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   2008年4月号 No.717




新世紀への提言




呉 善花 (オ・ソンファ)
(評論家・拓殖大学教授)
 1956年韓国済州島生まれ。83年に来日し、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後東京外国語大学大学院修士課程(北米地域研究)を修了。
 著書に、『攘夷の韓国 開国の日本』(文藝春秋、第五回山本七平賞受賞)、『スカートの風(正・続・新)』(三交社、角川文庫)、『日本語の心』(日本教文社)、『日韓、愛の幻想』(文藝春秋)、『韓国併合への道』(文春新書)、『韓国の暴走』(小学館文庫)、『韓国から見た北朝鮮』『日本浪漫紀行』(PHP新書)、『私はいかにして「日本信徒」となったか』(PHP文庫)『日本ほど個性と創造力の豊かな国民はいない』(PHP)など多数。
  

  


日本人は、世界にも稀な
精神性を備えた国民である


 韓国では、先の大統領選挙により、李明博政権が誕生した。これにより従来の親北反日政策はどう変わるのか注目されるところだ。日韓は、隣人として良好な関係を今後築けるのだろうか。
 親日派の評論家・呉善花さんは、来日して二五年の間、日韓両国の違いを丹念に拾い上げ、それが両者の歴史や文化、風土、人の精神性にどのように関わっているかを検証してきた。呉さんの目に、日本という国は、日本人は、どのように映るのかお聞きした。そこに、私たちは実りある日韓関係の道を探ることができるかもしれない。


日韓が理解し合えない一割の違い

― 地理的にいちばん近い国でありながら、日本と韓国はまるで同居しながらいがみ合う夫婦のような関係にあります。何が障害になっているのでしょうか。

 両国は似ているようでいて、その本質的なところが正反対だからでしょう。人の顔立ちも街の風景も、気候風土も極めて似ているから、親近感を持つのですが、九割同じでも残りの一割が決定的に違うために、心の底から分かり合えずにイライラしてしまいます。一割の違いとは、それぞれの国民の認識の仕方、価値観に由来しています。理解し合うためには、お互いの違いを一つ一つ棚卸して、それぞれの歴史や風土に遡って検証してみる必要があります。

― 両者の認識や価値観の違いから生じる違いは、たとえばどんなところに表れていますか。

 端的な例は、ヨン様です。「冬のソナタ」が日本で人気を博していたとき、韓国人女性は、あんなナヨナヨした男のどこがいいのか理解に苦しんでいました。日本人女性は、いかにも繊細で壊れそうで不安定なヨン様を私が助けてあげたい、そう考えたのではないでしょうか。

― 母性ですね。

 ええ。日本社会は母系社会です。どこか儚げで、頼りなさそうな男性の方が受けますね。ところが、儒教の国韓国は、徹底した男尊女卑社会です。韓国人女性が好きなタイプは、どこから見ても隙がない完璧な男性です。
 恋愛のスタイルも自ずと違います。韓国では、男性はあらゆる甘言を尽くして女性を口説き、何度断られようと引き下がりません。女性もそれを分かっていて、自分の価値を高めるだけ高めた上で誘いを承諾します。そして恋愛が始まると、男性が常に主導権を持ち、女性を女王様のように扱ってくれます。「冬ソナ」などもその段階を描いたドラマです。韓国の男性は、世界でいちばん女性に優しいというイメージもそんなところからきているのでしょう。

― その関係は、結婚後はどうなるのですか。

 完全に男尊女卑社会に転がっていきます。昔から韓国では、「雌鳥が鳴くと家が滅びる」「妻は三日殴らないと天に昇る」と言われ、妻は夫に虐げられてきました。夫の浮気も当たり前です。また、結婚しても女性は姓を変えませんが、二人の間の子供は、夫の姓を名乗ります。親権もすべて夫の家にあります。儒教社会ならではの血統主義が根強いのです。(注:今年から妻が夫の姓を名乗ってもよくなった。)
 今の若い女性は、これに耐えられず、未婚率も離婚率も非常に高くなっています。今や離婚率はアメリカに次ぐほどの離婚大国です。

反日感情の意識レベルは低い

― 民族が違っても、また儒教文化でなくとも、理解できる国もありますよね。なぜ日本に対しては、嫌悪感を抱くのでしょうか。

 それを説明するために、来日した韓国人が、日本を理解していく過程をお話しするのがいいと思います。一年目は、日本に対してとてもいい印象を持ちます。戦後の反日教育で日本は未開な国だと教えられましたが、実際の日本人は親切で思いやりがあります。町並みは清潔ですし、自然も美しい。そして治安がいいことに誰もが感心します。殺人も強盗も詐欺も交通事故も、世界的に見ると日本は本当に少ないのです。まさに極楽浄土ですよ。
 ところが、二年目三年目になると、見方が変わっていきます。日本人と一歩踏み込んで付き合おうとすると、日本のことがさっぱり分からなくなります。やはり日本人は野蛮人だったかと深刻に悩むようになります。私もずいぶん落ち込みました。
 一方で、日本人が本当に野蛮人だったなら、なぜこれほど平等で開かれた社会、治安のいい社会をつくることができたのか疑問に思いました。そこで、日本人に対する不審をなんとか乗り越えて、日本人を探ってみることにしたのです。
 そうして五年ほど経ってみると、再び日本の良さが見えてきました。もしかしたら、日本人は世界で最も人間らしく生きている人々ではないか、そう思うようになりました。

― 韓国の方は、日本のどんなことに違和感をもつのですか。

 日本でも韓国でも玄関で靴を脱ぐのは同じですが、韓国では靴の向きを変えず、脱いだらそのまま部屋に上がります。しかし日本人は、わざわざ体を捩って靴のつま先を外に向けて揃えます。これが韓国人には信じられません。この一事をもって、日本人の心は捻じ曲がっているのだから、そんな日本人と歴史認識問題や教科書問題、竹島問題を議論しても意味がないと言う人さえいます。韓国の反日感情は、ほとんどこの程度の意識レベルから発しています。高学歴社会と言われ、教育レベルも高くなっていますが、韓国はまだまだ未熟な社会なのです。

日本人の生き方を規定するのは
美意識


― 親しみやすそうなのに、まったく違う人間であることに、イライラするのですね。

 そうなんです。一見習慣の違いも文化の違いも感じさせないのに、決定的なところが違うからです。韓国人も米を主食とし、日本人と同じように粘り気のあるご飯をおいしいと思います。ところが、食事のマナーがまったく異なります。日本人はご飯を食べるとき、茶碗をもって背筋を伸ばして食べます。韓国では茶碗を手にすることほど行儀の悪いことはありません。

― しかし、こうした違いは、目に見えるものですよね。

 ええ。もっと深刻なのは、目に見えない違いです。
 キリスト教文化圏でもイスラム文化圏でも儒教文化圏でも、正しい生き方を規定する道徳的基準があります。一神教では、神が絶対であり、人の生き方は、聖書やコーランが教えます。儒教では、聖人君子がつくった倫理道徳がこれを規定します。では、日本人の生き方を決めているものは何なのか。韓国人も中国人もアメリカ人も、それが分かりません。日本人は、原則としての道徳は持っているけれども、それが絶対的なものではないのですから。

― 日本人の生き方にとって本当に大切なものは何だとお考えですか。

 どんな生き方が美しいかということです。道徳的であることより、生き方が美しいか否かが、日本人にとって重要です。日本人は、美の宗教の信者のようです。
 外国人は、日本が技術大国であることも経済大国であることも分かっています。しかし、なぜそうなり得たかに明確な答えが用意できません。

― 美しく生きることを追求してきた先に、技術大国、経済大国があったということですか。

 はい。日本を「美の大国」つまり芸術大国として捉えないと、日本のことは理解できないのです。

― 芸術大国と聞くと、ヨーロッパの代名詞のようですが。

 美のあり方が他の国と違うのです。アジア人にとって分かりにくい日本人の美意識は、侘び・寂び・物のあわれ・粋といったものです。日本人以外のアジア人が、共通して美しいとし、文化性が高いと評価するのは、派手な色彩でピカピカ輝いて、満月のように均一に整ったものです。
 北朝鮮の一糸乱れぬ軍事パレードやマスゲームを見て、日本人は美しいと思いますか。韓国人はあれを美しいと賞賛し、金正日のリーダーシップに感嘆すらするのです。

― 確かに、日本人の美意識は別のところにあります。もっと自然なものですね。

 左右対称でもない、色も枯れたり、沈んだりしている、そうしたものに日本人は風情を感じます。それが外国人には理解しがたいのです。

― 散り際の桜に風情を感じるのは、日本人だけなのかもしれません。

 ほとんどの外国人にとって、満開の花がたくさん咲き誇っている状態が美しいのです。日本人は、蕾の花にも、一輪挿しの花にも、萎れて落ちる花にさえも風情があると言います。月だったら、十三夜や朧月も日本人はいいと言う。

日本文化は「生(き)の文化」

― なるほど。見るからに完璧に整ったものばかりに、日本人は美を見出すわけではありません。

 八方美人という言葉は、韓国にもありますが、外見も内面も、どこから見ても完璧な人への褒め言葉です。言葉の意味をもたらす価値観が正反対なのです。対して、日本人は、自然に立ち返ることこそが美しいと感じ、生き方においても、いかに自然に戻ろうかと努めます。素材を生かし、季節感に敏感な日本の文化を一言で言えば、「生(き)の文化」です。技術的に行き着くところまで行ったとき、日本人は最もプリミティブなところに戻ろうとします。食物を生で食べるのは、最も原始的です。火を使うことを覚えた人類は、食物を焼き、さらに煮て料理を極めてきました。しかし、日本人は、再び原始的な姿に戻します。しかも、非常に繊細で丹念な仕事を施しながら、まるで手を加えていないかのように自然を再現します。お寿司などもその典型でしょう。

― 自然と一体になろうという意識が日本人にありますね。確かに人工的な美を避けます。

 たとえば食器です。韓国では食器はすべてステンレスです。韓国を訪れた日本人から、キムチも焼肉も美味しいのに、あの食器がいただけないと言われ、私はショックでした。ピカピカに輝き、形がすべて揃っていて、整然として隙がない、そんなステンレス食器を、最も美しいと思っていたからです。
 日本人にとって品のある食器とは、たとえば茶の湯で使う茶碗です。色は冴えない、厚ぼったくて、形も歪んでいる、韓国人には犬の茶碗にしか見えないものに美を感じます。
 ところが、自分で日本人好みの食器を集めてみて分かったのですが、次第に収集する喜び、目が肥えていく喜びを得られるのです。日本の文化というのは、「止まらない文化」ではないか、そう気づきました。素材が感じられるから、飽きもこない。どれひとつとして同じ形がないので、完璧だという終点がありません。

― 未完の美意識というものが、日本人にはあります。外国人にとってみれば、「足りない」と思われるかもしれません。たとえば、日本庭園なども、見る側の想像に委ねる余韻のようなものをあえて残しています。

 初めて枯山水の庭を見たとき頭痛がしました。想像を巡らせて感得する美など、韓国人の感覚にはないのです。日本人は、若い人でさえ、竜安寺の石庭や枯山水の庭に安らぎを感じるようです。直接目にすることのできない、あるいは直接触れることのできない奥行きを感じる力が日本人にはあります。そして、その奥行きを極めることこそ、日本の美意識ではないでしょうか。

― それは韓国の方だけでなく、他の国からも理解されませんか。

 分かりにくいと思います。茶道をはじめ道と名のつくものは、武道も含めて、美しさを求めています。スポーツで美を追求する国など、世界にはありませんから。

海洋文化の日本、大陸文化の韓国

― 韓国も四季に恵まれている国ですよね。

 大陸との距離の違いだと思います。朝鮮半島は、常に大陸からの影響に圧倒されてきました。二千年の間に絶え間ない侵略を受けた結果、精神性や文化性まで全部奪われていき、いつの間にか価値観のすべてが大陸的なもの、つまり儒教イデオロギーに侵食されてしまいました。

― 島国である日本は、異民族から侵略された経験もなく、儒教の影響も表面的にしか受けていません。もしかしたら、日本と韓国との違いは、海洋文化と大陸文化の違いに由来していませんか。

 はい。日本では、建築や祭礼などあらゆるところで、海洋文化の特徴が見られます。海の向こうから訪れるものへの尊敬の念も強く、これをもてなす丁重さは、稀人(まれびと)信仰の域です。日本は、極東アジアの島国というより、「ヤポネシア」の言葉の通り、ミクロネシアやメラネシア同様、太平洋の島々として捉えるべきなのです。
 重要なのは、通常こうした文化が、北方的な大陸文化に出会った場合、たいてい本来の文化が消えるのですが、日本ではそうならなかったことです。母系的で受動的な日本人の本質は変わりませんでした。厳しい寒さの中で培われた父系的で能動的な大陸文化とは明らかに違います。

― 韓国では、北方的な要素が強いのですね。

 侵略の歴史の中にいましたから、政治的に強くないとやっていけなかったのでしょう。政治は強い中央集権となり、民衆の価値観も一神教的な聖人君子を求めます。日本のように多神教的なものを信じる余裕がなかったのでしょう。
 日本は、自分たちの風土に合わせて、大陸文化を上手に選択しながら、あるいは手を加えながら導入しました。自然と一体となり、調和を持って生きてきた日本人は、ずっとそのままです。対立を嫌って融合しようとする精神性もそこから生まれています。ですから、日本人は集まれば集まるほど、融合して大きな力を生みます。ビジネスでもそうです。全体と個の調和をもとにして高い理想を求める日本のあり方は、これからの世界にとって貴重なお手本になるのではないでしょうか。

縄文以来の精神性を今に遺す日本人

― 日本の特殊さが、今後世界における日本の強みになるということですか。

 世界には遺跡として、過去の文化を留めているものが沢山ありますが、今生きている人の精神性や暮らしの中にまで、過去を留めているのは日本だけです。

― ピラミッドは、ハードとしての遺跡を遺しましたが、二十年に一度遷宮をする伊勢神宮はソフトとしての遺跡を遺しているということですね。

 そう。千三百年もの間、ずっと信仰として保たれ、精神性が息づいています。日本の特殊さは、幸せな特殊さです。縄文以来の精神性が、今の最先端技術にまで生かされているのですから。ものづくりに魂が宿っているなどという国は他にありませんよ。

― 日本は、ソフトとしての遺跡を遺すことで、過去を水に流します。生まれ変わることで、また新たなスタートを切ります。

 その精神性は、自然観に深く関わっています。なぜ満開の花でなく、蕾や散り行く花に風情を感じるのか、それは循環を感じ取る自然観です。巡るものに対して諦めがいいのは、何事も循環することを知っているからです。日本人の潔さも、こんなところからきています。

― 日本人も韓国人も、お互いの考え方や論理構造が違うということを分かり合わないと、靖国問題など永久に解決しません。教養、あるいは知性とは、自分とは違う存在のものを認めることではないでしょうか。ヨーロッパではフランスとドイツが和解し、ユーロ圏を形成して、今や世界で大きな勢力となっています。

 ヨーロッパでは、社会の成熟度が同程度の国がユーロを形成したから成功したのであって、アジアの場合は事情が違います。日本の成熟度が、朝鮮半島や中国と比べてあまりに高いのです。アジア圏内で、経済的にも文化的にもこれほどの先進国をつくった国は日本だけですよ。

若者は日本の精神性に
自信を持っている


― 日本社会に対して、懸念されることはありませんか。

 近年凶悪犯罪が増えていること、生活格差の問題、教育問題、町づくりがうまくいかないこと等、さまざまな問題があります。それは、盲目的に導入した欧米化の副作用です。企業が成果主義を採用して、失敗している例もそうです。日本人のメンタリティに欧米的な個性重視、成果主義は合いません。うつ病が増えているのも、体に合わないものを無理に身に着けようとしているからではないですか。

― 仰るとおりです。日本の企業が駄目になるのは、アメリカ的な経営管理手法を真似たからです。

 いったん導入した成果主義をやめている企業も増えていますね。和気藹々と集まって同じことをした方が、日本人は絶対に大きな実りを生みます。和を重んじ、融合したい人たちに、個人の能力主義を押しつけたら、弊害が出るのは当然です。
 そもそも何をもって成果とするか明確に定義できない時代です。今ではアメリカ企業ですら、日本的経営手法を導入し、和を重んじています。優秀な人材がいる組織ほど、成果主義は全体を駄目にすると言うアメリカ人経営コンサルタントもいます。

― 日本が方向を見失っているのは、太平洋戦争に敗れ自信を喪失したせいでしょうか。

 それもあるでしょうが、日本がどれほど素晴らしい国であるかという自覚が日本人にないのです。でも、大学で日本学の講義をしていると、日本人学生は、日本的な精神性に自信を持っていますよ。

― 経済的には、一時の勢いは失ったとはいえ、メンタリティとしてはこれでいいのだと、彼らは分かっているのでしょう。若者がこれからの日本をつくりかえてくれることに私も期待しています。本日は、日本に対する尊い応援歌をいただきました。ありがとうございました。


  




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