「新日本学」第5回

 本学日本文化研究所主催の公開講座「新日本学」の第5回を聴講しました。パネリストに元外交官、文筆家で拓殖大学客員教授の佐藤優先生と本学名誉教授の井尻千男先生を迎え、「国体論の再構築」をテーマに行われました。

 第一部は佐藤優先生が話されました。
 「国体」を辞書で引いてみる。すると、「国民体育大会」の略であると出てくる。しかしそうではない。国の状態、在り方のことである。しかし現在「国体」と言えば「国民体育大会」としか認識されない。では、「国体」とはつまりどういうことか。「国体」とは「インテリジェンス(intelligence)」のことある。では「インテリジェンス」とは何か。これにはラテン語の知識を要する。ラテン語でintelligence は intelligere である。これは inte と legere に分解することができる。legere を原形に戻すとlego となる。子どものおもちゃである「レゴブロック」の「レゴ」である。 inte には「知」、lego には「組み立てる」という意味がある。よってintelligenceは「知を組み立てる」ということになる。「知を組み立てる」とはつまり「見えないものを見抜く」ということである。つまり「国体」とは「インテリジェンス(intelligence)」であり、「知を組み立て」、「見えないものを見抜く」ということである。また、ラテン語のlego には「読む」という意味もあるので、「国体」には「知」を「読む」つまり「読み解く」という意味もあるのである。
 近年、「エリート」の質が落ちていると言われている。慶応大学で世界史Bの年号問題を100問出題した。しかし、フランス革命が1900年代に起こったなどという解答もあり、平均点は4.2点であった。慶応大学だけなのかと思い、早稲田大学の3年生に全く同じ問題を出題した。すると平均点が上がった。5点であった。これは何を意味しているのだろうか。ゆとり教育の弊害かと思われるが、しかしそれは違う。文化の変容である。大学進学率が向上した中で日本と韓国で特に顕著な傾向であるが「なぜ大学へ行くのか」という目的意識が無いのである。その他の国ではそれが明確である。欧米では、本当に大学へ行き学問や研究をしたい人でなければ大学へは行かず、実業学校へと行き就職するのである。大学へ進学した場合、上手く行けば実業学校より遥かに良い就職先が見つかるが、もし失敗した場合は就職先が見つからないのである。よって欧米では大学進学率があまり高くないのである。また、勉強をしても「嫌いなものは定着しない」のである。また「勉強をやる意味が分からない」というのも増えている。例えば高校の数学Uに微分がある。2x^3=6x^2であるが、それは理屈ではなくそう変化するというのが大切だということになってきており、塾などでもそのように指導することが増えているというのである。このように様々な方面から考える力、言い換えれば「博識に対する総合値」が下がっているのである。博識に対する総合値は「生き残るための知識」にも直結するのである。
 最近ではエジプト情勢が非常に不安定である。この問題は下手をすれば人類の危機なのである。その理由は、かつてエジプトが北朝鮮にSKATミサイルをロシアに秘密裏に売却したからである。そして北朝鮮はSKATミサイルをノドン、ノドンUに改造してイランに売却している。そしてイランがそれらのミサイルを元にイスラエルへと侵攻する可能性がある。すると中東を起点に核戦争が勃発する可能性があるのである。そうなると、不拡散体質である日本も危ない。エジプトの大統領が変わったことは過去何度とあるが、決して民主的に変わった訳では無い。全てクーデター、あるいは病気によって変わっただけである。つまるところエジプトの大統領というものは「王様」と呼んでも過言でないのである。エジプトにも他国と同様軍隊があるが、これは米軍、及び日本の自衛隊とはその性格を異にする。エジプト軍というのはエリート、貴族集団であり国民と一体となっている感がある。空港やピラミッド観光なども軍の管理下にある。今回エジプトでは現大統領のムバラク派と反ムバラク派で争っているが、軍がムバラク派に支援するかは不透明である。もし今エジプトで選挙を行えば、ムスリム同胞、つまり反ムバラク派が圧勝するであろう。そこには集合的無意識が働いているのである。イスラーム原理主義には「命より大事なものがある」という考え方がある。これは中世の普遍論争に戻って考える必要がある。唯名論、それから発展した唯物論とオックスフォード大学やケンブリッジ大学など世界の4つのみの大学で研究されている実念論である。実念論の考え方は不文憲法へとつながるものである。これは70年前の日本でもそうであった。これは近代主義を超えた実戦主義であると言える。
 近年では核を持つ他国に対抗するため、核武装論が叫ばれることがある。しかし、これを最前面に話し合うべきではない。その理由として、NPT(核拡散防止条約)からの脱退せざるを得ないことが挙げられる。日本が原子力発電所で使用するウランを輸入する条件としてNTPへの加盟をしているのだが、もし日本が核武装をした場合、NPTからの脱退を余儀なくされ、同時にウランの輸入がストップし、日本の電力が賄えなくなる可能性がある。ということで、先に話し合うべきことは核武装論ではなく、NPTから脱退した後のエネルギー問題について話しあうことである。また、アメリカによる「核の傘」はすでに破れかかっているので、その話し合いは早急にする必要がある。
 日本では憲法改正も叫ばれている。しかしこれは合理主義、構築主義である。その例として国民投票がある。国民投票によってもっとひどいものが出来る可能性があることを考慮せねばならない。天皇陛下は日本の元首である。元首とは主権概念を超えるものであり、国際法上宣戦布告などをする存在でもある。現在は象徴となっているが、象徴とは「見えないものを見えるようにすることである。」日本国憲法もそうだが、実は明治憲法もいやいや、つまり言い換えれば「押し付け」により制定されたものである。しかし、憲法は無いといけなかったものある。秩序というものはそれこそが国体観なのである。日常こそが国体なのである。日本における「見えない憲法」と言うべきものが国体なのであり、その国体観をまとめたものが憲法なのである。憲法改正よりも急ぐべきものがある。それは皇室典範の改正である。これは憲法の中に入れてよいものではないからであり、皇室自身が決めることであるからである。女系・女性天皇論などというものは入り口で切ってしまうべきものである。神々の世界に人、人権という概念を持ち込んではいけないのである。
 社稷というものがある。その土地ごとの特色、作物、それを祀ることである。日本はその祭祀共同体の国家であり、天皇はそれを保持する「祀主」なのである。その場が高天原である。権藤成卿という人物がいる。「軍人をそのままにするな」という考えを持ち、血盟団事件や二・二六事件の思想の背後にあるとされている。しかし戦後は左翼、極左に支持されている。権藤成卿は「自分たち民衆の力を信じず政治家に期待するな。社稷、根源的な力を信ずるべき」と社稷の大切さを言っている。
 全体主義と普遍主義の対立がある。日本の鎖国は普遍主義への対抗であった。また、ニコライという人物は戦時中天皇に評価されていた。ロシアとの関係を戦略的に近づけるパンフレットを作ったことがあるのだが、歴史観の認識というものが難しい。現在では尖閣諸島問題などを始めとして中国から日中で共通の歴史観を作りましょう、と言われているが、それは併合されたときに初めてできるものあるのであるから、する必要はない。「まずは中台、朝韓ですべきではないのですか」と促すことや「やってるふりをする」でそれをかわす必要があるだろう。また、神皇正統記、太平記といったものには文字にできない何かが隠されていると考えられる。
 大杉栄という人物がいる。ファーブル昆虫記を翻訳した人物だが、アナーキズム、無政府主義者である。彼は翻訳する中でハチやアリの社会に触れ、その中で非国家体制というものを学んだのであろう。官僚叩きはポピュリズム、衆愚政治であり、国力低下へとつながるのですべきではない。「日本史」という言い方を「国史」に改める必要もあるだろう。
 今の日本はまだ「帝国」である。世界は今帝国主義的路線である。外部の富を取ってくる、つまりは「食うか食われるか」である。かつて日本は大東亜戦争で「食われそうに」なった。しかし、なぜ日本は持ちこたえることができたのか?それは「命より大事な価値がある」があったからである。スターリングラードやレニングラードでロシア人と通ずることがあったのも一因であるだろう。水戸黄門は未だ沖縄・琉球編が作られていない。また、沖縄には大衆的な文学賞である直木賞受賞者が出ていない。中国・韓国に靖国神社が批判されているが、それはあくまで近代史観であり、恐るるに足らない。前原誠司氏には英霊に対する態度では期待を持つことができる。
 小泉改革と古事記の関係が取りだたされることがある。それは意欲の点においては合っているが、手順としては合っていない。まずは国体観を明確にし、それからである。「復古維新」というものがある。未来は過去にあるのだ。これからは「品格ある帝国主義」として国民で危機意識を持つのが大切であろう。中国・ロシアの領土侵攻によって気付かされれたのである。過去から学ぶことは「日本人としての団結」「国家総動員体制」であろう。

 第ニ部は井尻千男先生が話されました。
 昭和21年の元日に、天皇の「人間宣言」が出された。これはまさに国体論の解体である。また、同時に出された神道指令は「メタフィジカル」であり国体の破壊である。人間宣言と神道指令、これらによって日本の「超越的なもの」が還元されていってしまったのである。しかし、「人間宣言」は本当に「人間宣言」足り得たのであろうか?未だに天皇が祭祀を謳っているのでそれは疑問である。また、GHQの占領政策での言語空間と人間宣言の戦略的意味は分からないものである。
 昭和21年2月、日本国憲法および教育基本法制定の動きが起こった。しかし、これらはGHQによる「財閥解体」や「農地改革」などの「指令」や「恒久法」を制定させるものであり、ハーグ条約に違反している。もちろん日本国憲法、教育基本法の制定をさせるのも同一である。教育基本法は伝統を否定し、個性を発揮しろなどという日本の国体破壊を目論んだものであった。近代の超越。政策的な近代主義とはたいしたものではないのである。日本国憲法で改正すべきは1条、9条は当然であるが、奴隷制について書いてある18条もである。明治以降の日本に奴隷はいないのだから、全く無意味なものであるからであり、日本の伝統とも関係がない。そうして被占領期はGHQにより日本の国体が破壊されていった。日本の国体は「運命共同体」ということも出来るのである。
 昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が締結され、日本は真に主権を回復した。しかしそのことは日本国民の間では忘却されてしまっている。それは「永遠に日本を占領してくれ」と言っているようなものである。それなのに、強制された憲法が制定された5月3日は未だに祝日として祝っている。こんな状態で戦後とは一体何なのであろうか。また、日本国憲法とは翻訳調であり、国語への冒涜である。これにはレジテマシー、正統性が無いのである。では、2月11日の建国記念日は何なのであろうか。事実と物語は違うが、国体論の再生はここですべきであったのであろう。
 戦後は高度経済成長の神話が囁かれている。「中間層を増やした」、円盤型の成長である。大御宝、という言葉がある。市民、国民のことであるが、国家の礎である民のことをこう呼ぶ言葉があるのである。ものづくりでアメリカを追い込むということをしようとすれば、アメリカに金融で追い込まれるであろう。レーガノミックスという保守派が賞賛した政策があったが、これは保守の大失敗である。プラザ合意以降、白人に減税をし、公共経済を小さくし、自由競争で決着をつけさせるものである。日本人は所を得て働く、だから所得という言葉であるのだから。大御宝と呼ばれる所以でもあろう。
 また、金融ビッグバンは失敗であった。不労所得を是としない国民性、日本人としての倫理感があるからである。それが、郵政民営化であるが、郵政というものは「ネットワーク」であり、日本を月次なものにしてしまうと、大いに怒るべきである。TPPについては、賛成か反対か、という選択肢について話し合うのではなく、「この国をどうしたいかという"理想"」を話し合うべきなのである。それは、政治家、また保守知識人の役目である。さすれば、日本を世界に誇れる、素晴らしい物にすることが出来るだろう。

 第三部では、佐藤先生と井尻先生のディスカッションでした。
井尻先生「天皇人間宣言は保守知識人もその存在を認めているが、それだと平板になるのか」
佐藤先生「そうである。沖縄は4月28日を祝わないことに対し怒っている。また、『北方領土の国後島、択捉島は放棄した』と外務省の条約局長が答弁したことがある。人間宣言では陛下を追い込んでしまって申し訳ない。天皇は神だ。それを戦後は縮小してきてしまった。もう一度紙のほうに引き寄せる必要がある。また、民の立場からマスメディアを糾弾する必要もある。それは結構効果のあることである。朝日新聞などは批判が来ることを想定しているので、見習う必要がある。そして合理主義、構築主義が保守を覆ってきている。
井尻先生「超越性がない」
佐藤先生「死が恐い、それを克服し、超越すること。市橋達也の本に表れていることだが、反省は見られず、『お遍路すれば被害者が生き返る』などといった構築主義ばかりが描かれている。何としても死刑を避けようという姿勢が見当たらない。」

 また、聴講者から質問も多く出ました。その回答のまとめです。
 帝国主義は悪そのものであるのか。帝国主義論といえばレーニンであるが、これはホブソンの真似事である。「ある以上の規模の国は帝主をとる」というものがあるが、日本は国力があるのに弱小の国のようである。それは、日本人が下品なことを嫌うという面があるからである。例えば資源外交をすることである。マネーゲームではなく「資源を買う」のである。すると円売りが加速する。これは小沢一郎も同じ認識をしている。世の中は不幸なものである。「最小不幸社会」などと言われているが、それは「煉獄体」といったものであろう。自民党はすでに潜在力を使い果たしてしまった感がある。渡部昇一氏なども稲田朋美氏を総理大臣にしてみるのはどうかという意見を提案している。弁護士出身で、バランス感覚の持ち主であるからである。公判ででも負けそうになると身を引くということができる人物である。人は怒らせると本音を出す。アピールなどではなく自然に。いろいろなネットワークで立ち上がる準備をしておく必要があるだろう。国政が機能不全に陥ったならば、地方が立ち上がるべきである。菅首相の信子夫人は、日野富子のような人物である。無責任な立場で国政に影響を与えており、下手をすればファシズムになりかねない。東アジア共同体は小泉純一郎が作った言葉である。菅直人の外交答弁は、若手外務官僚の作文であり、前原誠司は怒っている。スパイ防止法の制定は、情報公務員法に縛りをかけてしまう。
 といったように、現代の政治の裏側を知ることが出来ました。
 
 今回の「国体論の再構築」を聴講して最も大切だと感じられたのは、「日常について考えてみる。それこそが国体である」ということです。それを実践していけるように、日頃の心がけが大切であると思いました。

(報告・木村恵一朗)

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