■金総書記「信頼できるのは家族だけ」
張成沢氏は08年8月、金正日総書記が倒れた際、非常事態の収拾で中心的な役割を果たした。04年に側近の豪華な結婚式に出席し、権力欲で派閥分裂を図った疑いで粛清されたが、07年末には公安、司法機関を統括する党行政部長に就任し、金正日時代のナンバー2と呼ばれた。
金正日総書記はリーダーシップを持つ張成沢氏を警戒しながらも、昨年6月には最高権力機関である国防委員会の副委員長に張氏を就任させた。昨年9月の党代表者会を前後し、崔竜海(チェ・リョンヘ)党書記、朴明哲(パク・ミョンチョル)体育相ら、張成沢氏の側近が左遷を解かれ、続々と復帰した。韓国政府当局者は「09年12月以降、金敬姫・張成沢夫婦は、金正日総書記の現地指導にしばしば同行した。金正日総書記は晩年、信じられるのは家族だけだと考えていたようだ」と語った。
北朝鮮の後継体制をめぐり、金敬姫・張成沢氏は当初、長男の金正男(キム・ジョンナム)氏を支持していたとされる。金敬姫氏は金正男氏の生母である成恵琳(ソン・ヘリム)氏に近く、成氏が病気治療のためにモスクワに向かって以降、金正男氏の面倒を見たことが背景にあるとみられている。しかし、金敬姫・張成沢夫婦は金正恩氏が後継者に内定して以降、金正男氏に対する未練を捨てたとみられる。
金敬姫氏と張成沢氏が結婚に至る過程は順調ではなかったとされる。韓国に亡命したファン・ジャンヨプ元労働党書記の回顧録によれば、金敬姫氏は金日成総合大学政治経済学科の同級生だった張成沢氏にほれた。張氏は頭が良く、アコーディオン演奏、歌、踊りがうまかった。しかし、金日成主席は張成沢氏の父親の出身成分が悪いとして、張氏を元山経済大学に追放してしまった。その後、金敬姫氏が泣いて訴えて、1972年にようやく結婚したという。
結婚生活は、娘チャン・クムソン氏の自殺、金敬姫氏のアルコール中毒、張成沢氏の二度にわたる粛清などが重なり、円満ではなかったとされる。ある幹部出身の脱北者は「金敬姫氏は宴会で、『おい、張部長』と呼ぶなど、張成沢氏に冷たかった」という。しかし、情報当局者は「金敬姫・張成沢夫婦は政治的に同じ船に乗った運命共同体だ。二人が反目し、北朝鮮の権力が混乱する可能性は現時点で低いのではないか」と分析した。