現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 特集
  4. 東日本大震災
  5. 記事
2011年12月19日3時1分

印刷印刷用画面を開く

mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加

原発で怒鳴る菅氏、克明に 池田前経産副大臣が手記

関連トピックス

写真:池田元久氏池田元久氏

 東京電力福島第一原発事故の際、政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業副大臣が3月11日から5日間を手記にまとめた。当時の菅直人首相が震災翌日に原発を視察し、東電社員を怒鳴り散らした様子などが細かく描かれている。

 3月12日午前4時すぎ、対策本部に菅氏の原発視察の連絡が入った。池田氏は「指揮官は本部(官邸)にとどまるべきだ。どうしても来るなら万が一のことがあってはならない」と考え、現地対策本部があるオフサイトセンターへの変更を打診。だが原子力安全・保安院は菅氏側に伝えなかったという。

 菅氏は原発に到着後、待機用のバスに乗り込むと隣に座った武藤栄東電副社長(当時)に「なぜベント(排気)をやらないんだ」と迫った。池田氏は「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と振り返った。

 菅氏は原発に入ると、作業員が行き交う廊下で「何のために俺がここに来たと思っているのか」と怒鳴り、吉田昌郎所長(当時)はベントの指示に「決死隊をつくってでもやります」と答えた。菅氏の口調がきついため、池田氏は同行した寺田学首相補佐官(同)に「総理を落ち着かせてくれ」と頼んだ。池田氏は「指導者の資質を考えざるを得なかった」という。

 オフサイトセンターは「仮眠設備がなく、机に突っ伏して睡眠を取る。食糧はレトルトカレーとご飯1日2食だけ」だったという。対策本部は15日に福島県庁への移転が決まり、池田氏は5月に病気で入院し、本部長を代わった。(磯貝秀俊)

検索フォーム

おすすめリンク

新年早々、北朝鮮が運営するツイッターに、金正日父子を揶揄する内容が掲載された。

不十分な情報と次々に起こる事態。朝日新聞は何をどのように伝え、何が不足していたのか。

8カ月余り最前線で指揮を執った吉田所長。仲間に「断腸の思い」とメッセージを残した退任劇のウラ。

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

検索

亡くなられた方々

| 記事一覧

【東日本大震災】救援募金を受け付け中

●銀行振り込み
三井住友銀行新橋支店(店番216)普通2133184
【口座名】朝日新聞厚生文化事業団災害口
●郵便振替
「朝日新聞厚生文化事業団」(00110・8・449253)