ロム男さんへのお返事です。
>
> ①君の内外相対の教判基準は、
>
> 「伝統仏教では、寺院の存在は当たり前、僧侶の存在は当たり前、
> 本尊が一番大事、これも宗派に関係なく内道仏教の常識です。戒名しかりです」
>
> ↑これですね!?では、君の論拠を提示して下さい。
貴殿のオツムの鈍いところは、現象面を無視し、理屈に終始しておられるということで御座います。
私は貴殿とは反対で、現実を直視しておる、ということです。
現実を直視致しますと、伝統仏教では、寺院が存在し、僧侶が存在し、本尊が当然ございます。化法をいかに享受するのか? これが化儀であり、その在り方は宗派によって当然異なります。それは化法である依経が異なることによるのであります。外道義の貴殿に分かり易く説明いたしますと、化法とは薬そのものであり、これが無ければ患者を治療することは出来ません。一方化儀とは医者に例えられるでしょう。
化法を如何にうまく患者に投与し病気を治すのか? これが医者の仕事、つまり化儀と理解して頂ければ幸いです。斧節とかいういかれた創価員が「化儀とは形式のこと」などと言っておりまして、「目からウロコが出ました、化儀とは社会のことなんだ」と感嘆しておりましたが、これは外道を通り越して単なる阿呆ということですね。
私の信ずる日蓮正宗には日蓮正宗としての化儀が当然ございます。それは大聖人様の教えをちゃんと正しく相承された日興上人から、歴史を経て現在に至る化儀となっているのです。従いまして「論拠を問う」と言われますれば、その論拠は「血脈相承から歴史を経て現在の化儀となっている」ということでありましょう。他宗もほぼ同じだと思います。各宗祖の時代と現在、当然時代が異なるわけですから化儀も時代とともに異なるということであります。しかし化儀と申しますのは、その方向はどこを向いているのかと申しますれば、どこまで行っても化法なのです。化法が無ければ化儀はありません。従いまして化儀即化法ということです。
その内道の化儀を創価学会は悉く「日蓮正宗憎さ」により破壊されましたね。これは単なる日蓮正宗憎さではなく、内道仏教そのものを否定した行為であり、今は立派な外道と堕ちたのであります。
> 【日蓮正宗入門】
> ↑内外相対の教判としての記述がありますが、
>
> 明確に「この勝劣の基準は、三世の因果を説くか否かにあります。」
>
> と、記述されています。
>
> ②君は、仏教は発展進化するものだと明言されましたが、
> 日蓮正宗は、大聖人の仏法が、発展進化したものですか?
これは外道義の貴殿には非常に難しいと思いますが、正・像・末の三時から次に続く四時・・五時・・・は釈尊も大聖人様も予言されていません。末法は万年、即ち永遠ということですから大聖人の仏法が発展してゆくということはございません。宇宙法界の根本仏は既に「日蓮」として登場されておられますゆへ。
> ③大聖人は、寺院を持たずに弘教拡大を」されました。また、死後戒名もつけられず、
> お葬式の導師もなさいませんでした。黒川説に依りますと、大聖人は戒壇を持たずに、
> 弘教拡大をされていたことになりますが、大聖人は外道ですか?
まさにこれは外道の人間の言うことで御座いますね。大聖人様がおられる場所が寺院・戒壇であり、日蓮という名が即法名で御座います。それ以上何かお望ですか? お葬式の導師ををされませんでしたとございますが、およそお葬式をしない国はないで御座いましょ。葬儀をすればそこに僧侶が在します。これは内道仏教の常識であります。また大聖人様の母上の戒名は「妙日尊霊」父上は「妙蓮尊霊」、南条時光殿の戒名は「大行尊霊」と過去帳にございます。
> ④三時の法華経は、仏法の発展進化を示してるのですか?
釈尊の出生の本懐である法華経と、大聖人の説かれる法華経、同じですか? 大聖人様の出生の本懐は法華経ではなく、本門戒壇の大御本尊であります。しかし何回も申し上げていることで御座いますが、貴殿は初歩的な内外相対でさへ理解に困窮されています。大聖人様の仏法は、内外相対の次の次の次の次の法門です。論題をすり替えられぬようにして頂きたく存じます。
以上で御座います。
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> ①君の内外相対の教判基準は、
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> 「伝統仏教では、寺院の存在は当たり前、僧侶の存在は当たり前、
> 本尊が一番大事、これも宗派に関係なく内道仏教の常識です。戒名しかりです」
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> ↑これですね!?では、君の論拠を提示して下さい。
貴殿のオツムの鈍いところは、現象面を無視し、理屈に終始しておられるということで御座います。
私は貴殿とは反対で、現実を直視しておる、ということです。
現実を直視致しますと、伝統仏教では、寺院が存在し、僧侶が存在し、本尊が当然ございます。化法をいかに享受するのか? これが化儀であり、その在り方は宗派によって当然異なります。それは化法である依経が異なることによるのであります。外道義の貴殿に分かり易く説明いたしますと、化法とは薬そのものであり、これが無ければ患者を治療することは出来ません。一方化儀とは医者に例えられるでしょう。
化法を如何にうまく患者に投与し病気を治すのか? これが医者の仕事、つまり化儀と理解して頂ければ幸いです。斧節とかいういかれた創価員が「化儀とは形式のこと」などと言っておりまして、「目からウロコが出ました、化儀とは社会のことなんだ」と感嘆しておりましたが、これは外道を通り越して単なる阿呆ということですね。
私の信ずる日蓮正宗には日蓮正宗としての化儀が当然ございます。それは大聖人様の教えをちゃんと正しく相承された日興上人から、歴史を経て現在に至る化儀となっているのです。従いまして「論拠を問う」と言われますれば、その論拠は「血脈相承から歴史を経て現在の化儀となっている」ということでありましょう。他宗もほぼ同じだと思います。各宗祖の時代と現在、当然時代が異なるわけですから化儀も時代とともに異なるということであります。しかし化儀と申しますのは、その方向はどこを向いているのかと申しますれば、どこまで行っても化法なのです。化法が無ければ化儀はありません。従いまして化儀即化法ということです。
その内道の化儀を創価学会は悉く「日蓮正宗憎さ」により破壊されましたね。これは単なる日蓮正宗憎さではなく、内道仏教そのものを否定した行為であり、今は立派な外道と堕ちたのであります。
> 【日蓮正宗入門】
> ↑内外相対の教判としての記述がありますが、
>
> 明確に「この勝劣の基準は、三世の因果を説くか否かにあります。」
>
> と、記述されています。
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> ②君は、仏教は発展進化するものだと明言されましたが、
> 日蓮正宗は、大聖人の仏法が、発展進化したものですか?
これは外道義の貴殿には非常に難しいと思いますが、正・像・末の三時から次に続く四時・・五時・・・は釈尊も大聖人様も予言されていません。末法は万年、即ち永遠ということですから大聖人の仏法が発展してゆくということはございません。宇宙法界の根本仏は既に「日蓮」として登場されておられますゆへ。
> ③大聖人は、寺院を持たずに弘教拡大を」されました。また、死後戒名もつけられず、
> お葬式の導師もなさいませんでした。黒川説に依りますと、大聖人は戒壇を持たずに、
> 弘教拡大をされていたことになりますが、大聖人は外道ですか?
まさにこれは外道の人間の言うことで御座いますね。大聖人様がおられる場所が寺院・戒壇であり、日蓮という名が即法名で御座います。それ以上何かお望ですか? お葬式の導師ををされませんでしたとございますが、およそお葬式をしない国はないで御座いましょ。葬儀をすればそこに僧侶が在します。これは内道仏教の常識であります。また大聖人様の母上の戒名は「妙日尊霊」父上は「妙蓮尊霊」、南条時光殿の戒名は「大行尊霊」と過去帳にございます。
> ④三時の法華経は、仏法の発展進化を示してるのですか?
釈尊の出生の本懐である法華経と、大聖人の説かれる法華経、同じですか? 大聖人様の出生の本懐は法華経ではなく、本門戒壇の大御本尊であります。しかし何回も申し上げていることで御座いますが、貴殿は初歩的な内外相対でさへ理解に困窮されています。大聖人様の仏法は、内外相対の次の次の次の次の法門です。論題をすり替えられぬようにして頂きたく存じます。
以上で御座います。