「日本文明論への視点」第1回
拓殖大学日本文化研究所主催の公開講座「日本文明論への視点」の第1回を聴講しました。
第1回では、「『日本文明論』への視座」を主題として、田中英道先生が講師を務められました。
今回の講座で田中先生は、主に、日本本来の自然観、形の文化、そしてやまとごころの三点について、以下のようにお話になられました。
1. 日本本来の自然観
今回の東日本大震災を体験し、日本人は改めて自然の巨大さに気づいた。この自然の巨大さ、換言すれば自己超越的な存在を感じたり体験したりしたことで、日本人に固有の、本来の自然観を思い起こさせた。それは、「人間が自然と戦い、それを支配しようとする」という「近代的」自然観ではなく、「自然を畏敬し、それと共にある」という心の在り方である。この自然観は、自然を物質とみなし、人間と対立する存在であるとみなしている西洋諸国の自然観とは異なっている。日本には「nature」にあたる概念、しょしてその訳語は江戸時代まで存在せず、明治以降、近代になって、「自然」がその翻訳語として使われ始めた。私たち日本人が使用する自然とは、「自ら然り」という意味であり、それは人工物と対立する物質界としての「自然界」を意味する「nature」とは、意を異にするものである。
2. 形の文化
明治以降の知識人は、言葉になったものばかりに価値をおいているが、彫刻や絵画といった美術などの、「文字」、「言葉」ではなく「形」として表れているものにも注目すべきである。なぜなら、日本の美術には世界にも類を見ないようなのものが存在しており、日本人の優れた美意識が、「美術=形」というものをを介して表れているからである。例えば、浮世絵はゴッホやモネといったフランス印象派の画家たちに深い影響を与えた。
3. やまとごころ
日本の宗教観は、キリスト教やイスラム教の宗教観とは異なるものである。それは「やまとごころ」と表現することができる。これは、自然に驚異を感じる「自然信仰」、祖先を敬う「御霊信仰」、そして天皇を畏敬崇拝する「皇祖霊信仰」に基づいている。この「やまとごころ」が、神道や仏教、儒教、そしてキリスト教でさえも許容してしまうような、世界にも類を見ない日本古来からの伝統的精神となっている。
感想
日本の歴史を、「文字」、「言葉」として残っているものだけではなく、彫刻や絵画といった美術、あるいは神社、仏閣や古墳といった「形」として残っているものからも読み解くことが必要であるという田中先生のご指摘は、とても新鮮なものでした。今回の先生のお話によって、日本人が長い歴史のなかで育んできた、「言葉」では言い表せない感覚というものの重要性に目を向ける契機を与えて頂きました。
(報告・山下恭平)
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