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「諦めない心大切」 68歳高校生が夢の大学生に 気仙沼
 | 教室で担任や同級生と談笑する太田さん(中央)=気仙沼市九条 |
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東日本大震災の津波に流されながらも一命を取り留めた宮城県、気仙沼高定時制4年の太田初子さん(68)が、大学に合格した。交通事故の後遺症と闘い、60歳を過ぎてから、かつて諦めた高校へ入学。苦難の末につかんだ大学生活に「人のつながりの大切さを伝えたい」と夢を膨らませる。
太田さんは現在、気仙沼中校庭の仮設住宅に1人で暮らす。11月中旬、東京福祉大社会福祉学部(群馬県伊勢崎市)から推薦入試の合格通知が届いた。 来年4月から、長男順也さん(43)=伊勢崎市=宅の近くに住み、大学に通う予定だ。「助かった命だし、今度は支える側になりたい」。大学では精神保健福祉士を目指す。 3月11日。自宅で激震に見舞われた。高台へ避難しようと車に乗り込む瞬間、真っ黒な津波に襲われた。 重油が混じる津波に沈み、死も覚悟した。「いろいろな思い出がよみがえった。でも、高校を卒業していない。まだ死ねない」。もがいているところを引き上げられ、病院に運ばれた。 震災に限らず、太田さんの半生は辛苦の連続だった。 気仙沼市生まれ。外交官になるのが夢だった。経済的な理由で高校進学を断念せざるを得なかった。地元の中学校を卒業し、群馬県の家電メーカーの工場へ。母親は「高校に行かせられず、申し訳ない」と涙ながらに頭を下げたという。 群馬県で結婚し、1男1女をもうけた。1990年に長女啓子さん=当時(24)=を交通事故で亡くした。太田さん自身も91年に事故に遭い、手足のしびれや視力低下などの後遺症となった。 2007年の秋、実父の介護のため気仙沼を訪れた際、気仙沼高定時制の生徒募集を知った。「諦めた高校進学に挑戦しよう」と決意。08年4月、悲願だった高校生になった。 学校では教諭らの支えで階段を上り、蛍光灯の光から目を守るためにサングラスを掛ける。「先生たちは息子と同じ年代。クラスメートは孫みたいで楽しい」と笑う。 「人を思いやり、諦めない心があれば、どんな困難も乗り越えられる」。そんな信条を胸に大学生活に思いをはせる。
2011年12月23日金曜日
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