・専売と他の政府事業
朝鮮総督府は煙草と人参の製造と販売を国家専売事業として施行した。韓国で巻煙(※グォル-リョン・巻きタバコ)が初めて製造されたのは1903年韓国に居住していた日本人が製造場を設置してからでその後を追って他の会社も煙草事業に参加した。1921年総督府専売局は既存煙草会社を買い取り、刻みタバコなど多様な煙草を製造するようになった。1923年煙草製造業は男女各4,000人と1,000人に職場を提供した。1922~1923会計年度の場合煙草生産量は35億蓋皮(本)以上、刻みタバコは約89万7,500ポンド(約407,105kg)生産され販売額は約1,800万円だった。
人参は「タラの木」科(araliaceae-family)の多年生草本で中国では強壮剤や催淫剤として大事に扱われていた。旧韓国政府は1899年に人参専売を施行していた。1910年併合以来総督府は科学的栽培方式を採択し人参耕筰者組合に無利子で金を貸すなど人参耕筰を奨励した。1911年に栽培、販売された人参は2,120ポンド(約966kg)で収入金は12万円になる。1922~1923会計年度の人参販売量は4万5,670パウンド(約20,716kg)で収入金は226万9,664円であった。
総督府は自然蒸発過程を利用して塩を製造した。韓国の沿岸に多くの塩田が作られた。1921年までは胡塩(※大粒の粗い塩)だけが生産され食卓用の高級塩は輸入されていたが1921年に優秀な品質の塩を生産するための精製所が作られた。1911年の塩生産量は約600万ポンド(約2,721,594kg)で収入は8万円だったが、1922~1923会計年度には塩生産量が1億ポンドに至り総督府は86万円の収入を得た。
・営林廠
営林廠は鴨綠江と豆満江の沿岸約55万エーカー(約22,258k㎡)の国有林を管理する特別政府機関だ。営林廠は山林を改良するだけでなく山林の2次的利用方案を改善するなど多様な事業を担当していた。
鴨綠江と豆満江の沿岸山林地帯の主要樹木は落葉松、モミ、オノオレカンバ、ポプラなど寒帯地域で見られるもので実利的な価値が大きい。造林について見てみると自然方式で山林を作ると同時にこの地域で一番適合な品種の苗木を特殊種苗場で栽培、移植するなど大規模の人工山林地を造成する事業も施行している。
山林を適切に保護するために営林廠は1919年計画的な山林毀損を防ぐために60個の支部を設置、1915会計年度以後からこれらの地域に山林保護組合が増えるようになった。年末にはその数が232になって124万5,000エーカー(約5,038k㎡)の地域を守っていた。これら山林組合の活動結果は満足出来るものであったため、向後このような機構はもっと奨励されるだろう。
韓国の山林についてもっと詳細に調べたいなら13章(☆著者のミス。林業の内容は12章にある)を参照するといい。
以前には政府と契約した私設製材所で木材を提供した。しかしこれでは購買者と営林廠の両方を満足させることは出来なかった。営林廠が自らも木材事業を実施し、需給を調節する必要があったのだ。政府は新義州にあった製材所を買取、規模を拡大させて最新機械も導入させた。1922~1923会計年度には385万2,000平方フィート(約357,866㎡)の丸太から217万2,000平方フィート(約201,787㎡)の木材が生産された。
営林廠が提供した木材は杭や枕木用に満州地域から小規模で購入もしたがほとんどは韓国内で販売された。最初は営林廠の製品は政府だけが購買していたが最近は信用販売制度が導入され、また品質も認められて一般需要も増えている。
1910年の木材総生産量は20万平方フィート(約18,581㎡)で材木が12万1,000平方フィート(約11,241㎡)、丸太が4万8,000平方フィート(約4,459㎡)、立木が3万1,000平方フィート(約2,880㎡)だった。1922~1923会計年度の木材総販売量は85万9,000平方フィート(約79,804㎡)に達し、材木が17万6,000平方フィート(約16,351㎡)、丸太が11万1,000平方フィート(約10,312㎡)、立木が57万1,000平方フィート(約53,048㎡)だった。1910年に木材事業で得た収益は8万円だったが1920年には85万円まで増えた。1922~1923会計年度には収益が37万円まで減ったがこれは全般的な不況によるものだ。
・政府支出の目的
総督府の推定支出予算だけだと政府支出が質実的にどんな目的で使用されたかを明確に読み取ることはできない。いくつかの予算項目はそれぞれを執行する多くの「部」や「局」の支出として編成され、また予算支出がいくつかの異なる目的に転用されることもありえるからだ。例えば1921-22会計年度推定予算には総督府の地方事務所の支出が3,289万円、総督府の警察分野での支出が37万8,000円と指定されているが、実は後者は中央警察行政費用だけを反映させたもので、全国的に警察力を維持させるのにかかる費用は前者の支出項目に指定された3,300万円の約2,300万円分である。また1921~1922会計年度の予算の「教育」項目の支出は約300万円となっているが総督府予算の全ての項目を考慮すると実際の教育予算は600万円以上だった。
次の表は総督府予算を支出目的で分類してからいくつかの項目に組み直した物だ。
(表)支出目的で分類された朝鮮総督府推定支出予算(単位基準は1,000円。1円は50セントにあたる)
------------------------------------------------------------------
----目的------------------1920-----1921-----1922-----1923-----1924
------------------------------------------------------------------
朝鮮王室維持費------------1,500----1,800-----1,800-----1,800----1,800
中央行政------------------5,483----6,936-----8,263-----7,786----8,227
地方行政------------------8,503---10,133----10,711----10,711---11,096
裁判所と監獄--------------6,043----7,117-----6,962-----7,295----7,561
警察---------------------16,702---22,754----22,265----21,924---22,402
医療及び衛生--------------1,765----1,882-----1,656-----1,735----1,747
教育----------------------4,595----6,099-----7,279-----5,995----6,017
産業発展------------------5,864----8,798----11,757----10,627---11,724
政府事業-----------------33,570---68,742----57,653----51,241---45,352
補修及び建設--------------8,897----8,582-----6,298-----4,703----4,312
公債負担金----------------7,441----9,485----11,700----12,797---13,568
予備金--------------------2,500----2,500-----2,500-----2,500----2,500
道路建設及び他の公共事業--7,108----6,743-----7,914-----6,182----4,621
その他--------------------4,351------900-----2,142-----1,083----1,018
------------------------------------------------------------------
総額--------------------114,313--162,471---158,990---146,379---142,695
-------------------------------------------------------------------
表を通じて、毎年支出が最も多い単一項目は「政府事業」というものが分かる。 政府事業には政府鉄道事業、総督府印刷国(1923年廃止)、煙草専売、人参専売、塩製造、アヘン販売(前は専売局が、現在は警務局が担当)、度量衡製造と販売、森林、刑務事業、製材所、通信(郵便、電報、電話)、水道事業(1922年地方官庁に移管)、平壌石炭鉱山事業(1922年日本海軍に事業権移譲)などが含まれる。
「地方行政」と「教育」項目に関してはサイトウ総督の地方分権化政策によって、支出のほとんどを地方財政が担当していたという事実に注目して欲しい。これらの支出については5章で見ることが出来る。1910年100万円未満だった地方財政予算総額が1923~1924年には1,900万円以上まで増加したことを言及しておけば十分であろう。
・韓国の国債
韓国の国債についての次の説明は朝鮮総督府が発表した「朝鮮行政年報(1922~1923)」の主要部分を
抜粋したものだ。
旧韓国政権下では政府が合法的に発行した国債が存在しない。国庫の信用度があまりにも低すぎて契約が成立できず、国民の福祉増進のために樹立された計画はそれを実行、成果を出すための資金が足りないという理由で樹立と同時に保留になってしまった。
1904年韓国政府当局は日本人諮問官の提案によって行政制度を根本的に改編し当面した無力な立場から離れ国家発展のための基盤を構築することを決心した。
しかし韓国政府は国債発行無しでは目標達成に必要な資金を調達出来ないということが解った。よって韓国史上最初の国債である200万円の国庫債券が1905年東京から発行され国債販売収入は年次決算報告書精算に使われた。それから通貨制度調整、産業発達事業、貨幣流通、その他の朝鮮半島発展のための多様な計画と事業の施行資金を調達するために何回かに渡って国債が発行された。発行された国債の総額は3,219万658円に及ぶ。この中で150万円は通過流動資金として日本帝国政府が無利子で貸してくれたもので残りは年利6%から6.5%で多くの日本の銀行と韓国銀行が貸したものだ。
1908年以後行政改善に必要な支出増加分を充当するために日本帝国政府は総額1,328万2,623円に及ぶ借款を無利子で提供した。このような借款の調整のために公債特別勘定が作られ1910年8月28日、即ち併合前日まで200万円の国庫債券が弁済され、同じ日韓国の債務純残額は4,559万106円だった。
併合の結果で通貨流動資金として提供された借款(150万円)と行政改善目的で提供された借款(1,328万2,623円)など日本帝国政府から提供された借款を償還する義務が消え、1911年3月公布された法によって通貨調整によって発生した債務は帝国政府通貨調整基金特別勘定に渡された。同時に総督府は朝鮮銀行(☆1909年設立された韓国銀行が1911年から名称変更されていた)から209万4,677円を借入し道路建設、地方土木事業補助、平壤石炭鉱山の拡大などに使用した。11910会計年度末、総督府の負債総額は2,117万5,422円まで急減した。
1911年以後政府歳入は朝鮮半島発展のために必要な事業を持続的に推進するには不足していた。よって港湾事業、道路及び鉄道建設と補修などに必要な資金んを調達するために公債を発行することになった。
朝鮮事業公債法によって1911年総督府から発行する公債の最大限度額は5,600万円までと定められた。しかし平壤石炭鉱業所の拡大と他の政府事業が進捗しながら公債の最大限度額は9,600万円まで増えるしかなかった。しかしその額ですら足りなくなり、公債最大限度額は1918年3月には1億6,800万円、1919年3月には1億7,800万円まで増えた。
過去何年間、文化政治のための事業の必要だとの意見が増え、公債最大額も毎年増えてきた。1920年8月には国立病院、警察署、監獄、塩田などを増やすために2億650万円まで増え、1921年3月には煙草専売実施に必要な補償金を支給するために公債発行が許容され2億3,060万円まで増え、1922~1923会計年度末には3億9,370万円まで増加した。
総督府の年例報告書「朝鮮行政年報(1922~1923)」に提示されていないほかの統計値は1910年併合以来1925年3月31日まで締結された借款の総額は約4億4,300万円で、この中の1億800万円は借款取引のための物だった。同じ期間、1億8,900万円が償還され、1925年3月31日付の未納債務額は2億5,400万円を記録していた。これは人口一人当たり約14.5円(7.25ドル)の負債を背負っていることになる。色々な種類の貸出金の金利は金融市場の状況によって毎年変動した。金利の平均は5%~5.5%で3年から5年が満期になる短期債権が大半を占めていた。
(8章、終わり)