今日から、これまでと同様に、多摩美の永井由美子先生にもご協力いただけることになりました。
今日は、それぞれのメンバーが持ってきた思い出のモノについての話をしました。
手伝いをしてくれる学生の一人が、小学校の時に担任の先生と書いていた交換日記の思い出を話してくれました。やりたいことがあったけど尻込みしていた彼女を後ろから押して、支えてくれた先生のことが今でも大好きだと言うことでした。
他の皆さんからもさまざまなお話を伺いました。
今回は、こうした話をしている場面や活動している場面についても、記録にとって、活動記録として皆様にお渡ししたいと考えております。(学生の一人にカメラマンをやってもらいました。もちろん、個人情報の取扱については注意するつもりです。)
次回からは、ワークショップも含めて作業が始まります。今回は、かるたを作ろうと考えています。カルタというとちょっと子どもっぽいと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
お話ししたように、今は、デジカメ、ビデオ、メール、ICレコーダなど、私たちが記録をとるための手段は膨大にあります。それをそのまま保存しておこうとしたら、いったいどれだけになるのか。旅行の記録、運動会の記録のビデオをとっても、それが二度と見返されることがないのは、時間がかかりすぎるからです。私たちにとって、再度見るに値する「記録」とするためには、ましてや「記憶」とするためには、何らかの形での「編集」が必須となります。
その「編集」として私たちはこれまでの学びの森ではいくつかのやり方を試みてきました。最初は、「成城という街」に注目しました。場所で限定したのです。
次は、「8枚の写真」にまとめ、それぞれにコメントを付け、蛇腹式の本にしました。
3回目の昨年の春の時には、「時間軸」に着目しました。
今回は、カルタという形にすることによって、写真と文字の両方に重きを置きたいと思っています。さらにカルタにしたのには次のような理由があります。
思い出をどのように「編集」するか、を考えるときにもっとも重要なのは、それを誰に向けて何のために語るかということを考えることです。いわばコミュニケーションとしての思い出を位置づけるということです。
今回も多くのかたが、たくさん撮った写真やビデオをどのように整理するかを学びたいということを語っておられました。なぜ整理したいのでしょうか。単に押し入れに入れるためではないでしょう。
本当に整理するためには、誰かに向けてそれを語るということを考える必要があります。
カルタは、普通一人では遊びません。詠み人がいて、カードを取る人がいてゲームが成立します。ですから、かるた遊びにはコミュニケーションがそもそも含まれています。
また、今回は、いろはがるたのすべてのカードを作っていただこうとは考えておりません。それは、全6回の学びの森では不可能でしょう。そのうちの数枚(たとえば、5枚程度)を作って家に持ち帰って欲しいのです。そして家族や友だちに見せて、その後から少しずつカルタの枚数を増やしていただけたら、と思っています。そこで発生するコミュニケーションこそを私たちは期待したいと思っています。
ということで、次回までにご用意いただきたいこと。
数枚程度の写真、そしてそれに付ける言葉(和歌のような洗練された物である必要は有りません)の案 もちろん、完成している必要はありません。次回の時に少しずつ考えていきましょう。素材をお持ち下さい。写真でもよいですし、メモリカード(USBメモリー、SDカードなど)でも結構です。
なお、「思い出をまとめる」で出てきた私の原稿というのは、これのことですね。たしかに、「思い出をまとめる」で検索すると出てきます・・・ 昨年、成城大学で開催した日本認知科学会という学会での発表資料でした。
申し訳ありません。だいぶ時間がたちました。どういう形式でプログラムを作ったらよいかを検討していたのですが、私の力で出来る範囲のことで、それなりのものを・・と考えるとなかなか難しい。とはいえ、あまり時間が経ってしまっても申し訳ないので、とりあえずのバージョンを作成しました。
当然のことながら、パスワードを付けました。一般に公開するものではないので。パスワードについては、ご参加いただいた皆様に今週中にお送りします。
遅れましたことをお詫びいたします。
詳細はまた別途御連絡いたします。
【追記:2007.8.21】
上記ページは、macintoshで作ったのですが、先ほど Windows XPで確認したところ、IEではうまく見えないことがわかりました。FireFoxなら大丈夫なのですが・
ということで、もう一度見直してからご連絡いたします。今日、書いていただいたカードも一緒にお送りしようと思っていたのですが・・・残念です。
1932年から始まって2007年まで(2032年までの人もいましたが)の一年ごとに、それぞれの人が書き込んできたポストイットのカードを段ボールのボードに貼ってみました。
何年かおきのカードだけの人、毎年何か書いてきた人、いろいろありましたが、1930年初頭からの80年あまりの時系列の中にはめ込んでみると・・・こんな感じになります。
最年長の参加者は、一番若い参加者の4倍あまりの長さを必要とするわけです。(一辺が75mmのカードですので、100年分は7.5mとなります。)計算すれば当たり前の話ですが、実際にカードを並べてみると、本当に延々という感じになります。
まだ完成ではありませんが、並べてみるといろいろ興味深いことがわかります。ある人が生まれたとき、もう一人のメンバは、富士登山をしていたとか。阪神淡路大震災のときにそれぞれの人が何をしていたのかとか。
一番若いメンバーの提案で、それぞれの人が20歳のときにどういうことをしていたのかについての語りもしてみました。
今回用意したボードには10名分のカードを貼ることができました。このメンバのカードが同じボードに貼られたというのは、単なる偶然ということもできるでしょう。しかし、縦軸にはさらに多くの人を考えることが可能なはずですし(日本だけで1億3000万弱)、1932年より前、2007年より後にもこれは続いていくはずです。
次回には、もう少しテーマを絞ってカードをつくってもいいのではないかという意見もありました。そこで、10歳、20歳、30歳・・・のときに
・どんなものを食べていたのか
・どんな遊びをしていたのか
・どんな映画・本などに影響を受けたのか
についてまとめてみましょうということになりました。これを比較することによって違う年代の人たちのどこが違うのかが見えてくるはずです。
ポストイットという頼りない糊で貼り付けることがポイントかなあと思っています。いずれ落下するのでしょう。それはそれでいい。そういうパネルをどこかに用意して、日々の記録を貼っていくというのはどうでしょうか。
今日が第3回目です。
前回の第2回で、時間に関わる表現を試みたらどうだろう、という議論になりましたので、時間表現について検討してみました。
この写真は、多摩美時代のSさんが数人の友だちと行った2年間の年表です。
2004年4月から2006年3月までの2年間、毎月どんなことをやって、どういうことを考えていたのかを一月1枚のカードとして書き出し、時系列的に並べてみたというのです。どこかに言った時の話、試験で追い込みだった頃、人間関係の話。ひとつひとつに書かれた言葉は断片にすぎませんが、学生の2年の生活と社会人になった人の生活が大きく異なるということが見えてきたと言うことです。また、思い出せない空白の時期がある、いったいそれはなんだろう。そのときには私はなにをやっていたのだろう、と考える。そして、他の人の活動を見て、思い出したり考えたりすることも出てくる。作っている途中でのおしゃべり、振り返りが貴重だったとのこと。
もちろん、人に話せないこともあるでしょう。また、一枚では語れないこともあるでしょう。さらには、そこに書かれたことを見てもいったい何のことかわからないこともたくさんあります(私たちが知らない人たちの生活の記述を見ているわけですから、当然ですが)。
次回は、こういうことをやってみようと思いました。
一年あたり1枚、年齢分の枚数のポストイットを貼ってみましょう。今やいろいろな色のポストイットがありますから、自分の気に入る・気分に合う色のポストイットを選んで、自分の年齢の枚数を並べてみましょう(75mmx75mmのものを使ってください)。そのポストイットに自分のやったこと、自分の状況、その頃の自分の思い、その他を書き込んでみましょう。
もしかしたら空白のカードが並んだ時期が続くかもしれません。また、20歳の参加者は20枚、70歳の参加者の方は70枚のポストイットを並べることになります。この枚数の違いが何かを語ってくれるかもしれません。
次回までにポストイットの一部分を用意していただこうと思っています。次回は、それを並べてみましょう。異なる世代の、あるいは同じ世代のカードが並ぶことによって見えてくることがあるでしょうか。
残念な連絡です。
最近大学あたりでは話題のはしかですが、とうとう成城大学もその仲間入りです。
6月2日から9日までがはしかのための休講措置がとられることとなり、
学びの森もそのあおりをくらってお休みとなりました。
代わりの日程は、また別途御連絡させていただく予定です。(まだ、日程は
決まっておりませんが、かならず他の日を設定いたします。)
追記。
大学は静かです。学生がいないキャンパスは、なかなかさびしい。職員はみんな忙しそうに仕事をしています。教員は、お休みが多いですけどね。
学内一番の繁華街ですが、人っ子一人いません。
2007年度学びの森春のコース「思い出の心理学」の第1回が開催されました。今回の参加者は8名でした。そのうち、4名が前回・あるいは前々回の参加者の方です。本当にありがたく思います。
今回は、自己紹介を兼ねて、思い出の技術と思い出(記憶)の心理学がどういう状況にあるのか、1990年代の後半にいたってその二つが重なり合うようになってきたのだ、という話をしました。
さらに、私たちがどういうことをこれまでにやってきたかを、2006年度の春の作品(地図上に思い出をマッピングしたもの)、秋の作品(8枚の写真を蛇腹にしたもの)をお見せしました。前者は複数の人で一つの大きな作品を作ったもの、後者は、個人が自分の思いをまとめたもので、作品の形態としても、また表現の仕方としても大きく異なるものです。
今回のテーマの一つは、本来個人的なものと思われてきたさまざまな思い出が、なぜ重要になってきたのか、またそれを語ると言うことにはどういう意味があるのか。たとえば、今では(私がここでこうやっているように)、個人の思い出をインターネットを介してたくさんの人に公開することは容易にできます。しかし、それにいったいどういう意味があるのか。たとえば、私たちが昨年の春に作った作品は、いったい誰に向けてどういう目的で作ったものだったのだろうか。こういうことを考えてみたいのです。
思い出はそれ自体として楽しいものであり、また、大切なものでもあるでしょう。しかし、それを作品として、あるいは作品とまではいかなくても、一つのものとして形として表現するとしたときには、そこには何らかの意図があり、語る相手がいるはずです。
もちろん、同じ部屋で作業をしているこのメンバーの間ではその語りの意味は自明ですし、また、それは共有することができます。しかしその範囲を超えて語りを広げることには意味があるのでしょうか。
思いを具体的なものとして形にすることがいろいろな副次的な効果を持つ(よい意味でも悪い意味でも)ということはよくわかっています。(私たちも学びの森でそうした体験をしてきました。)今回の「思い出の心理学」がめざしているのは「ネズミの心理学」でもなく、また、教科書にある「一般論の心理学」でもありません。私たちが具体的に体験したことをどう語り、またそれを誰かに向けてコミュニケーションすることが私たちにとって持つ意味を考えてみたいと思っています。
次回はワークショップが入ります。それぞれが何かを持ってきて(モノかもしれませんし、思いかもしれません)、それについて語ってみたいと考えています。それがどういう形の作品になるのか、またそれはいったいここで公開されるものになるのか、それはまだ私たちにもわかっていません。
今回のメンバーも多士済々です。すでにさまざまな思い出ノートを作られている方、自分史作りを実践されている方、介護の生活の中で日々の記録を作られている方などでした。私個人にとってうれしいのは、昨年とある大学で非常勤講師として授業をしたときの学生さんの一人がお金を払ってまで参加してくれたことです。「孫の世代ですね」という話も出ましたが、おかげで年齢層の巾も広がりました。
次回もよろしくお願いいたします。
明日土曜日から、また新たなコースです。
いつもの永井先生と佐藤翔子さんと一緒にやります。
ご参加いただく皆様、事務局の方々。
多くの皆様のご協力で成立しているんだということがよくわかります。
今回は、繰り返しご参加いただいている方もいらっしゃるので、
新たに、そしてまた深めるためにはどうしたらいいかを議論しながらすすめて行きたい
と考えております。
それでは、また明日。
4月で新入生が入ってきて、授業がはじまったのをきっかけに、「成城の思い出トランプ」の取り組みを始めました。これが募集のパンフレットです。この思い出トランプというアイデアは、メディアネットワークセンターの芳川さんのものです。この大学の学生にぴったりと思いました。4年後に本当にこのトランプを渡せる学生がでるといいなあと思っています。
こういう取り組みができるようになったのも、昨年の学びの森の経験があってこそです。
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