6章・法と法院(裁判所)
・歴史的事実
1895年以前に韓国で施行されていた法律は中国の法を基にした固有のものだったが、現代欧米の法の概念とはまったく合わない司法規則や訴訟手続きなどを具体化させたものだった。
これから説明する司法改革以前の韓国には刑法が唯一の成文法だった。独立した司法府が存在せず韓国皇帝の行政官が法を執行したが、この者たちは法律教育をほとんど受けなかった、または法の原則に対する理解が足りない人士だった。自白をさせたり証拠を確保するために普通に拷問が行われる有様だった。
このような状況下で法の執行が不正の中で行われ、法の権限がそれを持っている人の富や満足のために使用されるのは当然のことだった。西欧の国々と日本は中国と同じく、韓国内でも自国国民に対する
領事裁判権を主張していた。
最初の司法改革は1895年日中戦争が終わった直後日本人諮問の勧告で実施された。韓国の皇帝は1895年3月25日裁判所を構成する勅令を公布した。それは王族の犯罪事件を扱う特別法院、高等裁判所、覆審法院、地方裁判所、そして国際的な性格を持った事件を扱う開港場裁判所などの設置を規定する内容だった。しかしその勅令は遵守されなかったと言える。実際には二つの裁判所、高等裁判所とソウル(漢城)地方裁判所だけが設立されたからだ。
日本統監府は1910年「韓国の最近発展動向(Recent Progress in Korea)」という表題の本でこの表面的な改革について次のように述べている。
「司法府と行政府の分離は形式的に存在するだけで法の執行はいまだ貪欲な行政官僚を満足させる手段になっている。このような悪弊だけでは足りないのか、特別条項を作って府伊と郡守に全ての事件に判決を下せる権限を付与してしまった。裁判所構成法があるにも関わらず、この地方官吏たちは自分たちで司法的役割を遂行していたが、これは裁判所構成法の趣旨を深刻に傷つけるものであった。大多数の韓国人は統治する方もされる方も司法手続きに無知で、府伊や郡守が下した判決に対しての上訴請求が法規に明記されているにもかかわらず、地方官僚の判決に不服した訴訟当事者たちは高等法院の代わりに別の地方官僚を訪れた。上訴を受けた地方官僚がそのために審理を開催してくれることもほとんど無かった。
また警察署も頻繁に法院の領域を侵害し、軍部と宮内部は任意に人を逮捕したり囚人に判決を下すこともあった。一言で言うとほぼ全ての行政部署が賞罰を与えていて、その権力を濫用して無力な一般大衆を犠牲にした。このような混同した司法体系の中で漢城裁判所と高等(上告)裁判所だけが多少は優れているが、これらが比較的正規の組織であるからだ。」
1906年日本の統監府設置によって韓国内の全般的な統治状況が変わったが、これは1905年11月17日に署名された条約の条項によるものだった。日本が迅速に韓国の司法制度の一部を改革し、韓国の司法府と審理裁判に日本人法律諮問を配置させ法の執行を保障したのは事実だが、法律制度全体の整備が出来るようになったのは1907年からだ。日本は1907年7月24日締結された日韓協約によってこのようなことが遂行出来る権限を得るようになり、この条約で韓国は日本の保護国になった。日韓協約では司法事務を他の行政事務と区分させることと、韓国政府が統監の事前承認無しには法律、法令、規則を制定出来ないことが明記されていた。
協約に基いて1908年8月裁判所が設置され、選ばれた韓国人司法官吏とともに有能な日本人の判事、検事、書記などが任命された。しかし韓国政府は司法制度の改正に必要な財源を持っていなかった。裁判所を設置し、不潔で出来損ないの旧式監獄に代わる新式の監獄を作るには多くの支出が必要だった。1907年日本政府は当時熟考されていた行政改革と司法改革を進めるために韓国政府が日本から約2000万円を借用できるように措置を取った。6年分納で無利子、償還日付も指定されていないものだった。しかしこの金額でも司法府と行政府の改革には足りないと判るようになり、1909年7月12日新しい協約が締結、韓国の司法と矯道(更生)行政の全てが日本に委託され、この業務の改革と施行に必要な費用も日本が負担することとなった。
よって1909年10月韓国政府が1908年に設置した全ての法院は統監府裁判所に変更、新しく26個の地方裁判所が追加で設立された。また日本皇帝の勅令により司法と矯道(更生)行政機構として統監府司法庁が作られた。1909年末、韓国には高等法院が1個、控訴法院が3個、地方裁判所が8個、地方裁判所支部が9個、「区裁判所」が80個あった。
韓国の裁判所の行政を日本が委託されたとしても、日本の法をそのまま韓国の国民に適用出来たわけではない。統監府裁判所は韓国の法に基いて法を執行しなければならなかった。韓国に居住している日本人は今だ領事裁判権の対象だったし、韓国と治外法権を提供する条約を結んだ国々の国民もそうだった。領事裁判権は日本と韓国が併合し韓国の憲法上の位置が完全に変わった1910年になって消滅した。当時採択された一般的な原則は日本の法が韓国でもそのまま適用されるべきだというものだったが、両国の社会的与件があまりにも違うという点を考慮し、裁判所は民事訴訟の当事者が韓国人で適用可能な日本の法が明確でなかった場合には韓国の法令を適用できる権限を持つようになった。韓国人と他国の国民の間で起きた民事訴訟の場合は慣習と慣例、そして同じ条件を公正に考慮しながら日本の法を適用すべしと規定されていた。
刑法の場合、殺人と韓国人による武装強盗事件以外は日本の法が適用された。このような例外を置いたのはこういう類の犯罪が当時あまりにも頻繁に発生、しかも犯行方式も極めて残酷だったためで、日本の法に規定されている寛大な刑法より韓国の法の規定によるもっと厳しい処罰が適合だと判断されたのだ。
軽犯罪の場合は韓国人に限って韓国固有の笞刑が存続されたが、罪人が女性かまたは16歳未満、60歳以上の場合、宣告当時に病に罹っていた場合と精神異常者だった場合は例外とされた。笞刑は1920年完全に廃止された。
新しい制度が始まった時には日本人裁判官と韓国人裁判官の担当を分離させていた。韓国人裁判官は裁判当事者が韓国人の事件だけを担当でき、これは韓国人検事も同じだったがこのような制限も1920年に廃止された。
・韓国の法院
韓国の民法と刑法は、実体法上または手続き法上いくつかの法源から派生された物だ。即ち日本帝国の憲法、日本と他の国々の間に結ばれた条約、併合後も存続を認められた韓国の旧法令、統監府法令、議会で承認され皇帝の裁可を得た日本帝国の法律で最初から韓国での施行のために特別に作られた物、または後から施行された物、皇帝のChokrei(勅令)、総督のseirei(制令)などがそうだ。
制令を発布する総督の権限は併合当時公布された皇帝の勅令に明示されている。地域の状況によって法の制定が必要な場合には総督は法律を起案することは出来てもその施行には内閣総理大臣を通じて皇帝の裁可を得なければならない。緊急を要する場合には総督が制令を発布してからすぐに本国に知らせて皇帝の裁可を得なければならず、許可が下りないと制令の施行は保留される。総督の制令は韓国でも効力を発揮する日本の法や韓国での施行を目的に公布された日本帝国法令のいずれとも相反する事は出来ない。
日本の法令の部分または全体が総督の制令の内容に採択されたりもした。韓国で総督によって制令が制定される過程は次のようだ。
草案は中枢院または特定事案と直接的に関連されている部署が用意し、別の部署に渡して協議を行う。ある部署が最初に草案を作ったなら中枢院との協議がその次の過程になる。それから修正のために文書課の責任者に渡し、責任者は副総督から検討を受け、最後に総督が承認する。承認を得られたら再び文書課の責任者に渡し、皇帝の裁可のために東京に送られる。東京の植民局で草案を受領して内閣次官に、内閣次官は閣僚会議での検討のために内閣総理大臣に草案を提出する。総理大臣は皇帝に報告、皇帝の裁可を得た文書は再び内閣次官を通じて韓国に送られる。それから総督の制令は官報に載って効力を発揮する。
地方の規則と規定は総督と13個の道の道知事による行政命令、Furei(府令)の形で公表される。道知事の道令は施行前に総督の事前承認を得る必要が無い。府の条例は府協議会と論議を得てから作成され、施行前に総督の裁可を得なければならない。
・民事訴訟
原告は地方裁判所やその支所に訴状を提出し民事訴訟を提起できる。すると2箇所(※)の合議で判決が下される。これが第1審裁判所である。ここの判決に対する控訴は第2審裁判所で担当し、2審裁判に対する上告は大法院で扱う。このような上訴は訴訟当事者たちに判決を告知してから30日以内に提起されなければならない。第2審の裁判では1審と同じく事件の事実審理をする。大法院では法院の裁量だけでも審理をすることは出来るが、一般的には上告された事件の法律問題だけを扱う。
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(※)生粋の人の考えを知りたいスレ#6にて誤植、または誤訳の指摘がありました。
「これは、原文の誤植か訳者の誤訳かのどちらか、2は3が正しい。でないと、次に続く「合議」と意味が通らなくなる。」
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最近では民事訴訟で裁判所の業務が持続的に増えつつある。これは、部分的には民事関係が複雑になったからで国家経済の発展に伴う自然的な現象だ。また国民の間で司法行政への信頼感が強くなったのも影響を及ぼした。
次の表は最近何年間の第1審裁判所に提起された民事訴訟件数を事案別に表したものだ。
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訴訟事案---------1912----------1921-------1922-------1923-------1924
土地-------------6,827----------5,587------5,532-------5,750------7,493
建物--------------695----------1,228------1,379-------1,640------2,106
現金------------21,515---------35,997-----31,501------36,064-----38,322
米---------------2,080----------1,893------2,284-------2,262------2,843
その他の商品------531-----------911--------838--------896--------888
その他の問題-----3,089----------3,431------3,774-------4,994------5,340
合計------------34,737---------49,047-----45,308------51,606-----56,992
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第1審裁判所の判決の中から約70%が第2審裁判所に控訴を提起、その中で約半分が棄却された。第2審裁判所の判決の中から約16%が3審裁判所に上告を提起、その中で3分の2が棄却された。