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皇室全般画像掲示板
貞明皇后。原武史『昭和天皇』-岩波新書-から
原武史『昭和天皇』-岩波新書 ttp://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2008/12/post-e139.html大正天皇の病が重くなるにつれて、妻の貞明皇后は「神(かむ)ながらの道」という新興神道にのめりこみ、夫の死後、息子が即位した昭和期に入るといよいよ神がかりの傾向を強めたという。一方、息子の昭和天皇は、皇太子時代にヨーロッパ訪問をしたこともあってゴルフを楽しんだり生物学に熱中したり、イギリス王室を手本に皇室の近代化をめざして大奥のような女官制度を改革したりしている。天皇は、新嘗祭など月に何度もの宮中祭祀をこなさなければならない(祭祀の多くは古いものでなく明治になって新たに定められた「創られた伝統」だっ た)。ところが明治天皇も大正天皇も必ずしも宮中祭祀に熱心でなく、それは昭和天皇も変わらなかった。
そのことが、神がかりの貞明皇后(皇太后)には大い に不満だったらしい。昭和天皇の宮中祭祀への態度について貞明皇太后は、「御正坐御出来ならざる(正坐もできない)」とか「形式的ノ敬神ニテハ不可ナリ、真実神ヲ敬セザ レバ必ズ神罰アルベシ」と、なんとも強い言葉で批判している。「神罰があるぞ」と告げる母親は、息子にとってかなり支配的・抑圧的な存在だったにちがいない。しかも時代は「現人神」として天皇の神格化が着々と進んでいたから、母に異を唱えるわけにもいかない。一方、昭和天皇と2人の弟、秩父宮、高松宮との兄弟関係も微妙だった。秩父宮は2・26事件を起こした陸軍皇道派と近く、「秩父宮様帝位簒奪」との噂も立った。事件後の青年将校への処罰について、温情を期待された昭和天皇が冷たかったのは、秩父宮との関係も影響していたらしい。もうひとりの弟、高松宮は近衛文麿ら宮中グループと近く、敗色が濃くなった太平洋戦争末期に戦争継続を考える昭和天皇を批判し、以来、2人の間には溝ができた。
貞明皇太后は秩父宮と高松宮を「秩父さん」「高松さん」と呼んで可愛がった。家族のなかで孤立し、帝国が太平洋戦争へ突き進むなかで、独り言が目立つようになった昭和天皇はかつてとは様変わりして宮中祭祀に熱心になってゆく。月に何度もある祭祀をこなし、「神の御加護」を求め、伊勢神宮に戦勝を祈願した。戦局の悪化に反比例して貞明皇太后の神がかりはいよいよ強くなった。敗戦の2カ月前、天皇は皇太后に会いに行く。恐らくは勝利の見通しが立たないことを母に説明した後、息子は嘔吐して2日間寝込んだという。貞明皇太后の神がかりは、戦後、皇太后が亡くなってからも、「魔女」と呼ばれた皇太后側近のひとりの女官に引き継がれた。1970年、昭和天皇が遂に「魔女」の罷免を決意したとき、「言ふことをきかなければやめちまえ」ときわめて激しい口調で侍従長に告げている。「やめちまえ」という感情をあらわにした言葉からも、貞明皇太后の影が「魔女」を通して死後もいかに大きく昭和天皇にのしかかっていたかを推測できる。
貞明皇后ってお若い頃、お転婆さんだったんだよね?
貞明皇后+麻生太賀吉=三笠宮若宮寛仁殿下長女彬子女王
>>天皇は、新嘗祭など月に何度もの宮中祭祀をこなさなければならない(祭祀の多くは古いものでなく明治になって新たに定められた「創られた伝統」だっ た)。ところが明治天皇も大正天皇も必ずしも宮中祭祀に熱心でなく、それは昭和天皇も変わらなかった。ほとんどの宮中祭祀は明治から始まったのか。それ以前の天皇は祭祀をしないで何をしてたんだろう。
やってなかったのではなく、江戸時代以前からずっと歴代引き継がれていた祭祀の内容や形式が明治時代にかなり変化したようです。制度としての宮中祭祀が確立して以降の天皇では明治天皇や大正天皇はあまり熱心ではなく、貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は非常に熱心であったといわれています。
皇室が国民の税金で賄うようになったのは、敗戦後から。 戦前の天皇家は、大金持ちの大地主。国民の為の仕事など、する筈もないだろう。敗戦後の国民に、昭和天皇の生き様が、血税で皇族たちの生活を賄う事を受け入れさせた。真摯な先帝の生き様が無かったら、先帝は国民からリンチを受けていただろう。 敗戦後の国民の温情は、天皇に、国民の為に祈ると言う祭司長の役目を押し付けたのだ。それから考えても、今上には最低でも、昭和天皇と同じ様な生き様を送ってもらわないと、天皇として、国民が税金で生活させる必要もないし、皇室や皇族を賄う必要もない。戦争を生きて来た今上と美智子は、敗戦の重みも知っているし、先帝と同様に、戦争の責任を負うべきだ。戦後70年近く経ち、当時の皇室と国民の暗黙の了解を知る人も少なくなったが、皇族に其れを忘れてもらっては困る。
>>制度としての宮中祭祀が確立して以降の天皇では明治天皇や大正天皇はあまり熱心ではなく、貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は非常に熱心であったといわれています。祭祀に熱心な天皇の元でも外国との戦争に負けて国が焼け野原になるんだね。昭和天皇の敗戦のトラウマの深さは大変なものだっただろう。マッカーサーが日本の民主化政策の道具として皇室を残してくれたのも幸運だった。
>祭祀に熱心な天皇の元でも外国との戦争に負けて国が焼け野原になるんだね。知らないの?昭和天皇は、若い頃はちっとも熱心ではなかったのよ。戦争に負けてからだよ。祭祀を熱心にやるようになったのは。
>>ID:QzkF38u2 No.392200>敗戦後の国民の温情は、天皇に、国民の為に祈ると言う祭司長の役目を押し付けたのだ。↑これだよね。 国民のリンチを恐れたのだよ。 最高責任が有るのに、昭和天皇だけが処刑されなかった。 諸悪の根源は、先帝が戦争責任を取らなかったから。GHQは賢い。 現人神を殺して、ジハードされるより、自国民に殺させようと、敢えて無罪放免にした。日本国民の温厚性と、裕仁の反省の姿勢が受け入れられて、辛うじて、裕仁と共に皇室は存続できた。 GHQのある高官が、無防備で国民の前に立つ先帝と、歓喜で迎える国民を見て、驚いたと日記に書いている。 国民のリンチで処刑しようとして上手く行かなかった事に関し、もう一度天皇の元で団結される危険性を感じたGHQは、天皇をキリスト教徒にすることで、国民と天皇の絆を断とうと、裕仁を騙して礼拝させようと計画したが、間一髪、お付きの機転ですくわれた。
そこで、バイニング夫人を明仁の家庭教師として強引に雇わせ、最後の仕上げに、キリスト教徒の美智子を入内させた。 表向きは違っても、美智子はGHQの工作員。 美智子がトロイの木馬だった。 美智子はよ〜く頑張ったよね。今の皇室を見れば、本当によく分かる。美智子主導だけで、ここまで皇室が破壊する事は出来ないだろうから、明仁の尽力は相当なものだろう。敗戦後ではないけれど、今年は大震災の年。あの震災の何十倍もの人災が、裕仁により起こされた。その子の明仁は、祭祀を蔑ろにし、異教徒と結婚し、売国に励み、皇祖神から忌み嫌われて、あの大震災が起きたのだ。日本人が皇室を大切に思っている事をいい事に、血税で特権階級のごとく生活して来た、今上夫妻と東宮一家。国民との暗黙の了解の『祭祀』を無にするような試みや、国民が世界に誇れる『男系男子の皇統』も無にする試みを大震災で疲弊しているこの年に、言い出してきたことは、国民を舐めきった挑戦状だろう。自分達で潰す予定の皇室に、これ以上国民の血税を与える必要はもう無い。
敗戦後、裕仁の事を悪く言うと、実際に右翼(今の右翼は実は左翼)に殺された。 そんな時代だった。今は、色々と検索でき、戦前の裕仁は、まさに独裁者で、相当に悪どい事をしているのが解る。それでも、ほんの1年前までは、昭和天皇の戦争責任逃れの事や、明仁が軍歴逃れをしている事や、明仁の性格の悪さを書こうものなら、即刻気違い扱いされてけれど、大震災が国民の目を覚ませたのだろう。世論がこれ程変わるとは思わなかった。 戦後を知っている人達が、今上のやり方に我慢が出来なくなったのだろう。
>>戦前の裕仁は、まさに独裁者で、相当に悪どい事をしているのが解る。例えば?
>ID:d7YyWvWk No.392403 >>戦前の裕仁は、まさに独裁者で、相当に悪どい事をしているのが解る。>例えば?http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html昭和天皇が戦争狂になった訳↑このサイトは、役に立つと思います。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html昭和天皇が戦争狂になった訳 −抜粋ー つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。 みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。 −続く−
妄想で出来たトンデモ本の引用ですか。矢追純一並みのヨタ話。馬鹿馬鹿しい。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html−抜粋 続き− 天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。 この日本郵船が大量の移民をアメリカに送り込んだ(数十万人といわれる)し、また大量の若い女性を海外に運んだのである(娼婦にするためである!)。「同じ手口(米国に移民を送って儲けた話)を皇室と三菱は考えた。ペルシャ(イラン)からのアヘンの輸入であった。皇室と三菱は三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起こる可能性があったからだ。三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国家はこのアヘンの金でできた。長いので、サイト開いて読んでください。 目鱗です。 妄想かそうでないかは、ご自分で判断してください。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?ttp://alternativereport1.seesaa.net/article/49608166.html天皇は犯罪者ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog389.html人物探訪: 昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)ttp://sun.ap.teacup.com/souun/2188.html「日本のイエズス会人脈について:正田家についての謎」 ↑これらも参考になります。 何が本物で、何が偽物かは、自分で判断することです。今上が、大切な辛い祭祀は、尽く代理にさせていた事や、女系天皇を望んでいたと言う事が明かされて、目覚めた人は、今まで皇室に対して、幻想を抱いていたと言う事でしょう。