第一章 メイドさんを雇おう


− 第二十一話 メイドさんの事情 −




私が、ケルト王国の王家の血を引く?
そうご主人さまに言われても、実感などあろう筈もありません。

ただ自慢の金髪がその証拠だと言われれば、グロリアもそうなのかと考え込まざるを得ませんでした。
実際、客が来るからとご主人さまに、魔法で髪の色を変えられました。

今までと違う、赤み掛かったブロンズ色の髪を鏡越しに見つめると、その事が恐くなり身体が震えて来るようでした。



「うーむ、可愛い娘はどんな色でも可愛いな」
そんなグロリアの震えを止めて下さったのはご主人さまの言葉でした。

「えっ?」

「いや、グロリアは可愛いからこう言う色も似合うな」
そう言いながらご主人に優しく髪を撫でられると、不安が身体から抜けて行くようです。

「あっ……」
だから、手が離れた時に思わず声が出たのも仕方のない事だと思います。

そして、グロリアの小さな声にご主人さまが気付き肩を抱かれたのも自然な動きだと思います。
ご主人さまの唇が迫って来て、グロリアも目を閉じてそれに答えます。

うっとりするような熱い口付けに、グロリアは身体中から力が……






「グロリアさん…」



「ねえ、グロリアさん!」



「えっ? あれ? ご主人さまは?」
ここは今日から自分の部屋になる二階の一室だった。
グロリアはキョロキョロと辺りを見回すが、もうご主人さまはいない。

「グロリアさん、しっかりして下さい!」
先程出て行かれましたよとヴィオラに指摘され、頭がクラクラするのかグロリアはこめかみを押さえる。
また自分の世界に入り込んでいたようだった。



「あっ、ごめんね、で何?」
グロリアは、慌ててヴィオラに聞き返した。
どちらの部屋を使うかとの事なので、ヴィオラが選んで良いと答えるグロリアだった。

「じゃ、私こっちにします!」
嬉しそうに左の部屋に駆け込むヴィオラを見て、彼女は自分の出自が気にならないのだろうかと不思議に思う。

私もそうだけど、ヴィオラのそれはかなり大変だと思う。
まさか、獣人の血が入ってるなんて……



もし、自分だったら……



そこまで考えてグロリアは、はっと気が付いた。
自分とヴィオラの問題は、ある意味同じなんだ。

獣人の血筋、王家の血筋、方向は違う。
うううん、方向すら一緒だわ。

だってどちらにせよ、二人には全く必要が無いもの。
そう、ご主人さまと仲良く暮らして行く上では、そんな事関係ない。






グロリアは、そっと唇に手を充ててみる。
もう、何の感触も残っていない。

だけど、先程の口付けは嘘じゃない。



     フフっ!



グロリアは、笑みを浮かべ自分の部屋の片付けに取り掛かるのだった。









部屋の移動と片付けが終わると、休む間もなくファイト様がお越しになりました。
ご主人さまが出迎えられ、お二人は玄関ホールにて話しをされています。

ファイト様は、ご主人さまに雇われた傭兵団の団長様だそうです。
だけど遠めで見ている限り、まるでお友達の様でした。



それから、半時も経ったでしょうか?
荷馬車の隊列が到着し、グロリア達は更に忙しくなるのでした。






「まず全員風呂だ! ファイト、五人づつ入らすぞ、手伝え!」

グロリア達は言われた通り大量のバスタオルとバスローブを用意し、風呂場から退散します。
そこからは、男の人達の罵声や悲鳴が聞こえて来ました。

それは丁度、初めてグロリア達がここに連れて来られた最初の日のようでした。



そうそれを思い出し、愕然としました。
傭兵団の皆様や、御者を勤める方々が、風呂の入り口で自分の番を待たれているんです。

中から聞こえる罵声や悲鳴に戦々恐々とされてます。
グロリア、その姿を見て服装が汚いと思いました。

そして、皆様のすえた匂いに秘かに顔をしかめていたんです。



でも、でも、そこで待っている皆様の姿はほんの十数日前の自分達の姿そのものでした。



毎日お風呂に入り、髪の毛まで綺麗に洗う生活。

それをたった十日と少し続けただけで、以前の普通の生活が如何に薄汚れたものであったのか。
そして、この屋敷での生活が如何に清潔なものであるかを思い知らされたのでした。






そんな事をグロリアが思っていると、ビショビショになった服のままでご主人さまが出て来られました。

「いやあ、二度とせんぞ」

そう言いながら、ご主人さまが杖を取り出し一振りされます。
濡れていた服はあっと言う間に乾いてます。

「アマンダ!いるか!」
ご主人さまが辺りを見回し彼女を呼びます。

「は、ハイぃ〜っ」

呼ばれたアマンダがホールから飛び出して来ました。
確か彼女は、昼食の用意を手伝っていた筈です。

「風呂から上がった連中を大ホールまで案内を頼む」
駆け寄ったアマンダに、ご主人さまがそう言います。

あれ?
グロリアとアンも控えていたのに、どうしてわざわざアマンダを呼んだのでしょう?

「お前達! この屋敷には可愛いメイド達がいるが、決して手を出すんじゃないぞ!」

先程から、私達をジロジロ見ている男の人達にご主人さまが声を掛けます。
でも、殿方の習性ですからそう言ってもお尻ぐらいなぞられるのは止まらないでしょう。



「おい、お前、ちょっとこっち来い」
先ほどからグロリアの胸ばかりに視線を寄せていた男の人をご主人さまが呼び付けました。

「アマンダ、少し我慢してくれ」

「ふぇ?」
アマンダはクルリと後ろを向かせられ、きょとんとしています。

「ほら、この娘の尻を触ってみ」

「えっ?」
男の人は、驚いたようにご主人さまを見つめます。

「ほらほら、さっさとする!」

「は、ハイ」
男の人は、促されるままに、アマンダのお尻に手をあてようとしました。



「うわっ、あちっ!」
男の人が慌てて飛び退きました。

「このように彼女達は、魔法で守られている」
ご主人さまが、説明しています。

「軽く触れようとしても、ああだ」
確かに、余程熱かったのか、男の人は手を冷まそうと必死に風を吹きかけています。

「それ以上の事をするなよ、焼かれるぞ」
皆さんコクコクと頷かれています。



確かに、焼かれたくは無いでしょうから私達へのちょっかいは減りますね。
でもご主人さまが、グロリアの胸ばかり見ていた男の方を選んだのは偶然じゃないですよね。

そう思うと少し、嬉しくなります。



「なるほどね〜、だからアマンダを呼んだのね〜」
アンが納得したように頷いてます。

アマンダは、火の精霊の守りが掛かっているそうです。
グロリアを含む四名は水の精霊の守りだけです。

確かに、火の精霊の守りの方が判りやすそう。
しかし、水の精霊の場合はどうなるのかしら?

今度、ご主人さまに聞いてみましょう。






全員がお風呂を済ませ大ホールに入ると、グロリア達は風呂場の後片付けです。
大ホールでのお客様に対する世話に、アマンダ、ゼルマ、ヴィオラが手をとられるので、こちらは二人でしなければなりません。

二十数名分の汚れた衣類を、洗濯機に放り込んで洗って行きます。
それとは別に、バスタオルも洗うので、洗濯機は三台ともフル稼働です。

しかも皆様の衣類は、初日にグロリア達の衣類を洗った時と同じで洗濯すれば色々と解けてしまうでしょう。
それらを、繕いちゃんと着れるように戻すとなると、今晩一晩掛かるかも知れません。



「やっぱり、五人じゃ無理があるわね」
私はアンジェリカに話し掛けました。

「うーん、そうだね〜。 だけど、三日もすれば新しい娘が来るから大丈夫だよね〜」

確かに、今日のようにお客様が見えられると、五人ではてんてこ舞いです。
だけど、新しい娘が来ると言う事は同時にライバルが増える事を意味するので、少し複雑な気持ちです。






「ねえ、アン? 私達って特別な存在に慣れたのかしら?」
二日前、アンジェリカが言って来た話から始まったように思える一連の流れ。

その最後が今朝のグロリア自身の出自の話。
うううん、違うわね。

ご主人さまにすれば、いずれ話す積りだった内容なのだろう。
だって、アンジェリカの一件が無くとも、私の髪は青いのだから。



「うん、絶対そうだよ〜」
アンが嬉しそうに言って来ます。

「私、少し焦りすぎたのだと思う」
「えっ?」

アンジェリカが言うのは、ここでの生活を続ければ続ける程、ここが気に入ったのだそうだ。
次から次へと出て来る、知らないもの、見たこと無いもの。

一つを知れば、次を知りたくなる。
二階の書庫には、アンジェリカが見たことも無い様々な書籍が置いてある。

まだ、ご主人さまのお国の言葉は判らない文字ばかり。
これを覚えれば、あの書籍が読める。

載っているもの、書いてある事、全て見てみたい、知りたい内容。



「グロリアは、ご主人さまの国に行ったんだよね〜」
アンがとっても羨ましそうに、私を見つめます。

アンも行って見たいそうです。
その為には、ご主人さまに気に入られなければいけない。

「残念ながら〜、胸ではグロリアには勝てないのよね〜」
アンジェリカが言います。

二番ではダメなんだそうです。
一番になってこそ、ずっとここに居られる。

ご主人さまにとって意味のある存在になれると言う事らしいです。
グロリアにはその辺りのニュアンスは良く判りません。



「あっ、でもそれって、もし、もしも私より胸の大きな人が来たらダメになるのじゃない?」
私はアンに聞きました。

「うううん、グロリアはもう特別な存在なんだよ〜」
アンジェリカが説明してくれました。



私が特別な存在だから、金髪の事を隠そうとして下さる。

ヴィオラが特別な存在だから、出自を隠そうとして下さる。

ゼルマが特別な存在だから、その御家再興の夢を叶えようとして下さる。

「アマンダの場合は、特別な存在になっちゃったんだね〜」
火の精霊の守りを持った女の子と言うだけで既に特別なのに、更に水の精霊の加護を受けてしまったアマンダ。



「だけど〜、私だけは、何も無いのよね〜」
アンが少し寂しげに行ってくる。

「そ、そんな事無いわよ」

「ありがとう、グロリア」
寂しそうなまま、それでもアンは笑みを返してくれる。

「でもね、私は特別じゃなくても、皆を、四人を守る事が出来る。
 うううん、守る事で私も特別になれるの」



「だから」
アンジェリカは言う。

今回は、先走りし過ぎて、ご主人さまを不快な目に会わせてしまった。
だけど、今後はこんな失敗はしない。

絶対に、ご主人さまの先を読んで皆の助けになるように、動いてみせる。
それこそ、私がここに残れる、特別な存在になれる方法。



「だから〜、グロリアも私をあてにして頂戴〜」
アンが、にぱあと笑いながら、そう言ってくる。

「判ったわ、頼りにしてるわ」
私も、顔一杯に笑みを浮かべ、それに答えていた。









広いホールの中、白いガウンを纏った十名程度の男達が二三人づつ位で固まり小声で話している。
彼ら自身このような場違いな所に来させられ、困惑しているのだった。

しかし、そんな男達の考えとは関係なく、アマンダは言われた仕事をこなそうと必死だった。
そうお客様全員に、お飲み物を届けるのだ。

アマンダはお盆の上にワインを入れたマグカップを載せ運んでいた。
目指すは、前方三メートル、右五十センチの位置に立つ男性。

先程、風呂から上がったのかまだ手にはカップを持っていない。



     こぼしちゃいけない、こぼしちゃいけない。



アマンダは小さく呟きながら、一歩一歩確実に距離を縮めて行く。
幸い、周りにいる男の人達はアマンダが近づくと皆場所を開けてくれる位親切だ。

お盆に載せているのもガラス製の華奢なワイングラスではなく、落としても割れない丈夫なマグカップだ。
しかもたった一つのマグカップしか載せていない。

よし大丈夫、アマンダにはどこにも不安要素は無い!
無事、目標の男性までワインを運ぶだけだ。



     こぼしちゃいけない、こぼしちゃいけない。



ゆっくり、着実に、アマンダは進んで行く。
周りの男達は、そんなアマンダの様子を不思議な物を見るような顔で見ているだけだった。

更に部屋を見渡すと、同じようにお盆を掲げマグカップを運ぶメイドがあと二人いる。
但しこの二人は更に小さな子供である。

三人のそんな必死な様子に、誰もがなんとかしてやれと心に思うが突っ込めないでいた。
出来るのは、彼女達が差し出すカップを引きつった笑みを浮かべ受け取るたけだった。





しかしながら、それも慣れてくれば変わる。
最後には風呂から上がった新たな三人がホールに入ろうとすると、それぞれの友人が駆け寄る。

友人は一様に引きつった笑みを張り付け、何も知らない彼らを有無を言わせず引っ張るのだった。
そして、ホールの隅まで連れて来られるのだ。

そう、そこには今しもお盆を掲げ、遠征に乗り出そうとしていたアマンダ達が待ち受けている。



「お飲物をどうぞ」
顔一杯の笑顔と共にマグカップを差し出すアマンダ。

「おのみものです」
真剣な顔で、お盆を掲げ見つめるリリー。

「どうぞ」
顔も上げる事も出来ず、掲げるお盆を見つめるだけのクリスティーナ。



「あ、ありがとう」
「ああ…… どうも」
「ありがとう?」



風呂上りの三人がそれぞれなりのお礼の言葉を口にしながら、カップを受け取る。
アマンダの笑顔が更に大きくなる。

チビッ子二人はお互いに顔を見合わせほほ笑み合う。
勿論ホールにいる全ての男達の間にも、ほんわかしたものが広がるのだった。








ようやく全員にカップが行き渡ったので、次はお代わりの準備だ。
アマンダはチビッ子二人を引き連れ、厨房の奥の貯蔵庫に向かう。

貯蔵庫には沢山の保存が効く食材が山積みされている。
お酒等の飲み物は一番奥にしまってある。

真直ぐに奥を目指していたアマンダが突然立ち止まると違う方向に進み始める。



「アマンダ姉ちゃん?」
突然右に方向を変えたアマンダに不思議に思ったリリーが尋ねた。

「ちょっと栄養補給」
ニマっとアマンダは笑うと棚の上の魔導師ミルクチョコレートを一つ取り出す。

「えいよう!」
「ほきゅう!」

リリーとクリスに異存などある筈もなく、三人は仲良く板チョコを平らげるのだった。
ポケットからハンカチを取出し、自分も含め三人の口の周りを綺麗に拭き取る。

「じゃ、行こっか」
「「がんばろー」」

三人は再び奥の酒蔵を目指すのだった。



赤ワインと白ワインのボトル。
それが入った木箱をカートに載せようにも、アマンダでは持ち上がらない。

仕方なく、三人で中のボトルを一旦外に出す。
減らした木箱が何とかカートに乗ったので、再びボトルを戻してやっと準備完了!

カートを引っ張るが、思ったより重い。
それでも三人で、力を合わせて運び始める。






「大丈夫?」
うんうん唸りながら運んでいると、前から声がした。

「あ〜、ヴィオラ!お、重いのよ」

アマンダは涙目だった。
チビッ子二人の前で弱きを見せる訳行かなくて、必死に頑張ってたのだ。

「手伝うよ」
苦笑を浮かべながら、ヴィオラが引っ張り始める。

「ふえっ?」

カートが滑らかに転がり始める。
リリーとクリスもポカンと見てる。

「ま、待って、待って、ヴィオラ」

「うん?何?」
ヴィオラは、カートを引っ張りながら返事をしてくる。



     おかしい。



どう見てもヴィオラが力を込めている様には見えない。

「ちょっと、止まって貰える?」

「何か忘れた?」

そう言いながら、カートが止まる。
アマンダはカートを押してみる。

やっぱり重い。
動かない事はないけど、軽々と運べる重さじゃない。

「何かあったの?」
ヴィオラが怪訝そうに聞いてきた。

「うううん、別に」
チビッ子二人もそれを見て、フルフルと首を左右に振る。

「じゃ、急がなきゃ、行くよ」
スーっと言う感じでカートが進んで行く。

「あっ、待って、待って」
慌ててアマンダとチビッ子二人は後を追った。



三人の考えは一緒だった。
うん、ヴィオラ(姉)とは喧嘩しちゃ(逆らっちゃ)いけない……









お家再興……
これが、先日までのゼルマの望みだった。

だがそれもこの屋敷で働き始め、ご主人さまと……
以来、それ程重要な事だとは感じなくなっていた。

それが、今朝の話で大きく変わった。
父は貶められたのだった。

それも、部下であるアルベルト卿と上司のブッフバルト卿の二人の手によって……



衝撃の事実だった。
父の横領は何かの間違いだとは思っており、それ故のお家再興を願っていたのだ。

それが、母と私に優しくしてくれたアルベルト卿、そして父に連れられて挨拶に伺った事もあるブッフバルト卿。
この二人の手により、ヴェスターテ家は没落したのだった。

私はどうすれば良いのか……
ゼルマは、大ホールに料理を運びながら、悩み続ける。






「ゼルマはどうしたいの?」
それは、午前中に部屋の移動を行っている時のアンの言葉。

「判らない、私は何がしたいのか」
そして、これがゼルマの答え。

「そうなんだ〜、でもね、ご主人さまも言ってたでしょ〜」
新しい部屋のリビングと言う空間に置かれたソファに腰を下ろしてアンが答える。

「ゆっくり考えて、ゼルマ自身の結論をご主人さまに伝えなさいね〜」
アンがソファの上で、その感触を楽しむように飛び跳ねながらそう答えてくる。

「でもね〜、忘れちゃ駄目よ〜」
アンが立ち上がり、ゼルマの前に歩み寄る。

「ご主人さまは、ゼルマの結論を全力でサポートして下さる事をね」
真っ直ぐにゼルマを見つめながら話しかけてくるアンジェリカ。

そう、それはきっとゼルマが聞きたかった言葉。
そして、ゼルマ自身がそうであってくれる事を望んでいる言葉だった。









大ホールには、白いガウンを羽織った二十名以上の男性が佇んでいる。
ゼルマは大きなお盆に湯気の上がる料理を載せて隅のテーブルに置いて行く。

「どうせ、マナーなんて知らない人が多いわねー、だからバイキングにするからー」
アリサさんがそう言って、順番に料理を運ぶように言って来た。

『ばいきんぐ』と言うのは、ご主人さまのお国の料理の食べ方だそうだ。
完成した料理を並べ、自由に取り分けて食べる方法だと言う事だ。

アリサさんは、料理に関する様々な情報を収集するのが趣味だそうで、ご主人さまのお国の料理も既に色々手掛けている。
最初に会ったときはかなり反発したけど、今では尊敬に値する人、いやエルフだとゼルマは思う。

あれで、ご主人さまとの関係さえなければ……」
いつの間にか考えを口に出しながら、ゼルマは次の料理を取りに、空の盆を小脇に抱えて厨房に入ろうとしていた。



「ゼルマさん、聞こえちゃいますよ」

「うん? 口に出していたか、ありがとうヴィオラ」
そっと、調理をしているアリサさんを伺う。

うん、大丈夫、聞こえなかったようだ。
今は、多くのお客様が来ている。

流石に、注意しているのでお客様の前で独り言を言う事は無いが、逆に厨房に戻ってきた時にはポロッと漏れてしまう。
気を付けなければ行けないとは思うのだが、四六時中注意しているのは難しい。

「ゼルマ、こっちの料理あがったから持って行ってー、ヴィオラはカーリンの方頼むねー」
「ハイ」
「ハーイ!」

今は、のんびりしている暇は無い。
ゼルマは急いで、出来たばかりの『焼きそば』と言う料理の皿をお盆に載せる。



「ゼルマ、仕方ないでしょ、アルとは古い付き合いなんだからー」

げっ、聞こえていたみたいだった。
アリサさんが苦笑いを浮かべながら、こっそりと話し掛けてくる。

「す、すみません……」
顔を赤らめながら、急いで厨房を飛び出すゼルマだった。






お盆を持ってホールに戻ると、丁度全員揃ったのか、正面にご主人さまが立ちその横に傭兵隊長が控えていた。

「いいな、全員に注意事項を伝えるぞー」

ご主人さまの声がホールに響く。
ゼルマもお盆の料理をテーブルに降ろし、壁際に佇み話を伺う。



「まず今日の昼食兼晩飯は、ここに用意してあるものだ」

おおっと言う声が部屋中から沸き上がる。
一応目の前に置かれた様々な料理を、自分達が食べられるのだろうと想像していたが、やはりちゃんと言われると嬉しいようだ。

「取り皿、これだ!」
ご主人さまがテーブルの隅に詰まれた皿を一つ掴み、見えるように高く掲げる。

「これに食べる分だけ、その大きなハサミのようなもので取る!」

「決して、テーブルの料理の前に陣取って一人で全部食べようとするなよ」
どっと笑いが起こる。

「後、ちゃんとフォーク、そしてスプーンは使え、手掴みは禁止な!」
ざわざわとざわめきが広がる。

確かに貴族の間では、今時手掴みで物を食べるのは行儀の悪い事だとなっておりするものはいない。
だが、平民の間ではそれ程おかしな事でもないのだ。

「お前ら、今来ているガウン何色か判るか? そう、真っ白だ!」
「その格好で、手掴みで食べてみろ、ええ、ガウンにその手で触るだろうが」

ああ、なるほど、ウンウンと言う同意が広がる。
でもそう言っても、ガウンを汚す人は沢山いるだろう。

「とにかく、可愛いメイド達の仕事を増やす奴は、朝食が減らされても俺は知らん」
「ナイフ、フォーク、スプーン、使えるなら箸も使いやがれ!」

ああ、そうか、とか納得するようなざわめきが広がる。

「次に飲み物だ。 一応ちゃんとした水もあるが、白と赤のワイン、強い酒は夜まで我慢な」
ぶつぶつざわめくような声が聞こえるが、傭兵隊長がジロリと睨むと直ぐに納まる。

「飲み物は、左隅、あそこにお前らに飲み物を運んでくれた、可愛いメイドがいるだろ、彼女達に貰え」

ああとか、おおとか言う声が上がる。
チビッ子メイド'sの活躍は全員が見ており、それは好意的な反応だった。



そこまで話すと、ご主人さまは傭兵団長に話を振るようだった。

「今、バルクフォン卿に言われた事さえ守れば、ここの料理は全部俺たちのものらしい」

「判りました〜」、「任してください〜」
等と笑いと同時に元気な返事が返ってくる。

「ベルジーナを出て、二十日以上の旅路に対するバルクフォン卿のお礼だそうだ、存分に味わおう」

そう言って、ファイト様とか言う傭兵隊長がカップを高く差し上げる。
全員がそれに従うまで、隊長は暫く間を置いた。

「では、我々の任務の無事終了と、バルクフォン卿の心づくしに感謝して」

そう言いながら、隊長がカップを口に運ぶ。
部屋にいる全員がそれに従い、一気に飲み干すと宴会が始まった。









ヴィオラは、貯蔵庫の奥までワインを取りに来ていた。
お代わりとして、運んだ分が物凄い勢いで消えて行くのだ。

カートを運んで来て、ワインのボトルが入った木箱に手を掛ける。

「よいしょ」
木箱は軽々と持ち上がる。

これだったら、二つ一度でも大丈夫だよね。
ヴィオラはもう一つの木箱をカートに載せて、運び始めた。

明らかに、自分の力が強くなっている。
これって、やっぱあれのせいかなあ……






ご主人さまに襲って貰った。
その最中に、ヴィオラは変身したのだ。

直ぐには気が付かなかったけど、終わってぼおっとしている時に耳を撫でられ気付いたのだ。
耳の後ろを撫でるようにされていると、何だか心が落ち着く様で気持ち良い。



     あれ?



私の耳ってそんな上にあったっけ?
感覚は耳の後ろって言ってるんだが、位置がおかしい。

「あー、ヴィオラ、落ち着いて聞けよ、お前今猫耳、それと尻尾がある」

えっ、尻尾?
ああ、こうやって動いている尻尾ね……



「ええっ!」

慌ててパニックになる私をご主人さまが押さえ付けて……
抱き締められて、それでも落ち着かない私の唇を……

まだ暴れようとするので襲われて……
思い出すだけで顔が茹るほど真っ赤になってしまう。

これを何度か繰り返した後で獣人化は解けていた。
ようやく落ち着いた、と言うか放心状態の私にご主人さまが解説して下さった。



何代か前に獣人の血脈が入っていると。
一度発現した以上、極度の興奮状態になるとまた起こり得ると。

猫耳、モフモフ尻尾のヴィオラも可愛いと。
また、変身して……



いやいや、うん、後は思い出す程の事じゃないよね。
とにかく、ヴィオラも獣人だったんだ。

そう、思い返して見れば、故郷の村でやたら毛深い人も見かけた事がある。
フードで顔を隠しゆったりとしたローブを纏い、森の産物を売りに来る人。

フードから覗く手は毛むくじゃらだった。



今なら判る、あの人は獣人だと。
教会も無い小さな辺境の村だからこそ、受け入れられた人もいたのだろう。

それでも今朝突然ご主人さまが皆の前でヴィオラの事を話した時は、パニックになりそうだった。
ご主人さまの魔法で、無理矢理抑え付けられた時は涙が溢れそうになった。

卑怯だ、ご主人さまの裏切りだ。
皆に蔑んだ目で見られる。

嫌われる、排除される……
そんな思いで一杯だった。



でも、話を聞いたら馬鹿らしくなっちゃった。
皆問題を抱えている。

それに、皆ご主人さまに買い取られた身。
今更何を言われても、その境遇に変化がある訳じゃない。



なんだ、昨日も今日もヴィオラのする事は変わらないんだ。
出来る仕事を精一杯こなすだけ。

力が強くなっているのは、より多くの仕事がこなせるんだから、ありがたい事。
あっ、でも一つ大きな違いがあった。

それはご主人さま。
もう、襲われる事を悩む必要が無くなった事。

そうだ!
朝突然、皆に話したのはやっぱり腹が立つ。

うん、責任はとって貰わないとね。
今度変身したら、それが解けるまで一杯、一杯責任とって貰おう!









宴たけなわで、何だか凄い事になっている大ホールにカートでワインを運び込む。
ワインの木箱を軽々て降ろすのを、アマンダがポカンと見ていた。

「ねえ、ねえ、ヴィオラ」
アマンダがこっそり話し掛けてきた。

「うん? なあに?」
ヴィオラは耳を寄せる。

「どうしたら、獣人になれる?」
何を言いだすんだ、アマンダは!

そう思い驚いて、アマンダの顔を見つめる。
うん、キラキラと憧れるような瞳が目の前にあった。

アマンダにすれば、獣人と言ってもこんなものなんだ。



「うーん、私も良く判らないわ、でもね」
苦笑を浮かべながら、アマンダのおでこを軽くこづく。

「少なくとも、貯蔵庫でこっそりチョコレート食べてちゃなれないわね」
あわあわと慌てるアマンダ。



うん、どうやら獣人になると、匂いにも鋭くなるみたいだった。


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