5章 政府組織その2
2・地方行政
1919年サイトウ子爵が就任しながら始まった新しい政策の中でもっとも重要な要素のひとつは行政分権であった。事実、新しい政策の核心は韓国人が韓国の政治的状況と調和しながら出来るかぎり自分たちの公共行政業務に参加する事だと言えよう。私は韓国内の地方自治の拡大を説明している多くの資料を今まで提示したが、この問題は朝鮮総督府の英文報告書「朝鮮行政年報(1922-1923)」でとても詳しく扱われているため、筆者はこの章の全体を通じてその報告書をそのまま引用している。
・緒論
1910年併合以前の韓国の行政区域は大変混乱した状態であった。道、府、郡、面の以外にも警察機関とか金融機関などの多くの地域機関と日本人居留民のための居住地、日本人自治地域、外国人居留地、中国人専用居留地と日本人学校組合地区などがあった。これらの多様な関係のせいで地方行政は
統一されることも出来なければ効率的に運用されることも出来なかった。併合時にこの「差」から来る問題を全て同時に調節する必要があった。しかし全てが不安定だった過渡期には急激な変化は自重した。特に居留地制度の処理は解決できず残っていたのだが、これは関連した当事局同士に慎重に話し合わないといけない問題だったからだ。よって総督府が設置された時に地方行政組織の全般的な改革のために最優先で取られた措置は次のようである。全ての地域居留地と地域金融地区を廃止し、その代わりに各「道」に財務部を設置して道より下の「郡」の「府伊」と「郡守」に財務業務に対しての部分的な監督権を与えたことだ。このような改革が実施された時、地方行政組織は13個の道庁、12個の府庁、317個の郡庁、4,322個の面事務所で構成されていて、それぞれ道知事、府伊、郡守、面長が統率していた。
府、郡、面の行政境界は併合以前とほぼ同様に維持されていたが地域、人口、資源などの側面でかなりの差があった。特に「面」地域ではその差が明らかで、一部の面では税金負担のせいで行政業務の遂行に苦しい思いをしている所もあった。慎重に調査検討し、地方行政の統一性と便宜性を確保するために一部の面は統合、また一部の面は境界を再調整することが決定された。それによって各「府」は
隣接した面から分離して境界の範囲を縮小させ、それぞれの郡は人口1万人を受容できる約40方里(1方里=5.95平方マイル、15.4平方キロメートル)に制限し、それぞれの面の範囲は800世帯を受容できる約4方里と制限した。このような措置の数々はすべて地方行政を活性化させ地方政府の支出を減らし国民に公平な税の負担を保障するためのものだった。
一方、鬱陵島(ウルルンド)と済州道(チェジュド)は本土から遠く離れていたため通信の問題から円滑な行政が出来ずにいた。よって1915年5月、この二つの地域は別の行政区域(※「島」)に指定され、地域の首長になる「島司」は地域の利益のために必要な命令が出せる権限だけでなく、地域警察部長の職分まで与えられた。次の表は地方行政区域の構成を表したものである。
--道---------面積(方里)---全体面積対比(※)-----行政区域の数-----道政府所在地
京畿道----------830.83---------5.8------------府2/郡20/面249-----京城(キョンソン)
忠清北道--------480.93---------3.4------------府0/郡10/面110-----清州(チョンジュ)
忠清南道--------525.59---------3.7------------府0/郡14/面175-----公州(コンジュ)
全羅北道--------553.13---------3.9------------府1/郡14/面188-----全州(チョンジュ)
全羅南道--------900.41---------6.3------------府1/郡22/面269-----光州(クァンジュ)
慶尚北道------1,231.16---------8.6------------府1/郡23/面272-----大邱(テグ)
慶尚南道--------797.78---------5.6------------府2/郡19/面257-----晋州(チンジュ)
黄海道--------1,084.82---------7.6------------府0/郡17/面226-----海州(ヘジュ)
平安南道--------967.70---------6.7------------府2/郡14/面165-----平壌(ピョンヤン)
平安北道------1,844.24--------12.8------------府1/郡19/面165-----義州(イジュ)
江原道--------2,702.79--------11.9------------府0/郡21/面178-----春川(チュンチョン)
咸鏡南道------2,073.36--------14.5------------府1/郡16/面141-----咸興(ハムフン)
咸鏡北道------1,319.19---------9.2------------府1/郡11/面81------羅南(ナナム)※
合計----------14,311.99--------100----------府12/郡220/面2,504-------------------------
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※当時の朝鮮半島の行政区域全体面積を100にした場合の%のようです。
※ナナムは現在の「チョンジン(清津)」とのことです。
地名は韓国語読みで機械翻訳を基本にしました。
ほとんどは今でもそれぞれの道の中心、または広域市など重要都市になっているところです。
※参考までに、他の道の読み方も機械翻訳を基本にすると次のようです。
・をつけた道は今では北朝鮮になっています。
京畿道(キョンギド)
忠清北道(チュンチョンブクド)
忠清南道(チュンチョンナムド)
全羅北道(チョルラブクト)
全羅南道(チョルラナムド)
慶尚北道(キョンサンブクト)
慶尚南道(キョンサンナムド)
・黄海道(・ファンヘド)
・平安南道(・ピョンアンナムド)
・平安北道(・ピョンアンブクド)
江原道(カンウォンド)
・咸鏡南道(・ハムギョンナムド)
・咸鏡北道(・ハムギョンブクド)
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道知事は長官としての重責を持って法令を施行し、道の行政を監督し、全ての公社を管理し、道令を発する権限を持っていた。以前には道内警察組織である警務部が他の地方行政組織とは独立的に存在していて道長官(☆1919年の官製改編以前にはこう呼ばれていました)は道警務部に対しては何の権限も持っていなかった。道警務部令の発布には道長官の承認が必要だったが、地方警察庁長である道警務部長が警察事務と衛生業務に必要だと判断した場合には単独でその措置を施行することが出来た。しかし時間が経ち、地方行政の発展に連れて道長官が警察事務と衛生業務に対しての統制権を持つべきだという点が認められた。1919年8月憲兵警察制度が廃止された時警察統制権は道知事に譲渡され、それぞれの道には警察、医療、衛生官吏で構成された第3部が作られた。第3部は後に警察部に改称された。
統治権が移譲される過渡期には行政業務の全般的な統一性や一貫性を大事にするもので、中央集権政策が充実に維持されていたため同長官の権限は制限的だった。地方行政が発展するにつれて毎年行政業務が増え、このような中央集権政策の効率性が明らかに弱くなった。よって地方分権措置がますます採択されるようになり、1919年8月の全般的な官製改編の後には道知事(※この改編で道長官から名称が変わりました)に与えられた権限は段階的に拡大された。
併合後、既存の制度の改正と関連して慎重な調査が行われ、1914年3月関係当事局らと合議して外国人居留地を廃止できると判断した。同年の4月、都市地域の府と学校評議会に関連した新しい規定が施行された。これによって両者は法人として認められ、外国人居留地の官区は該当する府の官区に統合され、日本の児童教育と関連した全ての事業は各府の官区の中で組織された学校の組合に委ねられた。このような方式によって地方行政制度の調整と統一という念願の懸案において満足できる成果を出したのである。
行政制度の改編の結果、今まで当事国の領事代表たちが担当していた「永代借地権」の登録問題と関連した全ての事務が法廷で扱われるようになった。永代借地権は特殊物権であったため、それに相応した所有権規定が適用され、他の法律的権利の対象にもなれると認められた。また永代借地権を持っている外国人には賃貸権を実質的な土地の所有権に転換できるよう選択権が与えられて、転換を望まない場合はは実質的土地所有者と同一水準の税金と公共料金が賦課された。
地方行政改編の施行以来、官公署(※官公庁)の多様な業務だけでなく社会の全ての分野、及び製造業、教育、通信、商業などから絶えず発展が遂げられた。特に注目すべきは地域の重要性が最近になって拡大されたということである。遵って、総督府官制を改編する過程でさらに大胆な行政改革を断行し、特に権力の地方分権化を目標に地方自治制度を堅固に確立すべきだという結論が下された。それによってその目標に符合する初の措置として1920年7月に既存地方行政制度が追加改定された。その内容は地方財務とその他の重要問題への助言のためのもので、任命または選出された会員で構成された諮問委員会を公共法人に提供するものだった。この諮問委員会を通じて国民の情緒が地方行政に反映され、益々完璧な地方自治制度へと発展していくことが期待される。
・地方協議会の構成
約1年間の慎重な研究の末、1920年7月29日ついに改編された地方行政制度が公布され、道、府、郡、面の行政組織のための諮問機関も構成された。もちろんこれらを真の意味での地方自治機関とは呼べないだろう。なぜなら韓国がまだまだ地方自治を実施できる状況でもなかったし、その国民が上手に公務を処理できるようになるにも訓練の過程が必要だったからだ。しかしながらも、これらの機関が構成されたのは正しい方向への重要な一歩であった。
今まで韓国で施行されてきた地方行政制度は重要都市地域に「府」を置き、農村地域に一番低い行政単位の「面」を置くというものだった。また韓国児童の教育のための「公立普通学校費(※)」と日本の児童の教育のための学校組合、そして灌漑を扱う水利組合などもあった。それらの中で学校組合と水利組合だけが自治機構の性格を持っていた。府には諮問機関があったが、特別に指定された面にも諮問機関があって、これらは比較的少ない人員で出来ていた。諮問委員も全員政府が任命したから実際に国民の要求や考えが反映されていたとは思えない。府伊もいつも政府の官僚だったし面長も政府が任命していた。当時の道政府の支出は道知事が単独で監督した反面、公立普通学校機構は府伊と郡守、島司が管理した。それぞれの道には定員2人の諮問機関があって、二人とも政府が影響力を持っている人から選んで任命していた。諮問委員というのは単純名誉職であったし国民の情緒を代弁できる人選でもなかったため、国民の意思を反映するという方向に向かうために地方制度は次のように改正されることとなった。※機構の性格上、「公立普通学校基金」と書くべきだと思いますが当時の名称のままにしました。
「府」の諮問委員を一般投票で選出できるようにし、ともに全ての「面」に諮問機関を置いて財政や重要事案を論議するようにした。しかし韓国の人たちに選挙というのは慣れていない制度だったため、例外なくすべての面で投票を施行すれば厳しい論争と混同を招来するだけだった。よって特別に選ばれたいくつかの面でだけ、一般投票で諮問機関の委員を選べるようにした。他の面では郡守や島司の裁量に任された。郡守や島司は地域内の影響力ある住民たちの意見を考慮して諮問委員を任命した。
公立普通学校費は韓国の児童に初等教育を提供する目的だけを遂行した。しかし韓国全域で韓国人の普通教育と関連したすべての事務を処理するための新しい規定が作られた。学校費を充当するために国は学校税を賦課、労働または物品を徴発したり地代を徴収、公債を募集し、そして持続的な支出計画を樹立できる権限も与えられた。諮問機関としては学校評議会が構成された。都市地域である府では一般投票で学校評議会の会員を選出したが郡、島地域の会員は地域協議会から選出された候補の中から任命された。
また道の予算や他の問題を論議する諮問機関として道評議会があった。評議会の委員たちは学識と名声を持つ人たちと府協議会、面協議会から選出された候補の中から道知事が任命した。
改編された地方行政制度は1920年10月1日から施行され、府と特別指定された面地域の諮問機関の委員たちを選出する選挙が11月20日実施された。最初は韓国人は無関心な態度だったし多くの人々が扇動者たちの話に騙された。しかし選挙日が近づくにつれ、韓国人も投票に関心と熱情を見せるようになった。大勢の人たちが候補者に登録し、選挙も無事に進行された。下の表は12ヶ所の府と特別指定された24ヶ所の面で施行された選挙の結果を表したものだ。
(府地域)
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--------投票者数---投票数---比率---選出された会員の数
日本人---6,251-----5,486-----88---------134----------
韓国人---4,713-----3,122-----66----------56----------
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(面地域)
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--------投票者数---投票数---比率---選出された会員の数
日本人---1,399-----1,224-----88---------130----------
韓国人---1,623-----1,198-----73---------126----------
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選出された会員たちはほとんどが地域内の指導級の人士だった。特に高く評価すべき事実は、皆が選出された韓国人たちが穏健な思考を持った、新しく浮かび上がってきた人物たちだったと言う点だ。もう一つ注目すべきは、日本人は日本人同士の合意のもと日本人候補者の数を制限したこと、そして相当な数の韓国人が日本人候補に投票した反面、選出された日本人の中で何人かは自分の次に多くの票を集めた韓国人にその座を譲ったということである。
特別指定されなかった他の面の諮問委員会の会員の任命まで行われるにはそう長い時間がかからなかったし、こうして全ての府と面の諮問委員会会員選出と任命は成功裏に終わった。道評議会だけでなく府、郡、島地域の学校評議会の会員選挙、任命も1920年12月20日成功裏に終わった。次の表はこれら地方諮問委員会がどう構成されていたかを表している。
-(表)府地域の任命、選出された会員数---------------------
---------任命された会員の数-----選出された会員の数----合計
日本人---------63-----------------------24--------------87
韓国人---------56----------------------219-------------275
合計----------110----------------------243-------------362
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改編後、初めて1921年2月と4月の間に地方行政体系内でこれら評議会の会議が開催された。各会議は出席率も高かったし大きな成功を収めた。論議は熱情的で順調に進んだ。会議が進行される中、皆で協調的な態度を見せながら国民の意思を反映している多くの質問と意見を当局に開陳し、政府当局は極めて誠実な態度で応じた。全体的に関係者全員が評議会の会議に大きく満足した。
・地方行政調査
以前、韓国には地方行政を調査し官吏の虐政を監視するために暗行任務を遂行する官吏を置く制度があった。朝鮮王朝の時に優れた制度として評価されることもあったが、この「暗行御史」たちはしばしば権力を濫用し地方官吏の非行を自分の利益に利用したりした。1907年司法府と行政府が明確に分立されたため官吏たちは権力を濫用することも国民を迫害することも出来なくなった。しかし地方公務の量は急激に増え、さらに内容も複雑になったことと、地域の与件に適合した方式での行政遂行のために道知事の権限が拡大されたことを考慮すると実際に地域状況に合う行政業務が施行されているのか、道知事たちが公共福利増進に寄与しているかどうかなどを判断するために道知事の業務を徹底的に監察する必要があった。ともに新しい行政政策の効率的な施行と国民情緒の十分な把握のために中央政府と地方政府の間にもっと密接な関係を保障する必要があった。そのような理由で2人の総監督官と5人の特別秘書官、大勢の事務職員からなる地方行政調査団が構成されたのである。