"水"を主題とした"絵"を想ってみると、日本画と"水"の関係は縁の深いものの様です。日本画が描かれはじめた頃より、その描かれた"絵"の中の何処かに"水"に関わるもの..、川、滝、波、波紋などが描かれてもいます。そもそも、暮らしのまわりにほど近い存在であって、"ある"だけで、"描く"だけでどこか落ち着きを想わせるものだったのかもしれません。
しかし、"水"を描くことをもうひとつよく考えてみると、川や滝を風景の一部として描くこととは別に、波や波紋、流水を描くことは、絵画的にも極めて高い観察力や表現力、つまり、画力が問われることなのです。
こちらに掲載をさせて頂いたのは、観世水(かんぜみず)を主題とした京友禅です。
観世水とは、能楽の観世流宗家であった能楽師が定式文様として取り上げたことにはじまり格調ある文様として、以来琳派をはじめとした日本画に用いられる様になったとのことですが、この"観世水"の意匠/デザインが、誰が最初に描いたかはよく分かりません。
しかし、際立って美しく描かれた観世水と言えば「尾形光琳/紅白梅図屏風」かと思います。紅梅と白梅の間を流れる川が観世水で表現されている図屏風です。
現在、私たちの眼の前にある、と言うか、意識の中に擦り込まれている"観世水"は、当たり前のように日本的なる"水の動き"を表現する文様を想わせます。しかし、その図案と言う点を取り上げて思うと、その図案は極めて創造的な意匠の様に感じます。曲線の不規則的なる繋がりと不連続性が、"水の動き"を表現しているのです。当たり前のようでありながらも、至極、創造的なる意匠でもあるかと思います。
そして、この観世水ですが、何時もどこかで「格調」を想わせることが多いのです。花鳥風月を想う文化人にとって、格調ある"水の動き"は欠くべからざる構図でもあったのかもしれません。琳派とされる日本画の中でみられる理由のひとつかもしれません。
こちらの京友禅は、桜色に灰色が覆った感のある地色に、観世水を染め描き付下としています。単彩色の中に、ほぼ単彩で染め描く、それも、曲線の不規則な繋がりと不連続性だけがつくる単純なる文様が染め描かれているだけなのです。
観世水は琳派を想わせる文様かもしれませんが、この友禅には琳派を想わせる硬質な印象は伝わってきません。品位を想わせる彩色と染め描かれた観世水の"動き"は、"絵"としての巧さを伝えてくれます。そして、感じられるのは、この彩色と観世水が相俟って伝わってくる"柔らかな品位"なのです。硬質なる印象の琳派に対して、この友禅は女性的なる柔らかな品位を表現している様なのです。
この友禅には多くのものが染め描かれてはいません。
染め描かれているのは観世水だけ。たったひとつの主題とほぼ単彩色だけで、品位や格調を表現しているのです。様々な図案を染め描き艶やかなる演出を凝らされた友禅とは趣向が違うのです。ひとつ控えると言う意識、そして、品格ある趣向を想いたい。そんな気持ちを表現してくれる京友禅付下になるかと思います。
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