特集辛亥革命100年と日本
辛亥革命と日中関係

川島 真 【Profile】

19世紀末から20世紀初頭、中国にとって日本は「近代知」の源泉であった。同時に、亡命者が集う「革命揺籃の地」でもあった。そして辛亥革命が発生。国際政治が揺れ動く中、日本はこの革命に複雑に、そして多様に関わっていく。

辛亥革命に対する当時の評価

皇帝制度を否定する辛亥革命は、ちょうど大逆事件が起きたばかりの日本政府を刺激したことは想像に難くない。だが、民間においては賛否両論が巻き起こったのであった。辛亥革命直後に上海を訪れた与謝野鉄幹・晶子夫妻は、『巴里(パリ)より』にその時の様子を記している。そこで与謝野夫妻は、「一体今度の革命軍と云ふものは内外人の心が北京の政治に厭き果たと云ふ都合のよい機運に会したので意外の勢力となりつつある様であるが、実力を云へば西南戦争に於ける鹿児島の私学校の生徒の如き者が各地に騒ぎ立つて居るのに過ぎないと想はれる」と述べている。このような批判的な視線は、大隈重信にも通じる。大隈は『中央公論』(1911年11月号)で、「孫?つまらん、孫の批評なんど、それと我輩はもう革命派はいやだ。孫は無論大した人間じゃない」などと述べた。三宅雪嶺も同号で、「孫が英傑と為るか平凡視されて終るか、今後の経過次第で定まる」などとしている。孫がまだ海外にあって帰国していないということもあるが、日本の言論が孫支持だけではなかったことをうかがわせる。

梅屋庄吉・トク夫妻と孫文(小坂文乃氏所蔵)

日本では多くの活動家が孫文らによる革命を支援したことが知られている。宮崎兄弟、山田兄弟、萱野長知、頭山満、犬養毅、梅屋庄吉など、次から次へと名前が挙がる。孫文も『建国方略』において革命を支援した日本人を列挙している。これは、現在も「日中友好のシンボル」として語り継がれている。だが、留意が必要なのは、当時の日本政府は基本的に北京の清朝を支持し、財界の主流も経済活動の混乱を招く革命よりも、政治社会の漸進的な変容を望んでおり、革命そのものを支援するような状況になかったということである。ただ、重要なことは、当時の日本には政府や財界の主流の動向に関わりなく、自らの考えを持って中国に向き合い、元来は少数派であった革命派や改革を志向する集団に手を差し伸べた人びとが少なからずいたということである。そうした日中関係の多様性が重要であった。

その後、日本での孫文人気は次第に上がっていくが、それはむしろ袁世凱に叩かれる「悲劇の英雄」としての位置づけや、南京国民政府によって「革命の父」「国父」として讃えられたことが影響していよう。そして、日本が南京に樹立した汪精衛政権においても同様に孫文を「国父」として称揚し、戦後も同様に「革命史観(革命を重視する歴史観)」が流行する中で革命家としての孫文を肯定的に評価してきたことも日本の孫文観に影響を与えてきたのではないかと思われる。同時代的評価と、後の評価には多くの場合食い違いが見られるのである。

Profile 川島 真 KAWASHIMA Shin nippon.com編集委員。東京大学准教授。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004年)、『近代国家への模索1894-1925』(岩波新書 シリーズ中国近現代史2、2010年)など。

[2011.10.27]
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