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正現寺が宗派を離脱して単立寺院となった経緯を、まとめてあります。
正現寺、宗派離脱と単立寺院化の経緯説明書


(1)宗派離脱の前歴:2004年


2004年、小池龍之介が浄土真宗本願寺派の教師課程を履修するにあたり、心身の不調のため延期することとなった。その心身の不調をととのえるために正現寺において一週間の瞑想修行をして、その修行内容をウェブサイト「家出空間」に掲載していたところ、それを知った近隣寺院から「宗派の研修を受けなかったのに、いかがわしい修行をしているらしい」という噂が立ち、破門すべきだという意見が出ていた。

それについて、前住職小池法雄が山口教区の中央に呼び出され、詰問された。ただし、本山の意向として「浄土真宗も仏教である以上は釈迦の教えを否定することはできないので、釈迦の教えを実践することにより破門されることはない」との見解が、非公式にではあるが示された。 その後、小池龍之介は体調を復調してから改めて教師課程を履修して、本願寺派の教師資格を得た。

(2)2010年8月から:住職申請と不受理


前住職小池法雄が緑内障の進行のため目が見えなくなり、法務の執行が困難となったため、退任を希望。それをうけて、小池龍之介を住職とすることを総代会の了解を得て、2010年8月22日に申請書を提出した。

9月4日、近隣15カ寺によって構成する山口南組の組長と副組長が正現寺を訪れ坊守が対応。住職申請の許可ができないとの通告を、口頭で受けた。理由は小池龍之介が浄土真宗本願寺派の教義に反した活動、出版をしているためとのことであった。

文書による正式な回答が得られなかったため、真意を確かめるために9月5日、副組長のお寺にうかがい、受理できない理由をたずね、談話内容を録音した。その場には、副組長のほかに近隣の二寺院の住職が呼ばれてつめており、その三者の発言を要約すれば「小池龍之介の、釈迦の教えを説く活動や出版は社会的に良いことだとは思うが、浄土真宗本願寺派の教えとは異なるため容認できない」とのことだった。

これをうけて、私小池龍之介は次のような印象を持ち、檀家総代に伝えた。「仏教とは釈迦の教えを根幹にしたものであり、浄土真宗も仏教である以上は、釈迦の教えに学ぶのも修行をするのも決しておかしなことではありません。釈迦の教えと浄土真宗の教えが相反するというのであれば、浄土真宗は仏教ではなくなってしまうということにならないでしょうか」

(3)二つの案と門徒投票


かくして現状のもとでは、寺院の後継者が見つからない状況となったため、正現寺では寺族と檀家総代により繰り返し総代会を開いて、対策を協議した。 当初、私小池龍之介は浄土真宗本願寺派を離脱して、無宗派の「仏教寺院・正現寺」となることを提案したものの、壇信徒の中に「『宗派はどこなの?』と聞かれたときに無宗派と答えるのは肩身が狭い」という意見が多数みられ、その感情をかんがみて、選択肢を次の二つに絞ることとした。

案1:正現寺は浄土真宗本願寺派を離脱して単立寺院となり、釈迦の教えを根幹において、浄土真宗をはじめとする諸宗派をゆるやかに包括する「浄土真宗正現寺」となる。そのうえで、その住職に小池龍之介を迎える。

案2:正現寺は浄土真宗本願寺派のままにとどまり、その住職として、浄土真宗本願寺派の僧侶を外部から迎える。

この二つの案に対して檀家全員に投票していただき、投票がより多数を占めた案のほうに皆で協力していこう、それを投票結果に任せる、ということを総代会で決議した。2010年10月10日に第一回、12月12日に第二回の、檀家全員の集会を開いて、意見を聞いて集約し、投票をおこなうことが了承された。その際に出た意見のうち代表的なものを簡略化して、ここに抜粋する。

案1に賛成:「お寺も現状に対応して変化していくべき」「他寺院からの外圧に屈してはならない」「お釈迦さま=ブッダの教えだからこそ仏教なのであって、それが認められないというのはおかしい」等々。 案2に賛成:「小池龍之介はお経を読まないらしいが、今後もちゃんと浄土真宗の法事や葬儀をしてもらえるのか不安」「大教団に所属している安心感が失われるのに抵抗がある」「先祖代々の伝統を守りたい」「このお寺が外部の人たちが修行をするのに使われるのは抵抗がある」等々。

12月12日から檀家総代長の自宅宛の郵送にて投票を開始し、12月20日の消印有効をもって締め切った。12月23日に総代全員と二名の立会人の立会いのもと開票し、「案1」のほうが多数であったにつき、ただちに宗派離脱の旨を掲示版に公告したうえで、12月24日に宗派離脱(=「被包括関係の廃止」)を通知する内容証明つきの文書を、宗派本山に郵送した。

公告にあたり、寺則の第一条を、以下のように書き換えたうえで、その他には本願寺派との関係を規定する文言を、寺則からすべて削除して掲示した。

(書き換える前の寺則第一条:「目的」)
この寺院は、親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、浄土真宗の教義をひろめ、法要儀式を行い、及びこの寺院に属する僧侶、門徒その他の信者を教化育成し、その他この寺院の目的を達成するための業務及び礼拝の施設その他の財産の維持管理を行うことを目的とする。

(書き換え後の寺則第一条:「目的」)
この寺院は、釈尊の教えを根幹として、浄土真宗を基本とした各宗派を緩やかに包括した教えを広め、法要儀式を行い、及びこの寺院に属する僧侶、門徒その他の信者を教化育成し、その他この寺院の目的を達成するための業務及び礼拝の施設その他の財産の維持管理を行うことを目的とする。

(4)2011年:単立寺院化と新執行部成立


2011年1月12日、浄土真宗本願寺派より、小池龍之介を破門処分する旨の通知を受け取る。「僧侶規程12条2に基づき、2011年年1月7日付にて僧籍を削除されましたので通知いたします。」ということが記されていた。「僧侶規程」という書類は入手困難なものであるため、「12条2」とは何かを法規に詳しい知り合いの僧侶にたずねたところ「他宗派の寺院を設立して活動することだろう、恐らくは月読寺の活動がそれにあたるのだろう」と伝えられた。この状況で小池法雄も破門された場合には、正現寺の代表役員が不在となってしまうため単立寺院化の手続きも進められなくなりかねず、それを防止する方策を協議した。

2月27日、第三回の檀家全員による集会を開催し、新住職による今後の運営方針を示すA4一枚の簡略な文書を配布したうえで、新住職による所信表明がおこなわれた(*その配布文書は「正現寺今後の青写真」としてPDFファイルがご覧いただけます)。その後、長時間にわたり壇信徒との意見交換がおこなわれた。

2011年3月4日をもって、既定の公告期間を満了したため、単立寺院を設立する旨の書類を、山口県に提出。3月23日をもってそれが認証され、正式に正現寺は単立寺院となった。

第21代住職小池法雄は退任し、第22代住職を小池龍之介とし、新住職が将来的に婚姻して新しい坊守が決まるまでのあいだは、前住職の配偶者である小池玲子が坊守に留任して法務にあたることが了承された。4月1日をもって小池龍之介が正現寺の新住職に就任し、新総代5名が選出されて新執行部が成立し、第一回の総代会を4月4日に開催した。そこにおいて、新しい寺院の路線が確認された。


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