【ご注意】ふくしま集団疎開裁判の会は、日本語のサイト「バズビー研究所」および「CBFCF(Christopher Busby Foundation For Children of Fukusima)」とは一切関係がありません。また、「バズビー研究所」はECRR(欧州放射線リスク委員会)のクリス・バズビー博士が英国で主催するものです。現在、日本に「バズビー研究所」が実在するわけではありません(2011年9月19日)。

2011年12月21日水曜日

判決不服従アクションin郡山:12月23日(金)広河隆一さん講演会「子どもたちを救え!-チェルノブイリと福島-」疎開裁判の報告会「16日の裁判所の決定について」&報告会「『放射能からいのちを守る全国サミット』キックオフ ミーティング」

申し訳ありませんが、広河隆一さんの急用のため、彼の講演会は延期となりました。
広河隆一さんの講演会を第3部に行います。

他方、先週16日(金)に、裁判所から「申立てを却下する」という判決(決定)が出ましたので、急遽、これについての報告会を行います。
ネット中継→ USTREAM配信 IWJ Ch1

1、福島地方裁判所郡山支部から、人権侵害の判決(決定)が出ましたので、これについて弁護団からの報告と関係者の皆さんのコメントを発表します。
2、12月11日、東京で開かれた『放射能からいのちを守る全国サミット』のキックオフ ミーティングの報告を、全国サミット事務局長の吉野裕之さんからしていただきます。→過去の吉野さんの報告動画(福島の子どもの避難・疎開をどうするか (前半) (後半))

いま、放射能の危険な環境に置かれている人たちを何とかしたいという思いから、全国の市民の力によって「つなぎたい~避難・疎開・保養~つながりたい」 というネットワークがじわじわと広がりつつあります。
そのひとつの取組みが『放射能からいのちを守る全国サミット』です。その第1回の準備会が12月11日、東京で開かれ、南は西表島、石垣島、北は北海道からと日本全国津々浦々から避難・疎開・保養開受け入れ先を表明する市民たち150名が集まり、自分たち市民がふくしまの人たちの避難・疎開・保養という公共事業を担うのだという意志を確認しました。
23日はその取組みの報告です。

日時 2011年12月23日(金)午後1~5時

第1部:報告会(1~2時半)
講師 吉野裕之さん(放射能からいのちを守る全国サミット事務局長)
アテンダー・クリスさん(米国 脱原発系ジャーナリス)
演題 「つなぎたい~~避難・疎開・保養~~つながりたい『放射能からいのちを守る全国サミット』キックオフ ミーティングの報告」
      「脱原発について、世界の最新情報」

第2部:裁判報告会(2時半~3時半)
報告者 弁護団 安藤雅樹(長野県松本からスカイプ) 井戸謙一(滋賀県彦根からスカイプ) 柳原敏夫
発言者 矢ヶ崎克馬さん(琉球大学名誉教授 沖縄からスカイプ) 
    松井英介さん(岐阜環境医学研究所 所長 ベルリンからスカイプ)
    武藤類子さん(ハイロアクション福島)
    黒田節子さん(ハイロアクション福島
    井上利男さん(ふくしま集団疎開裁判の会 代表)
    駒崎ゆき子さん(郡山市議)
    酒井恭子さん(会津放射能情報センター)
    橋本好弘さん(須賀川)

第3部:講演会(3時半~5時)
講師 広河隆一さん(映像ジャーナリスト)
演題「子どもたちを救え!-チェルノブイリと福島-」

会場 JR郡山駅西口 郡山ビッグアイ 7階 全大会議室
    (郡山市駅前二丁目11-1  024-931-2700 )→地図

定員 先着160名
    (事前予約はしていません。当日会場にお越しください)
※会場のビッグアイは今回の講演会とは関係がありませんので、問い合わせは下記の連絡先までお願いします。

ネット中継 USTREAM配信 IWJ Ch1

主催 「ふくしま集団疎開裁判」判決前夜アクション実行委員会
連絡先 ふくしま集団疎開裁判の会
     代表/井上利男  電話 024-954-7478
    子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 国・県への対応部会
     世話人/駒崎ゆき子 携帯 090-2608-7894
     メール office.sokai@gmail.com

2011年12月20日火曜日

「却下」決定に対するコメント(3)

以下は、「却下」決定に対する弁護団の柳原敏夫の私見の続きです。

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1、子どもたちはガン・白血病等を発病しない限り救済きれないという判断基準
 裁判所は、避難が認められるためには、申立人の子どもたちの「生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること」(決定書16頁5行目・20頁5行目)が必要だと判断基準を示した上、「生命身体に対する具体的に切迫した危険性」の目安とは、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については,実証的に確認されていない」(16頁(6))ことだとして、本件では「空間線量が年間100mSv以下」だから、申立人の子どもたちには「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」とは認められないとしました。
 言い換えると、これは子どもたちが被ばくして直ちに健康障害が現われる急性障害の場合に限って避難を認めるというものです。急性障害ではない、長期間の潜伏期を経て現われる晩発性障害の場合には避難を認めないという立場です。
 ところで、今回の《福島原発事故による主要な被曝は内部被曝によるもので、現在問題になる被曝量は急性症状ではなく、確率的な影響とされる晩発性障害》(甲82沢田意見書2頁21行目)です。つまり、《白血病のように数年で発症しはじめるものもありますが大部分の晩発性障害は20年〜30年あるいはさらに年月を経て現れるもの》(同頁21行目)です。だから、裁判所の上記の判断基準に当てはめれば、今現在、ふくしまの子どもたちには「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」とは認められず、避難も認められないことになるのです。
 ということは、ふくしまの子どもたちは今後、長期間の潜伏期を経て、白血病やガンなどの健康障害が発生してきたら、そのときに初めて「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」として避難が認められる、それまでは我慢しろ、ということです。これはふくしまの子どもたちの命は見捨てると宣言したも同然です。そのため、16日の記者会見の席上、裁判の会代表の井上利男さんがこの判断基準に激怒したのは当然です。

2、申立人が最も力説した「チェルノブイリ事故との比較」の主張から完全に避難
 私たちは、福島原発事故により申立人の子どもたちの生命身体にどのような危険が迫っているかは、、チョルノブイリ事故との対比により最も明らかにできるとして、それを裏付ける主張・立証を精力的に行いました。すなわち、
①.健康被害について、
ⓐ.矢ヶ崎意見書(甲49)
《福島原発事故による低線量被ばくの危険性(健康被害と避難の必要性)は、チェルノブイリ事故による低線量被ばくの危険性(健康被害の実態や避難基準)と比較検討することにより予測することができる。》(債権者最終準備書面11頁2、チェルノブイリ事故との比較
 具体的には、《債権者らの住む郡山市の住民が、福島原発事故に基づく低線量被ばくによりどのような健康被害を受けるのか。それは、チェルノブイリ事故周辺で、郡山市と同レベルの放射能汚染地域に焦点をあて、その地域が、チェルノブイリ事故以後、どのような健康被害が発生したかを確認することによって予測することができる。
この分析をおこなったのが今般提出の矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意見書3~4頁である(甲49)》
ⓑ.松井意見書(甲72)
《福島県郡山市の環境放射線汚染度と近似の汚染が確認されているベラルーシやウクライナなどチェルノブイリ原発事故汚染地域における健康障害調査データから、郡山市で今後発症するであろう種々の健康障害=晩発障害を予測します。》(甲72第2章 郡山市における放射線による晩発障害の予測―チェルノブイリ原発事故に学ぶ)
②.避難基準について
 郡山市が測定した空間線量の値に基づいて、申立人の子どもらが通う7つの学校の汚染状況をチュルノブイリの避難基準に当てはめたとき、《7つの学校の周辺はすべてチュルノブイリの避難基準で、住民を強制的に避難させる「移住義務地域」に該当する。》(債権者最終準備書面の補充書 (3)2頁。矢ヶ崎意見書(3)〔甲93〕。汚染マップ〔甲97〕)

 しかし、チェルノブイリ事故との比較という核心的な主張・立証に対して、裁判所は判決(決定)で一言も触れませんでした。完全黙秘を貫いたのです。なぜ、私たちが本裁判の核心であるとこれほどまでに声を大にして主張したチェルノブイリ事故との対比という問題から、裁判所は徹底して逃げ出したのでしょうか。それはこの問題に一歩でも踏み込んだら、郡山市の子どもたちには避難するしかないほど、いま彼らの生命身体に差し迫った危険が迫っていることが赤裸々に明らかにされてしまうからで、それは何としてでも回避しなくてはならなかったのです。

3、揚げ足取りの代替手段論

 私たちの避難の申立てに対して、郡山市の最大の反論は、子どもたちには転校の自由があるのだから危険だと思うのなら引っ越せばよい、郡山市はそれを妨害しない、だから申立は認められないという代替手段としての「転校の自由論」でした。
 これに対し、私たちは、転校の自由を実際に行使することが多くの勤労市民にとってどれほど困難を伴うものであるか、郡山市が全く理解していないことを具体的に明らかにし(甲505152)、この自由は多くの勤労市民にとって「絵に描いた餅」にすぎないことを証明しました。
 また、郡山市は、児童生徒は区域外通学(住民票を郡山市に残したまま、他市町村の学校に通学すること)ができるから申立は認められないと代替手段としての「区域外通学論」も主張して来ました。もちろん、私たちはこれにも2回にわたり反論しました(債権者最終準備書面8頁(3)。債権者最終準備書面の補充書 (2)3頁)
 ところが、裁判所は、「区域外通学論」については、「債権者(注:申立人)らにおいて、困難である特段の事情の疎明(注:証明)はない」という理由でこれを採用しました(決定書20頁オ)。
 しかし、転校して他市町村の学校に通学することを実行するのが困難である以上、住民票を郡山市から移そうが(通常の転校)、郡山市に残したまま(区域外通学)であろうがそんなことは関係ありません。私たちが「区域外通学論」に反論する証拠資料を提出しなかったのは、転校が多くの勤労市民にとって実行に困難を伴うものであることさえ証明すればそれで十分だからです。
 それを鬼の首を取ったように、申立人は何も証明しなかったといって裁判所は「区域外通学論」を採用したのです。くだらない揚げ足取りをしているか、それとも頭が足りないかのいずれかとしか言いようがありません。

2011年12月19日月曜日

「却下」決定に対するコメント(2)

以下は、「却下」決定に対する弁護団の柳原敏夫の私見です。

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 今回の判決(決定)は、次の通り、民事裁判の基本原則を踏みにじったものです。通常ではこのようなことはありません。なぜそのようなことが起きたのでしょうか。それはこのよう重大な違反をしない限り子どもたちの申立てを斥けることが不可能だったからです。その意味で、これはなりふり構わず、子どもたちの命を切捨て、彼等の人権を蹂躙した、永遠に弾劾されなければならない判決です。

1、「申立てざる事項につき判決なし」の原則違反
 もともと民事裁判は市民の権利を保護するための制度ですので、民事裁判を利用するにあたって、裁判を起こすかどうか(訴訟の開始)、起こしたとき、どういう内容の裁判を起こすか(訴訟の範囲)、起こした裁判を終了するかどうか(訴訟の終了)については、裁判所ではなく、当事者にそれを決める権限を与えています。その結果、当事者が裁判を申し立てない事項について、裁判所が判決をすることは許されません。これは民事裁判の基本原則です(処分権主義)。近代の裁判制度は、当事者は、争点について裁判の審理の中で自らの言い分とその裏付けを提出して、それを踏まえて裁判所に判断してもらうという原則を取っています。従って、もし裁判所が当事者が申立てをしていない事項についていきなり判決を下したら、それは当事者は言い分を主張する機会を何も与えられないままいきなり判断が下されること、つまり「不意打ちの裁判」が行われることを意味しますから、憲法で保障された「裁判を受ける権利」(=市民の権利を保護するための権利)を当事者から奪うことになるので、許されないのです。これは誰でもすぐ分かるコモン・センスです。

 しかし、16日の判決ではこの点で異常事態が発生したのです。なぜなら、私たちの申立てはあくまでも「14名の子どもたちの避難」であるのに対し、裁判所はこれを「郡山市の全ての小中学生(しかも彼らには疎開するしないの選択の自由が与えられず、一律に強制的な)の避難」であると申立ての内容をすり替えてしまい、その上で、そのような申立ては認めれられないと判断したからです。
 疎開裁判は過去に前例のない裁判なので、当初、私たちは形式的な理由で門前払いされることを最も危惧しましたが、いざふたを開けたら、求めてもいない別の申立てを無理矢理作り上げられて、その挙句に却下されるという、門前払いではなくて門前ちがいの目に遭いました。それは刑事裁判になぞらえれば,Aという人の犯罪を裁く裁判で、裁判所が勝手にBという別の人の犯罪を裁く裁判だとすり替えて判決を下すようなものです。しかも、7月の審理の中で私たちは「郡山市の全ての小中学生の避難」を求める裁判ではないことを裁判所にきっぱりと申し上げました。裁判所は目の前で聞いていたにもかかわらず私たちの申立てを無視して、別の申立てに仕立てあげてしまったのです。これは民事の冤罪裁判であり、重大な誤判というほかありません。

2、証拠裁判主義の原則違反

 判決の理由となる事実の認定は証拠によらなければなりません。かつて、証拠によらず恣意的な裁判がまかり通っていた暗黒裁判に対する反省から近代の裁判制度の大原則とされたものです(証拠裁判主義)。従って、裁判所は証拠に基づかないで事実を認定することは許されません。そして、民事の裁判で事実認定の基礎になる証拠とは当事者が自分たちの言い分を裏付けるために提出された証拠資料のことです。従って、裁判所は裁判に提出された証拠資料に基づいてのみ判決の理由となる事実を認定しなくてはならず、それ以外の資料に基づいて事実認定することは許さません。もし当事者が裁判に提出された証拠資料以外の資料に基づいて裁判所が勝手に事実を認定したら、当事者はその資料について何も批判・反論する機会も与えられないままいきなり判決の理由となる事実が認定されることになり、つまりこれも一種の「不意打ちの裁判」が行われることを意味し、憲法で保障された「裁判を受ける権利」を当事者から奪うことになるので、許されないのです。これもまた見え透いたコモン・センスです。

 しかし、16日の判決ではこの点でも異常事態が発生しました。私たちは学校設置者の郡山市に子どもたちを避難させる義務が発生するのは「空間線量が年間1mSvを超えたとき」だと主張したのに対し、裁判所は「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については,実証的に確認されていない」(16頁(6).以下、本件事実といいます)と事実認定し、だから「空間線量が年間100mSv以下のとき」には郡山市に子どもたちを避難させる義務は発生しないとしました。しかし、裁判所の判断を左右するこの決定的な事実となる本件事実について、申立人はもちろんのこと相手方の郡山市も裏付けとなる証拠を全く出していません。このような最重要で大論争になる事実について、裁判所は全く証拠調べもせずに、いきなり判決の中で認定しているのです。私どもの開いた口がふさがらなかったのは当然です。

 これに対し、裁判所はきっと「それは民訴法179条の顕著な事実だから、証明を要しない」と釈明するのでしょう。しかし、証拠裁判主義の例外である「顕著な事実」とは「裁判官が明確に知り、少しも疑念をさしはさまない程度に認識する事実」(三ケ月章「民事訴訟法」433頁)のことで、その具体例とは「歴史上有名な事件、天災、大事故、恐慌等」(同上。新堂幸司「新民事訴訟法」473頁)のことです。本裁判で、申立人は、「空間線量が年間100mSv以下のとき」でも、重大な晩発性障害の発生が予測されることをチュルノブイリ事故との対比の中で実証的に確認できると、その裏付となる証拠をいくつも提出しました(矢ヶ崎意見書〔甲49〕第1章。松井意見書〔甲72〕第2章。甲64の論文など)。いやしくもそれらの証拠資料を一度でも目を通した者なら、本件事実について、その後も「少しも疑念をさしはさまない程度に認識」を維持することは到底不可能です。最低でも、判決の行方を左右する最重要な事実を果して証拠調べもせずに認定してよいかどうか証明すべきです(公知であることの証明)。

 裁判所は、証拠資料である矢ヶ崎意見書・松井意見書などを読んでいながら、この最低限度の証明すらせずに判決でいきなり本件事実を認定したのは、申立人からすれば、判決の行方を左右する最重要な事実について一度も主張・立証する機会も与えられずに、申立人の申立てを斥けられたものであり、「不意打ちの裁判」によって、憲法で保障された「裁判を受ける権利」を奪われたというほかありません。これでは近代以前の中世の暗黒裁判に逆戻りしたのも同然です。

 この中世の暗黒裁判によって誰が最も被害を蒙るかは言うまでもありません。次の魯迅の言葉を引用するまでもなく、命を尊ぶことをやめない限り、私たちはこの判決が破棄されるまで永遠に弾劾し続けるでしょう。
                        (文責 柳原敏夫 2011.12.18)

いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。」魯迅「随感録」の生命の道(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)

2011年12月16日金曜日

「却下」決定に対するコメント(1)

1 本日12月16日、福島地方裁判所郡山支部で仮処分申立に対する決定が出されました。
裁判所の決定(2頁に「判断の理由の要約」 13頁末行から最後までが判断の理由のポイント)

 以下その解説を述べるにあたって、一言、弁護団長(柳原敏夫)の感想を述べさせていただきたい。

      ********************
「子どもを粗末にするような国は滅びる、そのような国には未来はない」
これが真実であることの確認を求め、混乱と異常事態に陥っている国政の是正を「人権の最後の砦」を本来の任務とする裁判所に求めたのが疎開裁判です。
 しかし、本日、裁判所は自らその任務を放棄することを宣言しました。福島第一原発に劣らず、我が国の三権も首をそろえて混乱と異常事態に陥っていることを余すところなく証明しました。それが本日の決定の唯一の意義です。
 これに対しては、私たちは2世紀以上前のアメリカ独立革命の人権宣言の初心・原点に帰って、「子どもを粗末にするような国は廃炉にするしかない。未来は子どもを大切にする国作りの中にしかない」ことを宣言する。

政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(米国ヴァージニア憲法3条)
      ********************

 結論となる主文は「本件申立を却下する」というものです。

 決定中には「判断理由の要約」として、以下が記載されています。
「放射線による影響を受けやすい児童生徒を集団で避難させることは、政策的見地からみれば、選択肢の一つとなり得るものである。しかし、債務者には、郡山市に居住する他の児童生徒が存在する限り、教育活動を実施する義務があり、教育活動の性質上、債権者らに対する教育活動のみを他の児童生徒に対する教育活動と区別して差し止めることは困難である。債権者らの申立の趣旨は、事実上、債権者らが通学する小中学校の他の児童生徒に対する教育活動をも含め当該小中学校における教育活動の実施をすべて差し止めること等を求めるものと認められるから、その被保全権利の要件は厳格に解する必要がある。しかるに、債務者による除染活動が進められていることや放射線モニタリングの結果などを考慮すると、現時点において、警戒区域でも計画的避難区域でもない郡山市に居住し債権者らと同じ小中学校に通学する他の児童生徒の意向を問うことなく、一律に当該小中学校における教育活動の実施の差止めをしなければならないほど債権者らの生命身体に対する具体的に切迫した危険性があるとは認められない。また、債権者らに対する損害を避けるためには、債権者らが求めている差止め等が唯一の手段ではなく、区域外通学等の代替手段もある。したがって、本件申立てについては、被保全権利が認められない。」

2 今回の決定の骨子は次のようなものです。
① 債権者らは、債権者らを避難させることを求めているが、実質的には、各学校における他の児童生徒の教育活動の差止めを求めているから、その被保全権利の要件は厳格に解する必要がある。
② 現時点で、他の児童生徒の意向を問うことなく、一律に各小中学校の教育活動の実施の差止めをしなければいけないほど、債権者らの生命身体に対する切迫した危険性があるとは認められない。その理由は、①空間線量が落ち着いてきている、②除染作業によって更に放射線量が減少することが見込まれる、③100ミリシーベルト未満の低線量被曝の晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない、④文科省通知では年間20ミリシーベルトが暫定的な目安とされた、⑤区域外通学等の代替手段もあること、等である。

3 裁判所は、まず、被保全権利がないこと、すなわち、子供たちに切迫した健康被害の危険がないことを理由に、申立を却下しようと考えたのだと思います。しかし、その点だけでは決定理由を書けなかった。そこで、他の子供達についても避難させようとしているなどということを持ちだして、「被保全権利の要件を厳重に解する必要がある」などということを言い出したのです。確かに、私たちは、14人の子どもの避難だけではなく、他の子供達の避難も実現したいと思っていました。しかし、それは、裁判所の決定が出た後の行政交渉で実現できることであって、司法で実現できることではないし、司法判断の対象になるものではないと位置づけていました。個人の権利救済を目的とする民事訴訟手続においては、それは当然のことです。審理の対象は、申立人の子供たちの健康被害を避けるために、申立人の子供たちを避難させる必要があるかどうかだけなのです。他の子供達に対する事実上の影響の問題を司法判断に持ち込み、厳しい要件を課したのは、民事訴訟の原則に違反するものであると考えます。

4 100ミリシーベルト以下での低線量被曝のリスクが証明されたとはされていないことや文科省の20ミリシーベルトの判断を理由に子どもの健康のリスクを否定した内容は、結局、行政の判断に追随しているだけであり、司法の役割を全く果たしていないというしかありません。チェルノブイリでの避難基準との比較、ベラルーシやウクライナの子供たちの現状、福島の明日は今のベラルーシやウクライナであること、多くの子供達が被害を受ける危険があることを、裁判所はどう考えたのでしょうか。科学的な証明のためには膨大なデータの収集が必要であり、そのためには長い時間がかかります。児玉龍彦東大教授が言っておられるように、科学的に証明できてから対策をとっても遅いのです。ことは子供たちの生命、健康の問題です。予防原則が徹底されなければなりません。我が国の政府は、国民に対し、年間20ミリシーベルトまでの被曝をさせる意思です。ウクライナやベラルーシでは、年間5ミリシーベルトを超える地域は強制避難地域とされました。それでも大変な健康被害が生じています。我が国における子供たちの保護が、旧ソ連の各国よりもはるかに劣っていること、そのことを我が国の司法すら安易に追認することに驚きを禁じえません。

5 司法の仕事は、苦しみの中で救済を求めている市民を救うことであって、市民を苦しめる行政の行為にお墨付きを与えることではありません。

 今回の裁判所の決定に対し、私たちは十分に検討の上、今後の道を探りたいと考えます。

【速報】ふくしま集団疎開裁判 決定は「却下」

ふくしま集団疎開裁判は16日、福島地裁郡山支部(清水響裁判長)により「却下」されました。決定の詳細などは、こちらで別途報告
裁判所の決定(2頁に「判断の理由の要約」 13頁末行から最後までが判断の理由のポイント)

【訂正】判決前夜アクションin郡山:12月23日(金)、広河隆一さん講演会の予定通り実施

以下の講演会は、予定通り実施することとなりました。

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写真家、ジャーナリスト、『DAYS JAPAN』編集長、チェルノブイリ子ども基金設立者の広河隆一さんが来週、郡山で講演をします。

日時 2011年12月23日(金)午後3時半~5時
演題 「子どもたちを救え!--チェルノブイリと福島--」(仮題)
会場:JR郡山駅西口 郡山ビッグアイ 7階 全大会議室
→詳細は、こちら

2011年11月19日土曜日

(12/4修正版)判決前夜アクション:いま 福島の子どもたちを救う疎開裁判賛同の表明を! 32日目(12/21現在)賛同者5411名(日本) 1339名(世界)

英語版-English  韓国語版-한국  ロシア語版-русский  中国語版-中国 スペイン語版-español フランス語版-française

12月2日、裁判所に緊急提出された矢ヶ崎克馬氏の意見書(3)の立場に立って、文科省が8月30日に公表した「土壌の核種分析結果(セシウム134、137)について」の空間線量のデータに基づいて、疎開裁判を申し立てた14人の子どもたちが通う郡山市内の放射能汚染状況をチュルノブイリの避難基準に当てはめると、下の汚染マップとなります。

クリックで拡大

住民に避難(移住)する権利が認められる移住権利地域に該当する黄色丸が1箇所あるだけで、それ以外は全て住民を強制的に避難(移住)させる移住義務地域に該当する赤丸です。つまり、疎開裁判の子どもたちは、いま、チュルノブイリ事故だったら強制的に避難させられるような地域で教育を受けているのです。
子どもたちをこんな危険な状態に置くことは許されない、彼らを今すぐ安全な場所に避難させるべきだ--これがこの裁判の主張です。

日にちは未定ですが、まもなく疎開裁判は判断が下されます。この判断の結果いかんによって、14人の申立人の疎開だけではなく、福島県全体の子どもたちの集団疎開が実現するばかりか、内部被ばくの危険に晒されている日本中の子どもたちの安全について抜本的な見直しにつながります。

疎開裁判の判決前夜に、日本中、世界中の人たちが福島の子どもたちを救う裁判を支持していることを世に示して、私たちひとりひとりの意思で、裁判による世直しを力強く支えましょう。
今すぐ、下の「賛同」の□をチェックして、ネットで裁判賛同を表明して下さい         なお、疎開裁判をもう少し知りたい方は→2枚のビラ
          もっと詳細を知りたい方→提出書面一覧表主張対比表
賛同表明は□のチェックだけでOK。それ以上必要ありません。
賛同は署名とちがうので、既に署名した方も賛同表明をお願いします。
携帯からは賛同表明できません。パソコンからお願いします。