最終更新: 2011/12/23 00:44

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福島第1原発事故 遅すぎる国や県による被ばく検査の実態を検証しました。

福島第1原発事故直後に避難先で何の情報もないまま、被ばくのリスクにさらされた家族がいます。
遅すぎる国や県による被ばく検査の実態を検証しました。

大量の放射性物質をまき散らした福島第1原発。
この時、情報が隠されたことで、被ばくの危険にさらされた人々がいる。
不安の中で続く避難生活を追った。
2011年4月、体育館で共同生活を送りながら、避難先の小学校に通っていた根本成実ちゃん(8)。
両親と3人、福島第1原発から9km地点にある浪江町の自宅から避難していた。
あれから8カ月、根本さんの一家は、福島市内の仮設住宅に移り、成実ちゃんは2回目の転校先に通っている。
小学校は送迎バスで1時間の場所にあるため、毎朝が早い。
根本和枝さんは「子どもに何かあったらっていうのは、毎日、心のどこかにはあるので。悔やんでも悔やみきれないですよね」と話した。
成実ちゃんの両親が抱えてきた不安。
それは、高い放射線量の場所に避難した4日間のことだった。
根本昭義さんは「ちょうどうち、赤いとこ行っちゃったんだよな、これな。浪江町の防災無線で『津島の方に逃げてください』って流れて」と話した。
3月12日午後、根本さんの一家は、原発からおよそ29kmの津島地区に避難した。
この時、国の「SPEEDI(スピーディ、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」は、津島地区に放射性物質が降り注ぐと予測し、福島県も13日に把握していた。
しかし、政府はこの情報を隠して、枝野官房長官(当時)は「避難の状況等について、新たな対応をする必要はありません」と言った。
3月23日になって、ようやく「SPEEDI」の情報は公開された。
根本昭義さんは「『SPEEDI』の情報があれば、津島には行かなかったんで、その情報は欲しかったですよね、やっぱりね」と話した。
根本和枝さんは「食事をもらうのに、子どもも一緒に並んでいたので、何かすごい怖くなりましたね」と語った。
津島地区に避難して4日目、浪江町役場は異変に気づき、再び住民全員を避難させた。
翌日の津島地区では、58.5マイクロシーベルト(μSv) 、平常時の1,170倍の放射線量が確認された。
当時、津島診療所にいた関根俊二医師は、避難した住民およそ8,000人が被ばくの危険にさらされたと証言する。
関根医師は「ガラスバッジ、これ放射能の線量計なんですけど、ずーっと何年もゼロ。ところが3月の分だけは、800マイクロシーベルトパーアワー、感知したということは、12日から15日に至るたった4日間で、800マイクロシーベルトを感知したということになる。若い方も子どもさんたちもいたんですよ。だからそういう人たちはね、本当に気の毒だなと思いますけどね」と話した。
8月に内部被ばくの検査を受け「検出されず」という通知が届いた成実ちゃんだが、甲状腺検査は11月になってからだった。
関根医師は遅くとも5月までに検査をしなければ、被ばくの実態がつかめないと指摘してきたが、対応は遅かった。
関根医師は「浪江町でも、津島地区に4日間いた人たちを優先的に早くやってほしいということをね、もう何回もお願いしているんですよね。ところがね、やっぱり遅々として進まなかった」と話した。
被ばくを避けるための情報の隠ぺい、アリバイ作りのような検査。
先の見えない避難生活のうえに不安が募っていく。
それでも成実ちゃんは、子どもなりに放射能と向き合っていた。
根本成実ちゃんは「目にも見えないし、味もないし、どこにあるかもわからないから、心配。自分の体だから、守らなきゃいけないし」と話した。
放射能に翻弄(ほんろう)される日々の中で、一家は仮設住宅でもうすぐクリスマスを迎える。

(12/23 00:44)

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