【東京国際映画祭レポート Vol.3】 コンペティション部門
98歳の新藤兼人監督、引退作「一枚のハガキ」で記者会見に登壇
日本映画界の重鎮・新藤兼人が、“これで最後”と宣言する作品「一枚のハガキ」
新藤兼人、98歳。日本映画界の重鎮である新藤監督が、自ら“映画人生最後の作品”と宣言する「一枚のハガキ」が、来年夏より公開される。本作は、東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されており、10月27日、東京・六本木ヒルズにて記者会見が行なわれた。壇上には、新藤兼人監督、主演の豊川悦司、共演の大竹しのぶが登場。
作品の時代は、太平洋戦争末期。男は1人の兵士仲間から、彼の妻から送られてきたというハガキを託される。「検閲のため返事が出せない。そして、俺はきっと死ぬだろう。おまえが生き残ったら、ハガキは確かに受け取ったと妻に知らせてくれ」――。100名いた部隊は40名になり、10名になり、最後に生き残ったのは、男を含むたったの6名。その運命を決定したのは、次の赴任先を決める“クジ引き”だった。一方、ハガキの送り主である妻は、夫が戦死したとの知らせを受ける。その後、夫の両親の懇願で義弟と結婚するが、彼もまた戦争で命を落とすのだった……。
作品の時代は、太平洋戦争末期。男は1人の兵士仲間から、彼の妻から送られてきたというハガキを託される。「検閲のため返事が出せない。そして、俺はきっと死ぬだろう。おまえが生き残ったら、ハガキは確かに受け取ったと妻に知らせてくれ」――。100名いた部隊は40名になり、10名になり、最後に生き残ったのは、男を含むたったの6名。その運命を決定したのは、次の赴任先を決める“クジ引き”だった。一方、ハガキの送り主である妻は、夫が戦死したとの知らせを受ける。その後、夫の両親の懇願で義弟と結婚するが、彼もまた戦争で命を落とすのだった……。
監督自らの体験がベースに。実話の重みがずしりと迫る
主人公のたどる道は、新藤監督の実体験がベースになっているという。監督は、作品の設定と同じく“掃除部隊”として召集され、仲間が次々と戦地へ送られるのを見送ってきた。生き残った6人の中の1人となった自身は、「戦死した94人の魂がずうっと私につきまとっていて、これをテーマにして生きてきた」という。「戦争は、“戦争をする”と決めた偉い人ではなく、二等兵がするのです。貧しく、やっと保っているような家庭で、働き手の夫が抜けたら、家の中はむちゃくちゃになります。1人の兵士の後方には、家族がいるのです。それが戦争の本質であり、“人間を抹殺するので、戦争は絶対にやってはいけない”というのがこの作品のテーマ。自分の身の上についての話だから、自信を持って発言したいと思い、本作を作りました」と語った。戦争の映画は数あれど、監督が実際に体験したことだと考えると、よりいっそう作品の重みが増す。
この話を受けた豊川は、「今の日本には、確かに戦争はないけれど、世界に目を向ければ、至るところで紛争や内戦があります。そして、犠牲になるのはつねに、一般市民であり女性であり子供であり……。1900年代の前半でも、2000年代初頭の今でも、何も変っていないのだと思います」とコメント。そして大竹は、監督が“これが最後”と宣言する本作に参加したことについて、「先程、監督が“小さな映画人の小さな映画をよろしくお願いします”とおっしゃいましたが、映画の中に息づく思いを伝えるために、私はこの仕事をしています。観た方の心の中に、何かが少しでも残ることを信じながら、これからも作品づくりに関わっていきたいです」と、今後の抱負を述べた。
戦争がもたらす傷を描きながら、光も取り入れた本作。ラストシーンの美しさは、いつまでも心に残るものとなりそうだ。引退する理由について問われ、「体が弱りましたし、頭も少し弱りました。続けていくのは限界だと思い、“これが最後”だと宣言して作ったのです」と新藤監督。HiVi WEB読者の中にも、古くから監督の作品を観てきた方は多いのではないだろうか。監督デビューから約60年もの間、まさに体当たりで作品を撮り続け、「雨が降ろうが火が降ろうが、地面を這いずり回って映画を作ってきました」という巨匠の最後の作品を、どうぞお見逃しなく。
この話を受けた豊川は、「今の日本には、確かに戦争はないけれど、世界に目を向ければ、至るところで紛争や内戦があります。そして、犠牲になるのはつねに、一般市民であり女性であり子供であり……。1900年代の前半でも、2000年代初頭の今でも、何も変っていないのだと思います」とコメント。そして大竹は、監督が“これが最後”と宣言する本作に参加したことについて、「先程、監督が“小さな映画人の小さな映画をよろしくお願いします”とおっしゃいましたが、映画の中に息づく思いを伝えるために、私はこの仕事をしています。観た方の心の中に、何かが少しでも残ることを信じながら、これからも作品づくりに関わっていきたいです」と、今後の抱負を述べた。
戦争がもたらす傷を描きながら、光も取り入れた本作。ラストシーンの美しさは、いつまでも心に残るものとなりそうだ。引退する理由について問われ、「体が弱りましたし、頭も少し弱りました。続けていくのは限界だと思い、“これが最後”だと宣言して作ったのです」と新藤監督。HiVi WEB読者の中にも、古くから監督の作品を観てきた方は多いのではないだろうか。監督デビューから約60年もの間、まさに体当たりで作品を撮り続け、「雨が降ろうが火が降ろうが、地面を這いずり回って映画を作ってきました」という巨匠の最後の作品を、どうぞお見逃しなく。
2010年10月28日
(映画コラムニスト 鈴木晴子)
最終更新 11.12.20 15:44
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