4章 政府組織1
1・総督府
1910年8月に妥結された条約によって効力が発生した日韓併合以前に日本は韓国政府に対して二つの様相で影響力を行使した。一つは外交的助言を提供する時期だったと言える。この期間、ソウル駐在日本公使は韓国政府に雇用された多くの日本人顧問の助けを得て韓国人自治下で国内行政が置かれた慨嘆すべき状況を改善すべく努力した。この時期は乙巳条約(※第二次日韓協約ですが、韓国では一般的にこう呼んでいます)が妥結され両国の新しい関係が公式化された1905年11月に終わった。
乙巳条約によって韓国政府に対して日本は新しい様相で影響力を行使した。これは行政統制と参与の時期と言える。条約の条項によって日本は1906年2月に韓国に統監府を設置し各地に付属公館を置いた。統監府の役割は1907年7月に調印された協約に明確に説明されている。条約は当時、次のように規定している。
(1)韓国政府は施政改善に統監の指導を受けなければならない
(2)韓国政府が法令の制定および重要な行政上の措置をするには
予め統監の承認を経なければならない。
(3)韓国の司法事務は他の行政事務と区分して処理されなければならない
(4)韓国高等官吏の任免は統監の同意の下で行わなければならない
(5)韓国政府は統監が推薦する日本人を韓国官吏に任命しなければならない
このような協議の下、韓国の行政は全般的に著しく改善されたが、二つの分野においては効率性が見られなかった。金融と法の執行である。
金融問題において日本はほぼすべての国が看過する事実、即ち初期行政投資費用が増えないと行政改善を通じて如何なる利益を得ることも
目標とする経済状態を成すことも出来ないという事実に直面した。
一言で言うと、良い政府は支出を減らすけど、支出を減らして良い政府を作ることはできないということだ。(※)
(※ハングル版の直訳では「良い政府は費用を少なく発生させるけど、少ない費用で良い政府を作ることはできないということだ」です。)
司法分野においての韓国の制度は法律の手続きと担当公務員全員が問題だったため法の執行を日本人に任せない限り大きな改革は無理だと思われた。このような難関に対処するために日本は約1,000万ドル相当の無利子貸出金を用意したが韓国の財政安定のために実際には総1,300万ドルに及ぶお金が使われた。日本はまた法の執行と監獄業務を引き受け、これらの部署での必要経費を日本財務省が負担した。
施政監督と参与の時期は1910年の併合で終わった。日韓併合までの状況については2章の「歴史的事実」で扱った。
1910年8月29日日韓併合と同時に朝鮮総督府が設置された。しかし効力を持ったのは1910年9月30日日本帝国勅令として朝鮮総督府官制が公布された次の日からだった。朝鮮総督府官制には総督と副総督を任命し、官房、総務、内務、度支、農商工、司法など六つの部署を置き総督府を構成するようにと規定されている。管理、行政、技術、事務業務などに対する条項も作られ、金融制度の土台として年間予算も規定された。
朝鮮総督府の官制は施行しながらその時の必要に応じて改正された。現在の韓国政府組織を説明する前に、朝鮮総督府設置後の初年の年末時点の韓国政府形態について言及する必要がありそうだ。
政府の中心は総督で、総督は二つの官庁、つまり朝鮮総督府と総督府所属官署に分類される機関らの助けを得て公務を執行した。
次の表は1911年末この二つの官庁がどんな構成だったかを表した物だ。
--(表)朝鮮総督府所属人員--------------------------------------------
総督府:---------------------------------------------------------------
総督官房・・・高級官吏5人、下級官吏5人、合計10人
総務府・・・・高級官吏13人、下級官吏116人、合計129人
内務府・・・・高級官吏26人、下級官吏140人、合計166人
度支府・・・・高級官吏30人、下級官吏142人、合計172人
農商工府・・・高級官吏23人、下級官吏66人、合計89人
司法府・・・・高級官吏4人、下級官吏16人、合計20人
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総督府合計・・高級官吏101人、下級官吏485人、合計586人
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所属官署:---------------------------------------------------------
裁判所、警察署、監獄・・高級官吏363人、下級官吏811人、合計1,174人
地方政府(道政府)・・・・高級官吏404人、下級官吏2,321人、合計2,725人
鉄道局・・・・・・・・・・・・・・高級官吏55人、下級官吏405人、合計460人
通信局・・・・・・・・・・・・・・高級官吏39人、下級官吏1,005人、合計1,044人
土地調査局・・・・・・・・・・高級官吏29人、下級官吏1,069人、合計1,098人
官立学校・・・・・・・・・・・・高級官吏24人、下級官吏91人、合計115人
税関・・・・・・・・・・・・・・・・高級官吏17人、下級官吏245人、合計262人
病院と医学校・・・・・・・・高級官吏15人、下級官吏28人、合計43人
支藩農場・・・・・・・・・・・高級官吏13人、下級官吏52人、合計65人
専売局・・・・・・・・・・・・・高級官吏4人、下級官吏43人、合計47人
印刷局・・・・・・・・・・・・・高級官吏3人、下級官吏22人、合計25人
取調局・・・・・・・・・・・・・高級官吏6人、下級官吏8人、合計14人
営林廠・・・・・・・・・・・・・高級官吏5人、下級官吏16人、合計21人
国営石炭鉱山・・・・・・・高級官吏2人、下級官吏5人、合計7人
中枢院・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下級官吏2人、合計2人
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所属官署合計・・・・・・高級官吏979人、下級官吏6,123人、合計7,102人
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総計・・・高級官吏1,080人、下級官吏6,608人、合計7,688人
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中枢院以外は、表にあるすべての機関の役割はその機関名から大体分かる。中枢院は1910年併合当時作られたもので日本人総督に韓国人諮問議員会を提供するために構成され、総督は行政措置と関連した事項を委員会と協議できた。中枢院の副議長及び会員全員は韓国の貴族、上流層、官僚などの階層から選ばれた。中枢院議長と書記官長、書記官たちは朝鮮総督府所属日本管理の高位級人士から選抜された。中枢院会員たちは名誉公職を下賜されたが政府の官吏としては分類されなかったため公務員公式統計には含まれず、それを土台にしてつくられた上の表にも含まれていない。1911年末中枢院内の韓国人の実際人員数は71人で、日本人はそれぞれ議長1人、書記官長1人、書記官1人、通訳官1人であった。
・地方政府
1910年9月10日に公布された勅令第357号によって朝鮮半島の地方政府に対する条項が作られた。全国は13個の道で区分された。朝鮮総督府地方官官制により各道に道長官(☆1)が率いる道政府を樹立し、道政府は財務、医療及び衛生事業、警察、教育、港口、山林、公共産業などと連関した地方事業を遂行するための行政人力を持っていた。各道はまた府、郡、島の三つの区域に分けられた。「島」には韓国沿岸に位置する島々の中で大きな二つが含まれていた(☆2)。
(韓国語版訳者の註・・・☆1:「1919年官制改正以後は道知事と呼ばれた」☆2:「ジェジュド済州島、ウルンド鬱陸島を意味する」)
最初の計画通り、韓国の政府は次のような行政体系で構成された。
総督府・1
道政府・13
府・12
郡・218
島地域・2
韓国統治の責任と関連して日本に提起されて問題は極めて複雑なものだった。それは力があって「優秀な」種族が、文明レベルが低くて身体能力が弱くて民族主義情緒も持ってない他の民族に対する支配権を得た時に見られる単純さとか、似たような社会的、経済的水準の両民族間同士の政治的支配力移譲の時に発生する単純さなどとはまったく種類の違うものだった。
一言で言うと日本の直面した問題はニューギニア原住民の部落を支配するイギリスの問題、オーストリアからフィウメ(Fiume)の統治権を引き受けたイタリアの問題などとは違うものだったのだ。
事実、日本のケースは現代では前例のないものだった。アジアの文明を基準にして評価するなら、朝鮮民族は先進化した民族だった。日本と同じく中国から多くの影響を受けた。しかし日本と違い西方世界の政治、経済的発展からの影響を受けなかった。19世紀中盤まで「隠者の国(Hermit Kingdom)」という表現は日本にも朝鮮にも同じだろう。両国はそれぞれ古代からの宗教、哲学、文化、貴族政治、社会構図を持っていた。当時両国をアジア内での発展を持って比較するなら朝鮮民族が隣の日本民族より元から劣等だとは言えないだろう。
しかし現在、如何なる実質的な問題においても両国を同等に扱うのは不適切だ。1858年以来、日本は西欧化された。その過程で日本が西欧式発展の恵沢と言える多くのものを得たならば、西欧式文明と引き離せない多くの悪弊もまた日本に影響を及ぼしている。日本の問題は即ち西洋国家たちの問題であったが、その解決策はアジア的理論とアジア的慣習が西欧的現代社会の必要を充足させて得られるものではない。西欧の方式を受け入れ、それを改善させることで得られるものだ。
アジア各地で長い時間を過ごした私の立場からだと、ヨーロッパやアメリカ大陸であまりにも当たり前だと受け入れられている確信・・即ち西洋文明が東洋文明より優秀だと言う考えはどうも受け入れることが出来ない。しかし今私の前にある問題はこのような類の推論では扱いきれない。これは西欧方式でアジア植民地を統治しようと試した一つの例として韓国内での日本の行政制度を説明しているのだ。そのような論議のためには二つの異なるテーマ、即ち韓国を統治する日本の権利と日本が韓国を統治している方式は別々に考えるべきだ。日本の権利というテーマは政治的な現象であり帝国主義的観点から判断するにはとても興味深くて重要なテーマではあるが、植民地を獲得してからの出来事を論議するのに重点を置いた本書では、冒頭でも書いたが、副次的な問題だ。
今のように構成された韓国政府についての説明は1910年日本が国権を引き受け、その直後に劣弱だった韓国の状況に直面し、そのせいで新しい政府を樹立し公共政策を公式化させ行政機関を設置したという事実から始めなければならない。
日本は半世紀の間西欧化された憲法の影響を受けた自国の経験からこのような課題に接近しながらその状況には多くの難があると気づいた。しかし日本の国権引受を長期的な観点から見ると少なくとも属国を持っている他の国々が成就した位の成功は可能に見えた。
新しく設置された総督府が直面した最大の問題は国家公共行政の現代化と関連して過去からの助けは期待できないという点だった。既存の韓国の官僚集団は西欧方式への改革に大多数は無関心で、一部は激しく反対していた。反論の余地なく、長い間、朝鮮王朝で露出された失政は公共業務全体に悪影響を及ぼした。不合理な租税制度と貨幣価値の下落のせいで経済は不安定で通信手段は機能しておらず地方では盗賊の群れが溢れ金融制度は商業と産業を発展させるには不十分だった。何よりの問題は国民が持続的な無気力状態に陥ったことだった。
日本の場合は併合を通じて利益のために投資する以外動機が無かったとしてもその目的は韓国の総体的な状況が改善されれば結果的には成功を収めることになるだろう。
このように韓国を総体的に改善するための全般的な政策は1910年8月29日「寺内正毅」子爵が発表した布告で公布された。統監の布告で併合が公式的に公布され、これは総督府が設置されるまで韓国の施政を任せられた日本人高位官吏たちに示達された一般命令の性格を持った文書によって補完された。
このような性格の文書にいつも見られる修辞的な表現を抜きにすると布告文では次のように明確に書いている。
(1) 未納された土地税に対する政府の請求権を放棄し、満期になった土地税は20%削減し、教育増進と飢饉及びその他の災害からの救護のために日本帝国財務省から1700万円(約850万ドル)を寄付し、国民を救済する。
(2) 全国的に法と秩序を確立し、生命と財産を守り国民に努力する動機を与える。
(3) 通信と輸送手段を改善し多くの韓国人に働き口を提供、物質的発展を促進する。
(4) 責任感強く経験豊かな韓国人で構成された会議を作り、提案された施政措置に対する諮問を求める。
(5) ソウルにある中央病院及び三つの慈善病院と併合前に日本によって運営されていた各施設の業務を拡大、補完するためにそれぞれの地域に慈善病院(☆慈恵病院と呼ばれる)を設立する。
(6) 教育施設を拡大させ「青年の心の中に怠慢への嫌悪と実務、倹約、勤勉への愛情を植えつける」教育政策を採択する。
(7) 宗教的信仰の自由を保障する。
併合布告文でこの問題(※(7))を扱った部分は次のようになっている。
「宗教的信仰の自由は全ての文明国で認められている。事実、自分自身が真実だと信じている宗教的信念、それがどんなものだろうと、それを信じることで精神的的平穏を得るために努力しているのなら誰にも反駁は出来まい。しかし宗派の差を理由に争いを起こしたり宗教的宣伝という名で政治に関わったり政治的陰謀を画策する者たちは良き慣習、良き風習に害を及ぼし公共秩序を乱すものであり、このようなことは法によって処理されるだろう。しかし良い宗教はそれが仏教だろうと儒教だろうとキリスト教だろうと人類の精神的、物質的進歩を目標としているのが確かであり、そういう点で政府の施政と衝突しないだけでなく政府が計画している目標の達成にも明らかな助けになる。よってこれらの宗教は公平な待遇を受けるであろうしさらに適法な宗教宣伝には適切な保護と便宜が提供されるだろう。」
併合当時、日本人官吏たちに示達された命令の一部が次に引用されている。これを通じて当時まで日本人は韓国人を蔑視する態度を見せていて、それが和解と発展という自分の総体的な政策の遂行に障害になるだろうと統監が気づいていたことが分かる。
「今回の併合の目的と目標は両国間の連帯を強化し、分離された統治権の間にはどうしようもなく存在する地域、民族的差別の全ての原因を消去することであり、これによって二つの民族の互いの福祉と幸福を増進させることだ。よって日本国民が今回の併合を強大国が弱小国を征服した結果として見なし、そのような間違った考えを持って傲慢で品格の無い態度で物を言ったり行動したりするならそれは現措置が追求している真の意味に反するものである。朝鮮半島内の日本移住民たちは今まで自分自身が異国の地に住んでいると思い、ある時は朝鮮半島の民に優越な態度を見せる間違いを犯した。新しい制度の開始とともに自分の自負心だけ大きくし、そして新しく帝国に編入された国民たちにどんな種類のものだろうと侮辱を与えるなら、その結果全ての面で土着民たちと対立することになるだろうし、二つの民族が親密な関係を樹立できる機会は消え、将来大きな災難になるだろう。今こそ局面を転換すべき時である。日本人移住民たちよこの機会に朝鮮民族に対する考えと態度を変えよう。韓国人は兄弟だということを記憶し、好感と友情で触れ、そうすることで相互協力協同し二つの民族全員で帝国全体の成長と発展のために自分の本分を果たすべきである。」