2011/12/25
おお,ありとあらゆる治世の,ありとあらゆる国家の殺戮者よ,投獄者よ,馬鹿者よ。いつになったら君達は,人間を閉じ込め,死なせる技術よりも人間を知る技術を尊重するようになるのであろうか。マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」より
『美ーー美という奴は恐ろしいおっかないもんだよ!つまり,杓子定規に決めることが出来ないから,それで恐ろしいのだ。なぜって,神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。美の中では両方の岸が一つに出会って,すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけれど,このことはずいぶん考えぬいたものだ。実に神秘は無限だなあ!この地球の上では,随分沢山の謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら,それは濡れずに水の中から出てくるようなものだ。ああ美か!その上俺がどうしても我慢できないのは,美しい心と優れた理性を持った立派な人間までもが,往々聖母(マドンナ)の理想を懐いて踏み出しながら,結局悪行(ソドム)の理想を持って終わるという事なんだ。
いや、まだまだ恐ろしい事がある。つまり悪行(ソドム)の理想を心に懐いている人間が,同時に聖母(マドンナ)の理想をも否定しないで,まるで純潔な青年時代のように,真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや実に人間の心は広い,あまり広すぎるくらいだ。俺は出きる事なら少し縮めてみたいよ。ええ畜生,何が何だか分りゃしない、本当に!
理性の目で汚辱と見えるものが,感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体悪行(ソドム)の中に美があるのかしらん?........しかし,人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるもんだよ。
〜ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」第三篇の第三,熱烈なる心の懺悔.....詩
松岡正剛のカラマーゾフの兄弟
『旧約聖書はどこもおもしろい。いや、考えさせられる。モーセの出エジプトやノアの洪水やソロモンの伝説のように、歴史と虚構がどのように交じったかを読むのもスリルがあるし、ユダヤの預言文学のレベルを他の古代宗教とくらべるのも興味が尽きない。イザヤ書・エレミア書・エゼキエル書を読んだときは、「そうか、これがユダヤの言霊か」と合点した。
その一方、約束の地カナーンを誓った民族共同体イスラエルがどのようにユダヤ民族のなかの理念として定着していったかとか、古代ヘブライ社会やヘブル語がどんな表現レベルをもっていたのかということを見るのも、興奮させられる。しかし、文学的にも哲学的にも、また神学的にも心理学的にも共通する深さをもつ問題を鋭く提示しているところというと、なんといっても『ヨブ記』なのである。ゲーテはこれをもとに『ファウスト』を発想したし、ドストエフスキーはここから『カラマゾフの兄弟』全巻を構想した 。』
ヨブへの答え その1〜5まで
『キリスト教での地獄は一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。他方、地獄を霊魂の死後の状態に限定せず、愛する事が出来ない苦悩・神の光に浴する事が出来ない苦悩という霊魂の状態を指すとし、この世においても適用出来る概念として地獄を理解する見解が正教会にある。この見解はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場するゾシマ長老の台詞にもみえる 。地獄を死後の場所に限定せず、霊魂の状態として捉える理解は、楽園が霊魂の福楽であると捉える理解と対になっている。』
福島第一原発の安全装置は8年前に取り外されていた。
8年前の総理は誰だったか?情けない限りだ。
国家が行うべき歴史認識
原文
歴史というのは、事実をどう捉えるか?
肯定的に捉えるのか、否定的に捉えるのか
事実にどのような意味を持たせるか?という歴史認識の問題です。
現代において、自虐史観、東京裁判史観と言われているのは
いわば、アメリカ側から見たアメリカの歴史を徹底的に正当化した米国史観なのである。日本は悪。原爆投下は正しい。それが米国史観であり、勝者の歴史観なのだ。戦後のGHQの情報操作により正しい歴史認識は検閲で消され、WGIP(戦争犯罪宣伝計画)今、日本の歴史観は米国史観に塗り替えられている。
日本側から見た歴史に塗り替える必要がある。決して都合の悪い歴史を否定するわけでない。
同じ事実でも、それを認識する側、日本とアメリカでは違ってきますし、同じ側でも、どう捉えるかで歴史認識は変わってくる。
我々は、国際社会を生き抜くという目的を達するためにも、自罰的な歴史認識をするべきではない。最初からアドバンテージを相手国に与えてはいけない。
日本への原爆投下について、未だアメリカ政府は「原爆投下は間違いではなかった」として、アメリカ国内の学校で教える教科書にもその様に書き、原爆で亡くなった人の数も半分程度の数字を載せている。
日本人の感情としては許しがたいことだが、これは、「国家が行うべき歴史識」の生きた見本なのだ。アメリカに限らず世界の全ての国家が過去も現在もそうなのだ。
アメリカ独立戦争のジョージ・ワシントンはアメリカの教科書では英雄だが、イギリスの教科書では賊軍の首領で反乱者として書かれている。
伊藤博文を暗殺した安重根現は、韓国では「抗日闘争の英雄」として評価され、「義士」と呼ばれ、偉業を伝える「安重根記念館」なるものもソウル市内にある。
中国に200以上ある「抗日記念博物館」もこれらと同じ文脈上に位置している、と考えるべきだ。
どの国も自国の為に戦ったものを英雄と称え顕彰するのだ。
このようなことは、それらの国が国家として正しい”政策”をとってると認すべきで、このような世界の厳然たる歴史の前では、これを非難してもそれは空虚なことだ。
「全ての国家は自国にとって最大有利な歴史認識を主張するものだという世界史の真理」があることを認識すべきなのだ。
今こそ歴史への自負を取り戻す時
日本はすばらしい国だ。
たった一度の敗戦で自信を失ってはいけない。自信を失った原因は、敗戦というより歴史への自負を失っていることにある。歴史への自負を取り戻さなければ、日本はこれからも外国の情報戦に木の葉のように翻弄され続ける存在であり続けるだろう。
自負とは
「自分の才能や仕事に自信をもち、誇らしく思うこと。また、その心。」であるが、まさに日本人は、自国や 自国の歴史・文化に対し、自信を失い、卑下する国民になってしまった。謙譲の文化もあるが、敗戦後のGHQの戦略との影響により蔓延るサヨクが足かせになっている
外国人は、自国の歴史や文化への自負がある。
私は日本で働いている韓国人と知り合う機会があった。彼はいい人であったが、自国への自負を持っていたことが伺われた。自信をもってハングルについて説明してくれた。
自負と言っても、ナルシストになることではない。日本人として、外国人に 日本はこういう国ですと自信をもって言える。その程度の自負心でいい。
自国を誇る。それは別に後ろめたいことではない。サヨクという足かせのために、それすらも出来ない日本になってしまっている。
戦後処理・賠償はサンフランシスコ講和条約で終わっている。いつまでも、贖罪意識にとらわれてはいけない。韓国に対しても日韓基本条約で終わっている。(戦争はしていないが、経済協力金という名目で莫大な賠償金を提供し、韓国内の日本の資産を全て放棄している)
戦後60年もたって、いつまでも自信も自負も失ったままで 自己卑下し続ける日本人をどこの国が尊敬するだろう?
いつまでも、GHQの情報操作WGIPによる「閉ざされた言語空間」の檻の中に閉じ込められたままでは いけない。
今こそ、「閉ざされた言語空間」を打ち破り、歴史への自負を持ち
自信を回復するときである。
ちなみに、ニューヨークタイムズだったかどこだったか忘れたが・・
中田やイチローが「去勢された国の本物の男達」「骨抜きにされた国の本物の男達」と評されていた。
自信を失っている日本人達へ・・・ 彼らに続け
日本人が、自信と自負を回復し、日本が「普通の国」なることを願う。
この過ちは二度と繰り返しませぬから
1952年、世界連邦アジア会議にゲストとして招待されたパール博士は11月5日、原爆慰霊碑を訪れ、献花し黙祷を捧げた。
そしてその碑に刻まれた文字を通訳させ、疑うかのように二度三度と確認
したという。その慰霊碑にはこう刻まれていた。
「 安らかに眠って下さい。この過ちは二度と繰り返しませぬから」
そしてパール博士は厳しい表情でこう言われた。
「ここで言う『過ち』とは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本
人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と
再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。
この『過ち』が、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日
本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたもの
であることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済
封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。ア
メリカこそ開戦の責任者である。」
このような言葉が日本人から出てこなかった事実を私は非常に残念に思
う。 多くの日本人は自らの正統性を訴える事を忘れ、アメリカに依存し続
け、そればかりか死者に鞭打つがごとき報道や教育を今なお繰り返してい
る。あまつさえ「日の丸・君が代反対」を叫ぶ団体や政党まであるこの現状
は、『日本人』として正視に耐えないほどの自虐行為であると強く思う。
また長崎原爆資料館には、南京大虐殺の写真が3回とり変えられたと言う。なぜに原爆資料館に南京大虐殺の写真が。。と思う方も多いと思う。
三回目に取り替へられた写真も、それを写した方が「これは南京虐殺の写真ではない」と言っているそうだ。つまり偽者の写真ー捏造写真なのである。
これこそGHQの占領政策「戦争犯罪宣伝計画」WGIPの成果である。
WGIPでの情報操作による洗脳計画では「日本国民と軍部を対立させる」の他に「原爆投下を日本の残虐行為で相殺する」と言う政策が行われた。
本来 原爆の被害等を伝えるべき、この長崎原爆資料館に南京大虐殺のプロパガンダ写真があることが、WGIPが行われた形跡を未だに残している。
こんなものは 今すぐ撤去すべきなのである。
WGIPが日本人の手によって拡大再生産されている。もう これはアメリカ−GHQの仕業の問題というより日本人自身の問題である。
WGIPの影響
ミラン・クンデラというチェコの作家は「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化を作らせて、新しい歴史を発明させることだ。そうすれば間もなく、その国民は、国の現状についてもその過去についても忘れ始めることになるだらう」と言っている。
戦後占領政策でGHQは、この教えに従い忠実にそれを実行したのである。検閲で日本の歴史を消去し、WGIPで 新しい歴史を創造した。
例えば、「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。
今、私の手元に「太平洋戦争」という本があるが、まさしくこれは戦後GHQの WGIP+検閲の成果であり、未だに出版業界がGHQの指針を踏襲していう証拠である。
ちなみに「我が国」という言葉もGHQによって消された言葉です。
筑紫哲也氏の「この国の行方」、安倍 晋三氏の「この国を守る決意」という本があります。普通なら 「わが国****」でしょう。
現在になっても出版業界においてGHQの指針が守られているとは、呆れます。
そしてつい最近自分自信が情報操作から解放されることになりました。
WGIPや情報戦を投稿しながら、どうも自分が情報操作されていたみたいです
「アメリカは、文化財保護のため京都を爆撃しなかった。」
敵国のことを、そこまで考えるアメリカにその部分では好印象を持っていました。たった 今まで。
しかし、今のその洗脳が解けました。
以下を読んで…
日本の古都はなぜ空襲を免れたか?
http://dewanokuni.hp.infoseek.co.jp/Review27.htm
京都が原爆投下の対象都市であるために空襲を免れたと言う指摘である。これにはショックを受けた。このことについては、原爆開発投下の現場責任者のレスリー・グローブ少将の資料からも明らかで、京都が原爆の破壊力を内外に誇示しうる威力の測定に必要な市街地の広さを持つ点で格好の都市であるとしている。つまり、原爆実験の場として空襲による被害を抑え、原爆投下で、その威力の誇示し、正確な効果の測定を行おうとしたわけである。
奈良、鎌倉にしても、文化財保護を考慮して空襲が少なかったのではなく、アメリカが人口、住宅密集地、軍需工場を検討し空襲の順番を決め、たまたま、その順番がこなないうちに敗戦を迎えたということらしい。ところが、戦後、このような古都が空襲を免れたのは、アメリカが戦時中、日本や中国の文化財を調査した委員会(ロバーツ委員会)でのウォーナー博士の尽力の賜物であるという話が流布されることになる。
所謂「ウォーナー伝説」と呼ばれるものである。これによってウォナー博士は古都を守った恩人としてあちこちの銅像がたつことになる。著者の吉田氏はこのことに対しても疑問を寄せている。いやこの疑問から出発したのである。
ロバーツ委員会は文化財リストは作ったがそれを保護するためではなく、略奪したものを返還させるため(特にナチス)と言われている。たまたま、日本の文化財リストを作ったのがウォーナー博士だったわけである。吉田氏によると、これはアメリカが日本の文化財を守ったというアメリカCIE(民間情報教育局)のうまみな「ウォーナ賛美」の演出ではなかったのかと見ているようである。
アメリカは3発目の原爆投下8月24日ころ計画していたという。それが陸軍長官の反対を無視して京都投下を温存していた軍人達がおり、京都は空襲禁止の状態が続いていたため、無傷の状態で終わったようである。
WGIP、今も生き続けるGHQの宣伝計画(2)
http://k-mokuson.at.webry.info/200508/article_3.html
戦後の日本にウォーナー恩人説を広めたのは、1945年11月11日の 『朝日新聞』 が 「京都・奈良無疵の裏、作戦国境を越えて、人類の宝を守る、米軍の陰に日本美術通」 といった見出しの記事で、美術研究家矢代幸雄の談話を添えてウォーナーの功績をたたえたことが大きいだろう。
また、さきの新聞記事には 「現在マックァーサー司令部の文教部長たるへンダーソン中佐が日本に進駐してはじめてウォーナー氏の並々ならぬ努力の秘話が伝えられたのである」 と書かれている。 吉田守男氏は、この辺の事情についても詳細に調べて次のよ うに結論した。 戦後日本を占領したアメリカは、軍国主義を否定するとともに親米的な感情を作り出さねばならなかった。 そのために、民間情報教育局(CIE)の対日活動の一環として意図的に作り出されたのがこのウオーナー伝説 である、と。
これらから結論出来るのは、自分が常識と思ってることが、誰かが意図的に
作り出した情報によって操作された可能性があるということです。
つい2,3日前まで、信じてましたからね。京都を爆撃しなかったのは、アメリカが文化財保護のためにそうしたと。
そして今のその「敵国に対して理性あるアメリカ」という情報操作から
解放されたわけです。
WGIPに関してはサヨクから
「たった7年で洗脳されるわけがない。日本人はそんなにおろかなのか?」
といわれます。確かにそうかもしれない。
しかし、WGIPは、7年間だけの情報操作というより、戦後の教育・報道がその7年間に残したものが基盤になり、行われてきた。60年間それを踏襲し続けた結果、それが常識となってしまった結果だと思います。
私自身が、今まで何も知らずに「太平洋戦争」という言葉を使い、「文化財保護のために京都を爆撃しなかった」と信じていたということでそれを実感させられました。
http://www.youtube.com/watch?v=HjR4miGOqE8
その短い波乱に満ちた人生を閉じる場面で,ゲバラは射殺をためらっている兵士たちに向かってこう叫んだ。「ここにいるのは英雄ではない。ただの一人の男だ。撃て!臆病者め」
1959年キューバの閣僚として広島を訪れたゲバラは「アメリカにこんな目にあわされておきながら,あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか?」と言い放った。
Hasta Shiente El Che!
原爆投下直前まで「京都は原爆投下目標都市の一つ」であった。
原文
*
1945年4月12日
・ルーズベルト大統領(63)、ジョージ州アウォーム・スプリングで脳溢血により没。後継大統領にトルーマン副大統領が就任。
この頃には既に原爆開発が進捗しており、どう使うかが差し迫った問題となっている。
トルーマンは、原爆政策に関する諮問機関としてスティムソン陸軍長官を議長とする暫定委員会を設置。
一方、マンハッタン計画の内部でも、投下目標選定基準の設定の必要性が議論され、計画関係者に第20空軍メンバを加え、「目標検討委員会(Target Committee)」が設置される。
*
4月27日
・目標検討委員会の第1回会議。
日本の夏の悪天候が予想され、目視による有視界爆撃を行うこと、また、「目標は妥当な広さの都市地域に位置するが、目標そのものは直径三マイルをくだらないもの」とするとして、東京と長崎の間にある、第21爆撃機集団の焼夷攻撃リストから選ばれた17都市が研究対象になる。
同時に、東京、横浜、名古屋、大阪、京都、神戸、八幡、長崎については第20空軍が組織的に爆撃していること、東京は「焼きつくされており、皇居が残されているだけで、事実上瓦礫と化している」と報告される。初めから人口密集都市地域が目標とされている。
*
5月10日
・目標委員会の第2回会議。
投下目標として京都、広島、横浜、小倉兵器廠が勧告される。
「目標選定上の心理的要因」が重視され、
「(1)日本にとって不利となるような最大の心理的効果をあげること、
(2)この兵器をはじめて使用するさいには、十分にこれを劇的(spectacular)なものにし、兵器に関する情報が公開されたときに、その重要性が国際的に認識されるようにすること」が指摘される。
更に、委員会は「軍事」目標に対する使用として、「拙劣な爆弾投下により、原爆を無駄遣いする不都合な危険を避けるために、小規模でかつ厳密に軍事的な目標が、さらにずっと広い地域のなかの爆風被害を受けやすいところに存在していなければならないという点で意見が一致した」。
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5月28日
・目標検討委員会の第3回会議。
「リトルボーイ」(ウラニウム爆弾)の準備が8月1日に完了することが報告され、目標の京都、広島、新潟に関する資料が提出される。
目標都市の「工業地域が小さく、市街地の外辺に広がり、完全に分散している」という理由で、「精密照準目標としては工業地域の位置は無視」し、「選定された都市の中心部に最初の特殊装置(原爆)を投下するように努力」する、として住民の集中する都市中心部を目標とすることが決定される。
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5月31日
・暫定委員会で原爆投下目標に関する勧告を全会一致で決定。
議長のスティムソン陸軍長官は6月6日にこの勧告をトルーマン大統領に伝えるが、トルーマンは6月1日にバーンズ国務長官(大統領代理)からこの勧告の内容を聞いている。
この時、トルーマンは、「残念なことだが、自分の見る限り唯一の合理的結論は爆弾を使えということだ」と語る。
この6月1日が、トルーマンが原爆の実戦使用を「決定」した日といえる(歴史家マドックスの主張)。
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「合衆国は日本側に事前の(原爆投下の)警告を与えることはできない。一般住民地域を集中攻撃目標にすることはできない。ただし可能な限り多くの住民に深刻な心理的影響をあたえるようにすべきである。もっとも望ましい目標は、多数の労働者を雇用し、かつ、労働者住宅にぎっしり囲まれている基幹軍需工場であろう。」
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6月30日
・米統合参謀本部は、原爆使用の効果をより高くするため、京都、広島、小倉、新潟の4都市に対する攻撃禁止命令を各軍に宛て発令。
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7月24日
・トルーマン米大統領、スターリン・ソ連首相に原爆(「前例のない破壊力を持った兵器」)完成を伝達。スターリンは中断していた原爆開発の再開を命じる。
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7月24日
ポツダム会談に出席のマーシャル陸軍参謀本部長に、留守番役のトーマス・ハンディ本部長代行から、米戦略航空軍総指揮官カール・スパーツ将軍に宛てた原爆投下命令の即時承認を求める電報が届く。
トルーマンはこれを承認し、翌25日、スパーツが509混成軍に原爆投下命令を下す。
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@第20航空軍第509混成航空軍は、8月3日頃以降、有視界爆撃が可能な天候になり次第、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかを目標として、最初の特殊爆弾を投下する。
A追加分の爆弾は、計画担当者による準備が整い次第、前記の目標に対して投下される。
B日本に対するこの兵器の使用は陸軍長官ならびに米国大統領にゆだねられる。
C前記の命令は、陸軍長官ならびに米国陸軍参謀本部長の指示及び承認のもとに貴官に発せられる。
*
この段階までに、スティムソン陸軍長官の反対により京都が原爆投下目標から外され、長崎が4番目の目標となる。
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スティムソンが京都を外した理由。
「ソ連が満州を侵攻する場合の備えとしてアメリカ寄りの日本を作るという目的を、(京都に対する原爆攻撃が)阻害する要因となる」(「日記」24日付)ことを恐れた。
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以上は、荒井信一「空爆の歴史」(岩波新書)によりました。
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空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)
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2011/12/25
誠にまことに汝(なんじ)らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて在(あ)りなん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。ヨハネ伝第十二章第二十四節 (カラマーゾフの兄弟冒頭から)
小中学生にカラマーゾフの兄弟なんて読ませたら駄目ですよ 。
あらすじ (怖いのは三島由紀夫は「仮面の告白」の冒頭これを取り上げていることです。
サヨク・サヨクメディア・日教組など反日日本人が生まれた根本原因を辿っていくと、GHQ占領政策による.....
戦争犯罪宣伝計画
WGIP(War Guilt Information Program)
「日本人に戦争についての罪悪感を植えつける洗脳計画」
に辿りつく。
原文
情報戦・世論操作・もくじ
日極会親衛隊とは?
ビデオ・君のためにこそ死ににいく
忠臣蔵もそうでしたが最後に出てきたのは荻生徂徠の陽明学でした。死は美学であると。でも死んではいけないのです。君のために死ぬなんて........。誰でも寿命がきたら死ぬんですからね。
WGIPは、大東亜戦争の終結後、日本を占領統治した連合国総司令部(GHQ)によって遂行された洗脳政策であり、その目的は戦争に対する一方的な贖罪意識を日本人に植え付けることにあった。
これによって、アメリカ側の戦争責任を隠蔽するとともに、日本が二度とアメリカに対抗できないよう、日本人の精神を骨抜きにすることを目論んだのである
GHQの占領期間7年間だったが、その間にWGIPの他に 検閲、日教組の設立など種々の日本骨抜きのための謀略が行われた。(管理人注 :政治の方ではG2−Dと呼ばれる(ユージー)ドーマン機関が暗躍しそれはいまでも継承されているようだ)
そしてその時に情報操作された情報を元に学校教育やマスコミは踏襲し、教育・報道を行ってきた。
あの三人を脅かして骨抜きにしたのもドーマン機関だ。
逆らえば13階段である。管理人の心情として彼らを許してあげたい。
ハルノートは最後通牒であったのか?
いわゆる昭和16年11月26日のハル・ノート「Strictly confidential, tentative and without commitment(極秘、試案にして拘束せられず)の試案にして拘束力はないの部分を消し「米国からの最後通達」として御前会議にかけた(かけさせた)背後の(操られた人形たちの)人物たちを洞察すればこの国というか天皇というか深い深い闇の部分が浮かび上がってくる。
日米開戦のシナリオライターは誰だ
時近ければなり その3参照
Behind the MYTH その3
フリーメーソンとは何か その3
悪魔に愛された女
続・悪魔に愛された女
円売り介入の含み損は40兆円
For our struggle is not against flesh and blood,but against the rulers,against the authorities,against the powers of this dark world,and against the spiritual forces of evil in the heavenly realms
<EPHESIANS6:12>
「私たちは、常に、エフェソ人への手紙、第六章の十二を思い起こさなければならない。『私たちの戦いは、血肉を備えた物理的存在に対してのものではない。それは、この世の闇の支配者の国や権力に対するものである。それは、高次元での、邪悪な霊に対する戦いである。(管理人注 :偽装された光と真の光とを見極める力を養えば闇の構造が理解できDelete出来るだろう....Ctrl+Alt+Deleteでクリア)
そして1952年サンフランシスコ講和条約が発効して占領から解放された後も、なぜか、憲法や教育基本法が改正される事も無く、未だにWGIPに従って洗脳教育&洗脳報道が実施されているのが現状である。
占領政策時代の7年間で情報操作された基盤を、教育や報道で60年間踏襲した結果、GHQの吹き込んだ情報が事実として定着してしまったのである。
こうして反日日本人が大量に生産されることになるのである。
その敗戦国日本に乗り込んできたGHQが仕掛けた洗脳プログラムWGIPとは何か?
それは日本人に「大東亜戦争は人類に対する犯罪行為であった」という罪悪感を植え付け、日本古来の精神文化を奪う犯罪的プログラムであった。
さらにGHQの検閲組織CCDと翻訳機関ATISに勤務した一万人にも及ぶ日本人協力者たちは、自らの既得権益保護のためにGHQになり代わり、戦後日本を長期に渡って思想的に支配統制し続けたということが明らかになってきた。
大東亜戦争=太平洋戦争の期間は3年8ヶ月であったが、連合軍による日本の占領はその約1.8倍の6年8ヶ月の長期に及んだ。戦争が終わったのちこれほどの長期間、占領軍が駐留して占領政策が行われたという国は、他にない。
アメリカの占領政策の目的は、明確であった。「降伏後における米国の初期対日方針」(昭和20年9月22日)には「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されている。
アメリカは、日本が決してアメリカに報復戦争をすることのないように、日本人に戦争の贖罪意識を植え付け、民族の誇りと自尊心を奪いとろうとした。そして日本人を精神的に去勢し、日本お国家と社会をアメリカの意のままになる従属的な体制に変え、保護国、属国的な存在にしたのである。すなわち、占領政策とは、日本弱体化を目的とする政策であったのだ。
精神改造の始めは「日本は無条件降伏した」(管理人注 :日本政府が見た降伏文書には 無条件降伏の文言が削除されていた) と思わせ、連合軍の政策への抵抗の意志を奪うことであった。さらに強引な言論統制と巧妙な検閲によって、批判を封じたうえで、日本人に戦争に対する罪悪感を植え付ける計画を実行した。民族の固有の伝統と歴史を否定して愛国心を根こそぎに抜き去ること、国の指導者に対する国民の不信感をかき立てること、共産主義者に活動をさせて国論を分裂させることなどして、日本人の精神的団結を破壊しようとしたのである。これらの政策は、すべて一つの目的のために遂行されたーー日本を弱体化すること。
日本の四分割の協議
そうはいっても......テレビヤンコ中将は、ソ連は必ず貴官(マッカーサー元帥)を最高司令官の職から罷免させる、と脅かして、たとえ承知しようがしまいがソ連は日本に進駐する、とまで極言した。そこでマッカーサーも「もしソ連兵が一兵たりとも許可無く日本に侵入したならば、テレビヤンコ中将を含めてソ連代表を全部即座に投獄する」 と言って応じ、ソ連の野望は潰えたのです。マッカーサーはバランス感覚を備えていた人物であったといっていいでしょう。
直感的には マッカサーは1812年の戦争のヒーローであったアンドリュー・ジャクソンと重なって見える。
昭和20年9月2日戦艦ミズーリでの降伏文書調印ビデオ
日本の開国の瞬間
今は日本が開国をした場合と鎖国を続けていた場合を両天秤にかけ冷静に物事を見る必要がある。
その効果は、決定的であった。原爆に匹敵するほどの破壊力を示し、今日もなおその放射能は日本人の精神を汚染し、日本人の背骨を虫食み、自滅へ導いている。
占領政策とは、日本弱体化政策であり、それは同時に、連合軍側の戦争行為の正当化、戦争犯罪の免罪でした。占領政策のポイントを主に5つに分けて考える。
(1)言論統制と検閲
特に、連合軍総司令部の占領政策への一切の批判の封に込め
(2)民族の伝統・歴史の否定
特に、修身、国史の授業停止による、伝統的な倫理道徳と歴史観の根絶
(3)戦争犯罪宣伝計画(WGIP)
特に、『太平洋戦争史』による「勝者の歴史」=「真相」という洗脳、罪悪感の移植
(4)東京裁判
国際法に根拠を持たぬ勝者による復讐劇。 日本=極悪犯罪国家という一方的断罪
(5)GHQ製憲法
占領政策の総仕上げ。法制化による継続化。主権の制限による保護国、属国化。
アメリカの日本占領政策は、日本人に戦争の罪悪感を植え付け、民族の誇りと自尊心を奪い、日本が決してアメリカに報復することのないようにすることを目的としていた。
日本占領の最高司令官マッカーサーがワシントン政府から受けた第1号命令は、日本を再び米国及び連合国の脅威にならないよう、徹底的に無力化、弱体化することであった。すなわち「降伏後における米国の初期対日方針」(昭和20年9月6日受け、26日公表)に「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」とその目的は明記されている。
そして、この目的の下に行われた占領政策は、日本人を精神的に去勢し、当時の日本人が持っていた愛国心を抹殺し、アメリカの保護国的属国的な存在へと貶めようとするものであった。
すなわち日本弱体化政策である。
そして、この政策を実行するにあたっては、秘密計画が存在したのだ。
その名は、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム。
WGIP : War Guilt Information Program
「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」
であった。
以下ここでは「戦争犯罪宣伝計画」と呼ぶことにする。
日本弱体化政策には、周到な計画が存在した。それは、日米戦争中から立案され、占領後は、その方針にそって、日本人から、力と弾圧によって、民族の歴史、道徳、団結心等を奪っていったのある。「戦争犯罪宣伝計画」の実行は、連合軍総司令部の民間情報教育局(CI&E)が強力に展開したのである。これは民間検閲支隊(CCD)による検閲と相乗効果をなして、日本弱体化を進めるものであった。
CI&E発行の文書に、表題もズバリ「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」というものが存在する。これは、計画実施の中間報告とでもいうべきもので、日付は昭和23年2月6日である。
その文書の冒頭には「民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植え付ける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼしてきた民間情報活動の概要を提出するものである」と書かれている。「日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植え付ける」ことが目的である。
またこの文書は「戦争犯罪宣伝計画を、広島・長崎への原爆投下に対する日本人の態度と、東京裁判中に吹聴されている超国家主義的宣伝への、一連の対抗措置を含むものまでに拡大するにあたって、採用されるべき基本的な理念、および一般的または特殊な種々の方法について述べている」とある。原爆投下への批判や日本側の言い分を圧殺しようとしていたのだ。
そして、その計画は3段階に分けて行われた。
3.『太平洋戦争史』(第1段階のa)
4.記憶と歴史の剥奪(第一段階のb)
5.東京裁判の準備(第2段階)
6.原爆批判と日本の言い分の封殺(第3段階)
以上3段階を順に説明していく。
第1段階のa 〜 『太平洋戦争史』
戦争犯罪宣伝計画の第1段階は、実質的には占領直後に開始され、CI&Eの文書によると昭和21年6月まで行われた。
連合軍は占領後まもなく、昭和20年9月から通信社・新聞社等への言論統制、検閲を始めた。この言論統制と検閲の下で、計画実施の第1段階が行われた。ここで重要かつ決定的な役目を果たしたのが、『太平洋戦争史』である。
「太平洋戦争史」は、昭和20年12月8日から、日本のほとんどあらゆる日刊紙に一斉に連載された。マッカーサー司令部は、日本の真珠湾攻撃の日を選んで、スタートしたのである。これは、日本全国民に対する戦争犯罪宣伝計画の開始だった。
『太平洋戦争史』は、CI&Eが準備し、GHQ参謀第3部の戦史官の校閲を経てつくられたものです。国務省(=外務省にあたる)が作成した資料を下にしており、勝者の立場で、米国中心に書いた歴史書である。
この文書は、まず「太平洋戦争」という呼称を日本の社会に導入したという意味で歴史的な役割を果たした。連載開始1週間後の12月15日には、「大東亜戦争」という呼称は禁止された(「神道指令」による命令である。)それとともに、日本の立場からの戦争の見方は抹殺されました。今日「太平洋戦争」という呼び名を安易に使っている人は、自分がアメリカ人の立場で戦争を見ていることに気づいていないことになる。
『太平洋戦争史』は、「戦争を始めた罪と、これまで日本人に知らされていなかった歴史の真実を強調するだけではなく、特に南京とマニラにおける日本軍の残虐行為を強調している」ものである。
それによって、日本人のセルフ・イメージを破壊し、日本の過去は悪の歴史であるというイメージを刷り込み、戦争の罪悪感を植え付けるものであった。それは、続いて、昭和21年6月から行われる
東京裁判への準備でもあったのだ。
『太平洋戦争史』はNHKのラジオでドラマ化され、ラジオ番組「真相はこうだ」として放送された。昭和20年12月9日より翌年の2月10日まで、週1回10週間にわたっての放送だった。
なかでも東京裁判を通じて、日本人に初めて伝えられた「南京大虐殺」の放送は、国民に深刻な心理的打撃を与えた。これは日本人の罪悪感の形成に決定的な影響を与えた。虐殺行為を針小棒大に強調し、誇大な数字を捏造したキャンペーンであった。このキャンペーンの延長線上に、朝日新聞の本多勝一氏がいる。
新聞連載終了の後、『太平洋戦争史』は、本として10万部印刷され、昭和21年3月より完売された。それだけ売れたのは、学校の教材として使用されたからである。すでにマッカーサー司令部の命令により、昭和20年12月31日に、修身、国史、地理の授業が即時停止されていた。その中で、21年4月、文部省は全国の小中学校に、これらの授業停止中の教材として『太平洋戦争史』を使用するよう通達したのだ。そして、『太平洋戦争史』は学校で、子供たちの頭に教え込まれた。それは、とりもなおさず、戦争犯罪宣伝計画の浸透であった。
一方、マッカーサー司令部は、文部省に対して、この勝者の歴史観に沿って教科書を書き改めさせた。ここで協力した学者が、教科書裁判で有名な家永三郎氏らでした。改ざん後、子供たちの教科書は『太平洋戦争史』に基づく歴史観で書かれ、基本的にはほとんど改正されずに現在に至っている。
『太平洋戦争史』が宣伝された5ヶ月後、昭和21年5月3日に、東京裁判が開廷されました。6月24日に市ヶ谷法廷において行われたキーナン首席検事による劈頭陳述は、『太平洋戦争史』に呼応し、それと同質の歴史観に基づくものであった。まさに『太平洋戦争史』こそ、いわゆる「東京裁判史観」の原点である。
『太平洋戦争史』とは、どんな内容なのか?
それは 端的にいうと、米国の国益のために書かれた宣伝文書である。
戦争の原因を国際関係を動かすさまざまな動因から総合的に把握しようとするのではなく、歴史的事象の一部を断片的に切り取って並べ、日本にのみ戦争責任があるように、描いているのだ。
一方、米国にとって都合の悪いことは一切触れていない。その典型として、排日移民法は一切ふれられていない。この法律は、日本を一方的に敵対視して、日本人のみを特定して排除した人種差別的な法律だ。その結果、日本の平和主義者を潰し、軍国主義者を台頭させて、日米戦争を招いた誘因となったものなのだ。また、米国が大不況への対策として自国の経済を守るためにブロック化し、これに対抗したイギリスもブロック経済化したことが、世界経済に重大な影響を与え、市場から締め出された日本は自存自衛のために大陸へ活路を求めていかざるをえなかったという事情も、描かれていない。このように一面的な記述であるため、この文書は歴史書というより、政治的な宣伝文書と呼ぶべきものなのだ。
江藤淳氏によれば、「『太平洋戦争史』なるものは、戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖したという意味で、ほとんど民間検閲支局(CCD)の検閲に匹敵する深刻な影響力を及ぼした宣伝文書である」「教育と言論を的確に掌握しておけば、占領権力は、占領の終了後もときには幾世代にもわたって、効果的な影響力を被占領国に及ぼし得る。そのことをCCDの検閲とCI&Eによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、表裏一体となって例証している」。
そして、戦後日本の歴史記述の大部分は、言論弾圧と検閲の下に、日本人の脳髄に刷り込まれた「太平洋戦争史」に基づいたものである。昭和57年の第1次教科書問題も、中国・韓国等に対する謝罪外交も、来年使用予定の中学歴史の「危ない教科書」も、基をたどれば、この宣伝文書に発するものといえる。
※パラダイム [paradigm]
(1)アメリカの科学史家クーンが科学理論の歴史的発展を分析するために導入した方法概念。科学研究を一定期間導く、規範となる業績を意味する。のちに一般化され、ある一時代の人々のものの見方・考え方を根本的に規定している概念的枠組みをさすようになった。
WGIP 第一段階のb〜記憶と歴史の剥奪
「ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶を消すことだ」という箴言がある。アメリカは、この古来の鉄則に忠実に、日本の弱体化政策を実行したのである。つまり、日本民族の固有の記憶と歴史を剥奪し、代わりに勝者の歴史を吹き込んだのである。
与えられた勝者の歴史とは、戦争犯罪宣伝計画の第1段階において決定的な役割を果たした『太平洋戦争史』でした。そして、民族の固有の記憶=歴史の剥奪には、『太平洋戦争史』が出された1週間後の昭和20年12月15日に発せられた「神道指令」が重大な効果をもたらした。
「神道指令」は、日本固有の民族的信仰の神道と国家との結びつきを禁止するものであった。今日では、神道は、宇宙生命との融合、自然環境との共生を重んじた宗教であり、原始文化と現代文化を調和させたユニークな日本文明の根本にあるものとして、世界的に高く評価されている。また、多くの識者から、21世紀に人類文明が新生するために、神道の持つ平和的でエコロジカルな性格が期待されている。しかし、戦後間もない頃には、神道は、日本の「侵略戦争」の思想的根源のように見られていた。
占領軍によるいわゆる「国家神道」の解体を、政教分離、信教の自由の実現として評価する人も多い。しかし、一つ忘れてはならない問題がある。それは、ポツダム宣言及び降伏文書に違反するものであったことである。ポツダム宣言は第10項で「言論、宗教及思想の自由」を明示的に保障している。
戦争の勝利者が、敗者の宗教に手をつけるということは、異例なことである。文字どおり無条件降伏したドイツにおいてさえ、行われていない。日本における「神道指令」は、有色人種への人種差別と、ユダヤ=キリスト教による異教への弾圧という意志があったのである。
「神道指令」は、例えば、ホメイニのイランや、フセインのイラクをアメリカが破って占領したとした場合、「イスラム教指令」を出して、国家と宗教の結合を断ち切ろうとするようなものだ。西洋では17世紀のドイツ30年戦争前に行ったことである。
マッカーサー司令部は、「神道指令」と同時に、神武天皇による日本建国の理想とされた「八絋一宇」という言葉の使用を始め、日本民族の理想やロマンを伝える伝承や神話の抹殺を命じた。古事記・日本書紀はもちろん、古くからのおとぎ話までが消された。これは、欧米でいうならば、聖書・ギリシャ=ローマ神話からイソップ物語までを否定することにあたる。
同時に、楠木正成、東郷平八郎などの国民的英雄の名が削られ、反対に足利尊氏、幸徳秋水ら反逆者や不忠者を讃えらた。また、西郷隆盛、吉田松陰らに関する本の発行も禁止された。彼ら明治維新の英傑たちは、西洋の植民地化に対抗して、日本の独立を守り、アジアの興隆を目指した指導者であったから、近代日本の背後にある危険思想と見なされたのであろう。西郷さんなどは、内村鑑三が英文で書いた『代表的日本人』の人物像の一人であり、まさに「代表的日本人」こそが、アメリカにとっては、危険人物だったともいえる。
WGIP 第2段階〜東京裁判の準備
秘密計画を報告した連合軍総司令部民間情報教育局(CI&E)の文書によると、戦争犯罪宣伝計画の第2段階は、昭和21年年頭から開始された、となっている。CI&Eの文書には、この段階では「民主化と、国際社会に秩序ある平和な一員として仲間入りできるような将来の日本への希望に力点を置く方法が採用された。しかしながら、時としてきわめて峻厳に、繰り返し一貫して戦争の原因、戦争を起こした日本人の罪、および戦争犯罪への言及が行われた」と記されている。そして、新聞、ラジオ、映画等のメディアが徹底的に利用され、特に新聞へは、記者会見、報道提供、新聞社幹部と記者への教化等によって「毎日占領政策の達成を周知徹底」した、と記述されている。
特に重点が置かれたのは、東京裁判という歴史的な一大イベントの予告と、報道である。昭和21年6月に極東国際軍事裁判所が開廷されるにあたっては、国際法廷の解説や戦犯裁判の資料を提供して、東京裁判の違法性を隠蔽したのである。裁判中は、「とりわけ検察側の論点と検察側証人の証人については、細大漏らさず伝えられるよう努力している」と文書は報告している。日本の弁護側と弁護側証人については、わずかしか伝えないという情報操作が行われたのは、言うまでもない。
■第3段階〜批判と日本の言い分の封殺
第3段階は、東京裁判の最終論告と最終弁論を目前にして、緊迫した情勢を反映したものであった
文書には、原爆投下への批判と敗戦国の言い分を圧殺し、連合国を全面的に正当化しなければならないという連合国側の危機感が漂っていた。
文書の述べているところを要約すると
「合衆国の一部の科学者、聖職者、ジャーナリスト等の発言に示唆されて、日本人の一部が、原爆投下を「残虐行為」の烙印を押してはじめている。さらに、これらのアメリカ人のあいだに、一部の日本の国民感情を反映して、広島での教育的人道主義的運動は、「贖罪」の精神で行われるべきだという感情が高まりつつある。これとともに、東京裁判で東条英機が「自分の立場を堂々と説得力を以て陳述したので、その勇気を国民に賞賛されるべきだという気運が高まりつつある。この分で行けば、東條は処刑の暁には殉国の志士になりかねない」云々。
こうした原爆問題と東條証言による連合国・米政府への批判の高揚に対抗して、戦争犯罪宣伝計画の第3段階が展開されたのである。
その内容は、それまでの段階以上に、繰り返して日本人に「日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍が行った残虐行為について自覚」させようとし、特に「広島と長崎に対する原爆投下の非難に対抗すべく、密度の高いキャンペーン」を行おうとしたものである。
日本の「侵略」や「残虐行為」は、原爆投下の免罪のために強調されたのだ。そして、日本は犯罪国家だから原爆を投下したのは当然だ、悪いのは日本の軍部指導者である、という意識が徹底的に植え付けられました。特に、東條証言で陳述された日本側の言い分を一切認めず、日本国民が連合国批判に向かわないように、宣伝したのである。
実は、東京裁判はそれ自体が、最も大規模なウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムであったといえる。それとともに江藤淳氏の言葉を借りれば、「日本人から自己の歴史と歴史への信頼を、将来ともに根こそぎ『奪い』去ろうとする組織的かつ執拗な意図を潜ませていた」ものでもあったのだ。
連合国側は、日本の戦争は「共同謀議による侵略戦争」と決め付け、日本の指導者を「平和と人道に対する罪を犯した戦争犯罪人」として処刑する意志であった。これに対し、東條英機は、総理大臣としての責任を認めつつも、大東亜戦争は自存自衛の戦争だった、と日本が戦争に至った世界史の展開と、日本の立場を陳述した。それはCI&Eの文書が、東條は「自分の立場を堂々と説得力を以て陳述した」と書き止めたほど「説得力」のあるものだっただけでなく、東京裁判では連合国側の戦争責任が一切問われていない、という矛盾を鋭く指摘するものでもあった。
判決は下り、東條は、連合国に操作された日本人同胞の憎悪を浴びながら、絞首刑にされた。マッカーサーは、そのわずか2年半後の昭和26年5月3日に、米国上院の軍事外交合同委員会の聴聞会で驚くべき発言をしたのである。
「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」
つまり、太平洋戦争は、日本にとっては自衛戦争だった、とほとんど認める発言を行ったのだ。そこには、朝鮮戦争で、ソ連・中国・北朝鮮の共産軍と戦い、共産主義の脅威を身を以って知ったマッカーサーの姿があった。彼は、東アジアにおいて共産主義化を防ぐということが、戦前の日本にとって、いかに重大な死活問題だったか、ということを理解したのだ。実は、マッカーサーは、その前年の10月15日、ウェーキ島でトルーマン大統領に対して、「東京裁判は誤りだった」と告白した、と世界中に伝えられている。
しかし、東京裁判を行っていた時点でのマッカーサーは、国際法を超える最高決定権者として、「力と正義」の絶頂にあった。ジェネル・トージョーの言い分を、後に自分が認めるようになることなど、思い付くわけもなかった。そして、戦争犯罪宣伝計画を遂行していったのである。
■WGIPは未だ作動中
占領時代は終り、東京裁判は、マッカーサー自身によって否定された。しかし、WGIP−ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、多数の日本人の脳にセットされたままなのだ。このプログラムは今、現在も作動している。あなたの脳の中でも、おそらく・・・ そして、日本という国が滅ぶ時まで、作動し続けるのだ。
但し、このプログラムをデリートすることは、簡単だ。それが、謀略だということを知れば、それでいいのである。(管理人注:Ctrl+Alt+Deleteでクリアになる。まことにもって簡単である。)
そして、サヨクメディアの報道は、WGIPの影響を少なからず受けていると考えてよい。それを念頭において、情報を無意識に受け入れずに、自分で選択し、考えることが重要である。
インターネットの普及した今、情報は一方通行ではなくなった。
WGIPやその影響を受けた左翼メディアによりサヨク化・反日化した日本人は真の歴史事実を認識し、日本人の誇りとアイデンティティを取り戻すときがきたのだ。
307
2011/12/24
Ω祖型とは何か
伝統数秘学批判
ポツダム宣言無視ということでよろしかったでしょうか
戦前は(明治)憲法を「不磨の大典」と呼び物神化した。戦後も平和憲法、憲法9条を絶対化してきた側面があって、それが現在の精神的な従属状況となっている。戦後の平和論は、一種の国体論に化している。憲法9条さえ守っていれば平和国家、平和の守り手であるというふうな自己欺まんに陥っているような気がする。
原文
昭和26年9月8日、日米講和条約が結ばれ国際社会に復帰し、独立したのちも、占領下でアメリカから押し付けられた憲法を、いいはいい、悪いは悪いと検討することもなく、聖域化して今日までに至っている怠慢と無関係ではないものに、かつて戦前派の私達が体の奥底に共通してあった日本精神が切(きれ)かかっている事態があります。
戦後五十年有余年、日本はアメリカの圧倒的影響をうけてきました、そのこと自体は決して悪い事ではありません。経済的に成長して豊かになろうというエネルギーは、確かにアメリカの影響を受けた賜物だからです。
いつの世にもいわれる「今時の若いものは」とは言いたくありません。しかし表面的風俗的にアメリカを真似るだけでなく、精神的にも無自覚に染まってしまったのではないか。ーー最近の若い世代を見たり話したりして、心の拠りどころを持たない根無し草になっていると感じるのは、私が老いて来たせいなのでしょうか。
―― 根無し草とは、
規範も礼節も道徳も持たない、人間を人間として成長させる根っこを持たない人間のことです。規範や礼節や道徳は人間を支える誇りになります。それを持たない根無し草は枯れるしかない。
事実、最近の事件や現象にはそれが端的に表れています。人を人とも思わないような、生命に対してなんの感覚も持ち合わせていないような、簡単にわが子を殺し、父や母を殺し、何の関係もない子供を殺してしまうような事件の頻発はその典型でしょう。
外に立って空を仰いで、まぶしい日の光を感じたとき、緑の木々を吹き抜ける風に包まれたとき、何とはなしにありがたい気持ちになり、畏れ慎むような心に染まって、思わず手を合わせて拝んでしまうことはないでしょうか。
これこそが日本精神の根拠なのです。
そこから、日本ならではの規範が生まれ、礼節が整えられ、道徳が形成されていったのだと思います。こういう感性を蘇らせ、若い世代に受け渡していかなければならない。そうでなければ日本は危ない、私は心底そう思っています。
切れかかっている日本精神がここで切れてしまったら、日本人を日本人たらしめるものはなくなってしまう。そうなったら、ボーダーレス化、国際化が進展する地球社会で日本は存在していけなくなるでしょう。が、まだ遅くはない。ーーそう思いたいのです。
諸外国から戦争中のことを持ちだされると、そのことへの十分な認識や自覚もないままに、咄嗟に後ろめたい思いに囚われて唯々諾々と詫びることしかしない政治家たちの有様と無関係ではない。
「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うとなると、なにかとんでもない悪いことをするような感じになり、たちまち拒否反応を示してしまう雰囲気と無関係ではない。
愛国心という言葉を聴いただけで古いとかカッコ悪いとかいう感じかたをしてしまう心のあり方とも無関係ではない。ーーそれは切れかかっている日本精神への絆です。
今の日本人を呪縛している精神的「カルタゴの平和」を克服することが大切でしょう。そこから、日本人を日本人たらしめる感性を蘇らせ、日本精神を体得していく道筋がみえてくる。
―― 世界史を学んでいる皆さんはご存知の事と思いますが、
「カルタゴの平和」について簡単にお話しておきます。
カルタゴは、商業貿易を得意とするフェニキア人の植民地で、紀元前2世紀頃大いに繁栄した。その繁栄ぶりはいまの経済大国日本の比ではない。世界中の金銀をかき集めた大金持ちの国、と思えばいいでしょう。カルタゴは地中海の海上権を掌握する勢いを持っていた。
このカルタゴとローマの間で、シチリア島の支配をめぐって争いが生じたのがきっかけとなり戦争になった。――ポエニ戦争 です。
ポエニ戦争は紀元前264年から紀元前146年に亘って3回戦われた。
2回目のときは、ハンニバル将軍率いるカルタゴ軍に攻め込まれ、古代ローマ帝国は存亡の危機に瀕したほどです。だが、結果は3回ともローマの勝利に終わった。
しかし、カルタゴは得意の商業貿易を武器に、先の2回の敗北から息を吹き返した。3回目の戦争でカルタゴに勝ったローマは、カルタゴがあるからローマの平和が脅かされると考えた。どうすればいいか。ーーカルタゴを根絶やしにするのが一番いい。
そしてローマはカルタゴを地上から徹底的に破壊し焼き尽くし、女性から子供にいたるまで皆殺しにして、カルタゴを地上から消してしまった。かくてローマの平和は築かれた。カルタゴを抹殺することのよって、ローマは平和を享受することが出来たのです。
―― 第二次大戦に勝ったアメリカは、この顰み(ひそみ)に習い、
日本に対して「カルタゴの平和」を目指したのです。
しかし、日本の一切を破壊し尽くし、日本人を皆殺しにする蛮行は、現代では不可能です。ーーでは、ではどうすればいいのか。
日本人の精神を破壊し、骨抜きにするのがいい、つまり、精神的「カルタゴの平和」です。その為にこそ東京裁判というショーは行われたのです。現在ではアメリカの良識はこれを事実と認めています。
アメリカは日本を占領するにあたり、日本国民に「戦争贖罪意識」を叩き込むために「ワー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と呼ぶ綿密な手を打っていたのです。
私達戦中派と戦後生まれの方々との考えの違いは、その背景になる教育方法の違いによってでしょうか?、かなり断絶があります。しかしそれは仕方がない現象でしょう。
日教組が中心になっていた(あえて過去形で)占領軍が意図した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(情報宣伝計画 )」に沿った教育に汚染された、今、四〇代・五十代の人は、少年時代や青年時代はアメリカがすべてでした。ーーアメリカが憧れの国だったと思います。
情報宣伝計画とは?
アメリカのプロパガンダをベースにした太平洋戦争史観が戦後教育の中に持ち込まれ、日本はファシズム国家で、アジアの近隣諸国を侵した邪悪で残忍な国だったという史観が日本国民に刷り込まれました。
東京裁判によって日本を侵略国として決めつけたのは、日本をスケープゴートにすることによって、西洋のアジア支配を正当化し、欧米の植民地支配による
蹂躙の歴史を隠蔽しようとする意図があったのです。東京裁判でのオランダ代表判事レーリングは後の著書でこう述べています。
「日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その四半世紀も経たない1960年に、国連が、植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、植民地の保有を犯罪として規定すらした。国連総会は民族自決のための闘争を奨励し、“自由の戦士”を合法化して、国連加盟国に支援するよう求めた」
だからといって、日支事変から大東亜戦争に至る一連の日本の行動が全て正しかったなどと強弁するつもりは毛頭ありません。多くの犠牲者を出す戦争は、どちらに非があろうと、どんな理由があろうと許される行為ではありません。
また中国ならびに韓国において、日本の侵略行為があったのは紛れもない事実です。自存自衛のためとはいえ、朝鮮を併合し満州国を創建した。そして軍部の勇み足を招き、中国に侵略して大陸を戦火に巻き込み、二百万人の中国人の命を奪っています。我々日本人は、過去の過ちは謙虚に認めるべきですし反省すべきです。
―― しかし、大東亜戦争(太平洋戦争)は
満州事変や日支事変とはキチンと区別して考えなければなりません。欧米の押し付けに屈し、大東亜戦争と中国や韓国での侵略行為を一緒にするのは間違いです。再度、明確にしておきたいのですが、中国や韓国には、軍部による侵略行為がありました。しかし、アメリカやイギリス、オランダ、フランスなどの連合国にたいしては、侵略行為は一切ありません。
中国や韓国に対しても、事実関係をよく調べもせず、ただ頭を下げていればいいのだという考え方で接するのも問題です。事実を認める時は潔く認める。この毅然とした態度がなければ、国際社会ではいつまでたっても認められませんし、尊敬もされません。ーー外交もうまくいくはずがありません。だいいち、中国や韓国に対しても失礼でしょう。
日本の伝統文化を語るとき、日本独特の万世一系の天皇家の存在と神道を避けて通ることはできませんが、ここでそれを述べますとまた大変長くなります。次の機会にゆっくりお話したいと思います。
巨悪は我々の心を養分として育つ
集団となって「悪さをする」のは、何も野次馬や暴徒化した群衆だけではない。会社でも国家でも、ある一定以上の規模になった組織は、容易に「悪」の巣喰う場所となる。
それはなぜか。それは人間が集団の中に、自分の醜い「悪」の顔を隠すことができるからである。「悪の顔」を隠すことができれば、われわれはもっと容易に悪を成すことができる。おそらくは、悪であると自覚せずに、その悪を成すことさえ可能である。人間の大部分は弱い。そして弱さの集合的発現こそが、将来われわれが代価を払うことになる(であろう)大規模の「悪の発露」たる戦争である。集団の陰に隠れて行われる、各人の「卑怯の合算」である戦争なのである。それによって生じるあらゆる破壊や殺戮は、それに関わるひとすべての共犯であるために、おそらくいかなる戦争も、その責任をきちんと追及することは不可能である。ましてや共犯関係にある者同士が互いを追及することなどあるはずがない。
ひとりひとりは、いかにも良心のありそうな人間であったとしても、悪いのは自分だけではないと信じる無責任、利益を自分に向けて抜け目なく最大限引き出そうとする利己主義、人の背中に隠れて小さな悪への誘惑に負ける意志薄弱という側面は、実は各自に潜む。ひとりひとりは一見「善良」ではあり得ても、集団というものは、こうした人間の最低の部分が、最大に「活かされる」場所なのだ。そして、人間の最低の部分の集合的な発現は、法的に違反しているものである必要はない。それら「悪」のほとんどは「合法的に」なされるのである。いかなる法も所詮人間が作りだした、われわれにとっての便宜のひとつのありかたにすぎないからである。
人間のこの狡賢さは、自分が被害者にならない限りにおいて、その帰属する集団を、暴力、嘘、盗み、といったあらゆる悪の行為に駆り立てる。いや、「駆り立てる」という言い方はひょっとすると正しくない。そういう行為を「許し」、密かに「見逃し」、悪の成就を、無言で「支持する」のだ。そしてあらゆる悪への牽制メカニズムの網の目をかいくぐって、最終的に悪はどこかで成就する。国家とは、そうした悪だけが表に発露される最低最悪の場のことである。われわれ小市民は、自分の利益のためにとても人を殺せないが、「国家」という乗り物を使ってなら、より大規模にそれを成し遂げることができる。より無自覚に。
嘘を付いて過去の悪行を認めない国家。
嘘を付いて他国から経済援助を引き出す国家。
嘘と知りながら大国の巨悪に「大義」を見出す小国。
嘘と知りながら国をまとめるだけのイデオロギーを以て、小国を支配するための大義とする大国。
あらゆる嘘や暴力が、歴史上あらゆる国家という国家によって堂々と実現されてきた。
支配されるわれわれの間では
人を殺せばそこには殺人の罪が生じる。
嘘を付いて他人の援助を受ければ、そこには詐欺の罪が生じる。
しかしいかなる隠れた狡猾も、明らかな罪科も、国家という巨大集団によって、より大規模に成されるや、それは「われわれの責任ではない」ということになる。実に、巨大な群衆としての「国家」とは、われわれ小市民にとって、便利な隠れ家である。日常の中に滑り込んでくる個人による殺人を、残虐であるとか非人間的な悪逆であると評し赦さない一方、われわれは、集団による組織的な殺人を「政策である」と呼ぶことができ、過去のそうした組織的かつ大量な殺人を「他に選択の余地がなかったこと」として情状酌量し、容易に忘却する。
年金制度や税の徴収のあり方など、何を見ても、人間としての考えられる限り“最低の在り方”を、政治家の判断や活動を通して、国家はわれわれに見本を示してくれている。しかし、実は、悪いのは政治家や官僚だけではない。「大きな集団」とは、小さな悪や小さな良心、その他諸々人間の行為や思いのすべてを濾し落として、内なる最大の巨悪だけをそのまま残して一番上に提示する、いわばザルのような仕組みのことなのである。このザルを以てしては、良心という人間のもう一つのちっぽけな真実の在り方を掬い上げるには、あまりに器としては大きすぎるのである。
何千年経ってもなくならない官僚組織の腐敗。一部の利益を代表するだけの、大局を決して見ることのない御用政治家の限界。個人の思いを無視した外交官僚たちの秘密の工作。どうして無くならないのか、われわれはいつも考える。しかし答が見つからない。そうした行いの正邪は、合法であるか非合法であるかという判断とはこの際関係がない。
官僚組織自体は、合法的に組織された集団である。そして国会は(表向きには)合法的に選ばれた代議士達によって組織されているものである。しかし、仮に、ひとりひとりの官僚や政治家に「一般人の良心」というものがあったとしても、それは国家や行政の「行為」として具現化できない。たとえば、行政活動の必要に応じて、いったん金の流れというものが生じると、それが時代と共に意味を成さないものとなっても、その旧弊な「流れ」を温存したいひとりひとりの心が、その変革を許さない。それら利権を温存する方法が、如何にわれわれの法に適ったものであっても、そこには集団としての、あきらかな悪がある。官僚や政治家のひとりひとりが、その悪を見ようとせず、その悪を悪であると、心の弱さと曇りから認めることができない。したがって、たとえば、必要だとされたひとつの「金の流れ」という利権が、時代の変化や必要の有無に関わらず、いつまでも温存される。結果的に一般の納税者から合法的に金を巻き上げ続けるシステムだけが残される。だからいくら増税しても、これら金を吸い上げる者達が、そのシステムを諦めない以上、いくら民衆が金を稼ぎ出しても、彼ら悪徳官僚達の腹を十分に満たすことはできない。われわれは、毎日額に汗して働いて、そういう者達を養い続けている。しかし権力という言葉が、こうした「もてる者達」にとっての「保身」の意味でしかない以上、この状態を変えることは容易にはできない。もてる者達自信が自らの矛盾のために自壊するしかないのかもしれない。(しかしどのように?)
恐らく、社会的弱者に対する無視(内へ向かう暴力)も、戦争への道(外へこぼれ出す暴力)も、より強い巨悪への追従も、個人個人の狡さや弱さを足し合わせた、その集団の総意の結果なのだ。暗殺や小国政府の転覆など、明らかな非合法行為も、実はそうした「合法的に赦されている」一般民衆の弱さの合算したものの例に漏れないはずだ。
合法的に赦されたわれわれが、倫理的に明らかな非合法である戦争を作りだすのである。戦争を可能にする合法的な制度によって。
個人の中ならばしばしば認められる良心や寛容というものも、生き物の本来持っている一側面である。政治家とは、そうした人間の善良さが、巨大な国家という生き物の性質として表現されるための、類い希な創意工夫と、鉄のような意志と、実行力を兼ね備えた者でなければならない。そして、われわれは、われわれの個人の中に生きている良心の具現化を助けない人間を、政治家として選んではならないのである。
私が書くことは、おそらく巨悪への共犯という私の罪を何ら酌量しないだろう。ましてや、このままではこれから起こるかも知れないことを防ぐなんの助けにもならないだろう。私の心に奇跡が起こり、私がわれわれを押しつぶす巨大な車輪の前に身を投げ出したところで、この巨悪の大河の流れをもはや止めることはできないかもしれない。しかし最も効果的な身の投げ出し方を悟れば、それを実行するかも知れない。しかし、次善でさえないにも拘わらず、今の時点で、私が何を信じていたのかを隠さないことには、何らかの意味があってほしいと願わずにいられない。そしてこれを公共に向けて書いていたことが、私の今後の「扱われ方」に多少の影響を与えることはあるかもしれない。あるいは図らずも「身を投げ出す」第一歩に結びつくのかも知れない。
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2011/12/24
教祖誕生は「イヌ鷲と山鳩」の話に始まり,不思議の国のアリス的弁証法に終始する。教祖を目指す人は読みなさい,と言いたい。大田出版
『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで そのB
2005年2月9日
今回も、前回からの続きを書いていきたいと思いますが、少々お伝えしておかなければならないことがあります。題名にある通り、H・M・クレックレー著『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んだことが、今回の連載を書き始めるきっかとなっています。
しかし、現在、たった一冊の本を読んだことにより多くのことを理解したと考えることは浅はかであった、と実感している次第です。どういうことかといいますと、先日、酒井和夫著『分析・多重人格のすべて』l(リヨン社)という著書を読んだのですが、これが非常に勉強になる本でした。そして、『私という他人』についても多くの頁数が割かれており、私の認識が改められるとともに、今回の連載の締めくくり方に関してかなりの路線変更が必要であることが判明したのでした。そのことをご了承いただけますよう、お願いいたします。
以下、『分析・多重人格のすべて』内、「私という他人の要約」の一部からなります。
本書「多重人格のはじまりの物語」67頁より
面接を進めるにつれて、イブ・ブラックは患者が流産した時からではなく、患者の幼児期からすでに時々出現していたことが明らかになった。そして、記憶の奥に眠る<陶器の青いコップ>のことが語られるようになった。
ところが、今度はイブ・ホワイトの頭痛が再び悪化し、第三の人格であるジェーンが出現したのである。
ジェーンは、二人のイブの中間物というべき人格で、円熟した、奥行きのある人格であった。ジェーンは以前の記憶はなく、まさにゼロからの出発であったが、どんどんと奥を自分のものとし、三人の人格の中で大きな地位を占めていった、そして一人の肉体をこの三人が共有する混乱のなかで、患者は夫との離婚を決意したのだった。
くり返される面接のなかで、セグペン博士が催眠下で<青いコップ>のことについて探索するにつれて、あの見栄っぱりのイブ・ブラックが涙を流し、「私の形見に赤いドレスを持っていて」と懇願した。そしてイブ・ホワイト、ジェーンが出現したところで患者は両手でこめかみをおさえ、いきなりバンシー(恐ろしい泣き声で家人の死を予言する女妖精)のような悲鳴をあげる。
そして第四の人格であるエブリン・ホワイトが誕生したのである。
エブリンは幼児期に<青い陶器のコップ>で遊んでいた時に母に呼ばれ、祖母の葬儀に参列し、祖母の死顔に触るという儀式を強要されたことを思い出した。
そして、この瞬間に一つの新しい人格が溶接されたのである。
その後の変化は、「分裂していた人格が融合してしまったあと、彼女自身が見いだした個性を形成していく過程」であり、やがてエブリン・ホワイトはアール・ランカスターという男性と結婚し、ようやく幸福な人生を手に入れるのである。
このようにこの物語は、三人の人格が一つの肉体を共有するという混乱した状況から、人格の分裂の根本的な原因である、祖母の葬儀での外傷体験を想起することによって人格の統合が得られたというハッピーエンドなのであるが、現実は少し違っていた。
以上。要約より。イブ・ホワイトの症状について、やはり幼児期に原因があったのでした。解離性同一性障害(多重人格障害)の発症の原因の多くは幼児期の性的虐待による心の傷であり、退行催眠により原因となった事件までさかのぼり、再体験することが治療に有効だといわれています。イブ・ホワイトのケースでは、葬儀の際に祖母の死に顔に触ることを強要されたこと、それが発症の原因であり、治療の過程で退行催眠を行い事件を再体験することにより、人格が統合してハッピーエンドになった、と『私という他人』においては記述されています。
しかし、後になってから、『私という他人』の内容は、実際の現実とは違っていたことが明らかにされました。それは、イブ(クリス)自身と、彼女のよき理解者である従姉妹・そして心理学者でもあるエレン、による共著『私は多重人格だった(私はイブ-ある多重人格者の自伝)』によって明かされるのでした。本書は、イブの真実の姿を正確に描こうとしたものであり、彼女は良くなっていなかったのです。実際は、第三の人格であるジェーンが自分が消えゆく危機に際して自殺を図り、盲目のレディが登場したのでした。そして、再度、頭痛と人格変換の日々が始まります。このような過程のなかで、イブは少しずつ自分自身を統合していったのでした。
つまり、治療者であるセグペン博士とクレックレー博士は、無意識のうちに中立性を失い、その著作は少なからず主観的な内容になってしまっていたということです。イブは著作の最後で「48年もして初めて私は自由になった」と宣言しますが、『私という他人』の内容(ハッピーエンド)とは全く矛盾した宣言です。
セグペン・クレックレーの両博士は、イブの人格を統合させて、それで治療が終わった、問題は解決されたとしたのですが、実際の彼女は、その後も苦しみ続けたわけです。では、どうすれば解離性同一性障害(多重人格障害)は解決するのか?治療するためのプロセスについて、『分析・多重人格のすべて』から抜粋して見ていきます。
本書「多重人格の治療」215頁より抜粋(箇条書き)
@多重人格の治療には、二つの異なった側面からのアプローチがある。
A一つは精神分析療法だが、その治療効果は疑わしい。
Bもう一つは催眠法であり、数年にわたる根気よい治療が必要である。
C催眠とは解離状態を作り出す技術であり、解離することは否定的な側面ばかりではない。自己の痛みを解離することにより、生存の役に立つ。解離状態は、無意識の扉を開くための重要な鍵なのである。
D多重人格の原因は、幼児期からの無数のトラウマになっている出来事に対する、本人が知らずに行っている防衛のメカニズムにある。
Eそれに対して、催眠は解離状態を人為的にコントロールする技術。
Fマッピングとは、さまざまな人格が個性と悩みを抱えているが、それぞれの人格と人格の関係、人格の特性を、あたかも地図を作るように配置し、一望できるようにすること。複雑な関係を整理する作業は、精神内界の探求の糸口になる。
Gマッピングが可能になる条件は、催眠なしで出現する人格たちと良好な関係を築く、それらの人格をあるがままに認め受け入れる、このことにより、各人格は安心して治療者と接触できるようになる。各人格に対して、普通のカウンセリングの技法で接して治療を行うことも可能であり、それは望ましいことだ。
H患者の許可がない限り、決して入ってはいけない部屋を心の中に創り、確実なものにしていく。
Iマッピング以降、患者は幼児期から思春期迄のつらい体験の再体験が求めれるが、そんなときにも、心の中に安全な部屋を持っていれば、「いつも安心して帰っていける場所」として、新たな傷を受ける可能性を最小限にできる。
J全人格に「自己催眠」を学んでもらい「自分をリラックスさせる技法」を会得してもらう。それは、ある人格から別の人格にスイッチすることを自分の意志で出来るようになる基礎的な訓練になる。このような心を守る方法を身につけてから、本格的な治療をはじめる。
K感情の再体験をする。ありありと当時の状況を想い出して、その時の感情をその時のままに感じ取る経験をすること。心の古傷をリアルに、現実のものとして再体験することは、その傷を取り除く上で、とても重要になる。傷を更に深くすることを避けるため、最初は催眠下で比較的強い人格に軽度のトラウマを再体験するように試みる。催眠下の想起で歯の治療を想い出させれば、現実に痛みを伴って想い出すことが可能。同じように、催眠下で、思春期に出会った不快な記憶を想起させると、実際にその時の不快−苦痛な感情を経験し「解放」される。
L多重人格の成因の仮説によれば、幼児期の性的虐待のような避けることのできなかった、自分の力ではどうすることもできないような経験を直接感じなくてすむように、人格を解離させて、自分を守ってきたのである。しかも各人格はそれらのつらい出来事を忘れている。そこで、人格のなかで比較的自己のコントロールをする力の強い者を選んで、治療の出発点にし、その人格を鍵として治療を行う。
M人格同士の友好関係を強化し、多くの記憶を共有させるように、催眠法を用いて変えさせる。どのようにマッピングを変化させたら、最も安全で本来の自己に近くなるかを洞察し、治療に協力する人格を選び、協力させ、それぞれの人格に記憶体験をさせて、それをできるだけ多くの人格が共有するように方向づける。
N人格を融合させようとしてはいけない。多重人格障害を単一の人格とすることは、現実に無理なだけでなく、非倫理的とさえ言える。多重人格であることが問題なのではなく、問題は、それぞれの人格が不幸であり、何らかの傷を持っていて、回復できていない点にある。
以上、非常に有益な情報であるように感じます。とても印象に残ったのは、治療の目的が分裂した人格の統合ではないということです。そうではなく、分裂してしる各人格の心のケアを行い、お互いの人格相互の理解を深め、治療者に対しても協力的になっていくように促す。そうして、心の中でしこりになっているものを徐々に取り除いて、精神的な健康を取り戻していく、それが目的だということです。
ところで、病気の治療を霊的に行う場合、大きく分けて二つのやり方があります。一つは、取り憑いている霊を追い払うというやり方です。その霊が障害を引き起こしているので、その場から排除してしまえばいい。そういう考え方によります。そして、もう一つは、取り憑いている霊を諭して、理解・協力を得るというやり方です。治療者である霊能者が、霊と直接話をすることにより、霊を納得させ問題を解決するのです。現在、前者より後者の方が、より高度であり正しい治療の仕方だといわれています。
それは、悪い影響を与えている霊を追い払っても、なにも根本的な解決にはならないからです。その場から居なくなっても存在していることに代わりはないので、いつ戻ってくるかもしれない。それに対して、霊を納得させるということは、問題が根本から解決されたことになります。
そして、そういった心霊的な治療のプロセスと本書「多重人格の治療」における治療プロセスの間には、類似性を感じずにはいられないのでした。人格であれ霊魂であれ、治療者に対して協力してもらう、そして、それぞれの人格(霊魂)に相互理解を深めてもらい、しこりになっている問題を解決していく、そういうプロセスを経るという点において非常に似ている点があるのではないでしょうか。
最後に、私は今回、自分にとっては全く関係のない病気だとばかり考えていた多重人格を扱い、とてもよかったと感じています。それは、非常に勉強になったということです。幻聴とは関係がない話だと思ったら、イブ・ホワイトは幻聴体験をしており、その告白が重要なポイントになっていました。そして、いくつもの人格が登場することにより、心霊的な世界とのつながりを感じさせられました。何より、治療法に関する記述(『分析・多重人格のすべて』)は非常に勉強になるもののように感じます。やはり、本を読むことに得られるものは、非常に多くあるようです。
それでは、今回で『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』についての連載を終わります。
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