シンシアリーのブログ

ようこそいらっしゃいました。
ここは「日本の韓国統治に関する細密な報告書」という本の日本語訳を載せています。左のサイドバーにある「テーマ」の「はじめに・・」をまずお読みくださいませ。


テーマ:

・地方財政


 現在、道の歳入は主に地税と市街地税に対する追加課税、家屋税、市場税、屠畜(※屠殺)税、漁業税、船舶税、車両税などを賦課して確保されている。国庫補助金と政府事業から発生する収入もこれら税収の追加源になる。こうして獲得された税は地方の教育、衛生、公共事業、産業発展などのための支出経費として使用された。また大日本帝国の寄付金(☆総督府では臨時恩賜金と呼んでいた)の利子からも少しの利益が発生していたが、これは主に慈善事業の用途に使用された。地方税の支出範囲と管理は日本本土と同一な水準で施行されていたが、地方警察と地方官庁の支出経費は本土とは違い財政状況を考慮して道の予算ではなく国庫で負担していた。

 

 地方財政予算は次の表に書いてある。

-(表)地方財政予算(単位基準は円で1円は50セントに値する)--------------
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項目------------------------------1923年----------1922年----------1910年-----
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歳入:

地税及び市街地税の追加課税------4,775,288-------4,361,898--------605,427----
家屋税--------------------------4,817,992-------4,801,493-------------------
市場税---------------------------593,924---------581,388--------137,535----
屠畜税---------------------------664,622---------684,630--------241,347----
漁業税---------------------------158,181---------151,089-------------------
船舶税----------------------------1,142-----------3,119-------------------
車両税---------------------------541,729---------432,238-------------------
帝国寄付金利子収入---------------917,439---------937,293-------------------
中央政府補助金------------------2,804,691-------3,618,778---------235,427---
繰越金--------------------------1,714,847-------1,360,725----------56,390---
その他の歳入---------------------2,445,735-------2,361,005---------33,644---

合計----------------------------19,435,590------19,293,656--------1,309,770---
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歳出:

土木-----------------------------5,199,480-------4,911,100---------303,464---
産業発展-------------------------4,758,504-------4,310,867---------104,458---
生計手段提供---------------------1,481,697-------1,340,684-------------------
教育-----------------------------5,581,195-------6,698,395---------164,238--
衛生と病院-------------------------296,273--------211,922----------35,281--
救済と慈善--------------------------31,304---------33,880-----------3,600--
地方諮問委員会----------------------81,820---------83,671-------------------
社会事業---------------------------359,798--------485,902-------------------
帝国寄付金への繰越金----------------56,317---------75,835------------------
その他の事業------------------------954,611-------771,794---------135,265--
予備金------------------------------334,591-------369,606-------------------

合計-----------------------------19,135,590------19,293,656--------746,306---
------------------------------------------------------------------------------

 1925年から1926年まで地方予算は歳入を2,256万7,529円で予備推定して支出計画はその数値と均衡を維持していた。支出でもっとも著しく増加した項目は教育分野で700万円まで増えた。公衆衛生と病院分野への支出も200万円まで増加した。後者の場合に特に注目すべきは公衆衛生分野での地方政府支出が1922年21万2千円から1926年にはほぼ10倍も増えたからだ。


 歳入分野で一つの項目を説明する必要がある。大日本帝国からの寄付金の利子収益である。総3,000万円にもなるこの寄付金は併合当時に帝国財務省が韓国に提供したものだ。総1,739万8,000円が生計手段提供事業、教育事業、救済事業などを施行するための資源として府と郡地域に割り当てられた。この基金は永久的に道知事が管理するようになっていて、基金から発生する総86万9,900円の利子は上で述べたそれぞれの事業に6:3:1で割り当てられた。この事業は地方の実際状況に合わせて慎重に選ばれたもので、出来る限り広範囲に施行されるようになった。


 歳出の分野では地方政府の支出事業が五つの項目、即ち 1.土木事業、2.公衆衛生と病院、3.救済と慈善、4.産業発展、5.教育に及んでいるのを注目すべきだ。土木事業は主に道路の建設及び補修、川、港口、水利、灌漑、開墾などと関わる物だ。公衆衛生事業は種痘、屠殺衛生検査、隔離病院設立、公衆井戸と公衆便所の設置などを担当している。救済と慈善事業は街の病者や死に掛けている人々、貧しい人たちの面倒を見てやる仕事だ。産業発展事業は農業、養蚕業、林業、漁業、紡織業、製紙業などの地域産業発展を担当し、農業発展のために全ての道に日本本土のように育種研究所を作った。これらの研究所は多様な種を利用した実験を進行させ、改良された種子、苗木、家畜と農業に必要な教育を提供し、品質保証のために輸出用の米と豆の検査を実施、農村地域に役に立つ巡回技術専門家を派遣した。


 また経済作物として米国綿花とサトウダイコンの栽培が広く奨励された。朝鮮半島の気候が養蚕業に向いているためか公式的な奨励策としてすでに驚くべき成果を出したが、追加的な発展のために優秀な種の蚕を生産するための種苗場が作られた。そして蚕に害を及ぼす病気を防ぎ、蚕の種と桑の木の販売を管理するための研究所が作られ、さらに農民たちに養蚕改良の提案をするために現場専門家を派遣した。林業と漁業でもその分野での従事者たちの教育のために大勢の専門家たちが任命された。最後に教育分野では中等教育段階である農業、工業、商業学校が設立され、帝国の寄付金からの補助金で初等教育も実施された。


 本来、大日本帝国の寄付金で施行される事業は三つだったが、社会的与件が急変するにつれ多様な社会事業が追加された。災難発生時には救護事業を施行し被害者たちに穀物の種子、食料品、小屋、農機械などを支給して援助した。教育事業の目標は原則的には小学校に補助金を支給するものだった。生計手段を提供する事業は主に職業や財産を持っていない人々に仕事をあたえるためのものだった。例えば貧しすぎで養蚕学校に入学出来なかった人々には寄宿舎費を支給し、教育課程を終えた人々には自立できるように資金を支援した。社会事業として公設市場の設立、質屋、銭湯(浴場)、下宿屋、洗濯所、大衆食堂、労働事務所、無料治療所、孤児保護事業などを広く施行した。

 

 ・府地域


 併合当時、都市行政地区である「府」はほとんどが開港された場所で見ることが出来た。そこには日本人自治地区、外国人居留地、他にも多くの地域組織が並んで存在していて、それぞれ独自の体系を構築していた。反面、韓国人と関連した公共業務を管理する機関が無く、都市行政の遂行には難点が多かった。1914年4月都市地域の府に対して新しい官制が施行され、韓国人も日本人も外国人も皆同一な制度の下に置かれるようになった。

 

それから韓国の重要都市地域には法律上の官制で「府制」が作られ、国家行政区域として確立された府と一致するようにそれぞれの司法管轄区が指定された。「府伊」は国家が任命した。住民を代表する職権を持ち、府の全ての業務を管理した。府の協議会がその諮問機関の役割を果たした。最近までも府協議会の会員は総督の承認を得て道知事が任命していたが朝鮮総督府官制の改編の結果、時代の要求に合わせて今は一般投票で会員を選出し府協議会が実質的に一般大衆を代表出来るようになった。

 府の財政支出は原則的には地代、納付金、公共財産から発生する利益で充当していたがそれだけでは足りなくなり、現在では地方税が一番大きな歳入になっている。後は地代、納付金、地方公債、国庫及び地方補助金などの順だ。地方税は市が賦課する市街地税に追加徴収される税金と、主に地方建物税、そして事業税と住宅税から成る特別税で構成される。このような税金を賦課する時には住民、特に韓国人の課税負担が過度に増えないように気を使っていたため不満の声はほとんど出なかった。反面、地方税から発生する収入が年々と増えたおかげで、府の財政は余裕があったと言える。


 韓国内の12府の年間歳入総額は1918年約200万円から1922年約800万円に増加、予想歳出もこれらの数値と均衡を取っていた。歳入は歳出を超えていたし、1923年には総171万4,847円に達する大きな歳入超過が発生した。

 
 府の歳入において、単一源泉として一番大きなものは「府税」だった。1922年家計当りの平均府税は14.3円だった。しかしこのような数値が実質的な府税の負担範囲を表すものではなかった。課税標準がとても細密に作られていて、韓国人に比べて日本人や外国人がもっと多額の税金を納付するようになっていたのだ。1922年家計当税金で外国人は26.1円、日本人は32.4円、韓国人は5.2円を納付した。

 府によって施行され管理されるべき事業は数多かったが、住民、特に韓国人に急に負担を増やすことは出来る限り避けられていた。緊急を要する、または相当な政府支出を必要とする事業には公債を募集した。府で施行した重要事業として1.水道事業、2.下水道事業、3.総合病院及び隔離病院事業、4.社会事業、5.街、道路、橋梁建設及び補修と掃除、屠殺場、墓地、火葬場、市場、公園、公共図書館の補修と消防隊の維持などがあった。



・面地域


 旧韓国政府の時代には国全体に及んで「面」行政が極めて混乱な状態にあった。公務と私務すら区別されず、地方税の徴収と人口調査以外は行政業務はほとんど行われていなかった。現政府は1910年始まってすぐに地方官制を発布した。ここには「面長」に対する具体的規定も含まれていた。地方官制によって面長は面の行政業務遂行において「郡守」を補佐する役割を果たし、公務を遂行するための事務室の提供を受けた。自宅で働く場合には別の部屋を作って公務を執行するようにし、面事務所には常任書記を任命するようにした。以後、各「郡」では面長会議が開かれ、面書記官協会が構成され各「面」のより良い行政管理を保障するようになった。


 以前には給料と面事務所の警備以外には「面」には支出に対して何の権限も与えられてなかったため、公共事業を遂行する財政的能力を持っていなかった。面の発展に必要な事業は私設組合や共同作業の形で行うしかなく、行政の統一性が大きな問題点だった。よって1914年地方財政の改編で面の数を半分にし、面の事務処理と大衆的与件の向上を考慮して1917年新しい面制度が施行された。この新しい制度の施行は地方行政の歴史に画期的な事件だった。なぜなら面が重要な公共機関だということが初めて認められたからである。


 新しい制度によると面はもっとも低い行政区域で、管轄区内の公共事業を処理する地方官庁で面長が単独責任者の役割を遂行する。面事務所の支出経費は免税、手数料、賃借料などで確保したが、政府によって特別指定された面は面事業経費のために債権を発行することも出来、4人から8人の名誉諮問委員が顧問として任命された。


 1919年総督府の官制改編後、既存の面制度への追加改編の必要性が認識され、1920年7月追加改編が行われた。一番重要な改正事項は全ての面に諮問機関として面協議会を構成することである。面協議会の会員は面での地位によって選出または任命され、面の財政について論議することが主な任務だった。


 現在特別指定された41の面を含めて全国には総2,504の面がある。1919年面の支出総額は約609万3,000円だったが1922-1923会計年度には1,665万4,000円まで増加した。これは面が責任を持っている多様な事業が拡大されたからである。ほとんどの面で共通的に施行している事業として、1.道路と橋梁建設及び船着き場、川の堤防の維持、2.市場の保存と林業、工業分野での模範事業施行、3.墓場、屠殺場、火葬場、隔離病院の補修、管理、給水、下水道、掃除、防疫事業、4.消防隊維持と洪水対策事業などである。これに加えていくつかの面は船倉、停泊地の保守管理、電気照明設置及び救済事業などを持続的に遂行している。


・日本人のための学校組合


 以前には日本人自治地区が設置されていた都市や開港場を除いた地域では日本人児童の教育を学校組合で実施した。これら学校組合は1909年発布された規定によってついに法人として認められることになる。日本人自治地区が廃止され新しい府の制度が実施され、すべての公共事業は府廳(※府庁)に移譲された。

 

しかし日本児童のための教育対策まで地方官庁に移すわけにはいかなかった。地方官庁では韓国人と日本人を同一に扱っていたが、二つの民族の間には状況と言葉の差があったため、向後しばらくの間は、同じ教育方法の適用は無理だったのだ。この点を考慮して学校法人の規定が改正され、各都市の府地域に学校組合を組織、この学校組合で日本人の教育問題を担当するように決定した。


 改正された規定によると学校組合は一定の資格を持った日本人住民で構成される。他の政府官庁とは違い、学校組合は自治的な性格を持ち、選出された6~18人の下院で構成された評議会を持っていた。組合の管轄地域が府地域を含む場合には府伊が職権上の学校組合の監督者となり、含まない場合は道知事が日本人住民の中から監督者を選出した。組合監督の職は例外なく名誉職分であった。


 学校組合は一般的に初等学校(※小学校)のために存在したが、都市地域では追加的に女子高等学校と商業学校、幼稚園のための学校組合もあった。1922年3月末、430個の初等学校、13個の女子高校、5個の商業学校と5個の初等商業学校がこれら学校組合の管理を受けていた。


 学校組合制度は比較的短い期間で設立されたためまだ財政基盤が確立されていない状態だった。学校組合の重要財源が組合費に限られていて、ほとんどの場合は組合の維持すら容易ではなかった。よって政府は学校建設と備品の購入を手伝うため組合に特別補助金を支給し、また経常費支出に年1回補助金を提供した。1920会計年度には他に類を見ることができない物価上昇により人件費と経費は増えながら組合費もまた80%も引き上げられた。よって一般会計の規模も相当増えた。


下の表は学校組合の総予算とこの何年間の各家計の平均賦課金を示したものである。

-----------------------------------------------------------------------------------
---------学校組合の数-----組合構成人員------予算(円)------家計当りの平均賦課金(円)
-----------------------------------------------------------------------------------
1922----------401------------342,905--------5,580,526----------25.23---------------
1921----------394------------322,437--------4,418,749----------24.38---------------
1920----------384------------325,483--------4,354,070----------21.15---------------
1919----------363------------312,541--------2,391,245----------11.79---------------
1918----------352------------304,481--------1,863,264-----------3.93---------------
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・韓国人のための地方教育団体(学校費)


 韓国内での日本人児童教育を学校組合が遂行したのと同様、韓国人児童に対する教育は地方教育団体の「学校費」が遂行した。

 

1918会計年度に韓国児童のための公立学校は全国に総466箇所あって、これら学校のための支出は183万5千円に達した。この中でわずか19万5千円、全体の10%だけを韓国人が負担し、家計の平均負担金は6銭(1銭は0.5セント)にしかならなかった。残りは政府が補助金で充当した。それでも韓国の国民の日々強くなる普通教育への欲求を考慮し、「少なくても三つの面には学校を一つずつ」を基準に向後4年以内に400個の学校を設立するという計画が樹立された。よって政府支出は相当に増え、補助金も学校税も負担が増えるしかなかった。


 下の表は韓国児童の初等学校(小学校)の数と学校の財政状態を表している。

(表)韓国児童のための普通学校----------------------------------------
------------------------------1922-----1921-----1920-----1919-----1918
----------------------------------------------------------------------
学校の数-----------------------890------753------603------498------466
政府支出(単位は1,000円)--------13,309---10,385----8,143-----2,514-----1,835
学校税(単位は1,000円)-----------6,511----4,766----4,377------527------195
家計当平均賦課金(単位は1円)-----2.03-----1.49-----1.39------0.16------0.06
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 1918年から1922年まで韓国人の初等教育のための政府支出がほぼ8倍増加したことに注目すべきであろう。初等以上の韓国人教育についての情報を知りたいなら9章「教育」を参照するといい。


・水利組合


 農業は韓国で他の殖産工業を導いているが、特に大事なのは米である。農業を発展させ国家の富を増大させるには灌漑事業以上に重要な物はなかったのだ。このような考えを持って日本統監は以前の韓国政府を説得し水利組合規定を公布し、組合は灌漑、排水、荒れ地の開懇などの事業を施行することになった。しかし単純に当代の要求に符合させる形で出来上がったこの規定はすぐ時代遅れの物になってしまい、うまく状況に対処することが出来なくなってしまった。よって新しい規定が制定され1917年10月から施行されることとなり、その結果水利組合は民衆の農業知識向上に合わせて改革され、水利組合制度も強化された。


 新規定によってこれら水利組合は灌漑、下水、洪水予防を目標とする法人として認められた。土地、住宅、その他の財産を所有している人は必須的に会員制度を作り、組合の会員が管理する土地は組合の業務現場として扱われた。組合はそれぞれ会長と書記だけでなく財政とその他重要事案を論議するための評議会も持っていた。組合は新規事業のために公債を募集し会員に組合を維持させるための費用を付加させる権利も持っていた。必要があれば連合も結成できた。1919年4月、組合事業を奨励するために政府は水利組合に補助金を支給する規定を制定、同時に組合を手伝うための専門技術者を派遣することにした。また1920年12月には土地改良事業のための新しい規定も公布され、補助金の額も増加した。


 1922-1923会計年度に現存する水利組合の総数は50だった。この中で四つの組合は併合前に作られたものだが残りの38個の組合は1919年以後に作られた。詳細な内容は農業に対する章を見るといいだろう。



(5章、終わり)




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