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【社会】

福島第1原発 政府事故調の中間報告(下)

2011年12月26日 17時59分

 【第6章・事故の未然防止、被害の拡大防止】

 ▽地震の影響

 東電は重要な機器・配管に地震動のみによる大きな損傷はなかったと推定する。現時点で被害を直接確認することは困難で、あくまで推定だ。

 ▽08年の社内試算

 土木学会の2002年の津波評価技術に基づき、東電は最大波高5・7メートルとし、非常用発電機のかさ上げをした。

 東電は、政府の地震調査研究推進本部の見解に基づく08年5月〜6月の試算で、最大15・7メートルとの結果を得た。同年6月10日ごろと7月31日ごろ、原子力・立地本部の武藤栄副本部長や吉田昌郎原子力設備管理部長(いずれも当時)らに説明が行われ、担当者は防潮堤を造れば数百億円の費用と約4年の時間が必要と述べた。

 武藤、吉田両氏はそのような津波は実際には来ないと考えた。念のため土木学会に検討してもらうことにした。貞観津波研究の評価で得た9・2メートルの結果も同様とした。

 ▽保安院の対応

 保安院は09年8月、東電に津波評価の現状説明を求め、翌9月、東電が貞観津波の試算を説明した。保安院の審査官は対策工事の要求はせず、上司の森山善範審議官(当時、原子力安全基盤担当)らに報告もしなかった。森山審議官は「情報の受け止め方の感度が良くなかった」と供述した。

 保安院は今年3月7日に東電から津波対策の現状を聴取。保安院の室長らは「早く津波対策を検討し、報告書を提出してほしい」と述べたが、保安院の審査官は対策工事を明確に要求せず、上司に報告しないまま3月11日の地震を迎えた。

 ▽東海第2との比較

 日本原子力発電東海第2原発では07年に茨城県が公表した津波浸水想定に基づき、ポンプ室の側壁高さを4・91メートルから6・11メートルに増設。5・4メートルの津波が襲ったが、電源を確保できた。

 【第7章・問題点の考察と提言】

 ▽事故後の政府対応

 オフサイトセンターが放射性物質の汚染に十分配慮しておらず、使用不能に陥った。対応の意思決定は主に官邸5階で行われ、5階と地下の参集チームのコミュニケーションが不十分だった。

 ▽原発の事故後の対応

 1号機のICの機能の認識や操作の習熟が不足しており、対処遅延の連鎖を招いた。3号機でHPCIを停止後、注水が途切れたことは極めて遺憾。適切に対処していれば炉心損傷の進行を緩和できた可能性がある。

 ▽被害拡大の防止対策

 避難指示はSPEEDIが活用されず、きめ細かさに欠けた。汚染された水を周辺諸国への説明をせずに海洋放出し、不信感を招いた。

 ▽不適切だった津波・過酷事故対策

 津波対策基準の提示は保安院の役割だが、その努力がなされた形跡はなかった。東電は対策を見直す契機はあり、具体的対策を講じることが望まれた。過酷事故対策では地震や津波など外的事象は対象にならなかった。

 ▽安全規制組織

 政府が発足させる「原子力安全庁」(仮称)は独立性と透明性の確保、緊急事態に対応する組織力、情報提供の役割の自覚、人材確保に留意するよう要望する。

 ▽まとめ

 津波による過酷事故対策、複合災害という視点が欠如していた。いったん事故が起きると重大な被害を生じる巨大システムの災害対策は、考え方の枠組み(パラダイム)の転換が求められている。事故後「想定外の事象が起こった」との発言が相次いだが、発生確率が低くても「あり得ることは起こり得る」と考えるべきである。(人物の肩書は断りのない限り今年3月時点)

 

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