韓国のとある大学の語学院の「韓国語教師養成過程」
ウリマル、韓国朝鮮語を語学的に勉強するのもソウルで一人暮らしするのも
どれも新鮮であり、さらにじっくり自分を省みる時間もあって充実していると思う。
一人で寝る前に焼酎一瓶飲まなきゃ寝れないのは自分の心の弱さか。。。
ツイッターでの右派のひとたちのやりとりは正直心磨り減る思いだが、
それでも元気に韓国での生活をかみ締めてるいいところも悪いところも。
養成過程の授業での話しだが、当大学の「韓国語教師養成過程」の授業のことであったが
とても面白かった。当の韓国語文法論の授業は難しかったが、
先生は当大学の国文科の教授で、教師養成過程をつくった元語学院センター長であり、
ウィットの効いた冗談を交えた授業は彼女の冷静で堅物そうな私の最初の印象からは想像できなかった。
名前がソウォンで、子どもとき「うりへそうぉんぬんとんいる私たちの願いは統一」とクラスの子たちが
彼女の近くを通ると歌ってふざけていたらしい。
また彼女の「多文化はすばらしいもの」や
言葉の由来を研究すると昔の民族間の交流や争いなどさまざまな影響の痕跡がみられ
「本当の単一民族なんてありえない」という言葉にも親近感が沸いた。
とくに興味深かった話は
韓国語には主語にくっつける格助詞が「い/が이/가」がふたつあるのだが、
これは主語の語尾のパッチムのありなしで使い分ける、
この「が」が日本由来ではないかというお話をされたことである。
朝鮮時代の格助詞は基本「い」しかなく
中世朝鮮以前の文献を調べても「が」は少なくとも文語には出てこないという。
それ以降も現代韓国語と違い少なくとも文語での主語につける格助詞は「い」を使うのが通例であった。
しかし、16世紀ある母が息子に?送った手紙で「が」がみつかったという。
文語では使わない、使ってはいけない「が」を使った文献が見つかったというわけは
当時の朝鮮での日常生活での口語では、「が」が使われていたということになる。
しかし、元は「い」しかない格助詞に「が」が広まった理由は彼女の推測では、
16世紀を前後して(豊臣秀吉の「朝鮮出兵」も16世紀)日本人、日本出身者が当時
多く朝鮮にいたから、そこで借用(語学用語)が行われたのでないかという。
確かに当時の朝鮮も他国との貿易など日本人も中国人も
交流が活発だっただろう。それ以降の朝鮮通信使をみてもそうであるだろう。
言葉は国や民族間で影響し合うものであるだろう。
キムチに使われる唐辛子も秀吉の朝鮮出兵と関係あるという話も聞いたことがある。
さらに続けて韓国語で文末につける「~すんにだ습니다」や「~いだ이다」も同様に
日本語言語圏からの借用ではないかという。
朝鮮語固有の文末語尾は「~いら이라」など「ら」が通例であったからだ。
なるほど、それを聞いて私は苦笑いを隠せなかった。
なぜなら、今のネットにはびこるネトウヨと呼ばれる人たちや嫌韓のひとたちは
朝鮮・韓国、コリアンを侮蔑したり、馬鹿にするとき「鮮人」や「チョン」
(「チョン」はいまでもよく散見する)ではなく「ニダー」や「トンスル(糞酒)」と使い、
差別用語を新造しているからだ。
これは皮肉である。彼らが馬鹿にしている、朝鮮・韓国語の語尾の「~だ」が日本語の「~だ」
由来とはネトウヨや嫌韓流の人たちは知る由もないだろう。
ネットでは他の文化圏や国を馬鹿にしたり、皮肉ったり、侮蔑したりする嗤う文化がはびこっているが
語学の歴史や由来を勉強するとそんなものはほんとうに取るに足らないものだと痛感させられる。
とにかく、そりよりも手ごわいのは歴史修正主義者や戦争、植民地被害者を否定する輩である。
ま、今日はネットにどっぷりつかりすぎた。もう家に帰らねば。