまう。火葬場の扉が閉まった時、もう一生その人の顔を見ることはできないんだなと張り裂けそうな気持ちになる。
祖母のことを思い出しました。


私はまだ両親は健在です。
この日記を読んで、もっともっと、大事にしようと本当に本当に思いました。
ありがとうございます。

30 ■無題

涙が止まりません(;д;)


美元サンが毎日笑顔で
過ごせますょ-に…

31 ■無題

言葉が見つからないです。ただ、大事な事を気付かせて頂いた気がします。幼い頃の経験や、親友のお話。

私も初心にかえって人と向き合いたいと思える文面でした。
他人の自分がコメントしにくい内容ですがコメントしてしまいました。すみません。

32 ■無題

ものすごく感動して、
涙がいつの間にか出ていました。
私も後先の事を考えたり、
悔いる事のないように、1日1日を大切にしていきたいと思います。
そして、友達思いの良い人間になれるように努力します。

33 ■無題

めっちゃ涙が溢れてきました(;o;)

美元さんにとって、朋ちゃんは、宝物ですね(^-^)

34 ■7年前…

父を亡くした時のことを思い出して泣いてしまいました(T-T)
人は同じ痛みを持っている人に心から共感できるのです
あの時はホントに辛かったし
今でも思い出すと涙が止まらないけど誰しもいつかは経験することなんですよね…
美元さんとてもお辛いでしょうけど耐え抜いて必ず幸せになってくださいね

35 ■私も

23歳の息子を亡くしたばかりです。
去年、12月23日にお風呂で倒れて私がいたのに発見が遅れてしまい、意識不明の状態が26日続き、息子は1人で旅立ってしまいました。
どんな形でもいいから、生きていて欲しかった。
私が早く見つけてさえいればと、今でも後悔の毎日です。
こんな私を見たら息子が辛いとは思うんだけど、自分を責めずにはいられなくて・・・
美元さんの言うように、火葬場が一番辛かったですね。
息子の存在が消えてしまうって、辛くて・・・
骨壷に入った息子を火葬場の職員の方が渡してくれて、「お母さん、息子さんをしっかり抱きしめてください」って言った言葉が今でも忘れられません。
そして、温かかった骨壷の温もりも忘れていません。

美元さんもお母さんを亡くされて辛い思いをされてたんですね。
そう言う経験をして、乗り越えた人は人に対しても優しい・優しくなれる人だと思います。
文章からも人柄が偲ばれます。

36 ■無題

美元さんの温かさが心にしみました…

忘れかけていた大切なものに気づかされ 自分の小ささを改めて思いしりました。

大切なものを見失わないようにしていきます。

美元さんありがとう!

美元さんが笑顔で過ごせるよう心から願ってます。

37 ■無題

こんばんは。ちょうど今年で20年前、10歳の時に私も母を亡くしました。私も火葬場で最後のお別れの時が一番辛かったです。でもその頃は強がって人前で泣けなかったのを覚えてます。おばさんに最後のお別れだからと背中を押されてもかたくなに拒否をし、火葬してからの母を見たときに後悔したのを覚えてます。いまは3人の男の子の母で義理の母も優しくしてくれますが、今でも何かあると母がいたら・・と思うことがあります。そして、母の気持ちもわかる気がします。まだ小学生だった私からもたちをおいて急に亡くなってしまった気持ちがどんなに心残りだったことか。
朋ちゃん素敵な親友ですね♪♪美元さんも旦那様とまた再スタートできますように。応援してます。ありがとう

38 ■生きてください。

はじめまして。
この記事、拝読していて…夜中なのに泣いちゃうました。

私は父と祖父母の3人亡くしています。火葬場…確かに辛いですね…
8年前に3人それぞれ亡くなりましたけど、立て続けに葬儀を行ったことが、より一層辛かったです。


記事を読んで、あの頃を思い出してしまいました。


私…実は美元さんと同い年なんですが、ちょうどお互い本厄ですね(:_;)


厄年は昔、命を落としやすかった年齢なんだそうです。
だから、体に気をつけて…というメッセージもあるみたいです。


今、様々なことでお辛いと思いますが、体にだけは気をつけて、無理をしないでくださいね。


いつか幸せになれる日が必ず来ます。


その日が来るまで、生きてください。

命を大切に。

お母さん、守ってくれてますよ。
大丈夫です。

お名前の字のように、厄が終わっても、いつまでも美しく元気で生きていけますように。

心から祈っています。
私も厄に負けずに生きます!

39 ■無題

初コメです(^O^)
日記見てめっちゃ感動しました!
わたしも誰かに頼られるような人に
なりたいと思いました(;_;)

40 ■涙(;_;)

美元さんこんにちわ(^-^)

初コメントです.

ぶろくを読んでとても悲しくなり涙が溢れてきました(;_;)

人が亡くなるのわ何より悲しくて辛いですよね…(;_;)


美元さんもいろんな経験されて
きたんですねえ(>_<)



朋ちャんさんも辛すぎるでしょうね…


どうか朋ちャんさんの支えになッて
あげてください(>_<)


朋ちャんさんも美元さんも本当に
優しい方ですね☆


ふたりの友情が永遠に続くこと
願ッてます(*^^*)♪

41 ■泣いちゃったよ

初コメです。あたしは四人の娘がいます。31歳で今はまだ元気ですが、あたしは常に自分が死んだらこの子達は大丈夫だろうか…って考えてしまいます。天国へ行ったお母様も同じだったと思います。娘達には、健康で自分らしさをわすれないで強く生きて欲しい…と思っています。

42 ■初めまして

初コメです。いきなりブログを拝見させて頂きまして、涙が止まりませんでした。じつは、私も、19歳の時母を亡くしました。『火葬場の扉が閉まった時、もう二度と母に会えない事を全身で感じた…』私も母のあの時の瞬間は忘れません。まだ、遺体があるときは、実感が無かったんですが、扉が閉まった瞬間、一気に押し寄せ、感情を抑える事ができなかった事を覚えています。今年の9月で13回忌を迎えます。あの時から色々変わりました。父は歳をとり、孫ができて、おじいちゃんです。弟の子ですが…。高校生だった弟は、大学を出て、立派な会社に勤め、ステキなお嫁さんと子供を授かりました。私はまだ独身で……歳ばかりとり、あの頃と変わってません煜ただ……今思うのは、産んでくれてありがとうと伝えたかった……。感謝の思いを込めて、13回忌を迎えたいと思います。
長文で失礼しました。

43 ■初コメです

悲しい出来事だけれど、とても温かく、深い愛情を感じました。

大切な事、思い出すきっかけを頂きました。ありがとうございます。

44 ■無題

泣きました。私は母を三年前に亡くしました
。今でもとっても辛くて。。

美元さんのブログを読んだときまったく自分と同じ気持ちの心情が綴られていて涙がとまりませんでした。

世の中にはもっと辛い思いをしてる人がたくさんいるって思ったら自分はもっと頑張らなくちゃって思っていましたが、やっぱりカラ元気になってる時があって…


母親と同じ背格好の人を見かけるともしかしら…なんて思ってしまうときもありました


今日美元さんのブログを読んだのもなにか引き寄せるものがあったのだと思います。


美元さんが今笑顔ていられるのもいろいろつらいことを経験してたくさん支えてくれた人がいたからだと思います。美元さんは心の強い人だと思います。

これからも応援してます。がんばってくださいね。

45 ■(T_T)泣けちゃいました。。。

(・_・)美元さんと朋さんは、いつまでも仲良くしてくださいね♪

46 ■無題

私も母を亡くしました。辛いですよね…
ブログ読ませていただいてます!頑張ってください!!

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