【社会】福島第1原発 政府事故調の中間報告(上)2011年12月26日 17時59分 【第1章・はじめに】=略 【第2章・事故の概要】=略 【第3章・組織的対応状況】 ▽国の対応 政府は3月11日午後7時3分、原子力緊急事態宣言を出し、原子力災害対策本部を首相官邸に設置。経済産業省の緊急時対応センター(ERC)に原災本部事務局が置かれたが、原子力安全・保安院は助言が遅れ、決定に影響を与えることはほとんどなかった。官邸地下の危機管理センターに関係省庁の局長級の緊急参集チームがいたが、菅直人首相や閣僚らが集まった官邸5階の決定を十分把握できなかった。 官邸5階では東京電力の武黒一郎フェローらが本店や福島第1原発の吉田昌郎所長に電話で助言したが、情報は限られ、武黒フェローは1号機爆発をテレビで知った。 ▽オフサイトセンター 福島第1原発の保安検査官ら5人は12日、現地対策拠点オフサイトセンターに退避。4人が再派遣されたが、14日再び退避した。 【第4章・発電所における事故対処】 ▽ICの停止 発電所では対策本部が免震重要棟に置かれ、本店とテレビ会議システムで情報共有した。1号機は原子炉を冷やす非常用復水器(IC)、2号機、3号機は原子炉隔離時冷却系(RCIC)が起動。運転員は1号機のICを停止させ、その後3回起動させ原子炉の圧力を調整。地震発生直後ICの機能を損なう配管破断はなかったと考える。 津波で非常用発電機などが水をかぶり、吉田所長は考えていた過酷事故をはるかに超える事態に、とっさに何をしていいのか思い付かなかったが、まず「全交流電源喪失」発生を官庁に通報した。 1号機の全運転員はIC作動の経験がなかった。1号機の海水注入が遅れた一因はICの作動状態の誤認識にある。1号機のベント(蒸気を放出して圧力を下げる措置)に時間がかかったのは、ICの作動状態の誤認に起因すると考えられる。 保安院の保安検査官は12日未明まで免震重要棟2階にいたが、指導や助言もせず、事故対策に全く寄与しなかった。 ▽海水注入の中断指示 12日午後3時36分、1号機で水素爆発が起き、作業員は免震重要棟に退避。吉田所長は海水注入に必要な作業の再開を決断、消防ホースを引き直し、同7時4分注入可能になった。 吉田所長は武黒フェローからの電話に「もう海水の注入を開始している」と回答。武黒フェローは「今官邸で検討中だから待ってほしい」と要請した。吉田所長は自己の責任で継続を判断、テレビ会議のマイクに入らない小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」と命令後、対策室全体に響き渡る声で中断を指示した。その後、武黒フェローは首相の了解が得られたと連絡、所長は同8時20分再開を指示した。 ▽3号機の注水停止 12日午前11時36分に3号機のRCICが停止した後、午後0時35分に高圧注水系(HPCI)が起動。低い回転数で、設備が壊れることを恐れた運転員は、13日午前2時42分、手動で停止した。代替注水はできず、HPCIも再起動できず7時間近く経過、炉心損傷が進んだ。 3号機の海水注入について、官邸5階で「海水を入れると廃炉につながる」「淡水があるなら、それを使えばいい」との意見が出た。電話で伝えられた吉田所長は海水注入の作業を中断、淡水を使う注水経路変更を指示。午前9時25分、淡水注水を開始したが、午後0時20分、淡水が枯渇。海水注入開始は午後1時12分だった。 ▽建屋の水素爆発 本店や現場で格納容器の水素爆発の危険性は意識していたが、水素が原子炉建屋に充満し爆発する危険は考えていなかった。1号機水素爆発で吉田所長は地震かと考え、次にタービン建屋で爆発が起きたと考えたが、その後テレビ映像で状況が把握できた。 ▽退避バスを手配 14日正午以降、2号機の水位低下が顕著になり、吉田所長はベント準備をして原子炉を減圧、海水注入するよう指示した。官邸5階にいた原子力安全委員会の班目春樹委員長は吉田所長に電話で、ベント準備を待たずに注水すべきだとの意見を述べた。その後ベント準備に時間を要すると分かり、本店の清水正孝社長は班目委員長の意見に従うよう指示した。 午後7時57分、原子炉圧力上昇で注水できなくなった。吉田所長は燃料が格納容器を貫通する「チャイナ・シンドローム」の最悪事態になりかねないと考えた。1号機、3号機も同様になると考えた。自らの死をも覚悟したが、本店と相談、状況次第で必要な要員以外は退避させようと判断。動揺を避けるため総務班の一部に、退避用バスの手配を指示した。結局、15日午前1時台から継続的に注水可能となった。 午前6時、2号機で爆発音が聞こえ、約50人を残し約650人を福島第2原発に退避させた。 【第5章・発電所外の事故対応】 ▽SPEEDI 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は外部電源喪失でデータ伝送ができず放射性物質の拡散予測ができなかった。 ▽住民避難 避難指示は現地対策本部長が市町村に伝えることになっていたが、電話がつながるまでに時間を要し、自治体はほとんど、テレビなどの報道で認知した。 ▽住民の被ばく 福島県は3月11日夜からスクリーニングの実施を決め、翌日開始。県内の初期被ばく医療機関のうち3病院は第1原発から半径10キロ圏内。避難区域内で機能しなかった。 ▽農畜産物の汚染 事故以前は放射性物質に汚染された飲食物を直接規制する基準はなかった。農林水産省は風評被害防止のため基準が必要と厚生労働省に要望。厚労省は原子力安全委の指標を規制値とした。 ▽国民への情報提供 保安院は3月12日、記者に「炉心溶融の可能性」と説明したが、官邸で懸念があったとの情報を受け、寺坂信昭保安院長が事前に官邸の了解を得るよう指示した。13日にかけて保安院は「炉心溶融」の表現を使わず、4月に「燃料ペレットの溶融」との表現にした。 ▽「直ちに」の表現 政府は放射線について「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」と説明したが、「心配する必要はない」「長期的には影響がある」の両方の理解があり得る。 PR情報
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