日本経済新聞

12月21日(水曜日)

日本経済新聞 関連サイト

ようこそ ゲスト様

コンテンツ一覧

歴史

「末の松山浪こさじ」百人一首に残る1100年前の大津波の秘密

(1/4ページ)
2011/12/21 7:00
小サイズに変更
中サイズに変更
大サイズに変更
印刷
この記事をはてなブックマークに追加
この記事をmixiチェックに追加
この記事をLinkedInに追加

 「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」(約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに)

 子供の頃から慣れ親しんできた「百人一首」。だが、その成り立ちから1句1句に至るまでナゾも少なくない。変わらぬ恋心を暗示する「末の松山浪こさじ」もその1つ。みやびな歌枕の中に平安初期、東北で起きた巨大地震、貞観地震(869年)の記憶が刻み込まれているという。

■作者は清少納言の父

 百人一首42番。作者は清少納言の父、清原元輔(908~990)だ。恋人の心変わりをとがめる歌を代作したとされる。男女の変わらぬ愛の誓いを松山の美しい景色にたとえた優雅な表現「末の松山浪こさじ」は、みちのく(東北地方)を代表する格調高い歌枕として百人一首ばかりではなく、古今和歌集や西行法師、藤原定家ら多くの歌人に詠まれてきた。

 歌枕の「末の松山……」は、太陽が西から昇らないように決して起こらないたとえとして、海岸にせり出した松山をイメージしたもの――。子供の頃そう教わった読者も多いのではないか。

 しかし、ここにでてくる「浪」とは、通常の波ではなく、貞観地震で起きた大津波のことであるという。しかも、その松山があるときき、宮城県多賀城市を訪ねてみた。

画像の拡大

  • 前へ
  • 1ページ
  • 2ページ
  • 3ページ
  • 4ページ
  • 次へ
小サイズに変更
中サイズに変更
大サイズに変更
印刷
この記事をはてなブックマークに追加
この記事をmixiチェックに追加
この記事をLinkedInに追加
関連キーワード

清少納言、末の松山、大津波、百人一首、震災

異説の日本史


古きを歩けば

【PR】

【PR】

歴史 一覧

「末の松山浪こさじ」百人一首に残る1100年前の大津波の秘密

 「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」(約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに)
 子供の頃から慣れ親しん…続き (12/21)

大極殿の基壇が復元された難波宮跡公園。演奏会の練習やペットの散歩など市民の憩いの場となっている(大阪市中央区)

大阪に「都」があった7世紀
難波宮跡(大阪市) 古きを歩けば(14)

 大阪はかつて首都だった。7世紀に「大化の改新」として知られる政治改革の舞台となり、官庁を集約して建て並べるなど先進的な構造の難波宮(なにわのみや)が造営された。この遺跡を守り伝えようとする研究者や市…続き (12/20)

千手観音菩薩(左)と聖観音菩薩を所蔵する赤後寺で「世話役」を務める福田長人さん(滋賀県長浜市)

戦国耐えた仏 伝え続ける守り人
赤後寺(滋賀県長浜市高月町) 古きを歩けば(13)

 厨子(ずし)の扉が開くと、痛ましい2体の仏像が現れた。9世紀の十一面千手観音は42本の腕のうち残るは12本だけで、頭上にいただいていたはずの十一面もない。10世紀の聖観音も手首から先がない。滋賀県長…続き (12/13)

【PR】

モバイルやメール等で電子版を、より快適に!

各種サービスの説明をご覧ください。

日本経済新聞の公式ページやアカウントをご利用ください。

[PR]

【PR】

ページの先頭へ

日本経済新聞 電子版について

日本経済新聞社について