池田元久氏
東京電力福島第一原発事故の際、政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業副大臣が3月11日から5日間を手記にまとめた。当時の菅直人首相が震災翌日に原発を視察し、東電社員を怒鳴り散らした様子などが細かく描かれている。
3月12日午前4時すぎ、対策本部に菅氏の原発視察の連絡が入った。池田氏は「指揮官は本部(官邸)にとどまるべきだ。どうしても来るなら万が一のことがあってはならない」と考え、現地対策本部があるオフサイトセンターへの変更を打診。だが原子力安全・保安院は菅氏側に伝えなかったという。
菅氏は原発に到着後、待機用のバスに乗り込むと隣に座った武藤栄東電副社長(当時)に「なぜベント(排気)をやらないんだ」と迫った。池田氏は「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と振り返った。
菅氏は原発に入ると、作業員が行き交う廊下で「何のために俺がここに来たと思っているのか」と怒鳴り、吉田昌郎所長(当時)はベントの指示に「決死隊をつくってでもやります」と答えた。菅氏の口調がきついため、池田氏は同行した寺田学首相補佐官(同)に「総理を落ち着かせてくれ」と頼んだ。池田氏は「指導者の資質を考えざるを得なかった」という。
オフサイトセンターは「仮眠設備がなく、机に突っ伏して睡眠を取る。食糧はレトルトカレーとご飯1日2食だけ」だったという。対策本部は15日に福島県庁への移転が決まり、池田氏は5月に病気で入院し、本部長を代わった。(磯貝秀俊)